闇を統べる者

吉岡我龍

国を憂う -闇の王-

 「お~い?クレイス?大丈夫?」

明らかに雰囲気の変わったクレイスと勝ち誇った笑いを見せる『闇の王』。普段から我儘の限りを尽くすアルヴィーヌでもこの状況を前に考える事はあった。
「う~ん・・・クレイスと戦う訳にはいかないしなぁ・・・『闇の王』だっけ?あなた彼に何したの?」
『『私の下僕にしたまでヨ?』』
何となく聞いた事がある言葉ではあったものの意味はわかっていない。ただ彼を傷つけると妹が悲しむという事だけは十分に知っていたのでアルヴィーヌは『闇の王』だけに攻撃しようと拳を構える。
ところが何故か憎悪と憤怒をまき散らしたクレイスが間に割って入る形で動くのだから邪魔で仕方がない。というか彼から恨まれる理由など何もないはずだ。
『『あら?遠慮しなくていいのよ?さっきの木偶みたいに彼も思いっきり殴りつけて、叩きつけてあげればいいじゃない?ネぇ?』』
終いには『闇の王』がクレイスを後ろから抱きしめて舌を首筋に這わせていた。恐らく挑発の意味もあるのだろうがそこはアルヴィーヌに通じる事は無く、単純に密着されて本当に攻撃し辛いなとしか考えていない。
「むぅぅぅ~・・・あ。わかった。これが人質ってやつね?」
『『そういう形にはなっているかもね?』』

「あ~それってズルいやつじゃない。ズルい手は弱い者が使うってレドラもハイジも言ってた。あなたは弱いんだ?」

悪気や嫌味の意味などなく、ただ思った事を口走っただけなのだが『闇の王』の何かに触れてしまったらしい。
『『・・・違ウわ・・・弱イノは私ジャなくテ人間達よ・・・彼ラガ弱スぎるかラ私ガ護ってアゲていルノ。この子モそウ。』』
寂しそうな表情を浮かべながらクレイスをより強く抱きしめると彼の憎悪と憤怒の表情に苦痛が加わる。何をされているのかさっぱりわからないが今は最優先で彼を取り戻さねばならないようだ。
考えるよりも行動を優先させるアルヴィーヌはまずその腕を引きはがそうと一瞬で間合いを詰めながら両手を伸ばす。しかしクレイスも魔術で水の剣を素早く展開して彼女の腹部に深く、深く迎撃を放っていた。

その瞬間、完全な勝利を確信したのだろう。『闇の王』の高笑いが周囲に響き渡る中ウンディーネ達からは大きな絶望や悲哀、そして新たな憎悪が生まれ始めると彼女は舌なめずりをして狂喜の笑みを浮かべていた。







体外でそのような出来事が起こる前、『闇の王』の干渉を許してしまったクレイスは深層心理の中でナルサスとイルフォシアが絡み合う姿をまざまざと見せつけられていた。
「そ、そんな・・・いや、そんなはずがない。イルフォシア!!そいつから離れるんだっ!!!」
絶対にあり得ない場面を前に焦心と傷心が思考をかき乱す。止めて欲しい。今すぐ彼女から離れろと叫び続ける。なのに2人は、特にイルフォシアはまるでこちらの焦る様子を楽しんでいるかのような不敵な笑みを浮かべているのだ。
体をいくら動かしても2人には近づけない。当然だろう。これは『闇の王』が見せている幻視に過ぎないのだから。ただ実際に起こった過去の出来事を模倣しているだけあって臨場感は手に取るように伝わって来る。
小細工として登場人物を置き換えてはいるものの、現か幻かの判断がつかないクレイスには十分堪えた。堪え過ぎた。

