彼女が魔女だって? 要らないなら僕が大切に愛するよ

necoaya

40.僕に堕ちてきて

 トリシャと過ごす離宮での時間は楽しくて、過ぎるのが早い。あっという間に時間が流れた。

 朝食の後の昼寝で昼食を抜いたが、トリシャは平気なようだ。気になったので、それも調査項目に入れる。そもそも貴族家のご令嬢の手首が細いとしても、ここまで骨が浮き出るほど痩せるだろうか。

 不健康だ。細ければいいものでもないし、病的な感じもあった。トリシャは上手に隠しているが、貧血の症状もあるみたいだ。恐らくまともな食事を与えられて来なかった。

「僕はお腹が空いたから、付き合ってよ」

 軽食を用意させる。彼女が食べやすいよう、しっかりしたコース料理は要らない。丸いパンの上に具を挟んだものや、具沢山のスープに留めた。いかにもアフタヌーンティーの延長のように、さりげなく菓子や果物も用意させる。

「これ、美味しいよ」

 揚げた魚を挟んだパンを示せば、指先を包むレースの手袋を躊躇いがちに外した。

「安心して。君は僕の婚約者だからね」

 婚約者以外の異性に、肌をできるだけ隠すのは淑女の嗜みだ。こういう部分だけきっちり教えられてるのは、作為を感じた。マナーと呼ばれる分野に関して、皇室の教育担当のご夫人が満点を出すほど、トリシャの所作は洗練されている。なのに、この自信のなさと痩せ細った体のアンバランスさが、僕の庇護欲を誘ってやまなかった。

 肌を見せてもいいと理由づけしてやれば、安心した様子で手袋をテーブルの端に置いた。それからパンに手を伸ばす。

「思いっきり齧っていいよ。切って食べるなんて、この料理に対する冒涜だ」

 これがこのパンの食べ方でマナーだ。そう言い聞かせる僕に、困惑した様子ながらトリシャは濃いめのピンクに彩られた唇を開いた。白い歯の向こうでちらりと動いた舌に目を奪われる。思わずごくりと喉を鳴らしていた。彼女が齧ったパンの切り口に、紅の色が移る。それすら扇情的に見えた。

「ん、美味しいです」

「よかった。僕がよく仕事の合間に食べるんだけど……」

 つぅと彼女の手を魚のソースが流れる。拭こうとする彼女の手を遮って、手元に引き寄せて唇を寄せた。吸い上げてから、舌で舐める。じっくり味わうように、ソースではなくトリシャの香りを吸い込んだ。

「っ! エ、リク」

「ああ、ごめん。美味しそうだったんで、ついね」

 悪戯を見つかったような顔で誤魔化す。咎め損ねたトリシャは曖昧に笑って、またパンを口に運んだ。照れた頬が赤いね。こうやって無邪気さを装って、少しずつ彼女の淑女の仮面にヒビを入れよう。ひとつ譲れば、君のハードルは下がる。それを繰り返せば、いつか僕だけのトリシャが出来上がるんだ。

 僕の手に堕ちてくる天使は、どれだけ欲を、心を満たしてくれるだろう。渇いてひび割れた心を、トリシャがゆっくりと潤した。その水はまだ染み込んでも消えてしまうけれど、やがて肥沃な大地へと導く一歩だ。

「果物ならこれがお勧め。珍しい色だけど、中は優しい甘さだよ」

 表が派手なピンクだが、中は白と種だけ。種ごと食べられるから、スプーンで掬って差し出した。こんな事、前の婚約者としたことないはず。トリシャの初めては、すべて僕の物にしたい。過去の辛い記憶ではなく、彼女の新しく幸せな記憶はすべて僕と作ればいいよね。

 だって――君は僕だけの天使なのだから。

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