これで終わりじゃないよね?
第十八話 かつての自分
ほんの数年前の春。高校の入学式の日。
その時の俺は不安の欠片も無く、期待で満ち満ちていた。なぜかというと、中学の頃の自分と決別する覚悟を決めていたからだ。
――俺の中学生活はとても悲惨だった。
荻原の知る「神川亜希」のように、ずっとクラス内で一人。
親しい友人も居ない、暗くて無口なヤツになっていたと思う。
中学校生活が始まって間もない入学後は、自然と気の合う生徒同士でグループが形成されていく。しかし、俺はどのグループにも属さず、かといって全員にフランクに接することなど到底できることではなかったので、いつの間にかクラス内で孤立していたのだ。
誰も俺には話しかけてこない。確かに存在しているのに、人の目には見えない透明人間。ただ、学校が終わるまでの七〜八時間の道程を無味乾燥に消化していくだけ。毎日がつまらない。最悪だった。
心機一転、変わるために行動を起こそうか? と思った時もあったが、何をしようにもプレッシャーで竦み、口を開くことも叶わなかった。元々、内向的で控えめな性格だったという要因もあったのだとは思うが、何より、透明人間が突然目に見える姿を表した時の周囲の視線、反応。つまり「異質になる」ということが怖い。それが怖くて堪らなかったのだろう。
でも、そんな環境に慣れてくると、次第に今のままで居ることがある意味幸せなのかもしれない、と考えるようになった。いじめ、中傷などをされることも無く、楽しい事も何も無いが、影でひっそりと、波が立たない「平和な日常」を過ごす事が出来るんだ。それだけで良いだろう、と。
結局、俺は何もせず……いや、出来ず、ただ悪戯に時間が流れるのを待っていただけだった。次の学年に進級してもそんな平和な日常がずっと続き、このまま卒業してしまうんだろうな……と漠然と構えていた。
そして俺は三年の冬、不登校になった――。
きっかけは進路相談。いざ将来のことについて正面から向き合ってみると、急に胸が締め付けられたのだ。有刺鉄線で心臓をグルグル巻きにされたかのように激痛が走った。と同時に、将来と向き合い……じゃあないか。将来についてを真面目に考えたとき、過去を振り返る。その時だ。その時、俺の中で何かが崩れたんだ。それは、たった一ヶ所が欠落するだけで、なぜこんなにもボロボロ崩れ落ちてしまうのかと言うくらい簡単に崩壊して行く、必死に形だけを取り繕った俺の城だった。
今まで送ってきた平和な日常。それがまた何年も続く……。俺は今の状況しか考えていなかったのだということを肌で実感した。この進路相談の日を境に、俺は登校する気力を無くし、家に引きこもりがちになった。
その後、俺は卒業まで登校することはあまり無かったが、自室に閉じこもっている間「どうすれば平和な日常から脱却出来るのか」「どうすれば変わることが出来るのか」「自分の存在価値」「生きる理由」などを延々と考えていた。日中でもカーテンを閉め切り、暗い部屋の中で光を求めた。
しかし、どんなに考えても明確な答えは出ない。俺が思う答えしか出ない。そりゃそうだろうな。唯一の答えなんて誰も知らないんだから。あるかどうかも分からないし……。
――そうだ。この頃だ。俺はこの頃から、どんなくだらないことでもその意味、理由、答えを考えるようになったんだっけ。何かを考えている間は時間も忘れられる。ふと我に返った時は虚しさを感じてしまうが、考えている最中つまらないと感じることはない。だから、考えることは平和な日常に潤いをもたらす、一種の「エッセンス」として俺の中で機能しているのだろう。
そのエッセンスは、「どうすれば変わることが出来るのか」という当時の俺には一番必要な答えを与えてくれた。その答えとは、「思い込ませてしまえば良い」というものだ。
社交性があり、どんな人とも分け隔てなく接するが、常に一定の距離を保ち、馴れ合いを好まないさばさばとした人――。
これが俺の理想とする人物像だった。この俺の理想を演じ、そう思い込ませる。それだけだ。
周囲に「高月望という人はこういう人間なんだ」と思い込ませ、それを固定観念にまで昇華させる……。これは自分なりの答えだとしても十分なものじゃないだろうか? だが、答え合わせには行動が伴う。ここが鬼門だった。
今までの自分を変え、平和な日常に変化を加えるためには、まず人と会話し、幅広い人間と関わりを持つことが必要だ。しかし俺は元来、内向的で社交性に欠ける。演じるとはいえ、今のままではメッキが剥がれてすぐ平和な日常に逆戻りしてしまうことは明らかだった。性格を百八十度変えることは難しいが、努力して修正することは出来る。なので、俺は今まで使われることの無かった貯金を下ろし、片っ端から対人関係、自己啓発に関する本やビデオを買い漁り、学んだ。自分の話し方や話す時の調子を録音し、聞いて、改善に努めたりもした。特に明るくなる必要はないが、最低限人と会話することが得意になれればそれで良い。それを目指して毎日を数えていった。
