エクスクラメーション
第1章 Scalar 第9話 本当の自分⑤
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-五月十九日- 木曜日 十七時二十分~
……どうしてこうなった。
「何か飲む?」
円山の一等地。そこの高級と思われるマンションの最上階。そのだだっ広い部屋のほぼ中央に位置する、それまただだっ広いL字ソファに僕は今座っている。
「えっと、じゃぁ…お、お茶をお願いします」
場違いな雰囲気に中てられたからか変に緊張して畏まってしまう。
あれ、さっきまで僕泣いてなかったっけ?
先ほどまでの感情はどこへやら…。人はあまりに突飛な状況を前にすると強くなるらしい。いや僕の場合、強くなった訳じゃなくて驚きのあまり何もかも吹き飛んだが正しいけど。
本当にどうしてこうなったんだろう。少し前のことを思い出してみる。
────思わず泣いてしまった僕は玉置さんに無理矢理学校に連れ戻され、一階のエントランスで待ってるように言われて、玉置さんが戻ってきたら高そうな車が迎えに来てて、乗るように言われて乗ったら世界が様変わりした────と。
なるほど僕は異世界に来てしまったのかな……そんな訳ないか。自嘲気味に笑う。
さっきまで学校という日常の中にいたはずなのに、あれよあれよという間に非日常の世界に放り込まれてしまった僕の頭は少し変になっているようだった。
玉置さんって金持ちの家の子だったんだな。素行の良い彼女に納得がいった。
「お茶って緑茶?紅茶?ウーロン茶?それともルイボスティー?」
「お茶だけでそんなに用意があるの!?じゃ、じゃぁ緑茶で」
「言ってみただけ。残念ながら紅茶しかないわ」
「なら訊かなくて良くない?!」
キッチンから彼女の笑い声が聞こえてくる。本当に掴めない人だな。
僕はキッチンからそのまま上の方へと視線を向ける。部屋の中に二階がある光景がとても珍かった。こういうのなんて言うんだっけ。ロフト?あれ、メゾネット…?どっちだっけ?
「あ、あの、こんな夕方にお邪魔して本当に良かったの?」
ティーセットを乗せたトレーを両手で持ち、こちらへ歩いてくる玉置さんに質問する。
「一人暮らしだから問題ないわ」
「一人暮らしなの?!」驚きの余り大袈裟なリアクションになってしまった。
「そんなに驚くことかしら?」事も無さげに答えるとテーブルの上にトレーを置く。
「いや、だって……」
そう言って僕はもう一度室内を見渡した。
僕から見て右側には壁に据え付けられた大きいテレビ。後ろはキッチンと二階フロアが存在し、左側には二階フロアへ続く階段があって、その階段下に玄関への扉が設けられていた。正面は壁一面が幾つもの大きなガラスによって作られており、左端にはバルコニーへ出るための扉が造り付けられていた。その光景は小学生の時に使っていた温室と呼ばれるビニールハウスを彷彿とさせたが、ビニールではなくガラスで出来ているため解放感は段違いに良いことは言うまでもない。
そして、この大きな窓ガラスにはカーテンとかあるんだろうか、とそんな素朴な疑問を抱いてしまうほど、僕にとっては現実離れした空間だった。
「高校生にもなれば、親元を離れて寮暮らしやそれこそ一人暮らししてる人だって珍しくはないんじゃないかしら」
「………」
きっと志の高い人達なんだろうな。玉置さんの言う普通の高校生像に圧倒されてしまい、何も言うことが出来なかった。
──はい、どうぞ
──あ、どうも
ソーサーに乗せられた空のティーカップがテーブルに置かれる。
金の西洋唐草模様が施されたそれらには所々に小さく青いバラが咲いており、高貴な雰囲気を醸し出している。同じ装飾の施された背の高いポットから注がれた紅茶は、香りが広がるように湯気が立ち込め紅茶自体が艶めいて見えた。
大して紅茶に詳しくはないけど、とても高いものなんだろうな。気品のある香りがそれらを物語っているように感じた。
「そんなに緊張しなくても良いのよ?その紅茶だって近所のスーパーで買ったものだから」
どうやら僕の思い過ごしだったみたいだ。その言葉を聞いて僕は遠慮なくソーサーごとティーカップを持ち上げる。
「そ、そうなんだね。随分と高そうなティーカップだったからつい」
「えぇ。カップとソーサーは高いものよ」
急に手が震える。ティーカップとソーサーがカチャカチャとぶつかり、音が鳴ってしまう。それをなるべく静かにかつ丁寧にテーブルの上に置いた。
「そういうのは先に言って下さい。お願いします!」
僕は泣きながら懇願した。
「さっきから随分と大袈裟ね。別に割ったって怒りはしないわよ」
「……怒りはしないけど弁償して貰う、とか言う気でしょ?」
──正解
玉置さんは意地悪な笑みを浮かべながらそれだけ言った。どこまで本気でどこまでが冗談なのかが掴めなくて困る……。
「冗談はさておいて、そろそろ聞かせてくれないかしら?武田君が泣いていた理由を」
本当に冗談なんだろうか……。玉置さんの剽軽とした態度に訝しんでしまう。
「その、何度も言ってるけど、僕は…泣いてないから」
苦しい言い訳だ。いや、言い訳にすらなっていない。べそ掻いて意固地になった子供が「泣いてないもん」と発言しているのに近い。こんなんじゃ逃げ切れないのは明白、何か上手い言い訳を考えないと。
僕は必死に頭を回転させる。
「嘘よ。だって涙流してたでしょう?」
「それは、その…目にゴミが入って」
