闇を統べる者

吉岡我龍

動乱は醜悪ゆえに -禍根-

 カーチフが単騎で『リングストン』へ向かっている。当然この情報はすぐネヴラディンの下へと届いた。
「さて諸君。この世界最強と謳われる男をどう止める?」
大会議場に揃った臣下達へ問いかけるも彼らの顔色は非常に悪い。当然だろう。何せ相手は10万近くの軍を1人で斬り伏せた男だ。
圧倒的物量で全てを蹂躙してきた彼らにとってその手段が無力化されると代替案が出てこない。出てくるはずもないのだ。
唯一国内でずば抜けた武力を保持していたラカンは失脚し、次点のコーサも名乗りを上げるような性格ではない為大会議場は一刀斎の葬儀よりも静かな様相を呈している。

「・・・恐れながら大王様。あの男を止めるにはそれ以上の個。大将軍ヴァッツ様に出向いていただくしか・・・」

重臣の一人が静かに提案するもこれはネヴラディンが絶対に通さないであろうと皆が知っていた。なのに口にしてしまった彼はどこから飛んできたのか一瞬で口内を矢で射抜かれると後方の壁に縫い付けられて絶命する。
以前ヴァッツやリリーが同席していた時とは状況が異なる為安易に比べる事は出来ないがこれこそ絶対君主制、独裁国家の王ネヴラディンが積み上げてきた権力の縮図だ。
「まさか私の説明が必要だとは思わなんだ。自覚のある無能はよく聞け。ヴァッツ様は必ず永久にこの国の大将軍職に就いてもらう。それが正式に決定するまで局地的な扱いは厳禁だ。わかったな?」
余りある権力と暴力で支配する彼がそう静かに諭すとまたも場内には沈黙が流れた。委縮している部分もあるだろうが本当に成す術がなく意見が述べられない。
それを理解しつつもネヴラディンは臣下達をきつく締めあげるのだ。この逆境、考えようによっては彼らを試す良い機会だ。ここで満足のいく提案と結果を出せる人間がいれば大いに重用し高位を与える必要がある。

この独裁国家で自分達は何を考え、国に仕えるべきか。

その命題を脳裏にしっかりと焼き付けて試行錯誤してほしい。この先に待っているであろう世界統一国家の為にだ。

「・・カーチフという男、正気を失っているような話も聞きますがそこについてはどう捉えるべきでしょう?」

やっと1人が話を切り出した。男はフォビア=ボウという。年齢は30を超えたところだがその発想と思考、そして嗜虐性の高い性格からネヴラディンが一目置いている有望な若き文官だ。
「正気を失うというよりは悲しみと憎しみに塗れていると捉えたほうが良いだろう。何せ『リングストン』兵が家族を殺したと思い込んでいるらしいからな。」
ネヴラディンが不気味に口元を歪ませて答えると周囲もやっと思考が回り出したようだがすでに彼が一歩先に足を踏み入れている。

「ではもう1つ。大王様、カーチフは殺してしまっても構いませんか?」

まさかの発言に大会議場がにわかにざわめくもその発言こそネヴラディンが求めていたものだ。どす黒い笑みを浮かべながら大いに頷くとフォビア=ボウは自身の提案を説明し始める。
「でしたら若い女を10000人ほど用意なさって下さい。そして兵は4万ほど、こちらは女装をさせて最低限の武器だけを持たせます。」
前説で既に面白い。老人や子供を省き若い女だけという発想がいかにも彼らしい。周囲の反応もそこそこに続きを促すと彼は淡々と説明を再開した。
「最前線の女には毒を塗った短剣を持たせて一気に襲うよう命令します。そして後方では毒煙を焚かせます。奴がどれだけ強くとも万を超える兵を飛び越えは出来ますまい。誰かが掠り傷を与えても良し、煙を吸わせてから仕留めるも良しです。女装させた兵士達を紛れ込ませておけばより確率は上がるでしょう。」
敵が単騎であるがゆえの方法に深く感銘を受けたネヴラディン。この提案に乗っかり誰もが名を上げようとやっと会議場が盛り上がりをみせてくるとその搦め手はあっという間に形を成す。

「家族を大切に思う男が女に剣を向けるとは思えません。カーチフを仕留めるまでほぼ無傷で使いまわせると予想します。」

つまり一度仕留め損ねても再びその女部隊を差し向け続ければよいということだ。考えようによってはこれで追い返す事も可能だろうが出来れば排除しきってしまいたい。
「注意する点は2つ。最初は1人の女だけを近づけさせてしっかり足止めをする。そこからは人海戦術です。2つめは開戦してすぐに毒煙を発煙させる事。もたついて包囲網から逃せば警戒させてしまいますからね。」
この発言もネヴラディンは大いに喜ぶ。周囲の兵士や女達に一切配慮する事無く毒をばらまき何としてでもカーチフを倒す方針が大王の心を捕えて放さない。

「決まりだな。フォビアよ、指揮官はお前の好きに選ぶがよい。成功した暁には共に取り立ててやろう。」

1人の無能がこの世を去ったものの大王が納得のいく所に落ち着くと臣下達もやっと人心地ついて笑顔を零していた。





 「いつまでついて来る気だ?」
「あんたが諦めて『ネ=ウィン』に戻るまでだ。ついでに4将筆頭に戻ってくれてもいいぞ?」
この短期間で万の軍以上の働きを1人でこなしたカーチフ相手にも臆する事無く普段通り接するフランドル。4将の中でも短絡的な人物として知られてはいるものの公明正大な性格から兵士の間でもそれなりに慕われている。
更に彼の鍛え抜かれた肉体は鎧よりも固く、そこを期待して送り出された事は想像に難くない。しかしいくら家族を失い悲痛のどん底にいたとしても元同僚に手をかけるつもりはなく、いっそ彼らと共に『リングストン』を縦断するのも悪くないとさえ思っていた。

ネクトニウスは様子のおかしいカーチフの為に国で一番の偉丈夫とその息子に彼の護衛を命じたのが三日ほど前の話だ。

ただでさえ暑苦しい男がしつこさを感じさせず、それでいて何度も説得しようと試みてくる為つい足を止めて丁重に断り続けているのだがそのせいで思った以上に進行が遅れている。
出来ればさっさと国を滅亡させて亡き家族に報告をしたいという焦りはあったものの、一緒についてきている息子の一言でカーチフの覚悟は揺らいでいた。

