エクスクラメーション

桜綾つかさ

第1章 Scalar 第15話 友達⑧

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 -五月二十三日- 月曜日 二十時二十分~



 ダイニングテーブルを挟んで向かいに座る武田たけだ君は期待に満ちたような、けれどどこか気恥ずかしさを押し隠すような、そんな複雑な表情を私に向けながらこう言った。

「ぼ、僕も…。玉置たまきさんみたいに、変われるかな…?」

 期待と不安の織り交ざった眼差しは救いを求める信者のようで、私の中にこたえを見出そうとしているのがうかがえた。
 彼のその真剣さに籠絡ろうらくうんぬん考えていた私も真摯しんしに向き合わなければいけないような、そんな後ろめたさにも似た感情に後押しされ、少しだけ逡巡しゅんじゅんする。
 いくらでも彼をたぶらかす言葉はあった。けれど、それをしてしまうのは騙しているに等しい気がして、罪悪感を覚えた私は素直な言葉を伝えることにする。

「武田君。それはあなた次第よ」

 予想通り、武田君は落胆の表情を見せる。本当に優しい友達であれば、ここで言葉を切っているのだろうけれど、少しのよこしまな気持ちが私にもう一言を喋らせる。

「でもね、変わるキッカケくらいにはなるはずよ」

 彼の眼を見据えながら私はんで見せる。この言葉にはもちろん打算も含めているが嘘なんかでは無かった。

「それは私が保証するわ」

 少しの沈黙の後、彼は意を決したようにその薄い唇を開いた。

「た、玉置さん…。僕、じょ、女装してみるよ……!」

 後半、彼の選択によっては私の武田君籠絡作戦は瓦解がかいしていたはずだった。けれど運が良かったことに私の思惑通りの方向へと事が進んでくれて、私は心の中で安堵する。

「えぇ、全力でサポートさせて貰うわ」



 -同日- 二十一時~



「い、今からするの?」
「思い立ったが吉日、って言うでしょ?」
「いや、でもっ心の準備が──」
「はいはい」
「ちょっ、玉置さん」

 食事を終えた私達は休憩もそこそこに早速女装しようという事になった。なったと言うよりも私が強引にそうしたのだけれど。

「僕そろそろ帰らないと」
「まだケーキが残っているけれど、良いのかしら?」
「そ、それは…。食べたいけど、あんまり遅いと親に心配掛けちゃうし」
「LINEで一言入れておけば良いんじゃない?」
「それはもうしてるけど……」
「なら大丈夫ね。帰りは苫米地とまべちに送らせるわ」
「だけど───」
「武田君!」
「は、はぃ」
「あなた、変わりたいんでしょう?」

 うじうじと言い訳を続ける彼に私はぐいっと詰め寄る。
 決心を固めただけで帰って貰っては困るからだった。実際に体験して貰った後からが、私の作戦の真骨頂なのだから。
 彼はうつむいて一瞬の間黙考すると、諦めたように溜息を吐いて頷いた。


 私はウォークインクローゼットから武田君に似合いそうな服を選ぶ。
 最初はやっぱり大人し目なロングワンピースとかで肌の露出も抑えた方がハードルは低いかしら…。いやでも武田君に着て欲しいのは、ガーリー系とか小悪魔風ないかにも女子っぽい服を着て欲しいのよねぇ…。
 私は悩む。
 夏を先取りして丈の短いデニムのワンピースとかも可愛いわよね…。どうしようかしら。何だか凄く楽しくなってきたわ。

 結局悩んだ末に白のフリルブラウスと茶のスカートをチョイスした。それらを持ってリビングに戻る。

「さぁ武田君っ。これを早速着てちょうだい」
「うわ…。これ、ほんとに着るの?」
「えぇ、もちろん。着替えはキッチンの奥にユーティリティあるからそこでして。あ、それと顔も一緒に洗ってきてね」

 彼はどうにだってなれと言った具合に服を受け取ると、キッチンの方へと歩いて行った。

「タオルはそこら辺にあるの適当に使ってー」

 服を着替えた彼はタオルで顔を拭きながらげんなりした様子で戻ってきた。

「なーにしょぼくれてるのよ」
「だって服とのギャップが…」
「まぁこれからが変身の本番だから。そこ座って」

 武田君は言われた通り、リビングにあるL字ソファに腰を下ろした。私もメイク道具の入ったケースをテーブルに置いて彼の横に座る。

「はい、このネットで髪の毛包んじゃって」

 私はウィッグをかぶる時用のヘアーネットを渡す。彼は終始、うわぁとか、うへぇとかいった嘆詞感かんたんしを吐きながら指示に従う。
 ネットを付けた彼の頭を三百六十度見渡し、しっかりと包み込めているかチェックする。