「……そんなに言いたくないことなの?それとも言わないように脅されてるの?」
そりゃ何があっても言える訳がない。翔と玉置さんの仲に嫉妬して焦って悔しくて、挙句気付いたら泣いてしまってた、なんて常識的に考えてそんな可笑しいことは言えない。
「本当に虐められてる訳じゃないから。ただ…僕が言いたくないだけで……」
じっと玉置さんに見据えられる。僕の表情から真意を測ろうとしているのだろうか。どこのメンタリストだよ。
僕はその視線に耐えきれなくて思わず逸らしてしまう。
「……そう。分かったわ。ごめんなさい、無理に聞き出そうとしてしまって」
僕が口を割りそうに無いのが分かったのか、玉置さんはそう言って諦めてくれる。助かった…。内心でホッと一息吐く。
「いや僕の方こそ、変に心配かけちゃってごめん…。でも本当に、何も無いから……」
「分かったわ…。でもね、風紀委員だからとかそんな他人行儀な理由じゃなくて、命の恩人で友達でもある武田君の力になりたいって思ってるの。ただそれだけだから…」
そこまで親身になってくれていることに驚いてしまう。
この言葉がどこまで本当かは分からない。だけどもし本当だと仮定するならば僕の方こそ感謝しなければならないし、恩を感じなければならないのだろう……。
でも素直になれない自分がいる。僕は本当に醜いやつだな…。
「……ありがとう」
もしかしたら翔ともそういう理由で仲良くしているのかもしれない。ただ翔は違うだろうけど。
ふと今日の放課後のことを思い出してしまう。
翔と玉置さんの楽しそうに談笑している光景……去り際の高揚した翔の声…。きっとこれからのことに期待を膨らませてるんだろうな……。
急に焦燥感がぶり返してくる。
玉置さんにいくら気が無いかもしれないとは言え、翔みたいなイケメンが言い寄ってくれば靡いてしまうのも時間の問題ではないだろうか。その可能性がある限りやっぱり油断はできない……。その可能性を潰すためにも玉置さんがどちらなのかをハッキリさせないと……。
男だった場合は想定通り、それをネタにちょっと強請ればいい。女だった場合は……これと言って策は思いついてないけど、何かを考えるしかない。それには時間が必要だから、やはりここで白黒つけておかないと後手に回ることになる……。
僕は覚悟を決めた。
──あの、さ
「もし違ってたら本当に申し訳ないと思うし、何をしても許してくれないかも知れないけど…」
「どうしたのよ?随分と回りくどい言い方ね」
玉置さんはそう言いながら、ソーサーとカップをテーブルに置いて居住まいを正した。
「な、なら遠慮なく言わせてもらうけど……」
「えぇ」
「………玉置さんって“男”だよね?」
これがタキサイキア現象と呼ばれるものなのだろうか…。
沈黙が二人を包み込み時間感覚が永遠にでもなったかのように遅く感じられる。
遠くで鳴るクラクション。
蛇口から零れ落ちた滴がシンクを叩いた。
「どうして、そう思ったのかしら?」玉置さんは笑顔のまま小首を傾げる。
「……否定はしないんだね」
両膝を揃え、その上で両手を重ね合わせた綺麗な姿勢を維持する玉置さんに追い打ちを掛けるように言葉を続けた。
玉置さんと目が合うがすぐに逸らす。
「…昨日だよ。昨日、玉置さんを保健室へ運んだ時にそうなんじゃないかって」
少しの間が空いた後、玉置さんは観念したかのように溜め息を吐くと微笑んだ。
「あははは…やっぱりそうだったのね」
「やっぱりって……」
「そう……」
──僕は男だよ
彼は被っていた仮面を脱ぎ捨てるように臆面もなく、いやむしろ清々しささえ感じさせる物言いで「男」であると言い放った。
何故こんなに冷静でいられるんだろう…。秘密を暴かれたというのに。
彼の態度が僕の予想とは全く違っていた。攻めにいったはずの僕が有利なはずなのに、先ほどと立場が変わらないことに動揺してしまう。
とにかく話の主導権を握らないと。
「ず、随分と冷静だね」
「え?まぁ別に大したことでもないから」
女子高生という容姿は変わらないのに口調と声音だけが変わって違和感を覚える。同一人物だとは到底、思えなかった。
「大したことじゃないって…。じゃあなんで学校では女子として振舞ってるのさ。バレても問題ないなら皆に言っちゃえばいいのに」
優位に立ちたいという焦りを抑えて、話の核心へと繋がる布石を打つ。
「そうだね。僕としても公言したい気持ちは山々なんだけどさ…」
そう言って彼は紅茶を一口呷った。のらりくらりと言葉を濁しているが、彼は重大なミスを犯したことに気付いていない。
「じゃ、じゃあ僕が皆に言ってあげるよ」
勝った。これでチェックメイトだ。
自ら失言したのだから逃れようがない。これで了承すれば、もちろん全員には言わないけど翔には話す。そうなれば僕の目標は達成される。仮に拒否されたとしても、バラされたくなかったら僕の言うことを聞いてと脅せばいい。完璧!まさに完全勝利だ。
僕は僕の美技に酔いしれる。
「……それは止めておいた方が良いと思うけど?」
この期に及んで何を言っているんだろうか。勢いに乗っている僕は強気に攻める。
「言ってる意味が良く分からないね。君は女装癖のある男だってことを公言したがっている。それを僕が手伝うことにどうして止めなきゃいけない理由があるの?」
「女装癖って……まぁ色々訂正したいところだけど」
玉置は悠然とティーカップを傾け一口啜ると静かにソーサーを置き、足を組んだ。
──この家をどう思う?
