闇を統べる者

吉岡我龍

動乱は醜悪ゆえに -許嫁-

 元服の儀で起こったクレイスとナルサスの事件にリリーがラカンに襲われた事件。
これらの収拾をつけるべく要人達が立ち回った結果リリーはヴァッツの許嫁として『リングストン』に赴く事になった。
(・・・何をどうしたらこうなったんだろ?何度考えてもわかんないな。)
確かに自分の中で未だ妹を人質として取られているという強迫観念が根付いているのは間違いないだろう。
ならば尚更リリーをその元凶である『リングストン』やそれに関わる人物から遠ざけるべきではないだろうか?

不安からぎゅっと自分の腕を掴んで隣に座るヴァッツを見ると彼はいつも通り平然としている。

皆の前では抱きしめられて気恥ずかしさが勝ると思っていたのに何故かとても安らぎと落ち着きを感じた。
最初は生まれて初めて兄妹以外の異性から触れられたからだと思ったが聞けばハルカも似たような体験をしているらしい。
(・・・ヴァッツ様は謎が多い。けど本当に人の心を癒せる力なんて存在するのか?)
実際外傷だと妹であるルルーが緑紅の力を使って癒す事は可能だがあれはあくまで物理的なものだ。目に見えない、形のないものを治すというのはそれこそ考え出したらきりがなくなる。

「不安?」

いつの間にかヴァッツがこちらを見つめていたので思わず顔に手をやる。そんなにわかりやすく表情に出ていたのだろうか?
「・・・はい。ほんの少しですが不安な気持ちはあり、ます。」
わざわざ自身の苦い記憶が詰まっている場所に向かおうとしているのだ。美しい装飾が施された慣れない衣装に身を包んでいるのも拍車をかけている。
ここで嘘をついても仕方がないのでその気持ちを吐露すると彼はぎゅっと抱きしめながら頭を撫でてくれた。
「大丈夫!何かあったらオレが護るから!あと、こうしてあげるとリリーの不安が吹っ飛ぶってじいちゃん言ってたんだけどあってる?」

(・・・・・スラヴォフィル様・・・せめてもう少し教え方があったのでは?!せめて時と場所の指定とか?!)

今まで恩人に対してはこの命に代えても恩義に報いると誓っていたはずが一瞬だけ揺らぐと心の中ではつい悪態を呟く。
それでも気恥ずかしさとは別に体と心に感じる確かな温かさは本物だ。こうなると細かい事は考えられなくなり心身が言葉通り蕩けていく感覚に陥る。
「・・・んん?大丈夫?」
返事がなかった為ヴァッツが慌てて回していた手を離すとこちらの両腕を掴みながらまた見つめてくる。
「・・・は、はいぃ・・・だいじょうぶれす。」
のぼせ上った心身で何とか受け答え出来たリリーは別の不安を新たに抱えつつヴァッツと久しぶりの旅を楽しもうと思考を切り替えた。



『リングストン』の王都は領土の中でも北西に位置する為、馬車での旅でも12日ほどかかる。
ここに来るまでも様々な村や町を通ってきたがやはり王のいる都市となれば規模も段違いだ。遠景からでも民家がひしめき合う建ち方をしておりどこに目をやっても人がいる。
(ここが王都か・・・)
リリーは『リングストン領』の1つ東にあった『ルサマール領』の拠点から指令を受けていた為この地にはあまり詳しくない。
更にいつも日が落ちてからか上る前に行動していたので明るい場所で王都を眺める機会などなかった。

ぎゅっ!

「ふあっ?!」
彼は他人の気持ちを機敏に捉えてくる。その話は友人達からも聞いていたが少しでも心の変化をちらつかせるとすかさず抱きしめてくるようになっていたので非常に困っていた。
何せ人目を憚らない上にこちらの不意を衝いてくるので毎回ひどく驚かされるのだ。その証拠に今も妙な声を上げてしまった。
「まーた暗い顔になってたよ?!大丈夫?」
「は、はい!大丈夫ですのでその!手を放していただけますかっ?!」
馬車の中での出来事なのでまだよかったが今後の彼らは敵国内での暮らしが待っている。出来る事なら人目がある場所で抱き着かれるのは何とか避けたいリリーは心の傷を忘れてその対応を必死に考えるのだった。





