前の野原でつぐみが鳴いた

小海音かなた

Chapter.13

 ほどなくして飲み物が運ばれてきた。
「うん、うまい」
 ミルクティーに口を付けた紫輝の感想に、何故か鹿乃江が安堵の気持ちを抱く。
「紅茶もいいですね」
「美味しいですよね。カフェオレも気になったんですけど、コーヒー飲めなくて……」ストローを指先で回してグラスの中身を攪拌かくはんしながら鹿乃江が残念そうに言う。
「味ですか?」
「味はむしろ好きなんです。体質的に合わなくて……胃が痛くなっちゃうんです」
「あらら、なら無理しないほうがいいですね」
「はい。ここのは特に美味しそうなので、残念です」
「じゃあ、ほかにも美味しいもの探しましょう。呼び出してもらえればいくらでもご一緒しますよ」
 何気なく言ったであろう紫輝の言葉に心臓が反応した。
「ありがとうございます」
 次の約束を取り付ける場面なのかもしれないが、鹿乃江から誘うのはまだまだ気が引ける。
(いつかスマートに誘えるときが来るのかな)
 ぼんやりとそんなことを考える。
 そもそもそういう行動が苦手なので、ハードルの高い希望だったりするのだが。

 お茶を飲みながら話していると、あっという間に時間が過ぎる。

 お互いの飲み物が終わる頃、「そろそろご飯行きましょうか」紫輝が手首に巻かれた時計を見て言った。
「はい」
 次の店も、どうやら紫輝が予約を取っているらしい。
「ごめんなさい。一緒に、行けなくて……」
 申し訳なさそうに言う紫輝に向かってゆっくりと首を横に振り、
「大丈夫です。先導、お願いします」
 頭を下げた。

 先に出た紫輝を追うようにコリドラスをあとにして、まばらな人通りの裏道をしばらく歩く。紫輝はたまにさりげなく後ろを見て、鹿乃江を確認する。鹿乃江は気付かないふりをして、その背中を目印に歩く。
 10分ほど歩いて紫輝がとあるビルに入っていく。と、半身を出して手招きをした。それに気付いた鹿乃江は小走りに紫輝の元へ向かう。鹿乃江が近付くと笑顔になり、
「誰もいなかったんで呼んじゃいました」
 いたずらに笑って
「ここからは一緒に行きましょう」
 エレベーターホールへ入った。
「意外に人通りなかったっすね」
「そうですね」
「これなら、一緒に来ても良かったかも」
「そうですね……でも、念には念を入れることも大事ですよ」
 にこやかに言う鹿乃江に、
「そうっすね」
 ニヤッと笑って紫輝が同意した。

 店員に案内されて入った個室は、壁一面がステンドグラスのように装飾されていて、なかなかに幻想的だ。
 鹿乃江がパァッと笑顔になり「すごーい」思わず声を上げた。
「気に入ってもらえて良かったです」
 鹿乃江の隣で一緒に内装を眺めながら、紫輝は自分が褒められたかのように嬉しそうに笑う。
「こないだのお店も喜んでくださったんで、こういうのもお好きかなって」
「はい、素敵です。自分じゃこういうお店選ばないので、嬉しいです」
「…誘われたり、しないんですか?」
「しないですねぇ。職場のコたちとは、居酒屋とか食べ放題とか行っちゃうので」
 探るような紫輝の質問の意図に気付かず、鹿乃江が室内を見回しながらサラリと答える。
「若い人多いんですか?」
「はい。年上なのは上司……店長くらいですね」
「ずいぶん若い方が多い会社なんですね」
 言いながら紫輝が席に着く。
「んー……そう、ですね。職種柄? ですかね?」
 核心に触れられるのを避けるように目線を逸らして、紫輝の向かい側に着席した。
 いままで聞かれたことがなかったから、鹿乃江は自分の年齢を紫輝に言っていない。言ったところでなにが変わるでもなさそうだが、それでも多少の抵抗はあった。
(下手したら店長も年下になったりするんだけどね……)
 社員は数年おきに人事異動がある。年齢に関わらず配属が決まるので、店長はおろか、そのさらに上司のエリア長クラスでも年下はざらにいる。
(一回り以上も上だとは思ってないんだろうな)
 壁一面の装飾を眺めながら、少し後ろめたい気持ちを抱く。
 いつものこととは言え、今回ばかりは割り切れない。
「鶫野さんってお酒呑まないんですか?」
 紫輝がパネル式メニューを見ながら鹿乃江に問うた。
「好きなんですけど、あまり強くなくて。呑まれるんでしたらどうぞ、お気になさらず」
「ちゃんと家の近くまで送りますよ?」
「きっとおうち遠いですよ」
「だーいじょうぶです。それこそお気になさらずっすよ」
 顔の前で手をヒラヒラと振り、紫輝が目を細める。
(……たまにはいいか……)
「じゃあ……少しだけ……」
 送ってもらうかどうかは別にして、期待に応えてみる。その言葉を受けて、紫輝が嬉しそうに微笑んだ。
「はい、どうぞ」
 酒類のページを開いて鹿乃江に渡す。
「ありがとうございます」
 紫輝と同じように両手を使ってメニューを受け取り、飲み物を選んで紫輝に返す。鹿乃江の選んだスクリュードライバーに、紫輝がジントニックと食べ物を追加してオーダーボタンを押した。
「大丈夫だと思いますけど、なにか粗相したらすみません……」
「全然。勧めたのオレですし、味わっちゃってください」
「はい。ありがとうございます」
 紫輝の口調に鹿乃江が笑いながら答えた。
 談笑しているうちに、飲み物と軽食が運ばれてくる。
 じゃあ、と紫輝がグラスを掲げる。鹿乃江もそれに倣って「お疲れさまです」グラスを軽く当てた。
 口をつけ、少量を飲み込む。
(おいしい~)
 久しぶりの味に、思わず頬が緩む。
(ピッチ上げないように気を付けよう)
 味は好きだが、体質的にアルコールに弱い。自分でも弱いのを知っているから、無茶な飲み方はしない。帰りに30分弱電車に乗ることを考えたら、なおさら気を付けなければならない。なのに。
 一緒にいるのが紫輝だから。その安心感に、そして普段行く店で呑むよりも濃い目のアルコールに、鹿乃江は自分が予想していたよりも早めに酔い始めていく。

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