闇を統べる者

吉岡我龍

動乱は醜悪ゆえに -前触れ-


 ブリーラ=バンメアの騒動が起こった後リリーはネヴラディンとショウの会話を隣で静かに聞きながら物思いに耽っていた。
『七神』の名前は以前から通達があったものの今回始めてその1人を目の当たりにして異常さは理解したつもりだ。
全てをヴァッツに任せる事が出来れば申し分ないのだろうが彼も忙しい身。もしもの場合は自らが対処せねばと考えるとやっぱり大きな不安に苛まれる。
「その天人族、魔人族とやらの種族的な弱点などは存在しないのですか?例えば一度眠ると朝まで起きないとか酒に滅法弱いとか。」
「聞いた事がありませんね。そもそも私が囚われていた時は隔離されていたので彼らがどういった生活を送っていたのかも不明です。あまりお役に立てず申し訳ありません。」
2人の会話から種族的な弱点という言葉を聞いて自らで置き換えてみる。『緑紅の民』などは力の発動時間に大きな制限がある。
亡くなったクンシェオルトも『闇の血族』という更に強大な力を保有していたものの最後は代償である命を使い切ってしまった。
普通とは違う、異能と呼ばれる力の全てには何かしらの制約があるはずだとリリーは考えるも話題に上がっている天人族と魔人族はそもそも人間ではない。
当たり前のように人間が弱いのと同じで当たり前のように彼らは強いのだ。とすればそこに制限などがあるのだろうか?
まずは根底の差、そこから見つめ直さないと多少の弱点を知ったところで人間に勝ち目は無い気がする。

「おお!我が妻よ!待っていたぞ!」

珍しく頭を使いながら2人の会話を真剣に聞き入っているといつの間にやってきたのか、何となく見覚えのある青年がこちらに向かって歩いてくると手を取り口を押し当てようとしてきた。
一瞬で全身に鳥肌が立ったリリーはあろう事か『緑紅』の力を発動させてまで慌ててその手を引っ込める。
「おや?確か貴殿はハミエル殿。何か御用ですかな?」
ネヴラディンが明るく問いかけるとハミエルは軽く前髪を手で弾いて真剣な表情を浮かべつつ自信たっぷりに答える。
「ええ。私が見初めた女性をお迎えに上がりました。さぁリリー、私の部屋へ行こう。衣装から式典の準備までいつでも行えるようにしてあるんだ。今夜は大いに楽しもうじゃないか。」
あまりにも一方的な物言いに何が何だかわからなくなるも、あのショウですら目をぱちくりとさせて驚いていたくらいだ。この状況は誰にも理解できないのかもしれない。
「うわー・・・確かこういうのを痛い人って言うの。リリーもとんでもない奴に目を付けられたの。ご愁傷様なの。」
ウンディーネに縁起でもない言葉を投げつけられてようやく思考が戻ってくると全身が嫌悪感に包まれ、次に手を出してきたらどうしてくれようと沸き立つ心を抑えるリリー。

「ほほう?ハミエル殿はリリー様が大将軍ヴァッツ様の許婚だとご存知ではありませんか?」

まさか彼に助け舟を出してもらえるとは思いもしなかった。恩などは作りたくないが今は頼りになるヴァッツもいないしショウでは立場的に弱い。
この場では一国の王である彼こそが唯一この痛い王子を諌める事が出来るのだ。仕方なく流れを見届ける姿勢に入るも、勘違い王子の耳は馬よりも質の悪いものらしい。
「ヴァッツ?知らない人物だね。そんな事よりリリー、少しだけ時間をくれれば最高級の食事も用意出来るよ!今は魚が美味いんだ。さぁさぁおいで。」
人の女に手を出すなという遠回しな忠告を全く聞き入れなかったハミイエルはぐいぐいと迫ってくる。
(どうしよう?こんな体験は初めてだ・・・いや・・・そういえば・・・)
リリーの脳内で年初めの出来事が鮮明に蘇る。気持ちの悪い男が鼻息を荒くして自分の上に覆いかぶさるよう圧し掛かってきたあの・・・・・そう、あの記憶だ。しかし息が詰まって自暴自棄になっていた心の苦しみは無く、思い出せば思い出す程不快感と大いなる怒りだけがみるみる湧き上がってきた。

気が付けばハミエルが自分の手首を掴んでいる。そして周囲はリリーから溢れ出ている怒気に苦笑いを浮かべている。

「リリー様、殺さなければ大丈夫です。私が許しましょう。」

決して彼の言葉が引き金となった訳ではない。リリーがいつの間にか本来の調子を取り戻した結果なのだ。

ばききゅっ!!!!!

紅い目を光らせながら掴まれた手首を引っこ抜いたリリーは怒り任せに思い切りそのいけ好かない薄笑いが浮かぶ顔面を平手で叩き抜く。
鼻や前歯が折れた感触を確かに感じた『緑紅』の少女は壁に叩きつけられた馬鹿野郎の姿を捉えると満面の笑みを浮かべて手をぱんぱんと払った。





 その夜『トリスト』からの急使によってヴァッツとアルヴィーヌが帰国している報せを受けるとネヴラディンはすぐに手駒を走らせる。
同時にリリーへの配慮も忘れない。彼女は大将軍の許婚でありぞんざいに扱う事だけは絶対に許されないのだ。
「でしたらリリー様も一度ヴァッツ様の下へお戻り下さい。幸いショウ様やウンディーネ様もおられるのでこちらとしても安心してお任せ出来ます。」
嬉しさと不思議そうな表情を浮かべていたが今ここで彼女を人質にした所でヴァッツの心は掴めない。あの力を我が物とするには恐怖ではなく恩義で縛り付ける必要があるとネヴラディンは考えたのだ。

2ヶ月という期限が反故になった件とそれでも許婚を丁重に返す行為は必ず相手の心に恩義という楔となって突き刺さるだろう。

『トリスト』への対応を組み終えたネヴラディンは笑顔で別れを告げると早速帰国の準備に取り掛かる。既に夜も更けているがここは敵地、行動を起こすには今をおいて他にはない。
派手に叩かれて未だに気を失っていた最高の交渉材料を縛り上げるよう指示を出すと彼も早々に馬車へと乗り込んで静かな闇夜を北上していった。



強行状態のまま『リングストン』へ向かう事2日。馬車は国境線を越えると一気に視界が開ける。そこには事前に用意しておいた10万の兵力が南伐に向けて士気を高めていた。
召集令状というふざけた書状を受け取った時から攻め込む用意だけは整えていたのだが会談によって正式に彼の地を『リングストン』へ併合する事を決定したネヴラディンは先に早馬で今回の件を伝え終えていたのだ。
将軍達の陣幕に姿を見せた国王に皆が平伏する中、彼は今後の命令を速やかに下す。
「まずはロークスを最速で落とせ。3日以内だ。私からの手土産として『ジグラト』の馬鹿王子を渡しておこう。」
更に会談での詳しい事情とヴァッツが回収していた弩と矢を見せて回る。造りはかなり良く、防衛を他国に任せていた『ジグラト』がこれをどこから手に入れたかを調査したいが為だ。
「・・・国王様、恐らくあの実業家が絡んでいるかと思われます。」
その中の1人が発言した事で場の空気がひりついた。『シャリーゼ』で囲われていた5大実業家、そのうちの3人が『ビ=ダータ』に入ったのは調べがついている。
彼らが手配した商人が『リングストン』に武具を提供する話を持ちかけてきたのが年の瀬くらいだったか。念入りに手回ししていたらしいが『リングストン』の諜報能力さえあれば大元を辿る事くらいは朝飯前だ。
「あやつらめ!我らと『ジグラト』を利用して財を成そうというのかっ!国王様!今すぐ『ビ=ダータ』にも軍を送り込みましょうぞ!」
立派な口ひげの将軍が激高しながら提言してくるがあの国は『トリスト』と繋がっている。前回もそれで痛い目にあっているネヴラディンはその発言を褒め称えはしつつ取り上げる事はしない。