 「ようこそ『リングストン』へ。遠路はるばるご足労頂き感謝の極みです。」
大きな城門を通って中庭に通されると早速国王自らが姿を現してヴァッツと固い握手を交わす。個人的には見たくない光景だったがここは我慢だ。でないとまた熱い抱擁が自身に降りかかってしまうだろう。
だがネヴラディンがこちらの手を取り口付けをした時にはさすがに血の気が引いて無表情のまま凍り付いてしまった。
その後じーっと眺めてくるヴァッツのお蔭で何とか正気を取り戻したものの出来れば二度とやってほしくない。誰も見ていなければ次はぶん殴ってしまうかもしれない。
「では早速お部屋へご案内しましょう。」
来賓の扱いなど詳しくないリリーもこれには少し驚いた。案内など普通召使いに回す雑務の類だ。なのにこれも王自らが買って出ているのだからよほどヴァッツに惚れ込んでいるのだろう。
(・・・いや、そうじゃないな。ヴァッツ様のお力を知っているからこそ機嫌を取ろうと必死なんだろ。)
独裁国家で全ての権力を握る国王に人を慮るような気持ちがあるとは思えない。全ては自国と自身の利の為だけに動いている。かつてこの地で戦いを強いられていたリリーはそう信じて疑わない。だが、
「ねぇネヴラディン。オレここで何すればいいの?」
「ははは。まずはゆっくりと旅の疲れを取っていただいてそれからお話致しましょう。」
気になるのはヴァッツの言動だ。いや、ヴァッツだからこそというべきか。相手は人の皮を被った獰猛な獣。なのに随分親しそうに会話をするのでその姿に少しだけ嫌悪感を抱いてしまう。
すると彼は振り向いてまたこちらを見透かすような目でじっと見つめてくるので慌てて顔を逸らした。
周囲には国王だけでなく近衛や他の召使いもいるのだ。ここで抱き着かれたりしたら堪ったものではない。そもそも自身の心の傷とは別に不快感を表すだけで反応されても困る。
「そうだね。リリーが疲れてるみたいだし今日はゆっくり休ませてもらおう、ね?」
「は、はい!」
これは決して旅の疲れだけではないのだがヴァッツが快く提案してくれた事でリリーも即答していた。



その後数名の召使いが待機する大きな部屋に通された2人は早速人払いをすると向き合って小さな椅子に座る。
「ヴァッツ様、ここ『リングストン』内での2人の行動について少しお話があります。」
「うん?何で小声なの?」
当然聞かれたら困る内容を話すからなのだが彼に隠し事などは難しい。一瞬普通の声に戻すか考えたもののどうしても守って貰いたい約束をしたいが為そのまま小声で続ける。
「2人だけの秘密ですから。まず私はヴァッツ様の許嫁である、これは大丈夫ですか?」
「うん!オレはリリーを大事にする!」
・・・・・何か答えがずれている気もするが大事にすると言われて嫌な気はしないしむしろ嬉しくさえ思う。
「本当はこれだけだったのですが私からもう1つだけ約束事を付け加えてもよろしいでしょうか?」
「うん?何?」
「あのですね・・・その、抱きしめる時は人前を避けて貰いたいのと一言教えていただけませんか?」
護ってもらいつつ癒しも与えられている上にこの注文は時雨辺りが聞けば苦無が飛んできてもおかしくない程我儘だがリリーにも羞恥心はある。
いくら心が乱れていたとしてもその都度公の場で抱きしめられていたらこちらの身がもたない。
「うん!いいよ!」
そんな我儘も彼は二つ返事で了承してくれるのだから本当に惚れてしまいそうだ。だがリリーには時雨との関係もある。身分の差も考えるとそんな下心は決して許されないだろう。
「ありがとうございます。」
こうしてお互いが取り決めを確認しあった後は豪華な晩餐会に招かれる。それを終えるとヴァッツはともかくリリーは色んな疲れからか寝心地のよい寝具に身を投じると泥のような眠りについた。





 ここ『リングストン』で用意された部屋は1つ。つまり2人が同じ部屋で眠るという事だ。
しかし寝具は別々でヴァッツにそのような知識や欲望があるとは微塵も思っていなかった為リリーは何も心配していなかった。
「あ、おはよー!」
なのに目が覚めた時何故か彼が隣で横になっていたのだから一瞬まだ夢の中なのかと目を疑う。
寝ぼけ気味にヴァッツの頬をつまんでみょーんと伸ばせば柔らかい彼の頬はとても気持ちよい広がりを見せた。
「なにすんのー?」
彼は面白そうに笑顔を見せていたがこちらは未だに状況が掴めていない。お互いが同じ寝具に身を包んで体温やその柔らかさを十分に感じあえる距離で枕を並べている場面。
(・・・ま、ま、まるで夫婦・・・のようじゃないか?!)
「あ、あの。ヴァッツ様?いつから私の寝具におられたのですか?」
ここで取り乱しては駄目だ。まずは1つずつ疑問を解消していこう。落ち着いた様子を演じつつリリーが震える声で尋ねると、
「うん?昨日からだね。『リングストン』に着いたら寝るときは一緒がいいってじいちゃんが言ってたんだ。それでリリーが起きるまで傍にいてあげろって。」

・・・・・

(ス、スラヴォフィル様ぁぁぁぁぁああああっ?!?!)

