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これで終わりじゃないよね?

和語み

第十七話 帰り道


 亜希の提案により、俺たちは大通りから一本離れた裏通りアーケードをブラブラすることにした。

「あのさ、亜希は良くここに来たりするの?」

「あたし? うーん、そうだね。結構頻繁に来てるかな。特に何かするってわけじゃないんだけど、歩いてるだけでなんだか新鮮な気持ちになれるんだ」

「なるほど」

「高月くんもそう思わない? あたしはこんな雰囲気好きだな」

 ――そう言いながら全身で息を大きく吸い込む亜希。その動作に釣られ、ふと顔を上げてみた。

 このアーケードは大通りの喧騒とは打って変わり、情緒のある落ち着いた雰囲気を感じ取ることが出来る。どこか懐かしさを感じさせる商店や、古めかしい看板などが多く見られ、ほのぼのとした古き良き時代の町並みを彷彿とさせてくれる。

 大通りからそんなに離れていないのだが、この裏通りアーケードに一歩足を踏み入れると、ガラリと雰囲気が変わり、まるでどこか別の世界にタイムスリップしてしまったかのように感じてしまうのだ。

 頭上のアーチ越しに見える、俺たちを見下ろし、覗き込んでいるかのような高層ビル群。眼前に広がっている一昔前の情景と、この近代の象徴とのギャップが実に不思議だった。

「まあね。たまにはこういった雰囲気に身を置くことも大事かもしれないな。自分を見つめ直すきっかけにもなるかもしれないし」

「うん、そうだね。忙しかったりすると、自分自身を客観的に見る機会も少なくなると思う」

「……ねえ、知ってる?」

「なあに?」

「さっき亜希が言った「忙しい」って言葉」

「ふふっ、いきなりどうしたの?」

「まあちょっと聞いてくれよ。書いて字の如く、忙しいの「忙」は心を亡くすと書くのさ。忙しい時は心を亡くしてしまって、貧しい考え方になったり、思慮の欠片も無いことを口にしたりしてしまう。その結果、周囲の誤解を招いたり、反感を買ったりして良くない方向に行ってしまうってね。忘れるって言葉もそう。忘れるの「忘」も心を亡くすって書くでしょ? だから心だけは亡くしたり忘れてはいけないものなんだよ。心を亡くすとろくな事が無いんだ。覚えといたほうが良いよ」

「へえ、そうなんだ! ……あー、確かに。言われてみれば納得! 忙しい時って周り見えてなくて自分のことばっか考えちゃうよね。そして何より、大事なことを忘れちゃったら大変だもん!」

 ちょっとした豆知識を耳にし、亜希は宙に指で何やらなぞりながら、うんうんと合点するようなジェスチャーを繰り返していた。

「……それにしてもすごいね。高月くんってこんなことも知ってるんだ」

「いや、実はこれ岸田先生の受け売りなんだよ。岸田先生のこの小話だけは妙に耳に残っちゃってね。良く覚えてるんだ」

「ははあ、なるほどねー。でも受け売りだとしてもすごく説得力あったよ」

「あ、そう?」

「うん。得意気に話してた高月くんは「いかにも」って感じだったし。それにただ聞いたことを言うだけじゃそんな風に感じないもん」

「いやいや。亜希の言う通り、俺は聞いたことをそのまま言っただけだよ。むしろ亜希がしっかりと聞いてくれたからこそ、そう感じたんじゃない? 心のコップが上向きになってる証拠だよ」

「心のコップ?」

 亜希はぽかんとした表情で首を傾げた。それがちょうど俺の顔を覗き込むような角度になったため、条件反射よろしく透かさず顔を背けてしまった。

「ああ。コップって下向きに置いておくと何も入らないよね? つまり入り口を塞いでるってことだから、何かを入れようにも入れられない。耳を塞ぐのと同じさ。耳を塞ぐと声が聞こえなくなるでしょ。人の話を聞く姿勢にもこれは当てはまるね。聞く耳を持とうとしないと頭を通り抜けていっちゃうから何も得られない。だから心のコップを上向きにして、色んなものを入れましょう、ってことだよ」

