《完結》腐敗した世界の空で、世界最強のドラゴンは、3人の少女を竜騎士に育てます。
8-1.悪夢のつづき
緑草豊かな丘陵が広がっていた。その向こうには砂地が見える。
砂地の向こうには広大な水の広がりが見えた。宝石を散りばめたかのように水面がかがやいていた。
海だ。
都市竜から見下ろしたことがあった。けれど、こうして地上から見渡すのは、はじめてのことだった。
地上?
自分はどうして地上にいるのだろうか……と、シャルリスは疑問を抱いた。
地上の景色が、こんなに鮮やかなはずがない。赤い瘴気で世界はくすんでいるはずだ。
なのに、丘陵はこんなにも緑だし、海面はあんなにも青かった。
匂い立つ草の匂い。吹き付けてくる潮の香り。どれも都市竜の上では嗅ぐことの出来ないものだった。良い匂いかと問われると答えに窮する。だけど、新鮮だ。
「ん?」
よくよく自分のカラダを見てみると、手足が鉄枷で縛られていた。
左右に太い鉄柱がたてられている。
シャルリスの右手と右足は、右の鉄柱に。左手と左足は左の鉄柱に鎖でつながれてあった。
そして地上よりもすこし高い位置にハリツケにされていた。
「んんんッ?」
カラダが大の字になっている。
身もだえするぐらいのことしか出来なかった。
シャルリスがカラダを動かすたびに、鎖がジャラジャラと不気味な音をたてた。
足元。
柱のあいだにはドラゴンの顔があった。大きく口を開けている。地獄のように赤黒いノドの奥が見えた。
「え、ウソでしょ……」
クチが迫ってくる。熱風のような吐息が吹きつけてきた。
股に――かぶりついてきた。ドラゴンの獰猛な歯が、股から胴体の肉をえぐりとった。激痛に襲われた。
そして、
目が覚めた。
「はぁ……はぁ……」
シャルリスのカラダは冷や汗で濡れていた。雨に打たれたかのように濡れていた。
石造りの天井が見えた。
木造ベッドで眠っていたようだ。
シワクチャになっているシーツを手繰り寄せた。その行為には、べつに意味はない。ただ、なんとなく、不安だった。
夢のなかで、ドラゴンにかぶられた痛みが、なまなましかった。
自分の肉体がちぎれているんじゃないかと心配になった。
確認してみた。傷ひとつなかった。
「夢――」
「いいや。記憶じゃ」
返答がある。
シャルリスの右のワキバラのところから、人の顔が生えていた。
血のように赤い目をした少女。あまりに目が大きいせいか不気味な雰囲気があった。裂けた頬を縫い合わせるようにして、糸が通されている。
ルガル・バトリ。
通称【腐肉の暴食】。
クチや目には、人とは思えぬ狂気を帯びていたけれど、パッと見た感じでは、無垢な少女に見えなくもない。
「チョット、勝手に出てこないで欲しいっスよ」
バトリの顔を、ワキバラに押しこんだ。今度は左のワキバラから出てきた。
「そう愛想のないことを言うでないわ。ワシとオヌシは一心同体なんじゃからな」
「こんなカラダじゃ、お嫁に行けないっス」
「あのロンとかいう、竜人族の末裔の嫁か?」
「なっ……」
心を読まれたことに赤面をおぼえた。
「わかりやすい娘じゃな。安心せい。ワシはべつにオヌシの心までは読まんからな。ただのカマカケじゃ」
キヒヒ……と、バトリは魔女のような声をあげて笑った。クチが頬まで裂けているから、そんな笑い方になるのかもしれない。
「はぁ」
と、シャルリスはため息とともに、ベッドから起き上がった。
ベッドが1つあるだけの、石造りの部屋。窓はない。
天井から、カンテラがつるされている。カンテラのなかには、魔法の光が閉じ込められている。室内は白く照らされている。
トビラは堅牢そうだった。おそらく、ドラゴンのウロコを加工してつくられたものだ。
採血をした後だった。
針を刺されたときの痛みが、まだ右腕に残っていた。血を採られすぎて、すこしメマイがしたから、医務室ですこし休ませてもらうことにしたのだ。
この部屋はたぶん、シャルリス専用につくられた医務室だ。【腐肉の暴食】が出てきても大丈夫なように、警戒されているのだ。
「ご機嫌ナナメなようじゃな」