「お前達、今は『ジグラト』を平定する事だけに全力で向き合え。あの国は周辺国全てに宣戦布告をしている。他国に後れを取る事無く迅速に領土を奪い取るのだ。」

あの場ではネヴラディンのみが宣言したものの他国が『ジグラト』という豊かな地を欲しがらない理由は無い。
『ネ=ウィン』にも反旗を翻しており自衛する手段をほぼ失っている事なかれ主義の形骸化した国もどき。それを侵攻する等誰しもが容易いと考えているはずだ。
だからこそ彼はどの国よりも早く勝機を掴む為に馬車を強行までさせて自国へと帰って来た。予想外だったのは王妃とやらが想像以上に狂った人物だという事くらいか。
「既に増援の命も下してある。よいか、必ずその全てを我らが『リングストン』の手中に収めるのだ!」
ネヴラディンはそう檄を飛ばした後、10万の兵士を鼓舞する為に壇上へ上ると大いに手を振った。恐らく自分より先に準備をしている国はいないはずだ。
その後も大した休息を取らずに彼は王都へと帰っていく。馬車の中では今後の展開、特にあの強かな実業家達をどう料理してやろうかと口元を歪めながら考える。
(ヴァッツ様を使うには勿体無いか。何より欲の皮が分厚そうな面々だ。是非私の手で直接調理してやらねばな・・・ふはははは。)

こうしてネヴラディンが王城へ戻った頃には『ジグラト』の半分以上が『リングストン』の領土へと変わっていた。





 カーチフは途方にくれていた。何故なら家族のいる村には既に王妃の手の者が回っておりこちらの姿や異常を察知した場合村人達を全て皆殺しにすると告げられた為だ。
「我が国の至宝よ。今こそ母国の為にその力を使うのです。」
ブリーラ=バンメアとナルサスの間で板ばさみになった瞬間、戦う気力が失せた彼は気が付けば狂人の前に跪いている。どうやら自分は『ジグラト』の人間としてこの動乱の中を動かねばならないらしい。
しかしこの王妃、家族を人質に取っておきながらカーチフの戦力に期待するという無茶な要求が本気で通ると思っているのだろうか?
絶対的な独裁者のいる『リングストン』ならともかく王族の権力は分散され形骸化しており事なかれ主義で生き延びてきた『ジグラト』でそんな波風の立つ行為がまかり通ると思っているのだろうか?
(こうなっちまった以上、もう『ネ=ウィン』に吸収された方がいいのかもしれんな・・・)
この考えはケディと結婚する前から持っていた。
軍事力を『ネ=ウィン』に頼り、商業力を『シャリーゼ』に頼る。広大な国土を誇る独裁国家には莫大な貢納品と口八丁でご機嫌を取り、周辺の有力者達と各々が私腹を肥やす為だけに国にとって不利益な関係性を築き上げてきた。
残ったのはそれなりに広く肥沃な国土と事なかれ主義が生んだ偽りの平和に疑問を持たない国民性だけだ。気が付けば国家としての自律作用は完全に失われておりもはや国と呼べるのかどうかはわからない。

それでも。例え国を憂う者が妻だけだったとしてもこの地は己が生まれ故郷であり、亡き母が忌まわしき父の帰りを最後まで待ち続けた国。それらの尊厳を護る為に4将の任を受けて何とか『ジグラト』を残そうと立ち回ったのだ。

自身の選択を誰かのせいにするつもりはないがまさかここまで拗れる事になると思っていなかったカーチフは嘆息する。

未だ春の訪れは来ず、見も心も凍りついた彼は昼夜を問わずに宛がわれた自室で暖炉の前でその炎をぼーっと眺め続ける日々を過ごしていた。
時折『リングストン』の速やかな侵攻により行く先々の地域が陥落しているという事後報告だけが入ってくる。
それらを取り戻す為に動くのか、次なる戦地へ赴くのかで会議は紛糾したというが決定権を持つ王妃は『モクトウ』の兵力が送られてくるまでは動くつもりはないという。
有事の経験がない為政者達は自分達の命が危険に晒されているという恐怖から逃亡を試みるも即座に捕縛されて一族郎党全てが処刑されたらしい。
これには情報の漏洩を防ぐといった意味も含まれていたが彼らは大広場で少しずつ身を削られたり大釜で茹でられたりと見せしめの意味も含めてわざわざ残忍な処刑方法を受けていた。
一見すると猟奇にしか感じられないが恐怖という鞭を使って国を一気に纏め上げようというのであれば案外悪手とも呼べない。ただ、歴史上それらを行った国は後に大混乱を起こし、すべからく滅んでいるという点に目を瞑ればの話だが。

与えられた自室に篭りっきりのカーチフはそんな事など露知らず家族の安否だけを想い、願う。
『リングストン』の行軍はロークスを抑えた後東の国境線付近から南下する形で進めている。カーチフの村も『ネ=ウィン』側に近い為、このままいけば彼らの支配下に置かれてしまう。
もしそうなった場合、家族を第一に考えて行動する彼は迷う事無くこの国を捨てるだろう。

今の彼に愛国心など微塵も存在しない。どこの国でもいい。家族が無事ならどこだっていいのだ。言い換えれば家族に危害を加える者こそが唯一の敵なのだ。

妻はもちろん、娘と婿、更に父親のように慕っている長老。この辺りには是が非でも生きて再会したいものだ。

(孫にも会いたいな・・・あいつら上手くやってるだろうか?)
新しい家族を迎えたいという希望を膨らませながら娘と婿の顔を思い浮かべて口元と緩める。
武力には自信があった。だが事なかれ主義に染まった思考で自分だけは、自分の家族だけは大丈夫だろうと。自分が護れば問題ないだろうという身勝手な思い込みが今回の悲劇を生んでしまった。悔やみきれぬ後悔と同時にふと亡き配下を思い出す。
あの不器用な男は争いのない世界を切望していた。それを手に入れる為に禁忌とも呼べる異能の力を使い果たした。最初は何を馬鹿な事を、と心の中で罵っていたが今思えば彼のとった行動は正しかったのかもしれない。

誰かに頼るのは悪い事ではない。自身の手が届かないのであれば、頼れるべき人物がいるのであれば頼るべきなのだ。

しかしそれに気が付くのが遅すぎたカーチフは静かに薪を足しながら冷え切った目で暖炉の炎をぼんやりと眺める事しかできなかった。





 『トリスト』内に現れた招かれざる客の対応にはヴァッツも一緒に頭を下げてくれた事で国王の許可を得る所までは成功した。

「ティナマ。少しでも怪しい動きをしたら消し飛ばす。時雨もわかってるよね?」

しかし戦いによって大怪我を負ったアルヴィーヌの反対っぷりは凄まじく、まるで6年前を彷彿とさせる荒れた言動に周囲は肝を冷やしたが今回はヴァッツがいる。
「はいはいわかったわかった。どーどー!」
どうしても納得がいかない彼女を説き伏せたのは彼だ。その条件としてアルヴィーヌが好きなときに付き従って髪をなでる事。つまり銀髪の姿でいたい時に顎で使われるという信じられない条件を彼が了承してくれたお陰で時雨の望みは叶ったのだ。
それでも全てを水に流せる訳も無く、顔を合わせる度に釘を刺すのだからティナマのほうもややうんざりしていた。
「ヴァッツよ、わらわの力を返せ。さすればこんな小言を言われる事もなくなるしお前も奴隷のような扱いから解放されるのだぞ?」
簡単に貸し借り出来るようなものではないはずだが時折そうやってヴァッツにせがんでくる。聞けば彼女の主な力は発動させると周囲から一切認識されなくなるというものだという。
そのせいでアルヴィーヌは見えざる相手からの攻撃により一方的に怪我を負わされたらしい。ただ、その能力もヴァッツには通じなかったようで元服の儀にこっそり現れたティナマは一瞬で姿を見破られたそうだ。
「暗殺にはもってこいの力よね・・・ねぇヴァッツ、それって私に貰えたりしない?」
「ハルカちゃんはもう暗殺者辞めたんでしょ!!」
時折元暗殺者の顔を覗かせる発言をしてはルルーに窘められるハルカも随分見慣れたものだ。リリーももうすぐ帰って来るそうだしいつの間にかこの城内も随分にぎやかになったものだ。

