闇を統べる者

吉岡我龍

愛すべきは -ヒトニアラズ-

 もし彼が『ネ=ウィン』の人間でなければ。もっと早くに彼と出会えていれば。旅の途中クレイスは何度もそう考えていた。
ぶっきらぼうだがその知識と経験は確かなものでありザラール以上に教えを授けてくれたバルバロッサをいつしか心の中では師と仰いでいた。
いずれは戦場で相見えるかもしれない。そんな不安と期待を抱いていたクレイスは偉大な人物を亡くした事で今日も塞ぎこんだままだ。
「クレイス様。その・・・お元気を出してください!私が一生付き添いますから!!」
両手をぎゅっと掴んだルサナは毎回励ましてくれる。とても嬉しいし、あまり気を使わせたくないからといつも笑顔でありがとうと答えているのだが彼女の表情は今にも泣き出しそうだった。
「全く・・・くよくよしてても仕方ないの!!それより私を召喚した件について詳しく聞きたいんだけど・・・いたたた!」
戦いの最中呼び出してしまったウンディーネはその事について知りたいと何度もせがんで来るのだがその理由はクレイス本人にもさっぱりわからない。
確かに気になる事象ではあったので意見交換をして気を紛らわせるのもいいだろう。ただ思考だけが空回りしており重い口と心は動いてくれそうもない。結果イルフォシアがその頬をつねると悲鳴を上げながら泣きべそをかいている。
「・・・・・」
唯一彼女だけはこちらに声をかけることなく常に一定の距離で見守る姿勢を取っており更に遠くから4人を見守るワーディライ。国王メラーヴィはクレイスにこの国で将軍職を与えると約束して王都へ帰っていった。



バルバロッサが亡くなってから3日。



彼の遺体は腐らないようにと処理だけ施されると側近達が祖国へ持ち帰った。
クレイスは形見の品である研究書を片手に今日も椅子に腰掛けてぼんやりと窓の外を眺めて過ごしていたがこの日も同じように少女達が傍を囲っては各々が気を遣ってくれる。
わかっている。いつまでも彼女達に妙な気遣いをさせては申し訳ない。自分も早々に立ち直ってまた修業をせねば。いつかはバルバロッサに自身の魔術を食らわせると決めたその日が来るまで・・・。

熱い想いが胸に込み上げてくるとクレイスは周囲の視線など気にする様子もなく静かにイルフォシアの手首を掴んでそのまま自身の膝の上に引き寄せてから無心で抱きしめる。

ルサナが悔しくも羨ましい様子でこちらに重なって抱きつこうとしてきたがウンディーネによって阻まれるとイルフォシア照れる事なくも静かにクレイスの首へ腕を回してぎゅっと抱き返してくれた。

「・・・僕はもっと、強くならなくちゃいけない・・・。」

この日、心の中で二度と叶う事のない目標へ別れを告げるとクレイスは夜も明ける前から死に物狂いで新たな修業を始めるのだった。





 「イルフォシア!!クレイス様をたぶらかすのはやめてよねっ?!」
以前の性格はどこへやら。真っ赤な目を光らせたルサナが指を刺しながら強く言い放ったのでこちらも静かに反論する。
「あら?私はただクレイス様のお傍についているだけですよ??」
これは本人から愛を告げられた者にのみ許される余裕だろう。といってもイルフォシアも彼への気持ちがすくすくと芽生えている。言葉に出さずとも今や彼女にとってクレイスはなくてはならない存在なのだ。
「あやや~クレイスってば2人に想われるなんて罪な男なの。ところでルサナだっけ?貴女もしかしてサーマのお友達?」
クレイスを見守る意味も含めてここ数日3人が一緒に行動していたものの、『血を求めし者』やいきなり現れたウンディーネの件は宙ぶらりんのままだった。
ワーディライも特に攻め立てる様子を見せなかった為イルフォシアもクレイスの傍にいる事を最優先で行動してきたのだが。
「えっ?!?!お魚さん、サーマを知っているの?!」
「誰が魚よっ?!私は魔族のウンディーネっていうの!!」
自分だけサーマという少女と面識がなかったのでその関係性はさっぱりわからなかったがこちらの問題も整理しておいた方が良いだろう。

早速部屋と書記官を用意してもらうとイルフォシアは2人を前にサーマとの繋がりを尋ねだした。

「私も名前を何度か聞いただけで詳しくは知らないの。大人しくて可愛いっていう話だったんだけど・・・随分と印象が違うの。そもそも人間じゃないみたいだし?」
それに関してはイルフォシアの方が詳しいのかもしれない。彼女には『血を求めし者』というおかしな存在が取り憑いているがそれとは別に大人しいルサナも知っている。
「クレイス様に好意を寄せているのはルサナですか?『血を求めし者』ですか?」
『シャリーゼ』国内で起こった事件を簡潔に説明した後イルフォシアも今のルサナは一体どんな状態なのか。気になっていたのでそこも問いただす。
「何を言っているの?私はルサナよ。あの忌々しい『血を求めし者』って人は私の中から追い出したんだから!」
腕を組みながら自慢げに誇らしい笑みを浮かべる彼女はそう断言するも大人しかった性格までも一緒に追い出したのだろうか。あの時のおぞましい気配は確かに感じないがそれでも不気味な気配だけはひしひしと感じる。
ウンディーネの人間ではないという発言もそれを察したからかもしれない。
「私のことよりウンディーネさん!サーマはどこにいるの?!『シャリーゼ』が崩壊してからずっと心配してたの!!会いたい・・・会いたいわ!!」
自身の事情よりまずは親友との再会を望むルサナ。これも顛末だけは知っている。先程までぴちぴちと尾びれをはためかせて元気一杯だったウンディーネが一気に気まずい雰囲気を醸し出したのでそれに関してはイルフォシアが簡潔に答えた。