「カーチフ様。俺も家族が大事だしもし何かあったら絶対に仇は討つと思います。でもまずは別れの儀を済ませてからじゃないですか?」

フランドルの長子フランシスカは今年17歳。父と同じく上半身は半裸だが髪を辮髪に結っている事と整った容姿は母親似であり現在『ネ=ウィン』の中では親子での4将就任を期待している声が多い。
そんな彼が父親とは違う方向からこちらの不義を指摘してきたのだから思わず言葉を失う。確かにまずは葬儀を行うべきだろう・・・しかしそれをすると本当に心が砕け散りそうで怖いのだ。あれほど憎しみでいっぱいだった父の死ですら彼の心に大きな傷を刻んでいるのだから。
考えたくない。今は考えるよりも先に体を動かしたい。それら全てを終えてから向き合いたい。でないと辛い現実を受け入れた後では恐らく剣を振れなくなる。そんな予感がするのだ。
「・・・お前は父に似ず核心を突いてくるな。将来良い将になれるぞ。」
「おいっ?!」
息子を褒められた事は嬉しいみたいだがその比較対象としてぞんざいに扱われたフランドルは間髪入れずに声を荒げる。仲睦まじい親子に羨望の眼差しを向けつつ新たに気持ちの整理をつけたカーチフは馬を北西へと走らせるがまたも彼の行く手を阻む者が現れた。



「ようおっさん!随分派手に活躍してるそうじゃねぇか?」

そこには多少小奇麗にした山賊もどきと元部下で娘の婿候補だった青年が騎乗したまま街道を塞いでいる。
「んだてめぇら?!」
フランドルが足止めに対して率直な感情をぶつけるも彼は皇帝の命令によりカーチフの説得を任されているはずだ。ここは怒るべきではなくむしろ喜ぶべき場面だと思うのだが。
「えーっと。確か何年か前に会ったよな?ヴァッツやクンシェオルトもいた時だ・・・名前は忘れたが山賊だろ?俺に何の用だ?」
「カーチフさん!俺らは止めに来たんっす!!その、家族の事についても色々聞いてます!!」
久しぶりに会ったシーヴァルが彼らしくも少し言葉を選んで熱く話を切り出したのでまたか、とカーチフはうんざりした。
「全くどいつもこいつも・・・仇を討つのに何でこんなに止められなきゃならねぇんだ?」
「そりゃお前が仇ってのを見誤ってるからだよ。」
すると山賊の頭目が随分と静かな目を向けながらこちらを諭すように話し始める。何だこの男?挑発でもしようものなら即叩っ斬るか?
しかしフランドルとフランシスカは感情的になるどころか山賊の言葉に耳を傾け始めた。そもそもシーヴァルはナジュナメジナの紹介で『ボラムス』に仕えているはずなのに何故こんな男と一緒にいるのだろう?

妙だ。何か仕組まれたのか?考えても訳がわからないカーチフはまずこの状況を見極めようと山賊の頭目とのやり取りを選ぶ。

「随分知ったような口をきくじゃねぇか。ここにヴァッツはいないんだぜ?命を粗末に扱ってもいいのか?」
といっても彼自身の感情は苛立ちが大勢を占めている。探るというよりはさっさとどけという脅しに近い文言が並んでしまったが相手はそれに臆する事無く次の会話へと続いた。

「なぁカーチフ、お前の家族を殺したのは誰だ?名前は?年齢は?出自は?どの武器で殺された?ちゃんと調べたのか?」

考えてもみなかった質問に思わず頭の中が真っ白になる。いや、相手が自白したのだから考えるまでもなかったのだ。
「そんなの知るか!『リングストン』の奴らが俺の村にいた連中を皆殺しにしたって聞いたから全員斬り伏せたんだっ!遺体は燃やされていたから詳しくはわからん!!」

「・・・だったらもう仇は討ててるじゃねぇか。それ以上剣を振るってどうする?」





 「・・・・・」
何だこの男。何を言っている?言葉は聞き取れているはずなのに相手の言っている内容がよくわからずにカーチフは呼吸をするのも忘れて固まる。
「だってそうだろ?話を聞く限り『ジグラト』に侵攻してきた『リングストン』の大軍が仇で間違いなさそうだし、それを全て斬り伏せたんならもう果たしたじゃねぇか。これ以上はただの虐殺だぜ?」

「うるさいっっっっ!!!!!!!!!!!!」

山賊如きが・・・いや、むしろ今の山賊の態度は平時のカーチフに似ていた。同情ではない。感情の赴くままに、しかし激しく乱高下させる事はなく静かに優しくこちらを諭してくる。
決して相手を侮るつもりはなかったが何故こんな男から説得されなきゃならないのだという劣情はどうにも抑えきれない。認めたくなくてつい声を荒げてしまうが山賊は臆する事無く話を続けていく。
「お前が今やるべきことは弔う事だ。剣を置いてさっさと帰んな。」

びしゃっ!!!!

刹那の怒りが行動を起こす。気が付けば雷より早く剣を抜いて馬上にいた山賊の首元へ目掛けて鋭い突きを放っていた。
加減を一切していないその貫通力は数里にも及ぶであろうかに思われたが空を貫き耳に触る破裂音の後、僅かに残っていた心の声が『虐殺』という言葉に引っかかり絶命への刺突を寸前の所で止めていた。
もしかするとカーチフが本気で放った一撃に恐怖のあまり気を失うか最悪事切れたかもしれないがそれならそれで構わない。これ以上余計な言葉を聞きたくなかった為の強硬手段なのだから。

ところが山賊は一切怯む事なく決して憐憫ではない、先程と同じような温かい眼差しでこちらを見据えていたのだから逆にカーチフが言葉を失う。

「どうした?やれよ?俺を殺して怒りが収まるならやっちまえ。ただしそれが終わったら家族の下へ帰るんだ。いいな?」

格下だと見下していた部分はある。しかしこの男本当に以前と同一人物か?気迫は感じられないがその覚悟は怒りに塗れるカーチフにも十分伝わる。
しかしそれほど親しい中でもない、こちらが名前すら憶えていない男が何故自分の為にここまでするのだろう?
心と心のぶつけ合いにたじろぎを感じたカーチフにもはや振るう剣はなく、まずはそれを鞘に仕舞うと久しぶりに戻って来た平常心に縋りつつ腕を組んで再度山賊をじっと睨みつけた。
「お前何なんだ?何でそこまでする?」
その質問にシーヴァルが動揺を見せるも山賊は相変わらず堂々とした様子でこちらを見返してくる。
「ちと頼まれたんでな。そこで詳しい話も聞いた。んで考えた結果俺が行くしかないかなと思ったまでだ。」
詳しい事情通がこの山賊に依頼したのか。誰か知らんが余計な事をと思いつつこの山賊も命を惜しまずよく引き受けたなと素直に感心した。ここで初めて山賊の素性に興味が沸く。
「おいシーヴァル。この山賊は何者だ?つかお前『ボラムス』に仕えたんだろ?なんでこんな男とつるんでるんだ?」

