闇を統べる者

吉岡我龍

国を憂う -兆し-

 『トリスト』も決して余裕がある訳ではない。それは極小精鋭で軍を運営している為、犠牲が出ればその能力は著しく低下するからだ。

現在はワミールが体調を崩し、マッシヴが討たれ、チュチュも大きな手傷を負って兵卒の数も減少している。そんな時、人間かどうかも定かではない『ジグラト』部隊から『シャリーゼ』を護る為、彼らは必死に戦っていた。
「相手を討つ事より自軍の護りを強く意識せよっ!!決して無茶をするなよっ!!」
地上戦では分が悪いので彼らは全てを飛空部隊で対処しようとしていたのだが敵は耐久力もあり、素早く、そして強かった。
3人で1人を狙い、火球や矢を何十と打ち込んでやっと倒せる程の兵士が数千規模で押し寄せてきた年の瀬のこの日。魔術師寄りの将軍プラープは『シャリーゼ』国民にも大規模な避難を命じる。

(不味いぞ?!何としてでもここで食い止めねば・・・!!)

今までにない脅威を感じつつ対抗策が全く思い浮かばない彼はらそれでも必死に攻撃を続けるしかなかった。世界一だと信じて疑わなかった自分達の力が見る見るうちに劣勢へと追い込まれる重圧に逆らいながら。

「不甲斐無いな?」

どどどどどんっ!!!

そこに聞き覚えのある声と共に激しい雷鳴が響き渡ると彼らの更に上空から雷が5本同時に撃ち下ろされる。その威力はすさまじく大地は抉れ、『ジグラト』兵士らも派手に四散していた。
それでも彼らは進軍を止めない。体に黒い何かを纏っているせいなのか?恐怖を感じる心がないのか?普段の戦であればその一撃で勝敗は決しそうなものなのだが。
「ザ、ザラール様っ!!」
プラープは『孤高』の援軍にまずは深く頭を下げるが同時に驚愕と呼べるほど驚いていた。何故なら彼は『トリスト』の宰相に就いて以来、自分は二度と戦場に赴かないような宣言をしていたからだ。
なので彼の本気の魔術を初めて目の当たりにした事と、そんな彼が窮地に駆け付けてくれた事に感動と困惑、狂喜が入り混じってよくわからない表情を浮かべていたらしい。
「ふぅむ・・・これが噂の『ジグラト』軍か。止めるのは難しそうだな。」
次弾を放つ為、その両手は真下にかざしたままだがザラール本人もこれが決定打にはならないと察したのだろう。だが魔術師として唯一『孤高』と並び称される彼の魔術が通じないとなるとプラープ如きでは止める手段が思い浮かばない。

どどどどどんっ!!!

それでも彼は無言で落雷を5本叩き込むと地上の『ジグラト』兵は更に甚大な被害を出していた。
「プラープ。ここは私が引き受ける。お前は西の『ジョーロン』に飛べ。そしてクレイスを連れ戻してくるのだ。急げ。」
「は?ははっ!!」
理由は全く分からなかったが上官からそう命じられた以上プラープはそれに従うだけだ。それにこの状況が非常に悪いのも十分理解している。今はまずこれを打破するべく全力を注ぐべきだろう。

こうして彼は魔力の枯渇すら恐れず海を渡りきったのだが流石にそれ以上の飛空は不可能だった為、回復する時間も含めて三日後にやっとクレイスの下へたどり着いたのだった。





 東の大陸で大きな力が動いていた頃。年明けの日に一人で西海岸に飛んでいったのを彼女は見逃さない。
「クレイス様、まさかお一人で『腑を食らいし者』と決着を付けに・・・?」
自分達が過干渉し過ぎていた自覚はあった。だがイルフォシアも二度と彼が大きな手傷を負って欲しくないという切実な願いの下に行動していたのだからそこに悪気や後ろめたさなどはない。
しかし彼がそこまで無謀な行動を起こすか?という疑問に彼をもう少し信じてあげるべきでは?という内なる自分の声に従って今日はこっそり後をつけた後、近くの茂みに降りて彼らのやり取りを遠くから見守るに止めたのだが。

「んんん??クレイス様と・・・『腑を食らいし者』が・・・酒を酌み交わして、る?」

どうやらイルフォシアが想定していた事態にはならなかったらしいが、何故か談笑しているようにも見えたので思考と心は混乱し始める。
相手は間違いなく敵であり、現在は命を奪い合う間柄のはずなのに彼は一体何をしているのだろう?幼い時から国に仕え、国務を全うしてきたイルフォシアはそれ以外の疑問が思い浮かばなかった。
最後は『腑を食らいし者』が手を振って彼を見送るまでを見届けたイルフォシア。もしかして背後から矢でも射かけるのだろうか?と邪推するもクレイスの姿が見えなくなると彼は何もなかったかのように腐敗した地へと戻っていったのだ。

(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全く意味がわからない。彼らは何をしているの?)

自分がここにいては後でクレイスからいらぬ疑惑を掛けられる、といった簡単な思考すら働かなかったイルフォシアが茂みの中で小首を傾げていると『腑を食らいし者』に動きが見られたので胸が躍る。
そうだ。敵対している相手の背が見えているのならそこを突くべきなのだ。これが天族としての資質からなのか、元の性格から導き出された答えなのかはわからない。だが『腑を食らいし者』はそんな彼女の期待を大きく裏切る行動を始める。

腐った土地から一振りの長剣を拾い上げた所までは良かった。

ところがその後、彼はそれをぶんぶんと振り回し始めたのだ。最初は目障りな蠅でも落としているのかと思ったがそうではない。どうやら『腑を食らいし者』はそれを使って己の腕を磨いている、要は修業をしているようなのだ。
(・・・え?ええ??)
考える力を失っていたイルフォシアは我を忘れてその光景を眺めていると今度は自身の力を使ってクレイスとよく似た背丈の死体を操り出す。それに大盾と長剣を持たせて立ち合い稽古まで始めたのだからもはや疑いようはない。
確かにこの二か月程、クレイスと彼の差が全く縮まっていない点はやや不可解であった。ただクレイスはあまりにも調子よく修業の成果を得ていた為、今は大きな壁で立ち往生している、そう考えていたのだ。

(・・・そうじゃなかったのね。彼が、『腑を食らいし者』が力を付けていたから・・・)

