闇を統べる者

吉岡我龍

幼き野望 -火種-


 『リングストン』が20万の軍勢で『ビ=ダータ』へ侵攻を開始した情報は瞬く間に各国へと伝わっていた。
それでも国王ガビアムが狼狽える事は無く集中的に内政を行えたのには後ろ盾である『トリスト』の存在が大きい。
現在はアルガハバム領とワイルデル領という広大な国土を手中に収め、国内には5大実業家の3人を抱え込んでいる。
これらを使って少しでも早く『リングストン』時代の独裁政治から『シャリーゼ』以上の資本主義政策を推し進めていかねばならない。外敵などに気を取られている時間はないのだ。
(あの狂王が原因でどれ程無駄な犠牲と国力の成長が鈍化していた事か。)
口に出しても意味がない悪態は心の中だけに留めながらガビアムは今後の為に様々な施策を打ち出しては臣下と日夜討論を繰り返す。その中でも重要なのが『ビ=ダータ』内で野獣とも評される実業家達についてだった。
飽くなき欲望を持つ彼らを決して放し飼いにしてはならない。それらを躾けて繋ぎ止めてこそ国の繁栄が約束されるのだから。

「やはり徴税だな。」

臣下からもこれには無言で力強い相槌が返って来た。歴史を振り返ってもこれが最も堅実な方法な為異を唱える者は存在しない・・・
「ガビアム様、今以上の重税は余計な反発を産みかねません。未だ国内も発展している最中であります故、今回は見送られた方がよろしいかと。」
ところが歴史を再び振り返ると必ずこういった輩も現れるのだ。本心から国を憂いての発言であればよいのだが大抵の場合既に実業家から相当な賄賂が送られていると見て良いだろう。
『ビ=ダータ』の建国当初はこのような意見は一切なかったのに2年も経たないうちにこういった臣下が1割弱も増えた。放っておけば間違いなく災いとして顕現するのは目に見えている。

ではどうするか?この場で議論に持ち込むべきか繋がりを突き止めるべきか。はたまた利己より国益を選ぶよう説得するか。

「わかっている。しかし国民は未だ自立心や向上心、そして生活水準も低い。我が国はそれら全ての質を上げる事こそが急務だと知れ。」

暗愚を演じていた時からそれは感じていた。だから自身の治めていた領土内だけは少しずつ改善してきたのだがそれでもまだまだ向上力と競争力に欠けている。
1人1人がもっと快楽と快適を求めていかねば活力は生まれない。それを国力へと繋げる為に国と王、また強権が存在するのだ。
ガビアムが語気を荒げて皆に伝えるとこの法案も無事可決する。それから実業家に阿るような発言をした臣下達を水面下で調べるよう密偵を放った。
今はまだその事実確認だけを掴めればいい。いくら防衛力に『トリスト』という強力な後ろ盾があるとしても内外同時に騒動を起こす必要はないのだ。
それに何事も時期というものがある。実業家に染められた奸臣達はゆっくりと着実に私腹を肥やしていくだろう。その動向だけはしっかりと掴んでおき折を見て一斉に断罪するのだ。

財産は全て没収し親族郎党も処断、見せしめと国庫を潤わせる最上の策だが同時に一部からは憎しみを買う恐れもある。

しかしそれが出来てこそ真の王であり、出来ない国は傾国から亡国へと形を変えていく。これは歴史が何度も何十度も後世に残してきた。
ガビアムは自らが賢者だと言うつもりもないが、かといって愚者に成り下がるつもりもない。祖父が治めていたこの地を取り戻した以上、今後は内外の敵に負けぬような強国を目指すと心に誓ったのだ。
その為に王としての辣腕と強権を余すことなく使う。欲に塗れた佞臣奸臣はその都度排除していく。全ては永遠に残る国を目指して。

だからこそ今の彼はとある人材を渇望していた。他国に頼る事無く防衛出来る力を持つヴァッツと、余計な感情を一切挟まず国の為に動く事が出来るショウという少年らを。





 『トリスト』には現在8人の将軍がいる。それらが1人につき精鋭1000人を率いて各戦地へと赴いて勝利を収めて来た。
「『リングストン』も懲りないねぇ。前回ヴァッツ様やアルヴィーヌ様のご威光を十分受けたはずなのに。」
「向こうには大義名分があるからね。独裁国家だし大王が弱音を見せる訳にもいかないでしょ。」
その1人、荘厳な造りの鎧に身を包んだ男勝りの女将軍チュチュが桜色の髪をなびかせながら上空からその大軍を見下ろして呟く。
それに受け答えする細身で小柄な青年マッシヴもその1人なのだが彼自身はあまり強さを持ち合わせていない。これは『トリスト』が他国とは違い、将軍の資質を他の部分で判断しているからだ。
「ふーん。まぁいいさ。向こうが20万でこっちは2000、一人当たり100人も斬り伏せれば尻尾を巻いて逃げるだろうよ。」
将軍の中で唯一女性であり、その強さも上から3番目に数えられているチュチュは自信満々に言い放つがマッシヴはやや困った表情で強く諫める。
「チュチュ。何時も言っているけど戦は1人で戦うものじゃない。皆の力を合わせてこそ強大な敵を打ち破れるんだ。僕達は王族の彼らとは違うんだと深く理解した方がいいよ。」
「はいはい。お前みたいに全幅の信頼を以って戦えって事だろ?大丈夫だよ。」
大敵とは油断だと昔からよく言ったものだ。だが己の力を過小評価するのも間違っている。その塩梅が難しいのだがマッシヴから見ればどうも彼女は脇が甘い時があるのでついつい母親みたいな小言を漏らしてしまうのが彼らの日常だった。

まず事前情報として今回は新しい大将軍コーサが兵を率いている。今まではラカンの印象が強すぎて他の人物についての情報が少ない事が懸念点だ。
一応ヴァッツやリリーが彼と接触し、弓を使うのが得意だという話は聞いていたが力量に関してはヴァッツが破格過ぎてよくわかっていないのが現状だった。

ぱきん・・・っ!!