かつてヴァッツに夢を見た将軍がいたが彼もこういった光景を兄妹で迎えたいと考えていたのではないだろうか。

「たっだいまー!!あれ?何その娘?」
そこにショウやウンディーネと現れた友人のリリーが早速ティナマの姿を見て尋ねてきた。
「お姉ちゃんおかえり!!」
「お姉さまっ!・・・あれ?少し変わられました?何か以前より色気が増しているような・・・?身に着けている衣装のせいかしら?」
「こいつは敵。仕方が無いから時雨の監視下に置いている。」
「敵じゃないでしょ!この子は『七神』の長だよ。」
各々が口々に喋りだしたので彼女の顔には疑問の紋様が深く刻まれていたが優しい表情を浮かべていることから向こうでの生活や心の傷などの心配は無さそうだ。

「おかえりリリー。むこうの生活はどうでした?」

「ああ。あたしは全然お役に立てなかったからヴァッツ様のお邪魔にだけはならないようにしてたんだけど・・・はは。上手く出来てたかどうかはわかんないや。」
地上ではこの時既に『リングストン』による疾風のような侵攻が開始されていたが今の『トリスト』には関係ない。
まずは大将軍とリリーの帰還を祝うための場が設けられると共に2人の土産話とショウの報告、そしてティナマの紹介などで時間は過ぎて行った。





 『ジグラト』の王妃が起こした多国間会談を聞いた後、ア=レイは高度を高く取った後東へ向かって空を飛んでいた。
《お、お前・・・こんな事も出来たのか・・・》
隣国の『ネ=ウィン』や『トリスト』といった制空力を持つ国がある為、目撃されないように出来るだけ高く飛んだようだがナジュナメジナにとっては非常に嬉しい驚きに感嘆の声をあげている。
何せ雲が真下に見えるのだ。体を乗っ取られて1年以上経過していたがこの景色が報酬だと考えれば多少の溜飲は下がるというものだ。
《私に出来ない事はないさ。まぁ人間達から見ればの話だがね。》
まるで風のように空を飛ぶ中、ナジュナメジナはあまりにも細く心もとない街道とその周辺に点在している集落を見て考える。
《・・・これは『東の大森林』の南を走る道か?となるとお前は今『モクトウ』に向かっているのか?》
《流石に賢しいな。うむ、気になる事があったので仲間の下へ向かっているのだ。》
この男、まさか『モクトウ』に人脈を持っていたのか。そういう事なら最初に話を聞いておけばよかったと後悔するナジュナメジナ。
《言っておくがお前の商売に付き合うつもりはないぞ?》
《・・・・・》
だが最近はこちらの心を全て見透かしているかのようにしっかりと断りを入れてくるようになった。といっても自身も何かあれば商機を見出してつい口にしてしまう為、ア=レイも辟易としているのか。

『モクトウ』とは文化の根底が違うが故にしっかりと交易線を繋ぐ事が出来れば財は更に増えるだろう。ただしそれにはいくつかの障害を乗り越える必要がある。
まずは人脈だ。そもそも東西の行き来がほとんど行われない為『モクトウ』という国がどのような国なのかを知る人物がほとんどいないのだ。
そのせいで街道の整備はいつまで経っても進まない。道沿いに生えている剪定されていない木々は自由に枝葉を伸ばしており賊徒がそこかしこにたむろしている。
噂では権力闘争に敗れた者達が落ち延びているとも聞くが真偽の程は未だ謎のままだ。

少なくとも今目の前に、というか自身の体はその人脈を持っている。なのに指をくわえて見ているだけしか出来ない自身にいらだちが募る。
(勿体無いな・・・・・今なら間違いなく独占市場だ。大いなる財を築けるというのに・・・)
邪念は残りつつもあまりの速度で飛んでいる為、どれほどの距離があるのかはわからないがあっという間に見慣れない景色が視界に入ってくるとそれらが一瞬で吹き飛ぶ。
西側と違い屋根は黒く横長の家屋が多いか。それにしても反るような流線型の屋根とは珍しい。
初めて足を踏み入れた『モクトウ』。正確には上空から見下ろしているだけでその中にはまだ触れてもいないが久しぶりに少年のような感性が心を満たし始めると先程の些細な怒りは完全に霧散していった。



一際大きく高い建物の上にやってきたア=レイは垂直の体勢に変えるとそのまま地上へと下りていく。
ナジュナメジナからすれば落ちていく様にしか感じなかった為思わず心の中で手足をばたつかせていたがやがて速度が落ち着くと城の回廊だろうか?それにしても小さいなと感じた場所に降り立った。
彼は無造作に珍しい戸を横に引くと中は更に異空間が広がっていた。これまた西側では見たことのない黄を基調とした室内は何か草の香りがする。ところどころ濃いめの色が縁に使われており非常に引き締まった空間が佇んでいる。
《こ、これが『モクトウ』の家屋か・・・いやぁ、素晴らしいな。》
思わず声が漏れるとア=レイは軽く笑って周囲を見やった。するとその奥に大柄な男が随分と気の抜けた状態で腰を下ろしているではないか。
見た感じだと相当な武力を保持しているのだろう。筋骨隆々な背中と整えられた髭が威圧感を増しているがそれはあくまでしっかりとした居住まいであればの話だ。

「ダクリバンよ。聞きたい事がある。」

突然彼が呼びかけた事で2人の男がびくりと反応した。どうやらこの大男が仲間らしいが見た所ア=レイのような怪しさは無い。
「・・・っ?!どこから入ってきた?!」
「ああ、この姿で会うのは初めてだったな。私だ。ア=レイだよ。」
一瞬で臨戦態勢に入ったダクリバンという男。心の中でそれを見ていたがナジュナメジナは心臓が握りつぶされたのかと錯覚するほど恐ろしかった。
しかし考えてみれば自身の体を乗っ取る力を持つ者の仲間なのだ。分野は違うみたいだが各々が突出した力を持っていても何ら不思議ではない。
「なんだお前か!しかしまた醜い体に入っているな・・・もう少しましなのはなかったのか?」
「マーレッグにも似たような事を言われたよ。全く、皆私のお気に入りをずかずかと貶すのはやめてくれないか?」
お気に入りと言われて悪い気はしないがア=レイがぼやくと一気に場の雰囲気は和み、ダクリバンという大男も大笑いしている。
だが何かを思い出したのかふと我に返ると真剣な面持ちでこちらに向かって讒言してきた。

「それよりいい加減会合くらいには顔を出せ。どうせ『私の縄張りで騒ぎを起こすな。』とか愚痴を言いに来たのだろうが断っておく。これは長の命令であり『七神』の総意だ。もはやお前1人の我侭が通る状況ではないのだ。」





 何やら込み入った話になってきた為内心どきどきしながら耳を傾けるナジュナメジナ。思えばア=レイに体を乗っ取られて1年以上経つが未だに彼の素性をほとんど知らない。
以前『トリスト』の第二王女が怪我を負った時に現れたのが確かマーレッグだと言っていた。そして『七神』とは彼らの組織名だという事まではわかる。
今回新たに長という人物と総意という言葉が出てきた。それと会合。確かにナジュナメジナの記憶でも参加した覚えは無いので彼を除いて話し合いが行われた結果重大な決定が下されたのだろう。

(しかし『七神』・・・『七神』か。)

これは方々から様々な話を聞いていた。何でも黒い外套を羽織った男達が底知れぬ力を持って悪さをしていると。
言われて見ればア=レイの姿がまさにそれだったが今の今までその裏付けが取れなかった為に確証が持てなかった。となると自分はその悪行に加担している事になるのだろうか?
(・・・・・いや、どうなんだ?今の所この男が好き勝手振舞っているだけでむしろ『ジグラト』ではかなりの人望を得ている。)
悪行というには程遠い、いや、ナジュナメジナからすれば己の財産は目減りするわ体の自由は奪われるわで散々な目にあってはいるものの大きく捉えると自分1人にしか不利益が生じていない。
個人的な恨みは山積しているものの悪行というにはあまりにも小さく、これで世界が傾くかと聞かれれば間違いなく否定出来る。

では今回の会合により長が下した命令とは一体何なのだろう?

