エクスクラメーション
第1章 Scalar 第4話 友達①
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────兄様っ。いっしょに遊びませんか? 
幼き日の私が無邪気に微笑んでいる。
「良いよ。悟は何して遊びたい?」
今の私より少しばかり年の若い兄が屈んで幼い私と目線の高さを合わせてくれる。 
「ゲーム!ス〇ブラを一緒にやりたいです!」 
あの頃は兄と一緒になってゲームすることが堪らなく嬉しかった気がする。自分にも兄と対等に競える物があるのだと思えていたから。
「じゃあ悟の部屋に行こうか」
そう言って兄は笑った。 
「はいっ!兄様!」 
兄が立ち上がり、幼い私に手を差し伸べてくれる。 
「改。貴方には遣るべき事があるでしょう」 
私が兄の手を握ろうとしたその時、険しい表情をした母が現れた。 
「母様、遣るべき事は重々承知しています。ですが今は悟と遊ぶ約束をしたところなのです。午後には必ず遣りますので、どうか今は悟との遊びに時間を使わせて下さい」 
「改。母である私に口答えする積りですか」 
「…決してそういう訳ではございません。ただ私は悟との時間も大切にしてやりたいのです」 
「はぁ…。悟に費やした時間は貴方の人生の肥やしに為るのですか?悟の相手は使用人に遣らせれば良いのです。さぁ、勉強してきなさい。部屋で先生がお待ちです」 
「そんな……」 
「まだ駄々を捏ねるのですか。いい加減お父様に報告しますよ」 
「……はい。戻ります」 
母や父に逆らうことの出来ない自分の無力さを悔しんでいるのか、それとも私に同情を寄せてくれているのか、兄は苦悶の表情を浮かべていた。 
──ごめんな悟。ゲームはまた今度一緒にやろう。それでも良いかい? 
幼少期の私と言えども空気を読めないほど子供ではない。兄の立場を鑑みるくらい、あの日の私でも容易に出来ることであった。
「兄様、謝らないでください。ボクが兄様の邪魔をしたのが悪いのです。お気になさらず勉強に専念してください」 
兄はそれでもなお悲愴な面持ちで頷くと立ち上がって私の頭を撫でてくれる。 
この家では、私は不要な子供なのだ。 
父と母は兄にご執心で、私のことは二の次三の次で無関心。
兄には価値があって、私には価値が無い。 
無価値な私はただ兄の邪魔をしないように生きるだけ。  
それが昔も今も変わらない、私に出来る唯一の役割──── 
※ ※ ※ 
-五月十八日- 水曜日 十六時半~
目が覚めた私の視界に化粧ボードの天井が映り込む。 
久々に見ちゃったな……。夢見の悪さが胸にわだかまる嫌悪感と動悸を引き起こして、私の気分を失墜させる。胸クソ悪いなぁほんと……。っといけないわ、素の私が出ちゃった。てへぺろっ。 
気怠いままに少し視線を移すと、薄桃色のカーテンが私を取り囲むように引かれているのが分かった。 
ここ、どこ…?おぼろげな記憶を辿るも明瞭としない頭ではここに至るまでの経緯を思い出せなかった。 
ちら、と右側に目をやると玉置家の使用人兼、天尚高校の保健医である鎌渡杏が見覚えのある女性物の下着を人差し指に引っ掛けてクルクルと回していた。 
あれ…?あの白の下着って私のじゃ……。そう思って視線を自分の身体に向けると、あろうことかブレザーからカーディガン、ブラウスにスカートと私が着ている物が全て捲り上げられていた。え……? 
そしてシリコン製の胸とブラの谷間越しに、あられもない私の下半身が剥き出しの野晒しでそびえ立っていた。 
「キャーーーー!!!」 
横に居る杏が慌てて私の口を下着もろとも手で押えてくる。
え、なんで私身包み剥がされてるの?!そしてなんで自分の下着で猿ぐつわされてるの!?全然理解できないんですけど!え、あ、えぇぇ?!!頭の中は軽くパニックを起こしていた。 
「安心して、玉置さん」 
素早い動きで私の口元を押さえたわりには、とても穏やかな声でここには居ない誰かに聞こえるように言葉を発した。
な、なになになにッ?誰か居るの?!私襲われるの??! 
