circulation ふわふわ砂糖菓子と巡る幸せのお話

弓屋 晶都

第5話 青い髪 4.風の軌跡

魚屋さんの軒先にずらりと並んだ活きの良い魚達。
うるんだそのゼリー状の瞳を覗き込みながら、今夜はお魚にしようかな。と、考える。

今日も日が暮れる頃にはスカイがズタボロになって帰ってくるだろう。
それまでに、夕食の支度を済ませて、あ、洗濯物も取り入れておかなきゃ。
長期宿泊者向けの宿だけあってか、宿の屋上には洗濯物干し場が作ってあった。
二日続けてそこで顔を合わせた熟年の冒険者さんとは、ほんの少し世間話もした。
こんな生活に慣れてきた、ランタナ四日目の午後。
「フォルテ、これとこれだったらどっちが食べたい?」
隣を振り返る。
が、そこにフォルテの姿は無かった。
両脇を確認して、マントの中も見る。
通りのどこかで、可愛い雑貨にでも目を奪われているのだろうか?
ここから見える限りの隅々まで視線を走らせても、ピンクと淡い黄色の塊を見つけることは出来なかった。

「……フォルテ……?」
途端に血の気が引く。
そうだ……。まだ日が高いとはいえ、今、私達がいる町は治安が悪くて、何が起こるか分からない場所だったはずなのに。
ほんの一瞬でも、フォルテから手を離してしまった自分を激しく責める。
「ラズ? どうし……」
すぐ隣の露店でよく分からないアイテムを手に取っていたはずのデュナが、私の狼狽に気付いたのか声を掛けてくる。
「――……フォルテは?」
デュナは、自身の発した言葉が終わる前にその異変に気付いたようだった。
「ちょっと目を離した隙に……」
「居なくなったのね?」
デュナの言葉に頷きを返す。
「ほら、そんな顔してないで、探すわよ」
「う、うんっ」
デュナにポンと背中を押されて一歩足が前に出る。そのまま私は走り出した。
元来た道を、フォルテを探して辿る。
振り返るとデュナは、十人近い数の風の精霊を纏っていた。
それらを一斉に方々へと散らす。
小さな精霊ではあったが、あの数を同時に利用するというのは負担も大きいだろう。
心の中でデュナにお詫びと感謝をしながら、視線を戻そうとしたとき、私の足元をスルッと風の精霊がすり抜ける。
「あれ?」
立ち止まり振り返るが、デュナの放った精霊はまだ私に追い付いておらず、私よりも後ろにいた。
じゃあこの子は違う仕事をしてる子で……。
何故だか、私はその精霊に見覚えがあった。
そういえば、今日家を出るときにもこの子が部屋をちょろちょろしていて……。
思えば、一昨日も、その前見た精霊もこの子じゃなかっただろうか。

その精霊は、私とデュナの位置を確認するかのように、足元をくるくると回ると、元来た道へと引き返そうとしていた。
「デュナっ!!」
デュナの名前を叫んで、それに反応があったことだけを確かめると、慌てて精霊の後を追う。
私に気付いた精霊は、こちらを振り返って小首を傾げていたが、振り切ろうという気も無いようで、そのままの速度を保ち、風を纏って飛んでいる。
よかった……。
風の精霊に本気を出されてしまったら、私の足ではどう足掻いても追いつけない。
この子はきっと単純なオーダーしかもらっていなくて、人に追われた場合の対処については何も言われていないのだろう。
同じ属性の精霊達は、色合いも雰囲気もよく似ている。
それでも、よく見れば、同じ色の髪でも長さが違ったり、同じような服でも微妙に差があったりするものだ。
いくら自分やデュナが魔法使いで、精霊を見る機会が多いとはいえ、何日も立て続けに同じ精霊を見かける事を、おかしいと思うべきだった!!
もっと早く、私が気付いていれば……。
走り続けているせいか、激しい後悔のせいか、息苦しさに目眩がする。