いきなりチュチュが剣を抜いて何かを弾き飛ばすと甲高い音が周囲に鳴り響く。見れば地上から放たれた矢だろうか。それが折れてゆっくりと下へ落ちていくのを捉える。
「へぇ~?この高さまで正確に矢を放てるんだ。コーサって男、相当楽しそうな奴じゃないか。」
距離にして5町(約550m)はあったはずなのに上空にいた2人目掛けて真下から射抜こうとするなんて。その腕前にマッシヴは思わず唾を飲み込んだ。
彼はチュチュより年上だが背も低く童顔な為非常に侮られやすい。更に個の武力も低く彼の配下や兵卒の方が強いくらいだ。
それでも将軍の座に就いていたのはひとえにその誠実さと用兵術が高く評価されているからに他ならない。
「あ、ありがとうチュチュ。君にはいつも命を救われてるね。」
気配も目視も不可能だった一矢を振り払ってくれたお礼を告げると彼女も爽やかに微笑みつつ2人はその場を去っていった。



「空を飛べるって狡いよねー。」

20万の兵を進めながら馬上で弓を構えていたコーサがうんざりと呟く。
「仕方がないですよ。我らは軍事にそれほど力を注いでこなかった。対して『ネ=ウィン』と『トリスト』は目をむく程の精鋭主義。質と知識の差は如何ともしがたいものです。」
フォビア=ボウは同意しつつ彼なりの分析を答えてくれる。確かに『リングストン』は物量至上主義な為未だ魔術という分野には遅れを取っていた。
ただこの国には大王と彼が認めた者のみが知る独自の邪術が密かに存在していた。これを使えばその差はそれなりに埋まるだろう。
しかしその一翼を担っていたラカンは失脚、命こそ繋ぎ止められているものの今は辺境の地に追いやられて半投獄状態だ。
なので今回は『緋色の真眼隊』すらいない、異能の力が全く働いていないまま『ビ=ダータ』を護る『トリスト』部隊と接触する事になる。
「ヴァッツ様出てくるかなー・・・あの人が出てきたら逃げような?」
「何を仰います。仮とはいえ今は『リングストン』の大将軍として兼任されておられるのです。むしろお姿を見かけたらこちらに加担してもらうよう頼み込むのが上策ですよ。」
戦いとは無縁な地位にいるフォビア=ボウですらコーサとの立ち合いを直接見た事でその力を大いに期待している。これはあくまで第三者として事実を受け入れただけだからそういう態度でいられるのだろう。
「お前なー、あの人・・・本当に人かな。それくらい強いんだぞ?確かにあの力が味方として付けば怖いものはないー。でも敵対した時は何ていうか・・・生きた心地がしないんだからな?」
「でしたら猶更こちらに付いてもらわねばなりませんね。」
駄目だ。こいつは何もわかっていない。今コーサが言った内容は少しでも戦いの経験がある者なら誰でも理解してくれるはずだ。
「・・・ま、いいか。その時はお前の弁に任せるーけど卑怯な真似だけはするなよー?」
ヴァッツという少年はその強さと同じくらい純粋さも感じた。もし彼の機嫌を損なうような真似をしたらそれこそ命以上のものを奪われかねないだろう。

その一例がラカンだったのだが邪術を知らないコーサは己の鋭い勘に気づく事無く空を眺めながら進軍を続けた。





 ラカンが殺されていないのには理由がある。
「んぐぐぐぐぐっぐぐぐぐっぅぅ!!!」
彼は『リングストン』の中で最も辺境の地、内乱のせいですっかり権力者達の力が削がれた『ナーグウェイ』領の最北で邪術の実験体として扱われていた。
今も猿ぐつわを咬まされ体中に激痛が走るほどの薬品を投与されてもがき苦しんでいる最中だ。
大王ネヴラディンが手塩にかけて育てた邪術の傑作、『緑紅の民』の力を数段引き上げて『緑緋』に昇華させ、真眼と謳って編成した『緋色の真眼隊』など待遇はまさに別格だった。
なのにヴァッツという未だよくわからない少年にその力の全てを奪われた。
それでも大王ネヴラディンが殺さず活用しているのには一度邪術を受けたその身に再び力が宿る事はあるのか?そしてその力を植え付ける時の副作用は?といった人体実験の他に『トリスト』への配慮もある。
以前本国へ招聘した時もヴァッツは時折ラカンを気にかけていた。適当な返事で誤魔化してもよかったのだがもし会ってみたいと言われた時に面会出来なければ余計な詮索をされかねない。
彼は純粋無垢なのでラカンを始末したとしてもそれの意味や理由はわからないだろう。気を付けるべきは彼の周囲なのだ。
近しい人物、もしくは臣下が何故ラカンを殺したのか等を事細かく説明して言い聞かせれば必ず心証を悪くする。故に生かさず殺さずの状態を維持しつつ有効活用するに至った訳だ。

それにこの実験もラカンは決して後ろ向きに捉えていない。一度手にした栄光の力と約束された日々。

あれらを再び手に入れる為ならばと彼は周囲が止めるのも聞かずに新たな邪術を片っ端から自分の体で試すよう訴えていたのだ。
「・・・まぁこちらとしても助かるからいいんだけどな。」
研究員達は既に人の心が無い者達、いや、生まれた時からそんなものを持ち合わせていない優秀な人材ばかりなので彼の申し出は大いに利用されていた。
人の痛み等知ることのない彼らに利用され続けて半年以上が経過していたこの日。

「やぁ。随分酷い有様だねぇ。」

常に手術と投薬で体中に包帯を巻いた満身創痍な彼の前に立派な紳士然とした1人の青年が姿を現した。
「・・・何だ貴様は?」
この場所は高い塔の最上階。周囲は森に囲まれており近くに民家は1つもなく、出入口も1つしかないし外から鍵も掛けられている為侵入は容易ではない。
そもそも世界からその存在を忘れられつつある彼に会いに来る者など人の心を持たぬ研究員達だけだ。
そんな場所へやってくる物好きとは。いや、破格の人物と立ち会ってこの上なく完敗したからこそわかる。この男もまた只者ではないのだと。
だが今のラカンには失うものなど何もなかった。痛みを感じるだけの日々が人生なのだから怯えたり疑う必要もないだろう。
「僕かい?僕はセイドって言うんだけど。君って実験体になるのがとても好きみたいだね?」
人が複数人関与している以上情報を完全に封じる事など不可能なのは知っている。だがこの青年は今のラカンの状況にも詳しいらしい。
「ああ。お蔭で毎日が充実しているよ。」
以前の大将軍ラカンであれば少しは警戒したかもしれない。だが苦痛を伴わない日がなかった。研究員以外の人間に会っていなかった。
そんな過酷な環境が、例え突如目の前に現れた得体の知れない青年であっても話し相手がいる喜びが勝ってしまっていたのだ。
「へぇ。変わった人間だなぁ。」
その口調から察するに彼は人間ではないらしい。短絡的かもしれないがこれもまた人外と色濃く接した経験故、導き出した答えだ。恐らく間違ってはいまい。
「力を取り戻したくて毎日努力しているだけさ。別におかしな事ではないだろう?」
「ほほぅ?そういう捉え方か・・・修業ってやつだね。わかるよ!僕も未だ修業中なんだ!!これは話が早そうだぞ?!」
不意に何かを悟ったのかセイドが子供のように喜ぶと腰の後ろに手を回して明らかにおかしな事をして見せた。
さっきまでの彼は手ぶらだった。何も持たず、剣も佩いていなかった。なのに何故か黒い立派な剣が姿を現したのだ。

