異世界スローライフ~境界の魔法使い~
揺らぐ境界
『先生はどうしてこんな所に住んでいるんですか?』
夢を見た、少し昔の夢。
『んんー? こんな所って失礼だろー?』
夏だったから蝉の声が耳にこびり付いていた。魚釣りの為に竿から糸を垂らして、ぐだりと隣を見る。
『だって先生って凄いじゃないですか。それがこんな何も無い所で、何もしないで過ごすなんておかしく無いですか?』
『おかしく無いだろー? 力があるからって何かをしなくちゃいけない訳じゃ無いんだから』
『そうですけど……何も欲しくは無いんですか? 先生なら神様も、悪魔様も敵じゃ無いですよね?』
『そうだな……多分なー』
『何もしたくは無いんですか? 野望とか無いんですか?』
確か少しだけ悩んでから、頭を掻きながら答えたんだ。
『――――レオナがもう少し大人になったら教えてやるよ』
『もおー、何ですかソレー!』
頬を膨らませて、少しだけ怒るレオナの顔を覚えている。
「――――ィンさん、ザインさん。申し訳ありません、お待たせしてしまって!」
「――――んあ……ああ?」
視界いっぱいに広がるキャロルの顔。耳には噴水の流れる音が聞こえてくる。少しだけ顔の赤くなったキャロルを見て、ようやく自分がうたた寝をしていたのだと知った。
「……寝てた」
「本当にごめんなさい! お仕事が長引いてしまって……」
「ああいや……気にしないで……んんぐあっ……大丈夫」
軽く伸びをしながら立ち上がる。夕日は既に傾き切って夜の時間が訪れ、この噴水広場に居る人の波は疎らになっていた。
「レストランも……閉まっちゃってます……よね?」
「んんー? おお、もう十時かぁ……」
「本当に……ごめんなさい。この間のお返しだというのに……私が遅れるなんて……」
未だに起き切っていない頭を何度か振り、申し訳無さそうに顔を伏せるキャロルの頭を撫で付ける。
「いいさ、時間だけはあるんだから。今から取り返しに行こう」
「取り返しに……ですか?」
「こういうデートの形があってもいいだろ? 少し歩こうか、お散歩デートってやつ」
今や殆どの店は閉まっており、何処かに寄るなんて出来ないけれど、折角仕事終わりに来てくれた彼女とこのまま別れるなんて事はしたくない。
「ちょっとだけ懐かしい夢を見てさ」
「どんな夢だったのですか……?」
「レオナに聞かれたんだよ、野望は無いのかって。その時の夢」
未だに夢に成り果ててでも俺の頭から離れない、あの日の光景。
「野望……何かを成し遂げると約束でもしたのですか?」
「いいやその逆、どうして何もしないんだって聞かれた」
「ザインさんは何と?」
「何も無いよって、力を持っているからと言って何かをしなくちゃいけない訳じゃ無い。力を持っているから、何かを虐げる必要は無いんだから」
この世界は絶妙なバランスで保っている。ならばそこに巨岩を投げ入れて波紋を立てる必要は無いし、立てたくない。
「ルールを決めたんだ、俺が俺で傷付かない様に……」
「ルール?」
「本当に親しい者、大切な人以外は魔法を使って助けない。例え目の前で死にそうになっていたって見殺しにする、そういうルールだ」
「…………」
返事が怖い、俺はどうしてキャロル相手にこんな話をしているのだろうか。いいや、そもそも返事を返せる様な言葉では無いだろう。これは俺の心の中を彼女に曝け出しただけなのだから。
「そういえば……私を治療した時は、魔法を使っていませんでしたね」
「出来る事なら死なないで欲しいとは思ったよ、本当だ。傷なんか一瞬で治せるけれど、俺はそれをしなかった」
「大切では……無いから」
「ああ……大切じゃない。大切じゃあ――――無かった」
懐に仕舞っていた小さな箱を取り出す。掌に収まる程度の、黄色の小箱。
「大切じゃあ……無かった?」
「大切になったんだ。君の為ならば俺は魔法を使うだろう。これはその証だ」
「これは――――」
小箱を開け、中身を見せながらキャロルに差し出す。中にあるのは小さな指輪。黄色い宝石が嵌め込まれただけの質素な指輪だ。
「受け取ってくれ。そして末永く、俺の友人で居て欲しい」
「まっ、ザインさん……早すぎますわっ!? もっと順序立てて……恋人関係をきちんと形成してからですね……!」
「ああ、ごめんごめん。そういうのじゃないから、これ見て」
指輪を取り出しキャロルの目の前にまで持ってくる。銀色の輪の部分には多層に渡り練り込まれた魔力の奔流が伺える筈だ。