「あ、あの・・・その人が『ボラムス』の王っす。」

それを聞いて後方に控えていたフラン親子も唖然としていたようだ。上から下まで毛皮の衣装とぼろきれの衣類、人相は悪く王族が身に着けるような装飾品は何一つ見当たらない。
「中々面白い冗談が言えるようになったな。」
「何でシーヴァルが冗談言わなきゃなんねーんだよ。間違いなく俺が『ボラムス』の傀儡王ガゼル様だぜ?」
いきなり雰囲気を変えて自ら名乗ったガゼルにカーチフもいつの間にか大口を開けて呆けてしまう。色々とおかしな点だらけだが唯一シーヴァルがここにいる理由にだけは納得がいった。更に、



「・・・どう?カーチフ落ち着いてくれた?」

彼らの後方にある木の陰からヴァッツが恐る恐る顔を出してきたのでまた別の意味で驚いた。





 「ああ、無事収まったぜ。言っただろ?俺に任せておけって。」
ガゼルという男が優しくも朗らかな笑顔をヴァッツに向けていたのでまたも人物像が読めなくなる。一体何が起こったのか未だ理解が追いつかない。
「よかったー・・・げっ?!フランドル?!なんでここにいるの?!?!」
こちらも満面の笑みを浮かべながら軽い駆け足でこちらに向かってきた瞬間後方のフラン親子を見て今までにない彼らしからぬ反応でまたもカーチフを驚かせてくれた。
「あっ?!てめぇヴァッツ!よーし、今度こそ勝負にけりをつけるぞ!!」
フランドルはとても嬉しそうにそう叫ぶのがまた面白い。ヴァッツは明らかに忌諱している様子なのがわからないのだろうか。
「ああ、てめぇがヴァッツにしつこく付きまとう筋肉野郎だな?お前が何度挑んでもこいつには勝てないんだからいい加減諦めろ。大人気ねぇぜ?」
今度はフランドルを窘めようとガゼルが注意するもカーチフとは違う意味で激高気味な大男は止まる事無く馬上から降りてずんずんと近づいて行く。
「なぁヴァッツ。フランドルと何があったんだ?」
未だに燻ぶる怒りから目を背ける意味も含めてカーチフが尋ねてみると彼は見た目通りの少年らしい仕草でガゼルの馬に隠れながら怯える様子で説明してくれた。

「だ、だって何度も何度も何度も何度も力比べをやろうってしつこく言ってくるんだもん!!わざと負けると怒るし勝っても悔しがって何度ももう一回って言ってくるしオレどうすればいいのさ?!」

「「「「・・・・・」」」」
そういえば以前『シャリーゼ』の復興作業中にもフランドルが合間を見てはヴァッツに挑んでいたのは覚えている。しかし全て赤子の手を捻る以上に軽くあしらわれていた。どうやら彼はその時フランドルに苦手意識を持ったようだ。
当人を除いて全員が全てを理解するも息子は別の角度からその話を聞いていたらしい。
「・・・親父、確かヴァッツって奴とは互角だって言ってたよな?」
「おうそうだ!確かに勝負は負けていたかもしれんが俺が認めちゃいねぇ!!つまりまだ互角の域ってところだ!!」
大家族の柱がそうやって息子に堂々と言い放つ。彼の場合本心でそう思っている節がある為フランシスカも半ば諦め気味に聞き流すがカーチフはやっと全てに合点がいった。

「そうか。お前がやけに落ち着いていたのは切り札を用意してたからか。」

『孤高』と称される人物を前にあれほど堂々としていられた理由、それはヴァッツが近くにいたからだ。いざとなれば彼がこちらの攻撃を止めに入る為最初から命の危険など存在しなかったのだ。
全ての違和感に答えを出したカーチフは心から納得して何度も頷いていたがそれは渋い表情のガゼルによって否定される。
「何勘違いしてんだ?お前如きを説得するのに力はいらねぇ。ヴァッツにも事が済むまで絶対出てくるな、眼を閉じて耳を塞いでろって言ってたんだ。なぁヴァッツ?」
「う、うん・・・そうなんだけど・・・何も危ない事なかった?」
フランドルから護ってもらうためかガゼルの乗る馬に飛び乗った少年は心配そうに山賊を気遣うも、この男はまるで父親のような優しい表情で明るく言い放つ。

「何もなかったさ。お前も知っているだろ?カーチフってのは無闇に人を傷つけるような男じゃねぇよ。な?」

恐らく奴はヴァッツを息子のように可愛がっているのだろう。前に座った少年の頭をがしがしと撫で回すとこちらに視線を向けてくるのでカーチフもただ頷くしかない。
それを見てやっと確信を得る。この男が言っているのは全て事実なのだ。最初からヴァッツの力に頼る事もせずこちらを本気で説得する為に命を賭けて来た。
いくら破格の力を持っているとはいえ我が子に危ない橋を渡らせる親などいない。それはカーチフが一番良く知っているではないか。

(・・・しかし何もさせないのにヴァッツだけ連れてきたのは何か意味があるのか?)

やり取りの最中、フランドルが無理矢理馬から引き摺り下ろそうとした所をヴァッツが軽く腕を掴んで捻っただけでその巨体が宙を描いて叩きつけられる。
父を軽々と転がす光景にフランシスカが唖然とする中、ガゼルに何か耳打ちをしてから馬から降りるとヴァッツがこちらに近づいてきて右手をかざす。
「俺にもよくわかんねぇがお前、何か術に嵌ってるらしいぜ?」
その手も一瞬で引っ込めた為何をされていたのかすらわからなかったが術と言われてすぐにダクリバンの顔が思い浮かんだ。

「あー。これティナマと同じやつだね。ダクリバンか・・・あいつはちょっと危ないかも。」

ヴァッツとそれほど懇意な付き合いをしてきた訳ではないが彼の口から警戒を匂わす発言が漏れた事で怒りは完全に霧散し妙な危機感が胸に広がる。
「ガゼル!ヴァッツ!世話になったな!この礼は必ず返す!」
手綱を引いて方向を南に変えたカーチフはそう言い残すとフラン親子を置き去る勢いでそのまま自身の村へと駆け去っていった。