「・・・そうか。貴様がその剣の持ち主だったか。」





 以前センフィスが所持していたのを見たことがあった。だが今目の前に現れたセイドが持つ物は恐らくそれを遥かに凌駕する代物だろう。黒い靄が大量に溢れ出ているのがその証拠だ。
「持ち主っていうか僕が作ってるんだよ。それで時々その成果が見たくて人間に渡してるのさ。ラカン、これを君に譲るよ。」
突如降って湧いてきた耳に心地良い提案に全てを諦めていた心がほんのわずかに熱を帯びる。
「・・・その力は私のような老いぼれが扱えるものか?いや、そもそも私はヴァッツによって力を奪われた。今後二度とその力を得る事は無いとまで言われた。あの小僧にだ!!それをたった一本の剣如きで取り戻せると思うかっ?!?!」
同時に思い出す。あの時の出来事を。憎くも恐ろしい少年の事を。微かな期待につい手を伸ばしそうになったラカンは感情を爆発させると溜まっていた鬱憤と共に吠えた。
「僕も彼に直接会った事は無いから何とも言えないけど・・・試してみる価値はあるんじゃない?」
少し不安げではあったが折角作り上げた剣を届ける為にわざわざこんな場所までやってきたのだ。決して無理強いするような発言はせず、静かに柄をこちらに向けてラカンにその選択を委ねてくる。

がしっ・・・

やや緊張した面持ちで受け取ったが特に自分が変わったとも思えない。ただその見事な細工は以前見た物より凝っているのは何となく理解出来る。この剣にはそれだけセイドの意思と自信が込められているのだろう。
次に鞘を握って抜いてみた。美しい刀身は黒いはずなのに白く光っている。その相対する見目は実用性より芸術面での価値の方が遥かに高そうだ。
「・・・な、何か力を得た感じは・・・しない?」
セイドがラカン以上に期待と不安の入り混じった表情でこちらを凝視していたが彼の体は相変わらず骨と皮だけの老体に過ぎない。希望の大きさに差はあれど2人が何も起こらない状況に察して落胆し始めた時。

ぱっ・・・!

一瞬だけ眩い光がラカンの体から発光される。あまりにも刹那であった為それを2人が認識する事は叶わなかったがそこから一気に異変が起こった。
干からびていた枯れ木が水を吸うかのように、骨と皮だけの体があっという間に膨れ上がりその容姿は見る見る若返る。腕も太腿も丸太のように逞しく変貌を遂げると巻いていた包帯は千切れて床に散らばった。
「こ、これは・・・っ?!」
「おおお!!やったね!!ラカンっ!!」
以前の『緑緋』以上に漲る力は決して錯覚ではないはずだ。逸る心を抑えきれずラカンは徐に扉に向かってその剣を振るうと剣戟は塔ごと亀裂を走らせる。
「・・・戻った・・・いや、あの頃より強くなった。し、信じられんっ!素晴らしいぞセイドっ!!」
「おめでとう!!僕も想像以上の効果を確認出来て大満足だよ!!」
見れば髪の色も若々しい翡翠色に戻っている。その原理は皆目わからないが結果としてまたあの頃のように、『リングストン』の大将軍として活躍出来るようになったのだ。
それさえ理解出来れば十分だろう。早速本国へ戻って大王ネヴラディンへ拝謁せねばなるまい。
「セイド。お前が何者なのか詮索するつもりはない。だがこの恩義には必ず報いるつもりだ。近いうちにまた訪ねてくれ。全てを取り戻した暁には金も女も地位も約束出来る。」
「あはは!いかにも人間らしい考えだね!でも僕が欲しいのはその剣についての戦果や感想かな?」
「わかった。この黒い剣で必ず『リングストン』を統一国家にして見せよう。」
最後に自身の作った作品は『黒威』と呼ぶ事を教えてくれると窓から外へ飛び立つ。それからすぐに部屋から出たラカンは研究員らに本国へ戻る事だけを伝えると自身も空を飛んで一路東へ向かっていった。





 『リングストン』が独裁国家だという話は昔から聞いている。だがその中で生きてきた者達からすればそれが普通なのである。
例え周囲がどんな評価を下そうともラカンにとってはこの国こそが愛すべき母国であり偉大な大王ネヴラディンに仕えられる喜びは何物にも代えがたいのだ。

しかし初めて空を飛ぶ快感に今後の展開を甘く見積もっていたラカンは世情を理解していなかった。

確かに彼は『リングストン』でも歴代最高と称えられた大将軍であり実績も申し分ない。力を奪われてからは実験材料として名実共に潜んでいたが今は全盛期以上の力を手に入れたのだ。
この事実を大王ネヴラディンは間違いなく手放しで喜んでくれるだろうし、ラカンもまた国とネヴラディンの為に身を粉にして働く覚悟を決めていた。そう信じていた。
上空から見る領土に戸惑い、それ以上の喜びを嚙みしめながら蛇行しつつ東の王都へ向かう。途中に見かけた街へは必ず立ち寄ってその名前を聞きながら己の記憶と照らし合わせるやり取りもまた新鮮であり楽しかった。

そして遂に見えて来た己の国最大の都市が見えてくると高揚感は更に感情を高みへと持ち上げた。

「おお・・・これが『リングストン』の王都リングストンか・・・何と荘厳で素晴らしいのだ。」

まだ他の国と比較していない為事実かはわからなかったが彼は間違いなくこの都市こそが世界最高の都市なのだと確信する。
広大な城下街はもちろん、中央にそびえ立つ王城は規模も厳格な雰囲気も地上から見ていたものと印象が全然違った。
この国に仕える事が出来る自分は何と幸せなのだろう。そう噛みしめると同時に失脚していた分を必ず挽回せねばと再度深く心に誓う。
それから王城の前に降り立つと衛兵達が色んな表情で驚愕して見せたのでこちらもあまり見せない笑顔を零してしまう。

