3Rの魔法師〜魔力零の異端児は今日も誰かの魔力を糧にする〜

松尾からすけ

第37話 双子

 いきり立つグリズリーマザーを前に、誰もが全身を恐怖に苛まれながらなんとか距離を取ろうとする。しかし、ここは奴隷の処刑場、逃げ場などどこにもあるわけがない。それでも自身を待ち受ける『死の運命』からどうしても逃れたい者達は、背中が壁にぶつかり、それ以上後ろに下がれなくなろうとも、必死にその場であがいていた。

 そんな中、静かに前へと歩み出る少女が一人。トレードマークである眼鏡をクイっと上にあげながら、自分の五倍はあろう熊の化け物を見据える。

「ファ、ファラッ!!」

 クリスが手を前に出して彼女の名前を呼んだ。だが、それ以上は身体が動かない。彼の本能が目の前に立ちはだかる脅威に近づくな、と告げているせいだ。だが、それは致し方ないこと。魔力位階が高くても所詮は学生。命の危機に瀕した戦いなど経験したことはないだろう。

「あの魔物は私がひきつけておきます。クリスさんはここから出る方法を模索してください」

「は、はぁ!? ひきつけておくってお前……それにここから出る方法なんて」

「恐らく先生が入ってきた扉が出口につながっていると思います。なんとかそこをこじ開けて皆さんを連れ出してください」

 これ以上は時間の無駄だ、と言わんばかりの口調でファラが言い放つ。そして、学生服の下に忍ばせていたナイフを二本取り出し両手に構えた。

「ほぉ……温室育ちのガキの集まりかと思っていたが、自衛の手段を用意している者がいたか」

 それを見たサリバンが感心した様に顎をなぞりながら薄い笑みを浮かべる。隣に立っていた闇奴隷商のエタンがちらりとサリバンに視線を向けた。

「大人しくするように命じますかねぇ?」

「いや、これはこれで面白い催しになりそうだ。隷属魔法により弱体化しているのであろう?放っておけ」

「ひっひっひ……かしこまりました」

 エタンは下卑た笑みを浮かべながら、無謀にもグリズリーマザーに一人で挑もうとする少女に視線を戻す。

 ファラはゆっくりと息を吐き出し、戦闘態勢に入った。普段学校にいる彼女と纏う空気が明らかに変化し、まだ何かを言おうとしていたクリスはごくりとつばを飲み込む。今の彼女に声をかけることなどできない。だが、力にはなりたい。それならばファラに頼まれたことを自分は成し遂げるほかない。クリスは気持ちを切り替え、怯えて動けないクラスメートに声をかけ始めた。

「……行きます」

 クリスが自分の頼んだとおりに行動し始めてくれたことを背中に感じたファラが小さい声で呟く。そして、気を引き締め、グリズリーマザーに突っ込んでいった。

「グォォォオオオン!!」

 向かってきたファラに対し、強靭な腕を振り下ろす。その動きは予測済みであったファラは、途中で地面を蹴って左に跳んだ。だが、躱しきることができず、その鋭利な爪によって右肩が抉られる。グリズリーマザーの攻撃速度は自分の頭で思い描いていた通りであった。誤算だったのは隷属魔法による制限。

「この感じだと本来の五分の一くらいですかね」

 肩から鮮血が噴き出しているというのに、顔色一つ変えずに自分の力を分析する。そして、そのまま迷うことなく持っているナイフをグリズリーマザーの脇腹に突き立てた。しかし、刃はその分厚い毛皮に阻まれ、まったくといっていいほど通っていない。

「っ!? 硬すぎですっ!!」

 こんな攻撃では文字通り歯が立たない。素早くナイフを引くと、今度は体重を乗せた一撃を繰り出そうとしたが、それはグリズリーマザーに阻まれた。襲い来る剛腕に合わせる形で足を添え、蹴りの反動で距離を取る。