「魔道具の一種だよ。キャロルの専用魔法ってとこかな。黄色い宝石の所が制御室みたいになってて、キャロルのレベルによって徐々に強力になっていくって感じで――――」
籠められた魔法についての説明に入ろうとしたがキャロルはわなわなと肩を震わせる。
「そ、そんな顔で渡さないで下さいましっ! か、勘違いしてしまうでは無いですかぁっ!」
「婚約指輪と勘違いしたのー? 流石にそこまでの仲では無いかなー」
「も、もうっ! ザインさんは意地悪さんなのですねっ!」
「あっはっはっ! それじゃあこれが今日の仕返しだ。何時かお返ししてくれ、待ってるから」
恋というものをしたいと思った事は無いが、キャロルと話すのは楽しい。拗ねた表情も可愛らしいと思う。俺はこれから人間らしい感情を持ち、人間らしい生活に飛び込んでいくのかもしれない。
離れた所で畑を耕し、魚を釣り、魔法の研究を続けるのはとても楽しい。それでも、こういう人間らしいのも良いかもしれない。
こんな感性を手に入れられたのは、偏にレオナのおかげだろう。
ただ一緒に帰路に就くだけのデートはあっという間に終わりの時が来た。
キャロルを家まで送り、俺も自身の家へと帰宅する。明日はレオナがやって来る日だ。感謝の気持ちと共に、この指輪を手渡そう。気恥ずかしいが、こういう一区切りが人を人たらしめるのだから、それすら噛み締めよう。
――――そうだ、オマエが主人公だったなら、平坦な物語にしかならないのだ。オマエは無敵だ、敵は居ない。何にも汚されず頂点に立てる。オマエは最強だ、敵を存在させない。オマエと敵になろうものなら勝負にすらならないからだ。
――――そうだ、オマエは無敵で最強だ。どうして生まれた? 目的は何だ? 何を以てしてこの世界に根付いている。邪悪を許せない善良な心を奥底に忍ばせている? どうして爆発しないんだ? 何がお前を引き留める? 全てを思い通りに出来てなお、オマエは人であろうとするのか?
――――オマエにイベントは似合わない。バッドエンドにすら至れない。何故なら誰もそこへオマエを連れていけないからだ。
――――だが、他の者は?
「――――助けて……先生」
翌朝、左腕が引き千切れたレオナが、家を訪れた。
夢を見た、少し昔の夢。
『んんー? こんな所って失礼だろー?』
夏だったから蝉の声が耳にこびり付いていた。魚釣りの為に竿から糸を垂らして、ぐだりと隣を見る。
『だって先生って凄いじゃないですか。それがこんな何も無い所で、何もしないで過ごすなんておかしく無いですか?』
『おかしく無いだろー? 力があるからって何かをしなくちゃいけない訳じゃ無いんだから』
『そうですけど……何も欲しくは無いんですか? 先生なら神様も、悪魔様も敵じゃ無いですよね?』
『そうだな……多分なー』
『何もしたくは無いんですか? 野望とか無いんですか?』
確か少しだけ悩んでから、頭を掻きながら答えたんだ。
『――――レオナがもう少し大人になったら教えてやるよ』
『もおー、何ですかソレー!』
頬を膨らませて、少しだけ怒るレオナの顔を覚えている。
「――――ィンさん、ザインさん。申し訳ありません、お待たせしてしまって!」
「――――んあ……ああ?」
視界いっぱいに広がるキャロルの顔。耳には噴水の流れる音が聞こえてくる。少しだけ顔の赤くなったキャロルを見て、ようやく自分がうたた寝をしていたのだと知った。
「……寝てた」
「本当にごめんなさい! お仕事が長引いてしまって……」
「ああいや……気にしないで……んんぐあっ……大丈夫」
軽く伸びをしながら立ち上がる。夕日は既に傾き切って夜の時間が訪れ、この噴水広場に居る人の波は疎らになっていた。
「レストランも……閉まっちゃってます……よね?」
「んんー? おお、もう十時かぁ……」
「本当に……ごめんなさい。この間のお返しだというのに……私が遅れるなんて……」
未だに起き切っていない頭を何度か振り、申し訳無さそうに顔を伏せるキャロルの頭を撫で付ける。
「いいさ、時間だけはあるんだから。今から取り返しに行こう」
「取り返しに……ですか?」
「こういうデートの形があってもいいだろ? 少し歩こうか、お散歩デートってやつ」
今や殆どの店は閉まっており、何処かに寄るなんて出来ないけれど、折角仕事終わりに来てくれた彼女とこのまま別れるなんて事はしたくない。
「ちょっとだけ懐かしい夢を見てさ」
「どんな夢だったのですか……?」