「サーマは『シャリーゼ』襲撃時に命を落としました。」

・・・・・
隠していても仕方がない。むしろ包み隠さず教えるほうが優しさというものだろう。イルフォシアはそう思って答えたのだがルサナは黙って席を立つと部屋から静かに出て行ってしまった。





 「クレイス様。鍛錬お疲れ様です。」
ルサナはあの後まっすぐにクレイスの下へと足を運ぶと用意したレモン水を手渡す。
夜明け前から魔術の修業をしていた彼は既に魔力を枯渇させており今は大きめの剣で素振りをしている最中だった。
それでも大量の汗と共に悲しみも多少は洗い流したのか。こちらの差し入れを少し寂しそうな笑顔で受け取ってくれるとルサナの心もほんの少しだけ元気を取り戻す。
なのに・・・・・
「・・・あれ?ルサナ、どうしたの?もしかしてまたイルフォシア様と喧嘩でもしちゃった?」
気を使ってくれたのは凄く嬉しいが聞きたくない名前を出されたので妙な気持ちに充てられるとそのまま彼の胸元に飛び込んだ。ルサナの心は少しの欲望を含みつつもやはり大半は悲しみで満たされている。
それを察したクレイスは特に拒む様子もなく重ねて優しく語り掛けてくれるので2人は木陰に腰を下ろしてその経緯を話し始めた。

といっても彼女はただサーマがどういった少女でどんな関係だったか、そんな昔話を一方的に聞かせていただけなのだが彼は静かに頷きながら見守ってくれている。

「・・・本当は、少しだけ思っていたんです。あの日、『シャリーゼ』が襲撃された時、お母さんも、街の人達も他の友達も死んじゃったのにサーマだけどこかで生き残っているなんて・・・都合良く考えすぎなんじゃないかって・・・」
最後に本音を告げるとクレイスはサヴィロイの村で見せた、いや、それ以上の優しい笑顔でこちらの頭を見つめるとゆっくりと答えてくれた。
「・・・何でルサナの事が気になってたのか不思議だったんだ。そうか。君はサーマの大切な友達なんだね。」
「・・・・・えっ?クレイス様はサーマをご存知なんですか?!」
一瞬彼の言葉が理解出来なかったがその内容は明らかにサーマを知っている風な発言だ。悲しさが半分吹き飛んで心が驚きで跳ね上がると勢い良く聞き返す。
その時顔を近づけすぎたのかクレイスはやや体を後ろに倒しながら目を丸くしていたがそんな表情も愛おしい。つい欲望が噴出してそのまま唇くらい奪ってしまおうか、などと脳裏を過ぎるが。

みししっ!!!

万力でもここまで強く締め付けるのは難しいだろう。それくらいの力を込めていきなり側頭部を両手で思い切り挟まれると頭は後方へと引き寄せられた。
「いたたた!!!」
「ここにいたんですね。全く・・・まだお話は終わってなかったのに。」
わかってはいたがこのイルフォシアという少女、クレイス絡みになるとあまりにも見境が無さ過ぎる。そして無自覚なのが恐ろしい。
後ろでは申し訳なさそうに笑いを堪えておかしな表情をしたウンディーネが見守っているが知人ならこの蛮行を止めるくらいの仕草は見せて欲しいものだ。

しかしそんな不満を一気に吹き飛ばしてくれる話をクレイスがしてくれた事でイルフォシアも一緒に驚きつつ頷いていた。

「僕の中にはサーマの記憶があるんだ。けど直接言葉を交わした事はないから本当にあくまで記憶だけ、なんだけどね。」
「私はきちんとやり取りしてたからルサナの事も聞いてたの。でもクレイスもその記憶があったから自然とルサナに優しくしてたんだと思うの。サーマに感謝なの!」
魔族であるウンディーネを通してという事らしいが何とも眉唾な話で俄かには信じがたい。だが今のルサナは『血を求めし者』と変貌を遂げている。
であればそういった不思議な出来事にも一定の理解は示せるものの、やっぱりサーマが亡くなっていたという事実は少し寂しかった。
「そう、なんだ・・・うん。ありがとう。ウンディーネとクレイス様のお陰でやっと少しだけ心が軽くなった気がする。」
友人はいなくなった。でも友人を知っている人たちが目の前にいる。それだけでも気持ちは救われるものなのだ。

ならば今度こそ大切な2人を失わないように生きていこうと誓う。今のルサナにはそれだけの力が備わっているはずだから。

と同時にやはり欲望の1つも満たそうと心の中ではほくそ笑む。今後イルフォシアの見ていない所で何とかクレイスとの関係を深めようと試行錯誤していくのだが彼の心は見た目以上に固く大きいものだと知らされていくのだった。