故に彼の心は憎悪と激怒で変貌していく。今まで育んできた優しくも強い心がみるみる『闇の王』に掌握されていく。

この間違った認識を、世界を・・・全てを恨み、壊したい・・・

「クレイス様っ!!しっかりなさってくださいっ!!!」

正に今、我を忘れたクレイスが自身の心を幻視諸共吹き飛ばそうと最大魔術を展開しかけた時、唯一の真実が彼の暴走に抱き着いてきた。





 それは目の前で繰り広げられていた不快な喜劇とは違う、本物のイルフォシアだ。
「・・・・・ぁれ?ど、どうして・・・・・?」
未だ意識が憎悪に塗れていたので思考もろくに働いていなかったが何度も触れ合ったその温かさを間違えるはずがない。クレイスは無我夢中で彼女の細い腰と背中に腕を回すと体を震わせて強く抱きしめる。
「よかった・・・いえ、よくありませんね!あんな猿芝居と私を見間違えるなんて・・・クレイス様!!もっとしっかりしていただかないと!!」
ところが本物の彼女はこちらが安堵に浸る余韻すら許してくれないらしい。いや、だからこそ本物なのだろう。その声が、気持ちがひしひしと伝わってくると嬉しかったクレイスもやっと憎悪の色が抜けていく。

「あら?クレイス様ったら愛想を尽かされた私に似た女を見つけて来たの?ほんと・・・女々しいわねぇ?」

そんな2人にナルサスと抱きしめ合っているイルフォシアが酷い暴言を投げつけて来た。一瞬そうなのか・・・そうなのか?と自身の腕の中にいるイルフォシアと見比べてしまったがこれは良くなかった。
「ちょっと?クレイス様?まさかこの期に及んで真贋を見誤ったりされませんよね?ね?」
こちらのイルフォシアはとても不服そうな、それでいて可愛さを損なわない表情を見せつけつつ両手でこちらの頬をみょ~んと伸ばした後、軽い笑い声と微笑みを零してくれた。
うん。彼女こそ自身が愛したイルフォシアだ。
「・・・間違えない。絶対に君は僕のものだ。」
偽物のようなどす黒い真意など全くない。ただ嬉しくて愛おしくて心の底から安心したクレイスは現状などお構いなしに彼女の唇を熱く、熱く奪っていく。
するとこちらを挑発していたイルフォシアとナルサスは茫然としていたらしい。2人が顔を離すまで黙って見届けてくれていたのだからこの悪夢達にも案外人の心というのが備わっているのか。

「・・・さぁクレイス様!貴方の中に巣食う『闇の王』を斬り刻んでやりましょう!!」

時折出てくる天族らしい過激な発言もイルフォシアそのものだ。全てを理解した訳ではないが本物の彼女がこの場に駆け付けてくれた事実と今やらねばならない事を示してもらうとクレイスも魔術を展開して・・・
「??? どうされました?」
「う、うん。」
そこで先程の懸念点が明確に現れた。さっきから絡み合うイルフォシアとナルサスを引きはがしたくて前に飛ぼうとしていたのに体が進んでくれなかったのだ。それが今でも続いているらしい。
「な、何でだろう?体が前に動かなくて・・・」
「・・・だったらこうしましょう。」
彼女がこちらの手を掴んで引っ張るとクレイスの体は驚く程簡単に前へ進む。こうなると悪夢は目の前だ。

「ともかく、この私に似た存在は不快感しかありませんね。」

自身と同じ姿形で嫌悪感のある人物との絡み合いを見せられて最も激怒していたのは本人だったのか。静かな声色の裏には確かな憤怒と闘気、殺意が心に直接伝わってくると文字通りクレイスの胆は一瞬で縮み上がる。

ずしゃっんっ!!!