「そっか! 心のコップっていうのは、人の心の持ち様のことを指してるんだね」

「ま、そういうことだろうね」

 亜希はしきりに関心した様子で、口を膨らませながら両手で頬を抑えて口内の空気を抜いていき、そのままぺったんこに押し固めておちょぼ口の変な顔になった。

「へえ、ほへもひひはへんへーのふへふひ?」

「――何言ってんだよ」

 変顔のまま言ったので聞き取りづらかったが、恐らく「ねえ、それも岸田先生の受け売り?」ってとこか。

「言っとくけどこれは自前だからね」

 ここで亜希はシャキッと所作を元に戻し、

「ふうん、やっぱ高月くんって物知りなんじゃない。じゃあ今聞いた話、今度誰かに教えてあげよっ!」 と言った。

「それは嬉しいな、是非頼むよ。……にしてもこんなくだらない話なんか聞いてくれてありがとな」

「……気にしないで。誰だって話を聞いてくれないなんてこと、嫌なんだから」

 この亜希の言葉からは、どこか悲哀を感じるものがあった。――同時に、亜希からは見覚えのある表情も窺い知ることが出来た。

「あっ! ねえねえ、あそこの駄菓子屋寄ってこうよ!」

 俺の不意を付くように、急に亜希が声を荒げた。
 その指差す先には、所狭しとお菓子や玩具が並べられ、それらが道に大きくはみ出してしまっている一軒の駄菓子屋があった。「菓子処」と書かれた大きな看板から裸電球がいくつもぶら下がっていて、とても目立つお店だった。

「へぇ、こんなところあったんだ」

「早く早く!」

 お目当てのおもちゃをショーウィンドウ越しに見つめる少年さながら、目をキラキラ輝かせ俺の手を引く亜希。急に強く引っ張られたので足がもつれて転びそうになってしまった。

「分かった分かった! だから少し落ち着こうか……」






 俺たちが駄菓子屋を離れた時点で、時間はもう午後六時を回っていた。段々と空も闇の深さを強めている。裏通りには徐々に街灯が灯り始め、道行く人の姿がやけに多く目に付くようになっている。それらは一様に二人組み。いわゆるカップルが多いのだ。

 通りには普通の街灯と共に、バーの軒先などに飾り付けられたネオンがチラチラと妖しい色彩を醸し出し、レトロな雰囲気とロマンチックな雰囲気が混在する妙な世界を作り出していた。恐らく、裏通りアーケードが夜の顔を現し始めたのだろう。

「なあ亜希。そろそろ帰らないか?」

 と、俺は前方を歩き進む小さな背中に問いかけた。

「……この通りを抜けたら何かが変わる。なんてことあるかな」

 ――亜希は良く突拍子のないことを聞いてくるな。

「さあ。それは通りを抜けてみないと分からないんじゃないか」

「通りを抜けたら……それは分かるの?」

「……どうかしたのか?」

 ここでふと亜希が立ち止まり、俺に言った。

「ねえ、あそこのベンチ。座らない?」

 そう亜希が指差す先には、ちょうど大人三人が腰を掛けられるくらいの幅のベンチがある。

「ああ、ちょっと歩き疲れたし休憩にはちょうど良いかもな」

 と、俺が言い終える前に、すでに亜希はベンチへと歩き出していた。


 ――時間は知らないところで着実に数を数える。今は午後七時になろうかというところだ。

 俺と亜希はベンチに座った後、先ほど寄った駄菓子屋で売られていた駄菓子の話など、実に他愛の無い話をした。しかし、他愛の無い話をするからには本題が待ち構えている。こんな会話をするために亜希はベンチに座ろうなんて言ったわけではないだろう。

 そう思った矢先、亜希が口火を切った。

「あっという間だった……」

「何が?」

「あたし、今日ね? 学校を出た時から今まで、時間が流れるのがとっても早く感じたんだ……。何でだろう?」

「そう感じるってことは充実してるからなんじゃない?」

「充実……かぁ」

「うん。何かやってて、楽しいって思うときは夢中になって時間をあまり気にしないじゃん。でも逆に、つまらないって感じる時は「早く終わらないかなぁ」って、良く時間を気にしない?」

「そうかもね……」

「でも実際には一定の間隔で間違いなく時間は過ぎてる。面白いよね」

「そうだね……」

 亜希はしんみりとした面持ちで、さっきから俯いたままだ。

 ――ここで、ふと荻原が言っていた「昔の神川」というのが頭を過ぎった。
 なんでも、性格的に暗い、消極的、無口。それでいていつも一人っきり……だったらしい。確かに今の亜希を見ていると、そんな荻原の話に信憑性が湧いてくる。