「そりゃ、あんたみたいな怪物に寄生されて、機嫌が良くなるはずないっスよ。あんたのせいで、色々とメチャクチャなんっスから」
採血も、シャルリスを――【腐肉の暴食】に寄生されたシャルリスを――調べるためのものだ。
「ワシのほうも、オヌシみたいになんの取り柄もない小娘に、抑え込まれるとは想定外じゃったわ」
見習い竜騎士の水汲み試験のさいに、シャルリスのカラダはバトリに支配されようとした。
しかしシャルリスは抗ったのだ。
バトリのことを体内に押しとどめた。
シャルリスのチカラ――というよりも、ロンの必死の呼びかけがあったからだとも思う。
「で、さっきの夢はなんっスか? 記憶って?」
さきほどの夢――。
採血の痛みよりも、そちらのほうが気になる。ドラゴンに噛みつかれたときの痛みが、まだ残っていた。
「ワシの、記憶じゃ。こうしてカラダを共有しているから、流入したんじゃろう」
「あれが?」
柱にくくりつけられて、カラダを噛まれる記憶。
凄惨たるものだ。
「ワシは【腐肉の暴食】。不死身の再生力は、実験によってつくられたものじゃ。ドラゴンの餌にするためにな。じゃから、ワシは暴食され続けた。食われては再生して。その繰り返しじゃ。そのさいの記憶じゃろう」
「ウソでしょう」
「なぜ、そう思うか?」
「だって、ゾンビに痛覚はないっスから」
「ワシの体内に入り込んでいる《不死の魔力》は、たしかに痛覚を消してくれる」
「やっぱり」
「しかし、始祖は通常のゾンビと違う。理性が残っておる。その痛みを幻覚することはある。いや。錯覚というべきかのぉ」
「そう……っスか」
なら――。
さっきの夢で感じた痛みは、バトリの記憶なのか。
ドラゴンに噛まれても、バトリが死ぬことはないのだ。痛覚がないにしろ、まるで拷問のような記憶だった。
チョットだけバトリにたいして憐憫の情をいだいた。
だからと言って、シャルリスの肉体をバトリに明け渡そうとは思わない。
「怖ろしいじゃろう。ドラゴンの餌として開発されて、永遠に食われつづける人生じゃった。ちぎれた肉は再生してゆき、ワシを殺してはくれんのじゃ。どれほど死にたいと願ったことか」
シャルリスはそれを笑顔で語る。怪談めかして、シャルリスを怖がらせてやろうとするような気配があった。
「そのときにワシは決意したわけじゃ。この世から人間とドラゴンを駆逐してやろうとな」
「どれぐらい噛まれてたっスか」
「年月までは覚えておらんが、ワシの流した血の量ならわかるであろう」
「どうやって?」
「この世界に満ちておるであろうが。ワシの血の気化したものが」
「それって、瘴気のことっスか」
「あれはワシの流した血が、気化したものじゃからな。世界を満たすほどじゃ。まぁ、当時流したものだけではないがな」
あの瘴気は――。
地上にただよっている赤い空気は、バトリの血なのか……。
そう言えば、そんなことを言っていた気もする。
「ってッ、待つっスよ。それじゃあ今も、その能力が使えるっスか」
ここで血を瘴気に変えられたら、都市に住んでいる人たちが被害を受けることになる。その想像に冷や汗を覚える。
「安心せい。オヌシに封じ込められているあいだは、そのチカラは使えぬ。というか、ワシが出て来ようとすれば、オヌシが封じ込めるんじゃから。せいぜい出来るのは、これぐらいじゃ」
バトリはそう言うと、シャルリスの着ている竜騎士の制服の下で、モゾモゾと動いた。どうやら腕を生やしているらしい。何をしているのかと思えば、シャルリスの乳房をモんできた。
「ヒャッ」
「ほれほれ。どうじゃ」
「チョット、やめるっスよ」
「意外とふくらみがあるではないか。これはワシよりあるぞ」
「やめろって言ってるでしょうが!」
シャルリスは意識を集中して、バトリの腕を封じ込めた。
自分の輪郭を意識すれば、バトリのことを、自分のなかに封じ込めることが出来た。
誰にも理解してもらえない感覚だろう。なにせ、バトリに寄生されているのは、この世界にシャルリスひとりしかいないのだ。