「ラズ!?」
声に振り返ると、デュナがすぐ後ろまで来ていた。
両足に一人ずつ風の精霊がついている。
これで、一歩で進める距離を伸ばして追いついてきたのか……。
相変わらず器用な事をするなぁと思いつつ、その精霊をじっと見る。

やはり違う。
どこからが服で、どこからが体なのかよくわからないような、体と溶け合ったような衣装に、浅緑色の髪。
それは確かに共通しているのだけれど、デュナに付いている精霊はショートカットにセミロングくらいの長さの髪だし、一人は男の子のように見える。年頃も、二十代程度の容貌だし……。
精霊に性別や年齢があるのかどうかはよく分からないが、少なくとも私の目にはそう映る。

それに引き替え、今追っている精霊は、腰辺りまでの髪を揺らしている十歳そこそこの少女に見えていた。

精霊の後ろ姿を追いながら、いくつもの曲がり角を抜けて走る。
町の中心部から離れてくるにつれ、喧騒も届かなくなってくる。

足音が響かないようにと、デュナが私の足にも精霊を付けてくれたのだが、ちょっとのつもりがブーストで思いのほか進んでしまうので、迂闊に足を前に出しすぎると転んでしまいそうだった。
「スケートの要領で走ればいいわよ」
とのアドバイスに、なんとかへっぴり腰で足を擦るようにして走っているわけだが……。
前を行く精霊の少女がふいに減速する。
見失わないようにしつつも、距離を詰めすぎないように、私達も合わせて減速する。
最後の角を曲がると、小瓶を掲げた男と、その後ろに覆面の男が数人立っていた。

私達を見た途端、慌てて逃げ出そうとする男達。
黒い布で口元を覆った男の群れの中に、淡い色に煌めくプラチナブロンドを見る。
「フォルテっ!!」
狭い路地裏に響く私の声。
それは確かにフォルテの耳にも届いたはずなのに、男に抱えられたまま、ピクリともしないその姿に恐怖を覚える。
フォルテの頭には、黒い袋が被せてあった。
眠らされている……? それとも……。
「以上の構成を実行!」
狼狽する私の僅か後ろから、デュナが凛とした声で水の精霊を放つ。
溢れる水が、二手に分かれて勢いよく男達をなぎ倒す。

水音と水飛沫と轟音。
街中で使うにはちょっと派手な気もするが……。

四人が左右に吹っ飛んで、残ったのはフォルテを抱えた男と、そのすぐ隣に立っていた男。
それに、いつの間にか離れたところに移動していた小瓶を持った男だった。

覆面の男達は皆一様に全身タイツのような体にフィットする黒い上下。
盗賊団のようだな。と思ってから、やっと噂の盗賊崩れ集団とやらが頭に浮かぶ。
一方、小瓶を手にしていた男だけは、生成りのローブを頭から纏っていて
同じく顔こそ見えないが、その雰囲気はまったく違っていた。

先程私達が追ってきた精霊の少女が、するりと小瓶に収まる。
小瓶の底には、うっすらとエメラルド色の光を放つ、小さな小さな魔方陣が描かれていた。
その魔方陣が色を失うのを確認して、男が小瓶に栓をする。
媒介を契約書代わりに、特定の精霊と長期的な契約をすることによって、魔法使い以外であっても精霊を使う事はできる。
細かい発注はできないが、冷凍庫やコンロなど、生活の端々に応用される技術だ。
つまり、少なくとも彼は魔法使いではないという事だけれど……。

魔法が使える者であれば、その都度精霊を呼び出してオーダーをする方が、よっぽど低コストで思い通りの事をしてもらえるため、そういった魔法具を持つ必要は無い。
それでも、私達の真正面にいたはずなのに、デュナが魔法を発動させるまでのほんの一瞬の隙に動けたこの男が、強敵だというのは間違いなかった。