 カーチフが『ネ=ウィン』を抜けて『孤高』の道を歩む話は当然その日のうちに『トリスト』へと入っていた。
更に家族が健在なのに殺されたと勘違いしている事、目の前にいても認識出来ていない事、一部の会話がかみ合わない事などを考えて何かしらの対処が必要だとショウは判断する。
「ダクリバンの能力について洗いざらい話してください。」
これには当然『七神』が関わっているものだと断定され、すぐにティナマを呼び出して話を聞こうとしたのだがこの狭い尋問室に何故かヴァッツやアルヴィーヌ、時雨にウンディーネと人でごった返していた。
「ふっふっふ。これで化けの皮が剝がれる。観念するんだな?」
第一王女は何かの書物に影響されたのか妙に演技臭い口調で問い詰めようとしているらしいが相手は蔑むような表情を向けた後顔を逸らす。
時雨は彼女のお目付け役として共に行動しているせいかティナマを心配そうに見つめている。ヴァッツに特別な感情を抱いたりハルカにも散々忍びに向いていないと言及されている等こういった情を抑え込むべき任務には向いてないのだろう。
「ほらほら、早く白状するの。こんな狭い部屋に大人数でずっといるのも疲れるの。吐いた方が楽になれるの?」
後で国王様にご相談せねばと念頭に置いているとウンディーネもアルヴィーヌと同じ書物に影響を受けていたらしい。しかし何故こんなに台詞口調なのだろう?これでは緊迫した空気など作れそうもないし話がより進まなくなる。
(今からでも追い出すべきでしょうか・・・)

「・・・こういう場合何か条件を持ち出すべきではないのか?」

だが相手が先に話を切り出してくれた事でほっと一息ついたショウは無表情を作りながらいくつかの提案を脳内でまとめると静かに交渉を始める。
「条件ですか。何がお望みでしょう?」
「わらわの条件は1つ。力を返せ。さすれば全てを答えてやろう。」
「力を返したら今度こそ私が本気で倒すけどいい?」
この発言を聞くと流石にふざけてはいられなかったのだろう。いや、元々ふざけている自覚などは一切なかったアルヴィーヌが狭い部屋の中で肌が放りつく程の闘気を放つと思わず呼吸が止まる。
「あのさー、何で2人ともそんなに喧嘩腰なの?もっと時雨みたいに優しくなろうよ?」
そんな闘気を全く気にせずヴァッツが呆れ顔で仲裁に入り、名指しで褒められた従者はこれも闘気の事など忘れて紅潮した顔を背けつつ喜んでいる。
「何を言う?!お前だってその力を奪われれば同じ事を思うだろう?!」

「え?オレ?オレは別に力っていらないな。ある程度重い物を持てるくらいあればいいと思うよ。」

「「「「「・・・・・」」」」」
何となくわかってはいたがヴァッツの口からきっぱりと断言されて皆が一瞬あっけに取られる。今までの彼の言動を見ていてもそれを自慢げに振るう場面はなく、むしろ時々口にする面倒臭さの方が勝っている感じだ。

【お前がそう思っていても世界がそうはさせてくれんぞ。】

突如地の底から聞こえてくる声と共にヴァッツの右目には闇の炎が揺らめいた。
「えー?じゃあ誰かにあげるよ。カズキなら貰ってくれるかな?」
「ちょっと。私との約束忘れたの?それが終わってからにして。」
「待て待て。お主の力、わらわが預かってやろう!」
突然の提案にアルヴィーヌは頬を膨らませて拗ねた表情を、ティナマは目を輝かせてその力を得ようと思わず前のめりになる。

【やめておけ。お前の力はお前にしか扱えん。だから私が存在するのだ。】

しかし『闇を統べる者』は冷静にそれらをあしらう。2人の少女がそれを聞いて少し落ち着きを取り戻すもショウは前から気になっていた件を尋ねてみた。
「『闇を統べる者』様、貴方はヴァッツと一心同体なのですよね?もし仮にヴァッツの力が失われた場合貴方の存在も消えるという事ですか?」
自我を持ち、常に彼の傍にいる『闇を統べる者』も謎多き存在だ。彼独自の力をいくつも所持しておりヴァッツの物とは質が異なる。
関係性はショウとイフリータに近いものだと考えていたのだが今の話しぶりだと少し意味合いが違うのか。

【・・・器だ。ヴァッツという広大な器が私の存在を支えている。それが力と関係しているのであれば私という存在は消えてしまうかもしれんな。】

「・・・・・」
「何の話?難しくて全然わからないんだけど?」
「本当にね。『ヤミヲ』は時々こういう事言うんだけど訳わかんないよね~。」
アルヴィーヌとヴァッツが顔を見合わせて頷き合った後闇の炎と同時に『闇を統べる者』の気配も消える。随分と話の腰を折られてしまったが彼は気まぐれだ。また今度顔を覗かせた時にでも話の続きを聞くとしよう。
「・・・では条件の続きを。時雨との相部屋ではなく貴方の個室を用意します。これでいかがでしょう?」
その後ショウは何事もなかったかのようにティナマと話を続けた結果、城内での自由を条件に加える事で交渉はまとまった。





