前の野原でつぐみが鳴いた
Chapter.40
翌日。
「つぐみさーん」
「はーい」
「はいっ、これ」
園部が帆布のエコバッグをサブデスク上に置いた。
「ん?」
「昨日言ってたCDです」
「わぁ、ありがとう」と中を見て「…これ…」不思議そうに鹿乃江が呟く。
「はい?」
「同じタイトルのが何枚もあるけど…」
「あー、それ、DVDの内容が違ったり、こっちに入ってない曲がこっちに入ってたりするんですよ」
「おぅ……。それは…全部買わないとだね…」
「そーなんですよ~」
園部は何故か嬉しそうだ。
「これがこないだ出たばっかりのアルバムです。今度のコンサートでこれの曲やると思うんで、聴いてください」
「ありがとー。スマホに入れて聴いてもいい?」
「いいですよ~」
園部の承諾を得た鹿乃江は、帰宅後ノートパソコンを開いて専用ソフトにCDをインポートしていく。
(DVD……視てみようかな……)
MVの入ったディスクを選んで、デッキにセットする。
(ちゃんと視るの初めてだなー)
あまり識りすぎないように意識的に避けていたのだが、ライブを観に行くなら前もって視ておきたい。
再生されたタイトル画面で【ALL PLAY】を選択する。
イントロと共に流れ出した映像。そこには、鹿乃江が知っている“いつも”とは違う顔をした紫輝が歌い、踊る姿が収められている。
テレビで視るのともまた違う“アイドル・前原紫輝”は、少女漫画に出てくる王子様のようにキラキラと輝いていた。
(……かっこいい)
素直にそう思う。
(なんで私なんだろう)
ふとそんな考えが浮かぶ。
(なんで私だったんだろう)
画面の中で歌い踊る紫輝と、それを視ている自分。
(なんで私、キモチに応えられるようなヒトじゃないんだろう)
もっと若くて、もっと可愛くて、もっと素直で、もっと近い職業で……もっと、もっと、もっと――。
(同じ世界で生きていたら、嫌な思いさせずに済んだのかな……)
目から落ちた涙が頬を流れ、首筋に伝う。
(あぁ、もう、私……)
5分ほどのMVが終わり、メイキング映像が流れ始めた。レコーディング時の密着映像だ。
(あ…これ……)
レコーディングスタジオへ入る前、移動車から降りた紫輝が被っているのは、いまでもベッドサイドのミニラックに置いてある、紫輝から預かったキャップだった。
『リーダーそのキャップしか被らないよね』
映像の中で右嶋が言う。
『めっちゃ気に入ってんのよ、これ。最初のお給料で買った、自分へのご褒美なの』
『へー』と、感嘆するスタッフに
『そうなんすよ。ちょっと願掛け? みたいな、そういうのをしてて』紫輝がカメラの奥の人を見て答えた。
『えー、なになに?』右嶋が興味深げに問う。
『それ言っちゃったら意味なくなっちゃうじゃん』
『いーじゃん別に、気になるじゃん』
『んー…まぁいっか!』自分で叶えればいいんだもんね、と右嶋に同意を求めてから続ける。『これねぇ、ずっと幸せでいられますようにって。持ってる人も周りの人も、同じように一緒に幸せでいられますようにって、買った帰りに地元の神社でお願いしたんすよ』
『なにそれ、小学生みたい』
『だって買ったの中学生んときだもん』
『えっ、ちゃんと洗ってる?』
『失礼だな! たびたびクリーニング出してるよ』
『デビューできますようにとかじゃなかったんですね』カメラマンの質問に紫輝が口を開いた。
『そうっすね。仕事のことは願かけとかじゃなくて、目標っていうか…自分で達成するもんだと思ってるんで』
紫輝の答えに、いつの間にか近くに来ていた左々木と後藤が右嶋と一緒にヒューヒュー言ってはやし立てる。
