前の野原でつぐみが鳴いた
Chapter.28
久我山はメインMCのレギュラー番組で培った会話術をいかんなく発揮し、要所要所に誘導を挟みながら巧みに会話を繋げた。
いままで知らなかった紫輝の話や、言っていなかった鹿乃江のこと、時折クッション材のように入る久我山自身の話題。その全てが淀みなく進む。
会話の途中でテーブルの上に置かれたスマホが震えた。持ち主である久我山が画面を確認し、
「あ、ごめんなさい。ちょっと電話……」
断りを入れる。
「はい」
紫輝と鹿乃江の返答を聞いてから席を立ち、「もしもし?」個室の外へ出た。
「あっ、そうだ」と、鹿乃江がサブバッグの中から小さい紙袋を取り出して「これ、ありがとうございました」と紫輝に渡す。
「ん? なんですか?」と受け取って中身を確認し「あぁ!」笑顔を見せる。
袋の中には、借りっぱなしになっていた紫輝のキャップが入っていた。
「ありがとうございます」と礼を言ってから紫輝は少し考えて、「これ…持っててもらえませんか?」鹿乃江に差し出す。
「えっ、でも……」
「持っててほしいんです。……イヤっすか?」
「イヤ、では、ない、です……」
自分の気持ちを確認しながら答える。
「じゃあ、ぜひ」
「…はい。お預かり、します…」
鹿乃江はいつでも紫輝に流されてしまう。甘えてはダメなのに、一回り以上も歳の離れた紫輝に、依存してしまいそうになる。
それではダメなのに。
足元から橋が崩れ落ちたときのような“あの時”の感覚が甦る。あんな思いは、もう二度としたくない。
(だから、もう……)
「ありがとうございました。ごちそうさまでした」
礼を言って、頭を下げる。
「いえいえ」
恐縮する紫輝の横で、二人に背を向け久我山がニコニコしながらエレベーターの到着を待っている。
その少し後方にいる鹿乃江の隣に紫輝がそっと並んで立ち
「また、連絡しますね」
久我山に聞こえないよう、囁く。
鹿乃江はそれを聞いて笑顔を見せるが、肯定も否定もしない。
その横顔は、どこか寂しげだった。
「まだ電車あるので……」
タクシーを捕まえようとする紫輝に言って、近くの駅から電車に乗った。紫輝と久我山は二人でもう一軒行くそうで、通り道だからと地下に降りる階段の入口まで送り届けてくれた。
ホームへ降りるとちょうど電車が入ってきたところ。四割程度埋まる席の端っこに座り、仕切り板にもたれかかる。
紫輝と別れた帰り道、いつも苛まれる寂寥感。自分の日常とはかけ離れた世界で生きている紫輝に感じてはいけないとわかっていても、それは意志とは関係なく湧き上がってしまう。
自分でも持て余すその感情を、どうしていいかわからない。だから、抱かないようにしなければ……。
紫輝との関係が良いものになるよう協力してくれた久我山には申し訳ないが、負の感情を抱いたままで、紫輝と一緒に先へは進めない。
だからその夜、鹿乃江は決めた。
(もう、前原さんと会うのは、やめよう……)
好きになるのは簡単だ。けど、自分が踏み込んでいい人生ではない。
紫輝がどう思っていても、きっとこの先、状況は変わる。深入りして谷底に落ちてしまう前に、元の平凡な生活に戻れるうちに、渡りかけていた橋を戻ろう。
(前原さんには、もっと若くてかわいい、同じ世界で生きていける人のがいい)
そんな常套句を言い訳にして、鹿乃江はそっと、身を引いた。
いままで知らなかった紫輝の話や、言っていなかった鹿乃江のこと、時折クッション材のように入る久我山自身の話題。その全てが淀みなく進む。
会話の途中でテーブルの上に置かれたスマホが震えた。持ち主である久我山が画面を確認し、
「あ、ごめんなさい。ちょっと電話……」
断りを入れる。
「はい」
紫輝と鹿乃江の返答を聞いてから席を立ち、「もしもし?」個室の外へ出た。
「あっ、そうだ」と、鹿乃江がサブバッグの中から小さい紙袋を取り出して「これ、ありがとうございました」と紫輝に渡す。
「ん? なんですか?」と受け取って中身を確認し「あぁ!」笑顔を見せる。
袋の中には、借りっぱなしになっていた紫輝のキャップが入っていた。
「ありがとうございます」と礼を言ってから紫輝は少し考えて、「これ…持っててもらえませんか?」鹿乃江に差し出す。
「えっ、でも……」
「持っててほしいんです。……イヤっすか?」
「イヤ、では、ない、です……」
自分の気持ちを確認しながら答える。
「じゃあ、ぜひ」
「…はい。お預かり、します…」
鹿乃江はいつでも紫輝に流されてしまう。甘えてはダメなのに、一回り以上も歳の離れた紫輝に、依存してしまいそうになる。
それではダメなのに。
足元から橋が崩れ落ちたときのような“あの時”の感覚が甦る。あんな思いは、もう二度としたくない。
(だから、もう……)
「ありがとうございました。ごちそうさまでした」
礼を言って、頭を下げる。
「いえいえ」
恐縮する紫輝の横で、二人に背を向け久我山がニコニコしながらエレベーターの到着を待っている。
その少し後方にいる鹿乃江の隣に紫輝がそっと並んで立ち
「また、連絡しますね」
久我山に聞こえないよう、囁く。
鹿乃江はそれを聞いて笑顔を見せるが、肯定も否定もしない。
その横顔は、どこか寂しげだった。
「まだ電車あるので……」
タクシーを捕まえようとする紫輝に言って、近くの駅から電車に乗った。紫輝と久我山は二人でもう一軒行くそうで、通り道だからと地下に降りる階段の入口まで送り届けてくれた。
ホームへ降りるとちょうど電車が入ってきたところ。四割程度埋まる席の端っこに座り、仕切り板にもたれかかる。
紫輝と別れた帰り道、いつも苛まれる寂寥感。自分の日常とはかけ離れた世界で生きている紫輝に感じてはいけないとわかっていても、それは意志とは関係なく湧き上がってしまう。
自分でも持て余すその感情を、どうしていいかわからない。だから、抱かないようにしなければ……。
紫輝との関係が良いものになるよう協力してくれた久我山には申し訳ないが、負の感情を抱いたままで、紫輝と一緒に先へは進めない。
だからその夜、鹿乃江は決めた。
(もう、前原さんと会うのは、やめよう……)
好きになるのは簡単だ。けど、自分が踏み込んでいい人生ではない。
紫輝がどう思っていても、きっとこの先、状況は変わる。深入りして谷底に落ちてしまう前に、元の平凡な生活に戻れるうちに、渡りかけていた橋を戻ろう。
(前原さんには、もっと若くてかわいい、同じ世界で生きていける人のがいい)
そんな常套句を言い訳にして、鹿乃江はそっと、身を引いた。
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