 問題児であるルサナとイルフォシアが落ち着いた事でウンディーネはやっと大事な件について話を進める場を設けるに至った。
「・・・凄い。クレイス、いつの間にこんな膨大な魔力を?」
午後の修業に入る前、昼食を終えた後に時間をもらった彼女は彼の胸に手を当てると我を忘れて驚き慄く。全ての魔力を使い切ってはいるがその器は魔族であれば容易に見通せるのだ。
しかし人間という存在をある程度理解はしていたつもりだったがまさか修業というのはそこまで自己の能力を伸ばせるのか?
『トリスト』ではカズキが自身の隊員達を森の中へ放っぽり出して生き残れとか無茶な命令を下していた。それで強さを手に入れられるのならやるだけの価値はあるということか。ずぼらな自分は死んでも御免だが。
「バルバロッサ様も気にされてたけど僕の魔力ってそんなに凄いの?」
だが本人はよくわかっていないらしい。これに関してはどこから説明すべきか・・・
「・・・以前魔力が尽きて戦っている最中に空から落ちてきたでしょ?少なくともそういった心配は無くなると思うの。」
「ああ!それは確かに!!言われて見れば最近自分の魔力についてしっかりと調べてなかったな・・・これじゃまたバルバロッサ様を呆れさせてしまうよ。」
自然と故人の名前を出してはいるところをみるとそれなりに立ち直っているのだろう。申し訳なさそうな表情にはほんの少しの明るさも垣間見える。
なのに自分は未だイフリータの件と向き合えていない・・・いや、友人が復活してからの行動は既に決定している。しかし今のクレイスと対比すると自分の考えは随分後ろ向きなのは否めない。
「クレイス様、もしお心に余裕がございましたら一度研究書を読まれてみては?がむしゃらに体を動かす事だけが修業ではないと私は考えます。」

わかっていない。イルフォシアは何もわかっていない。

がむしゃらに体を動かしていないと心が悲しみの濁流にのみ込まれるのだ。だからクレイスはそれに抗おうと必死になっているのだろう。
ウンディーネもイフリータの残虐な訃報を聞いた時は魔界で精も根も尽き果てるまで魔術を使って暴れたものだ。当然その後バーンにこっぴどく叱られたが。
未だ彼の遺した研究書に手を付けてないのもそういった理由からだろう。
「・・・うん。そうだね。ウンディーネから見ても不透明な部分があるみたいだし今日は目を通してみるよ。」

・・・あれ?そんな簡単に彼女の言う事を聞くんだ?しかもいつの間にか言葉遣いも畏まったものから普段遣いのものへと進化している。

心のほとんどをイフリータの事で占めている為他の事案は比較的どうでもよい彼女でも人間でいえば年頃なのだ。
彼自身の魔力云々や突然召喚された事よりその僅かな変化の方が気になったので、この日は2人の関係について詳しく根掘り葉掘り聞く事でしっかりと修業の邪魔をしてしまい彼らは夜を迎えていた。





 自分がぼんやりと悲しみに浸っていたら環境に大きな変化が生じていた。
その日の夜、クレイスは皆で食卓を囲む中もそれらについて頭の中で整理しながら一つ一つ解決していこうと動き始める。
「ねぇルサナ。ルサナは今どんな状態なの?『血を求めし者』はもう完全にいなくなったの?」 
こちらから声をかけるといつも喜んで受け答えしてくれる彼女がぴたりと食事する手を止めてこちらに真顔を向けてきた。皆もその気配を察して注目していたがイルフォシアだけは半分戦闘態勢に入っていたので慌てて手を伸ばしてそれを制する。
「・・・正直よくわからないの。あの忌々しい声は聞こえなくなったし体も私が自由に動かせているわ。ただ・・・無性に血が欲しくなる時はあるの。今だってそうよ?」
赤く目を光らせると一瞬でイルフォシアが長刀を顕現させたのでなりふり構わずその手を掴み自分のひざ元へ引き寄せるとしっかり抱きしめる。
彼女はルサナの事になるといつも見境がなくなるのだが村1つを壊滅させた上に赤い刃で自らも大きな傷も負ったのだ。後から聞いた話では自分の首を刎ねても尚生きている存在なのだからもはや人間とは呼べないのかもしれない。
それが無差別に血を求めてまた人々に襲いかかるかもしれないとなるとバルバロッサや『ネ=ウィン』が裁定出来なかった分、残された自分達がそれを下すべきだろう。

「・・・わかった。じゃあ血が欲しければ僕のをあげるよ。あんまり多くは譲れないと思うけどそれで我慢してもらえる?」

「クレイス様っ?!なりませんっ!!!」
大人しく腕の中に納まっていたイルフォシアが看過できないと強く否定してくるとルサナはとても驚いた様子でこちらを見つめ返してくる。
「・・・クレイス様はお優しすぎます。そんな事を言われたら私、私は・・・」
どのような感情からだろう。ルサナは視線を落としつつもじもじとしている。ただクレイスにも考えがあった。
「ただし、絶対他の人を襲ったりしないって約束して?」
サーマの友人であり決して望んで『血を求めし者』に憑りつかれた訳ではない。そういった理由から最大限の温情を含めての提案だったがこちらの気持ちは十分に伝わったらしい。
「は、はい!でしたらずっとお傍についています!!いいですよね?!」
「駄目ですっ!!」
膝の上からでも遠慮なく反論する彼女をなだめつつそれを了承するとルサナは満面の笑みを、イルフォシアは頬をぷくーっと膨らませてこちらを睨みつけてくる。いや、睨みつけてきているのか?その仕草が可愛すぎてよくわからない。

「次にウンディーネ。バルバロッサ様の研究書類を少しだけ読んでみたんだけど呼び出せた原因は僕の魔力容量が増えたのとウンディーネが魔族っていう所に関係しているのかもしれない。」

