circulation ふわふわ砂糖菓子と巡る幸せのお話

弓屋 晶都

第3話 黄色い花 3.湖畔

そんなわけで、私達が黄色い花を探しに出かけたのは、家に着いてから四日後の事だった。
十分日帰りできるはずの距離ではあったが、一応午前中のうちに出ることにする。
「夕方くらいまでには帰るわ」
玄関先まで出てきて見送ってくれるフローラさんに、デュナが声をかける。
「この間も、日帰りって言って出かけたわよ~?」
「う……」
デュナが言葉に詰まる相手というのも、フローラさんくらいだろう。
捨てられた子犬のような、つぶらな瞳でデュナを見つめているフローラさんに、
「なるべく早く帰ってきますね」
と、私も声をかける。
フォルテが続いて「私も、早く帰ってくるね」と微笑みかけると、フローラさんは私達の頭を抱き寄せて
「ラズちゃん、フォルテちゃん、気をつけて行って来るのよ~」
と、温かく別れを惜しんでくれた。

そんなやり取りから三十分も経たないうちに、私達は森に到着していた。
「なんか、昔よりさらに近くなったよな、この森」
頭の後ろで手を組んで、見上げるスカイにデュナが突っ込みを入れる。
「あんたが図体ばっかり無駄に成長した証拠ね」
私達は遠出するときも手ぶらだが、今日はスカイも手ぶらだった。
さすがに、毛布も着替えも無しでは、家に帰らないわけにもいかないだろう。
ザクザクと生い茂る草を踏み分けて、森の奥へと進む。
「結構茂ってるわねぇ」
デュナが白衣の裾を持ち上げている。
白衣を緑に染めたくないというのは分かるが、それでは足が切れないだろうか。
そうでなくても、膝から下は素足に網タイツだ。
ふと、デュナのこの網タイツが破けたところを一度も見たことが無い事に気付く。
もしかすると、その網タイツには何か細工がしてあって、相当頑丈に出来ていたりするのだろうか?
そういえば、デュナの足に傷が出来ているところも見たことが無いなぁ……。
などと考えていると、湖が見えてくる。
「すぐ着いたなー」
スカイが後ろから嬉しそうに声を上げる。
「すぐ着くわよ。近いって言ってるでしょ」
デュナがうんざりと返事をする。
それでも返事をするあたり、デュナは律儀だと思う。

湖は、端から端までがギリギリ視界の中におさまるくらいの、大きいといえば、十分に大きかったが、それでも森の中の湖。といった程度だ。
暑い時期には子供達が水遊びに来るが、案外底が深いので、泳げない子はあまり近付かなかった。
「一人の子どもにも会わなかったな」
「そりゃそうよ、今日は平日だもの」
「あ、そっか」
私達のような仕事をしていると、平日も休日も関係なくなってしまうのだが、
世間一般的には、五日おきに、二日ずつの休日があった。
子供達の通う学校の休みも、やはりその休日に合わせられていた。
「ねえ、花、咲いてないよ?」
フォルテの言葉に、皆一斉に湖へと視線を戻す。
湖を取り囲むように生えている黄色い花達は、どれもまだ固いつぼみだった。
「別につぼみでもいいんじゃないのか?」
スカイが口にすると、デュナが
「花じゃないとダメよ。花びらから成分を抽出しないといけないもの」
と返す。
「まあ、どうしても花が手に入らないなら、つぼみから花びらを引っ張り出してもいいかも知れないけど…」
「真ん中の、島には咲いてるね」
フォルテが指す先、浮島には、一面黄色い花が咲き誇っている。
「そうねぇ……」
フォルテの言葉に、デュナが大きく頷く。
そして、そのままゆっくりとした動作でスカイを見る。

メガネを怪しく反射させながら。

「なんか、年中咲いてるイメージだったなー」
のんきに笑うスカイが、視線を感じてか振り返る。
その表情が一瞬にして凍りつくと、見る間に冷や汗を浮かべ始めた。
デュナと目が合ってしまったのだろう。

