エクスクラメーション

桜綾つかさ

第1章 Scalar 第14話 友達⑦

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 -五月二十三日- 月曜日 十二時二十分~



「じゃあ、また後でね」
「う、うん。また後で」武田たけだ君は困り顔でうなずきだけを返した。

 屋上から階段に移動した私は作戦の第一段階成功と彼のLINEをゲット出来たことにほくそ笑んだ。
 あとは噂がどんな具合で広まっているかの確認ね。私は気を引き締め直すと一年一組の教室へと向かって歩き出す。

「おーいっ、さっちゃーん」と聞き馴染みのある声が私を呼び止めた。

 振り返ると千種ちぐささんが大きく手を振ってこっちへ小走りに近付いて来る。

「お疲れ様です。千種さん」
「おっつぅ~、からの栄養補給だっ」と言って当然のように左腕に抱き着かれる。
「もう、いい加減にして下さいよ千種さん」

 表面上は笑って接しているが内心では女装がバレないか、いつもヒヤヒヤしている。このスキンシップどうにかならないかしら。あと渾名あだなも……。

「だぁってぇ、岡部おかべの脳筋が暑苦しいのなんのって。マジでヤバかったんだかんね?」
「脳筋って…。言い過ぎじゃないですか?」
「いやいやほんとのことなんですよぉ姉御ぉ。ね?ジン君だってむさ苦しい思いしたよね?」

 そう言って千種さんは私達から少し離れた位置で待機している面識の無い女子生徒改めジン君とやらに同意を求めた。彼女は少々面倒臭そうに、あぁ、とだけ返事する。

「ほらほらぁ。あたいら大変だったんだから癒しておくれ~」
「わ、分かりましたから…。それでそちらは?」私は千種さんに尋ねる。
「あーね、私と同じクラスのジン君こと───」
「あー、神前かみまえだ。宜しく」神前さんはぶっきらぼうに言い放った。
「あーそうやってまた隠そうとするぅ」
「ちっ。別に良いだろ」
「本名はね、神前かみまえ桃音ももねっていうの」
「あ、お前っ」

 神前さんは千種さんの首に腕を回してチョークスリーパーをめる。

「ちょぉ、助けて姉御ぉ」
「え、え~と……」
「助けてってお前なぁ。自業自得だ」

 本気で絞めてる訳では無さそうだし、ほっといても良さそうね。二人の話に付いていけてない私はとりあえず見守ることにした。

「もういいや。俺、先に行ってるから」

 チョークスリーパーをいた神前さんは嘆息しながら歩き出す。ゼェゼェ、とオーバーなリアクションを見せる千種さんは、おぼえてろぉこんにゃろー、と負け犬の遠吠えを吐いていた。

「ごめんなせぇ姉御。見苦しいところを見せちまって…」ときょうって臭い芝居を見せる千種さん。
「え、えぇ。それよりも良いのですか?追わなくて」
「良いの良いの。本気で怒ってる訳じゃないし。逆にごめんねさっちゃん。内輪ネタみたいになっちゃって」
「それは全然大丈夫ですけど」
「妬いちゃった?」
「何でですかっ」
「さっちゃんの専属マスコットキャラかと思ってたら実は皆のマスコットキャラで…みたいな?」そう言って彼女はウィンクする。
「自分でマスコットキャラっていう人初めて見ました」
「姉御の初めてゲットだぜっ」
「それで?神前さんは何でフルネームを隠そうとしてたのですか?」

 彼女は、オーノォー、さすがのスルースキルでっせ姉御ぉ、などとボヤいていたが、私の固まった笑顔を見るやすぐに態度を改めた。

「んー。私も詳しくは分からないんだけど、桃の音って書いて桃音って読む自分の名前が嫌いなんだってさ」
「ふぅん」
 
 私は少し思案する。
 女子なのに俺、という一人称。決して容姿が悪い訳では無いのにガサツさを前面に出し、お洒落しゃれに興味は無いと言った体裁を取っている。それに男っぽい言動。そして桃音という可愛らしい名前を嫌悪している、となれば答えは一つね。私は彼女…神前さんに少し興味が湧いた。

「そいでジンって呼んでくれって」
「ジン…ね」
「まぁ私的には親が付けてくれた名前なんだから大事にして欲しいなって思うんだけどね」
「……そうかしら?親が付けてくれたからとか、そういう恩着せがましい理由で縛られるなんて鬱陶うっとうしいだけだわ」
「さ、さっちゃん?…」千種さんが目をしばたいて私のことを見詰めていた。
「え?あ、あー…。い、今のは聞かなかったことにして下さい…」

