闇を統べる者

吉岡我龍

動乱の行く先 -答えを求めて-

 「あのさ。オレ、マーレッグの事を聞きたいからセイラムに会いに行こうと思うんだけど誰か一緒に来る?」

ノーヴァラットが魔術の家庭教師として加わった翌朝、ヴァッツが意外な提案を持ちかけた事でクレイスの寝室がざわついた。
「ヴァッツ様。それは『天界』におられるというあのセイラム様ですか?」
『天界』やそこの王であるセイラムの存在はごく一部の人間にしか知られていない。正確には『セイラム教』の神として広く認知されているもののそれが実在しているという事実を知らないというべきか。
イルフォシアもスラヴォフィルから話は聞いていたものの正直あまり関わりたくはないというのが本音だ。
「うん。ほら、『天界』って空の上の方にあるんでしょ?何かこう光が一杯ある気がしない?」
恐らくマーレッグが眩い光に包まれて消え去った事から相談相手として選んだのだろう。しかしヴァッツや『闇を統べる者』が分からない事を天族が知っているとも考えにくい。
「私はしばらく飛びたくない・・・けどヴァッツが傍にいないと困る。だから飛ばない方法で一緒に行く。」
相変わらず桁違いの我儘を披露するアルヴィーヌだが空の上にあるというのに飛べないヴァッツに懇願するとは一体何を考えているのか・・・いや、何も考えていないのだろう。
「あ、あのぅ。ヴァッツ様。その『天界』?というのはどれくらい上空にあるのでしょうか?」
「どれくらい?さぁ?」
聞いているだけでも頭が痛くなりそうだ。突発的な提案はともかくその目的地すらわかっていないとなれば飛べる飛べない以前の問題である。
「流石に場所の特定が出来ていないと辿り着けないんじゃないの?」
ウンディーネが興味なさそうに答えるがこれにはイルフォシアも頷くしかない。

「ぼ、僕も行きたい!是非会ってお礼が言いたい!!」

ところが一番の重傷者が勢い良く手を上げて名乗り出たのだから大変だ。何せ彼は見た目とは裏腹にとても頑固なのだ。一度決めたらそれを取り下げるという事を滅多にしない。
そのせいで今も酷い怪我で寝具の上なのだがそれをわかってもらえないのが辛い所である。
「クレイス様。貴方の御怪我では無理です。諦めて私達と見送りましょう。」
「そうですそうです。今の状態で無理をされては治る怪我も治らなくなりますよ!」
ルサナの追撃にもイルフォシアは何度か頷いた。彼の話では最初のマーレッグ戦の時に助けられたらしいが『天界』やセイラムにあまり良い印象を持っていない彼女からすれば出来る限り避けたいというのも大きな理由だった。

赤子の時から育て上げてくれたスラヴォフィルには感謝しているし間違いなく自身の父だと断言出来る。

だからこそ余計に思うのだ。何故実父であるはずのセイラムが自分達を育ててくれなかったのだろうと。

『天界』の事情も知らない為その理由はわからないがやはり子というものは親を求める。せめて年に何度か・・・いや、月に何度かが良い。会いに来てほしい。
だが今の今まで彼の名こそ何度か耳にしたがその姿形は見たことがなく声も性格も雰囲気も何も知らない。そんな薄情な父親に今更どんな顔をして会えば良い?
自分達を預けた理由としては近い未来に迫る未曾有の危機というものがあるがそれは今の所訪れておらず、だったら双子姉妹も大人になるまで天界で育ててくれればよかったのにと思わずにはいられないのだ。

「それじゃクレイスの怪我が治ったらいこうか。それまでどこにあるか調べとくよ。」
そうだった。彼はそういう人物だった。特に急ぎだと感じなかったヴァッツはクレイスにあわせて予定を立ててくれるらしい。
当然本人は大喜びだがこちらの心境は複雑でならない。結局その日は自身の葛藤を忘れて場所の特定が出来ませんようにと祈りながら一日を過ごした。