急な話題転換。これは話をうやむやにして逃げる気だ。僕は直感的にそう察した。
「今はそんな話してないよ。真面目に答えて」
僕は相手の首根っこを掴む勢いで逃がすものかと話の軌道修正を図る。僕の反応を見るや彼は口の端を歪めた。
「高校生の一人暮らしにしては豪華過ぎるって思うだろう?」
「……何が言いたいの?」
握っている情報は僕の方が有利なはずなのに泰然自若とした玉置の態度が僕を不安にさせる。なんでこんなに余裕でいられるんだ……。
「僕の正体をバラされたら困る人がいるってことさ」
「そ、それは君自身のことでしょ?虚勢を張るなんてらしくないよ」
「はっはっは!これが虚勢に見える?」
玉置は自信満々にソファに踏ん反り返って僕を見つめる。全くもって虚勢には見えないが、ここで引く訳にはいかないと頑として言い張る。
「み、見えるね。苦し紛れの言い逃れにしか聞こえない」
「そう…。なら二つ良いこと教えてあげるよ」
僕は固唾を呑んだ。
「一つ、僕はあのタマキ自動車創始者であり、現代表取締役社長でもある玉置玄柳の息子だってこと」
世界販売台数1位の自動車産業メーカーの息子。どうりで金持ちな訳だ。だけどそれがどうしたと言うのか。ここに来て金持ち自慢なんて無意味じゃないか。
まさかお金を渡すからこの事は秘密に、的な展開だろうか。例え五万、十万と渡されようが僕は揺らがないぞ。それが百万だろうと……百万なら考えなくもないかも知れないけど。ってそうじゃない!これはお金の問題じゃない、彼の秘密を言うか言わないか、ゼロかイチかの二者択一の話なのだから!
「もう一つは、僕が女装してることがバレないように裏で工作してくれている人が学校にいるってこと」
「……てことは」
つまりバレて都合が悪いと思うのは玉置の父親とそれを知ってて容認している学校職員ってことになる。
にわかには信じがたいけど、恐らく玉置が言いたいのは……。
「言いふらしたら、僕を消すってこと…?」
「そう言うこと……じゃないね。さすがに消せはしないんじゃないかな…」
玉置は、はははと苦笑いを浮かべる。
──ただ居ずらくさせて自己都合による退学まではできるだろうけど?
意地悪な笑みを浮かべ、サラリと答えた。
世間ではそれを消すって言うんじゃないのだろうか…。僕は生唾を呑んだ。
「う、嘘だ。そんなこと出来る訳が──」
「そう思うなら言ってみたらいいよ」
玉置は笑いながらそう言った。いつもの意地悪な笑みではなく、感情のない、ただ能面を貼り付けたみたいな笑顔だった。その言動とこの非日常的な空間とが相まって、絵空事のような話に現実味を帯びさせる。
僕の背筋を冷ややかな汗が伝った。
疑わしい話だけど、玉置の言ってることが本当なら彼自身をどうこうしようとする考え方、それ自体を変えなきゃいけないのかもしれない……。いや、まだだ。まだ出来ることがある。
「た、玉置…さんは、誰かを好きになったことってある、の?」
「また話が急に変わったね。まぁいいけど」
──無いよ
何で無いんだよ!僕は心の中で叫ぶ。
無いということは恋愛対象がどっちなのか分からないじゃないか…。やっぱり放っておけない。でもどうしたら…。万策尽きた僕は黙り込んでしまう。
「でも気になる人はいたことあるよ」
玉置の何気ない一言が一条の光となって差し込んだ。
「そ、それは女の人?」
僕はその光に縋るように、身を乗り出す勢いで尋ねた。
「え?なになに私のこと気になっちゃたの?」
玉置の纏う雰囲気が柔らかくなり、いつも通りの玉置さんに戻る。
これが二面性というものだろうか。ドアプレートを裏返すみたいに、さも簡単に男女の切り替えをして見せる彼に恐怖にも似た異様な感覚を覚える。ただ、馴染みある普段の玉置さんに戻ったことで張り詰めていた僕の緊張は少しだけ緩んだ。
「い、いや、別にそういう訳じゃないけど。ただどういう人に興味を持つのかなって…」
「やっぱり気になってるじゃない」
ニヤニヤとした視線を向けられる。
「べ、別にそんなんじゃないよ!男の玉置さんの恋愛傾向なんて興味ないし。それにそういうことを訊く流れかなって思っただけだから」
「そうかしら?それにしては随分と良い勢いで訊いてきてたみたいだったけれど?」
「ち、違う。あれは、その、ボリュームを間違っただけだから!」
「ぶふっ───。なにそれっ」
玉置はソファに倒れこんで大きく噴き出して笑った。
「きょ、今日はもう帰るよ」
彼に馬鹿にされたことと、自分の幼稚染みた言い訳が恥ずかしくて居ても立っても居られなくなった僕は戦略的撤退だと自分に言い聞かせてソファから立ち上がる。
玉置の口から直接聞けた訳ではないが、過去に気になっていた人が居たことと、現在女装しているという状況から見て、玉置の気になっていた人は多分男だということが想像できる。それが分かっただけでも今日は良しとしよう。