相手も力を伸ばしていたからその差が縮まらなかった。これが普通の相手、それこそ『トリスト』の兵卒間の仲であればお互いが切磋琢磨しているという認識で流せるだろう。
しかし今回はそうではない。相手は敵対している異形の存在なのだ。なのにそんな真似をしているだなんて・・・イルフォシアは愕然としていたがその予兆は初邂逅の時からあった。
まずこちらに攻撃ではなく声を掛けて来た事。そして堂々と弱点を申告した事。搦め手こそ使ってきたものの、前2つの行動から考えれば『腑を食らいし者』という存在は見た目以上に話の分かる人物なのだ。
ところがそれにイルフォシアだけは気が付けなかった。あの時ウンディーネにも諫められていた。
やっと思考が戻って来た時、イルフォシアは自分という存在がほんの少しみじめに、そして矮小なものだと感じると恥じ入りつつ静かにその場を後にしていた。





 「あ~!イルフォシア!どこに行っていたの?!」
キールガリの館に戻る途中、中空でウンディーネから声を掛けられたので取り繕うつもりはなかったが、どういう表情をしていいかわからないまま作り笑いでただいまと答える。
その様子は今までに見せた事がなかったものだったからだろう。ウンディーネは眉を顰めて顔を近づけるとじっとこちらを見つめて来た。たまらずに視線を逸らすと彼女は全てを察したといった様子でとんでもない勘違いを口にする。
「・・・わかった。皆に内緒で『腑を食らいし者』を倒してきたんでしょ?」
「・・・・・いえ、違います。」
まさかこの状態で追い打ちを掛けられるとは思いもしなかった。というかやはり自分は周りからそのように受け止められていたのだと改めて、そして深く心に留める。
「そうなの?それをクレイスに伝えるのが辛い~みたいな顔してたから。何か困った事があったら教えてね?いつでも相談に乗るからね?」
更に今度は心配をしてくれる彼女にイルフォシアの心は圧し潰されそうになった。なので泣きそうな顔を見られないよう慌てて館内に戻ると自室へ飛び込む。

(・・・私ってこんなにも器の小さな存在だったのね・・・)

物心ついた時から王女として君臨し、我儘だが優しくも強い姉の代わりに国務を一切引き受けて来た。それは全て姉を想っての行動だったが同時に僅かな悪影響も生み出していたようだ。
それが『視野』だ。狭き国内、そして国家間とのやり取りで彼女の思考は何時しか凝り固まった偏屈なものへと発展を遂げていたらしい。
結果、己や自国の利だけを考え、敵味方という分け方で全てを分別するようになっていた。そこに天族特有の血気盛んな本能が交わると所構わず長刀を振り回す。

「・・・・・これじゃ人の事は言えないわね・・・・・」

周囲からは戦闘狂のカズキのように映ったかもしれない。彼には申し訳ないがそう考えるとイルフォシアはどんどんと落ち込んでいく。悲しいとか悔しいではない。情けない涙がぽろぽろと流れてくるのだ。

こんこんこん

そんな時はどうすればいいのだろう?その答えが向こうからやって来たのだが今は誰にも会いたくない。
「イルフォシア?何かウンディーネに心配だから見に行ってあげてって言われたんだけど・・・何かあったの?」
本当に自分は恵まれている。こんなにも気遣ってくれる人達が周りにいるのだから。
「いえ。何でもありません。」
返事がなく、心配になったクレイスが静かに扉を開けて顔を覗かせて来たのでイルフォシアも笑顔でそれに答える。ただ表情から何かを察したのか、彼は扉を閉めると静かに近づいてきてこちらの隣に腰かけて来た。
「えっと、でも涙が・・・僕じゃ相談相手にならないかな?他の人を呼ぼうか?」
「・・・・・」
優しい。何故彼はこんなにも優しいのだろう。いや、その答えは既に知っている。彼は自分を愛してくれているからだ。その告白は今も鮮明に覚えている。

「クレイス様。『腑を食らいし者』との戦いは勝てそうですか?」

「えっ?!い、いや・・・うん。勝つよ。絶対勝ってみせる!」
どうやら彼も力の差が縮まっていない事には気づいているようだ。少し目を泳がせてわざと声に力を込めた所から焦りが手に取るようにわかる。
「そうですよね。クレイス様なら必ず勝てますよね。」
「・・・・・本当にどうしたの?」
だがクレイスもまたイルフォシアばかりを見てきている。故にこちらの細かな仕草や表情、声色から異変を感じ取れるらしい。

「・・・・クレイス様。私は視野も心も狭い存在です。それでも愛して下さいますか?」

それが嬉しくてつい声に出してしまったが心の中で自分は釣り合わない、クレイスにはもっと良い人と結ばれて幸せになって欲しいと願っている。そんな嘘がまた涙となって瞳から零れ落ちるのだ。
そして期待もしていた。彼ならいつも通り、また自分の耳元で愛を囁いてくれるのだろうと。こんな自分を受け入れてくれるだろうと。それを欲していたが為の問いかけでもあったのだ。

ところが今日のクレイスはやや酒に酔っていた。

故に言葉ではなく、その気持ちを口づけという行動で表すとイルフォシアは確かな温もりと優しさを感じつつ、緩やかに流れる幸せな時間に身を任せていた。





 新年を迎えてお互いが14歳と11歳になっている。特にクレイスは成人から1年が過ぎているのでその感情はイルフォシアの比ではなかったのだろう。
寝具に並んで腰を下ろしていたのも都合が良い。何せそのまま体を重ねて衣服を脱ぎ捨てれば行為に及べるのだ。この時はそこまで考えていなかったものの、少なくともこれが答えなのだと信じたイルフォシアは彼に身を預けたかった。

だが日はまだ高く、彼女の様子を心配していたウンディーネは決して察しの良い女性でもなければ落ち着きのある女性でもない。

「イルフォシア~?どう?元気でた?・・・・・・・・・・・・・あれ?」

扉を叩くのも忘れていきなりそれを開いてひょこっと顔を覗かせた時、イルフォシアとクレイスは上着をいくつか脱いだ後寝具の上で絡み合っていたのだから大変だ。
「あ~・・・え~っと。はい。もう大丈夫です。あ、ありがとう。ウンディーネ。」
しかしウンディーネの水を差す行為のお蔭で冷静さを取り戻したイルフォシアは体を起こしてはにかみつつ彼女の気持ちに感謝を述べる事も出来た。確かに愛し合う機会を潰された事は残念ではあったが、初めて口づけを交わし肌に触れあえたのだ。
それだけでも彼女の心は救われたのだがクレイスの方はそういう訳にもいかなかったらしい。
「あ~ぁ~・・・ぁ~・・・なんかごめんね?!クレイス!!そんなに怒らないで?!とっても怖いのっ?!?!」
今まで見たことがない程の怒りを扉に隠れるウンディーネに放っていたのでその様子が面白おかしく、そして嬉しかったイルフォシアは思わず小さな声で笑ってしまった。