直後、カーテンの向こう側に誰かが近付いてくる気配がする。 
「せ、先生!?大丈夫ですかッ?」 
鬼気迫った男子生徒のハスキーなボイスが聞こえる。え、ちょっと!これヤバいんじゃないの!? 
口を塞がれているため鼻息だけが荒くなる。バレちゃ不味い、そう訴えるように杏を睨んだ。 
「見られたくなかったら大人しく私に合わせなさい」 
耳元でそう囁かれ、私は首肯する。私が服従したのを見て取ると彼女は口元から下着とともに手を放した。糸引く涎が離れていく布と唇の間を艶やかに垂れる。
「あー、大丈夫だから。あなたたちは向こうに行ってて」 
「で、でも」 
「良いから。少しパニックになってるだけだから大丈夫。それとも久田くん、覗きたいのかしら?」 
どうやらカーテンの向こう側にいるのは、二組の久田翔君らしい。どうして久田君が…。再び記憶を思い返してみるも彼との接点がどこにあったかを思い出すことはできなかった。ていうか、私なんで保健室に……? 
「バッカ!ち、ちげぇよ。あ、すみません。違いますよ先生!」 
裏表を使い分けられていない馬鹿丸出しの返答が聞こえる。当然ながら杏はスルー。彼は自分が不要だと理解したのか離れていくのが足音で分かった。とりあえず一安心。そして私は捲れ上がった服を乱暴に戻した。 
「これはどういうことよッ?」私が小声で説明を求めると「お・し・お・き」とウィンクしながら杏も小声で返事する。私はふざけないでという意を込めて睨むと彼女は小さく嘆息した。 
「端的に言うと、あなた軽い接触事故に巻き込まれて気を失ってたの。それを一年二組の久田君と武田君の二人が助けてここに連れて来たってわけ」 
薄ぼんやりと僅かな記憶が蘇る。
そう言えば私、轢かれそうになった武田君のこと助けようとしたんだっけ…。助けようとしてたのは私のはずなのに、ミイラ取りがミイラになって逆に助けられることになるなんて…。肝心なところで抜けてるのよね私…。 
「そこまでは理解出来たわ。だけど私の制服とパンツを脱がせることとどう関係するのよッ?」 
「だってあなた自覚が薄いんですもの。自分の女装が学校に知れ渡ったらどうなるかちゃんと解ってる?」 
「そんなこと言われなくても──」 
「じゃあどうしてカバーパンツを当てて無いの?私言ったわよね?必ずシリコンパッドとカバーパンツを装着して外見だけじゃなく見えない部分もなりきりなさいって」 
杏は私の胸に人差し指を突き付け言葉のリズムに合わせてド突いてくる。痛いところを指摘されぐうの音も出なかった。 
「あなたを陰で支えるようにと玄柳様から言われて、こっちは東奔西走してるってのに。あなたがそんなんじゃ私の努力が水の泡でしょう?玉置悟ちゃん」 
「っ…。でも、それとこれとは話が違うわ」 
私の自覚が低かったのは認めざるを得ないかも知れないけど、制服を捲られて下着を剥かれる覚えはどこにもなかった。 
「だからお仕置きよ。身を以て辱めを受けた方が呑み込みも早いでしょう?」 
杏は不敵に笑った。
昔からそうだけど本当に鬼畜な女なのよね……。私が怪我人だということを忘れているんじゃないかしら?と思うほどにぞんざいな扱いである。
いつか目にもの見せて上げるわ、と心に誓ってはいるけど今のところそれは叶っていない。 
「それにね、武田君の方はあなたの女装に勘付いてるかもしれないわ」 
唐突な忠告に私の血の気がさぁーと引く。それじゃ私…退学ってこと……?
