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前の野原でつぐみが鳴いた

小海音かなた

Chapter.6

(不思議な時間だった……)
 電車に揺られ、ぼんやりと考える。
 “肌の綺麗な男の子”は、“前原紫輝”という名前だった。
 職場にも同年代くらいの若者たちがいるが、紫輝は彼らより少し大人びた雰囲気をまとっていた。社会人っぽかったが、そうだとしたら平日の昼間から私服で繁華街を歩いたりするだろうか。しかも、誰かが運転する大型車で移動するような。いや、そういう仕事もあるか、などととりとめなく考える。
 自分のことをあまり話さないたちなのか、そのあたりの話題は出てこなかった。
 直接聞けば答えてくれていただろうけれど……。
(わざわざ聞くのもなぁ……)
 自宅最寄駅に着き、改札を抜ける。途中でスーパーに寄り買い物をする、いつもの仕事帰りのパターン。
 さっきまでの時間が嘘のように、いつもの生活に戻る。
(また連絡するって言ってたけど……どうかな……)
 なんとなく、いつもは消音にしている通知音を解除してみる。
(……過度な期待はしないようにしよう……)
 帰宅してシャワーを浴びながら、期待と不安の入り混じった感情を抱く。脳裏をよぎる“理由”は、どこか心の奥のほうに押し込んで、自覚のスイッチを入れないようにした。
(だって…ねぇ……)
 このヒト、ジブンに気があるのかな? と感じても、いやまさか思い上がりだと、その感情に気付かないフリをする。自分が傷つかないための防御策。

 叶わなかったとき、なにもなかったことにするために。

 部屋着を着て、濡れた髪にドライヤーをかける準備をする。BGVとして点けたテレビに、見覚えのある人物が映っている。
「……えっ」
 思わず二度見して、ドライヤーを置いた。
 画面には、見た目も声も仕草も口調もまるっきり同じなままで、さっきまで同席していた“前原紫輝”が番組に出演している。その画面右上に【FourQuarters・前原紫輝 日本秘境の旅】とテロップが表示されていた。
「えっ?」
 すぐ近くに置いてあったスマホを手に取り、ブラウザを立ち上げて【前原紫輝】で検索をかける。数秒ほどでズラリと結果が表示された。ご丁寧に顔写真付きだ。
「えぇっ?!」
 何度目かの驚きとともに、昨日の園部の声がフラッシュバックする。

『でー、さっきSNSで見たんすけどー、さっきまでこのあたりで私の推しがロケやってたみたいなんですよー。メンバー全員そろってたみたいでー』ほらこれ、とSNSの投稿を見せてくる。そこには英語表記のグループ名が書かれていた。いま視ているテレビの画面右上に表示されているのと同じ綴りのそれを、園部は“フォク”と略して呼んでいた。

(えっ……)
 思わずメッセアプリを立ち上げた。ついさっき【友達】に追加された【マエハラシキ】のID。アイコンに使われている、ピースサインをした紫輝の手の写真を見つめてしまう。
(良かったの…?)
 紛うかたなき男性アイドルの個人アカウントを、そうとは知らずに追加してしまった。
(いやでも、連絡先聞いてきたのあっちだし。メッセだってきっと来ないし。こっちから送るつもりもないし)
 誰に言うでもない言い訳が次々と頭に浮かぶ。
 そういえば喫茶店から出るときもキャップを目深に被っていた。陽も落ちていたので少し不思議に思ったが、あれはきっと顔で素性がばれないようにしていたのだろう。
 駅まで送るという申し出を丁重に断って良かったと、遅ればせながら胸を撫で下ろした。
(そりゃ二次元みもあるわ……)
 対話した時の印象を思い出し、一人納得する。
(これ……もし“お礼”に誘われたとしても、断るべき…だよね……?)
 自問自答してみる。しかし、枝分かれした道のその先にある答えにはたどり着けない。
 鹿乃江の迷いとは対照的に、テレビの中では、紫輝が山の奥にある鍾乳洞へ入り込み、その奥にあるコバルトブルーの湖にたどり着いていた。

* * *

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