「ほほう?詳しく聞かせてほしいの?」
といってもこれは自身の仮説が前提にある。なのでそれの裏付けとしてバルバロッサの書類を持ち出しただけなのだがまずは順序を立てて口にしてみよう。
「えっと、まず一番最初に僕の魔力が増えた原因ってウンディーネから直接魔力を貰った事にあるでしょ?その時一緒に水の魔術の展開方法も受け取ったんだけど、同時にウンディーネそのものも僕の中に入ってきてたんじゃないかなって。」
今の説明のどこに反応したのか、イルフォシアは膝の上でますます機嫌を損ねた様子を見せてくるも話の腰を折るような真似をせず静かに聞いてくれているので誤解を解くのは後回しだ。
「うーん・・・確かにクレイスの胸元に飛び込んだような感覚は私も感じてたけど・・・イルフォシア?怖いから睨みつけるのは止めてほしいの?」
「うん。僕がそう感じた理由はやっぱりサーマなんだ。あの時サーマの記憶を共有した事でウンディーネの魔力というか、何かが重なったと思うんだよね。」
そこまで話すと今度はこちらの首に手を回してぎゅっと抱き着いてくるイルフォシア。さっきまでご機嫌斜めだったのに一体どういった心境の変化なのか。ただこれを尋ねるのも後回しだ。
「・・・それだけで一方的に召喚されるなんて事あるのかな?そもそも呼び出されるなんて初めての事だし私にも理由はわからないんだけど。」
「理由は・・・多分魔族っていう存在が魔力で形成されてるから、だと思うんだ。」
「ほほほう?」
2人の会話を周囲は興味深そうに聞いていたが最後の結論を話す前にクレイスはあくまで自身の仮説だと断りを入れると自身の考えを述べた。

「つまり僕の中にある魔力の注ぎ口と魔力の容量がウンディーネそのものを展開出来るくらい大きくなっちゃったから呼び出せたのかなぁって。元々はウンディーネがきっかけで生まれた展開力と魔力なんだしそこも関係しているのかもしれないけど。」

「・・・つまり私を形成している魔力以上を一気に展開出来るから呼び出せたって言いたいのね?」
あれ?!普段はあっけらかんとしている彼女が今度は不機嫌そうな様子でこちらにねっとりとした視線を向けてきたので思わず驚く。しかし考えてみれば強大な魔術の一端を手に入れられたのは彼女のお蔭なのだ。
なのにいつの間にかその力関係が逆転したとも受け取れる発言をするのであればもう少し言い方に気を配るべきだったか。
「う、うん。でもこれはあくまで僕の仮説であって・・・!」
「いいのよ。納得はしたし。それじゃこの話はこれでおしまい!」
そういって無理矢理話を終わらせたウンディーネは普段と変わらぬ様子に戻り、ルサナも先程まで以上に楽しそうな表情を浮かべて食事を続ける。
だが勢い余って引き寄せたイルフォシアは自分の席に戻る事無く、しばらくはクレイスの膝上でこちらを見上げながら不思議そうな表情を向けていたがやがて自身の腹が満たされていない事に気が付いたのか。大人しく席に戻るとこちらも食事を再開したのだった。





 『七神』の長であるティナマが討たれたという話はフェレーヴァも聞いていた。
なので手向けといった意味も含めて自身の縄張りに入って来たクレイスを狙ってみたのだが彼の知識はかなり古い物だったらしい。
結果として新たな魔族も呼び出された挙句尻尾を巻いて逃げてきてしまった。そんな自分が情けなくも悔しい・・・いや、これは苛立ちだろう。
思えば自分らしくなかった。ダブラムの国王を操り西の大陸に焦土を築き上げていこうと計画していたのをヴァッツに阻まれた。その時の傷が未だに残っている。そして疼いているのだ。
これのせいでだんだんと自分がわからなくなってきている。本当に天人族というのは人間よりも優れた力を持っているのだろうか、と。今までに負った事のない傷がフェレーヴァに警鐘を鳴らしているのではないか、と。

「どうした?酒宴の席に来ないのか?」

いつの間にか会合は終わっており、それでも動かずにただじっと座って負の思考に陥っていたフェレーヴァは久しぶりに会ったア=レイが醜い顔で声をかけてきた事でやっと我に返る。
「・・・ああ。少し考えに耽っていた。しかし酷い容姿だな・・・もう少しましな体はなかったのか?」
「もういいよ、その話は。それより頬の傷はどうしたんだ?最近出来た傷みたいだが?」
彼とマーレッグは会合に顔を出す事自体が久しぶりだった為、これがヴァッツにやられた傷という情報も知らないらしい。移動しながらそれを簡潔に伝えるとア=レイは深く頷きながら界隈での事情を教えてくれた。
「ふむ。確かにヴァッツという存在は人並外れているらしいが、まさか天人族のお前が治らない傷を負うとは・・・これは益々近づかないに越した事はないな。」
自身の興味を最優先に生きているア=レイは彼らしい発言で締めくくるもこれを放っておけばまた余計な狂乱から天人、魔人族が生誕してしまうだろう。乱れた世を正す事こそが『七神』の存在意義なのだ。出来ればア=レイにももう少し自覚してもらいたい所だが。

「はっはっは。相変わらず言いたい事が顔に出てるな。だったら私からも『七神』の1人として提言しよう。ヴァッツをこちらの陣営に引き込むんだ。人間の寿命なんて百年ももたないだろう?飼い殺せば余計な被害も出なくて済む。どうだ?」