「こ、これはラカン様っ!!!」
「な、何とお久しいっ!!お待ち申し上げておりましたっ!!」
「心なしか以前よりも体が大きく若返えられたような・・・?一体どのような修業をこなされて来たのですか?」

これはラカンが突然姿を消した理由として大王ネヴラディンが周囲に伝えた内容だ。確かに極秘の邪術は修業と言い換える事が出来るかもしれない。
「うむ。積もる話は後だ。このラカン、確かな力を得て戻って来た事を大王に報告したい。ネヴラディン様はどこにおられるか?」
彼の存在は衛兵達にとっても英雄に等しいのだ。すぐに何名かが城内へと走っていくと隊長らしき人物達も集まってきてまずは鎧をと勧められる。
そういえば喜びのあまり文字通りの着の身着のままでここまで飛んできてしまった。だがこれも後で笑い話になるだろう。それくらい今のラカンの心は歓喜で一杯だったのだ。
部屋に通された後、実験体の時に纏っていた一枚のぼろ布を脱ぎ捨て、少し前まで当たり前のように腕を通していた衣装と鎧を目の前に用意されると今度は感極まって薄く涙を浮かべる。
(・・・いかんな。どうも感情に流され過ぎている。)
わかってはいる。わかってはいるのだがこの9か月近くの記憶がどうしても感傷的なラカンを生み出してしまうのだ。
周囲に悟られないよう慣れた動きでそれらをあっという間に身に着けると早速ネヴラディンが玉座の間で待っているという報せが届いた。

「いよいよか。」

正に新しく生まれ変わったラカンは久しぶりに感じる緊張感を楽しみつつ、慌てて馳せ参じた『緋色の真眼隊』らと共に大王の下へ向かっていった。





 「ほう?貴様本当にラカンか?見違えたぞ?」
威風堂々とした佇まいで玉座に座るネヴラディンの驚きが手に取るようにわかる。何分自身ですらまだこの力についてはほとんど何もわかっていないのだから。
「はっ。このラカン、『リングストン』と大王ネヴラディンに忠誠と栄光を誓うべく舞い戻って参りました。」
嘘偽りない本心と生まれ変わった自身の力を彼は大層喜んでくれるに違いない。後方に控える『緋色の真眼隊』から感じる期待感も思い違いではないはずだ。
ここからまた新たな人生が幕を開ける。確信でも妄信でもない。これ以外に道はない。当然、然りといった意味合いで今後を考えていたラカンだったがネヴラディンは静かに辞令を与える。

「ふむ、修業の成果は十分のようだな。では『ナーグウェイ』領にて賊徒の討伐に当たれ。」

「・・・はっ?」
了解とも疑問とも受け取れる声が漏れたがこれには周囲がより強くざわめいた。
「聞こえなかったか?『ナーグウェイ』領に行けと言ったのだ。今回は許すが以降連絡も無しに中央へ赴く事は固く禁止する。」
「・・・ははっ。」
意味がわからないまま静かに了承したのは何か深慮があるからだと考えての事だ。ネヴラディンは非常に狡猾故、きっと訳がある。この時まではそう信じて疑わなかった。
「ネヴラディン様、その、ラカン様の復職は・・・?」
「一将軍として扱ってやろう。わかったら下がれ。」
ところが配下の問いに返って来た答えを耳にして呆気に取られる。確か後任にはコーサが就いたはずだが今のラカンは、いや、以前も強さや統率力はラカンの方が上だった。
まさか能力至上主義な大王が誤った選択をするはずがない・・・するはずがないのに何故?

「・・・大王様。今の私は昔と違い、更なる強さを身に着けました。それをご覧になれば一将軍の器ではないとご理解して頂けると確信しております。」

唯一彼と対等に会話出来ていたラカンはあの頃のように堂々と提案する。確かに連絡も寄越さずいきなり王城へ赴いた非はあれど機嫌を損ねた程度で再び『ナーグウェイ』領に戻されるなど考えにくい。
力を示せばわかってくれる。むしろこちらの力を見たいからわざとこういった話を持ち掛けたとすら思える。それくらいラカンはネヴラディンに心酔していたのだ。
「くどいな?今は『ビ=ダータ』への侵攻も進んでいるのだ。貴様に構っている暇はない。去れ。」
なので悪い冗談かと思ってしまった。思わず顔を歪めて笑みを零してしまったのだがネヴラディンがそれを咎める事も指摘する事もなく右手を軽く振るった後こちらを一瞥する事もなく立ち上がって玉座の間を後にした。



その後『緋色の真眼隊』達と再会を祝って内輪だけの晩餐会を開いたのだがラカンの気分は優れなかった。
「だ、大王様は気分屋な所があります故、きっとラカン様が『ナーグウェイ』領に戻られた後再び大将軍へと任命されるのではと邪推します!」
「こらこら、滅多な事を言うもんじゃないぞ。」
ネヴラディンを多少悪く言ってまで慰めに掛かる配下を笑い飛ばしはするもののどうにも腑に落ちない。
そもそもラカンに再び邪術を使って異能の力を授ける許可を出したのが最初だった。そして詳しく説明する機会はなかったがラカンはそれ以上の力を手にして戻って来たのだ。
であればその経緯や力の内容くらい確かめるべきではないだろうか?あの謁見以降彼から動きが無いのが不思議で仕方がない。
「ま、今の私は空も飛べるからな。何かあれば文字通りすぐに馳せ参じるさ。」
しかしこれ以上『緋色の真眼隊』にいらぬ気苦労をさせる事もない。最後にラカンは軽口を叩いて周囲に笑いを作ると翌日早々に西へと飛び発った。





 (まさかラカンの奴が復活するとはな・・・)
翌朝、朝食をいつも以上に時間を掛けつつ摂っていたネヴラディンは予想外の展開に深く考え込んでいた。
今の『リングストン』は『トリスト』に強請りをかけて仮ながらもヴァッツを両国兼任として大将軍に抱える所までは成功している。
コーサも大将軍ではなく補佐として位置付けている為今後は時間を掛けてゆっくり引き込むつもりだったのにここでラカンが復帰すると話がややこしくなるのだ。