 神前さんに意識がいっていたせいか油断して素の自分が出てしまっていた。

「あ、あはは。別に構わんよぉ」千種さんはその場を取りつくろう様に明るく笑って見せる。
「あ、でもそうや。聞かなかったことにする代わりに一つお願いがあるんやけど?」

 彼女に上目遣いで頼まれる。
 私に駆け引きとは、案外肝が据わっているのね千種さん。私は少しだけ身構える。

「何でしょう?」
「あ、あのな。私のこと、その……」もじもじと言いよどむ。
「名前か…あ、渾名とかで呼んで欲しいな、なんて…」

 可愛すぎる!何この子っ神なの?!私の防壁は一瞬にして無と化していた。

「い、いや。ほらっ、うちら友達なのに何か、さん付けって余所余所よそよそしいなって、思って」
「分かりました。じゃあ何てお呼びしたら良いですか?」パァと彼女の表情が笑顔になる。
「そ、そんなん分からんて…自分で渾名付けるとか恥ずかしいじゃん……」

 頬を赤らめ、素の千種さんに戻る姿がまた可愛いかった。

「なら千種から取ってちーちゃんとかはどうです?」

 私は自分で言葉を発しながら思った。あぁ、これでさっちゃんという渾名はずっと付いて回ることになるわね。まぁこの際、呼び方なんて何でもいいわよね…。

「う、うん。じゃあそれで……お願い、します…」

 しおらしい彼女の余りの可愛さに私は思わず抱き締めてしまっていた。

「え?え、え??!さ、さっちゃん?!」
「あ、ごめんなさい。可愛かったからつい」

 私はてへぺろと謝る。
 可愛いものや人を見ると、つい我を忘れて抱き締めてしまうという悪癖が露呈ろていしてしまった。直さなければと常々思っているのだけれど、これが中々どうして難しかった。
 普段は女装を隠しているという事もあって、なるべく我慢するように心掛けてはいるのだけれど、ぜん食わぬは男の恥っていうことわざもあるくらいだから仕方が無い、と私は適当に自分を正当化して納得することにした。

 それから私達は教室へと戻ることにした。

「いやぁでも、さっちゃんってお金持ちの家の子だし、てっきり箱入り娘みたいに大切に育てられてきたんだって思ってたから。さっちゃんの口からああいう言葉が出てくるなんて思ってなかったよぉ」
「ちょっと、聞かなかったことにする約束ですよ?掘り返さないで下さい」
「ごめんってぇ」
「もうしなければ良いですよ?」
「うん、しないしないっ」
「それにしてもちーちゃんだってあのタイミングで駆け引きを持ち掛けるなんて大胆不敵ですよ」
──いやぁ、まぁ。と彼女は頭を掻いた。
「大胆ついでにもいっこきたいんだけど」
「何ですか?」
「この間ラブレター貰ってた男子とは、その、つ、付き合ってるん?」
「ラブレター?」
「ほら、あのちょっと天然っぽい男子の」そこで久田ひさだ君のことだとピンとくる。
「……あぁ。あれはラブレターじゃないですよ。電話番号とLINEのIDです」
「そいでそいで?」興味津々な眼差しで見詰められて少し後退あとずさってしまう。
「いや、何も無いですよ。向こうからは連絡来てますけど」
「向こうからはって、さっちゃん返事してないのっ?」
「えぇ、未読スルーです」
「うっは。やるなぁ姉御ぉ」

 結局、噂の状況を把握することは出来ないまま午後の授業を受けることになってしまった。
 その一要因とも言える千種さんに対して不愉快に思うことは無かった。むしろ素の自分を出してしまって引かれるかと心配していただけに杞憂きゆうで済んで良かったとさえ思っている。
 まぁちょっと心配なところはあるけれどね。久田君と千草さんと三人で会ってしまった時の彼女の行動を思い出し、苦笑いした。皆に言い触らしたりは…しないわよね。




-同日- 十五時四十分~



 まさか噂がここまで膨れ上がるとは…針小棒大しんしょうぼうだいとは正にこの事ね。私は内心で溜息を吐く。
 独り歩きしている噂を要約すると、武田と玉置たまきが付き合っている、というものがほとんどだった。
 ただ男女別に見ると、男子側は高嶺の花である私と陰キャである武田では不釣合いだと武田君を妬むものが多く、女子側ではいつもお嬢様気取ってる私も男を見る目は無いのね、と嘲笑の的になっているようだった。加えて、私達が屋上に向かっている時の写真や動画まで出回って噂の信憑性を高める始末となっているのだから頭が痛い。