それらを発散させる為にいつもの長刀を顕現させたイルフォシアはナルサス諸共薙ぎ払うと2人は段々と黒い煙へと形を変え、やがて『闇の王』へと収束していく。
『『・・・・・キさマ。ドうやってコの中に入って来タ?』』
「あら?私とクレイス様は永遠の愛を誓い合った仲ですよ?そんな2人の心は繋がっているも同然。ですよね?」
「・・・うん。そうだね!」
問答の意味はよくわからなかったが彼女から『永遠の愛』という言葉を聞いただけでクレイスの心は猛り、勇気と力が湧いてくる。

『『・・・良かろウ。ならバ2人纏メテ葬ってヤルっ!!』』

『闇の王』が怒りを露にするといよいよ戦いの火ぶたが切って落とされた。こちらも水球を展開しながら長剣を構え、攻防の準備を整えたのだがやはり敵は再び煙へと姿を変えると周囲に充満し始めるのだった。





 『闇の王』バラムの魔術は最初霧だったが今では煙へと形を変えている。これらは大気の流れを使っての物理攻撃こそ可能だがあまり効率的ではなかった。
そこで手にしたものが精神への攻撃なのだ。彼女は自らの体とも呼べる煙を吸収させ、深層心理を侵食しては本体を狂人へと変えて来た。今では邪香という形で多数の人間を狂わせる事まで出来る。
そんな彼女の攻撃を防ぐ明確な手段は確立されておらず、しかもここはクレイスの心の中だ。故に出来る事といえば気を強くしっかり持つ、という根性論というか精神論というか何とも心許ないものしかない。
更に本人がそれらの情報を正確に掴んでいなかった。黒い煙で視界が奪われて行く中、クレイスはイルフォシアを護ろうと巨大な水球で2人の身を包み込むのだが果たしてこれが正解なのか。
「・・・・・っ・・・・・」
まただ。また一瞬で憎悪が芽生えると息苦しくなる。彼女に心配をかけまいと顔を少し背けはしたが心を絞り、抉り、そして突き刺さる痛みはクレイスの精神体からも尋常ではない汗を噴出させた。

『『ふフフ。さぁ、再ビ私の玩具にナりなさい。今度ハもっと良い夢ヲ見せてアゲルから・・・』』

今までにない攻撃に不安を覚えたクレイスはイルフォシアに近づいてその再びその身を抱きしめる。これは動きを阻害する恐れや防御態勢以上に彼女にもこの苦痛が走っているのだろうと考えていたからだ。

「クレイス様、大丈夫ですか?『闇を統べる者』様。どうか彼にも御力を・・・でなければ私は満足に戦えません。」

ところが彼女は全く痛痒を感じていなかった点、そしてその口から『闇を統べる者』が出て来た点に驚いた。それからすぐに何故彼女がこの場に現れたのかも心で理解する。

【む?そうか?私の見立てではお前1人で十分可能だと思うのだが・・・】

「いいえ。苦しんでおられるクレイス様を置いて1人で戦うなど私には出来ません。それとも私がそんな心無い存在だと言われるのでしょうか?」

そのやり取りには『闇の王』も違和感を覚えたらしい。攻撃の手を止めているのかイルフォシアには一切届いていないのか。2人の会話は続いていく。



【ふむ。ではこうしようか。】



それから『闇を統べる者』が短く答えた後、周囲は煙などと言う薄いものではなく一瞬で深い闇によって覆われた。それは何度か体験した空間であり安心と同時に痛みから解放されたクレイスは慌てて口走る。
「い、痛みが・・・ありがとうございます!!いつも助けて頂いて・・・本当に!!」

【礼には及ばん。さぁこれで思う存分戦えるだろう?この紛い物の闇を討ち滅ぼすがよい。】

相変わらず彼の力は想像の域を軽く超えてくる。しかも今度は『闇の王』がしっかりと人間の姿となって眼前で驚愕と畏怖の表情を浮かべたまま固まっているのだ。
「本当に感謝致します。これで私も心置きなく長刀を振るえます。」
敵はよくわからない攻撃を繰り出して来る為もう少し情報を集めてから反撃に踏み切った方が良いとも考えたがイルフォシアは違ったらしい。
クレイスが『闇の王』の呪縛から解放されたのを素直に喜び感謝を述べた後言うが早いか、彼女は真っ暗な空間で特に何もしてこない『闇の王』へ向かって突進すると縦から刃を叩き下ろす。だが相手は煙のような存在だ。そこに物理的な攻撃は通るのだろうか?

