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前の野原でつぐみが鳴いた

小海音かなた

Chapter.38

 三日間の東京公演は、本当にあっという間に終わってしまう。
 これまでと同様のセットリストを歌い、踊る。
 一曲終わるたび、達成感と寂しさとが入り混じった不思議な感覚が去来する。けれど、余韻に浸るのはまだ先の話。
 いままで以上に全てを間違えないように、ケガをしないように、会場全体を楽しませるように。自分たちも最高に楽しみながらライブを進めていく。
 中盤、左々木と紫輝、後藤と右嶋が二手に分かれ、左右のステージ脇からフロートに乗り込んだ。メドレーで持ち歌を歌いながら、アリーナ席の外周をぐるりと移動する演出だ。
 アリーナやスタンド席に手を振りながら歌い続ける。フロートはゆっくりと前へ進んでいく。
 近くの客席から自分宛のうちわを見つけ、要望に応える。目線の先で嬉しそうにするファンの姿は、自分へのご褒美でもある。
(わー、あの辺オレのうちわ全然ねぇ~)
 道のりの四分の一ほどの地点。スタンド下段のあたりを眺める紫輝の視界に、自分の名前や写真の入ったうちわは見当たらない。あまりのエアポケットに思わず笑えてくる。
(明るいと遠くまでよく見える)
 四方に目線を投げながら、手を振り続ける。ふと視線を感じ二階席を見上げて、「えっ……」驚きのあまり表情を失った。
(かのえさん…?!)
「えっ?」
 小さく言って紫輝が固まる。周りの音が聞こえなくなって、視界が一点に集中しズームアップする。
 鹿乃江は一瞬驚いた顔を見せて、着席したのか紫輝の視界から消えた。
(えっ!?)
 どうにかして確認しようと手すりにつかまり身を乗り出すが、フロートは予定通り先へと移動していく。
 たった数秒の出来事が、紫輝の脳裏に焼き付き離れない。
 動揺する紫輝に気付いて、同じフロートに乗っていた左々木が紫輝の首に腕を回し、顔を隠そうとそのまま自分へ引き寄せた。
 近くの客席から黄色い声があがる。
「シキくん顔やべぇって。どしたの!」笑顔のまま口を動かさず左々木が言う。
「わりぃ、ちょっと、緊急事態。もう大丈夫」くぐもった声で紫輝が詫びる。
 腕を放して紫輝を解放した左々木が「ライブ中だよっ」笑顔のまま続けて、紫輝の脇腹を肘でつついた。
「ごめん」紫輝も笑顔に戻り、心の底から詫びる。
 遠目のうえ一瞬だったから確信は持てないが、しかし間違えるはずがない。
 なんで、どうしてと考えるが、答えが見つかるはずはない。
(……見てくれてるなら、120%でがんばろう)
 紫輝は一人静かに決心した。

* * *

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