一応ウンディーネには口止めをしたものの周りも2人の雰囲気が変わった事で何かを察していたらしい。特にルサナがこちらに何とも言えない視線をずっと送って来たのでイルフォシアは堪らず視線を泳がせる。
(いっその事殺気でも放ってくれた方が楽なのに・・・)
そうすれば堂々と返り討ちに出来るなどと天族らしく血生臭い事を考えているとその日は平穏無事に終えてしまう。イルフォシアとしては夜までにまた誘いを受けるものだとばかり思っていたので少し意外であり、そして残念だった。
もしかして部屋にやってくるのかな?などと淡い期待も持っていたが本当に何もないまま夜は明け、やや寝不足気味の状態で朝食を終えるとクレイスは『腑を食らいし者』への挑戦を口にする。

「何じゃもう始めるのか?まだ新年を迎えたばかりだしもう少し骨休めをしてもいいものを。」

ワーディライもそう言ってくれたのだが彼からは何やらぴりぴりとした雰囲気を感じていた。恐らく今日こそ決着を付けようと心を滾らせているのだろう。
ただイルフォシアは昨日『腑を食らいし者』が修業をしていたのを目の当たりにしている。そしてこの2か月程はその戦力差が縮まっていない事も考えると精神論だけで勝利を収めるのは難しいかもしれない。
「そうですね。クレイス様、よければ私がしばらく戦いを休止するよう伝えて来ましょうか?」
「いや、大丈夫。今日はいけそうなんだ。」
(ええ??その自信は何処から??)
こうなるとクレイスも頑として折れない為、ワーディライと顔を見合わせたイルフォシアは仕方なく西海岸へと向かう。



「おいクレイスっ!!何だ今日の太刀筋はっ?!」

だがこの日の戦いは去年までと打って変わって酷い内容となり、こちらが止める前に『腑を食らいし者』から怒声が発せられた事で終わるという形で無理矢理幕を下ろされた。





 確かにクレイスの動きは酷かった。『腑を食らいし者』の言う通り太刀筋は波打っており力も散漫、足は地に付いておらず余計に威力が半減していた。
更に防御面でも隙だらけで大盾は攻撃を受ける度にぐらぐらと揺れて単なる飾りか重りにしかなっていない。修業の成果を一切発揮できなかった結果にイルフォシアやワーディライよりも戦った相手が激高するという珍事が起こっていたのだ。
「す、すみません!も、もう一度お願いします!!」
領土を賭けての戦いであったはずなのに何故かクレイスが頭を下げて頼み込むというのもおかしな光景だ。そしてそれを渋々だろうか?了承した『腑を食らいし者』が再び剣を交えると今度は一合目でクレイスの長剣が弾き飛ばされてしまう。
いつもならここで命の危険を察して止めに入るのだが彼の不甲斐無さに『腑を食らいし者』もまるで肩を落として溜息をついたような仕草を見せた後どかっとその場に腰を下ろした。

「一体どうしたのだ?どこか具合でも悪いのか?」

その可能性を見失っていたイルフォシアは思わず駆け寄りそうになる。だがそれはワーディライによって止められた。更にクレイスも目に見えて元気がなく座り込んだので今日の戦いはこれで終わりなのだろう。
「いえ・・・その・・・本当にすみません。」
悔しそうな表情を浮かべている所を見ると体調の変化や怪我などではないらしい。ほっと一安心するイルフォシアだが、では何故今日のクレイスはあれ程緩慢な動きで立ち向かったのだろう?
(・・・まさか?昨日のお酒が原因かしら?)
彼はイルフォシアと真逆で何だかんだと甘い部分がある。だから酒を酌み交わした『腑を食らいし者』に情が移り本気で殺そうという気持ちを削がれたとか。いや、きっとそうだ。
ならばもう相手の命を奪う事は出来ないだろう。ここからはイルフォシアが代わりに戦うか、魔術で一気に勝敗を決するくらいしか道はないのかもしれない。

「ふむ。『腑を食らいし者』よ。済まんかったな。クレイスの不調については心当たりがある。なのでまた後日、この埋め合わせをさせてもらいたいがどうじゃろう?」

「「えっ?!」」
いきなりワーディライが口を挟んだのにも驚いたがその内容はより2人を驚かせる。
「ほう?やはり原因があるのだな?だったら仕方がない。今日は帰れ。急ぎはしないのでな、また調子が戻ったら剣を交えよう。」
意味がわからないのはクレイスもだろう。イルフォシアと共に何とも言えない表情を浮かべていたが話がまとまると3人は早々に帰還した。



「あのっ!ぼ、僕の不調の原因は一体っ?!」
戻ってすぐにクレイスはワーディライに詰め寄る。これにはイルフォシアも興味津々だったのだが彼女だけは部屋から追い出された。一応後で教えてくれるという事らしいが何故か2人一緒だと話せないという。
僅かなもやもやの中『原因がわかっているのであれば解消する手立てはあるはずだ』と前向きに捉えたイルフォシアはその日、不調の原因をいつまでたっても教えてもらえないまま夜を迎えてしまった。

そしてワーディライと話を終えた後のクレイスは何やらよそよそしい。

傍に近づこうとすると同じ分だけ距離を置かれるのだ。何だろう?何か気を悪くするような事をしてしまっただろうか?
(・・・・・ああ。今日の戦いが不甲斐無かったからね・・・。)
それしか思い浮かばなかったイルフォシアは早々に結論付ける。確かに毎日皆の協力を得て修業を重ね、一刻も早く『ラムハット』の浄化を完遂したい気持ちは誰よりも強いはずだ。
なのに最後は敵方である『腑を食らいし者』に戦いを止められ、挙句心配までされたのだ。もし自分が同じ立場であれば悔しくて恥ずかしくてしばらく部屋に引きこもっていただろう。
(じゃあ無理に接しない方がいいのかな?)
そう考えると今度は寂しさを覚える。自分を愛していると言ってくれた彼がそんな状態なのに何もしてあげられないのは悲しくもあり悔しいのだ。
夕食中も散々悩んだ挙句、結論として付かず離れずの距離を、いつでも傍に近寄れる位置にいようと考えた。少し離れた場所からクレイスをそっと見守ろうと。