「総意ね・・・一応聞いておこうか?」
「お前な・・・まぁいい。耳をかっぽじってよく聞け!」
ダクリバンの話はこうだ。現在『七神』が敵視しているヴァッツという少年。彼を長直々に見定めた所計り知れない危険を感じた為早急にその力を奪うべく周囲の戦力を削ぐ話に至ったという。
「だからわしは『ジグラト』を火種に周辺国を纏めて相手してやろうと思ってな。これには長も賛成して一緒に行動していたのだが・・・。」
それであの騒動が起きたのかと合点がいったナジュナメジナは心の中で手を叩く。つまり彼はここ『モクトウ』から手勢を引いて西側へ打って出ようという事か。
見た感じ彼自身は強そうだが『ジグラト』の周辺国というと『ネ=ウィン』に『リングストン』、最近では『ビ=ダータ』という新興国と未だに謎の多い『トリスト』等が存在する。
いくらなんでも計画が大雑把すぎないだろうか?それとも彼らを一手に立ち回れる程の力を持っているということか?

「ふぅ。では仕方ない。長に頼んで私の街くらいは外してもらおう。彼女は今館か?」

新たに館という言葉が出てきたので心に刻むナジュナメジナ。しかしその記憶はすぐに重大な情報で塗り替えられた。
「・・・長はアルヴィーヌとかいう天族にやられた・・・」
目に見えて威勢が衰えたのはそのせいか。伝え終えた大柄な彼は項垂れて黙り込む。
「・・・そうか。わかった。」
そう言うとア=レイは再び回廊へと向かって歩き出す。
「お、おい!もう遊んでいる余裕はないんだぞ?!本当にわかっているのかっ?!」
「ああ。だがそれでも私は私の余興を最優先する。ついでに長の遺志も見事成し遂げようじゃないか。」
これには思わずダクリバンに同情してしまったナジュナメジナ。この男はまるで赤子のように自身の興味を満たさなければ生きて行けないらしい。
「ちっ!好きにしろ!その代わりあの地で『七神』が動いても目くじら立てるなよ?!」
諦め気味に投げられた声を背中で受けつつ彼は振り向いてにこやかに笑うとまた大空へと飛び上がり、2人は西へと帰っていった。





 ナルサスにもわかってはいた。『リングストン』が本気で『ジグラト』を獲りに行くのだと。
ならばこちらも遠慮は要らない。カーチフこそ敵地に置いて来る羽目になったものの彼が縛られている原因さえ取り除けばまたこちらの将として動いてくれるはずだ。
急いで帰国すると体を休める間も惜しんで皇帝の前に馳せ参じる。ここからは時間の勝負だ。
カーチフの家族が住む村の位置は判明しておりまずは誰よりも先にここを落とす。話はそれからだろう。
それが終われば『リングストン』と版図を賭けた戦いに移行し『ジグラト』戦争の勝者を決める。久しぶりの戦いに胸が昂ぶるも父である皇帝からはとんでもない言葉が放たれた。

「此度の外交、ご苦労だったな。我ら『ネ=ウィン』は暫く傍観するのでお前もしっかりと体を休めるが良い。」

この発言には同席を許していたフランドルとビアードも思わず口を開けたまま動かなくなる。
「・・・父上。それはどういった理由からですか?今攻めねばあの地は全て『リングストン』の領土となりますぞ?!更にカーチフは家族を盾に身動きが取れない状況。これすら『リングストン』に奪わせては『ネ=ウィン』に多大な損失を生む事になります!」
珍しく熱の篭った弁に4将の2人も目を覚ますがこれはナルサスの焦りと苛立ちを顕著に表しているのだ。名を変えてその地位を捨てたとはいえ彼の強さと存在感は未だ世界に影響力を持っている。
これを敵に回すのは流石の『ネ=ウィン』とはいえ悪手だと言わざるを得ない。それは皇帝もよくわかっているはずなのに。

「・・・・・」

「父上っ?!」
しかし皇帝からの答えはなく、ただ目を閉じて沈黙するのみだ。おかしい。自身の父は大局を見誤るほど老いぼれていたか?
「ナルサスよ。体を休めて来るべき時に備えよ。これは厳命だ。わかるな?」
「・・・・・はっ。」
納得がいかないものの皇帝の前でこれ以上子供のような駄々をこねる訳にもいかず体を震わせて短く答えた後、彼はその怒りを隠す事無く謁見の間を後にした。



ビアードが後ろから何か言っていたような気もするが我を忘れるほどの怒りでその内容は何も覚えていない。
無言で自室に戻ってきたナルサスは精鋭を集めるように指示を出すと棚から酒瓶を取り出して杯に並々と注いだ後一気に飲み干す。
一時的とはいえカーチフが離れたのも大きな理由だろう。今のナルサスは焦りで視野が極端に狭くなっていた。
それらが彼の心に拍車をかけ『リングストン』よりも先に攻め入るべきだといった考えに縛り付けられた結果、皇帝の厳命に背く判断を下したのだがそこに現れた召使いが意外な用件を伝えてくる。

「何?姉上が?」

後宮に居を構えて滅多に姿を現さないものの黒い鉄扇と妙な情報収集能力、そして鋭い勘はナルサスを以ってしても不気味な存在だ。
そんなナレットからの呼び出しにまさか父の命令を無視して行動を起こそうとしてるのが漏れたのか?と少し不安になったナルサスはそのまま姉の下へ向かう。
口止めが出来れば申し分無し、こちらの策に引き込めれば尚良しといった心構えで彼女の部屋に入ると中には見知らぬ男も座っていた。
「おかえりナルサス。今日は貴方にとって朗報があるわ。」
ナレットが薄く微笑むと居丈高な男が立ち上がって静かに頭を垂れる。身に着けている衣装から察するにどこかの貴族か?いや、かなり整った容姿から鑑みるともしかして姉の新しい男という可能性も。

「初めましてナルサス様。私はナレット様に黒い鉄扇をお譲りした者です。」

凡そ自己紹介と呼ぶには無礼すぎる内容だったが以前から会ってみたいと渇望していた男が目の前に現れた事でナルサスの思考は怒りの全てを収束させた。
無言で彼らの席に加わると下から上まで嘗め回すように男を観察する。外見からはただの青年にしか見えない。一体この男はどうやって黒い武器を手に入れたのだろう?いや、自ら作ったのだろうか?
「今日はナルサス様にこちらをお渡ししたくて参上致しました。」
訝しげに眺める彼を他所に怪しい男は布で包んだ長細い形状の物を机の上に置いてみせる。ナレットから話は聞いていたしセンフィスという前例も見てきた。
それを静かに手に取ったナルサスはゆっくりと中身を取り出した後、短く溜め息をつく。

黒く美麗な細工が施された見事な長剣だ。

刀身はかなり細いだろうと予想されるも内包する力が見た目以上の成果を上げてくれるのは散々見せ付けられてきた。
「・・・何が狙いだ?」
男の正体や名前などに興味はない。これの強さは重々承知しているので残す所は後顧の憂い。つまり要望の中身がそれに見合うかどうかだ。
ナルサスは『ネ=ウィン』の皇子であり既にその強さは4将に匹敵するまでに鍛え上げている。地位や名声、権力に武力と全てを手にしている彼が本心で更なる力を欲していたとしても無駄な危険まで冒す必要はない。慎重になるのも当然だろう。