「ゆくゆくは自分でやって貰うからちゃんと覚えておいてね?」
「う、うん……。分かったよ」得心とくしんの行かない様子ながら彼は頷く。
「はい、まずは化粧水ね」

 彼は化粧水を垂らした両手でペシャペシャと顔をはたいた。化粧水が肌に馴染むまで少し待つ。
 僅かな待機時間を利用して私は化粧下地に使うコスメをケースから取り出して準備する。肌馴染みを確認するため、彼の顔を凝視した。

「ち、近いよ、玉置さん」
「良いから………良さそうね」

 下準備が整ったところで、私はスポンジを使って彼の顔全体にクリームタイプの化粧下地をまんべんなく馴染ませていった。

「そう言えば、昼休み以降大丈夫だったかしら?」
「え、どういう事?」
「ほら、私と武田君の噂広まってなかった?」
「あー……」武田君の表情が暗くなる。
「……色々言われ放題だったかな…」その言葉から彼もまた非難の的になっていたことが容易に想像できた。
「ごめんなさい。私が考えも無しに教室に行ってしまったりしたから…」

 もちろん考えが無かった訳では無く、もさ男のせいもあって影響の範囲が私の想像を超えてしまった、というのが正しい所なのだけれど。

「そ、そんな。玉置さんのせいなんかじゃないよ。入り口にいたあの人があんな大声で言うからだよ」

 コンシーラーも塗布しようかと思っていたけれど、武田君の顔にはニキビも無ければ、髭も生えていないため必要が無いと判断する。
 この肌のポテンシャル…正に原石だわ!私は大変な掘り出し物を見つけてしまったのでは無いかしら。
 反省の色を浮かべる表面とは裏腹に内心、一人でヒートアップしていく。

「そう言えば。久田ひさだがね、僕と玉置さんのグループに入れてくれって言ってるんだけど」

 暗くなった雰囲気を察してか、話題転換をする武田君。
 正直、噂の件はもさ男を討伐したことで片が付いていると思っているので、武田君の状況が分かっただけでこの話は十分だった私はありがたくその話題に乗らせてもらうことにした。

「え…久田君が?」
「うん」

 まぁ単純に考えて私との距離を縮めようとしてるってことよね…。武田君との女装を楽しむためだから、本当なら久田君は遠ざけておきたいところなのだけれど、出来れば武田君の恋路も応援して上げたいのよねぇ…。

「うーん。まぁ良いんじゃないかしら?学校で二人仲良くしてるとまた噂が立っちゃうかも知れないし」

 私は適当な理由付けをして了承する。

「ああぁー、確かに。カモフラージュってことだね」
「それだと私達が本当に付き合ってるみたいじゃない?」
「え?!ちょ、何言ってんのさ??!」
「動揺しすぎよ」私は思わず笑ってしまう。
「いやだって、玉置さんがそんなこと言うから!」
「はいはい、メイクできないから動かないで」

 次にリキッドファンデーションを点置きして、これもまんべんなく延ばしていく。

「でも良かった」
「何が?」
「てっきり久田のこと嫌がるんじゃないかなって思ってたから」
「えぇ嫌よ」
「い、嫌は嫌なんだね…」
「えぇ。でも仕方のないことだから」彼の口元が緩む。
「そっか…。でも僕、こんなに友達出来たことないから…なんだか変な感じがするよ」
「大袈裟過ぎじゃないかしら?武田君の日常に私と久田君が加わっただけじゃない」
「今まで友達の出来なかった僕からしたら大事おおごとだよ」
「え?」
「…え?」

 それまで目をつむっていた彼と目が合う。

「友達、居なかったの?」
「う、うん……」

 彼は少し目を伏せながら頷く。私は気をつかって、その場を取りつくろう言葉を探す。

「でもほら、それは入学してまだ二ヶ月くらいだからじゃないかしら?」
「いや…小学校の高学年からずっと……」

 言いながら彼は完全にうな垂れてしまう。
 ヘビーな過去を背負っていそうなことが容易に想像の付いた私は、どうにか話題を明るい方へ持っていこうと頭を巡らす。どうしてこうなったのかしら…。ていうか武田君、急に重過ぎよ…。