すると気が付かなかったものが見えて来た。何とクレイスは自分以外の相手には普段通りに接しているのだ。どうも避けられているのはイルフォシアだけだったらしい。





 (・・・きっと私にだけは罪悪感を抱いているのね。)
『腑を食らいし者』との戦いをお膳立てをしたのは全てイルフォシアだ。だからこそ今日の結果に申し訳ないという気持ちでああいうぎこちない態度を取っていたのだろう。
別の嫌な予感も脳裏を過ったが昨日の出来事もある。お互いが身と心を許し合い、拙くとも、僅かな時間だけでも感じあったあの出来事。それがあったからこそ前向きに捉えようと考えたのだが、それが原因だという結論には至らなかった。

「イルフォシア様。ちょっとお時間よろしいですか?」

食事を終えた後、何故かノーヴァラットに呼ばれてついていくとそこは湯場だった。更に彼女は召使い達にイルフォシアの身をしっかり清めるよう指示を出す。
「あの?ノーヴァラット様?これは一体?」
「まずは何も考えずに従ってください。理由はその後ご説明致します。」
彼女は『ネ=ウィン』の元4将であり、最初はクレイスの命を奪いにやってきた事等あまり良い印象ではなかったが今では本人が家庭教師として随分頼りにしている。
故にやや苦々しい気持ちを持ちながらもイルフォシアは咎める事をせず、そして深く関わらないよう努めて来たので2人の仲は未だに浅い。
なので最初に思い浮かんだのが暗殺だ。湯場という衣服を一切纏わない場所は非常にうってつけであり、過去何十、何百もの人物がここで殺されている。
ただイルフォシアは自身の力を解放してすぐに長刀を顕現する事が出来るのだ。天族ならではの能力を前にノーヴァラットがこちらに危害を加えられる可能性はほぼ無きに等しいだろう。

それに彼女自身も湯場へ入ってくると石造りの湯船に身を投じたのでイルフォシアの警戒はある程度解消された。

お互いが裸である以上、簡単に組み伏せられる力関係も考慮するとこの先大した脅威はない。そう捉えていたのだがノーヴァラットは何故か広い湯船を十分に使おうとせずこちらのすぐ隣で腰掛ける。
「イルフォシア様。ここからは真理の話を致しますのでどうか心してお聞きくださいますようお願い申し上げます。」
随分畏まって、そして丁寧に告げて来た内容に心当たりは一切なかったが、彼女は湯気で曇ってしまう眼鏡を外してこちらにやや不安そうな表情を向けている。気が付けば召使いもそこから姿を消していたので完全に二人きりだ。
暗殺でもないし他の要件が思い浮かばないとなると本当に何の話だろう?

「イルフォシア様には今夜、クレイスと体を重ねて頂こうと思います。」

「・・・ノーヴァラット様、貴女にそのような権限がおありとでも?」
最初、ノーヴァラットがクレイスと肌を重ねるのかと勘違いしそうになったがそうではない。彼女は今夜イルフォシアに男女の関係になれと言ってきているのだ。
その内容自体に反論はない。むしろ昨日その未遂があったのだから言われるまでもないと内心憤慨していたくらいだ。
「気分を害された事については謝ります。しかしウンディーネを尋問し、ワーディライ様の推論から導き出した答えはこれしかなかったのです。」
(・・・やっぱりあの娘に口止めは難しかったか・・・)
ノーヴァラットの言っている意味は全く理解出来なかったが、ウンディーネが簡単に口を割ってしまった事実は湯船の中に身を沈めるイルフォシアの体温を一気に上昇させる。
「その答えとやらをお聞きしても?」

「はい。クレイスが本日の決戦でまともに動けなかった理由、それはイルフォシア様と最後まで行為に至れなかった事が大きな要因だと私達は考えます。」

「・・・・・・・・・・ふざけておられるのですか?」
感情や外的要因から体温と血が更に上昇したイルフォシアに考える力は残されておらず、思った事を口走ってしまうとノーヴァラットも真剣な表情でこちらを見つめ返してきた。





 「いいえ。いたって真面目で真剣なお話です。では詳しくご説明させて頂きますね。」
頭に血が上っていたイルフォシアでも辛うじて彼女が嘘をついていないと判断する事は出来た。だが内容が内容だけに納得は全く追い付いてこない。
「・・・今の私はとっても熱くなっていますのでわかりやすくお願いします。」
天族の乱暴な部分が脅しのような言葉を選んで飛び出してきたがノーヴァラットは冷静さを崩さない。つまりその推測には相当な自信があるということか。
お互いが裸で、しかも湯船に浸かったままの講義が始まるとイルフォシアは頭を冷やす意味も含めて立ち上がって縁に腰掛ける。
「わかりました。では肌を重ねる行為について、大きく二つの意味がある事を覚えて下さい。」
「二つ?」
「はい。一つは子作り、もう一つは欲望を満たす為です。」
最初の答えは理解していたので特に疑問はなかったが二つ目の欲望を満たす、という言葉に違和感を覚えて自身の経験を振り返る。
昨日は自分の短慮に嫌気がさしてクレイスに相談・・・相談かな?とにかく話をする機会があった。当然のように彼はイルフォシアの全てを受け入れてくれる。
そこにつけ込んで、自身を肯定して欲しくて全てを委ねる判断をしたのは間違いない。言葉以上に、慰めるよりもイルフォシアを愛でてくれる彼の行為はとても嬉しかった。
(・・・そういえばあれが初めての口づけだった・・・またしてほしいな・・・)
指先で唇にそっと触れるとより記憶が鮮明に蘇ってくる。

「イルフォシア様に限って欲望を優先させる事は無いでしょうけど俗物なクレイスは貴女の体に大きな未練を残したままなのです。今日の決戦に身が入らなかったのも恐らくそれだろうとワーディライ様も仰ってます。」