「まぁ、今はこの程度しか出来んというわけじゃ。まさかオヌシみたいな小娘に封じ込められるとは思いもせんなんだ。あの竜人族の末裔との戦いでの消耗が、いまだ尾を引いておるのやもしれんなぁ」
「今度同じことしたら、タダじゃすまないっスよ。都市竜に食べてもらって、一緒に消化されてやるっスからね」
「そしたらオヌシが死ぬではないか」
「心中っスよ」
「それでもワシは死なんから、オヌシが死ぬだけじゃ。むしろオヌシが死んでくれるなら、好都合じゃ」
今は胸をモまれただけで済んだが、油断していると何をされるかわかったもんじゃない。寝ているあいだなんかは、大丈夫だろうか、と心配になる。
「変なものに取り憑かれて、最悪っス」
「まぁ。ワシにとっては、オヌシは非常に良い宿じゃ。感謝する」
「どういう意味っスか?」
「なにせ、オヌシには、あの竜人族の末裔が情を移しておるからな。ここに住んでいるかぎりは、駆除されずに済む。残念なことに、あいつはワシよりも強いからのぉ。それも桁違いに」
「ロン隊長が、あんたなんかに負けるわけないっス」
「せいぜい媚を売っておいてくれ」
なんだか淫猥な響きに聞こえて、シャルリスは赤面をおぼえた。
コンコン……トビラがノックされた。
バトリにイタズラされた服を、あわててととのえた。
「どうぞ」
「声が聞こえたが、何かあったか?」
入ってきたのは、ロンだった。
黒髪に黒目の風変りな特徴をしている。右の耳には常にイヤリングがつるされている。
覇気のない顔をしているが、それが逆にミステリアスな雰囲気を発散していた。
頼りになる人だということを、シャルリスは知っている。この人が傍にいてくれるならば、バトリのこともどうにかなるだろう、と思えるのだった。
「ちょっとバトリと話をしていただけっスよ」
「こやつの胸は、なかなか良い大きさをしておる。これは将来が楽しみであったぞ」
と、シャルリスの手の甲に、バトリの口が出てきてそう言った。
あわてて叩き潰す。
「なんでもないっスからね。こいつの言うことは気にしなくても良いっスよ」
シャルリスが、ロンに向けて抱いている心情を告げ口されたら、たまったもんじゃない。
「まぁ、仲良くやっているようで何よりだ」
「ぜんぜん、仲良くなんかないっスけどね」
ロンは何事も茶化すことが多い。本気で仲良くやっていると思っているわけではないだろう。
「どうだ? もう動けるか?」
「大丈夫っスよ。ボクの血については、何か研究がすすんでるんっスか?」
シャルリスはゾンビに噛まれたが、バトリに寄生されている影響もあって、ゾンビにならずに済んだ。
その点からかんがみるに、バトリにはゾンビ化を治癒するチカラがあるのではないか、と期待されている。
で。
定期的に、採血されているのだ。
バトリの存在は、ほかにも有益な情報をもたらしてくれるだろう。
それぐらいシャルリスにもわかる。
「ボチボチってところみたいだ」
「そう簡単には判明しないっスか」
「まぁ、気にすることはない――って言うほうが難しいだろうが、シャルリスは、シャルリスだ。それは変わらん」
「はいっス」
たいして深い意味があってクチにした言葉ではないかもしれない。それでもロンの言葉はうれしかった。
バトリに寄生されて、自分という輪郭が曖昧になっているから、余計に響いたのかもしれない。
「じゃあ、行くか」
「お願いするっスよ」
と、シャルリスはベッドから抜け出た。
先月。シャルリスは正式な竜騎士になることが出来た。これから、その訓練だった。
ぐら――っ、と都市竜が揺れた。カラダがよろめいて、ロンに抱きつくようなカッコウになってしまった。
「なんだ? 地震か?」
都市竜が起こす振動は、魔法で伝わらないようになっているはずだ。地震なんて起きるのは珍しい。
「さあ。なんかあったっスかね」
べつに気に留めるほど大きな振動でもなかったので、すぐに忘れることになった。
砂地の向こうには広大な水の広がりが見えた。宝石を散りばめたかのように水面がかがやいていた。
海だ。
都市竜から見下ろしたことがあった。けれど、こうして地上から見渡すのは、はじめてのことだった。
地上?