しかしそんな日々を過ごしていると、ふと「やっていることは無駄なことなのかもしれない」と不安になる時も当然やってくる。実際に成果を試すことは出来ないし、本当に変わっているのかも俺自身では分からない。こういう人間なんだ、というのは他人が思うこと。俺が思ったところでしょうがない。
でも俺は続けた。平和な日常にはもう戻りたくなかったし、何より自分を変えたかったから。将来を見据えて考えてみた時「今の俺のままでは何も出来ない」ということが、まるで未来を先取りしたように、リアルに想像出来た。だから変わらなければならないと強く思った。
――人は変わることが出来る。
本当に嫌なことは何があっても避けたいもの。嫌だと感じているのにずっとそれを感じたままでいるのはただの馬鹿だ。避けた後の結果を考えて、じわじわと心を蝕まれていくよりは思い切って避けてしまったほうが良い。いや、結果がどうのこうのじゃなく、心底嫌だと感じるならば自然と体が動いているはずだ。しがらみに囚われて、何もかもを断ち切る覚悟も無いのなら話は別だが、変わった結果、思ったように行かずに嘆いても自分の責任には変わりはない。後悔しても元には戻れない。これは間違いないはずだ。本当の意味で変わるにはそれ相応の代償を払う必要がある。
変わるためには相当の労力を使うが、過去の自分との決別を覚悟した俺にとってはそんなに大きな問題では無かった。……そう、変わる事が出来たんだ。
中学のヤツらにとって、俺は透明人間のままで良い。将来、卒業アルバムを開いた時に「ああ、あんなヤツも居たなぁ」と思い出す程度の存在で良い。だから俺は透明人間のまま試験にも出たし、卒業式にも出た。卒業式は普通の生徒が参加する卒業式ではなく、「普通ではない」生徒たちが参加する、午後の校長室でひっそりと行われる卒業式を希望した。校長先生と教師数名。更に、俺と同じような生徒。様々な葛藤、事情を抱えた生徒数名で行われた。……中学校生活はこれで良い。後悔も何もなく、昔の俺にお別れを告げた日だった。
これから。高校からは違う。ガラリと環境が変わり、俺は新しい高月望という人間となってまた学校生活を送っていくだけだ。誰も「透明人間」のことは知らない。社交性があり、どんな人とも分け隔てなく接するが、常に一定の距離を保ち、馴れ合いを好まないさばさばとした人。これが高月望だ。
――そして入学式の朝。
この日の朝は、とにかく人と関わりたかった。学校へ行きたいとは違う、ただ「早く人に会いたい」という気持ちでいっぱいだった。今までの成果を実感したい……。そんな期待が、意気揚々と学校へ足を運ばせてくれたことを覚えている。いつも利用するコンビニの目の前にある交差点も、その日はすぐに俺を渡らせてくれ、学校までの道程はとてもスムーズなものだった。そして新たな住人を待ち受けるかのように、大きく口を開ける校門。その前に立ち、ふうと一息、呼吸を整える。
この時、自然と空を見上げて「今日は良い天気だなぁ」と思ったことを覚えている。なぜそう思ったのかは知らないが、いつからか俺はずっと下を向いて歩いてきたんだろうなぁと、今は思う。一歩足を踏み出し、透明人間が目に見える姿を現した。
校内に足を踏み入れると、見る人見る人全員が笑顔だった。
生徒はもちろん、我が子の門出を祝おうと駆けつけた父親や母親だって、晴れやかな良い表情を浮かべていた。教師たちも同じ。至る所で写真撮影に励む親子の微笑ましいやり取りを、緩んだ表情で見守っていた。
校舎をグルリと取り囲む、淡い桃色が美しい桜の木。チラチラと桜の花びらが舞い、その一枚一枚が希望で溢れる皆の祝福を称えているようだった。
――この時、俺は言いようの無い孤独感に襲われた覚えがある。
周囲と己との温度差。単純に、周囲の人々の幸せそうな笑顔が眩しかった。不安の欠片も無い明るい声を耳が捉え、胸が痛んだ。それらは、俺がまるで経験したことの無いもの。笑顔なんて適当に周囲を見渡せば目に入る。声なんて四六時中聞こえてる。でもそれとは違う。それとは違う何かも俺の心を抉った。
孤独感は押さえつけようにもどんどん湧き上がってくるので、俺はなすがまま、孤独感をその身にまとっていく他無かった。――でもこれで良い。俺は変わった。見えるようになった。感じることが出来るようになった。だからそれで十分。これでゼロからのスタートなんだということをはっきりと自覚出来た。だから孤独を感じることは苦痛では無い。むしろ心地良かった。