 ヴァッツが『闇を統べる者』に促されてクレイスの下へ向かい、その10分後にはアルヴィーヌも普段見たことが無い程の力をふるって大空へと飛び立った。
残された面々は呆気にとられていたがカズキやショウがいつもの事だと軽く説明するだけで周囲も納得してくれる。
彼らが手助けするのであれば何も問題ない。むしろ敵対する勢力に情けをかけたくなるくらいだ。

「しかしアルヴィーヌの奴め。我慢を知らぬにも程があるぞ。一体どれだけ甘やかされて育ったのやら。」

時雨はあの時の光景が脳裏に焼き付いたまま日々を悶々と過ごしていた。ヴァッツとアルヴィーヌが拙いながらも唇を触れ合わせたあの日の事を。
そのせいで助けに行くとわかっていても妙な詮索や勘繰りに思考が働いてしまうのだ。

ぶんぶんぶんぶん!!

頭頂部近くで結んだ長い髪がぼさぼさに乱れる程激しく頭を振って何とか正気を取り戻そうとする。しかし現在カズキの生家に戻りティナマやシャルア、マフミと葦簀の影で涼んでいたのに彼女らの話は全く耳に入ってこない。
テキセイの婚儀が行われた時こそ全員が式場に足を運んだが根が庶民な自分はカズキの家やマフミと一緒にいたほうが落ち着いた。
「それは仕方ないんじゃない?アルちゃんは王女様なんだし。ね?時雨ちゃん?」
カーチフの娘であるシャルアも生粋の庶民だ。父の死もあったせいか血は繋がっていないものの祖母の傍が最も落ち着ける場所ということでこの場を選んでいた。
マフミの方も一人暮らしが長かった為か、突如現れた孫娘をただただ可愛がっていたのだから少し羨ましくも感じる。
「そうですね。あの娘は昔から自由奔放でしたし・・・」
冷静に考えてみると自我が芽生える前から彼女の御世話役として傍にいたのは時雨だ。だが生来の性格もある。決して甘やかせてしまった為ではないと自分に言い聞かせつつ黙って頷いているとティナマが静かに白い目を向けて来ていた。

「それより時雨ちゃんは実家には戻らないのかい?」

『モクトウ』に着いてから既に2か月近く経っている。容姿や衣服から見ても時雨が『モクトウ』出身だと一目でわかるし自身の家と一刀斎はある程度の関わりがある。
であれば妻であるマフミもこちらの事情をある程度知っているのかもしれない。だからこそ話題を出してきたのだろうか。
「い、いえ・・・私はその・・・」
帰れる家があるのに帰らないのは親不孝者だと人は言う。だがそれは家庭内が円満であればの話だ。時雨は奉公に出された体だがその実ただの身売りに過ぎない。
まだ幼かったので家の財政事情はわからなかったがとにかくそれが原因で心には深く醜い傷を負ったのだ。そこに恋しさや寂しさなどはない・・・

「ふむ。そうだな。一度行ってみるか。」

「えっ?!」
どう話題を変えようかと思案していたら事情を知っているはずのティナマが何故かそんな事を言いだしたのだから思わず声が漏れた。
「おお。良いわね!折角だし私もついて行っていい?」
「確か御子神神社じゃろ?よし、旅がてら皆で行こうかの!」
シャルアとマフミも乗り気だった為遮る言葉が見つからない。特にマフミは夫が死ぬまで世界を旅しており娘は若い頃に殺されている。
忘れ形見のカズキも戦闘狂の教えを叩きこまれていた為武者修業などで家にほとんど帰っていなかった。そんな老婆が楽しそうにしていると情に流されやすい時雨は強く反対出来なかったのだ。

こうして4人は時雨の生家に向かうべく準備を進めると翌朝には借りた馬車を走らせて一路東へと向かっていた。





 「何故あんな事を言いだしたのですか?」
慣れた御者席に座っていた時雨は隣にティナマを座らせると早速問い詰める。
「いいではないか。そもそもお前も実家に帰るみたいは事を口走っていただろう?」
「い、いや。あれは・・・」
この少女、1500年も生きて来て建前と本音の見分けがつかないのか。あの時は皆の雰囲気に中てられてつい適当な発言をしてしまったものの決して本心ではない。
ただ父の死以降少し無理をしていたシャルアの事も考えるとこの旅はいい気分転換になるのかもしれない。こうやってつい自身の事を後回しにしてきた結果が今に至るのだから自業自得なのだろう。
「ふっふっふ。相変わらず甘い女だなぃひゃいいひゃい!」
しかし確かに情に流されやすい性格ではあるが、かといって何も思っていない訳ではない。特に聞き分けのない双子の姉みたいに育ってきた為躾の行使には躊躇がなかった。
柔らかい頬をみょーんと伸ばして無言の反抗を見せるとティナマは泣きべそ顔を浮かべつつ恨めしそうな表情を向けて来てくる。