そもそもラカンは『トリスト』からの心証がすこぶる悪い。

特にリリーを押し倒そうとした件に関してはヴァッツとの縁が切れかねない事案だ。既に相手には閑職へ回したとも伝えてあるし今の彼を重用する訳にはいかないだろう。
むしろもっと静かにさせるべきである。悪目立ちさせてラカンが復職した等と騒がれるのは以ての外なのだ。
「・・・『緋色の真眼隊』もラカンの下へ送れ。現地では決して剣を振るうなとも伝えろ。」
以前であれば有り得なかった判断だが今は何者にも勝るヴァッツがいる。であればここは面倒事をまとめて追いやった方が得策とネヴラディンは考える。
正に絵にかいたような臭い物に蓋をするだがそれで『リングストン』の軍事力が強固になるのなら迷う事など有り得ない。
全ては国の為に、そして己の野望の為に。世界を統一する国家誕生の為にネヴラディンは最も強い力を得る判断をし続けるのだ。
右手の人差し指を軽く立てて2回曲げながら命令すると側近の一人が静かにその場を去る。
(ラカンも賢しい男だ。命令の意図までわからずとも大人しくはしてくれるだろう。)
この時のネヴラディンはそう捉えていた。だがその考えはあくまで彼が大将軍であった時までの話だ。
邪術ではないにしろ力を取り戻したにも関わらず閑職に回され彼を軽んじたこの行動は後日、新たな災いを呼び起こす事となる。







「我が王はもう少し他国に圧力を掛けていいと思うんですけどね。」
その頃『トリスト』の城内ではナイルがザラールにささやかな愚痴を零していた。
「同感だ。そもそも国としての存在を認めるのではなく全てを『トリスト』が併合して統一国家としてしまえば良い。それが最も簡単なはずだ。」
「いえ、それは他民族間の摩擦が生まれるので止めておいた方がよろしいです。」
過激すぎる発言を聞いて愚痴を聞いてもらっていたはずの立場から逆に諫める立場へと瞬時に代わるとザラールが眉を顰めて仏頂面を披露する。
「従属という考え自体、私は反対しません。ただもう少し徴収をですね・・・このままでは『トリスト』の運営に支障が出ます。」
「ほう?」
実の所ザラールはその求心力と冷酷な判断力が理由で右宰相という地位に就いている。なので多少は学んで運営に臨んではいるもののその知識はナイルの方が何枚も上手なのだ。
「特に『ビ=ダータ』は資本主義国家としての形も整いつつあります。生産性も前年とは比べ物にならないほど上がっていますからせめてこちらの軍備と給与を完全に保障出来る分も上乗せすべきかと。」
「ふむ、わかった。ではそうしよう。」
当時ナイルを迎え入れる事に成功した時はスラヴォフィルと杯を交わす程喜んだものだ。何せ『孤高』として名を馳せてはいたものの国に携わった事のない2人の老人が集まった所でせいぜい義勇軍程度の形にしかならなかったのだから。
「お願い致します。ところで・・・スラヴォフィル様はいつお戻りになられますか?」
「さぁな・・・・・」
その質問には色々な含みが込められていたが付き合いの長いザラールは言葉を濁す。察しの良いナイルも推測はしているはずだ。その理由がアンとセヴァだという事を。





 若き頃から友人だったザラール、スラヴォフィル、アン、レドラ、ワーディライに一刀斎。

唯一女性であり年下だった彼女と同時に出会った彼らは誰がその心を射止めるか、という話で一度は衝突していたという。
「きっかけはジェローラの催した晩餐会だ。彼は娘の将来を考えて猛者共を一同に集めた事があったのだ。その時、彼の眼鏡に適ったのはレドラだった。」
「ほう?」
意外な人物を耳にしたナイルは本心から驚いた声を漏らすがそれには誰もが納得のいく理由があった。
「当然だろう?奴は『ネ=ウィン』の4将経験もあったし皇帝の覚えも良かった。私はともかくスラヴォフィルやワーディライは西の海で賊をやっていた荒くれ者で一刀斎は女好きの風来坊。いくら強くとも家柄を考えると他に選択肢がなかったとも言えるな。」
ザラールが自身の事を濁した点だけは気になったが今は話の全容を聞きたい。なので余計な話題には触れずにナイルは黙ってその続きを心待ちにしていた。
「だがアンに強く惚れ込んだのがスラヴォフィルでな。あの出会いのお蔭で奴は海賊から足を洗う事が出来たのだ。」
「・・・ほほう?!」
彼が昔荒くれ者だったという話は知っていたが正直それは疎ましく思う者達の虚言だとばかり思っていたのでここは本当に驚いた。

「だが大実業家の一人娘であり女王にまでなったアンの伴侶となるとやはり身分が求められる。いくら強くても海賊行為を止めてもジェローラが認める事は無かった。」

それはそうだろう。ナイルも元『ネ=ウィン』の第二皇子であるから十分理解出来る話だった。下町の娘程度であれば説得して結ばれるかもしれないが相手が犯罪者となると親族も国民も絶対に許さない筈だ。
「レドラもああいう奴だからな。アンもスラヴォフィルに惚れていたのを察して身を引いた。だからあいつは誰とも結婚する事無く生涯を終えたのだ。」
「・・・そうだったのですか。」
「結果だけ見るとそれで良かったのだと私は思う。何せアンの働きによって『シャリーゼ』は商業大国となり、我らが『トリスト』を建国する時も随分出資してくれたからな。」
突如現れた『トリスト』という集団の謎が少しだけ解けた事でナイルも深く頷く。同時に気になった点を尋ねるかどうか迷ったのだが差しさわりのない方を選んで言葉にしてみた。

「・・・もしかしてワーディライ様の腕の件というのは?」

「ああ。あれにもアンが絡んでいたな。スラヴォフィルが丁度改心した時の衝突だ。ワーディライも猛者ではあったが気持ちで負けていたのだろう。」
あれにも、という事は他にも彼女が絡んだ事件があるのか。個人的にはザラールの気持ちを聞いてみたかったがここで話を切り上げられると後悔が残る。
「全ては済んだ話だがもし、アンとスラヴォフィルが身分などに縛られる事なく結ばれていれば、と私でさえ思うのだ。そこに瓜二つだというセヴァが現れたとなると・・・ふふ。奴は今頃どれほど慌てふためいているのだろうな。」
非常に意地の悪そうな笑みを浮かべるザラールは心底楽しそうだ。
「・・・そのお話は随分昔のものですよね?あのスラヴォフィル様がそこまで未練を残しておられるとは・・・」
敵国の第二皇子であったにも関わらず重用してくれた恩はある。それに彼は『孤高』と呼ばれる猛者なのだ。
40年以上も昔の恋愛模様を今になって再現するとは思えない。そういった気持ちから反論をしてみたのだが自身より付き合いの長いザラールは更に皺を重ねてにやりと笑う。