玄関へと向かうべく、笑い転げている玉置を横目に僕はリビングを横断していく。
「ご、ごめっっ、くっっくくっッ、ごめんなさいっっふふっふっっっ」
目に涙を浮かべながら謝られる。
「はぁ~、可笑しかった。いやごめんなさいね、お詫びに夕食をご馳走するわ」
「いいよ。家で食べるから」
「もう…そんなに怒らないでよ。あー、そうね。なら、何でも一つ武田君の言うことを聞くってのはどうかしら?」
「え?」
僕は扉の取手に掛けていた手を放して振り返る。
「あ、でもエッチなのはダメだからね?」
「だ、誰が男なんかに」
これが棚から牡丹餅というやつだろうか。思ってもみないタイミングで今日一のチャンスが巡ってくる。
でもどう伝えれば良いんだ。翔という言葉は出せないし、かと言って余りに遠回りな言い方をすると伝わらない可能性が高いし…。あ、そうか!
「な、なら誰かから好きと言われても誰とも付き合わないで欲しいんだ」
「…………はい?」
言葉の意味が通じなかったのか、きょとんとした表情をされる。ここは大事なところなので僕はもう一度丁寧に伝えることにする。
「だから、誰に告白されても──」
「いやいやいやいや、ちょっと待って。それは分かったんだけどね。あの…その、ね。それを言うってことはつまり……」
頬を紅潮させる玉置さん。
「…私のことが、好きって、こと?」
照れ隠しなのか長い黒髪を指で弄りながら俯きがちに僕を見ている。
「……え?」
僕はそんなこと言っただろうか…?
いや言ってない!言ってないよね??!僕の心の叫びは誰かに届くのだろうか。少なくとも目の前の彼、いや玉置さんには届かないだろう。
「ど、どうしてそうなるのさッ?」
「独占欲が強い…的な?」
「違うよ!どうしてお、男の玉置さんを好きになるのさ!」
断固として違う。僕がどうして玉置さんを好きにならなきゃいけないのか。しかも独占欲を掻き立てられるほどに!今までの恐喝と愚弄の数々。どこをどう解釈したらそうなると思っているのだろうか。相変わらず読めない…というかぶっ飛んだ思考の持ち主だ……。
「じゃぁ逆に訊かせて貰うけれど、どういう意味なの?」
「え、いや、だから…言葉通りの意味、というか」
「そういうことじゃなくって。それを言う目的の方よ」
思い付きで発言したために言葉に詰まってしまう。
不味い…。ここは嘘でも相手の勘違いに合わせておくべきだっただろうか…。でも今更時間は巻き戻せないし。何か、何か上手い言い訳を…。
「いや、ほら、それはさ…。玉置さんは…その、男だし、玉置さんに好意を抱く人は、多分…玉置さんが女性だって認識でくる訳で、それを、その…裏切るようなことするのはどうかと思うし……」
あぁ、僕は何を言っているんだろう。
「……でもそれって武田君には関係ないわよね?」
「いや、まぁ無いと言えば無いような、有るような…。と、とにかく、自分の性別を偽って、どっちつかずの状態で誰かと付き合うとかって、その…駄目だと思うんだ、よね…」
自分で言っていて胸が苦しくなってくる。
それは苦し紛れの弁解の末に相手の気持ちも考えないで常識を振りかざしている罪悪感からではなくて、まさしく僕自身のことでもあるからだ。
どっちつかずなのはどっちの方だよ。少なくとも今の僕にこれを言う資格は……ない。それを自分の保身のためだけに言ってしまえる僕はどれだけ最低なんだ…。自分に嫌気が差してくる。
「……性別偽って?半端者だから付き合うな…?…………何も知らない癖にッ…なんで、決め付けるの……」
「………」
「関係ないでしょ……あなたに」
静かに怒る彼の見下げたような睨みにたじろいでしまう。
「申し訳無いけれど、それは聞けないわ」
「ご、ごめん……」
「別に」
長く艶やかな黒髪を手で払い、冷たく言い放たれる。それ以上の会話は不毛だということが雰囲気から伝わってきた。
どうにかしてこの事態を収拾しなきゃと焦る気持ちは事なかれ主義の賜物か、単に罪悪感から逃れたいと思う卑しい気持ちからか、はたまた別のものなのか。今の僕には分からなかった。
ただどうしてあんな事を言ってしまったのだろうかという後悔だけが、心を締め付けるように蝕んでいた。
あぁほんとに、僕は何をしているんだろう……。
-五月十九日- 木曜日 十七時二十分~
……どうしてこうなった。
「何か飲む?」
円山の一等地。そこの高級と思われるマンションの最上階。そのだだっ広い部屋のほぼ中央に位置する、それまただだっ広いL字ソファに僕は今座っている。
「えっと、じゃぁ…お、お茶をお願いします」
場違いな雰囲気に中てられたからか変に緊張して畏まってしまう。
あれ、さっきまで僕泣いてなかったっけ?