「安物のナイフじゃ厳しいですね……しかも二本しかありませんし」

 ファルが今持っているナイフは街で二束三文の値段で買えるもの。セントガルゴ学院に通うにあたって、いつも使っている武器は持っていくべきではない、とレイに言われたため、丸腰は嫌だった彼女が用意した最低限の武装。自分のはファルに比べれば大きさも全然ないため、学校に持っていったとしても目立つことはないのだが、レイに言われたら従わざるを得ない。

「これは文句の一つでも言わなきゃ気が済みませんね……まぁ、生きて帰れたらの話ですが」

 こちらに向かって走ってきているグリズリーマザーを見ながら、ファラは小さくため息を吐いた。

 目の前で繰り広げられる戦いにサリバン達は驚きを隠せずにいた。十秒持てばいい方だろうと思っていたのに、その予想は見事に裏切られる。

「何者だ? 名高い冒険者か?」

 グリズリーマザーの攻撃を紙一重で躱し続けているファラを見ながら、サリバンがアクールに問いかけた。

「わかりません……あの教師から渡された名簿にはそのような者は一人もおりませんでしたが」

 確かに学生の中でも冒険者として名を馳せている者はいる。むしろ、冒険者として名を上げたからこそ、セントがルゴ学院に入学した者もいる。だが、少なくともこのクラスにはそういった強者がいるという情報はなかった。

「隷属魔法は効いているのだな?」

「えぇ、間違いなく」

「ならば身体機能が下がっていてあの動きができるのか。……化け物だな」

「動かぬよう命じましょうかねぇ?」

「…………もう少し様子を見るとしよう」

 エタンの言葉に、少し思案してからサリバンが静かに告げる。

 驚いていたのはサリバンだけではなかった。同じクラスメートが恐ろしいモンスター相手に一歩も退かずに戦っている姿を、クリスを含めこの場にいる者達がポカンとした表情で見つめている。
 彼女が強い事は知っていた。優れた容姿に実力も兼ね備えている双子に、『従者になれ!』と意気込んでいった結果、完膚なきまでに叩きのめしたのがファラだった。あの日から自分は彼女に夢中になっていたのだ。
 そんな彼女が今、目の前で勇猛果敢に戦っている。その様はまるで蝶のように美しく舞いながらグリズリーマザーを翻弄していた。クリスはその戦いぶりを見ながら、ミサンガがついている右腕をギュッと握りしめる。
 ファラも自分と同じようにこれがついているのだ。つまり、全身を襲う脱力感を彼女も感じているはず。それなのに、あんなにも見事に戦っているのだ。

「遊びは終わりです。本気で殺しなさいグリズリーマザー」

 なんの前触れもなくアクールの声が響いた。その瞬間、グリズリーマザーの目の色が変わる。

「なっ!?」

 突然動きが変わった相手に対処しきれず、ファラはまともにその攻撃をもらった。そのまま地面を滑っていく。攻撃を受けたのは左腕、これはもう使い物にならない。それ以上に本気になったグリズリーマザーに対抗する力を今の自分は持っていない。
 吹き飛びそうになる意識を必死に保ちながら、グリズリーマザーに目を向けると、もう目前まで迫って来ていた。この攻撃を躱すすべはない。

「うおおおおおおおおおお!!」

 諦めかけていたファラの耳にやけくそ気味な怒声が聞こえた。その声に獲物目掛けて振り下ろそうとしていたグリズリーマザーの腕がピタリと止まる。その隙をついて倒れているファラを抱え込みながらクリスが地面を転がっていった。

「ク、クリスさん!?」

 上に覆いかぶさるクリスを見て、ファラは目を丸くする。だが、獲物を攫われたグリズリーマザーが怒りの咆哮を上げたので、慌ててクリスの下から抜け出し、立ち上がった。

「な、何しに来たんですか!?」

 左手をぶらんと垂らしながらファラが声を荒げる。クリスも急いで身体を起こし、ファラの隣に立った。

「お、俺も一緒に戦うぞ!」

「はっ!? 何を言ってるんですか!?」

 震える声で告げられた言葉。戦いの最中、一度も相手から視線を外さなかったファラが思わずクリスの顔を見た。

「へ、平民のお前がこんなに傷つきながら戦っているんだ! じ、上級貴族である俺様が指を咥えて見ていられるか!!」

 その顔にはありありと恐怖の色が浮かんでいる。だが、まっすぐに相手を見据えるその瞳は強い意志が宿っていた。一瞬呆けた顔でクリスを見ていたファラは怒り狂っているグリズリーマザーに視線を戻すと、微かに笑みを浮かべる。