『『グあぁアアァっ?!?!』』

しかし結果はクレイスが思っていた以上のものであり、『闇の王』からは負の感情に塗れた大きな悲鳴が放たれていた。





 「まだまだっ!」
それでも追撃を止めない所は流石イルフォシアだ。体が黒い煙のような『闇の王』に向かって何度も何度も刃を通すと痛々しい悲鳴が立て続けに起こり、それも段々力無く消えていく。
やがて煙そのものが霧散すると彼女がとても満足そうな笑顔で振り返り、こちらの胸に飛び込んできたのでまずはそれをしっかりと受け止めて終止符を確かめた。
「やったね。・・・ほんとにこれで終わり?」
お互いが無傷で生還出来た事はとても喜ばしい。なのにどうにも腑に落ちない。あれ程苦労していた存在がこうもあっけなく散るものだろうか?

【当然だろう。闇で覆った空間は煙であろうと何だろうと私の許可無しで動く事は出来ぬ。】

「そ、そうなんですね。」
動けない経験は自身もつい先ほど学んだが何をされているのかさっぱりわからなかった。ならば考えるのは後回しだろう。
「さぁクレイス様。これで残すは元凶のみです。目を覚まして姉さんやヴァッツ様と最後の戦いに勝利を飾りましょう。」
イルフォシアも『闇を統べる者』の発言を気にする事無く、優しくそう告げてくれると心に熱い力が湧いてくる。
「・・・目を覚ます?僕って眠ってるの?」
「恐らく『闇の王』によって意識を奪われている形ですね。ですから思い切り、寝具から跳び起きるような感覚で気合いを入れて下さい!もう貴方を縛る術は全て打ち払ったのですから。」
何となく意味は伝わって来たがいまいち理解は追い付かない。ただこうしている間にも現実では『闇の王』がクレイスの体を使って先程のティムニールのように暴れ始めているようだ。
「うん!それじゃ行ってくるよ!イルフォシア!『闇を統べる者』様!ありがとうございました!」

「はい!また・・・お会いできるのを・・・楽しみにしていますね。」



深層心理から意識が遠ざかる中、最後に見せたイルフォシアの寂しそうな声と表情だけが心に引っかかったが今は何より『闇の王』を倒す事が先決だろう。
心を満たす勇気と希望を胸にクレイスは目を覚ました瞬間、嫌な煙の臭いと目の前にアルヴィーヌの姿を捉える。そして無意識の内に放とうとしていた魔術を反射的に引っ込めると彼女がこちらの体を強く抱きしめて『闇の王』から引きはがしていた。
「大丈夫?」
「う、うん。ありがとう。」
どうやら現実でも囚われていた体をアルヴィーヌが奪い返してくれたようだ。遂に心身の解放を果たしたクレイスは自身の動き確かめながら現状を把握する。
『『お、おノれぇ・・・私の慈愛ヲ跳ね除けルとは何といウ・・・』』
『闇の王』から焦りと怒りを滲ませた表情が垣間見える所から戦況は五分かやや覆った状況か。後は煙という魔術、実体を相手にどう戦うだが。

ぼふんっ!!!

考えるよりも先に闘争本能のままに動いたアルヴィーヌは見えない速さで『闇の王』に突撃すると拳を撃ち放つ。
ただ敵の姿は煙に巻かれて霧散したのでどの程度効いたのかはわからない。更に後方にいたウンディーネ達から苦悶の声が漏れている所を見るに標的をそちらに移したらしい。
2人も異変に気が付くとすぐに駆け付けるが精神への攻撃は外部から干渉する方法が極端に少ないのだ。故に彼らの抵抗を祈るか再び『闇を統べる者』に頼るしかない。

「ああ。またあのズルいやつか~・・・よし。それじゃ今度は私が何とかしてみよう。」

ところがすっかり失念していた点がある。それはアルヴィーヌも天族だという事だ。普段は自分の力のみで暴れる為彼女にも種族的な力が十分に備わっている可能性など考えもしなかった。
そしてその力も凄まじいものらしい。『闇の王』による憎悪の精神攻撃を天族の支配能力で跳ね返すと気が付けば全員が正気を取り戻し、再び姿を現した『闇の王』は恐怖からか黒い顔が青白く見える程に消耗しきっていた。