時雨の実家、御子神神社は東の都から見て更に北東の山間部にある。

街道はしっかりと整えられているが、それでも4人を乗せてのんびり歩く馬車の速度では10日近くかかってしまった。
「凄いわね『モクトウ』!これだけの長旅だったのにいろんなところに宿や集落があるんだもの!快適な旅って感じだわ!!」
なのにシャルアが疲れを見せずに大はしゃぎしていたのだがこれには時雨も同意だ。自身も幼い時の断片的な記憶しかなかった為まさか移動にこれほど快適な環境が整っているとは夢にも思わなかった。
『東の大森林』の南にある荒れた街道を旅していたからこそ余計にそう感じるのだろう。
「基本的に外敵への杞憂がないからな。国内の発展に注力出来るという意味では他国以上なのだろう。」
ティナマの推測に深く頷きながら一行はほとんど疲れを感じずに目的地近くまで辿り着く。だが未だに時雨の脳裏にはその景色と記憶が一致しないのはやはり当時幼過ぎたからだろうか。
それよりも。
(・・・帰ってどうするつもりだ?)
道中は楽しかったもののいざ目的地で何をするのか、すべきなのかが全く分からない。相変わらず両親への感情は変わらないし顔も見たくないという気持ちしかない。

それでも馬車は緩やかな石畳の階段前までやってきた。何十段かある先には色褪せた朱色の鳥居も見える。
「さて。では行こうか。わらわも久しぶりなので少し楽しみだ。」
無意識のうちに体が固まってしまっていた時雨はティナマに手を握られると体中が軋むような感覚に襲われつつも何とか腰を上げる。
比べて物見遊山な祖母と孫娘ははしゃぎながら階段を上っていった。





 ティナマに率いられて何とか鳥居をくぐった時雨は小さな本堂と離れを双眸に捉える。そこで一気に記憶が結びつくのだから生家というのは影響力が凄まじい。

本堂の隣にある大きな杉の木は樹齢何百年かあるのだろう。とても太く真っ直ぐにそびえ立っており高さも太さも桁違いだ。
それを見て、思い出して、間違いなくここが自身の生まれ育った場所であり心中は無性に懐かしさを掻き立ててくる。
「おおー!夏なのに何か少し涼しく感じるわね?」
「木々が多いからのぅ。さてさて、お参りしてからご挨拶に伺おうかね。」
血が繋がっていないにも関わらずまるで長年一緒に暮らしていたかのように朗らかなやり取りをしているマフミとシャルア。その様子は微笑ましくもあり同時に羨ましくも思う。
もし自身もここで育っていたら今頃は・・・

「こんにちは!」

妄想に耽っていると突然隣から声を掛けられて体を軽く跳びあがらせた。
「こんにちは。坊やはここの子かい?」
マフミが優しく問いかけると少年はにっこりと微笑みながら大きく頷く。最初は何気ないやり取りだけにしか見えなかったがその内容は決して看過出来るものではない。
「あらあら。こんな寂れた神社にお客様が・・・」
そして離れの方からは少年の母親だろうか。少し陰りのある細身の女性がこちらに向かってくると時雨の顔を見て動きの全てを止めた。
恐らく心境は時雨と同じだったのだろう。まさかと思う反面、何故、何故?何故だ??と何度も心の中で自問自答を繰り返している。