右手に構えたロッドを強く握り締める。
ロッドの先にはいつもの光球。
悔しいけれど、私にはまだこれしか出来ることが無い。
肝心なのは、とにかくデュナの邪魔にならないよう動く事だ。
じりっと後ずさる覆面の男。
フォルテを抱えたその男だけは、逃がすわけにはいかない。

もう一人の覆面男が鞭を振るう。
「あっ!」
と思ったときには、ロッドが叩き落されていた。
鞭ってリーチが長いんだな……って感心している場合じゃない!
焦ってロッドを拾いに行こうと私が屈んだその隙に、覆面の男達が背を向ける。
「待って!!」
「実行っ!」
デュナの声とともに、大気の精霊が二人の行く手を阻む。
ゴンッと見えない障壁に頭から突っ込んだ最初の一人が、その衝撃で後ろに倒れる。

今のうちに……っっ。
ロッドを拾い上げて顔を上げようとした途端、デュナの声が響く。
「ラズ動かないで!」
慌てて顔を上げるのを止めたその後ろを、ブンっという音とともに風が通り抜けた。
一瞬にして青ざめる。
い、い、今……すぐ後ろでした音は、何の音、だったの……かな……?
続いて、カシャンと何かが割れる音に、パシャッと水が撒かれるような音。
「くっ」
と男のうめき声が続く。
「ラズ下がって!!」
デュナの指示に従って、慌ててデュナよりも後ろへ退く。
フォルテとの距離がその分遠ざかる。

必死でデュナの背に回ってから自分の居た辺りを見ると、地面に撒かれた紫色の液体からもうもうと何か気体が立ち上っていた。
その少し向こうに剣を手にしたローブの男。
どうやら、体に悪そうな気体を思い切り吸わされてしまったらしく、口元を押さえて数歩後退ったようだ。
分厚いローブとフードに挟まれた男の顔。
表情は目からしか読み取れなかったが、その眉は険しく歪められていた。

ローブの男が踵を返す。
駆けながら、抜き身の刀身を這わせるようにしてデュナの張った障壁の位置を探る。
ギギギィッと甲高い耳障りな音を立てて、何も無い空間にうっすらと傷が付く。
デュナの障壁は、男達の逃げようとする側だけに半円を描く様な形で張られていた。

その淵を見付けたローブの男が振り返り、無言のまま顎で覆面の男達に指し示す。
「行け」という事のようだ。
途端に駆け出す男達。
逃げられるわけには行かない。
でも誰を狙えばいいのか分からない。
ロッドの先にはまだ光球が渦を巻くように揺らめいている。
フォルテを落とされては困るけれど、やっぱりフォルテを抱えた人の足を狙おう。
そう心を決めて、ロッドを強く振る。
「お願いっ」
私の放った光球が男の足に接触する、そう思った瞬間、黄色い光が弾けて消えた。
「……え?」
そこにあるのは、力強く振り下ろされたロングソード。
光球が……斬られた!?
長剣をゆらりとを引き上げて、ローブの男がこちらへ静かに構えをとる。
怖い、と感じた。一瞬の動揺をかき消すように、デュナが力強く叫ぶ。
「以上の構成を実行っ!!」
大きな水の精霊と、あまり見かけない精霊が数人、デュナの手の平から飛び出すようにローブの男達の足元に取り付く。
どろっとしたゼリー状の液体が瞬く間に広がったと思ったら、見る間に硬化してゆく。
「時間稼ぎありがと、助かったわ」
私を庇うように立つデュナの後ろから、少しだけ顔を覗き込む。
頬を伝う汗。これは魔法の使用連続によるものだろう。
デュナの目は依然として男達を睨みつけたままだったが、その口端には笑みが滲んでいた。
途端にホッとして肩の力が抜けそうになる。
「まだ油断しないで、安心するのはフォルテを取り戻してからよ」
肩で荒く息をしているデュナの言葉に、身を引き締めてロッドに次の光球を作る。
直接あの男に当たらないとしても、作らないよりはマシだろう。

