樹様、それは業務外です!

悠里ゆり

1.一介の付き人

【登場人物】
神月樹かんづきいつき
 容姿端麗、文武両道の大正より続く神月家長男。幼少の頃より仕えさせている2つ上の初乃百合はつのゆりとともに都内の中高一貫校に通う。中学2年生の14歳。

初乃百合はつのゆり
 古くから神月家に仕える初乃家の長女。父も母も祖母も神月家に仕えている姿を見ているため、何の疑問もなく言われた通りに幼少の頃より神月樹に仕えている。樹と同じ中高一貫校に通う高校2年生の17歳。

十時咲とおときさき
 百合の友人。明るくて元気で人気者。

森川椋もりかわりょう
 柔道部のエース。樹の世話で忙しくしている百合を心配している。




「行ってらっしゃいませ。」
 朝七時三十分、決まった時間にお屋敷の大きな門を出る。その様子は既に慣れたが、やはりここの場面は緊張する。神月かんづき家が召し抱える多くの使用人、執事たちに見送られて神月樹かんづきいつき様とその付き人である初乃百合はつのゆりは送迎用の車に乗りこんだ。すぐに今日の予定を引き出せるように手帳を取り出す。ぺらぺらと捲ると今日の分の予定が書かれたページにたどり着いた。そのあとすぐに声がかかる。
「今日の予定は?」
「はい。本日は八時五十分より授業が開始されます。授業の過程を終えられた後は生徒会にて十六時より会議がございます。ご帰宅されてから、十七時よりバイオリンのお稽古がございます。」
「そうか。」
 そう言うと樹様は外に目を移した。樹様が毎朝私に今日の予定を聞くことはルーティンであるが私はこの瞬間、少しだけ緊張する。私がお仕えしてからもう十年以上は経つというのに。
 私の家、初乃家は大正より代々神月家の使用人としてお勤めを果たしてきた。それはこの令和の時代も例外ではなく、私の父も母も祖父も祖母も曾祖父も曾祖母も、神月家に仕えてきた。今も父は樹様のお父様、神月薫様の秘書であるし、母は樹様のお母様、神月春香様の付き人である。今どき珍しい形かもしれないが、そういう家系なのである。
 大正の頃では小さな商店を経営していたというが、今では神月家は神月銀行、帝国神月ホテル、神月記念病院などの多くの会社を経営する神月グループとして目覚ましい成長をしている。初乃家も代々各企業に勤める神月家の方々を補佐する役職を頂いている。今は父と母がそれぞれついているだけだが。
 車が学校の前で止まる。私は運転手さんに挨拶をするとすぐに降りて、樹様のドアを開ける。樹さあがそこから出てきて、「ありがとう。」と話された。
 車から出てこられた樹様に女学生の熱い視線が集まる。それも分かる。十四歳には見えないほどに落ち着き払った樹様はどこから見てもかっこいい。それに加えて神月家、神月グループの長男でもある。お近づきになりたいと考える者が多いのもうなずける。そんな視線に気づいているのか、樹様はさっさとご自身の教室へと向かっていく。
 そんな熱い視線を受けている樹様を後ろから追っていると樹様の通われている教室までついた。くるりと樹様が振り返る。
「ここでいい。」
「はい。かしこまりました。」
「それから今日の迎えはいらない。僕が車を呼ぶ。だから先に帰れ。」
「はい。かしこまりました。」
「下がれ。」
「はい。失礼いたします。」
 失礼のないようにお辞儀をして教室を去る。初めてこんな風に樹様をお送りした時はクラス中の注目を集めた。それもそうだ。中学生の教室に高校生が来れば誰だってぎょっとする。だが五月になれば当たり前の光景として受け入れられた。慣れというのは恐ろしい。
「ゆーりっ!おっはよ!」
「わっ!…なんださきかぁ。びっくりさせないでよ。」