「……本当、貴族というのは何を考えているのかさっぱりわかりません」

 そして、動かすだけで激痛が走る左腕を気力で持ち上げた。

「ですが……少しだけ見直しました」

 戦力的には何も変わっていない。むしろお荷物が追加しただけ。だが、ファラの心にある闘志の炎は消えるどころか激しく燃え上っていた。

「わ、わだすも!!」

 そんな二人を見て、いてもたってもいられなくなったフランが二人のもとに駆け出す。離れていく彼女の背中に手を伸ばしたファルの手が虚しく宙を切った。

 最初からずっと見ていた、双子の姉の奮戦を。

 自分もそこに立たなければならないことはわかっている。

 だが、どうしても思い出してしまうのだ。この血塗られた呪縛が身体を蝕むと忌まわしい記憶が鮮明に蘇ってしまう。

 どぶ臭いご飯を食べていたことが。寒空の下、布切れ一枚で放置されたことが。気を失うまで殴られたことが。

 身体の震えが止まらない。自分では制御ができなくなる。

 走り去る友を見て、ファルは頭を抱えた。その手にふと何かが当たる。

 それはヘアピンだった。自分の茶色の髪に映えるような黄色い蝶がついているヘアピン。自分達が城に保護されて間もない時にもらったレイからの大切な贈り物。

『二人にはいつも笑っていて欲しいから』

 ファラが好きになってしまったのも無理はない。そんな素敵な言葉を言われたら誰だってときめいてしまう。……自分の場合はファラがいたから『大好きな兄』という位置づけに落ち着けることができたのだが。

 いつだって笑顔でいよう……そう誓ったではないか。それが自分達を助けてくれたレイへの精一杯の恩返しになると思ったから。
 そのためにはこんな所で死ぬわけにはいかない。自分達が死ねば、きっとあの人達は悲しんでしまう。

 私もみんなにはいつも笑っていて欲しいから。

 ファルはヘアピンをギュッと握りしめると、その場で立ち上がり、全速力で走り出す。前を走っていたフランの肩を掴んでその足を止めさせながら追い抜いていき、力強く地面を蹴った。

「どっせぇぇぇぇぇぇぇぇい!!」

 自分を奮い立たせるように声を張り上げ、ファラとクリスに襲い掛かろうとしているグリズリーマザーの頭を思い切り蹴り飛ばす。思いもよらない方向からの攻撃に、グリズリーマザーはたまらずそのまま飛んでいった。

「やっぱりこの状態だと全然力でないね~! 頭を吹っ飛ばす勢いで蹴ったのに!」

 ファルは悔しそうな表情を浮かべながら、驚いている二人の前に着地する。そして、そちらに顔を向けるとバツが悪そうに頬を掻きながら曖昧な笑みを浮かべた。

「……待たせちゃってごめんね、お姉ちゃん。もう大丈夫だから」

 その言葉にハッとした表情を浮かべるファラ。涙が出そうになるのを必死に堪えると、力の入らない左腕に持つナイフをファルに手渡した。

「……時間厳守でお願いします。じゃないとボスに怒られますよ?」

「にゃはは……ボスには内緒にしといてね」

 ファルは茶目っ気たっぷりなウインクをしながら、そのナイフを受け取る。ファラは優しく微笑むと、起き上がりながら血走った目でこちらを睨むグリズリーマザーに向き直った。

「では、行きましょうか」

「そだね。ファラにした仕打ちのお礼はたっぷりしてあげないと」

 血がにじむほど握りしめたヘアピンを髪にさしながらファルもグリズリーマザーを見据える。

 二匹の蝶が今、虫籠から飛び出し、大空に舞い上がろうとしていた。

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