と、遠くに数人の足音が聞こえてきた。
敵の仲間かと勘繰るも、私達の背後から来ようとするのに、足音を立ててはすぐ気付かれてしまうだろうし、狭い路地裏でドタバタやったせいで人が寄って来ているのだろう。

膝下ほどまでを完全に絡めとられた3人の男達は、それぞれに脱出するべく暴れていたが、
少なくとも覆面の男達は、足音に焦ったように見えた。

石ともまた違う、つるつるとしたその表面に剣先を突き立てようとしていたローブの男が、懐に手を入れる。
デュナの肩に風の精霊が現れる。
「ねーちゃん!?」
背後から、聞きなれた声がした。
「遅い!!」
デュナが振り返らずに怒鳴る。
ああ、そうか。
デュナは最初から、スカイが来るのを待ってたんだ。
私達がいる路地裏は、スカイが修行をしていたはずの盗賊ギルドから
そう離れていない場所だった。
最初の攻撃が、ちょっと派手すぎた気はしていたけれど、あれはスカイを呼び寄せる為だったのか……。
振り返ると、スカイの後ろにも数人の見慣れない男達が立っていた。
皆一様に体にフィットしたタイツ状の服を着ているところから、ギルドの人達なのだろう。
「フォルテが、攫われそうなの!」
スカイに簡潔に状況を伝える。
「あれか! 取り返してくればいいんだな」
私達のずっと向こうに立つ男達の抱えるフォルテに気付いたスカイが走り出す。
「実行!」
デュナの放った魔法は、スカイの補助ではなくローブの男への攻撃だった。

見れば、いつの間にかローブの男が固められた足場から抜け出して、覆面達の元に駆けつけている。
その手には赤く炎を纏った剣。
見る限り先程と同じ剣のようだったが、今はそれが激しく燃える炎に包まれていた。
あの男は、風だけじゃなく、火の精霊も持っていたのか。
デュナの放った風の一閃を、赤い刀身で掃うように斬り捨てると、男は覆面達の足元にその剣を突き立てる。
彼らの自由を奪っていた物体が一瞬で溶解する。
「行け!」
ローブの男が初めて声を出した。
覆面の男達が背を向けて走り出す。
「待て!!」
スカイがそれに飛びつこうとするのを、鞭の一閃が制する。

周りを見れば、最初にデュナに吹っ飛ばされた男達が意識を取り戻して、サポートに入っていた。
デュナの背に大気の精霊が姿を現す。
後ろからでも、激しく上下する肩と荒い息から、デュナが相当消耗しているのが分かった。
「くそっ」
三人の男に鞭で牽制されて、動けないスカイ。
ぐったりしたフォルテを抱えて駆け去る後姿が、見る間に遠ざかる。
無理にでも突破しようとするスカイに、放たれる鞭。
黒く唸りをあげて襲い来るそれを、黒い影が瞬時に絡め取る。
こちらから伸びた鞭を視線で辿ると、その先にはスカイと一緒に来たギルドの人達が居た。
「そのなりに鞭捌き……お前達はやはり我々のギルドに所属していた者か!」
なにやら怒りの篭った声。
そういえば迷惑してるって言ってたんだっけ。
間近で聞こえた、ひときわ大きな呼吸の音。
デュナが僅かに震える右手を、遠ざかるフォルテに伸ばそうとしたとき。
ドンッと強い衝撃が体に走る。
足が地面から離れる。
私は、デュナもろとも後方へと吹っ飛ばされていた。

そう広くない路地を真っ直ぐに吹き飛んで、肩から地面に叩き付けられる。
そのまま、砂利混じりの土に思い切り背中をこすりながら止まる。
分厚いマントのおかげで、私自身への衝撃はたいした物ではなかったが、私と一緒に薙ぎ倒されたデュナの薄い白衣は地面との摩擦であちこち擦り切れていた。
「ねーちゃんっ! ラズっ!」
スカイの叫び声が遠くから響く。
スカイは……そうだ、フォルテを追おうとしていたはずだ……。
慌てて飛び起きると声を張り上げる。
「大丈夫だから、フォルテを!!」
それを聞いて、スカイがくるりと背を向けて駆け出す。
「ねーちゃんを頼む!」
「うん!」
気をつけて……。とその後姿に祈り……そして気付く。