自分はどうして地上にいるのだろうか……と、シャルリスは疑問を抱いた。
地上の景色が、こんなに鮮やかなはずがない。赤い瘴気で世界はくすんでいるはずだ。
なのに、丘陵はこんなにも緑だし、海面はあんなにも青かった。
匂い立つ草の匂い。吹き付けてくる潮の香り。どれも都市竜の上では嗅ぐことの出来ないものだった。良い匂いかと問われると答えに窮する。だけど、新鮮だ。
「ん?」
よくよく自分のカラダを見てみると、手足が鉄枷で縛られていた。
左右に太い鉄柱がたてられている。
シャルリスの右手と右足は、右の鉄柱に。左手と左足は左の鉄柱に鎖でつながれてあった。
そして地上よりもすこし高い位置にハリツケにされていた。
「んんんッ?」
カラダが大の字になっている。
身もだえするぐらいのことしか出来なかった。
シャルリスがカラダを動かすたびに、鎖がジャラジャラと不気味な音をたてた。
足元。
柱のあいだにはドラゴンの顔があった。大きく口を開けている。地獄のように赤黒いノドの奥が見えた。
「え、ウソでしょ……」
クチが迫ってくる。熱風のような吐息が吹きつけてきた。
股に――かぶりついてきた。ドラゴンの獰猛な歯が、股から胴体の肉をえぐりとった。激痛に襲われた。
そして、
目が覚めた。
「はぁ……はぁ……」
シャルリスのカラダは冷や汗で濡れていた。雨に打たれたかのように濡れていた。
石造りの天井が見えた。
木造ベッドで眠っていたようだ。
シワクチャになっているシーツを手繰り寄せた。その行為には、べつに意味はない。ただ、なんとなく、不安だった。
夢のなかで、ドラゴンにかぶられた痛みが、なまなましかった。
自分の肉体がちぎれているんじゃないかと心配になった。
確認してみた。傷ひとつなかった。
「夢――」
「いいや。記憶じゃ」
返答がある。
シャルリスの右のワキバラのところから、人の顔が生えていた。
血のように赤い目をした少女。あまりに目が大きいせいか不気味な雰囲気があった。裂けた頬を縫い合わせるようにして、糸が通されている。
ルガル・バトリ。
通称【腐肉の暴食】。
クチや目には、人とは思えぬ狂気を帯びていたけれど、パッと見た感じでは、無垢な少女に見えなくもない。
「チョット、勝手に出てこないで欲しいっスよ」
バトリの顔を、ワキバラに押しこんだ。今度は左のワキバラから出てきた。
「そう愛想のないことを言うでないわ。ワシとオヌシは一心同体なんじゃからな」
「こんなカラダじゃ、お嫁に行けないっス」
「あのロンとかいう、竜人族の末裔の嫁か?」
「なっ……」
心を読まれたことに赤面をおぼえた。
「わかりやすい娘じゃな。安心せい。ワシはべつにオヌシの心までは読まんからな。ただのカマカケじゃ」
キヒヒ……と、バトリは魔女のような声をあげて笑った。クチが頬まで裂けているから、そんな笑い方になるのかもしれない。
「はぁ」
と、シャルリスはため息とともに、ベッドから起き上がった。
ベッドが1つあるだけの、石造りの部屋。窓はない。
天井から、カンテラがつるされている。カンテラのなかには、魔法の光が閉じ込められている。室内は白く照らされている。
トビラは堅牢そうだった。おそらく、ドラゴンのウロコを加工してつくられたものだ。
採血をした後だった。
針を刺されたときの痛みが、まだ右腕に残っていた。血を採られすぎて、すこしメマイがしたから、医務室ですこし休ませてもらうことにしたのだ。
この部屋はたぶん、シャルリス専用につくられた医務室だ。【腐肉の暴食】が出てきても大丈夫なように、警戒されているのだ。
「ご機嫌ナナメなようじゃな」
「そりゃ、あんたみたいな怪物に寄生されて、機嫌が良くなるはずないっスよ。あんたのせいで、色々とメチャクチャなんっスから」
採血も、シャルリスを――【腐肉の暴食】に寄生されたシャルリスを――調べるためのものだ。
