純白の魔法少女はその身を紅く染め直す

細木あすか

12:八つ手の花が寒さを包む①




「アリス」
「はい」

皇帝は、先ほどから時間を気にして書類と向き合っていた。
いつもより落ち着きがなく、その視線は物音がするたびに出入り口の扉へと向けられる。しかし、待ち人は来ない。
待ちきれなくなった皇帝は、隣でおサボり対策として監視しているアリスへと声をかける。

「……ユキは」
「帰還しています。今は、解剖部の彼女専用のお部屋に」
「そうか……。帰ったか」
「……」

その声は、安堵に震えていた。
珍しいほどの動揺を目の前に、アリスは首を傾げる。この程度の任務なら、いつも繰り返しているではないか。なぜ、今回に限ってここまで心配されているのだろうか。

アリスも、今回の任務内容を聞かされていた。むしろ、それの情報収集をして環境を整えたのは自身だ。
ナイトメアという謎の組織の拠点を突き止めたので、そこへの潜入捜査を任務として発注したはず。
情報収集に重要人物の暗殺、建物の破壊とキメラに関する新薬の強奪……。それに、ユキが望んでもうひとつ、任務が追加されたっけ。その追加されたものも、前述したものに比べれば危険度はグッと低い。そんな心配するような、特別なことはないはず。

「……ただ、体内破損と魔力暴走は変わらず起きています」
「されたのか?」
「はい。千秋が診てくれているので、もう心配はありません」
「……」
「……?」

そんなこと、承知のはずなのに。

やはり、アリスは主人の表情に疑問を抱く。
彼女たちの間で、何かあったのだろうか。であれば、自身が首を突っ込んで良い話ではないはず。

「……この書類が終われば、最後です」
「わかった。なんだか、あっけなかったな」
「……」

アリスは、いつの間にか皇帝の声が女性になっていることに気づき、鼻の奥をツンとさせる。


***

「ん、ん、ん〜♪吸血鬼による毒感染、擦過傷、切傷、刺傷、打撲、単純骨折、膣内の裂傷に子宮口2cm開いてるし不正出血も!……え、何?産むの?陣痛くる?」
「……」
「しかも、自律神経やられてる。これは、魔力に響くねえ」

きっと、この発言は不適切なものに違いない。

術衣に身を包み込んでいる千秋は、解剖部のある奥の部屋……他の人も出入りは自由なのだが、なんせ彼女の趣味全開の内装なので好んで入る人はいない……で、嬉しそうに手に持っているカルテを読み上げていた。……今にでも鼻歌が聞こえてきそうなほど機嫌が良い。いや、既に歌っているか。
しかし、この状況を把握している人にはどうしても不謹慎な発言として聞こえてきてしまう。その光景を前にガクガクと震えているサツキは、そんな彼女の態度に疑問を抱いた。

「……カイトがここまでやったの?」
「いや、違うと思う。首筋のところからしか毒が検出されてないし、吸われただけデショ。膣内の精液は人間のものだし」
「そう……」
「嫉妬した?」
「ううん。カイトは、吸血で魔力回復するから。前もよくしてた」
「へえ、まさに吸血鬼!って感じ。お目にかかりたくはないなあ」
「……治療、してあげてよ」

と、どんどん話が逸れていく。
その間も、目の前では彼女の持つカルテに書かれた症状で苦しむ人物が声をあげてのたうちまわっていた。それが耐えられなくなったサツキは、千秋に先を促す。

「ん〜、やるかあ。とりあえず、薬抜いて石取って応急処置の手順!手伝える?」
「やれる」
「はあ、良い助手ができたよ〜」

千秋も、サツキが医術に詳しいという情報をゲットしている。もちろん、それがちゃんと使えることも。
故に、こうやって側で待機させているのだろう。しかし、サツキがここにいるのはそれが理由ではない。

「あああああああああああああぁぁ、痛い!痛い!」

目の前では、黒いモヤのようなものを体全体から放出させたユキが、固定具の付いたベッドで力の限りのたうちまわっていた。サツキは、彼女をどうにかして楽にさせてあげたかったのだ。

その力は、魔力を流し決して外れないようになっている固定具が壊れそうな勢いを持つ。彼女は、所持できる魔力値を超え、力がセーブできず暴走していた。
目をカッと見開き、その黄色く光り輝く瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちている。さらに、千秋が言うように怪我を負っているのもあり、先ほどから「痛い」と言いながら助けを求める姿も。
それは、良心のある者なら、胸を痛めてしまう光景であることは間違いない。

「あー、壊したら弁償してもらうよー」

しかし、千秋に至ってはそんな「良心」はないようだ。
ユキよりも、設備の心配をしているのだから。

「……私弁償するから」

その様子に呆れつつも、彼女が動かないと何もできないこともわかっていた。どうにもできない状況に暗い表情を披露するサツキは、懸命に魔力調整をすべく両手をユキの上にかざす。
しかし、それは雀の涙程度。溢れ出す彼女の魔力を吸収することも興奮を抑えることもできない。

「まじ?じゃあ、もう注文していい?この調子じゃそろそろ壊れる」
「うん……。それでも足りないんだけど」
「大丈夫だよ。いつもこんな感じだから」
「……いつも?いつもこんな」
「待って、注文先させて」