先ほどまでの感情はどこへやら…。人はあまりに突飛な状況を前にすると強くなるらしい。いや僕の場合、強くなった訳じゃなくて驚きのあまり何もかも吹き飛んだが正しいけど。
本当にどうしてこうなったんだろう。少し前のことを思い出してみる。
────思わず泣いてしまった僕は玉置さんに無理矢理学校に連れ戻され、一階のエントランスで待ってるように言われて、玉置さんが戻ってきたら高そうな車が迎えに来てて、乗るように言われて乗ったら世界が様変わりした────と。
なるほど僕は異世界に来てしまったのかな……そんな訳ないか。自嘲気味に笑う。
さっきまで学校という日常の中にいたはずなのに、あれよあれよという間に非日常の世界に放り込まれてしまった僕の頭は少し変になっているようだった。
玉置さんって金持ちの家の子だったんだな。素行の良い彼女に納得がいった。
「お茶って緑茶?紅茶?ウーロン茶?それともルイボスティー?」
「お茶だけでそんなに用意があるの!?じゃ、じゃぁ緑茶で」
「言ってみただけ。残念ながら紅茶しかないわ」
「なら訊かなくて良くない?!」
キッチンから彼女の笑い声が聞こえてくる。本当に掴めない人だな。
僕はキッチンからそのまま上の方へと視線を向ける。部屋の中に二階がある光景がとても珍かった。こういうのなんて言うんだっけ。ロフト?あれ、メゾネット…?どっちだっけ?
「あ、あの、こんな夕方にお邪魔して本当に良かったの?」
ティーセットを乗せたトレーを両手で持ち、こちらへ歩いてくる玉置さんに質問する。
「一人暮らしだから問題ないわ」
「一人暮らしなの?!」驚きの余り大袈裟なリアクションになってしまった。
「そんなに驚くことかしら?」事も無さげに答えるとテーブルの上にトレーを置く。
「いや、だって……」
そう言って僕はもう一度室内を見渡した。
僕から見て右側には壁に据え付けられた大きいテレビ。後ろはキッチンと二階フロアが存在し、左側には二階フロアへ続く階段があって、その階段下に玄関への扉が設けられていた。正面は壁一面が幾つもの大きなガラスによって作られており、左端にはバルコニーへ出るための扉が造り付けられていた。その光景は小学生の時に使っていた温室と呼ばれるビニールハウスを彷彿とさせたが、ビニールではなくガラスで出来ているため解放感は段違いに良いことは言うまでもない。
そして、この大きな窓ガラスにはカーテンとかあるんだろうか、とそんな素朴な疑問を抱いてしまうほど、僕にとっては現実離れした空間だった。
「高校生にもなれば、親元を離れて寮暮らしやそれこそ一人暮らししてる人だって珍しくはないんじゃないかしら」
「………」
きっと志の高い人達なんだろうな。玉置さんの言う普通の高校生像に圧倒されてしまい、何も言うことが出来なかった。
──はい、どうぞ
──あ、どうも
ソーサーに乗せられた空のティーカップがテーブルに置かれる。
金の西洋唐草模様が施されたそれらには所々に小さく青いバラが咲いており、高貴な雰囲気を醸し出している。同じ装飾の施された背の高いポットから注がれた紅茶は、香りが広がるように湯気が立ち込め紅茶自体が艶めいて見えた。
大して紅茶に詳しくはないけど、とても高いものなんだろうな。気品のある香りがそれらを物語っているように感じた。
「そんなに緊張しなくても良いのよ?その紅茶だって近所のスーパーで買ったものだから」
どうやら僕の思い過ごしだったみたいだ。その言葉を聞いて僕は遠慮なくソーサーごとティーカップを持ち上げる。
「そ、そうなんだね。随分と高そうなティーカップだったからつい」
「えぇ。カップとソーサーは高いものよ」
急に手が震える。ティーカップとソーサーがカチャカチャとぶつかり、音が鳴ってしまう。それをなるべく静かにかつ丁寧にテーブルの上に置いた。
「そういうのは先に言って下さい。お願いします!」
僕は泣きながら懇願した。
「さっきから随分と大袈裟ね。別に割ったって怒りはしないわよ」
「……怒りはしないけど弁償して貰う、とか言う気でしょ?」
──正解
玉置さんは意地悪な笑みを浮かべながらそれだけ言った。どこまで本気でどこまでが冗談なのかが掴めなくて困る……。
「冗談はさておいて、そろそろ聞かせてくれないかしら?武田君が泣いていた理由を」
本当に冗談なんだろうか……。玉置さんの剽軽とした態度に訝しんでしまう。
「その、何度も言ってるけど、僕は…泣いてないから」
苦しい言い訳だ。いや、言い訳にすらなっていない。べそ掻いて意固地になった子供が「泣いてないもん」と発言しているのに近い。こんなんじゃ逃げ切れないのは明白、何か上手い言い訳を考えないと。
僕は必死に頭を回転させる。
「嘘よ。だって涙流してたでしょう?」
「それは、その…目にゴミが入って」
「……そんなに言いたくないことなの?それとも言わないように脅されてるの?」
そりゃ何があっても言える訳がない。翔と玉置さんの仲に嫉妬して焦って悔しくて、挙句気付いたら泣いてしまってた、なんて常識的に考えてそんな可笑しいことは言えない。
「本当に虐められてる訳じゃないから。ただ…僕が言いたくないだけで……」
