おっさんのやり直し傭兵記
記憶2-1
「この子供を指揮官に抜擢するなど、正気なのですかな!?」
小太りの大貴族はついに本音を吐いた。最初は仄めかすように父の決断を変えようとしていたのだが、取りつく島のない毅然とした対応に我慢の限界が来たのだろう。
「この戦争はもはや我々だけのものではない! 貴殿はそれをお分かりか!」
そこは天幕の中だった。中央の円卓の上には地図が広げられ、描かれた地形の上に駒が置かれている。丸い駒は、がなりたてているヴィラ伯の軍、三角の駒はヴィラ伯の弟にあたるアストン男爵の軍。さらに、四角の駒は帝国に領地を持つエヴァ家の軍に見立てていた。
父はヴィラ伯軍800のうち100を任されている。それも、騎兵のみからなる精鋭部隊だ。でもだからこそここに呼び出されていたのだった。
「勿論、ヴィラ様の土地を帝国が奪いにきたことは存じております」
「では何故、貴殿でなく、そこにいるガキを騎馬隊の指揮官に据えようとなさるのか!? 私は昔から功績を残してきた貴殿だからこそ、騎馬隊を預けたのだぞ!」
小太りの男の目がぎょろりと動く。視線の先は、俺ではない。俺の隣に立っているそいつにむけられていた。
「それは単に、このものが今回の策を企てたからです」
そう父が口にすると、ヴィラ伯は苦虫を噛みつぶしたような顔に変わった。少し前のこと、父がそいつの作戦を伝えた時、ヴィラ伯は年甲斐なくはしゃぎ、飛び跳ねて喜びながら、そいつの作戦を褒め称えたのだ。
たかが俺でもわかる見事な策であった。連携の取れていないエヴァ家とアストン家の間隙を突くように攻め、V字に膨らんで分断されたところを側面から騎馬隊が襲うというものである。
まさに見事であるとしか形容できない作戦だが、当然欠点があった。それは、天才にしか不可能である、という点だ。というのも、地図上、つまりは鳥の視点から見れば簡単だが、並行に捉えるとVの字の膨らみが見え辛く、機を失えばそのまま包囲されるからだ。
だからこそ父はそいつに指揮託さざるを得なかった。ヴィラ伯に過去の功績から信頼を置かれている父ですら、そうしなければならなかったのである。
「そ、そんなもの信じられるか!」
ヴィラ伯は机を叩いて、顔をそいつに近づけた。
「別に信じなくてもいい。ただ僕が指揮を取る」
そいつは、激怒するヴィラ伯を意にも介せずそう言い、テントの外へと出て行った。
「なんなんだあいつは!!」
父は「申し訳ございません」とただひたすらに謝った。息子の俺は父のそんな姿を見て、どうして父がこんな惨めな思いを、と憤慨する……わけではない。かと言って、父を、情けない、と蔑むわけでもない。ただなんとなく、俺も申し訳なく思い、気づけば父と同じく頭を下げていた。
すみません、すみません、ただただ謝る。何で俺は謝っているのだろう。あいつが指揮を取らなければ戦に負けるからか。当然だ、指揮官に据えるためなら謝罪する価値がある。ただ、違和感がある。何だか、守ってやりたくなるような、そんな感じ。でも、憐みはない、むしろ遠ざけられて当然だ、と冷ややかな思いを抱いている。どうして俺は謝っているのだろう。
「も、もうよい。私は貴殿らには怒っていないのだからよしてくれ」
激怒していたヴィラ伯は溜飲が下がったのかそう言って続ける。
「だがどうしてだ? 武勇で名を馳せた貴殿が頭を下げるほどに、あの子供は優秀だというのか?」
「はい。まだまだ未熟な所はありますが、私など比べられないほどに優れております」
ヴィラ伯が腕を組んで「う〜ん、私が許可したとしても、貴族からなる騎馬隊では……」と唸った時、父は俺に、行け、と手を払った。俺は頷いて外へ出る。
外は夜の帳が降りて、冥色の空に星が輝いていた。ひゅう、と冷たい風が吹いて、肌が震える。天幕の間間に焚かれた薪を横目にあいつの姿を探す。
あいつは天幕から離れ、ひとり座っていた。陣は丘の上に張っていた、ここから見下ろす景色は美しい。長く伸びた青い草が風に棚引いている。夜に黒に染められた小川は月をゆらゆらと映している。
「おい」と声をかけるとそいつは振り向いた。
「なんだ、君かい」
「なんだはないだろう、お前はどういうつもりだ、あの後、俺と親父がヴィラ伯に謝り倒したんだぞ」
「それは、すまなかったね」
「謝るくらいなら、あんな言い方しないでくれよ」
すると、そいつはむっと眉間にシワを寄せた。
「じゃあどう言ったら良かったんだい? 僕が何を言っても、歩み寄ろうとしても、いずれは怖がられてしまう。だったら、無駄な会話なんかしたくない」
なんと子供らしい理屈だろうか。そう思っても、嘲笑できないくらいにはそいつの言葉は重かった。何を言っても、行ったとしても、こいつに無理を強いることになることがわかったからかもしれない。
だが、もう少し注意した方がいいのか。
騎馬隊に対してもそうだった。顔合わせの時からヴィラ伯を相手にした時と同じ、良い印象をあいつは抱かれていない。そして俺はそれが無性に悔しくて仕方がない。
俺には何もできない。だけど、今は、の話だ。いずれ俺が何かに気づき、こいつを変えられることが出来たのなら、なんて素晴らしいことだろうか。
そんな自分にしか都合の良くない勝手な妄想。でも、そうだとしても、いつか実現したい、すべきだ、と密かに決意を固めた。