ローブの男の姿がないことに。

確か、デュナが魔法を使おうとしたあの瞬間、紅く燃える剣をデュナの頭上に見た。
あの時、私達に一瞬で間合いをつめてデュナを斬った男は、その後どこに行ったんだろう。
辺りを見回せど、その痕跡はどこにも残っていない。

…………デュナを斬った男……?

じゃあ、デュナは、その男に斬られて…………どうなった?

視界の端に僅かに入るその白衣の肩は、いまだにピクリともしなかった。

急いで傷を確認しないといけない。すぐに治癒に取り掛からなくては……。
そう頭では分かっているのに、すぐ足元で倒れているデュナに視線を落とすのが怖い。
無意識のうちに、半歩ほど後退った足が、ピチャッと微かな音を立てて、水溜りのような物に触れる。
少し離れた場所では、まだ逃げようとする覆面の男達と、それを捕まえようとする盗賊ギルドの人達が攻防を繰り広げていたが、その僅かな水音は、私の耳に不気味なほど確かに届いた。

じりじりと、じれったいほどにゆっくり視線を落とす。
こちらに背を向けるようにして横たわっているデュナ。
その周囲に音も無く広がり続ける真っ赤な水溜り。

「あ……」
こんなに大量の出血……。
……まさか、デュナはもう……。

胸に浮かんでくる言葉を必死でかき消して、デュナの正面に回る。
あからさまに青ざめた顔、そこへかかる眼鏡には、一筋のヒビが入っていた。
傍に屈もうとするものの、ガクガクと震える足が言う事を聞いてくれない。

傷口を調べて、一刻も早く治癒を……!!

どうにか、その場に崩折れるようにしてデュナの傍らへ膝をつく。
赤く染まった白衣をそうっと剥がして、血溜まりの発生源と思われる横腹の辺りをグローブを外した手で探る。
ドロッとした血の感触と、その下にあるデュナのなめらかな肌。
数度、指の腹でまさぐるも、相当深い傷であろうにもかかわらずその傷口を見つけられない。
ココじゃないとしたらどこだろう……。手を離そうとした瞬間。
指先に鋭い痛みを感じる。
「いっ……」
デュナの服の裾で血まみれの指を拭うと、人差し指の先が斜めに切れていた。
何で切れたんだろう……。ガラス……?
デュナの持ってた薬品が入ってたのかな。
それが、ここで割れているのだとしたら、中身はどうなったんだろう。
デュナの持っているものはたいがい体に悪いものばかりだ。
水の魔法がうまく使えれば、一気に洗い流せるんだろうけど……。
やるだけやってみようかなぁ……。

心で話しかける。「精霊さん達にオーダーお願いします」
どうにも苦手な水のイメージを、なるべく小さく小さくまとめてみる。
これで、うっかり激流を起こしてデュナにダメージを与えては元も子もない。
「私の心と引き換えに、ほんの……ほんの少しの水を……」
しかめ面で必死に水のイメージと格闘していると、後ろから唐突に声を掛けられる。
「そちらがスカイ君のお姉さんかな? 大丈夫かい?」
「うわー……。こりゃキツイな、しばらく臭いが取れないぞ」
「いい匂いじゃないか」
数人の男性の話し声。
私がもたもたしているうちに、いつのまにか向こうは片が付いたらしい。
え、ええと、まず精霊に発注を一時停止してもらって、返事を……。
と、ぎこちなく振り返ったとき、私の構えていたロッドから、水流が発生した。
「あ」
一時停止に失敗した魔法は、楽しそうに踊る水の精霊とともに、デュナのわき腹辺りからその頭のてっぺんまでをぐるぐると水洗いして消えた。