 10万近い兵士を斬り伏せた話は当然ここ『ボラムス』にも入って来た。しかしだからといって何かをするような命令までは下りてきていない。
それもそのはず。国王は自称傀儡王ガゼルであり宰相ファイケルヴィも報告と最終判断こそ彼に上げてはいるもののやっと国内が安定期を迎え始めたのだ。現在他国に干渉している余裕などどこにもなかった。
更に北の『リングストン』国境線では連日小競り合いが続いていた。ヴァッツが積み上げた大岩の国境線を超えてくる者はいない為こちらも最小限の人数で対応出来ていたのだが兵士達の疲労だけは日を追うごとに蓄積していく。
「中々に立て込んでいる所を申し訳ありませんな。」
それらを理解しながらもこの男、ナジュナメジナはガゼルへの謁見を求めてきたのだから仏頂面になるのも当然だろう。
傀儡とはいえ自分の故郷をまたも他の勢力に奪われる気など毛頭ないガゼルは最近だと北は兵士達と共に戦い南は農夫に交じって畑を耕したりと大忙しだ。
頭を使うのが苦手なのを自覚しているからこそ、せめて体を張ってファイケルヴィ達の役に立とう。最近の彼はそれを志に動いていたのだが。
「本当にな。で、何の用だ?シーヴァルも元気にやってるし俺は今忙しい。要件は手短に頼むぜ?」
彼との接点が青年の事くらいしか思い浮かばなかった為流すように報告を済ませたガゼルは玉座に肘をつきながら左手の小指で鼻をほじる。
王とはいえ『ボラムス』という極小国の人間がする行動とも思えなかったが幸いなことにそれを咎める側近達は不在だ。そして実業家もそんな些細な事を気にするような人物ではない。
「では単刀直入に申し上げます。『ジグラト』のカーチフ=アクワイヤが家族を失った悲しみに塗れて狂剣を振るっております。ガゼル様、どうか彼を止めていただけませんか?」
「・・・・・はぁ。俺はあいつと親しい仲でもないし止める理由がない。つかあいつ『リングストン』を滅ぼすって息巻いてるんだろ?毎日国境線を脅かされてる俺らにしちゃ願ったり叶ったりだぜ。」
「そう仰られると思ってまずはこちらをお持ちしました。」
そう言って彼が手を叩くと召使たち4人が大きな木箱を運んできて玉座の下に静かに置く。それが4箱、中には見たことがない量の金貨がぎっしりと入っていた。
「金貨にして10億程あります。」
「うひょー、流石金持ちはやる事が派手だな?しかし今はいらねぇ。話は断るんだから持って帰りな。」
今の『ボラムス』に必要なのは人と物と時間だ。金ではない。金などは国内が整ってからの話なのだ。前王バライスなら受け取っただろうがガゼルは国を真剣に考えている。そしてそんな彼だからこそナジュナメジナも近づいてきたのだろう。
相変わらず顎に手を置いたまま左手でしっしっと追い払う素振りを見せても大実業家は姿勢を崩さずむしろ話を続けた。

「カーチフ様の家族はご健在です。なのに勘違いから己の命を危地に晒している。二つの意味で彼はとても無駄な行動を起こしているのです。友として私はそれを看過出来ない。」

非常に真剣な表情でそう訴えてこられると情に脆いガゼルは思わず顔をしかめて目を逸らす。家族を失った彼だからこそわかる。その大きな悲しみを。
恐らくナジュナメジナもそれを踏まえてこちらに話を持ってきているはずだ。
「私も一度話はしてみたのですがどうにも聞き届けてはもらえませんでした。ですのでここはその悲しみを知るガゼル様に直接彼を見定めてもらうしかないと思い覚悟を決めて参りました。」
・・・覚悟を決める?
何の事だ?と思った次の瞬間、彼はどこから取り出したのか小剣を己の首元に押し付けてこちらに強い視線を送って来るではないか。
「成否は問いません。この金貨と私の命を捧げます故、何卒彼と話をしていただけませんか?」
「待て待て待て待てーーーー!!!!」
この曲者は底が読めない為本当に自刃しかねないと素早く判断したガゼルは慌てて駆け寄り手を伸ばす。深く関わるつもりはないものの流石にこんな死に方をされては夢見も悪い。
「お引き受け下さいますか?」
「うぐっ・・・・・」
こうなると完全にナジュナメジナの手の中だ。思えばずっと誰かの手の平で踊らされているな、と感じつつ家族を思い出してほんの少し同情の心が芽生えてしまう。
「・・・・・成否は問わないんだな?」
「はい。貴方なら必ず説き伏せられると確信しております故。」
何とも苦々しい流れだがこれらを止める側近はおらず、諦めたガゼルはその経緯やカーチフの家族、彼に関する違和感などを細かく聞き出すとその夜ファイケルヴィに報告する。

そして翌日ヴァッツが姿を現した事で彼の心に本気の炎が灯ると見事命がけで独力の解決を果たすのだった。





 カーチフが術に嵌っている疑惑も含め『トリスト』へ情報を送ったカズキは早速皇帝に『ジグラト』へ向かう事を提案する。
「お願いします。是非俺に行かせてください。」
未だ慣れない立場から言葉遣いが定まらない中必死に懇願する理由はいくつかあった。まずはこれ以上『ネ=ウィン』に留まっているとぼろが出そうだからだ。
そして叔父であるカーチフを元に戻す。その関係を知ったのはごく最近だが祖父母以外にも親族がいた喜びを悲しみに変えたくない。シャルアとの約束もあり何としてでも自分の手で元に戻さねばと志を強く立てていたのだ。
「父上。ここはカズキに任せてもよろしいかと。」
なので根回しとしてナルサスにも強く掛け合った。結果皇帝に推挙してもらえるよう話がまとまったのだがこの借りは大きすぎたかもしれないと後ほど後悔する。
「ふむ。しかし相手はどのような力を持っているかもわからぬ上に一刀斎様の件もある。カズキの力を信じない訳ではないが他にも間者は送るべきだろう。」
そう言われると未だ一刀斎の域に達していないカズキは何も言い返せない。しかし自身が除かれるのではなく誰かが追加で参入するのなら問題ないはずだ。

「では私も向かいましょう。」

すると意外な男が名乗り出る。いや、フランシスカとの立ち合いをいとも簡単に止めたのだ。強さだけならその資格が十分あるだろうが今回の名目はあくまでダクリバンの力を探る事だ。
多少顔を隠したところで『ネ=ウィン』の皇子が忍び込むというのはどう考えても無理があるだろう。
「ナルサス・・・お前はもう少し皇子としての責務をだな。」
皇帝も呆れ気味にそう諫めるが日頃からそういった無茶を押し通してきているようだ。どこの親子も大変だなと感じつつも一番距離を取りたい男がついてくるとなれば『ネ=ウィン』を離れても意味がない。
「ナルサス様。皇子自ら出向かれなくても俺が必ず・・・」
ついてくるなと言いたい所を何とか取り繕いつつ丁重に断ろうとするがナルサスはこちらに不敵な笑みを浮かべてから皇帝と向き合う。

「カズキはカーチフや一刀斎様と血の繋がりを持つだけでなく将来この国を背負って立てる男です。そんな男だからこそ私自らが同行したいのです。」

皇帝や4将の前で高く評価された事でいよいよ平常心が保てなくなってきたカズキは思わず俯く。そんな期待を持たれても自分はいずれ『トリスト』に戻るしこれ以上借りを作るのはごめんだ。
何とか断れないだろうか・・・必死で頭を回転させるも皇帝が深く感銘を受けたのか何度も頷くとすぐにナルサスの要望は通されて翌朝2人と精鋭3人を連れて『ジグラト』へ入る事となってしまった。