まさか一番信じていた人物からの助言がこのような事態を引き起こしていたとは。眠気覚ましとしてはあまりにも強烈すぎて不都合な展開が濁流のように脳裏を過る中。
「あ、あ、あの・・・えっと・・・あ、あたし、何かヴァッツ様に粗相をしたりは、してません・・・よ、ね?」
異性と共に眠るなど初めての経験だった為訳が分からない事を口走るリリーだが彼の様子からお互いが何か行動を起こした可能性は極めて低いはずだ。
ちなみに妹と寝る時などはその愛くるしさからぎゅっと抱きしめて眠るのが彼女の癖となっており、これはハルカにも該当する。
「粗相って何?」
「い、い、いえいえいえいえ!何もなければいいんですっ!!」
「そう?でもリリーって甘えん坊なんだね。ずっと抱き着いてきてたから。」

「・・・・・ぁぁぁ・・・ぁぁぁぁぁ・・・」

両手で顔を覆ったまましばらく動けなかったリリーはお腹の音が鳴った事でやっと寝具から起き上がると頬を紅潮させたまま2人で朝食をとり始めた。
気恥ずかしさは残るもののお腹が満たされると妙に体が軽いのを感じるリリー。
上質な寝具だったというのもあるがもしかするとこれも彼が傍にいてくれたお蔭なのかもしれない。
「ヴァッツ様、リリー様、国王様がお呼びです。」
ゆっくりと流れる午前の時間を2人が他愛のない話で過ごしていると召使いが声を掛けてきたことでいよいよヴァッツの任務が始まる事となる。





 2人が国王の執務室に通された後、早速ネヴラディンと向かい合って座り今後の行動についての相談が始まった。
「こちらからの条件といたしましては次の大将軍が決まるまでの間ヴァッツ様に代理でそちらの任に就いてもらおうと考えております。」
この提案を聞いてリリーは時雨達と話していた内容を思い出す。彼がヴァッツに固執する理由はヴァッツの力を十二分に理解している為だと。そしてそれを自らの手元に留めるべく無理難題を押し付けてくるに違いないだろうと。
(・・・次の大将軍が決まるまでの間・・・決まらなければ半永久的にという事か。)
リリーは彼女らほど頭を使うのが得意ではない為先にその可能性を示唆してもらっていたからこそ言及する事が出来る。
「ネヴラディン様。ヴァッツ様も『トリスト』でお忙しい身分故、出来れば明確な期日を設けていただけませんか?例えば1か月とか・・・」
了承を得ないまますかさずリリーが2人の会話に口を挟んだ。普通に考えるとその無礼に激高されてもおかしくないがリリーは命を懸けた修羅場を何度も潜り抜けてきている。今更怒鳴られた程度で委縮などしないしヴァッツの代わりにしっかりと意見を述べておかねばならないだろう。
それだけの覚悟を持って発言したのだが。
「ふむ。確かにヴァッツ様ほどのお方をここにずっと留めておくのは忍びない。かといって1か月では難しいですな。」
顎に手を当てて真剣に考える素振りを見せるネヴラディンに内心驚いた。そもそもリリーの立場はあくまで許嫁でありまだ正妻にもなっていない。
なのに横からの拾うに値しないであろう発言を真摯に受け止めている。
(・・・この男、実は本気でヴァッツ様に惚れ込んでいるのか?)
「そうなの?オレも皆の所に早く戻りたいんだけどネヴラディンの用事もしっかり終わらせたいから・・・うーん。どれくらいかかりそう?」
だがヴァッツ自身も早くは帰りたいらしい。その旨を伝えると更にネヴラディンは考え込む素振りを見せ始める。
「・・・申し訳ない。この場で確約は出来ませんがとりあえず2か月の猶予を頂けませんか?それで何とか整えてみせましょう。」
(2か月か・・・それまで妹達と会えないのは少し寂しいが今は傍にヴァッツ様もおられるし・・・)
「うん!わかった!で、その2か月でオレ何をすればいい?」
リリーが自分の事ばかり考えてる間にも大将軍は何かを果たしたい一心で素直に尋ねている。気恥ずかしさで俯くリリーをよそにネヴラディンも食い気味の大将軍を前に喜びを浮かべつつも少しだけ困惑していた。
「そうですな。正直私もヴァッツ様のお力をよく存じ上げておりませんので、一度それらを披露して頂くというのはどうでしょう?」
「うん!いいよ!」
2人の滞在期間が決定すると大将軍代理のお披露目も含めて早速国内の有力な人物達が大訓練場へと集められた。