・・・・・
それは以前自分が皆の前で提案した時に後押しする形で欲しかった。フェレーヴァはほんの少し落胆するもやはり自身の考えに間違いはなかったのだと強く確信を得ると再び酒宴の席でそれを話題に出す事を決意する。
ただし、今回は全く別の人物が強く反対に出た。
「反対だ。それでは私の楽しみが大いに奪われる。」
誰よりも戦いを好む彼は間髪入れずに口を挟んでくる。以前と違い長がいなくなっているのにまだ己の欲望を優先するのか、と半ば呆れ気味だったが今回は違う。
「マーレッグ、今は長が討たれて我ら『七神』の主軸もぶれている。ここは今一度初心に返って我らの成すべき事に注力しようじゃないか。」
同じく誰よりも欲望に忠実な男が『七神』の一員としてしっかりと諫める発言をしてくれた意味は非情に大きい。実際アジューズなどは薄く涙を浮かべている。
「確かに今は余計な火種を生みたくはないな!かといってあの少年、こちらのいう事を素直に聞き入れるとは思えん!」
ダクリバンも一瞬だがヴァッツと対面し、その強さをある程度感じ取っているらしい。今回はこちらの意見に耳を傾けている上に今の立場は長代理だ。このままいけば懐柔策が通るかもしれない・・・久しぶりの朗報を目前にフェレーヴァが少し顔を緩めると。

「・・・僕も反対だね。まだ黒威の武器が十全に振るわれていないし人間を間引くという大事な作業も終えていない。ここで人間の頂点であるヴァッツとやらを抱き込んでも人間社会は増長していくだけだと思うよ?」

各々がある程度の我欲を持って生きているので仕方がない事だが普段あまり意見を述べないセイドが『七神』のもう1つある大事な目的を出してきた事でまたも潮目が変わった。
そうだ。人口が増えすぎているのも増長させる原因なのだ。この数を減らすのもまた『七神』の大事な任務であり役目だ。これを蔑ろにする訳にはいかない。かといってヴァッツと敵対するのは傷が拒んでいる。
「・・・ではヴァッツを抱き込むのと並行に人間の数を減らす。幸いダクリバンが大きな戦火を作ってくれた。我々はそれを最大限に利用していこうではないか。」
折衷案として無理矢理意見をねじ込むと酒宴の席は沈黙に包まれた。皆が周りの反応を気にかけているようだがここは是非ア=レイに同意してもらいたい。
「・・・よかろう。では私は私で価値のある戦いを探していこう。」
「僕もまだヴァッツに復讐出来てないからね。出来れば最高傑作を渡したナルサスが彼と戦ってくれればよかったんだけどマーレッグに斬り捨てられたらしいし・・・」
「ふむ?あれはダクリバンを逃がす為に無力化しただけだぞ。若き芽を摘み取るような愚策を取るつもりはない。」
戦いへの渇望と黒威の探究を続けている2人も何とか同意する方向で話がつくとやっと一息入れたフェレーヴァはア=レイの酌で久しぶりに旨い酒を味わうのだった。





 「フェレーヴァよ。お主クレイスの首を狙ったそうじゃな?」
折角『七神』の方針も固まって旨い酒が飲めていたのに今まで無言を貫いてきたアジューズによってまたも場が不穏な空気へと変わっていく。
「うむ。私の縄張りに入って来たからな。出来ればこの場に首を持って来たかったのだが思いの外彼も強くて・・・」
「クレイスはショウの友人でもある。奴を引き入れる邪魔をするでないっ!!」
語気を荒げた事で一同が目を丸くしながら顔を見合わせるが彼の心境を思えば同情する余地は多分にある。
孫娘のように可愛がっていたティナマが討たれ、ガハバも討たれて悠久の生を共有出来る仲間も今は5人まで減っていた。無理に補う必要もないだろうが失った心を埋めたい一心でショウを引き込もうと必死なのだろう。
「しかしアジューズよ!あれ以来ショウの行方がわからないのだろう?!であれば此度のフェレーヴァの行動を咎めるのは少し乱暴だぞ?!」
長の代理としてだろうか。普段あまり他人を庇うような事をしないダクリバンに助け船を出されてむず痒い気持ちになったがこちらも何か手土産をと考えた結果なのだ。そこは是非わかってもらいたい所ではある。

「・・・お主のお蔭で『トリスト』という国の左宰相になっておるのだけは知っておる。しかしそんな国はどこにも見当たらんのじゃ。ダクリバン、わしに何か隠しておらんか?」

その話題が出た事で酒宴の場が一気に引き締まった。これは全員の共通認識だ。『トリスト』という国は実在しているらしい。実際ヴァッツもそこの大将軍だという。
しかし国家そのものがどこを探しても見つからないのだ。全国を行脚するマーレッグをもってしても東の大陸には存在しないだろうと言わしめる程に謎に包まれている。
「・・・わしがそれを隠して何の得があるっ?!」
短気なダクリバンに疑いを掛ければ怒るのは当然だ。威勢よく立ち上がって鬼の形相を浮かべているが彼のこういった振る舞いは周囲も見慣れている為特に止める気配もない。
だが今回は悲しみから立ち直れていないアジューズが更にまくし立てていく事で話があらぬ方向へとこじれていく。
「さぁな?!そもそもティナマの遺品が何もないのが引っかかっておるのじゃ!!お主が尻尾を巻いて逃げるのは理解出来るがせめて何かしら持ち帰る事は出来んかったのかっ?!」
これにはフェレーヴァも笑い出しそうになった。確かにダクリバンは人間からすれば屈強な強者と位置付けられるが思いの外肝っ玉は小さく、過去にも何度か逃げ帰って来た事があった。
今回こそ長であるティナマが犠牲になってしまったものの、その後もマーレッグによって助けられている事から特に気にしていなかったのだが共に行動していたのなら遺品の1つや2つ持ち帰って来ても良かった気はする。
「だったら日を改めて探しに行こうか。私も付き合うよ。」
クレイスの命を狙った件も含めて何かの手助けになれば。そう思ってアジューズに提案するもこれに不満そうなのはダクリバンだ。

