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前の野原でつぐみが鳴いた

小海音かなた

Chapter.65

 バッグをフローリングに置いて、ソファに座る。
「今日もありがとうございました」
 鹿乃江が、ご馳走になったことに対して礼を言い、
「いえいえ、こちらこそありがとうございました」
 紫輝が会食に参加してくれたことに対して礼を言って、二人で頭を下げた。
「後輩さんにお礼しないとですね」
「チケットのことですか?」
「うん。ライブのときの手ぇ振ってくれたこととかがなかったら、呼び出す勇気なかったかもしれないんで。それに、ライブのことじゃなかったら、メッセに返信くれてなかったでしょ?」
「んー、そう…かも……」
 園部に借りたDVDやライブを観ていなければ、確かに状況は変わっていたかもしれない。
「今度ご飯に誘ってるんで、美味しいお店探します」
「オレの分までお礼、言っておいてください」
「承知しました」
 ふと、紫輝が腕時計を見やる。針は22時近くを指している。
「先にお風呂入ります?」
「そうですね、お借りします」
「着替え、渡しますね」
 自分の着替えを取るついでに、鹿乃江を寝室内のクロゼットに誘導する。
「個人的にはこの辺がおすすめです」
 言って、紫輝がいつも着ている服を取り出した。
「ありがとう、お借りします」
 バスタオルと一緒に渡された服を抱え、鹿乃江はバスルームへ移動した。何度目かの訪問になるが、この時間が未だにソワソワする。
 それは紫輝も同様で、鹿乃江がシャワーを浴びている間、どう時間を過ごそうかいつも悩む。仕事のことをするにも手が付かなさそうだし、かと言ってなにもせずに待つには時の経過が遅すぎる。
 そうしていつも、思考や視覚の邪魔にならない衛星放送の環境番組や教育番組を視てしまう。
 同様に一人リビングで視聴する鹿乃江は喜んでいるようだし、紫輝的にも教養が増えるしで良いのだが。
 テレビの画面で番組表を確認し、宇宙の謎を紐解く海外のドキュメンタリー番組を選択した。日本語字幕が出るため、音声をミュートに切り替える。室内ライトの照度を落として、ソファの上で膝を抱えた。
 しばらく経つと、廊下とリビングを繋ぐドアノブがカチャリと音を立てて動き、
「お待たせしました」
 頬を桜色に染めた鹿乃江がリビングに戻って来た。
 オーバーサイズのTシャツとサルエルパンツが良く似合っている。
(かわいい……)
 自分の服を着る鹿乃江を見るたび、新鮮にそう思う。
 シャツスタイルの多い鹿乃江がラフな格好をすると、ノーメイクの顔も相まっていつもより幼く見える。
「ちゃんと水分補給してくださいね」
 思わず保護者の気分になってしまう。
「はぁい」
 鹿乃江は素直に返事して、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出しコップに注いだ。
 いますぐ駆け寄って抱きしめたい気持ちをグッと堪えて、
「オレも、入ってきます」
 ソファの上に置いておいた着替えを持ち、バスルームへ向かった。
「いってらっしゃい」
 その背中に鹿乃江が声をかける。
(いいなぁ……)
 朝仕事に出かけるとき、毎回言ってもらえたらなんて幸せだろう。
 そんな風に考えるまでに、時間はかからなかった。
 いつ言おうかとタイミングを見計らっていたが、まだ早いだろうかと思いためらっていた。常にそう考えていたため、会食の席で後藤に聞かれ、あまりにも普通に答えてしまった。
 ポロッと言ってしまったように聞こえただろうか。
 そのあとの行動の意味を、鹿乃江は察してくれただろうか。
 せがまれたからという理由だけではなく、メンバーに紹介したその意味を、言葉で伝えるべきだろうか。
 シャワーを浴びながら考える。
 仕事のことももちろん大事だが、同じように鹿乃江も大事で。
 この先、FourQuartersとしての目標や希望が首尾よく達成できるのであれば、時間が経過するほどに、鹿乃江と一緒になることはおろか一緒の時間をとること自体、難しくなるだろう。それならいっそ、今のうちに話を進めておいたほうがいいのではないか。
 付き合い始めてから二か月。その間、鹿乃江の心の機微に幾度となく触れるたび、その想いは強くなっていった。
 事務所との相談も必要になるが、まずは本人への確認と承諾が必要だ。
(……よし)
 シャワーを浴びながらまとめた考えを、行動に移すことにした。

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