闇を統べる者

吉岡我龍

動乱は醜悪ゆえに -恐怖と憐憫-

 正式な決定事項が届いたのは1か月ほど前。ヴァッツやリリーは少なくとも『リングストン』で2か月間は過ごす事になるらしい。
それでも折角大将軍の従者となれたのだ。気落ちする前にまずは自身の研鑽と気を紛らわす目的も兼ねつつ日々修行に明け暮れる時雨。
途中でカズキが鬼になったり『ジグラト』国内から反乱の気配がする等話題は尽きなかったがどれも時雨が深く興味を持つような出来事ではなかった。

(・・・早く帰ってこられないかな・・・)

寒くも天気の良い日、部屋でぼんやりと窓の外を眺めながらそんな事を考えていた時雨は突如大将軍の居室から慌ただしい気配を感じたので心が弾んだ。
彼が帰って来るまでまだ1か月近く残っているはずだが誰かしらが入室したのは間違いない。
急いで身嗜みを整えた後慌てる素振りを見せないように隣室への扉を静かに開けてヴァッツの大部屋へと足を踏み入れた時雨はまず執事のレドラを探す。
現在ここは彼の管理下に置かれており普段からいつ主が帰ってきても対応出来るように清掃はもちろん、食事や就寝といったあらゆる準備が整えられている。
「あの、レドラ様。どなたか参られましたか?」
逸る心を抑えつつ広間に顔を出すとそこには大柄なハイジヴラムと老紳士レドラに挟まれる形で見た事のない少女が立っていた。

「ああ、時雨様。実は今し方ヴァッツ様とアルヴィーヌ様がお戻りになられたようでして。」

「えっ?!」
目の前に広がっていた光景からは想像すら出来なかったので大いに喜びの声を漏らしてしまうがそうなると2人はどこだろうと疑問が浮かぶ。
彼らはレドラを大いに慕っているのでもし帰国したのなら下手をすると国王よりも先にこちらへ会いに来る可能性すらある。なのに入室してきたのは全く別の2人だ。
「は、はい。その現在お2人方はアルヴィーヌ様のお部屋で傷の治療をなさっておられます。それでその、この少女を我らで見張るように命じられましたのでここに連れて来ました。」
見張るという事は敵なのか?見ればぼろぼろになっていたが少女は黒い衣装に身を包んでいる。そこから察するに黒い外套の・・・?つまりは『七神』の関係者という事だろうか。
しかし黒い外套の男という言葉で認知していた部分もあった為彼女がそれだとは俄かに信じがたい。何よりその気配は至って普通の少女そのものだ。
(何かしらの強い力を内包している・・・のか?)
それでもあの2人がレドラとハイジヴラムという強者に見張りを頼んだくらいだ。城内では弱い部類に入る時雨が決して油断してはならない相手なのも間違いないだろう。
警戒と観察を繰り返して近づいていくと少女の方もこちらを睨みつけてくる。なのに一番頼りになる存在はこちらの雰囲気など気にも留めずに茶器を用意しているではないか。
「まぁまぁ。折角ヴァッツ様がお戻りになられたのです。まずはお茶を楽しみましょう。」
これにはハイジヴラムも唖然としていたが彼は油断をするような人物でもないし、主が帰って来たのを喜ぶ場を設けてくれたのであればそのお誘いには是非乗るべきだ。

ばぁぁんっ!!!

そう決めてからゆっくりと椅子に腰かけようとした時雨だったが突如扉が大きな音を立てて中に誰かが入って来る。
「アルが大怪我をして帰って来たそうじゃな?!詳しい話を聞かせてもらうぞ?!」
そこには鬼気迫る父の姿をさらけ出したスラヴォフィルが立っていた。





 「やれやれ。まずは落ち着きなさい。」
最年長でもあるレドラがゆっくりとお茶を用意して各々に座るよう指示すると皆が複雑な感情を表情に浮かべつつ渋々従う。
ここにきて初めてハイジヴラムが素顔を晒した事にまず驚いたがこれはアルヴィーヌが大怪我を負った事による国王への謝罪も含まれているのだろう。
大柄な割に優しい顔の男は今にも泣きそうな表情でスラヴォフィルに頭を下げようとするも彼はそれを手で制して止める。
「まずは貴様の名を聞こう。『七神』の関係者なのはわかっておる。隠し立てするとただではおかんからな?」
普段の温厚さは鳴りを潜め、娘に手傷を負わせた少女へ強い怒りを向けるスラヴォフィルにこちらまでもが身震いしそうになったが当の本人は至って冷静・・・冷静?
膝の上に乗せた手は強く握られており小刻みに震えさせているのは演技には見えない。その違和感に他の3人も気が付いたらしく激高して問い詰めていた国王などは一瞬でその怒りを鎮めてしまうほどだ。
「落ち着きなさいと言ったでしょう?さて、アルヴィーヌ様とヴァッツ様が連れて来られた小さなお客様。まずはお名前から教えていただけますか?」
まさに紳士の鑑と言わんばかりの対応に時雨も深く感心するが黒い肌の少女はこれを利用する方向へ考えたらしい。