奉公に出されたのが8年前。面影が残っているのかすらわからないはず。

時雨の方も6歳までの記憶しかないので目の前に現れた女性が本当に母親なのかを判断する材料を持ち合わせていない。

だが血の繋がりというのは恐ろしいもので、何も確証がなくともそれは瞬時に理解出来てしまうのだ。

「うむ、お邪魔している。其方がここの神主か?」
固まってしまった2人を少年が不思議そうに見比べている中、ティナマが聞き返してから数秒後にやっと思考を取り戻した女性が動きを見せ始めた。
「は、はい。御子神神社を護らせて頂いております。御子神小雨と申します。」
母親の名前すら忘却の彼方だった。今本人の口から直接聞いてやっと思い出したくらいだ。それほどまでこの場所とここの関係を断ち切ろうとしていたのにその声が胸を強く締め付けてくる。
「おお!貴方が時雨ちゃんのお母さんですね!」
そして何も知らないシャルアが嬉しそうに声をかけるとまたも2人は時間が止まったかのようにお互いを見つめ合ったまま動かなくなっていた。





 「小雨殿、わらわ達は長旅で疲れておるのでな。厚かましいが少し持て成してはもらえないだろうか?」
事情の全てを知っていたティナマが優しく願い出ると小雨は妙な緊張感を漂わせて自宅へと招き入れてくれた。だが自身の体は、足は全く動かなかったのでシャルアが手を、ティナマが背中を押して何とか前へと進む。
そんな様子を1人黙って見守っていたマフミは年の功か。何かを察してくれてはいるらしい。
「女の人ばっかりで長旅なの?それって大変じゃない?」
少年が小さな握りこぶしを作って興味深そうに尋ねてくるが彼の存在がまた時雨の心を戸惑わせる。
「うんん。そんな事なかったよ!『モクトウ』って道もお店も整ってるし凄く快適だったわ!ところで君って時雨ちゃんの弟さん?」
今日だけはシャルアがヴァッツのように思えて仕方がない。といっても何も事情が無く何も知らなければ自然とこういう話になるのだろう。
「・・・お姉さん時雨姉を知ってるの?」
その名前を聞いて妙に沈んだ表情を浮かべている少年の方が大人びて見える。だが今の時雨には『時雨姉』という言葉で体が一杯一杯だった。

「まぁまぁ弟君。積もる話はお茶でも飲みながら聞こうじゃないか。」

マフミが優しく微笑むと少年もまた無邪気な表情へと戻っていった。そしてこちらをちらりと見ると照れ臭そうに母親の腰に抱き着く。

未だ理解が追い付かない。自分は本当に実家と呼べる場所へ帰ってきて、そして母親といつの間にか出来た弟と接しているのだろうか?全て夢なのではないのか?
体の緊張感が浮遊感へと変わっている為足元の感覚が全くない中、4人は客間へと通されると早速世間話から始まった。
「ティナマちゃんって結構強引ね?今日はお招きに預かりありがとうございます。私シャルアって言います。マフミお祖母ちゃんの孫娘です!」
「マフミでございます。主人の一刀斎がこちらの旦那様に随分とお世話になったみたいで。」
「あら?!は、初めまして。一刀斎様はご健在でいらっしゃいますか?」
3人が口を開き始めると段々場が盛り上がりつつあったが少年だけはじっとこちらを見つめてくる。これには時雨もどうすればいいのかわからず口を開く事が出来ない状態で漬物石のように座っていた。

「わらわはティナマという。時雨の数少ない友人の1人だ。」

そこに時雨の名前を出した途端小春が刹那で雰囲気を変えるのだからいい加減シャルアも何かを悟ったらしい。
「あの、もしかして小雨さん。時雨ちゃんと仲悪いんですか?」
見当違いの質問に思わずティナマが小さく噴き出していたがこれには時雨もつられて微笑が零れた。

「・・・いいえ。私がこの家に戻って来るのが8年ぶりくらいなものですから。お互いが緊張しているだけです。」

声を出せたのは皆のお蔭だろう。半ば無理矢理だったがこの提案と場を作るよう働きかけてくれたティナマ。
父を失った悲しみを胸の奥にしまいつつ底抜けに明るく振舞っているシャルア。そして何かを察してくれているマフミ。
自分1人では決して足を踏み入れる事のなかったこの場所で、母と弟に再会出来たのだからそれには応えたい。そう感じた瞬間時雨は固く閉ざしていた心を解放したのだ。