『リングストン』という国はとにかく広大な領土と圧倒的な物量、それらを生産出来る無数の国民が特徴である。なので彼の国が擁する大訓練場というのも規模が桁違いなのだ。
「うーわ?!広っ?!?!」
そこに入ったヴァッツは興奮気味に大声と両手を上げて駆け回り始める。確かにその敷地は『トリスト』の王城がそのまま建ちそうなほど広い。
「ここは数万規模の兵士が一同に訓練出来るだけの面積を確保してありますからな。」
ネヴラディンが笑顔でこちらに説明してくれるもヴァッツの自由過ぎる行動によくこの男は機嫌を損ねないなぁと感心していたリリー。
壁際にはこの国の将軍やら文官が多数直立不動で立っていたのを見るに間違いなく独裁国家であり恐怖政治を敷いているはずなのに2人の前ではその顔を覗かせないのだ。
(徹底して隠し通そうとしているのか本当にこれが彼の姿なのか・・・)
自分も戦う相手以外を見極めるなどあまり経験がない為どれが彼の本当の顔なのか判断しかねていたがヴァッツもああ見えて芯は強い少年だ。猿芝居に騙される事はないだろうと信じつつ2人のやり取りを見守る。
「次期大将軍候補・・・という訳ではないのですがこちらがラカンの右腕だった男、緋色の真眼隊副隊長コーサです。一度彼と手合わせ願えませんか?」
「どもー。」
すると大きなつばのとんがり帽子を被った随分と軽い口調の男が名を呼ばれて前に現れた。背丈は国王よりも高いが肩幅が狭いためか非常に縦長な印象が残る。背中に大きな弓を背負っているからそれが自身の武器なのだろうがここで遠距離武器の使い手と手合わせ?
(離れた距離から一方的に矢を放たれても手合わせにならないんじゃ・・・まさか?)
試すという口実でヴァッツを殺そうとしているのか?と一瞬嫌な予感が過ぎるも彼が通常の弓矢で怪我を負う場面も想像出来ない。
「いいよ!手合わせって練習ってことでしょ?じゃオレがコーサの武器を取り上げたら終わりでいい?」
そこにヴァッツがさらりと提案するので『リングストン』側の人間は程度の違いはあれど皆が眼を丸くしていた。
遠距離の武器を持つ相手からそれを取り上げるとなると相当な実力差がなければ不可能なはずだ。誰もがそう思ったに違いない。
「いいよー。でも俺の武器って離れた所からじゃないと使えないんだー。最初はすごく遠いところに移動するけどいいかな?」
それでもコーサという人物はのんびりした口調を崩さずに自身の戦法について簡単な説明をし始める。
「いいよ!オレは・・・うーん。今回はオレだけでやるよ!」
その真意に気がつけたのはリリーだけだろう。彼には『闇を統べる者』という破格の力が宿っている。恐らくそれに頼らずヴァッツが1人で戦うと、そう言いたいのだ。
「わかりました。ではコーサ、お前の全力を試して見せよ。」
「りょーかい。」
ネヴラディンに軽い返事をするとそのおっとりとした口調からは想像もつかないほど素早い動きであっという間に大訓練場の果てに走っていくコーサ。
目視で確認するのが難しい程距離が離れるとぴぃっと短い口笛が届いてきた。彼の準備が完了した合図らしい。
(いや・・・いくらなんでも離れすぎでは・・・)
目を凝らせば米粒程度に確認出来なくはないがとても弓矢で届く距離だとは思えない。だが彼は『リングストン』の国王から指名された戦士。
恐らくはったりなど抜きでこの距離こそが彼の間合いなのだ。

