純白の魔法少女はその身を紅く染め直す
1:進み続ける時計の針①
それは、数年前の出来事。
【――――全魔法使いに継ぐ】
始まりは、無機質な声の放送からだった。
【禁断の書が、何者かによって強奪された。繰り返す、禁断の書が】
誰しもが、現実とは思えず立ち尽くす。
幾重にもトラップが張られ100%侵入は不可能と言われていた場所から、禁断の書が盗まれてしまうなんて、誰が想像できたか。それほど、不可能な出来事だった。
【主界魔法使いは、犯人を追跡。上界魔法使いは、住人の非難を優先。任務を遂行せよ】
その放送は、人々の唖然とした表情を無視するように同じ言葉を繰り返す。
【任務を遂行せよ】
誰もが立ち止まってその放送を聞いている中、1人の少女が目にも止まらないスピードで駆け出した。……ユキだ。
幼い顔立ちをした彼女は、懸命にあるところを目指して走る。
途中、数人にぶつかるが、ぶつかった人たちは何も感じず。それだけ唖然としていたのか、それともユキのスピードが速すぎて気づかなかったのか。
立ち止まっている人が多いためか何度もぶつかるも、彼女は気にせずひたすらに走り続ける。
「……」
その表情は、何かに怯えている。時々、オドオドと左右を見渡してはホッと安堵しを繰り返していた。
幼いユキはそのまま巨大な建物の前で止まると、開けっ放しにされている門を潜り慎重な足取りで中に入っていく。周囲には、魔警や光が慌ただしく行き来していた。
ここは、魔法省。
今回、禁断の書を盗まれた場所だ。
「間に合って、間に合って」
と、同じ言葉を繰り返しながら、建物の中に足を踏み入れる。
エントランスも、魔警の人たちでいっぱいだった。緊急事態なこともあり、誰も小さな侵入者へ目をくれないのは彼女にとっては幸運だっただろう。
「お願い、間に合って……」
ユキは、そう呟きながら一番奥の大きな扉をゆっくりと開いた。
「…………ミツネ」
しかし、遅かったようだ。
扉の向こうには、横たわったレンジュの皇帝を抱えるミツネが、涙を流して地べたに腰を下ろしていた。
「……ユキ。今、息を引き取ったよ」
「うん……」
レンジュの皇帝……サクラは、ミツネの腕の中で安らかな顔をして眠っていた。
その後ろには、今宮とアリスが……ミツネ同様涙を流しながら立っている。他に、人影はいない。
ユキは、人避けに張られているフィールドをなんとも思っていないかのようにくぐり中に入った。
そこは、壁一面が本棚になっている。レンジュの禁断書が保存されている場所だ。
今は、いくつかの本棚が破壊されていて、ぽっかりとあいた空間が虚しく映る。
「ごめんなさい……」
と、アリスがユキに向かって謝罪の言葉をはいた。今宮は、声が出ないのか嗚咽を堪えるように下を向いている。
「盗まれた書は?」
「大きいのは真田と七つの因果律。他にも数冊小さいのが」
「雫さんはどこ」
「……死んだよ」
「そう……」
聞くだけ聞いたユキは、そのままどこかに向かおうと入り口の方へと向かう。その表情は、どこまでも「無」だった。
「ユキ。雫を回収してきてくれ。彼女は、ヤイガ地方にいる」
その背中にミツネが声をかけるも、ユキはそれに答えず、
「……アリス」
と、いつものトーンで彼女を呼ぶだけ。
「行くよ」
目を真っ赤に腫らした彼女は、何をするのかわかった様子。
ユキの呼びかけに応じ、その袖で涙を拭う。
「……ユキを頼んだよ」
「……はい」
ミツネがアリスに声をかけると、彼女は跪き皇帝の頬をゆっくりと撫でた。それはまだ少しだけ温かく、アリスの手に温もりを伝えてくれる。
再び、アリスの瞳には涙が浮かぶ。しかし、それも一瞬で、次の瞬間にはいつもの表情に戻って出て行ったユキの背中を追って行った。
「宮。おいで」
2人がいなくなると、後ろで立ちすくんで下を向いている今宮にミツネが声をかけるも、彼は動かない。目線は、足元に固定されたまま。
「……宮よ。きっと、レンジュは女皇帝を許さないだろうな」
「……」
歴代皇帝が全て男であるレンジュでは、それが許されないだろうということは今宮もわかっていた。が、皇帝の席に座れる器は現時点でミツネと彩華だけ。
どうするのがベストなのか、今宮には答えが見つからないようだ。
「ちょうど、ザンカンの女皇帝が就いたばかりだろう。色々噂を聞くよ」
その噂は、決して良いものではない。
なんでも、身体でのし上がった卑猥な女皇帝、政治に関して何も知らないお飾り皇帝と他国にも伝わるほどひどい言われようをしている。