「・・・ただいま。お母さん。」





 頑張った。とても頑張った。お母さんなどという言葉を何年ぶりに使ったのか覚えていない。それくらい頑張った。
「うぅ・・・ぅぅぅ・・・」
なのに小雨は両手で顔を覆ったまま泣き声を漏らすのみだ。そこはおかえりと返して欲しかったがこういう母だからこそ時雨は奉公に出されたのだろう。
「ほんと?!ほんとに時雨姉なの?!」
ずっと無言でこちらを凝視していた弟はそれを聞いて飛び跳ねる。歳も名前もわからないが小さい我が家の床には畳が敷いてあるのだ。あまり激しい動きはそれを損なってしまう。
「多分、恐らく本当の時雨です。私がいない間に弟が生まれていたなんてびっくりしました。君の名前は?」
「おれ小虎!ほんとに時雨姉なんだよね?!」
どうやら実家に戻っていない間も家族の中では時雨の事を話していたらしい。弟は喜んで飛びついてくるのでこちらもそれに応えるべく優しく受け止めた。
「・・・6歳くらい?」
「当たり!!何で分かったの?!」
性別は違えど双子姉妹を赤子の頃からお世話してきたのだからその眼と感覚には自信があった。しかし顔は母親似なのだろう。近くでよく見ると小虎という名前に似合わず優しい顔だ。

「な、何で8年も帰ってなかったか、聞いちゃってもいい?」

姉弟が仲良くじゃれ合っているのに対して母親が未だにしんみりとした小雨のような涙を零していたのだから周囲は反応に困っていたのだろう。
居たたまれなくなったシャルアが遠慮気味に尋ねて来たので吹っ切れた時雨はすぐに反応した。
「昔両親と喧嘩してへそを曲げていただけです。」
これくらいの理由でいい。そう思って軽く誤魔化したのだがこれに小雨が待ったをかける。

「・・・いいえ。違います。これには私達の罪深い理由があるのです。」

実姉との邂逅が嬉しすぎてべったりな小虎をよそに彼女からは居た堪れない雰囲気が解き放たれた。同時に自身の母はただしとしとと涙を零すだけの女性ではないと認識を改める。
「・・・8年前、国王シュゼン様から一振りの刀が欲しいと言う要望が届きました。主人もまさか自身の仕事が王に認められるとは夢にも思わずその日から一心不乱に鍛冶場で働き続けました。」
そうだ。時雨の父はそれなりに高名な刀職人なのだ。それは一刀斎が利用していた事からも何となく知ってはいた。
しかしまさかあの男が父にそのような大仕事を依頼していたなんて。8年前の記憶には全く残っていないのは幼すぎたからか忘れているだけか。

「半年以上をかけて最高の一振りを献上したのですが国王様はその出来に納得がいかず酷くご立腹されまして。その時莫大な罰金を科せられたのです・・・」

初めて聞いた自身の纏わる話に思わず力が入る。気が付けば小虎を胸元に抱きかかえたまま呼吸をするのも忘れて母の話に耳を傾けていた。
「どうやっても払えない金額だった為に一家で首をくくるかという話までしていました。ところが国王様は時雨を奉公として寄越せば水に流すと仰ったのです。」
「ふむ。いかにも奴らしいやり方だな。」
その所業をよく知っていたティナマが深く頷く。