「さ、先にお前達が名乗れ!そしてこの場所が何処なのかも教えるんだな!」

親切に接してもらったもに関わらず少女は随分と上からの対応を迫ってきた。恐らくこれが本来の性格なのだろう。
その不遜すぎる態度に誰が咎めるのだろうと様子を見ていたが皆で顔を見合わせた後レドラへの視線が集まった事でこの場の主導者が選ばれる。
「失礼しました。私は『トリスト』王国大将軍ヴァッツ様の居室を護る執事レドラと申します。こちらの怖い老人が国王スラヴォフィル、大柄ですが心優しいハイジヴラムは第一王女アルヴィーヌ様の御世話役を務めております。最後にそちらの少女はヴァッツ様の第一位従者である時雨です。」
スラヴォフィルの紹介だけ手を抜かれたような内容だった為本人が少し恨めしそうに睨みつけていたがそこは同じ格の人物、何食わぬ顔で話を続ける。
「そしてここは『トリスト』の王城内で、この場所は大将軍ヴァッツ様が使われているお部屋、以上がご質問の返答になります。では貴女のお名前を教えて頂けますか?」
「・・・・・わらわはティナマという。」
考え込んだ挙句名前だけを名乗ると再び口を噤んでしまうティナマ。一人称で聞きなれない言葉を使っていたり相手を見下すような言動から恐らく高位な身分を持つ者なのだろう。
それでも名前を聞き出せた事で前進を感じたスラヴォフィルはほっと一息ついている。逆にここからレドラが少しだけ圧を強めて会話を再開した。
「ではティナマ様。貴女は何故お2人にこの場所へ連れてこられたのですか?貴女の正体を含めてその経緯を詳しく教えて下さい。」
「・・・それは本人達から聞けばよかろう。わらわは疲れておる故、まずは休息を所望する。」
一筋縄ではいかない雰囲気はあったもののティナマはそう言い終えると腕を組んで顔を横に向けてしまった。しかし膝は小刻みに震えている為、相当強がっているのだけは見て取れる。
(アルが関わっているとなるとお近づきになりたい人物なのだろうか?)
ハルカを許可なくいきなり入国させた件もある。敵というにはあまりにも弱弱しいティナマに時雨はそのような答えを導き出してしまうがスラヴォフィルが言っていたアルに大怪我を負わせたという発言が解決していない。

「残念じゃがアルヴィーヌは今怪我の手当を終えて休んでおるから話は聞けん。なのでこれだけはこの場で答えてもらう。我が娘に大怪我を負わせたのは貴様か?」

静かな怒りを内包しているスラヴォフィルの姿が大きく見えるのは錯覚ではないはずだ。現にティナマもまた恐怖で全身を震えさせている。
「・・・そ、そ、そうだ!わらわがやった、のだ!!」
しかしその恐怖を乗り越えて噛みながらも肯定したのには驚いた。時雨は昔王女姉妹の喧嘩を目の当たりにした数少ない1人だ。
故にアルヴィーヌの強さは十二分に知っているしどう考えても目の前にいる少女があの第一王女に大怪我を負わせるほど強いとは到底思えない。