「でも、今はもう出来てるじゃない」
「そ、そうだね。色々あったけど、玉置さんと出会ってから少しずつ僕の人生が変わり始めてるのは確かだから」
「ふふ、これから武田君自身も驚くくらい変わってくわよ」
「そうだと良いな…」
「その為の変身でもある訳なんだから。さ、目瞑って」

 下地の仕上げとしてテカリの出やすい眉毛と小鼻にパウダーを塗る。

「よしっ、と」
「も、もう終わった?」
「まだ始まったばかりよ」
「こんなに塗り重ねてるのにまだ始まったばかりだなんて…」
「まぁ待ってなさいって」

 私は武田君の薄黒い眉毛を上塗りするように茶系色のアイブローで眉を描いてからスクリューで自然に見えるようにボカシてあげる。
 武田君は肌白いから血色良くした方が良いわね。彼の頬にピンクのチークを薄めに差して、まぶたに軽くアイシャドウを乗せる。次に柔らかい印象になるようにペンシル型のアイライナーを引いた。

「め、目に刺さりそうで恐いんだけどっ。目に入らないよね?これ」
「大丈夫大丈夫~」
「ほ、ほんとだよね?信じていいんだよねッ?あ、ああ~ッこれ絶対入ってるって」

 アイライナー引くだけでこのビビりようだから、ビューラーは止めておいた方が良いかしら…。

「武田君、睫毛まつげ長いのね」
「え?あぁ、う、うん?」

 最初だし、マスカラも省略して良いわね。次に私はティントタイプのリップで唇に薄桃色を乗せて上げる。

「はい、これんで」
「は、ハム?」
「そう。こうやってウマウマって食むの」私はティッシュを持って実演して見せる。
「な、なるほど」

 武田君は私の動きを真似てティッシュをはみはみする。
 最後にハイライトを頬と小鼻の三点に塗り、艶感つやかんを出してあげた。シェーディングは…らないわね。男かどうか疑いたくなるほど骨格の主張が無い。神様、これってステ振り贔屓びいきじゃないかしら…。

「はい、メイク完了~」
「な、長かった…」
「そうかしら?まだ三十分くらいしか経ってないわよ」
「さ、三十分も経ってるのっ?」
「これでもいくつか行程省いてるから短い方なのよ?」
「これで短いんだ…。女子って大変なんだね……」
「そうよ。自分をより可愛くせるために陰ながら努力してるんだから。じゃぁ仕上げにウィッグを被って」

 私は用意していた紙袋からベージュブラウンのロングヘアウィッグを取り出して被せて上げる。位置の調整をしてから固定するためのヘアピンで何カ所か留める。

「目閉じてて」
「う、うん」

 私はケースからハサミを取り出すと、顔周りの余分な毛を切って整える。横、後ろと見回して問題無いことを確認してから最後の最後に、私から見て武田君の左側の髪を耳に掛けてあげた。

「はい、完成っ。早速、お披露目タイムね」私は彼の手を引っ張ってユーティリティに向かう。
「ちょ、ちょっと」
「武田君。目、瞑って」
「な、なんでさ?」
「最初から見えてたら驚きが半減しちゃうでしょう?」
「そうかなぁ?」
「そうなのっ。ほら、良いから早く」
「わ、分かったよ」彼が目を閉じるのを見届けると、私は手を取ってゆっくりと鏡の前まで誘導する。
「はい、三、二、一……っ。どうぞっ」