 『『キ、きさマは・・・たダの天族ではナいな?』』

「ふっふ~ん。」
底の知れないアルヴィーヌは両手を腰に当ててとても得意げな表情を浮かべている。武でも負ける気配がなかった為クレイスはいよいよ戦いの終わりを感じていたが『闇の王』も一筋縄ではいかない。
何故なら体を自由に煙へと変化させる術は攻撃から身を守るだけでなく、姿そのものを晦ます事が出来るからだ。
もし逃亡に走られたら自身の魔術で捉える事は難しいだろう。かといってアルヴィーヌの物理、魔術の攻撃でも『闇の王』に致命傷を与える事が出来るのかどうか。

ずずず・・・・・ずずずずっずずずっ!!!

だがこちらの心配とは裏腹に『闇の王』は周囲に漂う煙を使ってアルヴィーヌの体を締め付け始めた。相手も最も脅威を感じた彼女をまずどうにかせねばと考えたらしい。
「む・・・むむむ・・・むんっ!!!」
しかしその攻撃はいとも簡単にかき消された。いや、実際には弾けた感じだろうか。ともかくイルフォシアとは比べ物にならない強さを持つアルヴィーヌには何も通用しないようだ。

『『・・・仕方ナい・・・いズれまた会おウ。』』

諦めにも似た発言を聞いてクレイスは焦る。『闇の王』は間違いなく勝敗を放棄するつもりだろう。
「アルヴィーヌッ!!奴は逃げる気だよっ!!」
慌てて叫んではみたものの周囲には『ジグラト』王都を覆いつくす煙が充満している。その中を自由に移動された時、いくら素早く移動した所で追えるとは思えない。
「むむっ?!・・・あれ?どうやって追いかけよう?」
問いかけられても答えようがなかった。敵はクレイスの力を大きく超えた存在なのだから。
(ここまで追い詰めても駄目なのか・・・でも・・・いや・・・)
そう考えると命を繋ぎ止められた幸運を前向きに受け取るべきか。それともここで脅威を討ち損ねる事を嘆くべきか。何も出来ない歯痒さに悔しさを滲ませているとここでやっと待望の人物が姿を現す。

「お待たせっ!!」

誰よりも頼りになる友人がショウと一緒に突如姿を現すと周囲は先程心の中で見た闇の光景に覆われる。その範囲がどこまで続いているのか、どのような影響があるのかわからないが再び驚愕の表情を浮かべた『闇の王』が姿を見せた所を見ると逃げ場を失ったのは明白だろう。
『『・・・何ナのダ。貴様は・・・貴様ラは一体・・・』』
今まで数多の絶望を植え付けて来た存在が今は成す術もなく打ち震えている。しかしこちらも動ける気配はない。つまりこの場は彼らに委ねられたという事だろう。
「あ~ヴァッツ、来るの遅いし動けないしで最悪なんだけど?今からあいつに止めを刺すからこれどっかにやってくれない?」
唯一人、アルヴィーヌだけは素直な心境を吐露するも珍しく彼からはとてもわかりやすい困惑した表情が見て取れた。

「あのねぇ・・・ううん。わかるよ?オレもクレイスが酷い目にあった話は聞いたし。でもちょっと落ち着こう?」

どうやら一年という期間は皆を見違える程成長させたようだ。彼は闇の中を静かに移動してアルヴィーヌに近づくと頭を優しく撫でている。すると彼女もすんなり闘志と翼を引っ込めた。





 「バラムは悲しいんでしょ?」

『『・・・・・何を言っているの?』』
本当にどうしたのだろう?ヴァッツが妙な事を口走ったので不思議に思った瞬間、脳内に妙な光景が映し出される。
その感覚はサーマの記憶を共有した時に似ており、一瞬で全てを理解すると彼女が見て来た凄惨な経験を全て追体験したクレイスは言葉を失った。