「では見せていただきましょう。ヴァッツ様のお力を!」

ネヴラディンは狂気の笑みを浮かべながら片手を天に掲げた後、合図と共にそれを振り下ろした。





 リリーも緑紅の民として、一戦士としてコーサの攻撃を見定める為必死で目を凝らす。
すると先ほどの口笛に似た風切り音と共に5本ほどの矢がにヴァッツを射ぬかんと襲い掛かってきた。速すぎる上に点の攻撃はとても避け辛く不意を付かれたら訳も分からないまま死に誘われるだろう。
だが。
「これで全部?取り上げたから終わりでいい?」
辛うじて5本だと思っていた矢は8本あったらしい。そしてそれらを全て左手だけで掴み取っていたヴァッツがコーサくらいの軽い口調でネヴラディンに確認を取る。
「・・・いいえ。彼の武器は手元にある弓です。あれを取り上げない限り矢は次々に放たれてきますぞ。」
何とか驚きの表情を抑えつつヴァッツに促すネヴラディンと驚愕の表情を隠す事無く口を開けて見守る周囲の落差は見ている分には面白い。
しかしこれが命を懸けた戦いだった場合、相手は大いなる絶望に襲われるに違いない。
「なるほど!んじゃ行くね!」

ずずんっ!!!!

「ま、参りましたー!」
いきなり大地が軽く揺れて皆が軽く体勢を崩すと先ほどまですぐそこにいたヴァッツの姿は消えており、気のない声で降参するコーサの様子が遠景から見て取れた。
見れば彼が踏み込んだ場所には浅い地割れが残されていてそれだけでもヴァッツという少年の力を深く読み取れる。
「さてリリー様、ヴァッツ様についてなのですが恐らく我が配下達も今の手合わせから大きな感銘を受けたことでしょう。つきましては彼らとヴァッツ様の交流を許していただければと考えております。もちろん負担を考えて時間は最小限に抑えさせます。いかがでしょう?」
「・・・はい。彼も人との関わりを大切にされるお方、きっと喜んで受け入れて下さいますわ。」
相変わらずこちらの予想を遥かに上回るヴァッツの力量にむしろリリーが深い感銘を受けながら答える。どこかの侵略に駆り出される事に比べたら彼らと交流する程度はむしろ願ったり叶ったりだ。
気が付けばヴァッツが両手を上げてコーサを持ち上げたままこちらに元気良く駆け戻ってきていた。
「こ、国王様ー。今後ヴァッツ様との手合わせがある場合、自分は除外して下さいー自信を失うだけで得るものがないですー。」
まるで赤子のような表情で泣きそうな大柄な男を国王は心の底から可笑しそうに笑い飛ばすと大将軍のお披露目会は幕を閉じた。

その後は『リングストン』の重臣達が2人の部屋の前に行列を作って挨拶に来る。
正直数が多すぎて10人を超えた辺りからは顔と名前が全く一致しなくなっていたがヴァッツは楽しそうに彼らと握手を交わすので重臣達も非常に驚きながら話題を弾ませていた。
やがて全ての人物と面通しを終えたリリー達は2人だけの静かな食卓を用意してもらった後ゆっくりと湯屋で体を洗い流して床に就く。のだが・・・

「あ、あのー・・・今夜も・・・ですか?」

「うん!ここにはリリーを狙う悪い奴がいるみたいだから用心しろってじいちゃんが!」
(・・・・・素直すぎるのも考え物なんだな・・・・・)
リリーが寝具の上に腰掛けるとヴァッツも隣に座ってくる。暖炉の火は焚いてあるものの季節は冬で広い部屋は決して暖かいと言えない。
なのに体が火照って仕方がないのはまた2人で同じ布団を使わねばならない緊張感からだろう。
「あの・・・もし今度私がその、抱きついたりしたら叩き起こしてもらえますか?流石に、色々と申し訳がないので・・・」
「???」
こちらの言っている意味を全く理解は出来ていないようだがそれでも最低限の布石は打っておいたし今夜はしっかりと自分にも言い聞かせる。
同じ布団に入るのはあくまでリリーの身を護る為でありリリーも護られる為なのだと。



しかし目が覚めた時は何故かヴァッツの頭が自分の胸元に収まっていたのだから今朝も後悔と羞恥で最悪の寝覚めとなってしまっていた。





 「お聞きしましたよ。何でも毎晩同衾されているとか。いやはや、今から御子の誕生が楽しみですな。」
2人の部屋には気を遣わせまいと姿こそ隠してはいるが常に召使いが傍にいる。そして『リングストン』に来て以来毎晩同じ布団で寝ていればこちらの事情が国王に流れたとしても不思議ではない。
「御子?御子って何?」
「あ、あ、あの!ヴァッツ様!そのお話はまた後ほど・・・」
この国に入って一週間が過ぎた頃、重臣達が入れ代わり立ち代わり面会に来てはご機嫌を取り、時には城内を案内してくれたりしていたがこの日は城下へと足を運ぶ流れとなった。
しかも何故か国王が頭から深く外套を被って同伴している。スラヴォフィルもそうだが最高権力者というのは時折突拍子もない行動を取るものらしい。