 咲は私の中学の頃からの友達だ。お調子者だが、明るく元気で誰にでも好意を抱かれる。人気者だ。
「えー?びっくりさせたつもりはないんだけどなー。…それよりさ、今日のお勤めはおしまい?」
「うん。今日は先に帰っていいって。」
「じゃあ今日は一緒に帰ろ!私駅前においしいパンケーキ屋さん見つけちゃって~!百合と行きたかったんだよ~!」
 そんな他愛もない話をしながら自分の教室に向かうこの時間が好きだったりする。こんな風に友達話す時間が私を普通の女の子にしてくれている。そう思うと、楽しくて仕方がないのだ。
「よお、初乃。おはよ。…あ、咲もいたのか。おはよう。」
「おいおい!なんだよりょうー!咲ちゃんもいるっつーの!」
「椋君おはよう。今日は早いんだね。」
「まあな。今日は柔道の朝練もねえしな。…それより初乃。まーたあの坊ちゃまの世話か?」
「坊ちゃまって…まあお世話だけども。」
「ホント毎日ご苦労だよな。十四歳のくせに初乃なんてもったいないつうの。俺にはぜってえ無理だわ。」
「椋には一秒も無理でしょ。」
「はあ!?俺だってできるっつーの!!…ちょっとぐらい。」
 そんなふうにごちゃごちゃ騒ぎながら教室に入る。ここは中高一貫校だから樹様の校舎からすぐにつく。そもそも、父は私が樹様の付き人となる事を決めていて私をこの学校に進学させたと言っていたが、それも樹様のお世話をしやすくなっている要因なので文句はない。制服も可愛いし。
 席について数分待てば先生が入ってきた。気怠そうに出席を取る姿は、何となく愛嬌があるように見える。
「ほいじゃあホームルームすんぞー…えっと今日は、進路希望だー。お前ら、適当に考えてるかー?考えとかないと俺みたいになるぞー。」
 教室が笑いに包まれる。先生が配った紙には進路希望調査票と書かれていた。ご丁寧に第三希望まで書けるようになっている。
 周りの子たちはどの大学に行くかとか、あそこの大学の難易度はどうだったかなんていう話で盛り上がっているが、私はそんな気分になれなかった。
 自分の将来。将来私は何になりたいのだろうか。今まで慣例を振り返れば、私は樹様の付き人として神月家に雇われて、神月家の他の使用人と恋をして、結婚して、樹様の子供に自分の子供を付かせるため、自分の子供を教育するのだろう。それが当たり前すぎて何も疑問を持たなかった。むしろ自分もこうなる運命だと信じて疑わなかった。だから今、この進路希望調査票にも同じように、「神月グループの使用人」と書くべきなのだ。だが、
「百合、大丈夫?」
「え、あ、うん、大丈夫だよ。咲はもう書いた?」
「書いたよー!将来は看護師になりたいからさー。いいとこの大学行きたいんだよ。いいとこの大学行ったらさ、留学もできるし!」
「いいねー!咲ならいい看護師になれるよ。」
「えへへ、ありがと。…百合は書いた?」
「えっと、まだ。」
「そっか。…ぼっちゃん関連?」
「まあ…」
 樹様の付き人として暮らしている今に何も不満はない。かといって充実しているかと問われれば、それは分からなかった。咲が気まずそうな顔をして口をもごもごとさせている。別に咲の所為ではないのに。
「やっぱり将来は坊ちゃんのお世話、やめちゃうの?」
「そんなことないよ。今まで、途中で付き人をやめた人はいないし。」
「ふーん…でもそれって百合のやりたいこと?」
 やりたいこと。やりたいこと。それを考えれば考えるほどわからなくなる。今までの私は神月家の付き人としてとしか育ってきていない。そんな私にやりたいことなんてわかるのだろうか。
 「百合ならなんでもなれるよ、あんなに坊ちゃまのお世話やってるんだし。」そう言ってくれる咲に、私は適当にうなづくことができなかった。