「だからオレが許すよ。全てを。これでこの話は終わり。いいでしょ?」

【・・・お前がそう言うのなら仕方ない。しかし闇に対する風評被害が全く解決していないのはどうするつもりだ?】

ヴァッツが宣言した事でこの戦いは終焉を迎えようとしているが『闇を統べる者』はやや納得のいっていない様子だ。
それに彼女の生い立ちに同情する部分があったとしても他人を陥れる理由にはならない。それでは散っていった者達が浮かばれないのだ。

「そこは皆わかってると思うよ。だって生き物は光の届かない場所、お腹の中や卵の中、土の中から生まれてまた闇に還るんだから。眠るときだって目を瞑るんだし本当に怖いって思う人はいないさ。」

【・・・ふむ。本能的にはそうかもしれんが・・・う~む。】

だが最も強い2人は『闇の王』をそっちのけに『闇』そのものについて意見を交わしている。しかもヴァッツの口から想像以上に深い言葉が放たれたのでクレイスの意識もそちらに向いてしまった。
「とりあえず『闇の王』っていう呼び方はもう止めで!えーと、バラムとブリーラ=バンメアだよね?2人さえ良ければオレの傍にいなよ?」

「「「駄目」ぇぇぇぇっ!!!!!」」

そして当たり前のように提案したヴァッツに少し離れた場所のウンディーネやノーヴァラット、すぐ傍のアルヴィーヌからも強い反対をされる。いや、これは流石のクレイスも許容し難い。
「え?!なんで?!」
「ヴァッツ。こいつはイルや皆を散々苦しめた存在。いくら可哀そうだからって許す選択はない。」
「そ、そうなの!!彼女は人間だけじゃなく魔族とも敵対してきたの!!そりゃ同族として思う所はあるけど・・・でも何もなしってのは無しなの!!」
「ヴァッツ様。私は現在クレイスの家庭教師をしているノーヴァラットと申します。そのような立場ながら不敬を覚悟で申し上げますと罪には罰が必要なのです。お咎めなしというのは他の者達への示しもつかなくなります。」
各々が思う所を述べるとヴァッツは目を白黒させ、『闇の王』は静かに目を閉じている。クレイスもヴァッツの優しさを知っているものの彼女達の意見に反論する余地もつもりもない。

「・・・ねぇヴァッツ。その、バラムさんとブリーラ=バンメアさんを・・・傍に置くっていうのは罪人としてだよね?」

「罪人?・・・罪人か・・・」
なので辛うじて譲歩出来る部分に焦点を当ててみる。彼女らはティナマと違い自らの意思で悪行を重ねて来たのだから何もなかった事には出来ないのだ。
何処の国でもいい。きちんと罪人として扱い、法に則って裁きを受けるのであれば傍に置くという流れも悪くないのかもしれない。ただ罪状を数えるまでも無く処刑は免れないだろう。

『『もういいわ。私が負けたんだもの。早く殺して。』』

すると遂にはバラム自らが死を懇願してきたのでアルヴィーヌは一瞬で闘志を解放するとヴァッツがすかさず彼女の頭を抑えつけた。





 「オレは2人を殺すつもりはないよ?」
『『だったら私に自由を頂戴。そうすれば自害するわ。』』
周囲が『闇を統べる者』の力によって支配されており逃げる術はない。故にクレイス達の言う裁きを考えると命を拾うよりも捨てる事を選んだのだろう。
「え~それは面白くない。だったら私がぐむむ?」
同情する素振りすら見せないアルヴィーヌはその手で止めを刺そうと動くが小さな口はヴァッツの大きな両手によって塞がれた。