「え……? お、俺……が?」
スカイの呻きに、デュナが首を縦に振る。
「まさか、泳い……で……?」
「あんたが飛んで行くって言うならそれでもいいわよ?」
ヒクッと大きくスカイの顔が引きつったのがここからでもはっきり見えた。
飛んで行くというのは、即ちデュナの魔法で吹っ飛ばされるということだろう。
あの島に無事着地できる可能性は低そうだが。

「あああああ……」
盛大に息を吐きながら、スカイがその場にしゃがみ込んだ。
「そうだよな、俺だよな、俺が行くしかないよな、泳いで行くしかないよなぁ……」
ブツブツとかすかに聞こえる呟きは聞かなかったことにして、デュナに問いかける。
「どのくらいあればいいんだっけ」
「こう、一抱えね」
デュナが、腕を輪にして答える。
「まあ、一度には無理だから、三、四回に分けて取ってきなさい」
デュナがスカイに指示する。
「おーぅ」
渋々、スカイが座り込んだままグローブを外している。
グローブ、ブーツを外して、上着を脱ぐ。
緑色の上着の下には、茶色の隠しベストが着こんであって、こまごまとした道具が収納されている。
鍵開けの時くらいしか、あそこから物が出てくるのを見たことは無いのだが、一度、洗濯しようかと畳まれていたあのベストを拾い上げたとき、あまりの重さに驚いた。
結局あの時は「どこに何が入っていたのか分からなくなるだろうから、自分で洗うよ」と、スカイに取り返されてしまって、あのベストにどんな道具が仕込まれているのかは未だに謎だったが。
サイドの革紐を解いてその重たいベストを外し、下に着ていたシャツに手をかけて……。
突然、スカイがこちらを向いた。

「?」
とりあえず、曖昧な表情を返してみる。
私、そんなにじろじろ見てたかな……?
ほんの数秒固まった後、スカイがシャツから手を離して、太腿部分に取り付けられたナイフを鞘ごと外す。

あれ?
シャツ脱ぐの止めちゃった……?
「スカイ」
不意にデュナに声をかけられて、スカイの肩がビクッと揺れる。
「服はなるべく脱いでいきなさい。危ないわよ」
厳しいデュナの口調に、スカイがしどろもどろ反論を試みる
「い、いや、だってさ……」
「気にしてるのはあんただけだから。安心しなさい」
デュナの追い討ちに、ガックリと肩を落として、スカイが長く深いため息をついた。
「あんまりため息ばっかりついてると、幸せが逃げていっちゃうよ」
フォルテが心配そうにスカイを覗き込む。
「……って、ラズが教えてくれたの」
と、話を振られて、「そうだね」とフォルテに笑顔を返す。
スカイも顔を上げて、ニコニコと覗き込むフォルテに力ない笑顔を返している。
スカイがどうにも不憫に見えるのは、こういう時だった。
「……ああ、そうだよな。俺だけだよな、気にしてるのなんて……」
小さく呻きながら、何か観念したらしいスカイがまた服を脱ぎ始めた。

もしかして、私達の前で服を脱ぐのが恥ずかしかったのかな……?
後ろを向いてあげてれば良かったのか。と今さらながらに思う。

スカイから視線を外して、浮島に咲き誇る黄色い花々が揺れるのをぼんやり眺めていると、傍でスカイの悲鳴が上がった。
「うおっ!!」
上半身裸に下は下着の上にベルトを一本巻いた姿で、足を湖に浸け……た途端に引っ込めたところだろうか。
「こ、これは……マジで冷たいぞ……」
スカイの顔が青ざめて見えるのは寒さのせいだろうか。
「そうね。もう外気の方が水温より高くなってきたところだし、今が一番冷たく感じられるんじゃないかしら?」
デュナが優しく同意する。