「わ、私達は命惜しさに時雨を・・・大切な娘を・・・何故あの時あのような行動をしてしまったのか。最近は特にそう思わずにはいられませんでした・・・」

語り終えた後の小雨に先程までの泣き顔はなく、気が付けば強い後悔と怨念のような表情を浮かべて俯いていた。





 「酷い国王様だったのね!!」
シャルアが小雨を慰める意味も込めて憤慨していたがこの話はそんな単純なものではない。

「ふむ。小雨殿、強く後悔を覚えるようになったのはここ1、2ヶ月ほど前からではないか?」

ティナマがそんな事を口走ったのだから皆が一瞬彼女に注目したがその内容にいち早く気が付いた時雨が声を上げた。
「そ、そうか!!操心術!!」
「間違いないだろうな。」
ダクリバンは己の利を追求するために見境無くそれを使っていた。そして立場は国王だ。であればこれくらいの暴論は難なく押し通せるはずだ。
恐らくそれらを行使して両親を黙らせる事で簡単に時雨を手に入れる事が出来たのだろう。ティナマは自身の体験も踏まえてそう読んだのだ。
だがそんな悪漢もヴァッツの前ではただ強欲な中年へと成り下がり、恨みを持つ大多数の人間に囲まれながらあっけなく散っていった。
そして現在、奴の術も解けて家臣や国民達が正気を取り戻してきている中、各々が苦しんでいるという状況か。

「そ、その術がどういうものかわかりませんが主人は突如気が狂うほどにのた打ち回って、それから時雨を探す旅に出てしまいました。」

それで姿を見かけないのか。だがティナマもそうだった。封印されていた知りたくもない記憶がじわじわと蘇ってきて、結果ダクリバンを討つと言い出したのだ。
時雨自身にそういった記憶の改竄は感じられなかったので何もされていないのだろうが、同時に両親が薄情で自身を簡単に手放したのではないとわかると胸の奥から熱いものが込みあげてくる。

「あれ?時雨姉・・・泣いてるの?」

気が付けば双眸から溢れ出る涙が静かに頬を伝い落ちていた。記憶・・・・・そう、記憶だ。
自身では酷い扱いを受けたとしか記憶していなかったダクリバンへの奉公時代と両親がいきなり態度を豹変して時雨を手放した時の事が溶けた心の中から蘇る。

父は職人気質の男だった為娘に甘い態度を取ったりはしなかったが、ある夏の日に時雨が高熱でうなされた事があった。

その時は彼が三日三晩つきっきりで看病してくれた。冷やした手ぬぐいをこまめに替えて、慣れない手つきで御粥を口に運んだのも父だった。

母は父を立てる性格故に何かが起こった場合は彼に従い、そして支える役を買って出ていた。今思えば料理などしたことがない父の御粥が美味しかったのも母がこっそり味を修正したからかもしれない。

あの時ほど両親に感謝し、愛されているのだと確信した事はない。時雨は両親が大好きだったのだ。

なのに奉公へ出される日には悲しそうな表情で見送っていたもののそこに感情はなかった。この時既に心が操られていたのだろう。

「・・・お母さん。私・・・私も・・・」

やっと気が付けた。思い出せた。何故自身が両親を憎み、忌避し、今の今まで家に戻ろうとしなかったのか。そして更に思い出す。王城での生活を。

この時の記憶まで改竄された理由はわからない。だが時雨が王城に連れて来られてからしばらくは随分と可愛がられたらしい。
今まで袖を通した事もない美麗な着物や美味しい食事、目を奪われるほどの繊細な細工が施されている毬や人形は子供心を大いに擽った。
しかしダクリバンにはわからなかったらしい。時雨が何より欲していたのは両親の、小雨と虎徹の愛情なのだと。
それでも諦めずに彼は時雨に色々尽くしてくれた。寝食を共にして休日には街へ出かけたりもした。だが日が経つ事に家が恋しくて仕方なかった。

終いには毎日が悲しみで胸が押しつぶされそうになり気が付けば泣き続けていた。

見かねたダクリバンは操心術を更に強く掛けるとそれら全てが心の奥底に封印され、両親と家を強く憎むようになっただけでなく他人を信じる事すらほとんど出来なくなった。
そのせいでダクリバン自身も歪んだ心証で捉えられ酷く忌避される事にもなったのだがこれは自業自得だろう。

「・・・私は・・・お母さんやお父さんに捨てられたと思っていた・・・でも違ったのね。」

それでも彼がどれだけ懐柔しようと物を与えたり優しく接しても時雨の心は決して忘れなかったのだ。あの時必死で看病してくれた両親の姿を。愛情を。
それを無理矢理封じ込めた結果、時雨に掛かった術は他者とは全くの別物へと変化を遂げていた。先を読む力を微弱ながら手に入れてしまったのも術を強く掛け過ぎた弊害なのだ。