「そんなに構えないで下さい。私からの条件と致しましてはナルサス様がより強さを誇示して頂ければと願います。いかがですか?」

「・・・姉上。よくこんな怪しい男からその鉄扇を受け取りましたね。」
条件とは呼べない、実利が伴わない答えを聞いてナルサスは呆れ返った。これならまだ金や役職を求めてくれた方が信用出来る。
「あら?私は国と家族の為に使って欲しいと言われたんですもの。別段おかしな話ではないでしょう?」
つまり相手を選んで適当な戯言で焚き付けていたという訳か。今まで欲しいと思っていた黒い剣がこんな薄い男から手渡されるという現実に納得がいかないナルサスは大きな溜め息しか出ない。
「ナレット様から貴方が是非手に入れたいと仰っていたそうなのでお持ちしましたが、お気に召しませんか?」
「ああ。大いに気に入らんな。」

言った瞬間、ナルサスは自身の長剣を抜いて男に斬りかかる。だが相手は素早く身をかわしてその剣閃から免れた。それでも攻撃を止める事はせず弟は姉の部屋で派手に暴れだす。
部屋の主はというと座ったまま優雅にお茶をいただきながら黒い鉄扇で軽くぱたぱたと仰いでいる。
壁や窓掛け、棚や燭台が見るも無残な形へと切り刻まれていく中ナレットの後ろで長剣を振るおうとした時、彼女はやっとそれを鉄扇で受け止めた。
「貴方達、ここが皇女の部屋である事をお忘れになって?」
だが先程の怒りが再燃して余剰に怒り狂っていた皇子は微塵も悪びれるつもりはなく、むしろ見事な身のこなしを披露した怪しい男を強く睨み付ける。
「・・・次その姿を見かけたら殺す。」
ナルサスはそう吐き捨てて長剣を納めると部屋を後にする。残った2人は部屋の惨状と皇子の気難しさを見比べつつ苦笑いを浮かべていた。





 ダクリバンの下から戻ったその日に『リングストン』の侵攻が始まったのには流石のア=レイも驚いていた。
あの大男が周辺国を蹴散らすような事を言っていたにも関わらずロークス内にいる衛兵は皆無。当然『ネ=ウィン』から借り受けていた兵士達は早々に帰国している為護る手段を探す方が難しい。
《参ったな。これでは防衛戦も何もあったものじゃない。》
珍しくア=レイがぼやくも理由はよくわかる。屋敷から眺めると普段平原の場所に兵士達が所狭しと陣を張っているのだ。彼曰くその数凡そ10万程度だという。
遠目からでもわかる圧倒的な兵力に胆の小さいナジュナメジナは間違っても近づきたくないと強く願うが自身の体を操る男は全く別の事を考えているようだ。
執事に外出する旨だけを伝えると彼は馬車に乗り込み大役場へと向かう。政務長を含めいくらかの重臣達は中央へ集められているようだがこの状況を放っておいたら蹂躙が始まるだろう。
すっかり町の顔役となっていたア=レイが都市長への面会をねじ込むと議会室へ通される。彼らはこの有事にどう対処するかを葬式のような雰囲気の中で話し合っていたのだが纏まるはずもなくほとんどの人間が俯いたまま口を開こうともしない。
「やぁやぁ。随分と重苦しい雰囲気ですな。」
そこに普段と変わらぬ様子の実業家が入って来た事で皆の顔に多少の生気が戻るも情けない表情はそのままだ。
「これはナジュナメジナ殿。いかがなされました?」
この数時間で一気にやつれたのだろう。憔悴しきった都市長が尋ねてくるとア=レイは普段と変わらぬ様子で要件を伝えた。
「『リングストン』から何か書簡などは?」
政務とは全く関わりのない立場だが彼らも諦めているのかそれをこちらに渡してくれるのでナジュナメジナも一緒にその内容を確認する。といっても非常にわかりやすく短い文章が4つほどだけだ。
まずは本日正午に制圧を開始する旨、そして抵抗した者は全て無力化する旨、話し合いには応じない旨。最後に大義名分としてブリーラ=バンメアという狂人を討伐する旨が記されていた。
未だナジュナメジナの下に詳しい情報は届いていなかったが無差別に周辺国を侮蔑した内容だけは聞き及んでいる。その結果がこれなのだろう。

「ふむ。まだ間に合いそうですな。では私が行って話をつけて参りましょう。」

だが一緒に同じ文面を読んだにも関わらず彼はさらりと言ってのける。当然政務官達は驚愕を浮かべ、中にいるナジュナメジナも心の中であんぶりと口を開けていた。
「な、何か策をお持ちですか?!い、いや、何方かとの繋がりをお持ちとか?!」
「た、確かにナジュナメジナ殿であればその可能性が・・・」
にわかに議会室がざわめき立つも本人はけろりとした様子から最後通告を伝える。

「いいえ。全面降伏に向かうだけです。」

《おいっ?!な、何もないのかっ?!》
思わず声を荒げたナジュナメジナだったが相手は10万の軍だ。いくら何でもこれをア=レイ1人に任せる方がどうにかしている。ただ他の面々も彼の普段と変わらぬ様子にもしかしてと期待したらしい。
「し、しかし話し合いには応じないと・・・」
「やらないよりはましでしょう。この都市には私の事業と労働者も多数いる。下手に暴れて壊されるくらいなら被害を最小限に抑えるまでです。」
平然と言ってのけるが彼には抵抗した者は全て無力化するという項目に目が届いていなかったのか?
(い、いや。この男1人なら逃げる事は容易いか。何せ大空を自由に飛べるのだから・・・・・)
ア=レイの力を知るナジュナメジナはそう捉えたが同時に一つの疑問が引っかかった。それは彼の発言がきっかけなのだが今は確信が持てない。

「都市長も一緒にいかがですか?どうせ侵略が始まれば政務に関わっていた人物など碌な扱いは受けないでしょうし、それなら最後に抵抗してみるのも手ですよ?」

厳しいが誰もが口に出来なかった事をさらりと告げた事で皆が黙り込む。もちろんすぐに殺されるとも思わないが支配形態が変わるのだ。旧体制の、しかも他国の人物を生かしておく理由は『リングストン』に存在しない。
「・・・・・ナ、ナジュナメジナ殿。全面降伏にあたって私の権限を全て与えましょう。どうか、穏便に話を進めてきてはもらえませんか?」
自らがその都市権力全てを譲ると発言したもののそれを咎める者は誰一人おらず、むしろ皆が何かを決意した様子でこちらに視線を集めてきた。
「わかりました。では証書を用意して頂きたい。それを受け取った後すぐに向かいましょう。」

それから10分後には政務官の1人を引き連れて彼は10万の軍勢に向かって馬車を走らせていた。





 証人として付けられた政務官の顔色は真っ青で一言も喋らない。まるで人形のようだ。そんな彼に同情しつつも馬車は大群の真ん前に到着する。
当然数十もの兵士達が警戒して槍や剣、弓をこちらに向けてくるも彼は普段と全く変わらぬ様子で外に出て行き前へと歩を進める。
「止まれ!!何者だ?!」
「私はロークスのナジュナメジナという。この軍の責任者を呼んできてもらえるか?全面降伏について話がしたい。」
その言葉を聞いて彼らは顔を見合わせると1人が奥へと走っていった。付き添いの政務官も辛うじて後ろに立って入るもののここは死地だ。
恐らく数分だったはずだが既に彼の顔色は土色へと変化している。これ以上待たせると本当に死んでしまうかもしれない。
やっと戻って来た兵士が2人を奥へ案内し始めると、倒れそうな政務官をア=レイが支えつつ大きな陣幕へ入る。
(これも事なかれ主義の『ジグラト』だからかもしれんな。)
自身も多少の恐怖はあれど今は『七神』に護られているという安心感もあってか心に余裕のあるナジュナメジナは彼に同情しつつも周囲を伺う。

思えば軍に接触するなど人生で初めてだ。中には明らかに武将と思しき人物が5名、そして文官らしき人物も同じく5名が前後列で座っており、2人はその前の椅子に座るよう命じられた。

