第百二十二話 心が壊れる

てっきり襲おそい掛かかってくるものだと思ったが、ルバートは身みを震ふるわせて俺のことを見ているだけだった。


それは、俺の話したことを自覚じかくしているのだろうと思わせた。


だが、精霊せいれいの呪縛じゅばくは本人ほんにんの意思いしで振ふり払はらわなければ解とけることはない。


そういう意味では、ルバートはまだ操あやつられたままだ。


「君に何がわかる……?」


しばらくすると、あのキザな台詞せりふを吐はき、いつも飄々ひょうひょうしているルバートとは思えないほど弱々よわよわしい声を出した。


その姿すがたは、世界最強せかいさいきょうと呼ばれ、住民じゅうみんたちに慕したわれている人物じんぶつとは思えないものだった。


奴やつの言う通とおりだ。


俺にはルバートの気持ちを理解りかいすることなどできない。


きっと永遠えいえんにだ。


他人たにんの気持ちをわかるなどというのは、その場しのぎの嘘うそか、詐欺師さぎしの常套句じょうとうくとして使われることくらいだろう。


だが、俺はまた同じことを考えていた。


そう……あの暗黒騎士あんこくきしビクニ·アメノのことだ。


奴は理解などしていなくてもお構かまいなしに、人の心こころに踏ふみ込こんで来るところがある。


それはどうしようもなくお節介せっかいな上に、論理ろんりも説得力せっとくりょくもない。


だが、奴には他人たにんを本気ほんきで気にかけていると思わせる何かがあった。


もう何もかもがどうでもいいと思ってしまった者へ、すべてを受け止めるような抱擁ほうようをしてくれる真摯しんしさがあった。


なんとか形かたちにしてみようとして考えてみたが、やはりあの暗黒女のことは未いまだにうまく言葉にできていない。


だが、その力ちからこそが前にリム·チャイグリッシュを正気しょうきに戻もどせた理由りゆうだろう。


そして、それが俺も奴についていっている理由……いや、それよりも今はルバートだ。


「ああ、そうだ。たしかに俺にはお前のことはわからない……。だがな、俺にはお前がこの国の連中れんちゅうを殺ころしたいと願ねがっているとは、到底とうてい思えないんだよ」


自分でも不思議ふしぎだった。


何故こんなことをルバートに言えたのか。


ビクニやググの影響えいきょうなのか。


それとも前にルバートの奏かなでる音楽で踊おどったことがあったからか。


俺がそんなことを考えていると、突然ルバートが苦くるしみ始めた。


両手りょうてを頭あたまにやり、激はげしく叫さけぶ。


この男は気持ちが悪わるいくらい善良ぜんりょうな人間だ。


もしかしたら、俺の言葉を聞いて今自分がしていることに、心が耐たえられなくなったのかもしれない。


「私は……私はぁぁぁッ!」


ルバートが叫ぶたびに、部屋に響ひびき渡わたっているセイレーンの歌声も大きくなっていく。


欲望よくぼうを解放かいほうしようとするセイレーンの力ちからに、奴の善良性ぜんりょうせいがぶつかっている状態じょうたい。


このままだとルバートの心が壊こわれるのも時間の問題もんだいだ。


一つ、かなり無茶むちゃなことを考えた。


ルバートの心がセイレーンの歌――精霊の魔力まりょくと闘たたかっているのなら、ルバートの奴に俺の魔力を貸かしてやれば、もしかしてセイレーンの呪縛じゅばくを解とくことができるのかもしれない。


しかし、この作戦は完全かんぜんに賭かけだ。


もし、ルバートが己おのれの欲望に負けたら――。


もし、俺の魔力がセイレーンよりも劣おとっていたら――。


そのときは、俺もルバートと共ともに心を壊こわしてしまうだろう。


だが、ビクニが俺の立場たちばだったら……。


きっとこんなことを考えずに必かならずやる。


普段ふだんは後うしろ向きなことばかり口にしているくせに、他人たにんのことになると急きゅうに前向まえむきになりやがる。


……だから、今はあんな暗黒あんこく女のことを考えている場合じゃないんだって。


俺だ。


俺がどうするかだ。


あんな女は関係かんけいない。


……結果けっか。


俺がセイレーンごときに負けるはずがないから、当然ルバートに全魔力を注そそぐ。


たかだか精霊が粋いきがってじゃねえ。


俺の魔力で今すぐルバートこいつの心から追い出してやる。


「聞けよルバート。今から俺の魔力をお前に貸してやる。あとはお前次第しだいだぞッ!」