「しっかしあんたも物好きだなぁ。」
仕方がないので道中は砕けた言葉遣いを徹底しつつ何とか機嫌を損ねようとしたがこの皇子、中々に感情を見せてくれない。
その代わりといっては何だが供の3人はこちらに殺気を放ってくる。自国の皇子が軽んじられているのだから当然だがそう考えるとビアードは本当に角を立てない男だったなぁと今更ながら感心した。
「私も体を動かす方が性に合っているからな。それに君の手伝いもしたくてね。」
手伝いという言葉に思わず心臓が止まりそうになった。ただ息を吸うのは忘れてしまうくらいには驚いたが。
「・・・て、手伝いって?」

「私と一刀斎様が相手にしていたあの男こそが命を奪った本人、つまり仇だろう。他にも顔を見た者はいるが一番近い距離で剣を交えた私なら一目でその正体を見抜ける。」

そこまで聞かされるとカズキは己の立場も忘れて仇の特徴と強さについて事細かく質問を重ねる。この時ナルサスは恩義を売れたと内心ほくそ笑んでいたがそんな事はどうでもいい。今はただ一刀斎を超える男についての情報が欲しいのだ。
気が付けばその日は時間の許す限り彼との会話を続け、ナルサスの黒い剣を以ってしても勝てるかどうかわからないといった結論を聞くとその夜は久しぶりに気持ちが昂って中々寝付けなかった。





 「・・・なぁナルサス。ちょっとその黒い剣を使って俺と立ち会ってくれねぇか?」
翌朝、カズキなりに考え出した答えに付き合ってもらえないか尋ねてみると思っていた以上に快諾してくれる。
ますます借りを作っている気がしなくも無いが今は出来る事から1つずつ片付けていこうと心に決めたのだ。その1つ目が黒い剣の破壊だった。
スラヴォフィルには誰が所持しているかの報告をと言われていたがそれは既に済んでいる。後はヴァッツかそれを可能な人間がナルサスに近づいて行動すれば良い。

なので現在一番近くにいるカズキがそれを遂行しようと今刀を抜いて対峙した訳だ。

その強さも気になっていた。スラヴォフィルが報告だけを命じた時には悔しかった。そして今はナルサスとの距離を置きたいという理由も加わっている。
ここであの剣を破壊出来れば彼はさぞ不機嫌になるだろうと。もしかすると国に帰ってしまうかもしれない。それが狙いでもあり願望でもあったカズキは闘志よりも殺意を満たして相手を睨み付ける。
「おお・・・素晴らしいな。立ち会い次第ではフランシスカよりも先に4将へ推挙するかもしれんぞ?」
だが予想に反してナルサスはとても嬉しそうだ。いやそうじゃない。俺はお前を失望させる為、最悪殺してしまおうとさえ思っているんだぞ。
もっとたじろぐとか慄くとかそういう反応が欲しかったのに、と苛立ちが募るも相手は戦闘国家で生まれ育った生粋の戦士だという事を失念していた。
カズキの期待は供回り3人が存分に応えて皆が顔色を真っ白にしていたがそれを求めてはいないのだ。

「それじゃ遠慮なくいかせてもらうぜっ?!」

己の脳裏にクレイスの姿も浮かび上がり、ここで仕留めればあいつも喜ぶな、と新たに目的が加わるとその手に握った刀は殺気で怪しく光った。
相変わらず姿勢を低く地を這うように一瞬で間合いを詰めると足元から腰に掛けて斬り上がる刀。武器を持つ腕というものは人間の上半身から生えており基本足元への攻撃は対処しにくい事から彼は自然とそういう立ち回りをするのだが。

ばきんっ!!!

黒い刀はその細い見た目とは裏腹に交わった瞬間こちらの両手にとてつもない重量を伝えてくる。しかしナルサスは片手で握っているのだ。素の力量差か黒い剣の力か。とにかく遠慮など以ての外だろう。
両足を大きめに開いて腰を深く落としながら何十と剣戟を放つカズキ。最初こそ反撃を恐れて様子を見ていたが相手にその気配が無いと判断していよいよ激しい攻勢へと変化させていく。
13歳になって手足が伸び、変声期に入ったカズキはその肉体にも年齢以上の筋肉がつきつつあった。そこ体躯から放たれる剣閃は地と空を裂き、周囲の草木に斬撃痕を残していくが目的の男は涼しそうな顔でそれらを全て往なす。
(こ、こんなに差があるのか・・・っ?!)
無呼吸で百を超える剣戟を放ち続けて心が押しつぶされそうになったカズキだが突如ナルサスがわかりやすく剣を寝かせてこちらの一撃を真正面から受けてくる。

がきっっんっ!!!

当然力と力が逃げる事無くぶつかり合い激しい音と共にお互いの武器が損傷する。いや、この場合刃を寝かせて受けたナルサスの黒い剣が一方的に叩き折られても不思議ではない。
なのに彼の手にした剣が傷ついた様子はなく、むしろカズキの刀に違和感が走った。恐らく軋みと反り返りで形が歪んだのだろう。静かにそれを退いた後鞘に戻そうとするがはやり途中までしか納まらない。
「・・・その強さはあんたのものか?それとも剣の力か?」
悔しさでつい本音が漏れるもナルサスはそれを咎める事をせず、こちらの真意を受け取ったのか残念そうな表情で不満そうに答える。

「・・・剣の力、だろうな。全く忌まわしい代物だよ。」

その様子を見てやっと理解した。彼が時折見せていた不満はその剣にあるのだ。決して己の力ではない、降って湧いたような強い力は誇り高き人物だからこそ享受出来ないのだろう。
(ナルサスか・・・クレイスも厄介な奴に目をつけられたもんだ。)
ほんの少しだけ皇子の本質を垣間見たカズキは心の中で1つの大きな問題に終止符を打つとこれ以降彼の黒い剣を狙う事を止めた。





 『ネ=ウィン』を出る前から目立たない衣服に外套で顔を隠すという格好はしていたものの5人全員が強者と呼べる類の男達だ。
道中では時折何かに気づいた村民やらがこちらを不思議そうに見つめてはいたがここで下手に取り繕うより無視してさっさと先に進んだ方がいい。
そうして五日かけて王都へと辿り着いた一行は早速手引きしていた人物によって衛兵の装具一式と住居を与えられた。
「さて、偽名だがカズキはどうする?何か呼ばれ慣れているものはあるか?」
ナルサスに言われて初めて偽名という存在を知ったカズキは心の中で動揺するもすぐに1つだけ浮かんだ名前があった。しかしこれは使えないだろうなと思いつつ一応提案してみると。
「フェイカーか・・・ふふ。叔父も慕っているんだな。」
そう言われると照れ臭くなるが確かにあの強さは尊敬しているし自身の叔父だとわかった以上隠す必要もないだろう。
「あんたはなんて呼べばいい?」
「そうだな。私はネイヴンと呼んでくれ。」
あまりに聞き覚えのある名前に思わず表情に出てしまった為ナルサスも何かを察したのか名の由来を教えてくれた。
「そうか。君は知らないかもしれないが私には4人の兄がいた。その長男の名がネイヴン。私が最も尊敬していた兄だ。」
その話は『トリスト』で聞いた事がある。既に8年以上衝突を繰り返していた二国は時折甚大な被害を出しており中でも『ネ=ウィン』の皇子4人が亡くなったのは有名だ。
(しかしネイヴンか・・・・・)
『トリスト』のネイヴンは常に仮面をつけていた。話では相当ひどい傷がありそれを隠しているとも噂されていたが・・・・・