私の心配を汲み取ったのか「そんなに落ち込まないで。まだ可能性の話だから」と安い励ましの言葉を掛けてくれる。 
「さぁこれから二人に女の子だってことを強く印象付けなさい。それで何とかなるわ」 
そんな馬鹿なことある訳ないでしょ、と反論する隙も与えてくれないまま、彼女はカーテンを開けに行こうとする。 
「ちょ、ちょっと。私のパンツ返してッ」私は必死に小さく叫んだ。 
「あ。そうそう。ぱっと見、怪我はしてないみたいだけど何かあったら困るから来訪者用の駐車場に苫米地の車呼んでるから、それに乗って病院に行きなさい」 
私の叫びはガン無視である。家の使用人の癖になんでこんな強気なのかしら。私が両親と不仲なのを良いことに付け上がってるに違いないわ。 
──それじゃ 
そう言って、カーテンが開かれる。
え、本当に返してくれないの?私のパンツ。え、ちょっ…。 
「玉置さん」 
「ひゃいッ」思わず上擦った声が出てしまう。 
「自分で両手足動かせる?」 
杏は教員の顔付きで私に問いかける。唖然としていた私は少しでも女装がバレないようにと布団を引き寄せてコクコクと頷いた。 
「縮こまってっちゃ判らないから。ほら実際にやってみて」 
事も無さげに教員面で指示を出してくる杏に腹が立ってくる。
私はグー、パー、チョキと問題無いことを見せると、そのまま裏ピースをする。何故裏ピースかと言うと、杏はイギリスと日本のハーフであり、イギリス人にとって裏ピースは侮蔑の意味を孕んだハンドサインだからである。 
向こうで暮らしていたこともあるらしいから彼女にも伝わるはず。私はちょっとした抵抗のつもりでそれを突き付けてやった。 
「ふーん、そう……。問題無さそうね。じゃぁ次は一人で立って歩けるかしら?」 
あ、ちょっと不味いかも…。杏の怒気を孕んだ視線に背筋を悪寒が走る。 
「いや、それは……」 
「あらぁ?どうしたの?どこか痛むの?それとも一人じゃ立てない?先生がまた診て上げましょうか?」 
嘲笑を浮かべる杏は確実にSモードのスイッチが入っている。早くこの場から脱出しないと……! 
「も、問題ないです。一人で立てますから」 
とは言ったものの大丈夫かしら。私今ノーパンなのよ?さっきまで息子が少しだけいきり立ってたのよ?傍から見てバレない…かしら……。でもあんまり躊躇ってると逆に怪しまれちゃうし早くしないと。 
私は意を決すると息を吸い込んで吐いた。グロいことを想像して息子の騒めきを抑えるとゆっくり簡易ベッドから脚を出す。
そわそわとシーツの衣擦れの感覚が無垢にぶら下がる私のアレを刺激する。
変なこと考えちゃダメ……。蓮の実、蓮の実…。私は自分に暗示を掛けながら、揃えられた上靴に足を入れる。 
うん、大丈夫そう。そう確信した私は立ち上がる。 
「……ほら。大丈夫でしょう?先生」 
「あらほんとね。問題無さそうで先生安心したわ」 
私たちは互いに牽制し合うように笑顔を称える。 
「それでは先生。私はこれで失礼します」 
私は余裕を見せつけるように優雅にお辞儀する。
スカートの中って後ろから見えたりしてるのかしら。姿勢によっては案外際どいのよね……。まぁどちらにしても後ろは壁だから平気だけどね。なんて思案するに値しないことを考えるくらいにはノーパンでいることが落ち着かなかった。
よし後は早くここから脱出して、苫米地の車に乗り込むだけね。そう思った矢先── 
──待って玉置さん 
杏に引き留められる。まだ何かしてくるつもり…?私ノーパンなんだから本当に止めて貰いたいのに……。どこまで意地悪な女なのかしら。 
「今はなんとも無いかもしれないけど、頭を打ってる可能性もあるからできれば今日、それか明日には必ず病院でMRI検査受けること。もし今日行けなくて夜中に吐き気とか気分が悪くなるようならすぐにでも病院に行ってね」 
杏は真面目腐った様子で体のいいことを言う。