「……でも、どうすれば」
「宮、なぜお前がここに残ったかわかるか」
「…………まさか」
「もう一度封印をかける。宮は、彩華をここに呼べ」
「……決定事項ですか」
「ああ」
ミツネは、短い返事と共に夫の亡骸を強く抱きしめ、決心したかのように前を向く。
「わかりました。手配します」
その覚悟を受け取った今宮が、腕で涙を拭うと背筋を伸ばしてその部屋を後にした。
「……なあ、私は間違っているか?」
2人だけ居るには広すぎる空間の中。残ったミツネは、すでにこの世にいない夫へ呼びかける。
もちろん、返事はない。
「もっと3人で旅行したかったな。任務でも良い。会議でも良い。なんでも良いから、3人の思い出が欲しかった」
皇帝とミツネの年の差は、30。皇帝が、そのことについて悪く言われないよう色々気を使ってくれた。
男を産めなかった時も、そのストレスで流産を繰り返して最終的に子宮を全摘出した時も、娘に魔法が使えないと気づいた時も、ずっと自分の味方をしてくれた。
ただ眠っているだけのように見える皇帝の顔を見ると、その思い出が鮮明に蘇る。
「……先に行くことは許さないって言ったのにな」
彼は、魔法省にある禁断の書の封印を強化するため命を犠牲にしてしまった。きっと、彼が強化しなければ他の書も盗まれていたに違いない。
魔力をなくしてしまった魔法使いの行く先は、死しかないのだ……。
ミツネは、すでに冷たくなってしまった皇帝を下ろし、ゆっくりと口付けをすると、
「見ていてくれ。私は、レンジュを引っ張っていく。雫との約束も、果たす」
そう言って立ち上がった。
そして、自身に向かって手を当てて、まばゆい魔法光で全身を包み込む。
「……お母様?」
そこに、彩華の声が聞こえてきた。ミツネには、彼女が来るタイミングがわかっていたようだ。
扉が、今宮によってゆっくりと開かれた。
そこには、困惑顔の彩華と、決して視線を合わせようとしない今宮の姿だけしかいない。魔警は、どうやら先に撤退したらしい。
「……お母様! 何を! お母様……!!!」
飛び込んできた彩華に向かって、後ろから幻術を発動させる今宮。今までにないほど苦しそうに、悲しそうに表情を歪めている。
さらに、彩華に伸ばした手が小刻みに震えていた。
「……血族技、幻想夢」
彼がそう呟くと、すぐに彩華の動きが止まる。
「ごめんなさい……。記憶をいじらせていただきます」
彼なりの謝罪だろう。しかし、魔法にかかった今の彩華にその言葉は届かない。
律儀にそう言うと、彩華の頭を片手で掴みピンクの光を放った。
「……いや! いや! お母様、お母様!!!! いやああああああああああああ!」
今宮一族の血族技は、「記憶改竄」。視覚で感じ取っているものと脳に伝達される映像を書き換えることが可能なのだ。
これを買われて、今の地位に就いている。どんなに自身の望まない使い方だろうと、彼はそれを拒否できない。
「……っ」
頭を掴まれた彩華は、今まで口にしなかったような悲鳴をその部屋全体に響き渡らせる。
今の彼女には、母親が残虐な殺され方をされている最中の映像が脳裏に写っている。恐怖で支配された脳には、多大なるダメージが蓄積されているだろう。今宮は、それを考えるだけで自身の心臓がズキズキと痛むのを止められない。
「お母様! お母様!」
彩華は、足が固定されているように動かず、その場に崩れ落ちてその光景を見ていた。
今まで守ってきた彼女を、こんな形で苦しめることになるとは。今宮は、想像もしなかったことだろう。きっとその気持ちは、外で緊急事態を知らせる放送を聞く国民とさして変わりはしない。
「……」
ミツネを包んでいた光がなくなると、そこには皇帝が立っていた。
床に眠っている皇帝に、立って前を見据えている皇帝。そのどちらも、姿形はレンジュ皇帝サクラのもの。
「お父様、お父様。お母様が……お母様が!!!」
彩華が、立ち上がっている皇帝に向かってゆっくりと足を進めてきた。足元にいる、本当の父親には目も暮れず。
わかっていたのか、立っている皇帝は何も言わずに娘を優しく抱き寄せる。
「……彩華、父はここにいるよ」
「うわあああああああ、あああああああああ!!!!!!」
その優しい嘘は、彼女の壊れた心へ静かに入り込む。
今宮はその光景を、彩華に魔法をかけ続けながら他人事のように眺めていた。
そう。これが、「黒世」の始まりだったのだ。
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