「わかった。レドラ、ハイジヴラムはこの部屋でティナマを監視、時雨は世話をしてやってくれ。」

なのにスラヴォフィルは憑き物が取れたかのように穏やかな心を取り戻し、てきぱきと指示を出した後お茶を一口で飲み干してから静かに部屋を去っていった。





 一番怯えていた対象が去ったことによりティナマは滝のような冷や汗を流しつつ軽く呼吸を整え直している。
「ではまず湯場で埃と汗を流してきて下さい。我々はその間にお食事を用意しておきましょう。」
レドラは特に気にする様子もなく自然にティナマを来客として扱い始めた事でやっと部屋の空気が軽くなってきた。ハイジヴラムも兜を被ると気を引き締め直して衛兵の任にあたる。となれば時雨も仰せつかった任務をこなすだけだ。
「ティナマ様、こちらです。」
この部屋はアルヴィーヌやイルフォシアと同じ間取りなので全てを熟知していた時雨は静かに立ち上がると彼女を湯場へと案内した。
未だにこの少女の素性が全く分からない為思考のほとんどをそちらに向けていたらつい昔の癖で自身も湯場に入ってしまう。
「何だ?この国の従者は客と一緒に湯場へ入るのか?」
「はい。お背中をお流し致します。」
嘘が下手糞な忍びだが王女姉妹とよく3人で湯浴みをしていたのを思い出すと自然と笑顔でそう答える。
それでも相手が従者だと緊張感から開放されるのか。まだ日が落ちる前とはいえ冬の寒い気温が原因か。2人は暖かい湯場でゆっくりと体を癒しているといくつかの会話も生まれるというものだ。

そこから多少の探りを入れるも結局わかった事といえば彼女の体に傷らしいものはほとんどなく、異能の力も感じないただただ普通の少女だという事と年齢は自分より1つ上の15歳だという事くらいだった。

体の芯から温まり、時雨まで一緒に疲れを癒すとすでに食卓には豪勢な食事が用意されていた。
「ほう?わらわはあまり食に拘りはないが美味しそうだな。」
すっかり機嫌を良くしたティナマはレドラに誘われて椅子に座ると早速それらを口にし始める。と、そこに彼は時雨にも座るよう促してきた。最初は何故私を?と不思議に思ったが、
「ティナマ様の為です。毒見をされないと彼女も心配で食が進まないでしょう?」
その理由を聞いて納得した時雨は素直に腰掛け、1人で早々に食事を始めていた少女は慌ててその手を止めるともじもじした表情でこちらを見つめてきた。
(うーん・・・本当に普通の少女・・・いや、年齢は少し怪しかったか。)
15歳にしては自分やリリーよりも幼さが残るしその仕草もどちらかといえばアルヴィーヌに近い。そもそもアルヴィーヌに大怪我を負わせたという話が眉唾なのだ。彼女の発言は今後もしっかりと裏を取る必要がある。
ここでも2人はそれなりに言葉を交わしたが彼女の正体やアルヴィーヌ達との関係に近い話だとだんまりを決め込む。そしてヴァッツの話になると顔を背けて全力で拒絶してくる。
その様子が昔の誰かと被った事で何かがあったのだろうと察するもやはりティナマの口は堅い。結局その夜、彼女は疲れているからと早々に床に着いた。



いくら来賓扱いとはいえヴァッツの寝具で寝るのを許していいのだろうか?昨夜はそればかり考えていて中々寝付けなかったが翌朝。

「ティナマはいる?!」

スラヴォフィルの再来を思わせるようなアルヴィーヌの元気な声に叩き起こされた時雨は衣服も髪もそのままに慌てて主人の大部屋へと飛び込んだ。
大怪我を負ったと聞かされていた為その姿を確認出来た3人はほっと胸をなでおろしたのだがそれも束の間、衣服を一切身に着けておらず体には包帯がぐるぐるに巻かれており辛うじて肌を隠すためにヴァッツの外套を羽織っている。
とても王女がする格好ではないがそもそも彼女が王女然としていた記憶も無い。それでも手で覆い隠したくなるのは少女としてもう少し恥じらいを持って欲しいという願いからだろう。
「アル!その前に着替えたらどうです?!レドラ様もハイジヴラム様もお困りの様子ですよ?!」
以前のように御世話役として発言してしまうもアルヴィーヌの中でそれの優先順位は相当低く、今は来客との話が先決といった様子だ。
「ただいまー!アルヴィーヌ元気になったねーよかったよかった。」
次いで主の大将軍が以前と変わらぬ様子で部屋に戻ってきた。これにはレドラも満面の笑みを浮かべて出迎えたが時雨は寝起きの格好で髪も櫛を入れていない。どうするか一瞬迷ったがここはしっかりと出迎えるべきだと心を決めて深く跪いた。