 武田君がゆっくりとした動きで瞼を開く。その瞳が徐々に大きく開かれていった。

「こ、これが…僕……?」

 武田君はぽかんと口を開けたままの表情で鏡に映る自分を見つめていた。

「そうよ、これがしんの武田君よ」
「真の武田ってなんかダサいね…」
「そうかしら?凄く可愛いわよ?」
「っ………」彼は恥ずかしそうに俯いてしまう。

「じゃあ今回のコンセプトを説明していくわね。まず白のフリルブラウスと茶のミニキルトスカートで可愛らしさを前面に出しつつも」

 そう言いながらスカートの裾をひょいと摘まみ上げる。武田君は恥ずかしそうにしながらスカートを両手で押さえた。

「ベージュブラウンのストレートヘアで落ち着きを出して、気品のあるお嬢様風な女の子に仕上げてみたのだけれど。どうかしら?」

───私の服だからちょっとサイズは大きいのだけれど、と耳元でささやいた。

「ど、ど、どう…って言われても……わ、分かんないよ」

 恥ずかしさの為か俯き加減にぼそぼそとしゃべる。

「せっかく変身したんだから、自分の心に正直になってみたら?」
「自分の心に、正直に…」
「それで?」
「か、か……かわ、いぃ…と、お、思ぅ……」

 ふしゅー、と煙が出そうなくらい顔を赤らめながら言う姿がたまらなく可愛かった。そのしおらしさが私の嗜虐心しぎゃくしんそそる。

「え?なんて言ったのかしら?」
「ぃゃ…」
「なぁに?聞こえないわぁー」
「だから───」
「えー?なんてぇ?」
「だから!可愛いと思うっ 」

 大声で言い放った彼は言った後に後悔が押し寄せてきたのか、再び赤面して俯いてしまう。その意地らしい姿に私の心は射止められた。あぁ神様…私、今幸せです。
 オーバーに聞こえるかもしれないけれど、本当に男なのか疑いたくなるほど、私の目の前に居るのは頬を紅潮こうちょうさせる一人の可憐な少女だった。

「あらあら、随分ずいぶんな自信ね武田君」
「いや、そういうつもりじゃなくてって、玉置さんが言───」
「でも、私もすっっごく可愛いと思うわ」
「あ──いや、その…恐縮です……」

 そろそろ頃合いね。そう思った私はとっておきの魔法の言葉を掛けて上げる事にする。これが武田君を女装にめ落す──失礼、女装に目覚めさせる最強の呪文。武田君だからこそ効果抜群のセリフにして私の作戦の真骨頂────!!

「こんなにわ」
「え───?」

 彼は私の言葉を咀嚼そしゃくする。徐々に自分の中で消化出来てきたのか、段々と頬が紅くなり、耳まで真っ赤に染めた。

「どうかしら?女装も悪くは無いでしょう?」私は満面の笑みで尋ねる。
「ま、まぁ…。悪くない、かな」

 彼は私から目を背けつつも頷いた。
 どうやら女装のことは認めてくれたようだった。私の武田君籠絡作戦はここに成功を納めた。これからは女装友達として仲良くやっていけそうね。私は内心で歓喜した。



 -同日- 二十一時五十分~



「どのケーキが良いかしら?」

 ダイニングテーブルに乗せたケーキの箱を武田君にも見えるように大きく広げる。

「えぇ!凄いっ、クワイエット・ショコラだよね?これ」
「武田君、素の声に戻ってるわよ」
「あ、あぁ。ん、んんっ───」

 武田君は咳払せきばらいしてのどのポジションをチューニングする。

「武田君は元々声が高いから少し作るだけで充分女声になるんだから。しっかりと意識してキープしなさい」
「は、はぃ…。ってちょっと待って。ぼ、私なんでこんな教育されてるの?」
「そりゃ女装して、私と外に出て買い物しに行ったり、遊びに行ったりするからよ」
「え、そうなの?これで終わりじゃないの…?」彼は驚いた表情を作る。
「当然よ。一回女装したくらいで素の自分を出せるようになんてならないわ。もっと修業が必要なの」
「しゅ、修行…」
「そう。それにもう遊びに行く約束しちゃったのよね」
「えええ?!!初耳なんですけどっ」彼は先ほどよりもオーバーに驚愕する。
「もちろん、今初めて言ったもの」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って。約束って誰と?ぼく、私達二人で行くんじゃないの?」
「本当は私もそうしたかったのだけれど、久田君からLINEで誘われてたの思い出したのよね。だから武田君が自分に見惚みとれてる間に連絡しちゃった」

 そう言って私はウィンクする。

「ひ、久田と!?無理無理無理無理ッ」

 そのまま首が飛んでいくんじゃないかしら、と思うほど激しく首を振って拒否反応を見せる。

「でももう約束してしまったわ。男女二二にーにーで集まろうって。ま、実際は全員男なんだけれどね」
「笑ってる場合じゃないよ!いきなり過ぎだし。そんなの無理っ」

 むぅ。急なのは分かり切ってるのよ。でもここまで拒絶すること無いじゃない。一応、武田君のためでもあるんだから。私は少し考える。

「そうね。やっぱり急過ぎるわよね…」
「うん、急過ぎだから断っ────」
「武田君が変わりたいって、私に本心を打ち明けてくれたから…私嬉しくって。私も全力で応えなきゃって思ってたのだけれど、ちょっと張り切り過ぎてしまったわね……ごめんなさい」
「…………」
「久田君には申し訳無いけれど、今から断りの連絡を入れるわね」