「・・・ぇぇ~?そっそそ、そんな事が・・・?」
だったら猶更誘って欲しかった。というかその説明だと不可解な点が多すぎる。昨日はウンディーネの邪魔さえ入らなければ2人は間違いなく最後まで及んだはずなのだ。
それが水を差されて中止になり、それでもクレイスが最後までイルフォシアを求めたいと願っていたのであれば何故あれから声を掛けてくれなかったのだろう?
「恐らくクレイスには迷いが生じたのでしょう。そのまま貴女と良い仲になっていいのか。今は追放の身でもあるのですからその答えに至ったのも当然といえば当然です。」
「そ、そんな?!わ、私はそんな事全く気にしていません!!」

「ええ。ですからこれはクレイスの問題です。イルフォシア様を大切にしたい気持ちと自身の立場を弁えての考慮した結果、最後の一線を拒む選択をした。でも火のついた欲望は彼の中に燻ぶったままなのです。」

すっかり冷静さを取り戻したイルフォシアはその説明に一定の理解は示すも、言葉では言い表せない疑問は拭えなかった。
あの時の口づけは荒々しさの中にイルフォシアを求める強い気持ちを感じていた。間違いなくお互いの心が通じ合っていたはずなのに後から距離を置くような真似をされるなんて・・・

「・・・もしかして、先程からクレイス様が妙によそよそしい態度を取られていたのは?」

「お気づきでしたか。ええ、彼は貴女との関係を少し見直そうと・・・あ、あの?イルフォシア様?」
説明に納得がいくと今度は怒りが込み上げて来た。そのせいかノーヴァラットがやや怯えてこちらの様子を伺ってきたので慌ててそれを引っ込める。
「それは勝手が過ぎます。私は・・・その・・・クレイス様をお慕いしておりますし・・・」
「え、ええ。ですので彼の心を解放する為に今夜は貴女からクレイスに迫って欲しいのです。」

「・・・・・・・・・・・・・・えっ?!?!?」

思いがけない提案に流石のイルフォシアも素っ頓狂な声を上げてしまった。だがこれにも大きな理由がある。
「はしたないと思われるかもしれませんが今の時代、女性から異性を求めても別段不思議でもありませんし、このままではクレイスがずっと苦しむ日々が続いてしまいます。」
「つ、つ、つまり、私がその柵を断ち切ればよい・・・と?」
「はい。ですがそれがを重荷だと捉えられるのであれば他の方法で解決を目指します。ですので無理だけはなさらないよう・・・」
「ほ、他の方法とは?!」
気が動転しっぱなしのイルフォシアは裏返った声のまま慌ただしく問い詰める。というか他の方法で何とかなるのならそっちのほうが心情的にとても助かる。
「例えばある程度好意を抱いているルサナやウンディーネに夜伽をさせるとか。つまるところ今のクレイスに必要なのは欲望を満たす事なので。何でしたら私がその役を買って出ても・・・」

「そ、それは絶対に駄目ですっ!!!!!!!」

最終的には冷えた頭が再び活火山のように激しく滾り始めるとイルフォシアは両手に固い握り拳を作って勢いよく立ち上がっていた。





 「本当によろしいのですか?無理は御体に障りますよ?」

自ら男の寝所に行けという凡そ王女らしからぬ行動を強制される苦痛よりも、他の女性を彼の下に送り込むという凶行の方がイルフォシアの心を深く抉るのだ。
であれば選択の余地などない。クレイスと肌を重ね、一夜を共にする権利を他の誰にも譲るつもりはないのだから。
「だ、だだ、大丈夫です!!ま、任せてくだひゃいっ!!」
その為に自身の体は召使い達の手によって美しく整えられていく。といっても体を隅々まで洗った後は僅かに香る香水を薄く塗布した程度だ。
下手に盛るよりも素材の良さを生かす為だとノーヴァラットや召使い達は教えてくれたが、ここまで入念な準備を施されると強気な性格はすっかり鳴りを潜めてしまった。

それでも今夜はイルフォシアが決めなければならない。

思えばクレイスとの関係は全て彼の方から導いてくれていた。言葉に出して愛を告げたり、時には手を握って抱きしめ合い、励ましてくれたのもそうだし昨日の口づけなども全ては彼からの表現だ。
それに対してイルフォシアは何もしていない。何もしてこなかった。その気持ちと行動は理解はしていたし求めには応えて来た。
だがこちらから自身の感情を真っ直ぐに伝えた事は言動を通じて一度もない。そう、たった一度もだ。
あれ程激しく、優しく接してくれていたクレイスに気の強いイルフォシアがずっと受け身だったのも意外だが彼女は彼の行為に甘え過ぎていたのだ。

結果として今夜行われる大作戦に腰と心が引けてしまう。相手の気持ちは十分知っているはずなのに。

「・・・イルフォシア様。もし今夜で決着がつかなければ明日以降は他の者達での解決を目指しますので。そこだけはお忘れなく。」
「わ、わわわ、わかってますっ!」
ノーヴァラットが暗に釘を刺してきているのはこちらへの覚悟を諭しているのか、本気で別の異性を差し向けたいと願っているのか。
どちらにしても彼の愛情を他の人間に譲るつもりはないのだから後退だけはあり得ない。いつも以上に綺麗な衣装に身を包み緊張した面持ちを浮かべたイルフォシアは深呼吸を繰り返した後彼の部屋までやってくる。

それからどれくらいの時間が経っただろう。

怖気づいてしまったイルフォシアが扉の前から何度も立ち去りたい衝動と戦っていると後ろから声を掛けられる。
「イルフォシア。こんな所で何してるの?」
慌てて振り向くとそこには冷たい目をしたルサナが立っていた。更に昨日と違って明確な殺気を向けて来るではないか。
「・・・クレイス様に大事なお話があるのです。」
「ふーん・・・」
だがその気配はイルフォシアの弱りきった心身を大いに刺激してくれた。天族である彼女にはそれが一番効果的だったのだろう。震えそうな声や体は落ち着きを取り戻し、いつものようにルサナを軽くあしらう。

「今夜は随分綺麗な衣服を着てるわね?大事なお話をするのに着飾る必要ってあるの?」

「・・・ははっは、はは。こ、こう見えて私も王女ですからね?」
そしてルサナが殺気を引っ込めて純粋な疑問をぶつけてきたら偽りの仮面はあっけなく砕けた。戦いでこそ誰よりも先に矛を振るう彼女だが専門外だとその立ち回りはからっきしなのだ。
再び委縮してしまったイルフォシアだがそこにルサナが食い下がる事は無く、不思議そうな表情を浮かべて立ち去ってくれたのは僥倖だろう。
(・・・ここで立ち止まっていては駄目よ・・・駄目なんだから!)
今夜決めないとこの役目は他の誰かに盗られてしまうのだ。それだけは何としてでも阻止したいイルフォシアは扉を叩いて彼の返事を待つ。

