彼女が魔女だって? 要らないなら僕が大切に愛するよ
32.飛び立てない蝶の羽
邪魔な書類を片付けながら、僕の頭の中はトリシャの過去で一杯だった。
ベアトリス・カルネウス。その家名に聞き覚えがあった。でもすぐに思い出せなかったのは、その名が称号だったからだ。大賢者として名を馳せた男に与えられた、家名ではない称号――彼を貴族待遇で扱うために用意された。
ステンマルク国に生まれた大賢者は、類稀なる才能の持ち主として知られる。魔法かと思うほど鮮やかに問題を解決する知識、実行力、人を配置し動かす才能、下手な王族より結果を残した。水害を防ぎ、火災への予防措置を講じ、疫病に対処する。そこに職業や人種による差別はなかった。
素晴らしい人格者だ。だが、彼の才能は自分を守ることに向かなかった。功績を挙げれば挙げるほど、権力者に疎まれる。王族にしたら自分より人気のある能力者など、恐怖の対象でしかなかった。多才な大賢者に欠けていたのは――保身力だ。
貴族でも平民でも同じように治療する。それは人して見れば素晴らしいことだ。だが、平民は感謝しても貴族は違う。常に優遇されて生きてきた彼らは、平民と同等に扱われたと不満を募らせた。しかし国の発展に貢献している間は、手を出せない。彼を処罰すれば、国が貧しくなるのは目に見えていたからだ。
フォルシウス帝国が、ステンマルク王国にすぐ手を出さなかった理由も大賢者だ。軽い小競り合いを仕掛けても、大賢者によって防がれた。騒動が大きくならなければ、戦を仕掛ける理由がない。その上でこちらの弱点を突いて、動きを封じた。その手並みは先代皇帝を焦れさせたと同時に、満足させる。
僕もこの地位に就いて理解したが、一番処理に困るのは退屈だ。どの国も簡単に征服できるから、興味が湧かない。攻めることにより受け取るものも、さほど多くない。帝国の規模からしたら微々たる物を得るため、軍を動かす命令を出すことすら億劫だった。
そんな皇帝の興味を引いたのだから、大賢者は有能さに於いて比する者がない。珍獣を飼う気分で、先代皇帝はステンマルク国を放置した。
いや、皇帝は誰よりも知っていたはずだ。守られた王族は己の地位を脅かす大賢者を、自ら処分すると。愚かにも守護者を排除し、その愚行を持って帝国に滅ぼされる未来を選ぶ。知っていたから、じっくり待った。ただ傍観する帝国の思惑を訝しく思っても、大賢者に保身の意識はない。獅子身中の虫に食い荒らされるまで、大賢者は王国の忠実なる臣下だった。
大賢者に野心はなかった。王になどなりたくない。彼の心を知っていても、あの王族は愚かにも牙を剥いただろうけど。
手元の資料を綴じて、新たな封印を施す。誰かの目に触れていい資料ではない。最愛のトリシャの出生に関する話は、極秘事項として封印すべきだった。
ただ無力なトリシャでいい。彼女は僕の鳥籠で微笑み、柔らかく僕を包む羽をもつ蝶でいてくれたら。それ以上は誰も知らなくていいんだ。だから、この情報は葬らせてもらうよ。
明けていく空が、眩しい光を放つ。心得たようにカーテンを引くニルスに、封印し直した報告書を渡した。彼ならば問題なく保管する。一礼して受け取った執事はすぐに行動を起こした。
1人になった部屋で、疲れた目を手で覆いながら溜め息を吐いた。
「お願いだ、僕だけのトリシャで……何も出来ない君でいて」
守られるだけの、愛しい人でいてくれたら僕が幸せにするから。何も持たない君のままで、僕に微笑んでくれないか。そうしたら君は僕の鳥籠から逃げ出せないだろう?
ベアトリス・カルネウス。その家名に聞き覚えがあった。でもすぐに思い出せなかったのは、その名が称号だったからだ。大賢者として名を馳せた男に与えられた、家名ではない称号――彼を貴族待遇で扱うために用意された。
ステンマルク国に生まれた大賢者は、類稀なる才能の持ち主として知られる。魔法かと思うほど鮮やかに問題を解決する知識、実行力、人を配置し動かす才能、下手な王族より結果を残した。水害を防ぎ、火災への予防措置を講じ、疫病に対処する。そこに職業や人種による差別はなかった。
素晴らしい人格者だ。だが、彼の才能は自分を守ることに向かなかった。功績を挙げれば挙げるほど、権力者に疎まれる。王族にしたら自分より人気のある能力者など、恐怖の対象でしかなかった。多才な大賢者に欠けていたのは――保身力だ。
貴族でも平民でも同じように治療する。それは人して見れば素晴らしいことだ。だが、平民は感謝しても貴族は違う。常に優遇されて生きてきた彼らは、平民と同等に扱われたと不満を募らせた。しかし国の発展に貢献している間は、手を出せない。彼を処罰すれば、国が貧しくなるのは目に見えていたからだ。
フォルシウス帝国が、ステンマルク王国にすぐ手を出さなかった理由も大賢者だ。軽い小競り合いを仕掛けても、大賢者によって防がれた。騒動が大きくならなければ、戦を仕掛ける理由がない。その上でこちらの弱点を突いて、動きを封じた。その手並みは先代皇帝を焦れさせたと同時に、満足させる。
僕もこの地位に就いて理解したが、一番処理に困るのは退屈だ。どの国も簡単に征服できるから、興味が湧かない。攻めることにより受け取るものも、さほど多くない。帝国の規模からしたら微々たる物を得るため、軍を動かす命令を出すことすら億劫だった。
そんな皇帝の興味を引いたのだから、大賢者は有能さに於いて比する者がない。珍獣を飼う気分で、先代皇帝はステンマルク国を放置した。
いや、皇帝は誰よりも知っていたはずだ。守られた王族は己の地位を脅かす大賢者を、自ら処分すると。愚かにも守護者を排除し、その愚行を持って帝国に滅ぼされる未来を選ぶ。知っていたから、じっくり待った。ただ傍観する帝国の思惑を訝しく思っても、大賢者に保身の意識はない。獅子身中の虫に食い荒らされるまで、大賢者は王国の忠実なる臣下だった。
大賢者に野心はなかった。王になどなりたくない。彼の心を知っていても、あの王族は愚かにも牙を剥いただろうけど。
手元の資料を綴じて、新たな封印を施す。誰かの目に触れていい資料ではない。最愛のトリシャの出生に関する話は、極秘事項として封印すべきだった。
ただ無力なトリシャでいい。彼女は僕の鳥籠で微笑み、柔らかく僕を包む羽をもつ蝶でいてくれたら。それ以上は誰も知らなくていいんだ。だから、この情報は葬らせてもらうよ。
明けていく空が、眩しい光を放つ。心得たようにカーテンを引くニルスに、封印し直した報告書を渡した。彼ならば問題なく保管する。一礼して受け取った執事はすぐに行動を起こした。
1人になった部屋で、疲れた目を手で覆いながら溜め息を吐いた。
「お願いだ、僕だけのトリシャで……何も出来ない君でいて」
守られるだけの、愛しい人でいてくれたら僕が幸せにするから。何も持たない君のままで、僕に微笑んでくれないか。そうしたら君は僕の鳥籠から逃げ出せないだろう?
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