「何~?まだ眠いんだけど~?」

だが騒がしい中名を呼ばれていた本人は今目が覚めたらしい。上半身を起こしてぼんやりした表情で周りを見回しながらやっと自分の立場を理解すると跳ね起きてアルヴィーヌをにらみつける。
「・・・何で貴女が甥っ子の寝具で寝てるの?!ハイジ!レドラ!この娘は敵なの!ちゃんと見張っててくれなかったの?!」
普段のんびり気味な彼女が敵意を乗せて発言している所をみると嘘ではないのか。正直ティナマのどこに脅威を感じているのか全くわからないが強者であるアルヴィーヌの言を信じない理由もない。
「そういえば昨日仰ってましたね。詳しい話は本人から聞けと。では早速答え合わせといきましょうか。」
そんな中レドラは普段の口調でそう促すと全員を椅子に座らせてから何故か悠々と朝食の準備を始めるのだった。





 全員がしっかりと着替えを済ませた状態で囲った食卓にはハイジヴラムの姿もあった。
「では昨日と同じく私レドラが進行を務めます。」
言いたいことが山ほどあるらしいアルヴィーヌは不機嫌そうな表情を崩す事無くティナマを睨んでいる。
こんな彼女を見る事自体が珍しいので時雨は静かにその姿を捉えつつティナマの方にも視線を向けるとこちらはすまし顔で淡々と食事を始めていた。
「まずアルヴィーヌ様、御怪我の具合はいかがですか?」
「もう大丈夫。全部治ったから。それよりティナマは『ななかみ』なの。そうだよね?ヴァッツ。」
「うん。ティナマは『七神』の長だよ。」
畳み掛けるような事実をさらりと口にしたヴァッツ。確かに昨日スラヴォフィルも『七神』の関係者だとは言ってたがまさか長だとは・・・。
全員の視線を一斉に集めるも彼は事の重大さを理解していないようで今はゆで卵の殻を剥くのに集中している。
「なるほど。『七神』の長・・・ならばアルヴィーヌ様に手傷を負わせる程の強さを持っていてもおかしくはないですね。」
レドラは2人の言葉を疑う事なく全てを信じた上でそう答える。となればやはり時雨がティナマの力を読み取れなかっただけという事か。
1人静かに落ち込む時雨だが次いでそれは誤解だと言わんばかりの情報をヴァッツが教えてくれると彼女の心は一気に救われる。
「うん。でももうティナマは何も出来ないよ。オレが力を全部消したし。」
「そうだ!!わらわの力を返せ!!こんな状態では何も出来ないではないかっ!!」
「駄目。貴女はこの先『トリスト』の牢獄で一生暮らすの。私の大事な友達を護る為にもね。」
3人のやりとりを聞いて聴取側の3人もやっと理解が追いつき始めた。つまりラカンの時のようにヴァッツがティナマの力を奪ったから現在ほぼ無害の少女へと成り下がっている訳だ。
そしてアルヴィーヌは彼女を罪人として扱いたいらしい。実際『七神』の長であれば間違いなく重罪人であり極刑は免れないだろう。

「しかし力を失ったとはいえ『七神』の長という事実は変わりません。ティナマ様、これから厳しい尋問が待ち構えております故お覚悟下さい。」

レドラがそう言うとぱくぱくと食事していた彼女の手が止まりまたも震え出す。だが主の話を聞いて時雨はやっと演技の可能性に辿り着いた。
でなければ『七神』を束ねていた人物がそんな簡単に取り乱す訳が無い。恐らく昨日の場面も恐怖など微塵も感じていなかったはずだ。
「ねぇレドラ。ティナマの事怖がらせないで?この子すっごく怖がりなんだよ。」
なのに主は時雨の思考と真逆の発言をしたので全員が一瞬で固まる。
「ええええ?!この娘相当強かったよ?!それで悪党の親分でしょ?!怖がりとか絶対嘘!!」
不満が溜まっていたアルヴィーヌが反抗の狼煙を上げると周囲の視線もティナマへと向けられるが今の彼女は小刻みに震え続けているのだから性質が悪い。
「私もアルヴィーヌ様のご意見に同意です。彼女は演技をしていると思われます。皆様も騙されないよう・・・に・・・」
すかさず時雨も自分の考えを述べたが何故かティナマが恨めしそうな視線を向けてきた為最後の方は言葉にならなかった。対照的にアルヴィーヌは鼻息を荒くして喜んでいる。
「まぁそこは尋問官や国王が判断するでしょう。今は久しぶりに戻られたヴァッツ様との楽しい朝食会をご堪能下さい。」
相変わらずハイジヴラムはおろおろと周囲の様子を伺うだけだったがレドラはこちらの意見を聞き入れた様子で話を結ぶ。