便宜上、言わざるを得ない台詞ってところかしら。ほんと、そう言うところ抜かりないのよね。まぁ、じゃないと父が雇うはずもないけど…。
でも良かった、これで帰れるわ。私は心の内で安堵する。
本当なら、教員面して何もっともらしいこと言ってんのよ、と一言言ってやりたい気持ちで山々だけど、無防備なスカートの中のこともあって一刻も早くこの場から去りたい私は波風立てないように彼女の話に合わせておくことにした。 
「……分かりました」 
さぁこれでさようならよ。私は踵を返す。 
──それと 
え、まだ続くの?!一体どこまで引っ張る気よッ。 
「ブラウスのボタンが一つ外れたままよ」 
何よボタンの一つくらい、どうでもいいわよ。それよりも私ノーパンなの、分かる?私は不満全開で杏を見る。近付いてきた彼女は私の耳元で囁いた。 
「やっぱり武田君、あなたを疑ってるかもしれないわ。明日以降、慎重に確かめなさい」 
退学になりたくなければ──。そう言って彼女は私のブラウスのボタンを留めてくれた。武田君か……。まぁ私の目的と絡めてどうにかしないといけなさそうね。 
「……ありがとうございます」 
形式的に礼を告げる。私は焦げ茶色した安価な革張りのソファの上に自分のスクールバックを見つけると、それを引っ掴んで保健室を後にした。 
あーもうっ最悪。どうしてこうなっちゃったかな。
白色LEDライトが照らす廊下を早足に歩きながら、今回の件を振り返る。
あのタイミングで武田君に話し掛けたのがいけなかった?上手く助けられなかったこと?そもそもカバーパンツを装着していればこんな事態にはなっていなかったかしら…。
原因を探れど何が元凶なのかは分からない。とりあえずトイレで身嗜みを整えてから車に向かわないと。 
スマホを取り出して時間を確認しようとブレザーのポケットに手を入れると、柔らかい生地の感触が手に伝わってきた。
取り出してみると桃色の小ぶりなリボン付きの下着が姿を現す。
私のパンツ!いつの間に……。私は先ほどまでの出来事を事細かに思い出してみる。
…………あ、さっきボタン留めてくれた時だわ。絶対そう。
昔スリでもしてたんじゃないの、と疑いたくなるような杏の器用さに改めて恐ろしさを感じる。 
とにかく、これでこのソワソワともお別れよ。私は小走りにトイレへと向かった。 
────兄様っ。いっしょに遊びませんか? 
幼き日の私が無邪気に微笑んでいる。
「良いよ。悟は何して遊びたい?」
今の私より少しばかり年の若い兄が屈んで幼い私と目線の高さを合わせてくれる。 
「ゲーム!ス〇ブラを一緒にやりたいです!」 
あの頃は兄と一緒になってゲームすることが堪らなく嬉しかった気がする。自分にも兄と対等に競える物があるのだと思えていたから。
「じゃあ悟の部屋に行こうか」
そう言って兄は笑った。 
「はいっ!兄様!」 
兄が立ち上がり、幼い私に手を差し伸べてくれる。 
「改。貴方には遣るべき事があるでしょう」 
私が兄の手を握ろうとしたその時、険しい表情をした母が現れた。 
「母様、遣るべき事は重々承知しています。ですが今は悟と遊ぶ約束をしたところなのです。午後には必ず遣りますので、どうか今は悟との遊びに時間を使わせて下さい」 
「改。母である私に口答えする積りですか」 
「…決してそういう訳ではございません。ただ私は悟との時間も大切にしてやりたいのです」 
「はぁ…。悟に費やした時間は貴方の人生の肥やしに為るのですか?悟の相手は使用人に遣らせれば良いのです。さぁ、勉強してきなさい。部屋で先生がお待ちです」 
「そんな……」 
「まだ駄々を捏ねるのですか。いい加減お父様に報告しますよ」 
「……はい。戻ります」 
母や父に逆らうことの出来ない自分の無力さを悔しんでいるのか、それとも私に同情を寄せてくれているのか、兄は苦悶の表情を浮かべていた。 
──ごめんな悟。ゲームはまた今度一緒にやろう。それでも良いかい? 