「レオナに聞かれたんだよ、野望は無いのかって。その時の夢」
未だに夢に成り果ててでも俺の頭から離れない、あの日の光景。
「野望……何かを成し遂げると約束でもしたのですか?」
「いいやその逆、どうして何もしないんだって聞かれた」
「ザインさんは何と?」
「何も無いよって、力を持っているからと言って何かをしなくちゃいけない訳じゃ無い。力を持っているから、何かを虐げる必要は無いんだから」
この世界は絶妙なバランスで保っている。ならばそこに巨岩を投げ入れて波紋を立てる必要は無いし、立てたくない。
「ルールを決めたんだ、俺が俺で傷付かない様に……」
「ルール?」
「本当に親しい者、大切な人以外は魔法を使って助けない。例え目の前で死にそうになっていたって見殺しにする、そういうルールだ」
「…………」
返事が怖い、俺はどうしてキャロル相手にこんな話をしているのだろうか。いいや、そもそも返事を返せる様な言葉では無いだろう。これは俺の心の中を彼女に曝け出しただけなのだから。
「そういえば……私を治療した時は、魔法を使っていませんでしたね」
「出来る事なら死なないで欲しいとは思ったよ、本当だ。傷なんか一瞬で治せるけれど、俺はそれをしなかった」
「大切では……無いから」
「ああ……大切じゃない。大切じゃあ――――無かった」
懐に仕舞っていた小さな箱を取り出す。掌に収まる程度の、黄色の小箱。
「大切じゃあ……無かった?」
「大切になったんだ。君の為ならば俺は魔法を使うだろう。これはその証だ」
「これは――――」
小箱を開け、中身を見せながらキャロルに差し出す。中にあるのは小さな指輪。黄色い宝石が嵌め込まれただけの質素な指輪だ。
「受け取ってくれ。そして末永く、俺の友人で居て欲しい」
「まっ、ザインさん……早すぎますわっ!? もっと順序立てて……恋人関係をきちんと形成してからですね……!」
「ああ、ごめんごめん。そういうのじゃないから、これ見て」
指輪を取り出しキャロルの目の前にまで持ってくる。銀色の輪の部分には多層に渡り練り込まれた魔力の奔流が伺える筈だ。
「魔道具の一種だよ。キャロルの専用魔法ってとこかな。黄色い宝石の所が制御室みたいになってて、キャロルのレベルによって徐々に強力になっていくって感じで――――」
籠められた魔法についての説明に入ろうとしたがキャロルはわなわなと肩を震わせる。
「そ、そんな顔で渡さないで下さいましっ! か、勘違いしてしまうでは無いですかぁっ!」
「婚約指輪と勘違いしたのー? 流石にそこまでの仲では無いかなー」
「も、もうっ! ザインさんは意地悪さんなのですねっ!」
「あっはっはっ! それじゃあこれが今日の仕返しだ。何時かお返ししてくれ、待ってるから」
恋というものをしたいと思った事は無いが、キャロルと話すのは楽しい。拗ねた表情も可愛らしいと思う。俺はこれから人間らしい感情を持ち、人間らしい生活に飛び込んでいくのかもしれない。
離れた所で畑を耕し、魚を釣り、魔法の研究を続けるのはとても楽しい。それでも、こういう人間らしいのも良いかもしれない。
こんな感性を手に入れられたのは、偏にレオナのおかげだろう。
ただ一緒に帰路に就くだけのデートはあっという間に終わりの時が来た。
キャロルを家まで送り、俺も自身の家へと帰宅する。明日はレオナがやって来る日だ。感謝の気持ちと共に、この指輪を手渡そう。気恥ずかしいが、こういう一区切りが人を人たらしめるのだから、それすら噛み締めよう。
――――そうだ、オマエが主人公だったなら、平坦な物語にしかならないのだ。オマエは無敵だ、敵は居ない。何にも汚されず頂点に立てる。オマエは最強だ、敵を存在させない。オマエと敵になろうものなら勝負にすらならないからだ。
――――そうだ、オマエは無敵で最強だ。どうして生まれた? 目的は何だ? 何を以てしてこの世界に根付いている。邪悪を許せない善良な心を奥底に忍ばせている? どうして爆発しないんだ? 何がお前を引き留める? 全てを思い通りに出来てなお、オマエは人であろうとするのか?
――――オマエにイベントは似合わない。バッドエンドにすら至れない。何故なら誰もそこへオマエを連れていけないからだ。
――――だが、他の者は?
「――――助けて……先生」
翌朝、左腕が引き千切れたレオナが、家を訪れた。
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