「・・・ど、ど、どうぞ・・・?」

ところがクレイスの声も何やら上ずっていて随分落ち着きがない様子だ。自身の不安よりもそちらが気になったイルフォシアは一瞬で落ち着きを取り戻すと素早く彼の部屋に入って行った。





 「夜分にすみません。少々お話がありまして・・・」
暖炉には十分な薪がくべてあり室内はとても暖かかった。そして肝心のクレイスはまるで凍えそうな顔と姿勢で視線を泳がせている。
明らかな挙動不審っぷりにイルフォシアは驚きを隠しつつ近づいて行くとまずは椅子に腰かけた。
(何でしょう?そんなに緊張されなくても・・・)
そもそも2人は昨日ある程度まで触れ合っていたはずだ。思い返すと羞恥は蘇るも決して気まずくはならない。少なくともイルフォシアはそうだった。
それからクレイスの様子はそのままに、彼女の方は緊張した彼の姿をじっと見つめつつ何かを思い出した。
(・・・・・ああ!何か見たことがあると思ったら・・・そうでしたそうでした!)
その様子はまるで最初の頃のクレイスそのものだった。非常におどおどとした、緊張がこちらまで伝わってくる程心身を強張らせていて少し可笑しく感じていたのも懐かしい。

「ふふっ。まるで最初に出会った時のようですね。」

緊張が解けたイルフォシアは深い意味もなく口に出しただけだったがクレイスにとっては大きな転機となったらしい。
「・・・そ・・・そうだね。これじゃあの頃に逆戻りだ。」
ぎくしゃくした部分は残っていたものの、彼も震える声を抑えながらこちらに笑顔を向けてくる。ただそれはまだまだぎこちないものでイルフォシアの心を余計に楽しませた。
しかし今夜は歓談をしに来た訳ではない。彼の欲望を断ち切り、明日から元のクレイスに戻ってしっかりと戦えるようお願いしに来たのだ。
ただ作業のように肌を重ねるだけというのは絶対に嫌だった。優しく触れたいし触れ合いたい。何より彼の愛を確かめたいのだ。彼にとっては捌け口だとしても・・・・・うん?
「イ、イルフォシアっ!ぼ、僕はその、君をとても愛しているんだ!!だから、昨日はちょっと気持ちが昂り過ぎたっていうか!!」

「・・・クレイス様。クレイス様は欲望を満たす為であれば相手は誰でもよろしいのですか?」

「へぇっ???」
無自覚にとんでもない事を口走ったのでクレイスがとんでもない奇声を上げていたが今はどうでもいい。
ノーヴァラットのいう欲望、つまり性欲だ。これを満たせば普段の彼に戻るという。そして彼女はイルフォシアが無理だった場合は他の異性を宛がうような事も言っていた。
だがイルフォシアは彼と愛し合いたい。愛して欲しいし愛したいのだ。だからこそ肌を重ねたいのにノーヴァラットの発言だとそこにずれが生じている事に気が付いてしまったのだ。

クレイスの気持ちは知っている。自分を愛してくれている。最近はその本心を隠す事なく告げてくれるのでこちらも安心していたが、もしクレイスが他の異性と肌を重ねたとして欲望は満たされるのか?愛はいらないという事なのか?

それとも彼は自分の知らない所で他の異性にも愛を囁いているのか?であればそれは浮気・・・いや、2人はまだ恋仲でもないのでその考えは短絡的過ぎる。しかしそんな事が・・・

「あ、あの?イルフォシア?ちょっと・・・詳しく教えてくれる?何故そんな事を言ったの?」
狼狽というよりは驚愕しているクレイスが遠慮がちに尋ねてくるのでイルフォシアもノーヴァラットとのやり取りから説明すると彼は苦笑いを浮かべていた。
「あぁ~・・・それでか。実はさっきワーディライ様にも『女を抱けば悩みなど吹っ飛ぶぞ!』って力説されちゃって。何が何だかわからなかったんだけどそうか。2人は僕達の心配をしてくれてたんだね。」
「まぁ。そんな話をされてたんですね。」
お互いが妙に納得するとやっと肩の力を抜いて心から笑い合う。そして彼は少しだけ真剣に考えた後こちらに答えを返してくれた。

「そうだね・・・僕はまだその・・・経験したこともないし何とも言えないんだけど。初めて触れたいなって思ったのも愛しているのもイルフォシアだから。他の人とっていうのは考えられないかな?」

「そうですか?!そうですよね!!私もそう思っていたのです!!よかった~・・・っ!」
やっぱりそうだ。間違っていなかった。クレイスは愛を告げたイルフォシアとしか肌を重ねたくないし、イルフォシアだってクレイス以外は考えられない。欲望を満たす為に他の異性と、という考えは全く持っていないと確認出来ただけでも今夜は大収穫だろう。
彼が他の女性と行為に及ぶなんて絶対に嫌なのだ。心の底から安堵し、喜びからついつい本音が漏れたが同時にはっきりと自認出来た。



自分はクレイスを心より愛しているのだと。



「あの、クレイス様。実はその、今夜は昨日の続きをと思いまして・・・ご迷惑でしょうか?」
だからこそ今夜はちゃんと示そう。自身の全てをわかってもらう為に。意識していた訳ではないのだが彼女の瞳は薄く濡れて艶やかな光を帯びている。
昨日のやり取りですらクレイスは押し倒してきたのだからこの表情を見て断れる理性は持ち合わせていないだろう。流れを考えれば誰もがそう思う筈だ
「え・・・えっ?!あ、あのねイルフォシア?!その、ノーヴァラットに何を吹き込まれたのか知らないけどもう無理しなくていいんだよっ?!」
ところが今夜は彼が慌てて止めて来たのだからイルフォシアの機嫌は少し悪くなる。確かにノーヴァラットの他の誰かを宛がう発言が尾を引いていたのは間違いない。
だが先程の2人のやり取りで確信も持てたのだ。彼は愛する人としか肌を重ねないのだと。例え欲望とやらに未練があったとしても、それによって心ここにあらずだったとしても。
であればそれを満たせるのは自分しかいない。他の誰にもこの役目は渡したくないし渡すつもりもない。性格からも指を咥えて見ていられるイルフォシアではないのだ。
「無理など一切しておりません。クレイス様は私を愛して下さらないのですか?」
静かに椅子から立ち上がると今度は彼の隣に座ってぐいぐいと間合いを詰めていく。もはや障害も悩みもない。今夜はその為に身も清めてきたのだからここで辞退されるとクレイスがイルフォシアに恥をかかせる構図となる。
彼も聡明な為、そこは十分理解しているはず・・・いや、イルフォシア側の事情を知らなければわからないか?一瞬思考が止まって冷静さを取り戻すとクレイスから予想外の答えが返って来た。

