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前の野原でつぐみが鳴いた

小海音かなた

Chapter.64

「あ、エレベーター来たよ」
 カラのエレベーターにフォクが乗り込む。
「じゃあ、先に行ってますね」
「はい」紫輝の言葉に返事をしてから「ありがとうございました、楽しかったです」後藤、左々木、右嶋に声をかける。
「こちらこそ」
「ありがとーございましたー」
「またご飯行きましょうね~」
 四人を見送り、鹿乃江は一人、ホールに残った。
(たのしかったな)
 独り占めしたら罰が当たりそうな贅沢な時間を過ごせたことに感謝しつつ、下で鉢合わせしないように数回目に上がってきたエレベーターのかごに乗り込んだ。
 紫輝とは少し離れた裏道で待ち合わせをしている。そこでタクシーに乗り込んで、二人家路に着く予定だ。
 エントランスからビルを出る。紫輝から送られてきた地図を頼りに歩き進むと、一台のタクシーが停車していた。後部ドアが開きっぱなしだったので、遠慮がちに中を覗き込む。
「あ」
 それに気付いた紫輝が小さく手を振り、中へ招き入れる。
「お待たせしました」鹿乃江がシートに座りながら運転手と紫輝に言う。
「じゃあ、お願いします」
「はい」
 紫輝はあらかじめ行き先を伝えていたようで、運転手に声をかけるとドアが閉まり、ゆっくりと発車した。
 タクシー内での会話はないが、紫輝が着ているオーバーサイズコートの袖に隠して軽く手を繋ぐ。アルコールを飲んで少し酔っている紫輝の指が、いつもより熱い。撫でるように動く親指がくすぐったくて、窓の外を見ながらも口元がゆるんでしまう。
 数十分走ったところで「カーナビだとこのあたりなんですが~」と、運転手が確認した。
「はい、そこの信号の手前で大丈夫です」
 紫輝の回答に「はい~」と答えて、運転手はゆっくりと路肩に停車させた。
「ありがとうございます」
 支払いを済ませ、礼を言ってタクシーを降りる。先月までの身を縮めるほどの寒さはない。少し温もりを帯びた風の匂いが春を予感させる。
 マンションから少し離れた裏通り。念のためキャップと眼鏡で変装している紫輝と二人、周囲を少し警戒しつつ手を繋いで並び歩く。自分のものとは違う肌の温度と感触が心地よい。
 人通りはなく、道端に駐車できるような広さもないので週刊誌に狙われる心配もないだろう。
「へへっ」と急に照れたように紫輝が笑った。
「ん?」鹿乃江が右側を歩く紫輝の顔を覗き込む。
「いや……」にやける口元を隠すように折り曲げた指を唇に当て「いいなぁ、と思って。こういうの」うつむきがちに言って鹿乃江に視線を移す。
「うん。いいですねぇ」照れ笑いが伝染して、エヘヘと鹿乃江も笑う。
 うふふエヘヘと笑いながら手を繋ぎ並んで歩けることが、とても幸せに感じる。
 何事もなくマンションのエントランスから紫輝の部屋へたどり着く。開錠して室内に入る紫輝に続き玄関に入り「鍵閉めますね」ドアを施錠した。
「鹿乃江さん」
「はい」
 紫輝に呼ばれ振り向くと、腕を引かれて抱き寄せられた。
「すみません。ずっと、我慢してたんで……」
 背中に回した腕にぎゅうっと力を篭めて、紫輝が申し訳なさそうに言う。
「……嬉しいから、だいじょぶです」顔をほころばせ、鹿乃江も紫輝の身体を抱き締めた。
「あー、やばい。かわいい」
 呟いたのであろうその声は案外大きく、通る声も相まって鹿乃江の耳にハッキリと届く。
(うぅ……突然は心臓に悪い)
 嬉しいような困ったような顔で、鹿乃江が口を結ぶ。
「……気付いてます?」
「ん?」
「わざと聞こえるように言ったの」
「……もう~」
 ペシンと紫輝の腰辺りをはたく。
「ごめんなさい」笑いながら身体を離して「だってかわいいから」顔を覗き込み頭をポンポンと撫でる。
「慣れたら反応しなくなりますよ」ふてくされる鹿乃江に
「それはそれでいいですよ?」
 ふふっと紫輝が笑って見せて、もう一度ぎゅっと抱きしめてから
「あがりましょっか」
 穏やかに笑って、鹿乃江を招き入れリビングへ移動した。

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