「ナジュナメジナ殿の御噂は聞いている。まさか10万の軍勢を前に1人で現れるような方だとは思いもしなかったがな。」
軍を束ねる総大将イジンブラが短く名乗るとこちらを少し観察しながら笑いかけてくる。本人からしても正気の沙汰とは思えないがア=レイは相変わらず普段通りの振る舞いで自己紹介から始めると早速本題に入った。
「イジンブラ様、我がロークスに戦う力はなく此度の制圧に抵抗する者はおりません。全ての命令に従いますのでどうか剣を納めては頂けませんか?」
『リングストン』に跪き深く首を垂れると周囲からは小さな感嘆の声が漏れる。
(この男・・・何故ここまでするのだ?)
その姿勢にナジュナメジナ本人も大いに疑問を感じる。突如自分の前に現れたア=レイという男は金に興味があると言って体を乗っ取って以降好き勝手に振舞ってきた。
『七神』という組織の一員だというのもつい先日知った。話の流れでは間違いなく人間に仇名す存在だというのもわかっているが故、余計に彼の言動は理解に苦しむのだ。

「ナジュナメジナ殿は一介の商人だろう?何故こんな危険を冒してまでロークスを護ろうとするのか?理由をお聞かせいただきたい。」

総大将であるイジンブラは真剣な面持ちで尋ねてくるとナジュナメジナもその答えに聞き入る。

「私が気に入っているからです。それ以外にはありませんな。」

面を上げてさらりと答えたア=レイの表情はどのようなものだったのか。ナジュナメジナが唯一確かめる事の出来ない客観視を周囲が代わりに行うとそれらの表情からは驚きと敬服の様子が見て取れる。
「よかろう。出来る限り穏便に事を進めるが何かあった場合はその場で斬り捨てる。もちろん貴殿も例外ではないぞ?」
「仰せのままに。」



この後ア=レイ扮するナジュナメジナは自身の囲う労働者を始め町中に全面降伏と服従を徹底的に呼びかけ、イジンブラ率いる『リングストン』軍も慈悲深く占領を進めた事で一滴の血を流す事なくロークスは陥落した。





 家族が住む国で、村で騒動が起きているとは想像すらしていない。サファヴがカーチフを呼びに行くと彼は既に『ジグラト』の中央へ呼び出された後だという。
そのまま後を追うべきか考えたが義母の様子も気になるサファヴは村を経由して一度報告を済ませた後王都へ再び向かう事を決意した。

ところがあと半日ほどで村に辿り着くといった場所で何故か衛兵達がこちらの姿を捉えるとサファヴは一気に取り囲まれる。

『リングストン』時代から悪さなどに縁のなかった彼は何事かと困惑しているとその中の1人がこちらにその理由を教えてくれた。
「現在カーチフ様の集落内に殺人犯がいるとの情報がある。よって誰も中に通すわけにはいかんのだ。早々に立ち去れ。」
まさに寝耳に水というやつだ。言葉と思考が追いつかずに何をどう説明すればいいのか、いや、説明を求めたほうがよいのか?
そもそもカーチフの村は彼を慕っている連中ばかりで殺人犯なるものがいたとすれば誰かしらが対処するはずだし、ならば尚更の事、サファヴは家に帰って家族を護らねばならない。
「し、しかし私は村の人間ですし、家族も心配です。どうか通して頂けませんか?」
こういった場合袖の下に賄賂を通すというやり方もあるのだが元々金銭の概念がほとんどない『リングストン』育ちの彼がその思考に辿り着くのは不可能だ。
何度か頭を下げて懇願するも彼らは厳しく突っぱねてくるばかり。いい加減強行突破か闇夜に紛れて・・・等を考え出した矢先だった。

「おいハフィード!やっと戻ってきたのか!!遅かったじゃないか!!」

衛兵達の後方から小さな人影が現れたかと思えばこちらに向かってずかずかと歩いてくる。頭から大きな外套を被っていた為顔はよくわからないがかなり高齢らしい。
サファヴも何の事だかよくわからなかったが彼は手首を掴むと無理矢理村の方向へ引っ張ろうとするので衛兵達も止めに入る。
「何をするんじゃ!離せっ!こやつはわしが頼んでおった買い物を終えて帰って来たのじゃぞ?!」
その言い分からもしかして・・・と察したサファヴもそれに合わせて彼を祖父と呼びながら何とか村の中へ入ろうと試みた。
「文句があるのならあとでわしの家に来い!村長といえばお前らでもわかるじゃろ?!」
(えっ?!)
この村の村長は長老であり本人を知る者として思わず声を上げそうになったがこれを利用しなければ家に戻るのは困難だ。衛兵達も困った顔で互いに見合っているのでサファヴは遠慮なく馬に飛び乗って押し通る。
と同時に正体不明の老人も自分より軽い身のこなしで鞍に座ったのだから驚いた。先程手首を掴まれた時にも感じたがこの老人は只者ではない。
もしかして衛兵達が言っていた殺人犯だろうか?とも考えたが彼らの反応から見て手配されている外見とは一致してないのだろう。でなければ困惑などせずに捕縛へ移るはずだ。
執拗な姿勢も見せずにこちらを眺めている衛兵達が遠くなっていくとまずはその老人にお礼を告げるサファヴ。
「なーに。良いって事よ。それよりお主はまた面倒な時に村へ帰って来たのう。どこの家の者じゃ?」
カーチフの娘を娶ったサファヴは村の人間なら誰もが知っている。それすら知らないとは彼こそ一体どこからやってきたのだろう?
「えっと、俺は今カーチフ様の家に住んでいます。」
「ほう?・・・しかしあ奴には似とらんな。居候か?」
こちらを一瞥してすぐに血縁ではないと見抜いてきた。という事はカーチフに近しい人物だろうか?強さから計るにそれは十分考えられるが。
「い、いえ。昨年彼の娘と結婚しまして。今は留守の多いカーチフ夫妻に代わって家を護っています。」
「ほほう?そうかそうか。」
未だ外套を深く被っていた為素顔はわからなかったがその会話が終わると後は無言で馬を走らせる。
サファヴの方も村へ入る手引きに関しては感謝するも正体不明の老人を連れて帰ってよいものか少し困っていたが気が付けば我が家は目の前だ。
まずは義母に顔を見せて、それからカーチフを迎えに王都へまた旅立つ。そう考えると今のサファヴには文字通り立ち止まっている暇はない。

「ただいま帰りました。」

恩人にも中へ入るよう促すとシャルアが嬉しそうに出迎えてくれた。ただ彼女は来客が一緒だとは思っておらず思い切り抱きついてきた為その後すぐに照れながら体を離す。
「ふむ。お主がカーチフの娘じゃな。なるほどなるほど。強さがよく現れとる。」
いきなり見ず知らずの老人からそのように言われて2人が困惑していると中から首を長くして夫の帰りを待ちわびていたケディも姿を現したのだが、老人を一目見た瞬間その場に泣き崩れた。





 最初は自分がカーチフを連れて帰れなかったからだと思った。だが椅子に座ってからシャルアの用意してくれた熱いお茶で落ち着きを取り戻すとケディは静かに口を開く。

「お義父さん。何故今になってこの村に?夫は貴方を殺したいほど憎んでいます。」

「「・・・・・・・・ええっ?!」」
言葉の意味を理解するまでの時間さえ同じだった。サファヴとシャルアは驚いて立ち上がるも老人は外套を脱いで静かに笑い出した。
やっと拝めた素顔はかなりの高齢からか皺だらけであるが内包された強さがその双眸に現れている。
「むっふっふ。わしももう訪ねるつもりはなかったんじゃがの。ネクトニウスに頼まれて仕方なく、じゃ。」
いきなり『ネ=ウィン』の皇帝が出てきたので余計に混乱し始めるが若夫婦の様子を見て祖父は詳しい事情を説明してくれる。
「現在『ジグラト』では王妃の凶行から他国間で戦争状態に入っておる。なのでカーチフの村が心配だった皇帝がたまたまお邪魔していたわしを送り込んだという訳じゃ。」
戦禍から逃れ、親友や愛しい人との別れに整理がつき始めたと思っていたらまた戦渦か。自分には何か疫病神でも付いているんじゃないかと気落ちしている所に妻はその老人の名を尋ねていた。