じっと玉置さんに見据えられる。僕の表情から真意を測ろうとしているのだろうか。どこのメンタリストだよ。
僕はその視線に耐えきれなくて思わず逸らしてしまう。
「……そう。分かったわ。ごめんなさい、無理に聞き出そうとしてしまって」
僕が口を割りそうに無いのが分かったのか、玉置さんはそう言って諦めてくれる。助かった…。内心でホッと一息吐く。
「いや僕の方こそ、変に心配かけちゃってごめん…。でも本当に、何も無いから……」
「分かったわ…。でもね、風紀委員だからとかそんな他人行儀な理由じゃなくて、命の恩人で友達でもある武田君の力になりたいって思ってるの。ただそれだけだから…」
そこまで親身になってくれていることに驚いてしまう。
この言葉がどこまで本当かは分からない。だけどもし本当だと仮定するならば僕の方こそ感謝しなければならないし、恩を感じなければならないのだろう……。
でも素直になれない自分がいる。僕は本当に醜いやつだな…。
「……ありがとう」
もしかしたら翔ともそういう理由で仲良くしているのかもしれない。ただ翔は違うだろうけど。
ふと今日の放課後のことを思い出してしまう。
翔と玉置さんの楽しそうに談笑している光景……去り際の高揚した翔の声…。きっとこれからのことに期待を膨らませてるんだろうな……。
急に焦燥感がぶり返してくる。
玉置さんにいくら気が無いかもしれないとは言え、翔みたいなイケメンが言い寄ってくれば靡いてしまうのも時間の問題ではないだろうか。その可能性がある限りやっぱり油断はできない……。その可能性を潰すためにも玉置さんがどちらなのかをハッキリさせないと……。
男だった場合は想定通り、それをネタにちょっと強請ればいい。女だった場合は……これと言って策は思いついてないけど、何かを考えるしかない。それには時間が必要だから、やはりここで白黒つけておかないと後手に回ることになる……。
僕は覚悟を決めた。
──あの、さ
「もし違ってたら本当に申し訳ないと思うし、何をしても許してくれないかも知れないけど…」
「どうしたのよ?随分と回りくどい言い方ね」
玉置さんはそう言いながら、ソーサーとカップをテーブルに置いて居住まいを正した。
「な、なら遠慮なく言わせてもらうけど……」
「えぇ」
「………玉置さんって“男”だよね?」
これがタキサイキア現象と呼ばれるものなのだろうか…。
沈黙が二人を包み込み時間感覚が永遠にでもなったかのように遅く感じられる。
遠くで鳴るクラクション。
蛇口から零れ落ちた滴がシンクを叩いた。
「どうして、そう思ったのかしら?」玉置さんは笑顔のまま小首を傾げる。
「……否定はしないんだね」
両膝を揃え、その上で両手を重ね合わせた綺麗な姿勢を維持する玉置さんに追い打ちを掛けるように言葉を続けた。
玉置さんと目が合うがすぐに逸らす。
「…昨日だよ。昨日、玉置さんを保健室へ運んだ時にそうなんじゃないかって」
少しの間が空いた後、玉置さんは観念したかのように溜め息を吐くと微笑んだ。
「あははは…やっぱりそうだったのね」
「やっぱりって……」
「そう……」
──僕は男だよ
彼は被っていた仮面を脱ぎ捨てるように臆面もなく、いやむしろ清々しささえ感じさせる物言いで「男」であると言い放った。
何故こんなに冷静でいられるんだろう…。秘密を暴かれたというのに。
彼の態度が僕の予想とは全く違っていた。攻めにいったはずの僕が有利なはずなのに、先ほどと立場が変わらないことに動揺してしまう。
とにかく話の主導権を握らないと。
「ず、随分と冷静だね」
「え?まぁ別に大したことでもないから」
女子高生という容姿は変わらないのに口調と声音だけが変わって違和感を覚える。同一人物だとは到底、思えなかった。
「大したことじゃないって…。じゃあなんで学校では女子として振舞ってるのさ。バレても問題ないなら皆に言っちゃえばいいのに」
優位に立ちたいという焦りを抑えて、話の核心へと繋がる布石を打つ。
「そうだね。僕としても公言したい気持ちは山々なんだけどさ…」
そう言って彼は紅茶を一口呷った。のらりくらりと言葉を濁しているが、彼は重大なミスを犯したことに気付いていない。
「じゃ、じゃあ僕が皆に言ってあげるよ」
勝った。これでチェックメイトだ。
自ら失言したのだから逃れようがない。これで了承すれば、もちろん全員には言わないけど翔には話す。そうなれば僕の目標は達成される。仮に拒否されたとしても、バラされたくなかったら僕の言うことを聞いてと脅せばいい。完璧!まさに完全勝利だ。
僕は僕の美技に酔いしれる。
「……それは止めておいた方が良いと思うけど?」
この期に及んで何を言っているんだろうか。勢いに乗っている僕は強気に攻める。
「言ってる意味が良く分からないね。君は女装癖のある男だってことを公言したがっている。それを僕が手伝うことにどうして止めなきゃいけない理由があるの?」
「女装癖って……まぁ色々訂正したいところだけど」
玉置は悠然とティーカップを傾け一口啜ると静かにソーサーを置き、足を組んだ。
──この家をどう思う?