 私はしょんぼりとした表情を見せつつ、テーブルの上にあるスマホにゆっくりと手を伸ばした。

「……いや、あの…ちょっと待って」彼に制服のすそつかまれる。
「え?」
「ぼ、私…行くよ」
「本当に?大丈夫なの?」
「大丈夫……じゃないけど、大丈夫」
「そう。良かったわ」

 私は武田君の不安気な返事を一切スルーして笑顔を向ける。

「約束の日は来週の土曜日、五月二十八日だから。一週間もあれば武田君なら完璧な女装が出来るわ。それに私も付いてるし、フォローはするから」
「う、うん…」
「さ、ケーキ食べましょうっ」私は箱の中身が見えるように武田君の方へと向ける。
「そう言えば、久田の他に誰が来るの?あ、私これで」
「分からないわ。ただ友達連れてくとしか書いてなかったのよね」

 武田君の選んだチョコタルトを皿の上に取り出して、その横にフォークを添える。

「そっか」
「そうそう。それで武田君の設定だけれど」
「設定?」
「武田君が女装してるってバレても良いのかしら?」
「だめだよっ。それでぼ、私の設定は?」

 タルトを恍惚こうこつと眺めていた彼は視線を慌てて私に向けた。

「私と中学の時の同級生って設定。それで私は東京から天尚あまます高校に通うために北海道に移住してきてるんだけど、あなたも似たような理由で北海道に来たってことにしておいてね」
「う、うん。でも私、東京のこととか聞かれても答えられる自信ないけど…?」

 彼は私ではなくタルトを見ながら返事をする。良かったわ、武田君が甘い物好きで。今更ながら私はほっと胸を撫で下ろした。

「そこは私がフォローするわ。で肝心の名前だけれど」

 彼はじっとタルトを見詰めながら、私の話に耳を傾ける。待て、されている犬を彷彿ほうふつとさせるその姿に胸がきゅん、としてこのままずっと待たせておくのが可哀そうに思えてきた私は食べていいのよ、と彼にうながした。

「茂花なんてどうかしら?」
「ともか…どういう字を書くの?」
「あなたの茂臣しげおみって名前の茂に、菜の花の花って書いて茂花ともか
「なんか固くない?」彼は美味しぃ~、と舌鼓したつづみを打ちながら答える。
「そうかしら?気に入らないなら武田君の好きなように変えて貰って構わないわ」
「うーん。まぁちょっと考えてみる。ちなみに苗字は?」
「決まってないわ」
「結構ずぼらな設定なんだね」
「あら?喧嘩売ってるのかしら?武田君」
「そ、そんなつもりじゃ」

 ケーキに夢中だからか、初めての女装という恥ずかしさを乗り越えた後だからか、いつにも増して大胆不敵な発言が飛び出してきている。これは将来、化けるわね…。

「そう?なら良いのだけれど。適当に田中とかで良いじゃないかしら?」
「そんな投げりな」
「じゃあ中田とか?」言いながら私もチョコモンブランを食べる。
「ひっくり返しただけだよね、それ」
「じゃあ何が良いのよ?」
「えぇ、そんな逆ギレされても…」
「別にキレてなんていないわ。それで?もう武田君の中でアイディアがあるんでしょう?」
「ま、まぁ…」
「何を今更恥ずかしがっているのよ」
「じゃ、じゃあ言うけど……」

 彼は真剣な眼差しで私を見詰めてくる。

「し、東雲しののめ…ショコラとか?」
「あっはははははは!」
「ちょ、そんな笑わなくても」
「無い無い無い無いっ、くくっ。東雲ショコラって、ふっ、グラビアアイドルか、くふっ、何かに居そうよね、くく」
「なっ、違うもん。私がチョコ好きだから、クワイエット・ショコラから取って────」
「はいはい、どっちにしても無しよ、ふふふっ」
「もうっ、そんな笑わなくても良いじゃん。玉置さんだってネーミングセンス無いくせに」
「そうかしら?あなたよりはいくらかマシだわ、くくっ」

 武田君の女装時の名前について二人であーだこーだ言い合った結果、『茂花』という名前だけが採用となり、苗字は最後まで決まらなかった。下の名前だけ分かれば誰も苗字なんて気にしないわよね、ということでこの話は落ち着いた。

「じゃあこれから宜しくね。茂花」
「う、うん。宜しく」

 こうしてにして、が出来た。
 この関係がこれから先どうなっていくのか分からないけれど、私は二人にとってきっと良い結果に繋がると信じている。
 ただでさえ逆境の多い人生なのだから…。



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