「わしは一刀斎=ジークフリードじゃ。カーチフの父でありシャルアの祖父じゃな。よろしく可愛い孫娘。」

これには武をかじっていたサファヴが大いに驚く。何せ『孤高』の1人、『剣鬼』と呼ばれる人物だ。カーチフが彼の血を継いでいるのならあの強さも納得出来る。
「・・・いきなり現れて祖父とか言われても。それに父さんが憎んでるって?私何も聞いていないんだけど?」
ただシャルアは訝しげに老人を睨みつつケディの腕にしがみついている。確かにいつも明るく陽気な義父が憎しみを持つというのが想像しがたい。
「その話はまた今度じゃ。『リングストン』軍は既に目と鼻の先まで行軍しておる。今は早々に荷物を纏めて東へと避難するが良い。」
しかし一刀斎は話を切り上げるとこちらにそう告げて席を立つ。まさかここにきて祖国の兵と剣を交える事になるとは・・・安寧とは中々に得難いものなのだとサファヴも諦め気味に剣を腰に佩くとシャルアがまた口を開き始めた。
「東って・・・まさか『ネ=ウィン』に行けっていうの?」
「うむ。わしの依頼主はそれを望んでおるからの。この地は荒廃する運命から逃れられぬ。なのでカーチフの大切な村と人々を全て引き受けるつもりじゃ。」
「・・・そんな・・・お義父さん、いきなり祖国を捨てろというのはあまりにも酷です。あの人だってお義母様が眠るこの村を大切に思っているのに。」
一刀斎とカーチフの確執を置いても話はまた座礁する。現在『ネ=ウィン』に雇われた一刀斎と疾風の如く侵略を進めているらしい『リングストン』、そしてカーチフを『ジグラト』に繋ぎとめて置くための衛兵があちこちで村人に矛を向けようとしているのだ。
3つの思惑が入り乱れる中、当事者達は迫り来る危機を回避するためにその身の振り方を決断せねばならない。

「・・・じゃがお前達がここで亡くなったりしたらカーチフは悲しむぞ?死んだ者の墓を護るより生きて家族との再会を望むはずじゃ。」

今のはケディを説得するために発せられた言葉だとわかっている。だがその瞬間アスワットやエリーシアの顔が浮かんだ。
「逃げましょうお義母さん。2人に何かあったらお義父さんに申し訳が立ちません。一刀斎様、俺は一度村の連中にこの話をして来ますので留守を任せてもよろしいですか?」
気が付けば強い意志をその双眸に乗せて妻と義母に伝えていた。彼女らも困惑した様子で顔を見合わせたものの、シャルアが力強く頷いた後ケディに同意を促してくれる。
「よかろう。では荷造りくらいは手伝ってやろうかの。」
それからサファヴは外へ出ると家の周りを見回してみたが聞き耳を立てているような人物はいない。衛兵達はあくまでいざという時の処刑要員なのだろう。

強引に話を進めてしまったな、と少し後悔しつつ長老の家に向かいながら幼馴染の2人と一刀斎の言葉を思い返す。

過去に己の優柔不断が原因で2人とはわかり合えずに死別してしまった。シーヴァルのお陰で今は妻を娶る事が出来たもののあれも彼がいなければ婚姻関係まで至らなかったはずだ。
過ちと未遂を超えて今回人生で三度目の逆境が訪れようとしている。今度こそはしっかりと自らの手で行動しなければと再度心に刻むサファヴ。
遠巻きだが確かにこちらの動向を窺っている衛兵達に悟られないように普段通りの振る舞いで長老の家に辿り着いたサファヴは情報が漏れないよう警戒しつつ、避難の相談を早々に終えると我が家へと帰っていった。





 家に帰ったサファヴは長老との話し合いで決起を明日の早朝に決定した旨を3人に伝える。
「よかろう。ならば夜明け前にわしが奴らの気を引いておこうかの。」
一刀斎は満足そうに頷くもケディだけは未だ心に折り合いが付かないのか浮かない表情だ。そこへシャルアがサファヴを呼んで隣に座るよう手招きする。
それから対面に座る祖父に強い眼差しを向けながら彼女は静かに問い始めた。
「一刀斎さん。さっきの話のつづきを聞かせてもらってもいい?何故私の父が貴方を憎んでいるのか。でなきゃ私は貴方を信用出来ない。」
妻が猜疑の目を向けると『剣鬼』ともあろう人物が思わず目を逸らす。流石にあからさま過ぎてサファヴも目を丸くしてしまうがその様子を見た義母は深い溜め息をつくと静かに口を開き始めた。
「この人はね、放浪癖と女癖が悪くて同じ場所と同じ人を愛し続ける事が出来ないの。だからカーチフは自分の母を捨てた一刀斎さんに酷い恨みを抱いている。
彼が14歳の時一度ふらりとこの村に来たけどカーチフと大喧嘩して以降またどこかに雲隠れ。結局彼のお母さん、ハナさんはそれ以降一刀斎さんに会う事無く亡くなったわ。」
黙って聞いていたシャルアは素人とは思えない殺気と怒気を放つがとにかく恨みの理由はわかった。というかこれは恨まれても仕方が無い気はする。
せめて息子がしっかり独り立ちするまで共に暮らせなかったのか。ハナという女性を愛してはいなかったのか。同姓として、妻を娶った夫としても彼の行動には疑問しか浮かばない。
「カーチフは生意気だが強い。ならばわしが傍におらんでも立派にやっていけると思ったんじゃ。」

「そういう問題じゃないでしょ!一刀斎さんは何でお父さんやおばあちゃんの傍にいてあげなかったの?!」

ついに激高したシャルアが立ち上がって怒鳴るも本人は悪びれた様子もなく彼なりの言い分を説明する。
「わしには生涯をかけて剣の腕を磨き上げるという大儀があるのじゃ。それはハルも十分承知していたはずじゃぞ?」
全くの素人が腕を伸ばしてサファヴの腰から剣を抜くと思い切り投げつけそうになったので慌てて止める。これも旦那としての務めだろうか。
しかし『孤高』と呼ばれるだけあってこの老人の考え方は少し、いやかなり世間とはかけ離れているようだ。これではいくら強者とはいえ家族関係の話になった場合彼の肩を持つのは難しい。
「・・・今回この村に駆けつけて下さった事には感謝致します。ですが出来ればもう二度と、私達の前には現れないで下さい。」
涙ぐんだケディが精一杯の対応を見せるとやっとシャルアも少し落ち着きを取り戻したが、老人は沈んだ様子で静かに席を立つとそのまま外へと消えていった。