急な話題転換。これは話をうやむやにして逃げる気だ。僕は直感的にそう察した。
「今はそんな話してないよ。真面目に答えて」
僕は相手の首根っこを掴む勢いで逃がすものかと話の軌道修正を図る。僕の反応を見るや彼は口の端を歪めた。
「高校生の一人暮らしにしては豪華過ぎるって思うだろう?」
「……何が言いたいの?」
握っている情報は僕の方が有利なはずなのに泰然自若とした玉置の態度が僕を不安にさせる。なんでこんなに余裕でいられるんだ……。
「僕の正体をバラされたら困る人がいるってことさ」
「そ、それは君自身のことでしょ?虚勢を張るなんてらしくないよ」
「はっはっは!これが虚勢に見える?」
玉置は自信満々にソファに踏ん反り返って僕を見つめる。全くもって虚勢には見えないが、ここで引く訳にはいかないと頑として言い張る。
「み、見えるね。苦し紛れの言い逃れにしか聞こえない」
「そう…。なら二つ良いこと教えてあげるよ」
僕は固唾を呑んだ。
「一つ、僕はあのタマキ自動車創始者であり、現代表取締役社長でもある玉置玄柳の息子だってこと」
世界販売台数1位の自動車産業メーカーの息子。どうりで金持ちな訳だ。だけどそれがどうしたと言うのか。ここに来て金持ち自慢なんて無意味じゃないか。
まさかお金を渡すからこの事は秘密に、的な展開だろうか。例え五万、十万と渡されようが僕は揺らがないぞ。それが百万だろうと……百万なら考えなくもないかも知れないけど。ってそうじゃない!これはお金の問題じゃない、彼の秘密を言うか言わないか、ゼロかイチかの二者択一の話なのだから!
「もう一つは、僕が女装してることがバレないように裏で工作してくれている人が学校にいるってこと」
「……てことは」
つまりバレて都合が悪いと思うのは玉置の父親とそれを知ってて容認している学校職員ってことになる。
にわかには信じがたいけど、恐らく玉置が言いたいのは……。
「言いふらしたら、僕を消すってこと…?」
「そう言うこと……じゃないね。さすがに消せはしないんじゃないかな…」
玉置は、はははと苦笑いを浮かべる。
──ただ居ずらくさせて自己都合による退学まではできるだろうけど?
意地悪な笑みを浮かべ、サラリと答えた。
世間ではそれを消すって言うんじゃないのだろうか…。僕は生唾を呑んだ。
「う、嘘だ。そんなこと出来る訳が──」
「そう思うなら言ってみたらいいよ」
玉置は笑いながらそう言った。いつもの意地悪な笑みではなく、感情のない、ただ能面を貼り付けたみたいな笑顔だった。その言動とこの非日常的な空間とが相まって、絵空事のような話に現実味を帯びさせる。
僕の背筋を冷ややかな汗が伝った。
疑わしい話だけど、玉置の言ってることが本当なら彼自身をどうこうしようとする考え方、それ自体を変えなきゃいけないのかもしれない……。いや、まだだ。まだ出来ることがある。
「た、玉置…さんは、誰かを好きになったことってある、の?」
「また話が急に変わったね。まぁいいけど」
──無いよ
何で無いんだよ!僕は心の中で叫ぶ。
無いということは恋愛対象がどっちなのか分からないじゃないか…。やっぱり放っておけない。でもどうしたら…。万策尽きた僕は黙り込んでしまう。
「でも気になる人はいたことあるよ」
玉置の何気ない一言が一条の光となって差し込んだ。
「そ、それは女の人?」
僕はその光に縋るように、身を乗り出す勢いで尋ねた。
「え?なになに私のこと気になっちゃたの?」
玉置の纏う雰囲気が柔らかくなり、いつも通りの玉置さんに戻る。
これが二面性というものだろうか。ドアプレートを裏返すみたいに、さも簡単に男女の切り替えをして見せる彼に恐怖にも似た異様な感覚を覚える。ただ、馴染みある普段の玉置さんに戻ったことで張り詰めていた僕の緊張は少しだけ緩んだ。
「い、いや、別にそういう訳じゃないけど。ただどういう人に興味を持つのかなって…」
「やっぱり気になってるじゃない」
ニヤニヤとした視線を向けられる。
「べ、別にそんなんじゃないよ!男の玉置さんの恋愛傾向なんて興味ないし。それにそういうことを訊く流れかなって思っただけだから」
「そうかしら?それにしては随分と良い勢いで訊いてきてたみたいだったけれど?」
「ち、違う。あれは、その、ボリュームを間違っただけだから!」
「ぶふっ───。なにそれっ」
玉置はソファに倒れこんで大きく噴き出して笑った。
「きょ、今日はもう帰るよ」
彼に馬鹿にされたことと、自分の幼稚染みた言い訳が恥ずかしくて居ても立っても居られなくなった僕は戦略的撤退だと自分に言い聞かせてソファから立ち上がる。