全てを思い出した時雨は小虎を更に強く抱きしめた後ゆっくりと立ち上がった。それから彼女らしからぬ、人目を一切憚る事無く母の前にしゃがみこむとまるで幼子のようにその胸に飛び込んでいた。





 どれくらいの時が流れたのか。皆が黙って見守ってくれていると悟った時雨は涙をぬぐって身を起こす。
「お母さん。私・・・お母さんもお父さんも大好きだった。うううん。大好きよ。今でも。」
言葉とはこういう時の為にあるのかもしれない。態度だけでは足りない。もっと、もっと気持ちを伝えたい。その為に存在するのだと。
それを聞いた小雨が今度はまた涙を静かに零すのだから堂々巡りだ。
「よかったね!!おれも時雨姉が帰ってきてほんとにうれしい!!」
こういう時家族というのは強い。弟が元気に答えてくれたお蔭で娘と母はやっと落ち着きを取り戻してお互いが笑顔で見つめ合う。
それから小雨が居住まいを正すと仰々しく頭を下げてお礼と謝罪を述べた。
「折角来られたお客様の前ではしたない真似をしてしまい申し訳ございません。」
「とんでもない。色んな事情があったにせよ家族が再会出来たんじゃ。はしたないどころかいい場面に立ち合えて私ゃ感極まっておるよ。」
マフミが顔をくしゃくしゃにして満面の笑みを零している。シャルアも薄く涙を浮かべているしティナマが優しい笑顔を浮かべているのも初めて見た。

帰って来れて本当によかった。

未だ心が歓喜の大渦を巻いていて自分がどういう状態か判断しかねていたが今はただ笑おう。そして失った時間を取り戻そう。
そう決意した時雨は早速親子で炊事場に立つと3人を持て成す為の料理に取り掛かるのだった。



その夜はとても楽しい晩餐が繰り広げられた。今までもこういった祝宴らしきものを何度か経験していたが本当の意味で心が解放された今日が一番楽しかった。
「お母さんは少し痩せ過ぎだからいっぱい食べてね。」
8年ぶりに再会した時から思っていた事を時雨が口にすると小雨は困惑した笑顔を浮かべる。
「そうね。でも痩せたのってここ1か月の間でよ?貴女の事を思い出して、激しく後悔して食事も満足に摂れなくてね。でもうん!もう大丈夫!今日から一杯食べてお父さんより重くなるわ!!」
そういう理由があったのか。つい嬉しくて何も考えずに思った事を口に出してしまった為思わず泣きそうな表情をしたがそこにシャルアが突っ込んでくれた。
「大丈夫よ!!親子ってそういうもの!!私だってお父さんが大事な職務についていたのを無理矢理駄々をこねて家に連れ戻したりしたんだもん!!」
「ほう?だったら私もあの人にもっと我儘を伝えておくべきだったかねぇ。」
マフミはそれなりに直言する性格には見えたが一刀斎はそれ以上に意思の固い人物だったのだ。もしそれを実行出来ていたとしても家に留めておくのは難しかったのかもしれない。
「一刀斎様は本当に残念です。まさかあれ程お強い方が亡くなられるなんて・・・」
元々東西の交流がほとんどない為彼が亡くなった事をこの場で知った小雨は惜しむ声を漏らす。

「強さとはそういうものなのだろう。老いれば失うものだ。まぁ老いを知っていればの話だがな。」

「「「「???」」」」
「・・・そういえばティナマは天魔族でしたね。自身に老いは無縁だという事ですか?」
他の面々は彼女が人間でない事を知らない為時雨の問いにはちんぷんかんぷんだったのだろう。
皆がきょとんとしているので話も特に続かないと思っていたが箸で出汁巻き卵をぱくりと口に放り込んだ後にやりと口元を歪ませてきた。