幼少期の私と言えども空気を読めないほど子供ではない。兄の立場を鑑みるくらい、あの日の私でも容易に出来ることであった。
「兄様、謝らないでください。ボクが兄様の邪魔をしたのが悪いのです。お気になさらず勉強に専念してください」 
兄はそれでもなお悲愴な面持ちで頷くと立ち上がって私の頭を撫でてくれる。 
この家では、私は不要な子供なのだ。 
父と母は兄にご執心で、私のことは二の次三の次で無関心。
兄には価値があって、私には価値が無い。 
無価値な私はただ兄の邪魔をしないように生きるだけ。  
それが昔も今も変わらない、私に出来る唯一の役割──── 
※ ※ ※ 
-五月十八日- 水曜日 十六時半~
目が覚めた私の視界に化粧ボードの天井が映り込む。 
久々に見ちゃったな……。夢見の悪さが胸にわだかまる嫌悪感と動悸を引き起こして、私の気分を失墜させる。胸クソ悪いなぁほんと……。っといけないわ、素の私が出ちゃった。てへぺろっ。 
気怠いままに少し視線を移すと、薄桃色のカーテンが私を取り囲むように引かれているのが分かった。 
ここ、どこ…?おぼろげな記憶を辿るも明瞭としない頭ではここに至るまでの経緯を思い出せなかった。 
ちら、と右側に目をやると玉置家の使用人兼、天尚高校の保健医である鎌渡杏が見覚えのある女性物の下着を人差し指に引っ掛けてクルクルと回していた。 
あれ…?あの白の下着って私のじゃ……。そう思って視線を自分の身体に向けると、あろうことかブレザーからカーディガン、ブラウスにスカートと私が着ている物が全て捲り上げられていた。え……? 
そしてシリコン製の胸とブラの谷間越しに、あられもない私の下半身が剥き出しの野晒しでそびえ立っていた。 
「キャーーーー!!!」 
横に居る杏が慌てて私の口を下着もろとも手で押えてくる。
え、なんで私身包み剥がされてるの?!そしてなんで自分の下着で猿ぐつわされてるの!?全然理解できないんですけど!え、あ、えぇぇ?!!頭の中は軽くパニックを起こしていた。 
「安心して、玉置さん」 
素早い動きで私の口元を押さえたわりには、とても穏やかな声でここには居ない誰かに聞こえるように言葉を発した。
な、なになになにッ?誰か居るの?!私襲われるの??! 
直後、カーテンの向こう側に誰かが近付いてくる気配がする。 
「せ、先生!?大丈夫ですかッ?」 
鬼気迫った男子生徒のハスキーなボイスが聞こえる。え、ちょっと!これヤバいんじゃないの!? 
口を塞がれているため鼻息だけが荒くなる。バレちゃ不味い、そう訴えるように杏を睨んだ。 
「見られたくなかったら大人しく私に合わせなさい」 
耳元でそう囁かれ、私は首肯する。私が服従したのを見て取ると彼女は口元から下着とともに手を放した。糸引く涎が離れていく布と唇の間を艶やかに垂れる。
「あー、大丈夫だから。あなたたちは向こうに行ってて」 
「で、でも」 
「良いから。少しパニックになってるだけだから大丈夫。それとも久田くん、覗きたいのかしら?」 
どうやらカーテンの向こう側にいるのは、二組の久田翔君らしい。どうして久田君が…。再び記憶を思い返してみるも彼との接点がどこにあったかを思い出すことはできなかった。ていうか、私なんで保健室に……? 