「またパンケーキ食べようね!ばいばーい!」
「うん、またね!」
 咲おすすめのパンケーキ屋さんを出て別れた。私たちの家族は神月家の使用人寮に暮らしているが、神月家の人間ではない。お迎えの車は呼べないからここからは歩いて帰ることになる。そこそこの距離だが、樹様が帰るころまでには帰れるだろう。
 結局、進路希望調査票は書けずにいた。すぐに神月グループの使用人と書けばよかったものの、本当にそれでいいのかという声が、私のペンを止めた。だが他にやりたいことなど私にあるのだろうか。いろいろと思案してみるが特に思いつかない。
 幼いころより父と母からは樹様に仕えることだけを教えられた。目上の人に対する言葉遣い、作法、神月グループの歴史、家系図…私は与えられたものを粛々とこなした。樹様が五歳になられた時に、私は八歳でお仕えした。それからずっと、今日の今日までお仕えしている。これが一生続くと思っていた。しかしそんな人生でいいのか。他の子のように大学へ行って、違う職に就く方が良いのではないか。そんな不義が頭をよぎる。
 神月家は初乃家にとっての主人。主人を裏切ることはできない。しかも代々受け継いできた名誉ある役割だ。
 進路希望調査票は明日までとのことだ。何を書けば良いかわからず、とぼとぼと歩いていると隣に黒い車が止まった。車から樹様が出てきた。
「おい、何をしている。」
「い、樹様!お疲れ様です!生徒会の会議では…」
「すぐに終わった。…それよりお前、こんなところで何をしている。帰るなら車を呼べばいいだろう。」
「私のような一介の使用人が迎車など使えません。それではこれで…」
 失礼します、と去ろうとしたが腕を掴まれた。
「それなら、僕の車に乗っていけばいいだろう。」
「ですがそのお車は樹様のお車で、」
「お前は僕の付き人だろ。付き人が主人につかなくてどうする。」
 そういうと樹様は私の腕を引っ張りながら車の奥に押し込んだ。運転手さんは少し苦笑いしてから車を走らせる。
「よろしかったのですか?」
「あのまま歩いて邸宅まで向かっていたら夜になるぞ。」
「それは、そうですが…」
「お前には僕についてもらわなければ困る。」
 またむすっとした顔で外を眺める。樹様の言葉に進路希望調査票の紙が脳内をよぎった。
 樹様にお仕えすることが私にとって「やりたいこと」なのだろうか。それともまた別になにかしたいことが私にはあるのだろうか。それは今の私には分からない。お屋敷に着いても私の考えはまとまらなかった。
 門をくぐって玄関の前に車が止まる。朝のようにそそくさと降りて、樹様のドアを開ける。樹様に鞄を渡され、それを持ちながら樹様の後ろをついていく。
 この姿は何もこのお屋敷だけでのことではない。私たちが小学生のころの学校でも、私は樹様の後ろをついて回っていた。私の方が年上であることから、周囲の人間には奇異な目で見られていた。「神月の犬」、「神月に媚びている」。そう陰口をたたかれた(現在もだが)こともある。それも次第と気にしなくなった。
 そうこうしていると樹様の部屋の前まで来た。部屋に入るのだろうと立ち止まっていたら、急に樹様が振り返った。少し驚いたが、それを表に出さない。主人の行動に疑問を持ってはいけないのだ。
「おい。」
「はい。」
「お前、何かあったか?」
「何か…とは?」
「朝は普通だったのに、今は少し元気がないように見える。…学校で何かあったのか。」
「いえ、樹様が思慮なさることではございませんので…」
「僕の質問に答えられないのか。」
「い、いえそんなことはございません。」
「では言え。」
 不機嫌そうな顔がぐいっと近づけられる。漆黒の黒目が私を見つめれば、答えられないはずもなかった。
「そのですね…私のクラスで進路希望がとられまして…そこで、悩んでおりました。」
「何を悩む。ここで働き続けるのだから、それを書けばいい。」
「その、私がこのまま樹様の付き人で良いのだろうかと、そう思ってしまって…」
「は…?」
「ですから私がこのまま樹様の付き人として働いていくのが私の一生でいいのかと、そう悩みまして。…あ!樹様の付き人が嫌になったとかそういう訳ではないんです!ただ、周りが進学していく中、私だけが取り残されていくのを感じてしまって。すみません。こんな話、面白くないですよね!申し訳ございません!」
 勢いよく頭を下げる。しかし樹様から声はかからない。怒鳴られるかと思っていたばかりに、緊張が走る。恐る恐る顔を上げると、そこには見たこともないような目を丸くした樹様がいた。
「樹様…?」
「お、おま、お前、やめるのか?」
「やめるわけではございませんよ!?ただちょっとこのまま続けても私の人生は、」
「それはやめると同義ではないか!」
 ものすごい剣幕で樹様が詰め寄る。一体どうしてしまったのか。いつも落ち着き払った樹様とは似ても似つかないほど激怒している。やはり主人にやめるなど、話すべきではなかったのだ。
「落ち着いてください!私は今すぐやめるわけではございません!まだ迷っているだけでございます!」
「迷っている…だけ?」
「え、ええ。その通りでございます!ですのでご安心を…」
 あ、安心?なぜこんなことを言っているんだ。いや、今はともかく樹様を落ち着かせなければ。こんなところを父と母にみられたら大変だ。また「付き人としての自覚がないのかー!」と怒られてしまう。
「…すまない。取り乱した。」
「いえ、問題ありません。一介の使用人の悩みで煩わせてしまい申し訳ございません。…この後はバイオリンのレッスンがございます。ご準備なさってください。私はこれで下がらせていただきます。また何かございましたらお呼び下さい。」
 何はともあれ、私が樹様を混乱させてしまったのだ。申し訳なく思う。やはり急に自分の使用人がやめるとなると、いくら樹様でも取り乱すものか。そう思い、深く反省する。「失礼します。」と声をかけて、自室に戻ろうとした。
「待て。」
「はい。」
「お前は…百合は僕が嫌になったから、僕の付き人をやめたくなったわけじゃないんだよな。」
「はい。ただ、これは私の中での問題でありまして…混乱させてしまい申し訳ございませんでした。以後気を付けます。」
「そうか…ならいい。下がれ。終わったら呼ぶ。」
「かしこまりました。」
 また一礼して、私は自分の言動に反省をしながら家族が暮らす使用人寮の方へと向かった。

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