「国王様ー、本当に護衛なしで行かれるんですか?」

出発する時、コーサが不安そうに声をかけてきていたが共に歩く人間はヴァッツなのだ。何かあったとしても彼がしっかりと護ってくれれば命の心配など全くの無用でありいらぬお世話というものだろう。
「そ、それにしてもわざわざ国王様自らが城下を案内して下さるとは、誠に深く感謝申し上げます。」
「はっはっは。気になさるな。私自身、こうやって国民の生活を直接確かめねば気がすまない性質でしてな。」
相変わらずご機嫌なネヴラディンだがその内容には少しだけ引っかかった。恐らく自身の悪評を拾い上げて揉み消す為だろうとリリーは邪推するも城下を歩き始めて30分。国民達の表情は明るく圧政に苦しむような気配は見られない。
(・・・おかしいな。相当な恐怖政治を敷いているはずなんだが。)
自身も暗殺者としてこの国に繋ぎ止められていた時何人もの国民と関わりを持ったがその誰もが常に見えない恐怖に怯えていた。
話では農作物など全ては徴収され彼らの手元には何も残らないとも聞いている。なので最低でもその表情には陰りが見えたりするものだとばかり思っていたのだ。
他に気になった点といえばどの民家も同じ形と大きさだという事くらいか。これは独裁国家ならではの方針らしく全ての国民を平等に扱うという意味が込められているらしい。

その後も国民達の言動に違和感を覚えることはなく、最後に店が建ち並ぶ広場へと足を運ぶとそこでやっとヴァッツが不思議そうにある指摘をした。
「あれ?何か皆変なので物を買ってるね?」
言われて目を凝らせば国民達は薄い木の板だろうか?それらを貨幣のように扱って商品のやり取りをしているようだ。
「あれは我が国の通貨代わりです。国民は支給品以外で何か物品を手に入れる時には物々交換かあれを使います。」
「へー。何で?」
疑問があれば相手が誰であろうと素直に問いかける事が出来るヴァッツの性格に思わず心の中で拍手と喝采を送るリリー。世間では金の分量が定められた通貨が流通している為わざわざ自国で手間をかけてまで独自の代替品を作る必要はないはずだ。
それに自身が『リングストン』にいた時代、あんな板を使用した覚えは無かった。
「簡単です。国民が他国に流出するのを防ぐためです。」
「へーー・・・うん?」
「我が国は国民の数によって成り立っています。数は力なのです。それが減ると国力も低下する。なので世界で共通するような危険な貨幣の扱いは禁じています。」
ヴァッツはよくわかっていないらしく小首を傾げて難しい顔をしていたがなるほど、とリリーは納得する。
この国は基本衣食住の全てを支給品で賄っており極端な話貨幣という概念が必要ないのだ。それでも彼らのささやかな希望と欲望に応える為このような施策を敷いているのだろう。
(徹底的に人を国内へ留める策か・・・)
もし他国への移住を希望したとしてもここにいる人間は全て無一文な為よほど強力な後ろ盾がない限りそれは叶わない。国民達は知らず知らずの内にこの広大な領地に繋ぎ止められているのだ。

「・・・理由は多々ありますが国民にいらぬ不安を抱かせない為、というのが一番ですな。」

覚えめでたさを狙った都合のいい答えに小さな怒りが生まれたリリーはネヴラディンを疑いの眼差しで見るもヴァッツはその分かりやすい説明に納得して頷いている。
(・・・やはりこの国に長く留まるのは危険だな。)
基本的に誰にも分け隔てなくとても愛想の良いヴァッツだ。このまま『リングストン』を気に入り続けると後でそれが足枷になりかねない。

今後はネヴラディンともなるべく接しないようにしなければと心に決めたリリーはそれ以降こちらから希望を出して彼との距離を取れるように仕向け始めるのだった。





 この国での生活を始めて2週間あまり。毎晩異性と一緒の床で寝付くという想定外の刺激に慣れないまま、しかし気が付けばいつの間にか眠ってしまうのだから不思議で仕方がなかったリリー。
だがそのお陰もあってか今の所自身の心根にある強迫観念が一切顔を出していない。これは知らず知らずのうちに癒されているのか、別の刺激に上書きされているのか。その答えはいくら考えても出てこない。
それより今は残り1ヶ月強を異国の地でどう過ごすかが重要だ。ヴァッツをかなり気に入っているであろうネヴラディンとの距離を取る為に自分は何が出来るのか?
考えるのがあまり得意ではないリリーは必死で導き出した答え。それが別の人間との交流を希望するというものだった。