「あやつはアンが女王になった後も機を見て密かに通じていたのを私は知っている。今度は身分の心配はないのだから・・・私は応援してやりたいがな。」

冷酷な印象や薄ら笑いとは真逆の温かい言葉が出てきたのでナイルもそれ以上口を挟む事は無かった。
唯一気になる点といえば相手が魔人族だという事くらいか。報告では非常に長寿であり人間を遥かに凌ぐ力を持っている存在だという。
「・・・しかしセヴァ殿はアン女王様ではありません。いくら姿形が似通っているとはいえスラヴォフィル様がそれに傾倒するでしょうか?」
「はっはっは。ナイルは少し奴を過大評価し過ぎているな。『孤高』と言えども所詮は人の子だ。それとも奴が色恋に現を抜かすのが気に入らんか?」
「い、いえ!そんな事は・・・」
「心配するな。奴もガゼル同様傀儡に近い存在だ。もし何か起こっても国は傾かんさ。」
「それは酷い言われようですね。」
友という対等な立場だからこその発言だろう。何だかんだ言いながらもスラヴォフィルを気遣っているのだとわかるとナイルも最後は軽く笑って答えると執務室の御茶会は静かに幕を閉じていった。





 スラヴォフィルは成就こそ出来なかったものの生涯に愛する女性をアン一人だけだと深く心に誓っていた。
なのにそんな彼女が亡くなってから瓜二つの女性が目の前に現れるとは夢にも思わなかったのだ。しかしそこは『羅刹』と呼ばれる男。
己の心を押し殺すと彼女には一切興味のない素振りをみせつつ今後『シャリーゼ』での対応をどうするかについて話し合っていたのだが。

「スラヴォフィル殿、私の力では土地を潤す事は出来ても人々を災いから護るにはちと不十分じゃ。恥を忍んでお頼み申す。どうか我らの土地とその命を護ってはいただけぬか?」

ジェローラの館内で開かれた会議では久しく感じていなかった緊張に思わず声を失う。喋り方や仕草こそ違えどその声は間違いなくアンそのものなのだ。
「・・・うむ。ワシもアンとこの国を救えなかった後悔がずっと心残りだったのじゃ。今後この地の人間には一切危害を加えさせぬよう軍勢を寄越すので安心して欲しい。」
この発言にはセヴァだけでなくジェローラや新国王モレストももろ手を挙げて喜んでいた。だがアンには生前とても援助してもらっていた上にその遺志を考えるとこれくらいは当然だろう。
「後日ショウを送るので詳しい話は彼と進めてくれ。ではワシはこれで失礼する。」
スラヴォフィルは速やかに退散すべくこの地に縁のある少年を指名したが彼には未だ癒されていない心の傷があるのをすっかり失念していた。それくらい思考と心が動揺で使い物にならなくなっていたのだがそれを察してくれる者はここにいない。
「何を言っておるっ!!久しぶりに訪れてくれたんじゃ。何日か泊まっていってくれ。その方がアンも喜ぶじゃろ。」
ジェローラにも結婚を許さなかった後ろめたさがある為、慌てて引き留めてくるがこちらにもアンと密会していた後ろめたさが枷となり、まるで雁字搦めにされたと錯覚するほどに体が動かなくなった。

「うむ。私も少しお話したい事がある。ジェローラ、構わないだろうか?」

そこに来てセヴァという存在が余計に心を、思考をかき乱してくる。こちらは今すぐ離れたい。話などないしその声を聞きたくない。その姿も視界に入れたくないと言えればどれ程楽だっただろうか。
彼も娘にそっくりなセヴァの申し出を快く引き受けるとスラヴォフィルを客室へと案内する。仕方なく中に入って椅子に腰かけると彼女もこちらを真っ直ぐに見据えたまま正面に座ってきた。
「で、話とは?」
心なしかその香りもアンに似ている気がしてきた。このままでは理性を失いかねないと判断したスラヴォフィルはやや冷たく切り出すとセヴァは膝に手をついて頭を下げた。

「まずは今一度深くお礼を申し上げたい。これは『シャリーゼ』やジェローラとは関係なく、私個人の気持ちだ。」

「気にするな。ワシが好きでやった事じゃ。話は終わりか?」
「・・・う、・・・は、はい。」
少し寂しそうな表情で顔を上げたセヴァが言葉を詰まらせた事に罪悪感を覚えたのは間違いない。こちらの心中が大きな津波へと変化したのを感じるとスラヴォフィルはそそくさと立ち上がって上着を脱ぎ捨てた後寝具に体を預ける。
「奴は強かったのでな、少し休ませてもらうぞ。」
何とか穏便に退室してもらおうと考えた苦肉の策。実際心身共に限界だった為こんな幼稚な方法しか実行に移せなかったのだが彼女はアンではない。セヴァなのだ。

もしアンと結ばれていたら、アンが今この場にいたら彼の言い訳を聞いて腹から笑い転げていただろう。

ほんの少しの静寂が過ぎた後、多少の気配を漏らしつつ静かに立ち上がったセヴァが退室したのを感じると久しぶりの後悔がスラヴォフィルの気持ちを大きく揺さぶっていた。





 「おはようございます。」

昨夜は全く眠れなかったスラヴォフィルが早朝部屋から出るといきなりセヴァが現れて声を掛けられる。
「う、うむ。おはよう。」
流石に無視する訳にはいかないのでこちらも挨拶を返すと心なしか彼女の頬が桃色に染まった気がした。
だがこれはスラヴォフィルの勘違いに他ならない。聞くところによると彼女は人間との関係を絶って生きて来たという。
つまり魔人族として悠久に近い人生を歩んでいる彼女にとって人間や社会はただただ煩わしいだけであり、今更深く関わろうとは思っていないはずだ。ましてや年老いたスラヴォフィルに興味など湧く訳がない。

