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前の野原でつぐみが鳴いた

小海音かなた

Chapter.12

 仕事終わり。すっかり見慣れた道を行く。店に一番近い駅の出口ももうわかっている。目印にしている場所が見えると、自然に鼓動が早くなる。
(……あれ。緊張してきたな……)
 無意識にしている意識に気付いて、急に頬から耳にかけて熱くなっていく。
(えっ、やだ。赤くなってるよね。どうしよう。いやどうもできない)
 あと少しで待ち合わせ場所に着いてしまう。
 嬉しいようなしんどいような感覚。
(これ、知ってる……知ってるなー……)
 三度目の【コリドラス】来訪。入店前に大きく呼吸をする。
 待ち合わせまではあと10分程度。きっと前回と同じように、少し落ち着く余裕があるだろうと思っていた。
 しかし。
 すでに着席していた紫輝が気配に気付き顔をあげ「あっ」短く言って笑顔を見せた。
 その反応と笑顔に、ドキリと心臓が跳ねる。
「ごめんなさい、お待たせして」少し急ぎ足で鹿乃江が席へ近付く。
「いえ、全然。こちらこそすみません、何度も呼び出しちゃって」
 くしゃっとした笑顔で紫輝が詫びた。しかしそれには、誘いに応じたことへの感謝が見え隠れしている。
 鹿乃江もつられて笑顔になり、首を横に振る。
「誘ってくださって、ありがとうございます」
 鹿乃江の言葉に紫輝が笑顔を見せて、姿勢正しく座り直した。正面の席に鹿乃江が座ると同時に、テーブルに置いた紫輝のスマホが震える。
「あっ、ごめんなさい。仕事のメールが……」
「はい。どうぞ、お気になさらず」
「ありがとうございます」
 礼を言って、紫輝がスマホを操作し出す。
 ふと、百合葉の言葉を思い出した。
“我慢しないで、好きになってみたら?”
(好き……なのかな)
 向かいの席に座る紫輝を見つめてみる。
 伏せたまぶたに長いまつげ。整った眉にすべらかな肌。シャープで細い頬から、顎にかけてのライン。形の良い唇。スッと通った鼻筋。色素の薄い瞳がゆっくりと正面を向く。鹿乃江の視線に紫輝が気付き、驚いて、そして照れる。
「なんか、付いてます?」
 確認するように自分の頬をさする、細く長い指。
「いえっ。付いてないです」
 観察モードから会話モードに切り替わるべく、鹿乃江は背筋を伸ばす。
「照れるんで、あんまり見ないでください」
 苦笑交じりの照れ笑いを浮かべて、顎をさすっていた指を首筋に移動させた。
(見られるの、慣れてるのでは?)
 と思ったが、それは言わない。たぶん、そういうことじゃない。
「すみません」確かに無遠慮だったなと頭を下げる。
「あっ、イヤじゃないんすよ? ただ、照れるだけっすよ?」
「じゃあ、今度眺めるときは、ちゃんと言いますね」冗談交じりに言う鹿乃江に、
「はい、お願いします」
 紫輝が笑って答えて、画面を伏せてスマホをテーブルに置いた。
「すみません、終わりました」と、メニューを持ち「ミルクティー?」広げながら紫輝が微笑む。
「そう言われちゃうと、別のにしたくなりますね……」
 冗談めかして言いながら、紫輝と二人でメニューを眺める。
「前原さんはカフェオレですか?」
「そうですね……オレも別のにしようかな」
 言いながら、空いた手で頬を撫でつける。
「ここ、良くいらっしゃるんですか?」
「はい、家から近くて。集中したいとき、たまに来るんです」
(そんな簡単に個人情報漏らしちゃって大丈夫かな……)
 自分が聞いたこととは言え、つい心配になってしまう。
 紫輝に“芸能人”という意識があまりないのか、それとも鹿乃江に対して安心しているのか……。
 あまり深く考えないようにして飲み物を選んだ。
「「決まりました?」」
 二人同時に言って目線をあげる。
 案外距離が近付いていたことに気付き、お互い一瞬固まって、ゆっくりと上体を起こした。
「私、ブルーベリージュースにします」
「オレはミルクティーで」鹿乃江の馴染みを口に出して「いつも美味しそうに飲んでるんで、気になってたんですよね」はにかむ。
「……味の趣味が似ていることを祈ります」
 その言葉に紫輝が笑って、店員を呼んだ。オーダーを済ませ、鹿乃江に向き直る。
「今日もお仕事忙しかったですか?」
「今日はそこまででもなかったです。前原さんは、お忙しそうですね」
「いやぁ、まだまだっすよ」
「お体壊さないように」
 若いから大丈夫だろうとは思うものの、ついつい心配してしまう。
「ありがとうございます。鶫野さんも、おからだ大事にしてください」
「はい。ありがとうございます」
 顔を見合わせるとなんだか可笑しくなってきて、二人で笑ってしまう。

(楽しいなぁ……)
 素直にそう思う。
 二人で会って他愛もない話をすることが、単純に楽しい。そう思えるだけでもう、相手は“大切な存在”になっている。
 気付いているけど見ないフリをして、大切な時間をなにげなく過ごす。意識して、緊張しすぎて、心から楽しめないのは嫌だから。
 普段と同じように、少しでもいつもみたいに楽しめるように。そしてそれを、なによりも大切に思えるように。

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