 皆、暇なのね…。それとも暮らしが豊かになって安定した分、娯楽を外に求めるようになってしまったからかしら。何にしても迷惑ね…。

 帰りのホームルームが終わった私は風紀委員室のある特別棟へと足を運ぶ。
 武田君の方は大丈夫かしら。私は気弱な彼のことを心配する。私の方はある程度予想はしていたため、それほどの傷心は無いけれど、彼の場合はどうだろう。きっと当惑しているに違いない。それに彼と同じクラスの久田君の動向も気になる。
 あー気になるわね。でも委員会をサボって武田君に会いに行く訳にはいかないし。そんなことすれば噂を助長させてしまうのは目に見えていた。
 私は深呼吸する。
 私らしくないわね。噂ごときに振り回されるなんて…。それよりもこの後の武田君とのディナーの事よね。そこが武田君籠絡ろうらく作戦の肝なのだから。
 私は自分の成すべき事を再認識すると、頭を切り替えて委員室へと向かった。



「お疲れ様です」

 委員室の扉を開けて中に入ると、千種さんに手を引かれて女子トイレへと連行される。

「さっちゃん!私、人の恋愛事情にとやかく口出せるような立場じゃないけど、男の人をとっかえひっかえなんて…私、駄目だと思う」

 真剣な眼差しで説教する彼女に、とりあえず私はチョップをしておいた。

「な、なにするんよ、さっちゃん」
「なんであなたも噂に流されているのですか」私は嘆息する。
「ど、どゆこと??」彼女はチョップされた頭を押さえながら首を傾げていた。
「ちーちゃんがなんて聞いたのか知りませんが、私は誰とも付き合ってないし、色情魔しきじょうまでも、ビッチでもなんでも無いですから。武田君はただの友達で用事があったから会いに行っただけ。久田君とはただの同級生です。分かりましたか?」
「そ、そうなんや…。良かったわぁほんとに……」彼女は安堵の表情を見せた。
「もう…酷いですよ、本当に」
「ご、ごめんにゃぁ……」しゅんと表情を落としてしまう千種さん。肩をすくめる姿は実際よりも小さくしぼんで見えた。
ちなみにですけど、後学の為にどんな噂を聞いたのか教えて貰えますか?」
「う、うん。えっと私が聴いたのは、武田君を連れて屋上で、その…し、シ、シてたとか、久田君を他の女に奪われないようにキープしてるとか…」

 彼女は目を泳がせ、ドギマギしながら答える。とりあえず私はもう一度チョップしておいた。

「ひぃっ。ごめんってさっちゃん!」
「あらごめんなさい。手が勝手に動いてしまいました」
「絶対嘘だよねっ?」
「いえ本当です」私は笑顔を貼り付けておいた。
「さっちゃんマジ卍だよぉ」
「………とりあえず委員室に戻りましょうか」
「はいにゃー」

 三組の千種さんのクラスまで噂が広まっていることに軽く眩暈めまいを覚えた私は頭を押さえてしまいそうになる。荒唐無稽こうとうむけいにも程があるわよね。なんでそうなってしまうのかしら…。って考えれば私の敵が思っているよりも多いってことかしらね。また嘆息してしまう。



-同日- 十七時五十分~



「朝の挨拶運動も残り一週間、それが終われば朝早くに登校することも無くなるから。大変だと思うけどあと少しだけ皆には頑張って欲しい。以上。じゃあ今日はこの辺で終わりにしようか」

 もさ男が場を締めくくる。そのドヤ顔にちょっとした苛立ちを覚えるもそれをおくびにも出さずに皆と同様に頭を下げて挨拶する。
 武田君との噂を聞いていないのか、終始落ち着いた雰囲気のもさ男に肩透かしを食らった気分だった。これ以上気にするのは闇夜やみよつぶてだと私は警戒態勢を解き、LINEで武田君にメッセージを送る。