やがて、真っ直ぐ歩いていくと昇降口が見えてくる。その昇降口前には移動可能な黒板が三台並べられ、校内案内図、入学式のスケジュール、新入学生の氏名がビッシリと記されているクラス分けの一覧表が掲示されていた。
昇降口前はそんなに混み合っていなかったので、俺は早々に今日一日の流れを確認し、クラス表の中から自分の名前を探した。
「高月……高月は……っと……………………あったあった、俺は二組か」
小さい文字列のおかげで目がチカチカしてしまったが、ものの十秒も掛からずに高月望という単語を見つけることが出来た。そして、これから学び舎を共にして行くクラスメイトの名前もざっと確認した。見たところ、全く見た覚えのない名前、知らない名前しかなかった。
――顔見知りと同じクラスではない。
これだけの事実で心底から漲って来た意欲、そして冒険心。しわもくすみも何もない、真っ新で真っ白な画用紙が目の前に置かれたような感覚だった。そこに少しずつ少しずつ、己の未来を描きこんでいく。目の前にパァーっと、自由で大きな空間が広がったような気がして思わず笑みがこぼれた。
これで意気盛んとなった俺は、入学式が行われる体育館へ向かうことにした。
――黒板の掲示物を横目に、二、三歩足を運ばせたところで不思議な違和感。新聞などのかなり小さい文字でも、ピンポイントで目が留まってしまうと実際は小さかろうがその文字だけが大きく見え、周囲から独立して良く目立って見えるのはなぜなのだろうか?
俺は黒板の下から去る直前に、「ある名前」に目が留まった。最初に目が留まった時は何事も無かったかのようにすぐ視線を逸らしたが、なぜか視線を逸らした先にもその名前が浮かんで見えるものだから、ふと一瞬立ち止まり、また視線を戻した。チカチカするくらいビッシリと小さい文字で表記されているくせに、俺の目はちょうど、さっきの「ある名前」を捉えていた。
黒川美紗――。
違和感の正体は、紛れも無く黒川美紗という人物の名前が目に入ったからに他ならない。
こんな些細なことで、一気に引き出しから溢れ出る思い出。よく小さい頭の中にこんな膨大な量の思い出をしまって置けるものだと感心してしまう。
――俺が九歳の頃の話だ。
俺は物心つくかどうかの時に母親を亡くしている。しかし、父は母の死後も、再婚せずに男手一つで俺を育ててきた。親戚の類に預けるといったこともせずに、ずっと面倒を見てくれた。
今もそうだが、俺は昔からずっと父の仕事の詳細を知らない。何となく如何わしい仕事でもしているんだろうな……くらいしか分からない。しかし、その頃の父の行動パターンは、今はもう転職でもしたのかと思う位、勝手が違っていた。今とは間逆。夕方出掛けて朝方帰ってくるという生活スタイルではなく、俺と同じ時間に出掛けて、夜には帰ってくるという生活スタイルだった。しかも何かと融通が利くようで、俺が風邪をこじらせてしまった時も常に自宅で看病してくれていた。
父はとても器用な人で、毎日仕事で疲れているはずなのに、帰ってきてからは洗濯をし、風呂の準備もし、夕食の支度までやってのけていた。俺はそんな父が好きだったし、同時に助けてあげたいと強く思っていた。だからいつもくっ付いてコミュニケーションを取っていたし、見よう見まねで家事万般も出来るようになった。
どんな時も嫌な表情一つ見せない、いつも明るくてちょっと意地悪な子供思いの父。
今はもうかつての様な仲の良い関係では無くなってしまったが、関係が悪化したのではなく、俺に自立を促すために距離を置いているのかもしれない。現に、毎週用意されている五千円の小遣い。これは、月に換算すると二万円になる。正月には色を付けて結構な額のお金をくれる。果たしてこれが自立を促すために有効なのかは怪しいが、父なりに最善を尽くしているのだろう。
そして、当時俺は小学三年生。
平日は特に問題は無いが、学校に通う子供には夏休みなどの長期休暇がある。でも子を養うために仕事をしている大人には一ヵ月続く夏休みなどはない。そんな時に通わされていたのが、「ひまわり園」という学童保育施設だった。
長期間、夜まで子供が一人で暮らすことは難しい。いくら大丈夫だと謳っても、父にとっては虚勢を張っているようにしか見えなかったらしい。いや、それ以前に心配なのだ。子を思う親の気持ちとしては心配して当たり前。なので半ば強制的に通わされることになった。
そして、そのひまわり園で出会ったのが、俺と似たような境遇を持つ、黒川美紗その人だった――。
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