「さぁ行くか。ダクリバンに接近するのだけは避けてまずは周辺の情報を吸い上げるんだ。」

妙に引っかかったがナルサスの号令により作戦は開始され、カズキもすぐに切り替えるとその事は後々まで脳裏の奥へと追いやられる事になる。



5人が新人として衛兵の任務についてから三日後には城内での動きを網羅するまでに至る。元々この国は防衛を『ネ=ウィン』に任せていた為自国の兵があまりにも怠慢な働きしか出来ないのが功を奏した形だ。
問題はダクリバンの情報だが彼は今ハミエル王子が集めた女を連日楽しんでいるようで後宮に入り浸っているらしい。
「その手の人間・・・いや、『七神』なので人ではないか。しかし色欲に溺れているのなら寝首を掻く方が早そうだな。」
元々カーチフにかけられた術について調べる為の諜報活動だったが確かに術者を始末してしまえれば手間が省けて『ジグラト』の狂乱も抑えられる。まさに一石二鳥だろう。
カズキはダクリバンという人物を見てはいないものの黒い剣を扱うナルサスならそれこそヴァッツくらいの強さが無い限りは打ち倒せると読む。
「あんたならいけるんじゃないか?俺らは補佐に回るよ。」
「ふむ・・・ならば制圧はお前達に任せる。カズキはダクリバン討伐を手伝ってくれ。ただし相手の目には気をつけろ。常に剣で視界を切れるように構えるんだ。」
3人の護衛にそう命じたナルサスは疑いがある敵の術から身を防ぐ提案も上げてくれた。確かにそれならば何とかなるか。

その夜5人は夜勤に回り、更に一番手薄になる深夜過ぎを狙って後宮へと足を運ぶ。怪しまれないように各々が個人で向かい、打ち合わせの時間通りに扉の前で全員が揃うとナルサスが3人へ突入するよう合図を送った。





 びしゃっんっ!!

突然扉に斬撃が走り今まさに突入しようと扉の前にいた3人の胸に深い傷が入るとそのまま後方に倒れていく。
「王の寝所を襲おうなどとは愚かな!どこの国の者かは知らんが刀の錆にしてくれるわっ!!」
その声を聞いてどうするか迷うもナルサスが中へ飛び込んでいったのでカズキも間髪入れずに後を追い全裸の大男に刃を向けて対峙した。
腹がたぬきのように膨れてはいるが太い腕と全容から相当な猛者だというのは伝わってくる。しかし横になっていたにも関わらず髭や頭髪が放射状に立っているのは相当な剛毛なのだろうか?
変なところに目が行ってしまうも兵卒の装具を身に着けたナルサスは黒い剣を突きつけながら静かに言い放つ。
「ダクリバン。『七神』などとふざけた存在を抜きにしても貴様は危険だ。ここで排除させてもらう。」
「その声は『ネ=ウィン』の皇子か?!なるほどなるほど!いいだろう!!かかってくるが・・・?!」
やり取りが終わる前にナルサスが一足飛びで斬りかかるとカズキもそれに合わせて刀を走らせる。一刀斎が殺されて間もなかった為目一杯の警戒を心掛けてはいたのだがこの男、随分と隙が多い。
これなら一瞬で終わるか?と今度はこちらが小さな隙を作ってしまうと2人の間に女が割り込んできてその剣線を防いでくるではないか。
だがナルサスは気にせずそのまま剣を振るって女を両断しつつダクリバンへも剣戟を放った。そしてカズキにはそれが出来なかった。

「ぬるい!ぬるいな?!」

構えを解いて間に割り込んできた女の肩を片手で掴み横に思い切り突き飛ばした瞬間、突如目の前に現れた巨漢は女の髪を鷲掴みにしてそれを阻止しつつカズキへ鋭い眼光を放つ。
小さな行灯と僅かな月の光しか届かない暗い部屋が一瞬だけ真昼のような明るさになるとカズキは心の底から後悔するがもう遅い。
(・・・ならばっ?!)
それにどういった効果があるのかはわからない。だが体が動く以上刀を走らせる事は出来るはずだ。カズキは身を屈めて素早く相手の横へと回り込むように動き、ナルサスも追撃を放ち始める。
ここで仕留めさえすれば問題ない。そう強く信じて2人が同時にダクリバンへと最高の一撃を放ったのだが。

がきぎぎぎんっ!!!!

カズキの刀は何故かナルサスの剣と激しく衝突して深夜の後宮に消魂しい音が鳴り響いた。眼前にはとても驚いたナルサスの顔。そして己の心には何故か、いや、元々少しは持っていた彼を憎む心で満たされている。
「カ、カズキっ?!まさか・・・?!」
「ナ、ナルサス・・・お前は俺が斬り伏せる。」
しかしカズキには自身が術に掛かった事などわからない。むしろクレイスの命を狙いイルフォシアを奪おうとしているのだ。何故今までこうしてこなかったのかと不思議にさえ感じた程だ。
「ぶわっはっはっはっは!!!やれ!!奴を殺してしまえ!!!」
叔父に妙な術を施した男の声すら今は何の感情すら生まれない。敵はただ1人、ナルサスしかいないのだから。
そんな皇子は驚きと焦りを浮かべていたが同時に手加減も感じたカズキはいよいよ怒りで判断力を塗りつぶしていく。
激しい連撃を繰り出しながら懐から棒手裏剣を放ち、更に滅多に使わない粉塵袋も投げつける。これは視覚だけでなく嗅覚にも効く代物だがナルサスは大きく飛び退いてそれらを凌ぎ切っている。
(忌々しい強さだ・・・それでこそ斬り応えがある!!)
最終的に戦闘狂の本能が全てを塗り潰すと彼はただ目の前の敵と全力で戦える喜びに浸りつつあった。そして後方ではそれを楽しそうに眺めているダクリバンが静かに逃げる体勢へと切り替わる。