「スカイ、準備体操しっかりしてね」
体力や頑丈さには定評の有るスカイだが、それでも準備体操をしてから入った方が良いと思い、声をかける。
「おう。分かった」
いち、に。と小声で体操をはじめるスカイ。
気付けば、デュナがその背後にいた。
メガネが反射してその表情は見えなかったが、その右肩には風の精霊がとまっている。
なんとなく先が読めるので、とりあえず、フォルテの手を引いて水面から離れておく。
あちこち伸ばして最後にうーんと大きく伸びをするスカイの背中に、デュナが「行ってらっしゃい」と笑顔で手を添えた。


風の精霊がスルッとデュナの肩から手へ移り、そのままスカイの背を押して湖の真ん中へと滑り込む。
水に沈む間もないほどの速さで。

波音と暴風に紛れたスカイの絶叫がぷつりと途絶えたかと思うと、その姿は水中に消えていた。
浮島までの距離の三分の二程を進んだ辺りだろうか。
湖を、また静寂が支配する。

「……スカイ、沈んじゃった……」
フォルテが隣で心配そうに呟く。
「すぐ出てくるわよ」
デュナがフォルテに言った途端、
「ぶはぁっ!!」
と、スカイが水面に顔を出した。
「いきなり何すんだよっ!」
「あら、サービスよ?」
デュナが、心外だとばかりに首を傾げる。
「断りも無しに冷水に突っ込ませるサービスがあってたまるか!!」
「あんたクジラでしょ?」
「クジラは淡水には居ねぇ!!」
いや、その前にクジラじゃないという否定は……?

「スカイ、元気だね」
フォルテがにこにこと私を見上げて言う。
「そうだね」
つられて笑顔で返事をする。

当のスカイは「いいからさっさと花を取ってきなさい」とデュナに叱咤されて浮島に向かって泳ぎはじめた。
「あ」
フォルテが突然駆け出す。
水際、ギリギリのところに黄色い花が一輪咲いていた。
「咲いてるーっ」
フォルテが嬉しそうに、その小さな花を覗き込む。
「ほんとだね」
水仙に似たその花は、すっと伸びた茎の先に若干俯き気味のささやかな花をつけていた。
つぼみの状態から黄色がはっきりと見えるせいか、つぼみたちに紛れて気付かなかったのだろう。

フォルテに合わせて花の傍にしゃがみ込もうとするも、マントの裾が水面に付きそうで諦める。
フォルテは、湖の淵まであと少しと言うあたりにしゃがみ込んでいる。
立ち上がるときには気をつけておかないと、うっかりこんな所で躓かれでもしたら、湖に落ちかねないな……。
後ろからやってくるデュナに、声をかける。
「これ、掘り返して持って帰る?」
鉢植えにする分は、陸地で確保する方が良いだろう。
「ああ、鉢植えにするのはつぼみのほうがいいだろうから、それは抜いちゃっていいわよ」
デュナの声に、花に手をかけたのはフォルテだった。
「あっ、フォルテ! その花抜くときには――」
プチッと小さな音を立てて、フォルテが花を引き抜く。

思わず目を閉じる。

この黄色い花は、抜かれる瞬間に黄色い光を発する。
それを見てしまうと、幻惑効果にかかってしまうのだ。
誰か、フォルテにこの事を説明しただろうか。
少なくとも、私は、まだ伝えていなかった。

三秒ほどして、そろりと目を開ける。
フォルテは、小さな手に黄色い花を握り締めたまま、立ち上がっている。
「フォルテ、今黄色い光を……」
見たか、と問うべく覗き込んだそのラズベリー色の瞳は、光を映していなかった。
ぐらり。とフォルテの体が静かに傾く。
よりによって湖の方へ。
「フォルテ!!」
伸ばした腕がなんとかフォルテの手首を掴むが、
力の抜けてしまったフォルテの体は鉛のように重かった。
ダメだ!! 支えきれない!!!
両腕を添えるも、一瞬のうちに引き摺られ片足が地面を失う。

フォルテの肩が、髪が、水に浸かる。
駆け寄るデュナが何か叫んでいる。

次の瞬間、私の視界は水中にあった。

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