「バッカ!ち、ちげぇよ。あ、すみません。違いますよ先生!」 
裏表を使い分けられていない馬鹿丸出しの返答が聞こえる。当然ながら杏はスルー。彼は自分が不要だと理解したのか離れていくのが足音で分かった。とりあえず一安心。そして私は捲れ上がった服を乱暴に戻した。 
「これはどういうことよッ?」私が小声で説明を求めると「お・し・お・き」とウィンクしながら杏も小声で返事する。私はふざけないでという意を込めて睨むと彼女は小さく嘆息した。 
「端的に言うと、あなた軽い接触事故に巻き込まれて気を失ってたの。それを一年二組の久田君と武田君の二人が助けてここに連れて来たってわけ」 
薄ぼんやりと僅かな記憶が蘇る。
そう言えば私、轢かれそうになった武田君のこと助けようとしたんだっけ…。助けようとしてたのは私のはずなのに、ミイラ取りがミイラになって逆に助けられることになるなんて…。肝心なところで抜けてるのよね私…。 
「そこまでは理解出来たわ。だけど私の制服とパンツを脱がせることとどう関係するのよッ?」 
「だってあなた自覚が薄いんですもの。自分の女装が学校に知れ渡ったらどうなるかちゃんと解ってる?」 
「そんなこと言われなくても──」 
「じゃあどうしてカバーパンツを当てて無いの?私言ったわよね?必ずシリコンパッドとカバーパンツを装着して外見だけじゃなく見えない部分もなりきりなさいって」 
杏は私の胸に人差し指を突き付け言葉のリズムに合わせてド突いてくる。痛いところを指摘されぐうの音も出なかった。 
「あなたを陰で支えるようにと玄柳様から言われて、こっちは東奔西走してるってのに。あなたがそんなんじゃ私の努力が水の泡でしょう?玉置悟ちゃん」 
「っ…。でも、それとこれとは話が違うわ」 
私の自覚が低かったのは認めざるを得ないかも知れないけど、制服を捲られて下着を剥かれる覚えはどこにもなかった。 
「だからお仕置きよ。身を以て辱めを受けた方が呑み込みも早いでしょう?」 
杏は不敵に笑った。
昔からそうだけど本当に鬼畜な女なのよね……。私が怪我人だということを忘れているんじゃないかしら?と思うほどにぞんざいな扱いである。
いつか目にもの見せて上げるわ、と心に誓ってはいるけど今のところそれは叶っていない。 
「それにね、武田君の方はあなたの女装に勘付いてるかもしれないわ」 
唐突な忠告に私の血の気がさぁーと引く。それじゃ私…退学ってこと……?
私の心配を汲み取ったのか「そんなに落ち込まないで。まだ可能性の話だから」と安い励ましの言葉を掛けてくれる。 
「さぁこれから二人に女の子だってことを強く印象付けなさい。それで何とかなるわ」 
そんな馬鹿なことある訳ないでしょ、と反論する隙も与えてくれないまま、彼女はカーテンを開けに行こうとする。 
「ちょ、ちょっと。私のパンツ返してッ」私は必死に小さく叫んだ。 
「あ。そうそう。ぱっと見、怪我はしてないみたいだけど何かあったら困るから来訪者用の駐車場に苫米地の車呼んでるから、それに乗って病院に行きなさい」 
私の叫びはガン無視である。家の使用人の癖になんでこんな強気なのかしら。私が両親と不仲なのを良いことに付け上がってるに違いないわ。 
──それじゃ 
そう言って、カーテンが開かれる。
え、本当に返してくれないの?私のパンツ。え、ちょっ…。 
「玉置さん」 
「ひゃいッ」思わず上擦った声が出てしまう。 
「自分で両手足動かせる?」 
杏は教員の顔付きで私に問いかける。唖然としていた私は少しでも女装がバレないようにと布団を引き寄せてコクコクと頷いた。 
「縮こまってっちゃ判らないから。ほら実際にやってみて」 
事も無さげに教員面で指示を出してくる杏に腹が立ってくる。
私はグー、パー、チョキと問題無いことを見せると、そのまま裏ピースをする。何故裏ピースかと言うと、杏はイギリスと日本のハーフであり、イギリス人にとって裏ピースは侮蔑の意味を孕んだハンドサインだからである。 
向こうで暮らしていたこともあるらしいから彼女にも伝わるはず。私はちょっとした抵抗のつもりでそれを突き付けてやった。 
「ふーん、そう……。問題無さそうね。じゃぁ次は一人で立って歩けるかしら?」 
あ、ちょっと不味いかも…。杏の怒気を孕んだ視線に背筋を悪寒が走る。 
「いや、それは……」 
「あらぁ?どうしたの?どこか痛むの?それとも一人じゃ立てない?先生がまた診て上げましょうか?」 
嘲笑を浮かべる杏は確実にSモードのスイッチが入っている。早くこの場から脱出しないと……! 