「ちぃっ?!仕方がないっ!」

ここで逃がす訳にはいかないナルサスがカズキの動きを止めるべく黒い剣を鞘に納めるとその状態でこちらの体に打撃を打ち付けんと剣を振りかぶった。
だがそこにまたしても女達が動きを封じるべく飛び掛かって来たので彼は鞘に納めた剣で次々に叩き落としていく。その隙間を縫ってカズキが斬撃を繰り出す為ナルサスは一向にダクリバンの下へ近づくことが出来ず気が付けば敵は窓際から飛び立とうとしていた。





 「さらばだ青二才!!」
心から愉快だといった声でそう叫んだ後空高く舞い上がったダクリバン。その前には全力で戦うカズキが立ちふさがる。もはやナルサスにはどうする事も出来ないと半ば諦めかけた時に彼は現れた。
固い外壁の隙間にある小さな凹凸をつま先で掴みながら垂直に上ってきたカーチフは鬼の形相で長剣を構えると全ての元凶に向かって天を貫く突きを放った。

ずしゃんっっ!!!

まさか真下から誰かが来るとは思いもしていなかったのだろう。いつでも空へ逃げられるよう後宮の最上階を選んで使用していたのがそこに大きな隙が生まれる。
「ぎゃっ?!?!」
獣のような悲鳴と共に左の二の腕から下がねじ切れるような傷と共に中空へ放り出された。カーチフは更なる追撃を重ねてダクリバンをあっという間に血だるまへと仕立てていくが如何せん空に浮かぶ敵に致命傷を与える事は難しい。
攻撃を受けながらも夜の空を急上昇して体を遠ざけると彼はまたも尻尾を巻いて東の空へと飛んでいこうとする。
「ナルサス!追ってくれ!!」
こうなるとこちらも空を飛べる者に任せるしかないのだが皇子は今全力のカズキを前に見事な足止めを食らっていた。その理由を考えるのは後だ。
カーチフは急いで部屋に飛び込むと背後から当身とは思えない程の一撃を柄で放つ。前方の敵に集中しきっていたカズキは叔父からの気配に気づく事無く壁まで一直線に飛んでいくと意識を失っていたせいか派手に叩きつけられて動かなくなった。
「あまり手荒な真似はするなよ。2人とも『ネ=ウィン』に必要な人材だ。」
ナルサスが彼らしい冷笑を浮かべた後そう告げると未だに立ちはだかってくる女達を容赦ない横薙ぎ一閃で全員を腰断に斬って落とす。非道な行いに見えなくも無いが今は首魁が最優先であり彼自身も相当な鬱憤が溜まっていたのだ。

それから夜の空へ向かって飛んでいく2人を見届けたカーチフは甥を担ぎ上げると早々にその場を立ち去った。







カズキが何故ナルサスと戦っていたのかがわからなかった為、とりあえずナジュナメジナを頼って最終的には『ボラムス』へと入ったカーチフ。
ロークスだけは『リングストン』に占有されたままだったが彼自身の行動が制限される事もなかった為あまり気にしていないらしい。
「なぁカーチフ。俺は何であんたと馬に乗って『ボラムス』に向かってるんだ?」
「こらこら、俺は叔父なんだ。カーチフ叔父さんと言いなさい。」
娘にも似たような指摘をされた事を知らないカーチフはこの時カズキが驚いたようなうんざりしたような表情を見せた理由がわからなかった。

靄の掛かっていた記憶が少しずつ呼び覚まされていくと過去の出来事に妙な相違点が多数存在する事に気が付いていく。

まずナジュナメジナが言っていた事は本当だ。家族は無事なのだ。そして今は『ネ=ウィン』の下で保護されている。
なのに自分は何故か勘違いをして数多の兵士達を斬り伏せてしまった。戦場で相手の命を奪う事に戸惑いはないがそれはあくまで大義名分がしっかりと立っていた場合だ。
勘違いの私怨でその手を汚してしまった後悔と、それにより数多の禍根を生んでしまった事実は覆せない。何となく剣を置くかもしれないと思っていたのはこういった理由からなのか。
自分自身の中にある罪悪感が入り混じっていてろくにカズキの事を気にかけてやれなかったが『ボラムス』の傀儡王が迎えてくれた事で2人はほんの少しだけ心が晴れる。
「まさか俺ん国に来るとはな。ナジュナメジナからある程度聞いてはいるがまだ家族と再会出来てないのか?」
「ああ。それ以前にやらねばならない事があったからな。あとカズキの様子がおかしいんだ。お前の方で見てやってくれないか?」
あの場で見た姿は本気だった。カズキは本気でナルサスの首を取ろうと刀を振るっていたのだ。その理由がダクリバンの術だとこの時は気づけなかった。そもそも何故正気を取り戻せたか、正気に戻ったという自覚すらないのだ。
今はただこの状態で『ネ=ウィン』に帰せば間違いなく大問題になる。なので隔離させつつその原因を探ろうとしたのだが。
「ナルサスはクレイスの敵だぞ?あいつじゃ歯が立たないだろうから俺が断ち斬ってやろうと思っただけだ。」
「いやまぁそうだが。お前『トリスト』でもう少し処世術みたいなのを身に着けてなかったか?」
ガゼルも手を顎に当てながら息巻くカズキを不思議そうに眺めている。ただここは『トリスト』の勢力下だ。カーチフが少ない知識で考えるよりも的確な答えと対処がみつかるだろう。
「まぁ後は任せた。俺は一度『ネ=ウィン』に戻って事の顛末を確かめてくる。」
あれからナルサスがダクリバンの首を取ったという報せは入ってきておらず、その結果が誰にもわからなかった。しかしいつの間にか手にしていた黒い剣を振るう姿から彼が返り討ちに遭うとも思えない。
「おう。嫁さんと娘によろしくな。」
ガゼルの知るこちらの家族事情は全てナジュナメジナから伝え聞かれたものだ。奴がこの山賊に依頼してカーチフを止めたというのだからやはりあの男は侮れないし、命を賭してそれを受けたこの男も侮るわけにはいかなくなった。
「落ち着いたら家に招待するよ、ガゼル王。」
最大限の敬意を払って笑顔で答えるとカーチフはそのまま家族の待つ『ネ=ウィン』へと帰っていく。







それからすぐに北『ボラムス』の国境線では線の細い女が1人、非常に虚ろな双眸で防衛に当たっていたシーヴァル達に問いかけていた。
「・・・ねぇ。主人が使っていた黒い剣、今は『ネ=ウィン』の皇子が手にしてるって本当?」

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