「ワシのほうも、オヌシみたいになんの取り柄もない小娘に、抑え込まれるとは想定外じゃったわ」
見習い竜騎士の水汲み試験のさいに、シャルリスのカラダはバトリに支配されようとした。
しかしシャルリスは抗ったのだ。
バトリのことを体内に押しとどめた。
シャルリスのチカラ――というよりも、ロンの必死の呼びかけがあったからだとも思う。
「で、さっきの夢はなんっスか? 記憶って?」
さきほどの夢――。
採血の痛みよりも、そちらのほうが気になる。ドラゴンに噛みつかれたときの痛みが、まだ残っていた。
「ワシの、記憶じゃ。こうしてカラダを共有しているから、流入したんじゃろう」
「あれが?」
柱にくくりつけられて、カラダを噛まれる記憶。
凄惨たるものだ。
「ワシは【腐肉の暴食】。不死身の再生力は、実験によってつくられたものじゃ。ドラゴンの餌にするためにな。じゃから、ワシは暴食され続けた。食われては再生して。その繰り返しじゃ。そのさいの記憶じゃろう」
「ウソでしょう」
「なぜ、そう思うか?」
「だって、ゾンビに痛覚はないっスから」
「ワシの体内に入り込んでいる《不死の魔力》は、たしかに痛覚を消してくれる」
「やっぱり」
「しかし、始祖は通常のゾンビと違う。理性が残っておる。その痛みを幻覚することはある。いや。錯覚というべきかのぉ」
「そう……っスか」
なら――。
さっきの夢で感じた痛みは、バトリの記憶なのか。
ドラゴンに噛まれても、バトリが死ぬことはないのだ。痛覚がないにしろ、まるで拷問のような記憶だった。
チョットだけバトリにたいして憐憫の情をいだいた。
だからと言って、シャルリスの肉体をバトリに明け渡そうとは思わない。
「怖ろしいじゃろう。ドラゴンの餌として開発されて、永遠に食われつづける人生じゃった。ちぎれた肉は再生してゆき、ワシを殺してはくれんのじゃ。どれほど死にたいと願ったことか」
シャルリスはそれを笑顔で語る。怪談めかして、シャルリスを怖がらせてやろうとするような気配があった。
「そのときにワシは決意したわけじゃ。この世から人間とドラゴンを駆逐してやろうとな」
「どれぐらい噛まれてたっスか」
「年月までは覚えておらんが、ワシの流した血の量ならわかるであろう」
「どうやって?」
「この世界に満ちておるであろうが。ワシの血の気化したものが」
「それって、瘴気のことっスか」
「あれはワシの流した血が、気化したものじゃからな。世界を満たすほどじゃ。まぁ、当時流したものだけではないがな」
あの瘴気は――。
地上にただよっている赤い空気は、バトリの血なのか……。
そう言えば、そんなことを言っていた気もする。
「ってッ、待つっスよ。それじゃあ今も、その能力が使えるっスか」
ここで血を瘴気に変えられたら、都市に住んでいる人たちが被害を受けることになる。その想像に冷や汗を覚える。
「安心せい。オヌシに封じ込められているあいだは、そのチカラは使えぬ。というか、ワシが出て来ようとすれば、オヌシが封じ込めるんじゃから。せいぜい出来るのは、これぐらいじゃ」
バトリはそう言うと、シャルリスの着ている竜騎士の制服の下で、モゾモゾと動いた。どうやら腕を生やしているらしい。何をしているのかと思えば、シャルリスの乳房をモんできた。
「ヒャッ」
「ほれほれ。どうじゃ」
「チョット、やめるっスよ」
「意外とふくらみがあるではないか。これはワシよりあるぞ」
「やめろって言ってるでしょうが!」
シャルリスは意識を集中して、バトリの腕を封じ込めた。
自分の輪郭を意識すれば、バトリのことを、自分のなかに封じ込めることが出来た。
誰にも理解してもらえない感覚だろう。なにせ、バトリに寄生されているのは、この世界にシャルリスひとりしかいないのだ。
「まぁ、今はこの程度しか出来んというわけじゃ。まさかオヌシみたいな小娘に封じ込められるとは思いもせんなんだ。あの竜人族の末裔との戦いでの消耗が、いまだ尾を引いておるのやもしれんなぁ」