「長はヴァッツの手によって跡形もなく消し飛んだんだ!!場所は教えてやるが納得がいったら二度とわしを疑うような発言をするなよ?!」

お互い酒も入っており虫の居所も悪かった。こういう衝突は宴席だとよくある話だ。この時はそうとしか思わなかったが後日木々が魔術によって激しくなぎ倒されていた現場にたどり着いたフェレーヴァは妙な違和感に胸がざわつくのであった。





 その夜イルフォシアはクレイスの寝所へ入るかどうか悩んでいた。というのも晩餐時に起きた事件が彼女の心身に変化を呼び込んだ為だ。
以前からクレイスには特別な感情を抱いていた。それが手間のかかる弟と自身は思っていたのだが他人から彼に色目を使われると体から抑えきれぬ憤怒が、心は燃え滾るような嫉妬が溢れ出てくるのだから堪ったものではない。
こちらの言動を抑える為とはいえ自身を膝に抱きかかえて淡々と話を続けていたクレイスにも少し腹を立てていた。自身は感情の乱高下に藻掻いていたというのに。しかし我に返ったイルフォシアは慌てて自身の席に戻ると気持ちを落ち着ける為に沢山の食事を摂ったのだが考えてみれば彼の気持ちはもう知っている。
こういう場合、こちらもそれに答えるべきなのだろうか?いや、答えるべきだ。王族としても、人としても、真っ直ぐな気持ちには真摯に向き合うべきなのだ。
では何と答えればいいのだろう?自分の中に恋心らしきものはあるようだが本当にそうなのか?ただの親切心、お節介をそうだと錯覚しているのではないか?根拠のない結論に確たる証拠もないままイルフォシアは思考の谷を転げ落ちて今、彼の部屋に入れずにいたのだ。
(・・・今までこんなに悩んだ事はないのに・・・どうしよう・・・)
自由奔放な姉に自由なままでいてほしい。それがイルフォシアの行動原理だった為に基準がわかりやすかったのだが今はそれも使えない。
もしかすると生まれて初めて自分がどう行動すべきかを考えているのかもしれない。となると初めての経験に前の見えない恐怖が心を縛り付けてくる。
言ってしまえば楽になれるのか・・・本当に自分もクレイスに好意を抱いているのか・・・誰でもいい。誰か代わりにすぱっと答えて欲しい。
どれくらいの時間が経ったのか、軽い目眩すら覚え始めた頃他の誰かがこちらに向かってきている気配を感じて思わず隠れる。
ルサナだろうか?であれば追い返すしかない。そこだけは何故かきっぱりと答えを導き出せるイルフォシアだったがその影は大きく隻腕を見ただけで誰かは判別がついた。

「クレイス。少し話せるか?」

それから彼が部屋へと入っていったのでイルフォシアはますます自分がどう行動すべきか悩んだ挙句、扉の前に突っ立ったまま彼が出てくるのを待つという選択を取った。



なので決して盗み聞きしようとした訳ではない。ここからは偶然2人の会話が聞こえてきた。それだけだ。



「クレイス、あの少女達は一体何者なんじゃ?」
ワーディライが声を落とし、少し警戒した様子で尋ねているのは伝わる。ただクレイスから見ればその意味がわかっていないのか、きょとんとした様子で尋ね返すと相手は詳細を添えて答えた。
「イルフォシアにルサナ、ウンディーネに決まっておろう?イルフォシアは前に出会ったアルヴィーヌの妹らしいが彼女達は天族?という人間ではない存在だと聞いた。」
・・・・・
今まで自分が『トリスト』という国の庇護下で育ってきた事をこの時初めて痛感した。そうだ、普通天族と触れ合う機会など滅多になく、その存在すら知らない人間がほとんどなのだ。
ワーディライは父の旧友という事で全く気に留めていなかったのだが相手はそうでもなかったという事か。彼に悪気があるとは思えないがその物言いにほんの少しだけ心にわずかなひびが入るも中での会話は淡々と続いていく。
「ルサナが唐竹のように割られたのも見た。なのに今はぴんぴんとしておるしウンディーネに至っては見た目で人間でないと分かる。・・・単刀直入に聞こう。彼女らは我らに害成す存在なのではないか?」
返す言葉が見つからない。考えてみれば周りの人間は背中から翼を現したりしないし一晩で傷が治るなどもあり得ない。クレイスが絡んでいたせいでルサナを一方的に敵視していたが客観的に見ればその存在は人間かそうでないか、で分けられてしまうのだ。