 しかし、俺の知っている神川亜希はそんなんじゃない。愛嬌があり、茶目っ気があり、俺が思うに色んな人から好かれるような子だ。

「本当にそうなのかな?」

 ――頭をスッと突き抜けたものがあった。
 胃がぎゅるりと呻き声をあげて縮こまる。背中からゾワッと全身に電流が走り、目が眩んだ。頭の中のものが一斉に逃げ出し、代わりに入ってきたものが全てをコントロールしようと中枢を荒らす。

 「謎の声」が聞こえたのだ。

 ……この得体の知れない声を脳内が捉えた。体が察した。今回はダメだ。急すぎた。逃れられなかった。ハッキリと聞こえてしまった。忘れてしまいたい。でもそれはもう叶わない。なぜ? 何で今なんだ?  お前は一体何をしに来た?

 ――髪型を今みたいに変えたのも最近の事なんだけど、俺には神川に何があったのか見当もつかないね。

「何で変えたんだろう?」

 ……俺に聞くな。

 ――目に見える変化が起きたのなら、普通周りもそれに気付くだろ。

「まさか誰も気付かなかったのかな?」

 ……俺が知るか。

「――高月くん? 高月くんってば!」

「……何?」

「もう、急に怖い顔になっちゃって。大丈夫?」

 どうやら、俺は亜希の声すら聞こえない状態になっていたようだ。

「いや、別に何でもないよ」

「そうかなぁ? トイレ我慢してたんじゃないの?」

「何でそうなるんだよ。大丈夫だって!」

「なら良いんだけど……」

「それよりもさ、さすがに暗くなってきたしもう帰ろう」

 これ以上亜希と会話をする気は起きなかった。このまま話していると、謎の声がずっと付いて回るような気がしたからだ。

「……そうだね。帰ろっか」

 亜希はまだ何か言いたげだったが、それ以上は何も言わずに立ち上がり、スタスタと歩き出した。

「一人で帰る?」

 俺が呼びかけると、亜希は振り返って「うん、そうする」と答えた。

「でも本当に大丈夫? 近くまで一緒に行こうか?」

「いや、心配しなくても大丈夫だよ」

「そっか。でも結構暗いから気をつけてね」

「ありがとう。また一緒に帰ろうね。少しだけだったけど、やっぱり高月くんと一緒に居られて良かった」

「それは嬉しいな」

「じゃあ……またね」

「ああ、また明日」

 亜希は軽く手を振ってくれた後、だんだんと小さくなり俺の視界から消えた。お別れは、嘘みたいに一瞬だった。


 ――亜希は一体何を考えているのだろう。

 俺たちは急速に仲を深めていると思う。しかし、そもそもなんで亜希は俺なんかを好いてくれているんだろうか。俺としては満更でも無いので嫌がる理由も無い。可愛らしい女の子に突然、「好きだ」と言われて嫌だと感じる男子はいないはずだ。俺もその一人。

 それに一目惚れされるほど際立って容姿が良いわけでもないので、影ながら好意を持ってくれていたとは到底考えられない。亜希は俺と直に接したことがあり、その過程の中で好意を持ってくれたと考えるほうが理に適っている。

 悲しげな表情――。

 現に俺は見覚えがあるのだ。亜希がたまに垣間見せるとても悲しい表情を。初めて亜希と出会ったのはいつだ? 美術室での出会いとは別に、どこかで会っているはずなんだ。しかし、いくら思い出そうとしても思い出せない。

「ずっと同じだったら簡単だと思わない?でも違ったら……?」

 あの声が鬱陶しい。

 何だ? 思い出したらいけないとでも言うのか? それとも思い出せない理由があるのか? 色々考えたところで何も変わらないのは確かだが、考えることを止めることは出来ない。

 思い出せない……で思い出してしまったが、俺の頭の片隅をじわじわと侵食している「何か」も引っ掛かる。「あいつ」は一体どうしてしまったのだろう。長いこと会っていなかったが、偶然同じ高校に入っていたことが分かり、久しぶりに言葉を交わした。

 多く年を数えた女性に久しぶりに出会った時は、「昔と変わらないね」と言うのが紳士的。実が伴わないのにもかかわらず、精一杯背伸びをしてしまう子供時代。それを過ぎて、幾分成長してから出会った時は、「変わったね」と言うのが紳士的……なのだろうか。

 あいつに「変わったね」そう言った時、様子が変わった。何があったのかなんて知る由も無いが、荻原が言っていたことが繰り返し思い出された。

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