『やめてよ、はずいはずい』照れ笑いを浮かべながら『それじゃ』と手を振ってスタジオに入る紫輝の背中で映像がフェードアウトし、左々木のインタビューシーンへ切り替わった。
その画面が、鹿乃江には歪んで見えている。
抱えた膝の上に乗せた手は、涙でびしょ濡れだ。
(そんなに大事なもの……ダメだよ……)
「まえはらさん……」
嗚咽しながら呟く。
(どうして……)
自責と後悔が押し寄せて胸をつぶす。
いつか触れた指の感触を思い出す。
キャップの上から優しく頭を覆う大きな手。
熱っぽい視線。言いかけてやめた言葉。笑って、拗ねて、照れる顔。端々に散りばめられるいくつかの癖。耳馴染みのいい声と口調。たまに出る率直で飾り気のない言葉。
すべてが愛おしくて、離れがたくて、独り占めしたくて――。
自分の想いの強さに耐えきれなくなって、けれど受け入れることも拒むこともできずに、ただ手放した。
ぽつんと置かれたその気持ちは、どこへ消えるでもなくただずっと、そこにあった。
触れたら壊れてしまいそうで手を出せず、遠巻きに眺めては戸惑っていた。
最後に会って以来、紫輝からの連絡は来ていない。返すあてのないキャップは、きっとずっと鹿乃江の手元にあるままだ。ずっと消えない、置き去りにされた気持ちように、たまに眺めては胸を締め付ける。
大きな手に掴まれた腕が、じくじくと熱を帯びる。
あのとき気持ちを伝えていたら、こんな風に泣かずに済んだだろうか。
後悔は波のように強弱をつけて去来する。
もう戻れない時間に思いを馳せても、現在は変わらない。本当にもう、すべて遅いのだ。
涙が枯れたころ、メイキング映像が終わりメニュー画面が映し出された。
BGMで流れる曲。その『見守るよ たとえ遠くにいても 心から願えば二人きっと 未来に続く橋を渡れる』というフレーズが、強く印象に残った。
「つぐみさーん」
「はーい」
「はいっ、これ」
園部が帆布のエコバッグをサブデスク上に置いた。
「ん?」
「昨日言ってたCDです」
「わぁ、ありがとう」と中を見て「…これ…」不思議そうに鹿乃江が呟く。
「はい?」
「同じタイトルのが何枚もあるけど…」
「あー、それ、DVDの内容が違ったり、こっちに入ってない曲がこっちに入ってたりするんですよ」
「おぅ……。それは…全部買わないとだね…」
「そーなんですよ~」
園部は何故か嬉しそうだ。
「これがこないだ出たばっかりのアルバムです。今度のコンサートでこれの曲やると思うんで、聴いてください」
「ありがとー。スマホに入れて聴いてもいい?」
「いいですよ~」
園部の承諾を得た鹿乃江は、帰宅後ノートパソコンを開いて専用ソフトにCDをインポートしていく。
(DVD……視てみようかな……)
MVの入ったディスクを選んで、デッキにセットする。
(ちゃんと視るの初めてだなー)
あまり識りすぎないように意識的に避けていたのだが、ライブを観に行くなら前もって視ておきたい。
再生されたタイトル画面で【ALL PLAY】を選択する。
イントロと共に流れ出した映像。そこには、鹿乃江が知っている“いつも”とは違う顔をした紫輝が歌い、踊る姿が収められている。
テレビで視るのともまた違う“アイドル・前原紫輝”は、少女漫画に出てくる王子様のようにキラキラと輝いていた。
(……かっこいい)
素直にそう思う。
(なんで私なんだろう)
ふとそんな考えが浮かぶ。
(なんで私だったんだろう)
画面の中で歌い踊る紫輝と、それを視ている自分。
(なんで私、キモチに応えられるようなヒトじゃないんだろう)
もっと若くて、もっと可愛くて、もっと素直で、もっと近い職業で……もっと、もっと、もっと――。
(同じ世界で生きていたら、嫌な思いさせずに済んだのかな……)