「うーん。申し訳ございません。何ゆえ不勉強なもので、よろしければ紙などに書いて説明していただけますか?」

その中で彼女が選んだのは文官達だ。国の政に関わる彼らから話を聞き、その内政事情を持ち帰れば十分な手柄にもなるはずだと考えたからだ。
「ははは。これは失礼しました。私の説明が不親切でしたな。ではこちらに詳しく書き記しましょう。」
相手もリリーの美しい容姿から放たれる可愛らしい仕草を目の当たりにするとつい鼻の下を伸ばしながら自国の情報をぽろぽろと漏らしてしまう。
今までやった事のない立ち回りに少し不安だったがこうも上手くいくとは思っていなかった。気が付けば文官達から手に入れた覚書は数十枚に膨れ上がっている。
ただ、とぼける振りはしていたものの本当によく理解出来なかったのも事実だ。一緒に座っているヴァッツなどは更にわかっていないだろう。なのに文官達を招いて話を聞きたいというリリーの意見を素直に聞き入れてくれたのだ。

感謝は当然として何か彼にお礼をしなくてはならないなと考えながら昼食をとっていると遂にネヴラディンからの呼び出しが掛けられた。



これには大いに心当たりがある。城下に出た日から一週間以上、ネヴラディンとはまともに顔を合わせていないのだ。相手はヴァッツと親密になりたいのにリリーが悉く邪魔をしているので痺れを切らしたといったところだろう。
しかしここで素直に従う訳にはいかない。
「その呼び出しには私もご一緒させていただきます。」
許婚という立場を存分に利用してヴァッツの傍から離れない立ち回りを続けるリリー。素直すぎる少年に妙な事を吹き込まれてはスラヴォフィルにも申し訳が立たない。
(ここは敵国であり、あたしから見ても呪われた地。これ以上奴らの好きにはさせない!)
自分の忌々しい過去やハルカが重傷を負った記憶などが彼女をより強く奮起させるも特に反対される事無く2人はそのまま指定の部屋へと案内されたので大いに肩透かしを食らう。

問題はその後だった。

通された場所は大きな会議場であり一度は見たことのある重臣達が難しい顔をして座っている。ヴァッツは上座のすぐ隣という位置に、リリーはその後ろで控える事が許された。
それから間もなくネヴラディンが普段と変わらない様子で姿を現すと全員が起立して深く頭を下げる。
驚いた事にヴァッツも見よう見まねでそれをやったのだからリリーは一瞬気が遠くなった。いつの間にか彼は自分が思っていた以上にネヴラディンという風に当てられていたのかと。
当然その様子を見たネヴラディンは非常にご満悦な表情だ。もし背中にいつもの大剣があれば叩っ斬ってやるのに・・・と、怒りを抑え込んでいるとすぐに会議は始まる。

「諸君の働きは全て私の耳に届いている。まずは感謝を述べよう。」

その発言に重臣達がまた深く頭を下げる。独裁国家の王が臣下を労うような言葉を投げかけた事に違和感で体がむず痒くなったリリーは思わず周囲を凝視する。
恐らくこれもヴァッツの心証を狙っての演出に違いない。そう捉えていたが重臣達は思いのほかけろりとしている。全員がとても自然体で本当にいつも行われているやり取りのような・・・
一人だけ疑心暗鬼に陥るリリーをよそに会議は始まり、その議題は何も聞かされていないのか誰も発言する事はなかったがネヴラディンが懐に手を入れて何やら書状らしきものを取り出して目を通した。
そこでやっと独裁者らしい不敵且つ陰湿な笑みを浮かべたのでリリーは内心とても喜んでしまったが彼は特に気にする様子もなくそれを四角い盆に置くと時計回りで重臣達の手元に送られていく。
各々が作る様々な表情を見るに、どうも全員の感情は激しい怒りで染め上げられているらしい。
一体何が書かれているのだろう?気になったもののヴァッツは国王の右前に座っていた為それが手元に届くのは一番最後だった。
やっと巡ってきた書状をリリーも遠目で覗き込むが見たことのない名前と『ジグラト』の国名くらいしかわからなかった。
(一体どんな内容なんだろ?)
一巡して再びネヴィラディンの手元に戻った後、重臣の1人が勢いよく立ち上がるといきなり怒声に近い大声で強く批判を始める。
「国王様!!これは我が国への宣戦布告に他なりません!!今すぐ攻め入るべきかと!!」
(・・・えええ?!いきなりそんな?!)
他でもない重臣の1人が怒り狂うとは思ってもみなかったのでよりその内容が気になりだしたリリーはそわそわとする。
独裁国家で行われる政治など独裁者である国王が周囲に怒鳴り散らすくらいしか想像していなかった為、この光景には大いに驚かされた。
「ふっふっふ。『ジグラト』からの召集令状。非常に趣向の凝った内容。確かに少し前の私ならその道を選んだだろう。」
逆に国王はとても落ち着き払った様子でむしろ心にかなりの余裕をもっているのか、書状をぽんぽんと手の平で軽く叩きながら笑みを浮かべて周囲を見渡している。
「何々?面白いの?」
目を通したはずのヴァッツは意味が理解出来ていないようで小首を傾げながら尋ね出す。その様子を見て更に深く笑い出した為リリーを含めて全員がネヴラディンに様々な視線を向けていたが。
「ええ。これはとても面白い書状です。何せ他国の最高責任者を呼びつける内容ですからね。送り主である『ジグラト』の規模や外交能力、いや、これは常識の分野ですな。それらを本人がしっかりと弁えていれば絶対に出来ない奇行です。」
「へーー・・・」
生返事なところをみると彼はよく理解出来ていないらしい。