「おお、綺麗になったな」
後ろから、褒めてるんだか、貶してるんだか判断の出来ない声が上がる。
元々おへそが全開の、デュナの短いキャミソールが水流で胸元までめくれ上がったのを慌てて戻す。
「あー……もう少しだったのに……残念だ」
ため息混じりのガックリした声に、こちらの力が抜ける。
残念がらないで下さい。
デュナは大怪我してるって言うのに……。
と眺める、デュナの体には傷ひとつ付いていない。
「…………あれ?」
首を傾げる私に、はじめに話しかけてきた、真面目な印象の男性が優しく声をかける。
「お嬢さん、スカイ君のお姉さんは剣を受けていないよ。安心したらいい」
「え?」
そこでやっと振り返る。
背後に立つ男は三人。

真面目で誠実そうな印象の、褐色の肌をした男性。
がっしりした体格に、短く刈り上げた頭が、どうにも盗賊らしさを感じさせないが、ギルドバッジを胸に光らせているところを見ると、盗賊ギルドの管理関係者のようだ。
温かい瞳で、にこやかにこちらを見つめている。

その隣には、なんだかへらへらとした軽い印象の男性。
細くて引き締まった体に、長い髪を後ろで細く括っている。
三人の中では一番背が高いようだが、猫背がそれを小さく見せていた。

最後の一人は、ぼんやりした雰囲気の中肉中背の男性。
穏やかに微笑むとらえどころのない表情は、元からなのかそうじゃないのか分からなかった。

「あー、なるほどね。このお嬢ちゃんはその子が血まみれになったと思ってたわけか」
猫背の男が楽しそうに笑う。
「笑ったら悪いだろ」
ぼんやりした男がそれを諌めるも、口調に抑揚が無く、本当はどう思っているのか分からないのだが……。
「ここに飛び散っていたのはピコリーだよ、スカイ君のお姉さんが持っていたんだね」
どうして持っていたのかはわからないけれど。と付け足して、真面目そうな男性が私の脇に屈んだ。
「魔法を使いすぎたのかな? 大分消耗しているね。とりあえず盗賊ギルドに運んでもいいかな?」
デュナの額に手を当てて顔色を見てから、
真面目そうな男性がデュナを抱えようとする。
「は、はい……お願いします」
まだ上手く回らない頭で返事をする。
ピコリーってなんだろう。聞いたことのない名前だけど……。
「あっ俺運ぶ!!」
慌てて挙手した猫背の男を
「お前はダメだ」
と、真面目そうな男性が一蹴する。
「なんだよケチ」
あからさまに不服そうにする猫背の男に、真面目そうな男性は笑顔で
「黒尽くめの男なら、全員お前が運んでいいぞ」
と答えた。
向こうを見れば、覆面の男達が四人、ぐるぐる巻きにされている。
内一人はデュナに吹き飛ばされたときからずっと昏倒しているようだったが。
「四人も一気に運べねーよ」
「往復すればいいだろう。そう遠いわけでもなし」
「俺も手伝うよ」
ぼんやりした男の申し出に「おお、サンキュー」と猫背男がバシバシその背を叩いて乱暴な感謝を表しつつ、二人は覆面男達の元へ向かって行った。

それを見送って、真面目そうな男性がデュナを横抱きに私の頭上まで持ち上げる。
ふわっと微かな空気の流れが顔に当たる。
途端に、むせかえるようなニンニクの臭い。
それにきつい香辛料の香りが私の嗅覚に突き刺さった。

ど……どうして今までこんな強烈な匂いに気づかなかったんだろう。
それだけ動揺していたという事だろうか。
ふんわりと、トマトの微かな香りも混ざっている。
そうか、これがピコリー……。
そういえば、デュナが今日の買い物を始めてすぐにお店をのぞいていたっけ。

ランタナの特産品でもあるピコリーは、この町の誇るトマトベースの激辛ソースだった。

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