「いや。その・・・ね。昨日はちょっとお酒で酔っちゃってた部分もあったんだと思う。イルフォシアはまだ幼いのに無理矢理押し倒そうとしちゃって・・・ほんとごめんね?!」

確かにお互いがまだ若く、幼さも残っている点は否めない。しかし理由はどうあれ彼から求めて来てくれて、こちらはそれに答えると言っているのにまさか断って来るとは・・・

「・・・・・クレイス様は私の体を求めて下さらないのでしょうか?」

「えっ?!い、いや!!その・・・うん、凄く求めています・・・でもまだ早」
「それは愛してくれているから、ですよね?」
「う、うん。そうだね。」
「でしたら何も問題はありません。私もクレイス様を心より愛していますから・・・」
いつの間にか彼の周りにはその寵愛を求める異性が沢山存在するようになった。なので彼からの好意を示されているイルフォシアといえど油断は出来ないのだ。
クレイスの求愛をただ受け入れるだけではなく、こちらからもそれ以上のものを送らねば、お互いの気持ちは文字通り通じ合わない。

今夜はイルフォシアから唇を重ねるとクレイスの心も今までにない程強大な大火を灯したらしい。だがこれでいいのだろう。愛し合う男女が肌を重ねる意味など考えるだけ無駄なのだから。





 年が明けた3日目にプラープは『ジョーロン』の西、キールガリ領に到着すると早速クレイスと面会した。そして畏まる。
今年14歳になる彼は去年まで文武共に持ち合わせていない只の少年だったはずだ。なのにその姿を目の当たりにした瞬間から心は慄きで委縮してしまったのだ。
クレイスの長所といえばその血筋と交友関係くらいしかなかった。特にヴァッツやアルヴィーヌ、イルフォシアといった面々と親しい部分は今後確実に大きな権力となって有効活用される。その程度の認識でしかなかったはずなのに。

「えっ?!ザラール様が?!」

国を飛び出した時の兵卒姿であったにも関わらず威厳を感じずにはいられなかったので報告の最中プラープはずっと跪いたままだ。
確かに一年前の元服姿も立派は立派だった。ただしそれは衣装が王族のものであった為だ。多少魔術に精通しており、あのナルサスに剣を向けた等多少やんちゃな報告も上がってはいたが今のような風格は絶対に持ち合わせていなかったはずだ。
「クレイス様、どうなされますか?」
そしてイルフォシア王女。彼女も一年で随分と美しくなられたようだ。クレイスへの処分が気に入らなくて国を飛び出したと聞いた時はどうなるかと思っていたが着ている衣装も立派なもので『シャリーゼ』には多大な謝礼を送る必要があるだろう。
「・・・わかりました。今日中に決着をつけてすぐに向かいます。」
決着?何の事だ?訳は分からないがその後彼は領主キールガリやその息子、召使いに何故か『孤高』のワーディライを外に集めると見たことのない巨大な水の魔術を展開して4人を取り込んだではないか。
「ふむ。念の為に1つだけ助言しておこう。クレイス、心を強く持て。」
「はいっ!」
こうして王女だけでなく、魔族のウンディーネに何故か『ネ=ウィン』を裏切った元4将ノーヴァラット彼女までが続いて空に舞い上がると一行は西へと向かった。



訳が分からないままプラープも一緒に飛んでいくと海岸線が見えてくる、と同時に何やらおかしなものが視界に飛び込んできた。
そこは紫や黒で覆われた土地であり妙な瘴気らしきものも立ち上っている。更に腐肉の臭いが漂っているにも関わらず誰も気に留めないのが気になって仕方がなかった。
「ほほう?今日は随分と良い面構えじゃないか。しかも大人数で・・・ふむ。」
「はい。今日は決着を付けに来ました。」
最後はその沼地らしき場所から現れた泥の塊みたいなのと会話を始めたのだから部外者であるプラープはもはや考える事を放棄する。

「迷いは断ち切れたか・・・いいだろう!!では始めようではないかっ!!この地と命を賭けてなっ!!」

それからワーディライが用意した長剣が手渡されると何故か2人が戦いを始めたのだ。だがプラープが驚いたのはその動きだ。
(えっ?!あ、あれがクレイス・・・っ?!)
武はからっきしで兵卒扱いだった彼とは到底思えない。泥の塊が人間から程遠い動きで剣を振るってきているのにそれらに対応し、更に反撃を放っているではないか。
今の彼はプラープより強いのかもしれない。その事実にも驚いたが次の瞬間。

ざむん・・・っ!!

クレイスの攻撃で泥の塊が大きく斬り落とされたのだが、その時相手の動きが一瞬だけ緩慢になったのだ。結果としては勝利を譲ったような、部外者にはそう見えたのだが真相はどうなのだろう?
「・・・・・『腑を食らいし者』さん。これは・・・」
「うむ。勝者クレイスじゃ。」
彼もその手加減に気が付いたらしい。それでもワーディライが審判を下したのだから言葉を飲み込む。そして何故か敵に深く頭を下げた後、召使いに一言二言報告をして東の空へと飛び立ってしまった。



「『腑を食らいし者』様。本当にこれでよろしかったのですか?」
彼らの立場が何一つわからないままだったプラープはイルフォシアが泥の塊を気遣っている様子にただただ驚くしかない。
「構わん。奴も火急の様子だったからな。さて、次はどこで暮らそうかのぅ。」
どうやら武に精通している者達は先程の立ち合いの真意を理解していたらしい。命懸けの戦いで何故手加減したかはわからないが『腑を食らいし者』という存在は見た目以上に話の分かる人物?なのだろう。