玉置の口から直接聞けた訳ではないが、過去に気になっていた人が居たことと、現在女装しているという状況から見て、玉置の気になっていた人は多分男だということが想像できる。それが分かっただけでも今日は良しとしよう。
玄関へと向かうべく、笑い転げている玉置を横目に僕はリビングを横断していく。
「ご、ごめっっ、くっっくくっッ、ごめんなさいっっふふっふっっっ」
目に涙を浮かべながら謝られる。
「はぁ~、可笑しかった。いやごめんなさいね、お詫びに夕食をご馳走するわ」
「いいよ。家で食べるから」
「もう…そんなに怒らないでよ。あー、そうね。なら、何でも一つ武田君の言うことを聞くってのはどうかしら?」
「え?」
僕は扉の取手に掛けていた手を放して振り返る。
「あ、でもエッチなのはダメだからね?」
「だ、誰が男なんかに」
これが棚から牡丹餅というやつだろうか。思ってもみないタイミングで今日一のチャンスが巡ってくる。
でもどう伝えれば良いんだ。翔という言葉は出せないし、かと言って余りに遠回りな言い方をすると伝わらない可能性が高いし…。あ、そうか!
「な、なら誰かから好きと言われても誰とも付き合わないで欲しいんだ」
「…………はい?」
言葉の意味が通じなかったのか、きょとんとした表情をされる。ここは大事なところなので僕はもう一度丁寧に伝えることにする。
「だから、誰に告白されても──」
「いやいやいやいや、ちょっと待って。それは分かったんだけどね。あの…その、ね。それを言うってことはつまり……」
頬を紅潮させる玉置さん。
「…私のことが、好きって、こと?」
照れ隠しなのか長い黒髪を指で弄りながら俯きがちに僕を見ている。
「……え?」
僕はそんなこと言っただろうか…?
いや言ってない!言ってないよね??!僕の心の叫びは誰かに届くのだろうか。少なくとも目の前の彼、いや玉置さんには届かないだろう。
「ど、どうしてそうなるのさッ?」
「独占欲が強い…的な?」
「違うよ!どうしてお、男の玉置さんを好きになるのさ!」
断固として違う。僕がどうして玉置さんを好きにならなきゃいけないのか。しかも独占欲を掻き立てられるほどに!今までの恐喝と愚弄の数々。どこをどう解釈したらそうなると思っているのだろうか。相変わらず読めない…というかぶっ飛んだ思考の持ち主だ……。
「じゃぁ逆に訊かせて貰うけれど、どういう意味なの?」
「え、いや、だから…言葉通りの意味、というか」
「そういうことじゃなくって。それを言う目的の方よ」
思い付きで発言したために言葉に詰まってしまう。
不味い…。ここは嘘でも相手の勘違いに合わせておくべきだっただろうか…。でも今更時間は巻き戻せないし。何か、何か上手い言い訳を…。
「いや、ほら、それはさ…。玉置さんは…その、男だし、玉置さんに好意を抱く人は、多分…玉置さんが女性だって認識でくる訳で、それを、その…裏切るようなことするのはどうかと思うし……」
あぁ、僕は何を言っているんだろう。
「……でもそれって武田君には関係ないわよね?」
「いや、まぁ無いと言えば無いような、有るような…。と、とにかく、自分の性別を偽って、どっちつかずの状態で誰かと付き合うとかって、その…駄目だと思うんだ、よね…」
自分で言っていて胸が苦しくなってくる。
それは苦し紛れの弁解の末に相手の気持ちも考えないで常識を振りかざしている罪悪感からではなくて、まさしく僕自身のことでもあるからだ。
どっちつかずなのはどっちの方だよ。少なくとも今の僕にこれを言う資格は……ない。それを自分の保身のためだけに言ってしまえる僕はどれだけ最低なんだ…。自分に嫌気が差してくる。
「……性別偽って?半端者だから付き合うな…?…………何も知らない癖にッ…なんで、決め付けるの……」
「………」
「関係ないでしょ……あなたに」
静かに怒る彼の見下げたような睨みにたじろいでしまう。
「申し訳無いけれど、それは聞けないわ」
「ご、ごめん……」
「別に」
長く艶やかな黒髪を手で払い、冷たく言い放たれる。それ以上の会話は不毛だということが雰囲気から伝わってきた。
どうにかしてこの事態を収拾しなきゃと焦る気持ちは事なかれ主義の賜物か、単に罪悪感から逃れたいと思う卑しい気持ちからか、はたまた別のものなのか。今の僕には分からなかった。
ただどうしてあんな事を言ってしまったのだろうかという後悔だけが、心を締め付けるように蝕んでいた。
あぁほんとに、僕は何をしているんだろう……。
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