 各々が使用した椅子や机を整頓し、帰り支度を済ませた生徒から次々に下校していく様子を尻目に武田君の返信を確認する。そこには “あずまや”とだけ書かれていた。
 私は少し思案する。
 公園にあるような東屋あずまやであれば公園名で場所を教えてくれるだろうから、店名よね…。記憶を辿って検索を掛けると一件だけ思い当たる店があった。円山にひっそりとたたずむ和喫茶が確かそんな名前だったような気がするわね。まぁあれだけ迎えに行くことを遠慮していたし、気が引けたってところかしら。
 武田君の言動から彼の行動に予想を立てた私はスマホを片手に委員室を出て、廊下の隅の方で武田君に通話を掛けた。

「もしもし、武田君?」
『あ、はい。武田です』
「気を遣わなくて良かったのよ?」
『す、凄いね。あずまやだけで伝わるんだね』
「別に普通よ。んーでもそうねぇ。そこまで来てるのなら直接家に向かって貰った方が近いから、歩いて来て貰っても良いかしら?」
『あ、うん。それは全然大丈夫だよ』
「そう。なら住所送るから。また後でね」

 通話を終えた私は住所を彼に送ると委員室へ戻った。私の鞄を置いている机に千種さんがスマホをいじりながら腰掛けて待っていた。

「さっちゃん一緒に帰ろぉ~」
「えぇ。お待たせしてごめんなさい」

 一緒に帰ると言っても、苫米地とまべちがいつも迎えに来てくれているので学校の玄関先までだった。
 それでも彼女は毎回私のことを待っては玄関までのちょっとした道程みちのりを一緒に帰ると言うのだから、相当な寂しがり屋なのかもしれない。いや、多分この行動に恐らく意味なんて無い。ただそれが当然になってしまっているだけ。言ってしまったら脳死状態。
 まぁそれが悪いとは思わないし、どこ行くにしても一緒に付いてくるペットのような感覚で私的にはなんだか可愛げを感じているから良いのだけれど。さすが自称マスコットキャラだけあるわね。
 私は自分の鞄を持つ。委員室にまだ残っていたもさ男に二人で挨拶してきびすを返した。

「あー玉置さん。ちょっと話があるから、悪いけど残って貰えるかな?」

 へぇ、今日は無いかと思っていたのに……。ポーカーフェイスなんて本当にいやらしい男ね。私は内心でもさ男をののしりながら笑顔で振り返る。今日で一遍に片付けられるのは私的にも有難いわ。

「ちーちゃん、申し訳ないのですが先に帰ってて貰えますか?」
「うん、わかったよー。じゃあまたねぇ~」

 軽快に手を振って彼女は委員室を後にした。

風見かざみ先輩、申し訳ないのですが今日この後予定がありますので早目に話を済ませて頂けると助かります」

 千種さんの足音が遠ざかるのを確認してから、私は相手の襤褸ぼろが出るようにあえて生意気な態度で余計な一言を添える。

「…愛しの武田君とでも会うのかな?」彼はニヤリと口の端を歪めながら眼鏡のポジションを直した。
「どういう意味ですか?」
「しらばっくれなくても良いんじゃないか?」
「良く意味が分かりませんが」私はもさ男がどう話を持っていこうとしているのか見極める為にしらを切り通す。
「ハハっ。君が武田君をたぶらかしてるって噂になっているようじゃないか」
「……それが何か?」私は小首を傾げて見せた。
「何かって。風紀委員としての自覚が君には足りていないようだね。風紀委員ともあろう者がこんな痴態ちたいさらすなんて、他の生徒に示しが付かないじゃないか」
「ですがそれは噂ですよね?先輩は朋輩ほうばいである私よりも噂を信じ、あまつさえ私に説教するおつもりですか?」
「いや、そうじゃない。僕は君を心から信じているから、まさかあんな男とどうにかなるような女では無いと思ってるよ。ただね、体裁的にどう落とし前を付けてくれるのかな、と。まさか事実無根の噂なんだから放っておけば良い、なんて無責任な考えで居る訳では無いだろう?」
「………」あぁなるほど。もさ男の話の方向性が見えた私はあえて無言を通す。
「まぁそんな気を落とさなくていいよ。困っている君に心優しい僕から一つ提案があるんだ」もさ男は得意気な表情で腕を組んだ。
「君がこれからは僕の言うことを聞く、というのならこの噂がこれ以上大きくならないように僕も協力しようと思っているんだ。どうかな?」彼の口がにぃ、と吊り上がる。
「これ以上、学校中の話題になるのは君も不本意だろう?」