「行く宛てもないならわしの所へ来い。」

そしてワーディライがそのような事を口にしたので流石に周囲はどよめいた。
「良いのか?そりゃ助かるが・・・わしはこんな存在だし臓物を求めるしで大変だぞ?」
「うむ。じゃが昨日クレイスから聞いた話じゃとお主はそれほど野心に満ち溢れた存在ではないのじゃろう?わしの所なら土地は余っておるし家畜の綿であればいくらでもある。食住には困らんはずじゃ。」
「おおお!何という・・・では有難くご厚意に預かるとしようか。」
よくわからないがこの人外の新天地は決まったらしい。更に西海岸の腐乱地帯もウンディーネの魔術によって浄化されるだろうという事で話は全てまとまった。
後は召使いが必ずクレイスに謝礼を渡したいので後日必ず国に来てくれとしつこくせがんでいた。どうやら彼女が腐乱地帯と『腑を食らいし者』について依頼していたらしい。

「ちょっと待て。ツミア貴様、『ラムハット』に帰れると思っているのかっ?!」

ところが彼女は隣国の諜報員だったようだ。これには領主キールガリも怒りを露にしていたがそれを赤い髪の少女やイルフォシアが咎め始めたのだ。
結果として彼女らの説得に応じる姿勢を見せるが『ジョーロン』も立場がある。なのでツミアという諜報員はクレイスが戻るまで彼の館で働く事で話はまとまっていた。





 将軍プラープの話ではクレイスしか呼び戻されていなかったが今はルサナやノーヴァラットという新しい面々も加わっている。
クレイスにとって彼女らも欠かせない存在の為『トリスト』にせよ『アデルハイド』にせよ、戻ったら国に招き入れられるようしっかりと説得せねばならないだろう。
だがそれ以上に気になるのは他国の情勢だ。簡単な説明しか受けていなかったがどうも今はあの『ジグラト』が勢力を拡大して周辺を脅かしているらしい。

国を追われる前の記憶では全く想像がつかないのでまずは全力で空を飛び、クレイスはザラールがいるという『シャリーゼ』に向かった。



深層心理の交わりでウンディーネから直接膨大な魔力を注がれたクレイスの展開能力は普通の人間より遥かに広い。更にその最大保有量も道中の戦いを経ていつの間にかウンディーネを越えていた。
そんな彼が惜しみなく魔力を使って飛べば速度も驚く程伸びる。結果2時間ほどで海を渡り切ると午後を過ぎた頃には『シャリーゼ』に到着する。
「えっ?!あ、君は確か・・・あれ?」
近衛の何人かが顔を覚えていてくれたのでこちらの身分は証明せずともわかってもらえるだろう。後は現国王モレストに謁見してからザラール率いる『トリスト』の部隊に合流すれば間に合うか?

「おお!クレイスく・・・クレイス君?随分と立派になったなぁ・・・」

未だ再建は遠く、王城跡の野営地で再会すると何故か彼も驚いていたが自分ではその理由はわからない。それよりも今は急がねばならなかったので挨拶も早々に『ジグラト』との衝突地点を教えてもらうとクレイスはそのまま空へ飛び去った。



『トリスト』が苦戦していた理由の1つが貫徹戦だった事だ。

敵国兵は周囲がどれだけ酷い死に方をしても多数が吹っ飛ばされても一切士気を欠く事無く愚直に前進してくるらしい。
となるとこちらも持久戦を余儀なくされる訳だがまたしてもここで極小精鋭の短所が露呈してくる。そう、人数が少ないが故に長期戦とはすこぶる相性が悪いのだ。
それでもザラール自らが先陣に立ち、『ジグラト』兵を一掃すれば多少の休戦が生まれる。その間全力で体を休め、また敵軍が迫って来ると対応に追われるの繰り返し。

既に彼らの心身は疲労困憊で、いつ瓦解してもおかしくない状況が続いていたのだがそこにクレイスは到着したのだ。

「ザラール様っ!お待たせ致しました!!戦況はっ?!」

周囲の木々を積み重ねて即興の防壁がある場所に降り立つと数人がこちらに反応してくる。だが皆の顔色が悪い事から過酷な戦況が窺えた。
「思ったより早かったな。」
すぐに陣幕へ通されると彼も少し痩せたのだろうか。不敵な笑みを浮かべてはいたものの、何時もの強かさは感じられない。それから2人は向かい合って座ると衛兵の報告を静かに聞き入る。

「・・・これはやはり『天族』、もしくは『七神』が関わっているのでしょうか?」
「うむ。スラヴォフィルもこの地で『七神』の2人と激突したらしいからな。それらが裏で手を引いている可能性は十分にある。だがこちらに攻め入って来る兵士達の様子はどう説明する?」
聞くところによると彼らの体は黒く変色し獣のような動きで襲い掛かって来るらしい。だが『ユリアン教』も死者を動かしていたり、最近だと『腑を食らいし者』も似たような事をしていた。
であれば特殊な力によって彼らを変貌させているという仮説は十分に成立する。後はガハバのようにこちらの力量に応じて強くなったりすれば厄介極まりないだろうがその心配はなさそうだ。

「わかりました。次に侵攻を確認したら僕が対処します。」

少しでも彼らの為に働かねば。その強い意志が通じたのか2人の間に割って入るような急報が届いた。なのですぐに立ち上がると早速空を飛んで『ジグラト』軍の規模を確かめる。
「なるほど・・・妙な雰囲気は感じますね。」
ザラールや他の面々には少しでも休んでいて欲しかったが彼らはクレイスがどれ程の力をつけて帰って来たのかを知らないままだったのだ。それに自身も深く考えた訳ではない。
ただ相手が人外の存在へと変貌していた為、一切の手加減がいらない事だけはしっかりと確認していたのでまずは視界の拓けた場所に降り立った。その愚行に兵士達がざわめきを上げていたようだが集中していた彼の耳にそれらが届く事は無い。
それからクレイスに目掛けて一直線に走って来る敵兵の動きをよく見定め、最も効率よく、大人数を巻き込める展開図を想像する。

「・・・・・ふぅぅんんんんっ!!!!」

そして剣の間合いよりやや遠めの距離に迫った瞬間、水竜巻を5本、横に並べるような展開をしたのだ。
すると彼らは全員がそれに巻き込まれ、威力と水流によって体が引きちぎられながら後方へ吹き飛ばされていく。その様相はまるで長弓部隊を横一列に並べて射出したかのように見えたかもしれない。
結果として推定5000程の軍勢はその一撃で葬られ、魔力が尽きても空から落ちる心配をせずに済んだクレイスはあらゆる意味で安堵した表情が浮かべていた。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品