ただその後もこちらにちらちらと不安そうな視線を送ってくるティナマが頭から離れず、待ちわびていた主との大切な時間を十分に楽しめなかった時雨はずるずると気落ちしていくのだった。





 ヴァッツの帰還は想定外のものだったらしく、急使が『ジグラト』に送られるとリリーも一時帰国するという形で話が纏まった。
時雨も久しぶりに主と過ごせる時間が戻ってきた事を大いに喜びたいはずなのにあの震える少女の姿が脳裏に焼きついてどうにも気が休まらない。



その夜はアルヴィーヌの全快祝いも兼ねて小さな祝宴が設けられると本人はずっとヴァッツの隣から離れようとせず、逆隣には友人達を順番に座らせて楽しく食事をしている。
普段なら両隣を友人枠で埋めるのに何故だろうと不思議に思っていたがよく観察してみると彼女は時折ヴァッツの肩に頭を擦り付けていた。その仕草はまるで猫のようだが少女がするとなるとやはり別の感情や疑問が生まれるものだ。
「ねぇアル。さっきから何でそんなに甘えてるの?昨夜何かあった?」
ハルカからはそう見えたらしい。少し引きつったような顔で尋ねるとアルヴィーヌは珍しく悪巧みをしていそうな表情でにやりと笑う。
「ふっふっふ。甥っ子の変な力は私の姿を戻す事が出来る。この髪が結えているのもこれのお陰。」
言われてみれば今日の第一王女は美しい銀の髪を編みこんでいる。まさかそんな事も可能なのかと周囲は感心するも同席を許されていた時雨はその驚きや一緒に食事が出来る喜びすら半減していた。
「時雨、何か元気ないね?どうしたの?」
そんな叔母の奇行に構う事無く主はこちらを気にかけてくれる。どうやら自分が思っている以上にティナマの件は整理がついていないらしい。
(いかんいかん!ただでさえ力の弱い私が感情にすら踏ん切りがつかなくなったら本当に役立たずだ!)
「いえ。ヴァッツ様とこうやってお食事が出来る喜びに少し浸っていただけです。」
「そうなの?」
「そんな訳ない。時雨はすぐ顔に出る。」
「うんうん。貴女本当に忍びに向いてないわよ。もうヴァッツの従者なんだし戦うのをやめてお世話役的な立ち位置になった方がいいんじゃない?」
「時雨様、辛いときは皆に相談してもいいんだよ?秘密の内容ならこっそり打ち明けてくれてもいいし。絶対誰にも言わないから!」
王女と同い年の友人からも遠慮の無い反論が飛び交って非常に姦しく感じたが皆時雨を思っての言動で悪気は一切無い。
唯一気になったのは自身よりも年下で尚且つ戦う力を持ち合わせていないルルーですらこちらの表情か仕草かで心境を読み取ってきている点だ。
周りから見れば自分はそれくらいに感情を表に出してしまっているのかと反省しつつも落ち着いて取り繕った。
「・・・大丈夫です。色々と気を使っていただきありがとうございます。」
だからこそここは隠し通す事を選ぶ。折角の目出度い席で『七神』の話題を出す事自体憚られるのにティナマの心配などを口したらそれこそ『トリスト』を裏切る行為だと思われかねない。

「そういえば時雨、ハルカ。『モクトウ』の王ダクリバンってどんな奴?」

なのにこの王女ときたらいきなり『七神』の話題を振ってきた。彼女らしいといえば彼女らしいが何も今ここでその話を・・・
「『モクトウ』の王?ダクリバン?いつの間に代わったんだろ?時雨知ってた?」
ハルカがきょとんとしながらこちらに尋ねてくるので思わずぴくりと反応する。時雨としては口にすら出したくない程因縁のある男だったがそうか。祖国の事情も変わったのか。
出来れば国の汚名を返上するくらい有能な王であればいいのだがと願いつつ彼女もハルカの問いかけに答える。
「いいえ。私も『トリスト』に来て以来向こうの情報は何一つ得ていませんので。」

「俺らが知ってる名前っていえばシュゼンだろ。」

いきなり話題に入ってきたカズキが後ろから手を伸ばして料理を摘み取るとそれを口に放り込む。
彼は今自身の部隊を鍛え直す為に『トリスト』を離れていると聞いていたが戻ってきたのか。そして時雨はその名を聞いて気分が急降下していくと軽い目眩に襲われる。
「そうよね。まぁ『モクトウ』はお家騒動が激しい国だしまた誰かの都合で首を挿げ替えたのかしら?って時雨顔色酷いわよ?大丈夫?」
ハルカが心配そうに声をかけてくるももはやそれに答える力は残っていない。椅子から崩れ落ちそうな所をヴァッツが優しく受け止めたにも関わらず彼女の意識が戻る事は無く、祝宴に水を差してしまった時雨は後日アルヴィーヌに平謝りすることとなった。