 饒舌多弁じょうぜつたべんは時に身を滅ぼす……ありの穴からつつみの崩れとは正にこの事よね。私はもさ男の襤褸ぼろを見逃さなかった。

「……そうですね」
「物分かりが良くて助かるよ」
「えぇ。ハッキリとお断りさせていただきます」
「……は?」もさ男は状況が呑み込めないのか、呆けた顔を晒した。
「何か、先ほどから大層なことを仰っているようですけれど、たかだか学校の一委員会。何をそこまで気を張る必要があるのでしょうか?」
「き、君は馬鹿なのか?!世間様からも評判高い天尚あまます高校の、それも風紀委員なんだぞッ?それがたかだかな訳ないだろう!」

 予期せぬ事態を前に直ぐに声を荒げてしまうのは能無しの愚か者のすることよ。私は内心でほくそ笑んだ。

僭越せんえつながら、先輩は名高い天尚高校の風紀委員長ですよね。私の聞き間違えでなければ先ほど先輩は、僕の言うことを聞くなら、という条件を出していたと思いますが…」
「それがどうした?」
「それ、下心見え見えですよ?」彼は顔を真っ赤にする。
「バッ!僕はそんなやましい気持ちで言ったんじゃない!君の為を思って───」
「私は常に先輩方を尊敬し、集団の和を乱すことなどせず、委員会の活動に勤しんでまいりました。もちろん、指示に従わなかったことも無ければ、自由奔放に遊びまわっていたこともありません。その私にこれ以上どんな言うことを聞けと仰るのでしょうか?」
「そ、それはだな…」
「因みに、今までの会話は全て録音させて貰っています」私は制服のポケットからスマホをのぞかせる。
「なッ───!!」
「先輩だからって余り思い上がらないで下さい。これ以上私を脅迫するようなら…分かりますよね?」
「き、君こそ僕を脅してるじゃないか!ふざけるのも大概にしろ。僕をあまり侮辱しない方が身のためだぞ?」もさ男は鼻息を荒くしながら睨みを利かせてくる。
「先輩の方こそ、ここら辺で収めておいた方が身のためですよ?」
「ハッ、君は僕の凄さが分かっていないからそんな軽口が叩けるんだよ」
「中々分かって貰えなくて残念です」私は先輩に一通の茶封筒を渡した。
「なんだこれは?」
「見て頂ければ分かるかと」

 封筒を開けて中に入っているものを見たもさ男は口をパクパクとさせて戦慄わなないた。

「こ、こんなの…嘘だ……」
「いいえ、事実です。これが広まったら先輩のお父様は大変でしょうね」

───それと先輩も、と付け加えて私は目を細めた。もさ男は得体の知れないものを見るような怯えた表情を私に向けた。
 封筒の中身、それはもさ男の父親である風見臣吾しんごのスキャンダル写真だった。国からの政治資金を不正に利用して女遊びをしている写真とキャッシュフローのコピーである。

「分かっていただけて何よりです。それでは明日中に私と武田君との噂の落とし前を付けておいて下さいね?」
「ッ………」
「あぁ、それと。今日のお話は二人だけの秘密ですよ?」
「………」
「残り一年もありませんが、これからも風紀委員として宜しくお願いしますね?先輩」



 もさ男との話に決着を付けた私は急ぎ足で駐車場へと向かう。
 あぁ完全に遅刻よね、これ…。スマホのディスプレイに表示される時刻は既に十八時二十分を過ぎていた。

「苫米地!申し訳ないけれど、急いで出して」

 彼は私の慌てた雰囲気を見て、何も言わずにすぐに車を発進させる。

「あっ、帰りにあのケーキ屋に寄ってちょうだい」
「あのと言いますと、クワイエット・ショコラでしょうか」
「そう、それ」

 クワイエット・ショコラとは、高級チョコレート専門店である。最寄り駅から近いなど、特に立地が良い訳でも無いのに万年人気があり、わざわざここのチョコレートを求めて道外から足を運ぶものまでいるという有名店だ。ここぞという時の手土産として私は良く買っているお店だった。
 武田君がチョコレート好きか分からないけれど、手ぶらで向かうのはどうにも落ち着かないと引け目を感じた私は若干の遠回りにはなってしまうのを承知でお店に向かうことに決めた。
 遅刻という出だしですでつまづいてしまった今の状況を挽回ばんかいするための秘策だった。

かしこまりました」

 店頭人気ナンバーワンのガトーショコラは売り切れてしまっていたので、とりあえず在るものを適当に選んで購入したけれど、大丈夫かしら。
 少しだけ逡巡するも、最善は尽くしたわと自分に言い聞かせて自宅に到着するのを待った。



 




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