「今度同じことしたら、タダじゃすまないっスよ。都市竜に食べてもらって、一緒に消化されてやるっスからね」
「そしたらオヌシが死ぬではないか」
「心中っスよ」
「それでもワシは死なんから、オヌシが死ぬだけじゃ。むしろオヌシが死んでくれるなら、好都合じゃ」
今は胸をモまれただけで済んだが、油断していると何をされるかわかったもんじゃない。寝ているあいだなんかは、大丈夫だろうか、と心配になる。
「変なものに取り憑かれて、最悪っス」
「まぁ。ワシにとっては、オヌシは非常に良い宿じゃ。感謝する」
「どういう意味っスか?」
「なにせ、オヌシには、あの竜人族の末裔が情を移しておるからな。ここに住んでいるかぎりは、駆除されずに済む。残念なことに、あいつはワシよりも強いからのぉ。それも桁違いに」
「ロン隊長が、あんたなんかに負けるわけないっス」
「せいぜい媚を売っておいてくれ」
なんだか淫猥な響きに聞こえて、シャルリスは赤面をおぼえた。
コンコン……トビラがノックされた。
バトリにイタズラされた服を、あわててととのえた。
「どうぞ」
「声が聞こえたが、何かあったか?」
入ってきたのは、ロンだった。
黒髪に黒目の風変りな特徴をしている。右の耳には常にイヤリングがつるされている。
覇気のない顔をしているが、それが逆にミステリアスな雰囲気を発散していた。
頼りになる人だということを、シャルリスは知っている。この人が傍にいてくれるならば、バトリのこともどうにかなるだろう、と思えるのだった。
「ちょっとバトリと話をしていただけっスよ」
「こやつの胸は、なかなか良い大きさをしておる。これは将来が楽しみであったぞ」
と、シャルリスの手の甲に、バトリの口が出てきてそう言った。
あわてて叩き潰す。
「なんでもないっスからね。こいつの言うことは気にしなくても良いっスよ」
シャルリスが、ロンに向けて抱いている心情を告げ口されたら、たまったもんじゃない。
「まぁ、仲良くやっているようで何よりだ」
「ぜんぜん、仲良くなんかないっスけどね」
ロンは何事も茶化すことが多い。本気で仲良くやっていると思っているわけではないだろう。
「どうだ? もう動けるか?」
「大丈夫っスよ。ボクの血については、何か研究がすすんでるんっスか?」
シャルリスはゾンビに噛まれたが、バトリに寄生されている影響もあって、ゾンビにならずに済んだ。
その点からかんがみるに、バトリにはゾンビ化を治癒するチカラがあるのではないか、と期待されている。
で。
定期的に、採血されているのだ。
バトリの存在は、ほかにも有益な情報をもたらしてくれるだろう。
それぐらいシャルリスにもわかる。
「ボチボチってところみたいだ」
「そう簡単には判明しないっスか」
「まぁ、気にすることはない――って言うほうが難しいだろうが、シャルリスは、シャルリスだ。それは変わらん」
「はいっス」
たいして深い意味があってクチにした言葉ではないかもしれない。それでもロンの言葉はうれしかった。
バトリに寄生されて、自分という輪郭が曖昧になっているから、余計に響いたのかもしれない。
「じゃあ、行くか」
「お願いするっスよ」
と、シャルリスはベッドから抜け出た。
先月。シャルリスは正式な竜騎士になることが出来た。これから、その訓練だった。
ぐら――っ、と都市竜が揺れた。カラダがよろめいて、ロンに抱きつくようなカッコウになってしまった。
「なんだ? 地震か?」
都市竜が起こす振動は、魔法で伝わらないようになっているはずだ。地震なんて起きるのは珍しい。
「さあ。なんかあったっスかね」
べつに気に留めるほど大きな振動でもなかったので、すぐに忘れることになった。
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