ここで、ユキの治療が先とならないところが千秋らしいところ。サツキは、この部屋に入ってから何度ついたかわからないため息を漏らした。

「……はあ」

ボロボロになったユキは、神谷と共に解剖部を訪れた。執事に抱かれた主人は、大泣きしながら「何も見えない」という言葉を繰り返していた。冷静で愉快な彼女ばかりを見ていたサツキにとって、その光景は衝撃的なもの。それほど、辛いことがあったのだろうと胸を痛めてしまうのも仕方ないのかもしれない。
何があったのか一部始終を神谷から聞いた時は、思わずサツキの瞳からも涙がこぼれてきてしまった。

今回の潜入捜査は、サツキの体内に入れられていた薬を知るのも目的として入っていた。何年も受け入れていた薬の種類すらわからなかったサツキは、自分の失態がユキを苦しめたと思っても不思議ではない。実際、彼女は「自分が悪い」とその身を責め立てていた。
しかし、キメラはレンジュにとっても未知数のもの。その薬が彼女の生存に関わるものであれば、知る必要があった。皇帝と千秋の判断によって、今回の任務が発生したという経緯だ。

「う〜ん、次は自動で魔力が生成されるタイプにしようかなあ」
「……」

サツキは、のん気に新しいベッドを注文している千秋とのたうちまわるユキを交互に見る。
ユキの着ている白い服は、神谷がここに運んできた時に新調したのにも関わらず、既に彼女の魔力によってボロボロになっていた。所々に血が滲み、一層サツキの気持ちを暗くする。
これは、緊急事態と言うものではないのか?彼女ののんびりとした行動がやはり理解できない。

そうこうしている間も、ユキは泣き叫び、腕や下半身から大量に血を流しているのだ。その血は、ビニールに覆われたベッドから滴り落ち床を濡らしていく。薄暗いので血の色は鮮明に見えないが、独特の香りが部屋に充満する。

「ユキ、頑張れ……。頑張れ」

サツキは、ただこうやって暴れる彼女を抑えていることしかできない。
自分が泣いても、仕方ない。そう思い、ぐっと涙をこらえながらひたすら魔力吸収に専念する。しかし、その努力も虚しくついにブチっと大きな音がして片腕の固定具が外れてしまった。

「うわあああ!あああ、ああ!あ、あ」

すぐさま、自由になったユキの拳がストレートにサツキの身体へと向けられる。意識が混濁しているのもあり、敵味方すら判断できない状態らしい。その表情は、恐怖に支配されていた。

「あっ……!」

とっさの出来事だったため、サツキはその攻撃を避けきれなかった。
ガシャーンと大きな音がし、周囲の機材を巻き込んでそのまま後方へと叩きつけられてしまった。薬品棚にぶつかりガラスが割れ、彼女の頬に鮮血が走る。
その音に顔をあげた千秋は、

「あーあ。そこにあるA-34は高いから壊さないでよ」
「う、ごめん……」

と、少々冷たい言葉を放ってくる。文句を言おうと口を開くが、この人に感情的になっても仕方ないと理解はしているらしい。小さな声で謝罪を述べ、再度ユキの元へと向かった。
とはいえ、何か言いたくなってしまったサツキは、咎めるような口調で

「……もう少しユキの心配してよ」
「心配?してるからこうやってチェックしてんじゃん」
「……心配してないよ」
「そんな過度に心配してたら身がもたないよ」
「……」

と、会話するも、やはり思った通りの回答しかされない。呑気に暴れるユキを観察し、カルテに何かを記入しているだけ。
その間も、耳にはユキの叫び声と助けを求める声が鳴り響く。

「……あっ、ユキ!だめ!」

とうとう、最悪の出来事が起きてしまった。
ユキは、外れるはずのない固定具を全て壊してしまったのだ。ふらつき浮遊しているような足取りで、標的を探すように目を虚ろに動かしながら床に降り立った。

「……あ、あ。ぉ」
「ユキ、身体もう限界だから。動かないで」

サツキが言葉を発すると、彼女にとってそれが「敵」に見えたのだろう。鋭い殺気を放ち、勢いよくその距離を縮めてきた。
そして、標的にされてしまった彼女は、ユキに床へと強引に押し倒され両手で首を掴まれてしまう。

「……ユ、ユ」

冷たい床に頭を打ち付けたサツキは、強い力で締められ酸素が肺に届かない。苦しさにもがき腕を掴むが、ビクともせず。
彼女は、本気でサツキを殺そうとしている。サツキにも、それを感じ取っていた。

「あー、ちょっとやめてよね。それはいただけない」

と、千秋が魔力増強を施しながら馬乗りになっているユキの首根っこを掴む。しかし、それで止まれるような彼女ではない。

「うっ……」

裏拳打ちが綺麗に鳩尾へ入り、ベッドの角に背中を強打する千秋。そのまま、彼女は気絶したかのように動かなくなってしまった。

「ち、あき……。誰か……」

このまま死んでしまうのか。
そうサツキが諦めた時。

「フィールド展開、開花」

その部屋の出入り口から光が差し、突如入室してきた風音が暴走するユキに向かって手をかざしてきた。


          

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