目から落ちた涙が頬を流れ、首筋に伝う。
(あぁ、もう、私……)
5分ほどのMVが終わり、メイキング映像が流れ始めた。レコーディング時の密着映像だ。
(あ…これ……)
レコーディングスタジオへ入る前、移動車から降りた紫輝が被っているのは、いまでもベッドサイドのミニラックに置いてある、紫輝から預かったキャップだった。
『リーダーそのキャップしか被らないよね』
映像の中で右嶋が言う。
『めっちゃ気に入ってんのよ、これ。最初のお給料で買った、自分へのご褒美なの』
『へー』と、感嘆するスタッフに
『そうなんすよ。ちょっと願掛け? みたいな、そういうのをしてて』紫輝がカメラの奥の人を見て答えた。
『えー、なになに?』右嶋が興味深げに問う。
『それ言っちゃったら意味なくなっちゃうじゃん』
『いーじゃん別に、気になるじゃん』
『んー…まぁいっか!』自分で叶えればいいんだもんね、と右嶋に同意を求めてから続ける。『これねぇ、ずっと幸せでいられますようにって。持ってる人も周りの人も、同じように一緒に幸せでいられますようにって、買った帰りに地元の神社でお願いしたんすよ』
『なにそれ、小学生みたい』
『だって買ったの中学生んときだもん』
『えっ、ちゃんと洗ってる?』
『失礼だな! たびたびクリーニング出してるよ』
『デビューできますようにとかじゃなかったんですね』カメラマンの質問に紫輝が口を開いた。
『そうっすね。仕事のことは願かけとかじゃなくて、目標っていうか…自分で達成するもんだと思ってるんで』
紫輝の答えに、いつの間にか近くに来ていた左々木と後藤が右嶋と一緒にヒューヒュー言ってはやし立てる。
『やめてよ、はずいはずい』照れ笑いを浮かべながら『それじゃ』と手を振ってスタジオに入る紫輝の背中で映像がフェードアウトし、左々木のインタビューシーンへ切り替わった。
その画面が、鹿乃江には歪んで見えている。
抱えた膝の上に乗せた手は、涙でびしょ濡れだ。
(そんなに大事なもの……ダメだよ……)
「まえはらさん……」
嗚咽しながら呟く。
(どうして……)
自責と後悔が押し寄せて胸をつぶす。
いつか触れた指の感触を思い出す。
キャップの上から優しく頭を覆う大きな手。
熱っぽい視線。言いかけてやめた言葉。笑って、拗ねて、照れる顔。端々に散りばめられるいくつかの癖。耳馴染みのいい声と口調。たまに出る率直で飾り気のない言葉。
すべてが愛おしくて、離れがたくて、独り占めしたくて――。
自分の想いの強さに耐えきれなくなって、けれど受け入れることも拒むこともできずに、ただ手放した。
ぽつんと置かれたその気持ちは、どこへ消えるでもなくただずっと、そこにあった。
触れたら壊れてしまいそうで手を出せず、遠巻きに眺めては戸惑っていた。
最後に会って以来、紫輝からの連絡は来ていない。返すあてのないキャップは、きっとずっと鹿乃江の手元にあるままだ。ずっと消えない、置き去りにされた気持ちように、たまに眺めては胸を締め付ける。
大きな手に掴まれた腕が、じくじくと熱を帯びる。
あのとき気持ちを伝えていたら、こんな風に泣かずに済んだだろうか。
後悔は波のように強弱をつけて去来する。
もう戻れない時間に思いを馳せても、現在は変わらない。本当にもう、すべて遅いのだ。
涙が枯れたころ、メイキング映像が終わりメニュー画面が映し出された。
BGMで流れる曲。その『見守るよ たとえ遠くにいても 心から願えば二人きっと 未来に続く橋を渡れる』というフレーズが、強く印象に残った。
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