「・・・そうじゃ。お主は若く綺麗じゃ。」

そう自分の中で必死の言い訳をしているとつい声が漏れてしまった。しかしそこは人生経験が反射的に働く。セヴァの方はびっくりした表情で一瞬固まっていたがすぐに柔らかい笑みを零し、スラヴォフィルも何事もなかった風に振舞った。
それから2人は空が白んで間もない朝の廊下を並んで歩く。まだ召使いも起きていなかったがスラヴォフィルも孫や娘達の世話をしたりとそれなりに家事をこなす男だった。
なので傍から離れようとしない存在から意識を外しつつ無言で炊事場に入るとまずはかまどに火を熾して湯を沸かし始める。
葉物を千切りにして器に盛りつけると塩を一つまみ塗し、麦餅を薄く切って両面を軽く炙る。紅茶を入れて目玉焼きを作る。一心不乱に立ち回っていたら随分沢山の料理が出来てしまったが仕方ない。
「・・・食卓へ持って行ってくれるか?」
なるべくヴァッツに言うような気持ちでそう告げるとセヴァも子供のような表情を浮かべてそれを運んでいく。
魔人族というのがどういったものか未だに良くわかっていないが1人分だけ用意するような真似も出来なかった為、2人は大きな食卓の1画に並んで座るとそれを静かに食べ始めた。

お互いが一言も言葉を発しなかった為気が付けば完食していたが問題はここからだ。スラヴォフィルは少し香りの強い紅茶を気付け代わりに一口飲むと浅く呼吸を整えて静かに口を開く。
「セヴァよ。お主はジェローラ殿の土地を護る神じゃろう?こんな所で油を売っていないで祠に帰ったらどうじゃ?」
その真意はただ1つ。傍にいられると欲望が爆発しそうなので目の前から消えて欲しい、だ。しかしそれをそのまま伝える程スラヴォフィルも子供ではない。
相手を気遣うように、諭すように、尋ねるように言葉を選んで告げたのだが逆にセヴァからは飾り気のない答えが返って来た。

「・・・大丈夫です。あの地には十分な魔力を注いできましたから。それに今は貴方のお傍にいたい。迷惑でしょうか?」

(そういう事を言うでないっ!勘違いしてしまうじゃろっ!!)
と、叫ぶことが出来ればどれ程気が晴れただろうか。ここがジェローラの館でなければ迷わず押し倒していたかもしれない。それくらい彼の理性も限界だったのだ。
「迷惑、ではないがワシはもう発つのでな。ジェローラやモレストによろしく伝えておくれ。」
これ以上ここにいては色んな意味で危ないと理解したスラヴォフィルは静かに立ち上がるとそのままつかつかと歩いて外に出た。そして後ろを振り向く事無く空に上がると逃げるように『トリスト』へ戻っていく。

ところが彼女も魔人族であり土地神と崇められた存在なのだ。その真意は定かではないがセヴァは少し距離を取りつつも彼に気取られないよう後を追っていった。





 前回ラカンが攻め入った時の兵力は5万だった。だが彼自身の強さと『緋色の真眼隊』を引き連れて来ていたのだからその戦力は数値以上のものだったはずだ。
あの時はヴァッツの圧倒的な力を見せつけられて軍は分断、ラカンも『暗闇夜天』族のハルカと相対したが結局これもヴァッツの前では無に帰した。



そして今、その4倍にあたる20万の兵を大将軍補佐であるコーサが指揮し、嗜虐性の高い文官フォビア=ボウが良からぬ企てを内に秘めて同じ場所へ現れた。
「さーて。去年と違う所を見せないとねー。」
ヴァッツが持ち上げた大地も不便だという事で元の平地に戻っている。そこに所狭しと陣幕が張られ、先触れが送られた後は皆が開戦の為に慌ただしく陣形を整え始めた。
真っ直ぐな戦いを好むコーサらしく最前線には長柄物と大盾を持つ部隊が、その後方には大弓部隊が構えており圧倒的物量によって全てを蹂躙するのだというわかりやすい意思が見える。
比べて『ビ=ダータ』、いや、『トリスト』軍と言えばいいのか。あまりにも規模が小さくて逆にどう攻撃を仕掛けるべきか迷うくらいの差があった。力量に差が無ければ戦にすらならないだろう。

じゃ~~ん!!じゃ~~ん!!

大銅鑼が鳴り響くと『リングストン』は迷わず進軍を開始する。接触してみない事にはその強さがわからないし、戦にもならないのだ。ここまでは誰が指揮をとってもほぼ同じ動きになると思われる。
しかし今回軍を率いているチュチュとマッシヴは『トリスト』内でも戦術を駆使して戦う将軍だというのを彼らは知らなかった。
いくら進軍しても前方にいる小さな軍団は少しも動きを見せないので不思議に思いつつ、それでも矢が届く距離まで行けば流石に何かしら行動を起こすだろうと考えコーサは気に留めなかったのだが。

じゃんじゃんじゃんじゃんじゃんっ!!!

突然後方から伏兵を知らせる音が鳴り響いたのでこちらも足を止めて警戒態勢に移行する。見れば後方の兵士達が派手に吹き飛んでいるではないか。
「伏兵ですか。確かに寡兵ならとても有効な手段です。しかしまさか『トリスト』がそういった手段を取って来るとは・・・驚きですね。」
フォビア=ボウが感心しているもその強さが尋常ではない。まるで竜巻に飲み込まれるかのように人々と血飛沫が飛び散っていくのでコーサは後方への反撃を指示する。
こういった場合反転が難しい大軍というのは不利に働く。特に不意を突かれた後方の兵士達というのは士気が高まっていない事が多い為瓦解するのも早いのだ。
このままでは初日で大勢が決してしまう。瞬時に判断を迫られたコーサは自身も移動式の櫓に駆け上って弓を引くと『トリスト』が暴れている中央目掛けて雨のように放った。
「まずは防衛体制をしっかりと敷きなさい!!反撃より先に己と仲間の命を護るのです!!」
総大将の代わりにフォビア=ボウが陣頭指揮を執ってくれた事も功を奏したのか。この日『リングストン』の大軍が瓦解する事はなかったものの、それなりの犠牲を一方的に押し付けられて一日が終わってしまった。