「内容はあとで詳しくご説明します。さて諸君、この招待を私は受ける。」

この時のリリーにはさっぱりわからなかったがネヴラディンがきっぱりと断言した事で重臣達は口を開けて驚愕したまま固まってしまった。





 翌日、リリーとヴァッツはネヴラディンの用意した馬車に乗って南の『ジグラト』へ出立していた。
「一番の馬を用意してますからな。2週間もかからず到着するでしょう。」
理由は昨日の会議で持ち上げられていた『ジグラト』からの書状だ。その内容は国王自らを呼びつけるものであり今後『ジグラト』へ毎年貢納するようにといったものだ。
更に宛名が王妃だという点で国に仕える者達からすれば到底看過出来ない酷いものだった。
「現在代理とはいえヴァッツ様は我が国の大将軍であらせられる。そこにきてこの書状は私にとって非常に都合が良い。」
馬車内ではとてもご満悦なネヴラディンが笑みを絶やす事無くすらすらと自身の心境とこれからについて説明してくれる。
その様子が逆に怖かったがあまり察しのよくないリリーと無知なヴァッツは少しでも詳しい情報を聞き出しておくべきだろう。
「あ、あの、これから私達はどうすればよろしいのですか?」
リリーが珍しく恐る恐る尋ねると歯を見せてにこっと笑いかけてきたネヴラディンに鳥肌が立つ。
「はい。どうも周辺国全てに似た書状を送りつけているようなので全員が集まった所にヴァッツ様の御力で『ジグラト』を始め全ての国に我が『リングストン』の圧力をかけてもらいます。」
「・・・なるほど・・・」
圧力、つまりは脅しか。だがそんな事をヴァッツが快く引き受ける訳が無い。この男は未だ彼を理解出来ていないんだなと少し安心するリリー。
「ちなみにこれは私の国王としての命令です。ヴァッツ様、しっかりとこなしていただきますよ?」

「うん!やっと役に立てるんだね?!いやー何もしてこなかったからちょっと不安だったんだ。オレ頑張るよ!!」

(・・・・・えぇぇぇぇぇえええ?!)
いや、考えてみれば確かにそうだ。『リングストン』に招かれて以来こちらは完全に来賓として扱われてきた。本来の目的はラカンの後継が決まるまでの間、代理の大将軍として招聘されていたはずなのにだ。
素直なヴァッツはそれを良しとしていなかったのだろう。だから今回やっと呼ばれた目的を果たせそうだと張り切っているのだ。

(・・・なんて事だ。ヴァッツ様を理解出来ていなかったのはあたしだったんだ・・・)

だが彼は自身の周囲に危害を及ぼす存在にしか力を振るわない。こちらから相手に圧力をかけるなど絶対にしないはずだ・・・多分・・・
前向きに考えようとしつつもヴァッツとネヴラディンがお互い心の底から笑顔で話し合っているのを見せ付けられると一度生まれた不安はどんどんと大きくなっていく。
(不味い。これは不味いぞ。なんとしてでも無為な力の誇示だけは止めないと。)
国王の命令と明言された今、ヴァッツに何を指示するつもりなのかは知らないが時と場合によっては命を賭けねばならないかもしれない。

死を覚悟したリリーは無意識のうちに隣に座るヴァッツの腕をぎゅっと抱きしめるとそのまま体を預けて心の安定を求めていた。

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