彼も大人物だ。まさか『ネ=ウィン』の皇帝から頼まれた以来を放棄する事はないだろうと思いつつ、不安になったサファヴはその後彼の姿を探して村中を歩き回る。
日も暮れかかっており視界は随分悪い為衛兵の姿は捉えられるものの小柄な老人はなかなかに見つけ辛い。
(あまりうろうろするわけにもいかないしな・・・)
仕方なく戻ろうと引き返すも念の為今の一件も長老へ伝えておこうと彼の家に立ち寄ると中から随分騒がしい声が聞こえてくる。
「長老様?あっ・・・」
扉を叩いて中を覗いてみるとそこには一刀斎と長老が大きな杯を手に何故か酒盛りを始めていた。
(明朝この村を発つというのに何をしているんだ?!)
「おおー!サファヴ!衛兵に見られるとまずい!早く閉めて中に入れ!」
長老に言われるがまま慌てて扉を閉めると用意された椅子に腰掛ける。何が何だかわからないが少なくとも一刀斎がカーチフ家族を見限ったりする線はなさそうだ。
内心ほっとして2人の老人が馬鹿笑いしながら酒を酌み交わしているのを眺めていると先程まで底知れぬ強さを纏っていた老人が泣きそうな表情で訴えてくる。
「わしだって・・・わしだってなぁ・・・そりゃカーチフもハナも心配してたんじゃぞ?!嘘じゃない!年に一度はこの村に立ち寄ってた!そうだろブキャナート?!」
「おうともさ!といってもお前の女癖が悪い部分は弁解しようがないがな!!がはははは!!」
滅多に聞かない長老の名前を遠慮なく呼んでいるという事はこの2人、それなりに親睦があるらしい。あと先程のやりとりは一刀斎といえどやはり心に堪えたようだ。
まるで水のようにがぶがぶ飲み続けるのを見て段々と心配してくるがふと、年に一度この村に立ち寄っていたという言葉が蘇ってきて驚く。
「えっ?!じゃあ本当は毎年カーチフさんやハナさんと会っていたって事ですか?」
「いいや!こやつは2人を遠巻きに眺めるだけで生活費をわしに預けたらすぐに旅立っておった!会うと旅に出辛くなるからっつってな!『孤高』とはとんだ腰抜けよ!!」
「・・・ぇぇぇぇぇ?」
先程の話も酷い内容だったがこの一刀斎という老人は一体何を考えているのだろう。そこまでして無理に旅に出ずともこの村で、家族と大切な時間を過ごせばよかったのに何故その選択をしなかったのだろう?
若輩者だからと遠慮していたサファヴですらとうとう我慢出来ずに呆れ返るもそれを汲み取った一刀斎は酔って真っ赤な顔をこちらに向けてきて静かに語る。

「師も言っておった。武芸百般を極めるには鍛錬を続けねばならぬと。ハナにもそれは伝えてあった。じゃからわしは未だに定住を選ばず武者修業に明け暮れておるのじゃ!女が好きなのは・・・うん。まぁ若さ故じゃな!」

その話のどこが面白かったのか長老は大爆笑している。しかしサファヴからしてみれば何とも無茶な生き方だなぁとしか思えず若干顔が引きつってしまう。
「お前のその話は100回聞いてるぞ!!いい加減他の話題はないのか?!」
「うるさいっ!少なくともサファヴには初めて聞かせたんじゃ!お前も空気を呼んで少しは感心する素振りくらいみせんかいっ!」
酒の勢いもあるのだろうが何となく事情を察したサファヴは自身の祖父と呼べる存在が決して血も涙もないような人物であるとわかっただけでも安心する。
ただ、彼があの場所でそういった言い訳をしなかったのには彼なりの理由もあるのだろう。
(・・・あとでこっそりシャルアにだけは教えてあげよう。)
でなければ彼は死んだ後も恨まれ続ける事になる。折角カーチフに認められてシャルアと一緒になれたのだ。ならば家族の一員としてこの連鎖を断ち切る努力をしても悪くは思われないだろう。

「もう手遅れかもしれませんが呑み過ぎないようになさって下さいね。」

また事が終わったら家族全員で話し合える場を設けよう。そう心に決めたサファヴは2人に笑顔で別れを告げると愛する嫁の下へ帰っていった。





 ナジュナメジナも戦渦に巻き込まれるなど初めての経験だ。そんな中ア=レイが独断でロークスを全面降伏させたのだがその後は驚きの連続だった。
まず10万はいるであろう市民達の半分を無作為に選んで『リングストン』の領土へ移住させ、同時に本国からはロークスにリングストン人を送り込む。敵地の民の反抗心と団結力を削りつつ同時に『リングストン』の常識を根付かせる事で素早い平定を目論むのだ。
更に今までは自由に使い、稼ぐ事が出来た貨幣の使用が禁じられて市民の生活は全て国からの支給品で賄われるようになる。ナジュナメジナなどの経営者は特別待遇だという話だがそれでもこの先金品や宝石を手に入れるのは難しくなるだろう。
ロークスという拠点を構えていた都市に大きな被害はなく命も健在だが侵略を受けた彼は結果その力を大きく奪い取られたと考える。国内で取り扱える貨幣が無い以上、要である莫大な収益を失うに等しいのだから。

《・・・やられたな。これは奴らの仕業だ。》

議会室での疑問が確信に変わると悔しさと虚無感からナジュナメジナはぽつりと心の中で呟く。
《何だナジュナメジナ?言っておくが商売の話は・・・》
《そういう話ではない。いいかア=レイ。今回の侵攻、いや、もしかすると『ジグラト』を焚き付けたのは『ビ=ダータ』の実業家達かもしれんのだぞ?》
《ほほう?それは面白そうな推測だな。よかろう、続けるがよい。》
珍しく彼が聞く体勢に入ったのでナジュナメジナもまずは戦に必要な物資を羅列し、それらを売りつけた経緯を言い聞かせる。
奴らも商人だ。口八丁手八丁で相手を持ち上げ、不安を煽り、そして結論に自分の持つ商品を買う流れに持っていくのだ。
《私が逆の立場なら『ジグラト』を含め周辺国全てにあらゆる物資を売りつけるだろうな。そして吹聴するのだ。彼の国がこの地を狙っていると。》
《ふむ。理屈は理解出来るがもし動きが無ければどうするのだ?まさか為政者達が根も葉もない噂でそのような買い物をする訳ではあるまい?》
《火種など金さえあればいくらでもでっち上げられる。その辺の山賊を雇って他国に略奪行為をさせるだけでも十分なのだ。今回は王妃が見事に踊ってくれているようだが裏では莫大な金と数多の謀略が動いていると私は見る。》
ナジュナメジナ自身は戦争で財を成す危険を冒したくなかった為手を出した事はないが争いを生む方法などいくらでもある。事実そうやって人々を煽り対立を生み、漁夫の利を得てきた事で今の財産が築けたのが確たる証拠なのだから。
《・・・つまり彼らは私を標的としてわざわざこんな争いを起こしたという訳かね?》
《標的は言い過ぎかもしれんが少なくとも私が事業を展開しているロークスに戦禍を生む目論見があったのは間違いないだろう。燃えても支配下に置かれても私財は大きく削がれるのだ。奴らも今頃は祝杯を上げてるんじゃないか?》
ア=レイのお陰で血こそ流れてはいないものの半数が『リングストン』へ移されるのだ。その中にはナジュナメジナの工場で働く労働者も多数存在する。
それらをまた一から雇ったり教えるのにも金がかかるのだ。しかも今は独裁国家の支配下にある。いくら働けどそれが自分に還元されるとは考え辛い。

《悪い事は言わん。今すぐ資産を纏めて新天地へ向かうべきだ。ここにいても私が得られるものはない。》

思えばア=レイに体を乗っ取られてから散々だ。ただでさえ目減りしてた私財にうんざりする日々を送っていたというのにここに来て他の実業家達からの策に絡め取られるとは。
だがその原因を作ったのが己の行動だという事を都合良く忘れていた彼は他人を妬み恨む事しか頭に無い。かといって今の自分にはどうする事も出来ない為断腸の思いで損切りを提案したのだ。

《ナジュナメジナよ。私と最初に出会った時の事を覚えているかね?》

随分昔の話を持ち返してきたので訳もわからぬまま頷くと彼は話を続ける。
《私は金というものに興味がある。だからお前の体を使ってそれを観察してきたのだ。しかし本来私自身の考えは違う。金は不要だと言ったはずだ。》
そうだ。この男は金など無くとも互いが支えあえば生きていけるという随分幼稚な考えを展開していた。
あの時は宗教の話も入っていたのでてっきり何処かの信者だと思っていたが・・・

《『リングストン』では私に似た考え、つまり貨幣の存在が無いという。ならば今度はそれを観察してみようじゃないか。》

ほんの少しだけ希望を抱いてはいたがやはりこうなったかと心の中で項垂れるナジュナメジナ。ア=レイの事をほとんど知らなくても1年以上一緒にいればその性格くらいは掴めて来る。
《お前という男はどこまでも我侭というか自分に素直と言うか・・・せめて資産の目減りは抑えてくれよ。いくら私でも0から増やすのは大変なんだ。》
最後の損切り案を諦め気味に提案するとア=レイは大層楽しそうな笑い声を響かせていた。

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