王女という身分も含めて恵まれすぎていた。彼女らを知らない人間であれば自分も含めて強い警戒心を持たれるのだと知らされた。

初めて自身が異端だという意見を耳にしたこの夜、室内の会話すら聞き取れなくなったイルフォシアは暗い廊下でただただ立ち尽くすだけだった。





 「違います。確かに彼女達は人間と少し違う部分もありますが決して敵対するような存在ではありません。」
これは主にイルフォシアを考えての発言だったがウンディーネも人に対して危害を加えるような真似はしていない。ルサナだけは村1つを滅ぼしているもののあれをやったのは『血を求めし者』であって彼女自身の意思ではないはずだ。
であれば心さえしっかりと持っていれば敵対などするはずがない。そういった願いも込めてクレイスは断言したのだ。

ただワーディライからこのような話を聞かされて若干驚いてはいた。

しかし何も接点のない人間がいきなり翼の生えた少女や下半身が魚の少女を見れば程度の違いはあれど違和感や嫌悪感、警戒心などが芽生えるのも当然なのだろう。
そう考えると自分は運が良いのかもしれない。イルフォシアとの出会いは一目惚れだったしウンディーネとは眠りの中で出会っていたのでどちらも夢か現かわからない状況だった。ルサナに関してはサーマの記憶がそうさせているのか最初から親しみを感じていた。
淀んだ印象がなく3人と出会えた奇跡は感謝すべきだろう。
「・・・そうか。いや、すまんかった。我が王がそういう輩から何かしらの影響を受けているのでは?と考えておったものでな。」
「それは・・・」
一週間ほど前に突然やってきた国王メラーヴィは確かに少し変わっていたがクレイスとバルバロッサの戦いも純粋に楽しんでいるようだった。
クレイスの記憶だと天族に操られた者はすべからく廃人のような、動く死体のようになる印象しかないので自我を持って行動している国王に思う所はなかったのだが『ダブラム』に移り住んで30年以上になるワーディライは何か気になる点でもあるのかもしれない。
「今日も厳しい修練で疲れておったのに邪魔をしたな。ゆっくりと休んでくれ。」
ほんの少しだけ疑問は残ったものの彼もこれ以上長話をするつもりはないらしい。優しい笑顔に戻るとゆっくり席を立ち退室しようと扉を開ける。
するとそこには死んだような目で茫然と立ち尽くすイルフォシアがいたので2人は驚いて動きを止めた。
「イルフォシア様?どうしたの?」
様子がおかしいのは明らかだ。クレイスが慌てて彼女に声をかけるも反応はなく、その肩に優しく触れながら中へと誘うとその原因が己にあると理解したワーディライがこっそり耳打ちしてくれた。

「・・・もしかするとわしらの話を歪曲して受け取ったかもしれん。すまんが誤解を解いておいてくれんか?」

歪曲・・・確かにワーディライは最初人外の存在を否定するような発言をしていたがまさか芯の強いイルフォシアがその話を聞いた程度で?
いまいち信じられなかったが隻腕の将軍は申し訳なさそうに、そして少しだけクレイスに優しい笑みを向けると部屋を去っていく。
とにかく彼女に生気を取り戻してもらうべくクレイスも椅子を隣に持ってきて横に座るとまずは何から尋ねるか考えをめぐらし始めた。





 「イルフォシア様?僕に何か御用があったんですよね?」
当たり障りのない方法でたどり着いた答えがこれだった。具体的な言葉を使わずにとなるとこれくらいしか思いつかなかったというのが正直な所なのだが案の定彼女は全く反応してくれない。
「あの、僕、何かイルフォシア様を傷つけるような事、言っちゃいましたか?」
自身の部屋の前で佇んでいたのだ。まずは会話していた自身を疑い、もしそうであるとするならば心から謝罪せねばなるまいと踏み込んでみたが相変わらず反応はない。
こういう場合に限らずあまり他人の事を口にしたくはないのだがワーディライには少し心当たりがある風だった。ならばと覚悟を決めるとクレイスは三度尋ねる。
「もしかして・・・ワーディライ様の発言に何かありましたか?」
そこで初めてぴくっと体を動かしたので安心すると同時に困惑する。彼は自国の王が何かしらの力を持つ者から悪影響を受けていないかが心配で確認しに来ていたのだ。
クレイスもそういった場面は何度も目にしてきていたので彼の心配は理解出来たものの今自分の周りにいる3人がそういった行動を起こすなど少しも考えていない。
故にその心配はいらないと断言したのだ。そういった流れの会話に彼女の心が茫然とする内容などなかったはずだ。であれば・・・
「・・・もしかしてルサナと何かありましたか?」
彼女とは少し仲が悪い。恐らく言い合いの喧嘩などで深く傷ついた。そしてクレイスを頼ってやってきたと考えればこちらも納得がいくというものだ。
そう決めつけたクレイスはその方向で慰めの言葉を考えていたのだがゆっくりとこちらに顔を向けてきたイルフォシアはあの日の夜のように。真っ白な肌を更に真っ白く、表情は死んだ者のような顔つきで小さく尋ねてきた。