 目が覚めた時は主の寝具で横になっていた。意識が戻ってくるとずっと傍にいたのか、ヴァッツが優しく微笑みかけてくれたのがまず視界に入ってくる。
「あ、あの・・・私はまた、ヴァッツ様にご迷惑をおかけしてしまいましたね。本当に申し訳ございません。」
静かに体を起こし正座で座りなおすと両手をついて深々と頭を下げる時雨。彼は全く気にしていないようだが従者としてそれに甘え続ける訳にもいかず、ここはしっかりと謝意を述べる。
「それよりもさ。その、時雨って何か隠してる?オレじゃ力になれないかな?」
「・・・・・」
隠し事というよりは声に出したくないというか話したくないというか、そういった類のものはずっと自身の内に秘めてはいる。
しかしアルヴィーヌの話からそっちは多少状況が変わっているようなので今後二度と触れないように気をつけていけばいつかは風化するだろう。

「・・・ヴァッツ様。私にはティナマが気になって仕方がありません。アルヴィーヌ様やヴァッツ様が仰るように『七神』の長だとしても今は何の力も持たない少女。
赦免とまでは言いませんがせめて不必要に恐怖を与えるような扱いだけは避けるべきだと考えています。」

なのでもう1つの気になっていた問題を打ち明ける。そもそも一緒に過ごした時間など半日にも満たない彼女を何故こうも気にかけてしまうのか。
力を失ったとはいえ元『七神』の長であり15歳という年齢も実際はその100倍の年月を生きてきたのだという。言葉を沢山交わした訳でもないのに何が時雨の心を掻き立てるのか。

・・・・・それは恐怖だ。恐怖に身が竦み、言葉が出てこなくなる。誰かに縋りたいが周囲は敵だらけの状況。

それらを過去に体験した時雨はあの時の彼女と自身の姿が重なってしまったのだ。声が出ないティナマは間違いなく目でこちらに訴えかけていた。助けてほしいと。
だがそれは都合が良すぎる。実際『七神』の面々に指示を出した事で各地に警戒を呼びかけている中、その長に温情を与えるなど以ての外だ。

(・・・・・幼き私はスラヴォフィル様に拾われるまでは誰からも相手にされず、ただひたすらに、玩具のように扱われていた・・・・・)

わかっている。これらは全て時雨の個人的な事情に過ぎず、それを理由にティナマの扱いを丁重になどと絶対に許されるべきではない。

「じゃあ時雨はどうしたらいいと思う?ティナマをどうしたい?」

澄んだ双眸でしっかりと、それでいて優しくこちらを見つめてくるので思わず俯いてしまう時雨。その純粋な目は自身の汚れた過去さえ見抜かれてしまいそうでとても気恥ずかしい。
「・・・無理なのは重々承知しておりますが。もし、万が一お許しを得ることが出来るのであれば私に彼女の面倒を見させて頂きたいです。その中で必要な情報も聞き出せればと考えます。」
「なんだ。それくらいいいんじゃない?きっとじいちゃんも喜んでいいよって言ってくれるよ!」
そう言って貰えた事に安心する時雨は同時にそう答えてくれるだろうと期待していた下心を強く恨む。気が付けばどんどんとヴァッツに傾倒依存しておりこれでは従者というよりただ我侭を発するだけの気難しい側室みたいではないかと。
そんな自分を強く非難し落ち込む様子すら彼は見逃さないのだからこの大将軍は今後どこまで大きく育つのだろう。

「そんなに自分を責めないで。オレもティナマが凄く悪い奴には見えてなかったし。ただ・・・アルヴィーヌを説得するのだけはちょっと頑張らないといけないかも。」

慰めと同時に彼にしては珍しく弱音っぽい発言と困った表情を見せてくれた事で時雨の心は一気に加熱する。
「そ、そうですよね!アルはティナマに大きな怪我を負わされていた事を失念していました!はい!頑張って口説いて見せます!」
普段周囲には見せたことのないヴァッツの一面を拝めた事に興奮した彼女は強く断言するといつの間にか心は羽のように軽くなっていた。

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