「・・・オレの周りは皆良い奴ばかりだよ?」

何故だ?何故彼はそこまで慈悲を与えようとするのか。強さと純粋さは知っているもののあまりにも優しすぎてクレイスも不安を覚え始めたがその理由は最後の時までわからない。
『『・・・そうじゃないわ。私は大切な人と一緒の時を過ごしたかった。それが失われた今、生にしがみつくつもりもないの。辛くて、周りが羨ましくて、憎くて我を忘れて暴れてた・・・こんな私を生かす理由もないでしょ?』』
冷静さを取り戻したバラムは寂しい笑顔で素直な心境を吐露すると周囲も言葉に詰まる。酷く裏切り続けられたとしても彼女にとっては大切な人、チャバップこそが最も求めるべき存在だったのだ。

「わかった。じゃあ今度は幸せになってね!」

意外過ぎる返答にこちらの情緒は置いてけぼりだ。まさかヴァッツが人を殺めるのか?確かに過去の罪を考えるとここで討つ事以外の選択は難しい。
でも本当に?クレイスが彼らの質の違った笑顔を見比べているとヴァッツが軽く右手を向けた瞬間バラムの姿は消え去る。
「お、終わった・・・の?」
「うん。これでいいと思う。人間って難しいね?」
良かった・・・良かったのか?罪を償わずに、苦痛を感じる間もなく一瞬でこの世から消し去られるというのはある意味最も慈悲深い行動なのかもしれない。
『闇の王』はこの世界の人間を恐怖のどん底に陥れてきた。なのにこんなあっけない幕切れで人々の心は救われるのだろうか?罪と裁きの行方はわからずじまいだ。

「あ~あ、終わっちゃったか。もう少し戦いたかったんだけどな~。」

そんなクレイスの心配をよそにアルヴィーヌは心底がっかりした様子を見せた後、ヴァッツの裾を摘まんで耳元に何か囁くと彼らも闇と同時に姿を消し去っていた。







・・・・・

いつの間にか眠っていたバラムはゆっくりと体を起こすと隣には愛しのチャバップが気持ちよさそうに寝息を立てている。

・・・・・

おかしい。確か自分は憎悪に身を焦がし、思考を放棄して人間達に永遠の恐怖と憤怒を植え付ける為だけに生きて来たはずだ。その証拠に彼を失った理由もしっかり記憶に残っている。
(これは・・・夢?)
だとすれば思う存分堪能してもいいのかもしれない。バラムはその懐かしい寝顔を指でつんつんとつついた後、彼の顔をゆっくりなぞるように触り始め、気持ちが昂るとそのまま唇を重ねる。
「・・・むにゃ?本当に姉ちゃんはいたずら好きだなぁ?」
懐かしい声に心身が震える。まるで本当に聞こえているかのようだ。そこから彼が優しく腕を回してくると2人は本能のままに身を重ねる。

温かい。懐かしい。そして嬉しい。とても嬉しい。

あれ程渇望していた光景がまるで現実かのように感じるとバラムも夢中で求める。二度と手放したくはないと強く願って・・・いや、これは夢なのだからとうに手からは放れているのだろう。
それでも、夢の中であっても思い描いた未来図に抗う術はない。気が付けば窓から朝日が射しこんできていたが彼女は必死で彼を感じ続ける。
「姉ちゃん。今日は積極的すぎない?おれそろそろ腹減ったし一度朝ごはんにしよ?」
なのに彼は文字通り夢から覚めるような発言で水を差してきた。いや、そもそも男には限界があるのでこれ以上は無理なのだという合図だったのかもしれない。

「・・・朝ごはん・・・うん。」

ただバラムは食事、特に誰かと食卓を囲むという強い夢も持っていた為、彼の提案を素直に受け入れる。思い返せば彼と一緒に食事をしたのも2回しかないのだ。
ならばこの夢も叶えてしまおう。今なら心から美味しいと言えるはずだ。そうと決まれば2人は衣服を整えると部屋から出る。
唯一懸念があるとすればバラムに美味しい食事を作る技術がなかった点だが以前もチャバップが作ってくれたのだから自分は手伝いに回ればいい。そう考えていると既に炊事場からは美味しそうな匂いが漂っていた。