「私はまだわからんが少なくとも天人族、魔人族は老いる。恐らく天族や魔族も外見はともかく老いはあるだろう。だが・・・ヴァッツはどうかな?」





 意外な人物を引き合いに出してきたので時雨は思わずしかめっ面になった。
「・・・それはどういう意味ですか?」
「さぁな?常に周りの顔色を伺うお前なら察しはつくのではないか?」
左に座っている小虎が不思議そうにこちらとティナマの顔を見比べていたが不安を覚えて時雨が抱き寄せた事で軽く喜びの声を上げる。
「ヴァッツ君って年取らないの?」
冷や豆腐を頬張ったシャルアも弟と同じような表情で尋ねて来たがそもそもヴァッツをそんな目で見た事はないし確かめるには相当長い年月が必要だろう。

「ヴァッツ様はお優しい方です。例え貴女がどれだけ忌み嫌おうとも私は一生お傍で尽くすつもりです。」

ダクリバンの術が溶けて心が解放されたとしても彼への気持ちは微塵も変わっていない。そう、様々な力を持ち誰に対しても優しくその強さは比類が無い。
人間という器を軽く凌駕しているのはわかっている。だがそんな取るに足らない理由が何だというのだ。
今日の時雨はとても気分がよく、心が澄み渡っていた。更に8年ぶりの再会を果たした母と弟という家族が傍についていた為つい気を大きくさせてしまったのだろう。
「お前の一生はヴァッツの人生の何分の一か何万分の一か・・・奴にとっては瞬きする程度の時間でしかないのかもしれんぞ?」

「それでも私は彼を心よりお慕いしているのです!誰よりも、アルにも負けません!ええ、負けませんとも!!」

あの日交わされてしまった口づけの光景が脳裏によぎるとつい力説してしまったが後ほどこれがティナマの狙いだったのだと気づかされる。
「も、もしかして時雨・・・あなた意中の殿方がいるのね?!」
母が驚きと共にとても喜んだ表情で抱き着いてくる。シャルアも全てを理解したようなにんまり顔で何度も頷いていたしティナマに関してはとてもとても悪い薄ら笑いを浮かべていた。
「時雨姉の好きな人ってどんな人?!」
8年振りの再会は母も同じであった。故にその高揚感も時雨に負けず劣らず高かったらしい。それもそのはず、近い将来娘が番となれば初孫だって遠くない話だ。
こうなってくると今まで一番大人しかった小雨が饒舌になってどんどんと問い詰めてくる。
「今度是非うちにご招待してね!ああ、楽しみだわ・・・再会もこの上なく嬉しかったけどまさか娘がそれほどに想う人と出会っていたなんて・・・ああ・・・はやく夫にもこの喜びを伝えたいのに!あの人ったらどこをほっつき歩いてるのかしら?!」
狂喜と呼ぶにふさわしい感情は遂に父への悪態へと変貌するくらいの様相を呈してきた。小虎はともかく記憶の乏しい時雨はまさか母にこのような一面があるとはと慄くしかない。
「時雨姉の旦那様って事はおれのお兄ちゃんになるのか・・・楽しみだなぁ!」
どうやら御子神家の人間はわりと感情に流されやすいらしい。親子共々妄想を口にしている様子をシャルアとティナマは笑い転げ、マフミは微笑ましく見守ってくれていた。



あれから取り繕うかのようにヴァッツという人物像の説明とあくまで主従の関係だと弁解したが母と弟はすっかりその気になってしまった。

「貴女が余計な事を言うから・・・どうしてくれるんですか?」
宴の片づけが終わり夜も更けてきた頃、時雨とティナマは虫の音を聞きながら並んで縁側に座っていた。
「何を言う。お前があまりにももたもたしているから背中を押したまでだ。おっと、礼はいらんぞ?」
相変わらず上から目線の物言いに思わず指先が頬に伸びたが警戒したティナマは素早く構えて警戒に入る。
「・・・そうですね。こうやって家に帰って来られたのは貴女のお蔭です。本当にありがとう。」
だが心の溶けた時雨は素直に礼を述べるとそのまま年上の可愛い少女の頭を撫でた。これには不慣れだったティナマの方が顔を赤くして取り乱す。
「や、やめんかっ!」
「ふふ。これでおあいこですね。」
お互いが羞恥を晒した事で僅かな溜飲を下げた時雨はこの日、ヴァッツの傍につくという意味を一段階引き上げる事を心に誓いつつ夜通しティナマとの会話を楽しむのだった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品