「・・・クレイス様。私は人間ではありません。それでも私を愛して下さいますか?」

「・・・・・えっ?!」
予想外の質問を返されたので思わず声をあげる。確かに彼女は天族だが、うん?どういった意味なのだろう?
真意はわからないが聞き逃せない言葉があったのでまずはそれだけでも、とクレイスは少し呼吸を整えてから久しぶりにその言葉を口に出した。
「・・・はい。僕はイルフォシア様を愛しています。その、イルフォシア様は天族だし美しいし可愛いし強いし、僕なんかが厚かましいと思われるかもしれませんが・・・」
「私は人間から見ると畏怖の対象と捉えられるのです。そんな私でも愛して下さいますか?」
こちらの告白を遮ってまで彼女は再度尋ねてきた。畏怖の対象?何故そんな風に思っているのだろう?ただあの夜と違って同じような上目遣いをしているにも関わらず愛おしさよりも彼女の苦しみが伝わってくる。
それが彼女を落ち込ませている原因なのだろうか?であれば先程ワーディライとやったやりとりとさほど答えは変わらない。
「・・・僕はイルフォシア様を畏怖の対象などと考えた事は一度もありません。一体どうなさったのですか?」
クレイスは優しく伝えるとやっとほんの少しだけその瞳に光が、顔にも生気が宿って来る。といってもクレイスの頭の中は???で一杯だ。
そのこんがらがった糸玉を解きほぐすべく話を進めていくとどうやらワーディライが3人の強者を人外としてまとめ、更に人に仇名すのではと疑いを持った事に強く心を痛めたらしい。
今の彼女に笑って慰めるような心無い行動をするつもりはない。問題とは立場によって受け取り方が変わって来るものなのだ。だがそれを詳しく説明する場面でもない。クレイスは再び自身の気持ちに火を熾すとイルフォシアに向けて静かに語る。

「・・・イルフォシア様が何者であっても僕は貴女を愛していますし愛し続けます。もし貴女がそういった目で見られるのであれば僕が命を賭してでも全てを説き伏せてみせます。だから心配なさらないで下さい。」

彼女を慰めるのに精いっぱいだったクレイスは知らず知らずのうちに深い告白をしてしまった事には一切気が付くことはなく、そちらの意味も拾い上げたイルフォシアの方はやっと明るい表情と共に心を取り戻すと思わずクレイスに抱き着いてきた。

「・・・はいっ!ではずっとお傍にいて下さいね!」

その返事の意味がよくわからかったが今は彼女が立ち直っただけで良かった。そしてこの夜以降、イルフォシアはまるで姉とヴァッツのように常に傍をついて回るようになる。





 ウンディーネが突如クレイスの下に召喚された時、丁度目の前にいたショウはすぐに異変を察知出来た。
(・・・彼女は魔族でもありますからね。恐らく命に関わるような事はないと思いますが。)
理由はわからないが念の為ザラールに報告はしておこう。そう思って席を立った瞬間。

《奴は大丈夫だ。心配するでない。》

突然聞いた事のない声が耳に届くと自身の赤毛がまるで炎のように逆立ち揺らめき始めた。
その感覚は随分久しぶりだったが気配は何となく察していた。思えば元服の儀を迎えた頃にはその懐かしい気配が傍らで見守っていてくれていた気がする。
言葉を交わすのこそ初めてだが生まれて間もない自分の中へ入ってきた存在。遠い昔に人間達の手によってばらばらに切り刻まれた後もその生命の力を失わなかった存在。
書類で溢れ返る執務室内に大火が立ち上るもショウはそれらの心配などする必要はないとわかっている。やがてすぐに形が整っていくと茜色の炎は見たことのない少女となって顕現するとこちらに向き合った。
「初めまして、でよろしいのでしょうか?私はショウ=バイエルハートと申します。」
《うむ。わしはイフリータ、炎の魔族じゃ。ようやく会えたな。》
赤い髪は天に昇る勢いで揺らめいているがその双眸を閉じていた部分が気になった。自身も片目を失っていた為彼女にも影響が出てしまったのだろうか?
衣装はウンディーネの物に似ていて非常に軽装だがこちらは全身に炎を纏っているのだ。むしろ燃え移る可能性を考えると着衣は無くした方がいいとさえ思える。
「さて、いかが致しましょう?まずは城内の皆様へご挨拶に伺いますか?」
ウンディーネが消えた瞬間入れ替わるように現れたイフリータ。恐らく偶然ではないはずだが質問したい事が多すぎる為まずは一つずつ整理していこうと提案してみたのだが。
《それには及ばん。ショウ、お前にいくつか話しておきたい事がある。》
こちらが話を振る前に何か伝えたい事があるらしい。であればと彼はすぐに椅子へ座り直すと早速聞く姿勢を作った。
13年も自身と共に過ごし、彼女のお蔭で何度も危機を乗り越えてきたのだ。そんな己の姉弟のような存在であるイフリータが出会ってすぐに告げたい話となればよほど大事な要件なのだろう。そう覚悟はしていたのだが・・・

《ショウ、ウンディーネを止めてくれ。あいつは人間への憎悪に塗れておる。あのままではこの国はおろか世界中の人間を滅ぼさんとするぞ。》

予想していなかった内容に思わず目を丸くするショウ。あの明るいウンディーネがそんな事を?ただイフリータが人間達の手によって無残に斬り裂かれた話は知っている。
親友がそんな酷い目にあって平静でいられるはずがないのだ。そう考えると彼女の中にどれくらいの憎悪が渦巻いているのか想像もつかない。
「・・・その情報は確かなのですか?」
だがここまではあくまで自身の推論だ。念の為にと問いかけてみると双眸は閉じたまま軽く笑みを浮かべたイフリータは優しく答える。
《ああ。この話を聞かれないように今まで姿を隠していたのだ。》
そう告げられると少し考え込んだショウはウンディーネへの対策を展開すべく彼女を連れて国王の下へ向かうのだった。

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