小太りの大貴族はついに本音を吐いた。最初は仄めかすように父の決断を変えようとしていたのだが、取りつく島のない毅然とした対応に我慢の限界が来たのだろう。
「この戦争はもはや我々だけのものではない! 貴殿はそれをお分かりか!」
そこは天幕の中だった。中央の円卓の上には地図が広げられ、描かれた地形の上に駒が置かれている。丸い駒は、がなりたてているヴィラ伯の軍、三角の駒はヴィラ伯の弟にあたるアストン男爵の軍。さらに、四角の駒は帝国に領地を持つエヴァ家の軍に見立てていた。
父はヴィラ伯軍800のうち100を任されている。それも、騎兵のみからなる精鋭部隊だ。でもだからこそここに呼び出されていたのだった。
「勿論、ヴィラ様の土地を帝国が奪いにきたことは存じております」
「では何故、貴殿でなく、そこにいるガキを騎馬隊の指揮官に据えようとなさるのか!? 私は昔から功績を残してきた貴殿だからこそ、騎馬隊を預けたのだぞ!」
小太りの男の目がぎょろりと動く。視線の先は、俺ではない。俺の隣に立っているそいつにむけられていた。
「それは単に、このものが今回の策を企てたからです」
そう父が口にすると、ヴィラ伯は苦虫を噛みつぶしたような顔に変わった。少し前のこと、父がそいつの作戦を伝えた時、ヴィラ伯は年甲斐なくはしゃぎ、飛び跳ねて喜びながら、そいつの作戦を褒め称えたのだ。
たかが俺でもわかる見事な策であった。連携の取れていないエヴァ家とアストン家の間隙を突くように攻め、V字に膨らんで分断されたところを側面から騎馬隊が襲うというものである。
まさに見事であるとしか形容できない作戦だが、当然欠点があった。それは、天才にしか不可能である、という点だ。というのも、地図上、つまりは鳥の視点から見れば簡単だが、並行に捉えるとVの字の膨らみが見え辛く、機を失えばそのまま包囲されるからだ。
だからこそ父はそいつに指揮託さざるを得なかった。ヴィラ伯に過去の功績から信頼を置かれている父ですら、そうしなければならなかったのである。
「そ、そんなもの信じられるか!」
ヴィラ伯は机を叩いて、顔をそいつに近づけた。
「別に信じなくてもいい。ただ僕が指揮を取る」
そいつは、激怒するヴィラ伯を意にも介せずそう言い、テントの外へと出て行った。
「なんなんだあいつは!!」
父は「申し訳ございません」とただひたすらに謝った。息子の俺は父のそんな姿を見て、どうして父がこんな惨めな思いを、と憤慨する……わけではない。かと言って、父を、情けない、と蔑むわけでもない。ただなんとなく、俺も申し訳なく思い、気づけば父と同じく頭を下げていた。
すみません、すみません、ただただ謝る。何で俺は謝っているのだろう。あいつが指揮を取らなければ戦に負けるからか。当然だ、指揮官に据えるためなら謝罪する価値がある。ただ、違和感がある。何だか、守ってやりたくなるような、そんな感じ。でも、憐みはない、むしろ遠ざけられて当然だ、と冷ややかな思いを抱いている。どうして俺は謝っているのだろう。
「も、もうよい。私は貴殿らには怒っていないのだからよしてくれ」
激怒していたヴィラ伯は溜飲が下がったのかそう言って続ける。
「だがどうしてだ? 武勇で名を馳せた貴殿が頭を下げるほどに、あの子供は優秀だというのか?」
「はい。まだまだ未熟な所はありますが、私など比べられないほどに優れております」
ヴィラ伯が腕を組んで「う〜ん、私が許可したとしても、貴族からなる騎馬隊では……」と唸った時、父は俺に、行け、と手を払った。俺は頷いて外へ出る。
外は夜の帳が降りて、冥色の空に星が輝いていた。ひゅう、と冷たい風が吹いて、肌が震える。天幕の間間に焚かれた薪を横目にあいつの姿を探す。
あいつは天幕から離れ、ひとり座っていた。陣は丘の上に張っていた、ここから見下ろす景色は美しい。長く伸びた青い草が風に棚引いている。夜に黒に染められた小川は月をゆらゆらと映している。
「おい」と声をかけるとそいつは振り向いた。
「なんだ、君かい」
「なんだはないだろう、お前はどういうつもりだ、あの後、俺と親父がヴィラ伯に謝り倒したんだぞ」
「それは、すまなかったね」
「謝るくらいなら、あんな言い方しないでくれよ」
すると、そいつはむっと眉間にシワを寄せた。
「じゃあどう言ったら良かったんだい? 僕が何を言っても、歩み寄ろうとしても、いずれは怖がられてしまう。だったら、無駄な会話なんかしたくない」
なんと子供らしい理屈だろうか。そう思っても、嘲笑できないくらいにはそいつの言葉は重かった。何を言っても、行ったとしても、こいつに無理を強いることになることがわかったからかもしれない。
だが、もう少し注意した方がいいのか。
騎馬隊に対してもそうだった。顔合わせの時からヴィラ伯を相手にした時と同じ、良い印象をあいつは抱かれていない。そして俺はそれが無性に悔しくて仕方がない。
俺には何もできない。だけど、今は、の話だ。いずれ俺が何かに気づき、こいつを変えられることが出来たのなら、なんて素晴らしいことだろうか。
そんな自分にしか都合の良くない勝手な妄想。でも、そうだとしても、いつか実現したい、すべきだ、と密かに決意を固めた。
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