「いやー助かったよ。まさか相手が奇襲を選んで来るなんてねー。」
その夜コーサが素直に礼を述べるとフォビア=ボウも軽く頷く。
「同感です。『トリスト』とは極少精鋭の印象しかなかったのでてっきり真正面からの衝突になるかと思っていました。これは相手が一枚上手でしたね。」
他の参謀や将軍もそのやりとりに同意しつつ今日の犠牲が報告されるとすっかり意気消沈してしまった。
「あの短い接触でも3万落とされるのかー・・・こりゃヴァッツ様が来てくれた方が助かる気がしてきたなー。」
彼は極端に争いを嫌う。なので例え無条件で敗戦したとしても言い訳は立つしこちらの兵力も温存出来るのだ。将軍としての誇りを追求されかねない考え方だがコーサはその辺りにこだわりがない。
「そんな弱気でどうなさるおつもりです?」
「うん?うーん・・・まぁしばらくは睨み合いの戦いになりそうだなー。」
大軍を率いているとはいえ今日の失態を考えると彼の提案は真っ当だ。反対意見が出る筈もなく、この戦は皆が長期戦を覚悟した。
しかしフォビア=ボウは兵站を任されている。20万の兵士を遠方の地で維持するには糧食にも限界があるのだ。

なのでこの夜、彼は他の面々には内密で1人静かに行動を起こし始めた。





 大軍はいたずらに糧食を消費する。これは今も昔も、そしてこれからも変わらないだろう。
翌日から『リングストン』軍が護りを固めたのを確認したチュチュとマッシヴは決して危険を冒す事無くその大軍に軽すぎる攻撃を何度か加えては時間を稼いでいた。
ヴァッツやアルヴィーヌのように圧倒的な力で多大な戦果を挙げられる人物など世界広しと言えどそんなにはいない。彼らは自分達のように凡庸な軍人は凡庸且つ正攻法で戦に臨むべきだと十二分に弁えているが故だろう。
「兵糧に焼き討ちでも掛ければより効果的だと思うけどどうかな?」
「・・・あんた軍事に関してはほんと容赦ないねぇ・・・でも長引かせるのもあんまり良くないか。いいよ。今夜いってくる。」
こちらはマッシヴが参謀として機能している為敵の方針を瞬時に見破った後その対策を打ち立てる。そしてそれを実行するのがチュチュの部隊だ。お互いが将軍に取り上げられて既に7年。性質が全く違っても深く信頼し合えているからこそこうして各地で戦果を挙げて来られたのだ。

話がまとまったその夜。

マッシヴは夜襲を警戒すべく兵士を防衛にあたらせる。いつ来るかはわからないが彼らも必ずこの状況を打破する為に動くだろう。『リングストン』も決して持久戦を望んでいるはずがないのだから。
しかし2日間彼の軍と接触したところ布陣は非常に整っておりその動きに変な癖もない。コーサという総大将が放つ矢こそ非常に警戒せねばならない代物ではあったものの性格的に搦め手を使ってくるようには見えなかったというのが個人的な見解だ。
そこに油断があったと言われればそれまでだろう。だがマッシヴという将軍は30を過ぎた若い軍人であるにも関わらず動きや思考は老獪で常に『トリスト』に堅実な勝利をもたらしてきた。今回もその経験からしっかり備えてはいたはずなのだ。

だが敵が送って来たのは軍ではない。昨年まではラカンが秘密裏に囲っていた『リングストン』の粛清用暗殺集団。フォビア=ボウがそれを使って今夜反撃の狼煙を上げるべく差し向けていたのだ。

もしマッシヴとチュチュの役割が反対であれば対応出来ていたかもしれない。個の武力がそれほど高くない彼はこの夜しっかりと防衛線を築いていたものの、月明りに照らされた影にその姿を沈めた瞬間あっけなく命を落とすと両国の戦は一気に終焉へと向かっていった。



「退却だっ!!散れっ!!」

厳重すぎるほど兵力が集められていたのは気掛かりだったが夜空を支配できる『トリスト』軍に不利は付かないだろう。
そう思ったチュチュはさほど気にせずマッシヴの策を実行すべく自らが指揮を執ってその兵糧を燃やそうと行動を開始した。
案の定『リングストン』兵が暗闇に隠れて動くこちらに成す術もなく沈んで行く。そして各々が篝火を使って大火を巻き起こした瞬間からおかしくなっていた。

どういう事か無傷であるはずの『トリスト』兵が次々と倒れていったのだ。

隊長でもあるチュチュは最初少し離れた場所でそれを見届けていた為異変にすぐ気が付けなかったが戻って来る予定の兵士があまりにも遅い事から剣を抜いて現場周辺を飛び回ったのだ。
結果、フォビア=ボウの策に嵌った彼女は体の痺れを感じた瞬間急いで上空に逃げながら退却命令を出す。だが時すでに遅し。
その声に反応出来た者はごく僅かであり体の自由だけでなく意識も奪われたチュチュは静かに地面へと堕ちた後、翌朝には捕虜として縛り付けられた状態で目を覚ましていた。



手足には太い縄が何十にも巻かれており両腕で吊るされるような形だ。膝こそ地面に着いてはいたもののかなり長い時間その状態だった為か腕と肩の部分に痛みが走っている。
・・・いや違う。その痛みは刺すようなものだ。見れば細い剣が自身の四肢を貫いていた。

「貴様が『トリスト』の将軍だな?名前は・・・聞く必要もないな。」

答えようにも猿ぐつわが嚙まされている。こちらは唸り声を上げる事くらいしか出来なかった。
しかし目の前の男は文官らしく個の強さは全く感じられない。その代わりと言っては語弊があるかもしれないが妙な気配、何やら嫌な気配だけはひしひしと伝わって来る。
初めての捕虜経験にチュチュは激しく動揺していたがこれでも『孤高』に認められた将軍なのだ。尋問などには屈せず、そのまま死を受け入れよう。
(マッシヴには悪い事をしたな・・・)
それでも唯一の心残りが脳裏を過る。ずっと2人で戦場を駆けて来た。互いが互いを補い合って戦果を積み重ねて来た。それがこんな終わり方をするなんて・・・願わくば決して助けに来るような真似だけはして欲しくない。
不覚を取った将軍の事は速やかに切り替えて『リングストン』を打ち破って欲しい。昨夜の襲撃には50名ほどしか使っていないのだから残った兵力と彼の策謀があれば何とでもなるはずだ。

「コーサ様にお伝えしろ。『トリスト』の司令塔は全て潰した。今日中に城を落とすようにとな。」

未だ思考が微睡んでいた為か、その命令が耳に届いたにもかかわらずチュチュはこの男は大いなる勘違いをしている。まだ『トリスト』には策略家がいるのだぞ。と心の中でほくそ笑むと再び気を失っていった。

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