「あ!おはよう兄ちゃん!姉ちゃん!」

「おはよ~ハワ。あれ?母ちゃんとヴィラは?」
そうだった。これは夢だった。そこには兄に様々な虐待を受け、早くに亡くなった上の妹が元気に挨拶をしながら目玉焼きを焼いていた。
「ヴィラにはお水を汲んで来てもらってる~母ちゃんは山羊の餌やり~!」
「げ?!まじか~、おれも手伝ってくるよ。」
どうやらバラムがチャバップに求め過ぎたせいで朝の仕事にやや支障が出ていたらしい。
「あ・・・もしかして・・・その、ごめんね?」
夢の中とはいえこれは少し申し訳が無かった。折角の楽しい夢に不都合が生じた事で自己嫌悪を感じた彼女は素直に謝るが兄妹は軽く笑い飛ばしてくれる。

がちゃ

それからすぐに玄関の扉が開くとヴィラと彼らの母が元気良く帰って来た。
「ただいま。あ、2人ともおはよう。」
ヴィラは少しだけ接した印象のままだ。大人しい性格は変わらずといった様子か。

「あら?2人とももう起きたの?もっとゆっくりしてればよかったのに・・・私も早く孫の顔が見たいし?」

そして母親の姿を見て唖然とした。それは間違いなくブリーラ=バンメアだった。ただこちらは自分の知る彼女と違い、とても健康的な笑顔と立ち居振る舞いをしている。
「母ちゃん・・・そういうのって思ってても口に出さない方がいいよ?」
チャバップが彼女をそう呼んでいるのだから夢の中ではそういう設定なのだろう。しかしブリーラ=バンメアは生来感情という概念をほとんど持ち合わせていなかったので違和感が凄い。
「・・・ま、いいか。」
そんなバラムの疑惑も美味しそうな匂いと和やかな家族団らんの風景に霧散する。どういった経緯かわからないが今はこの夢を堪能してもいいではないか。
何せ待ちに待った彼らとの食事は目の前なのだ。願わくばここで目が覚めるような事だけは起きて欲しくないと強く祈っていたが自身は相当な罪を重ね、犯して来た。

ならば食卓を5人で囲んだ後、今まさに食事を口に運ぶ瞬間、全てが掻き消えてしまうのかもしれない。

むしろ罪と罰を天秤にかければその流れこそが本流だろう。・・・・・恐ろしい。何て恐ろしい夢なんだ。

そうなるに決まっていると信じて疑わなかったバラムは一口目を味わう事無く咀嚼し飲み込むが特に何も起こらない。むしろ真っ青な顔色で食事を始めた彼女を回りは心配そうに見つめている。
「バラム?どうしたの?ちょっと塩味が強すぎた?」
ブリーラ=バンメアがまるで本物の母親みたいな様子を見せてくると僅かに味覚がそれを感じ始める。

「・・・うううん。そんな事ない・・・何でだろ・・・と、とっても美味しい・・・美味しい、の。」

気が付けばバラムの双眸からは大粒の涙がぽろぽろととめどなく溢れてくる。こんな事が・・・神罰の類だと思っていた夢の中は味や触感さえ感じる事が可能なのだろうか?
「大丈夫だよ。心配しなくてもおれ達はもう家族なんだ。どこにもいかないしこれからもずっと一緒さ。だよね?」
「うんうん!姉ちゃんは兄ちゃんのお嫁さんなんだし!ちょ~っと家事に不安は残るけどそこは私がしっかり教えてあげるから!」
「ぇぇ・・・実際ハワの味付けはちょっと濃い・・・あぁ~母ちゃん。また姉ちゃんが理不尽な暴力を振るおうとしてくる~。」
3人の兄妹はとても優しく諭してくれるが実際どこまで信じていいのかわからない。夢か現か・・・いや、そもそも夢だとすれば現実の自分はどうなったのだ?

「ふふふ。深く考えなくていいわよ。何せ私達がヴァッツ様の御力を計るなんて出来っこないんだから。」

ただ最後にブリーラ=バンメアが屈託のない笑顔でそう答えた事により、バラムもこの罰の全てを甘んじて受け入れる覚悟を決めていた。

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