「も、問題ないです。一人で立てますから」 
とは言ったものの大丈夫かしら。私今ノーパンなのよ?さっきまで息子が少しだけいきり立ってたのよ?傍から見てバレない…かしら……。でもあんまり躊躇ってると逆に怪しまれちゃうし早くしないと。 
私は意を決すると息を吸い込んで吐いた。グロいことを想像して息子の騒めきを抑えるとゆっくり簡易ベッドから脚を出す。
そわそわとシーツの衣擦れの感覚が無垢にぶら下がる私のアレを刺激する。
変なこと考えちゃダメ……。蓮の実、蓮の実…。私は自分に暗示を掛けながら、揃えられた上靴に足を入れる。 
うん、大丈夫そう。そう確信した私は立ち上がる。 
「……ほら。大丈夫でしょう?先生」 
「あらほんとね。問題無さそうで先生安心したわ」 
私たちは互いに牽制し合うように笑顔を称える。 
「それでは先生。私はこれで失礼します」 
私は余裕を見せつけるように優雅にお辞儀する。
スカートの中って後ろから見えたりしてるのかしら。姿勢によっては案外際どいのよね……。まぁどちらにしても後ろは壁だから平気だけどね。なんて思案するに値しないことを考えるくらいにはノーパンでいることが落ち着かなかった。
よし後は早くここから脱出して、苫米地の車に乗り込むだけね。そう思った矢先── 
──待って玉置さん 
杏に引き留められる。まだ何かしてくるつもり…?私ノーパンなんだから本当に止めて貰いたいのに……。どこまで意地悪な女なのかしら。 
「今はなんとも無いかもしれないけど、頭を打ってる可能性もあるからできれば今日、それか明日には必ず病院でMRI検査受けること。もし今日行けなくて夜中に吐き気とか気分が悪くなるようならすぐにでも病院に行ってね」 
杏は真面目腐った様子で体のいいことを言う。
便宜上、言わざるを得ない台詞ってところかしら。ほんと、そう言うところ抜かりないのよね。まぁ、じゃないと父が雇うはずもないけど…。
でも良かった、これで帰れるわ。私は心の内で安堵する。
本当なら、教員面して何もっともらしいこと言ってんのよ、と一言言ってやりたい気持ちで山々だけど、無防備なスカートの中のこともあって一刻も早くこの場から去りたい私は波風立てないように彼女の話に合わせておくことにした。 
「……分かりました」 
さぁこれでさようならよ。私は踵を返す。 
──それと 
え、まだ続くの?!一体どこまで引っ張る気よッ。 
「ブラウスのボタンが一つ外れたままよ」 
何よボタンの一つくらい、どうでもいいわよ。それよりも私ノーパンなの、分かる?私は不満全開で杏を見る。近付いてきた彼女は私の耳元で囁いた。 
「やっぱり武田君、あなたを疑ってるかもしれないわ。明日以降、慎重に確かめなさい」 
退学になりたくなければ──。そう言って彼女は私のブラウスのボタンを留めてくれた。武田君か……。まぁ私の目的と絡めてどうにかしないといけなさそうね。 
「……ありがとうございます」 
形式的に礼を告げる。私は焦げ茶色した安価な革張りのソファの上に自分のスクールバックを見つけると、それを引っ掴んで保健室を後にした。 
あーもうっ最悪。どうしてこうなっちゃったかな。
白色LEDライトが照らす廊下を早足に歩きながら、今回の件を振り返る。
あのタイミングで武田君に話し掛けたのがいけなかった?上手く助けられなかったこと?そもそもカバーパンツを装着していればこんな事態にはなっていなかったかしら…。
原因を探れど何が元凶なのかは分からない。とりあえずトイレで身嗜みを整えてから車に向かわないと。 
スマホを取り出して時間を確認しようとブレザーのポケットに手を入れると、柔らかい生地の感触が手に伝わってきた。
取り出してみると桃色の小ぶりなリボン付きの下着が姿を現す。
私のパンツ!いつの間に……。私は先ほどまでの出来事を事細かに思い出してみる。
…………あ、さっきボタン留めてくれた時だわ。絶対そう。
昔スリでもしてたんじゃないの、と疑いたくなるような杏の器用さに改めて恐ろしさを感じる。 
とにかく、これでこのソワソワともお別れよ。私は小走りにトイレへと向かった。 
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