闇を統べる者

吉岡我龍

旅は道連れ -刺客-

 『ボラムス』から西へ向かう途中、トロクが襲ったであろう集落の凄惨な光景を馬上から目の当たりにした2人は息をのんだ。
激しく損壊した死体は男や老人がほとんどでそれらは無造作に転がっている。安易な家屋は軒並みつぶされていて未だに立ち上っている黒煙が彼らの鼻孔をきゅっと締め付けてきた。
自身の国が襲われた時もそれを目にすることがなかったので生まれて初めて襲撃を受けた後を眺めていたクレイスは心の中で激しい憤りと虚しさを噛みしめている。
「あの男、トロクといいましたね。今度会ったら容赦なく叩き殺します。」
前に座るイルフォシアが冷酷に言い放つが出来れば彼女の手は汚れた血で染めてほしくはない。昨日の戦いぶりを思い返すにクレイスももう少し力をつければ奴を討ち取るくらいにはなれるはずだ。
この時無言でうなずく事しか出来なかったがまた1つ、強くなる為の理由を胸に彼らは廃墟を後にした。



だがイルフォシアは『ボラムス』の領域を出た後も機嫌が悪いままだった。
「まだ近くにいるかもしれません。ちょっと私だけ上空からついていきますね。」
確かに空から見下ろせば広範囲を見渡せるが今の2人は立場上目立つ行動を控えるべきだ。何とか説得しようと試みるも折り合いをつけるのが難しく、午後にはお互いが短時間の交代制で空に上がるという条件でやっと話を決める。
現在馬を走らせている場所は『シャリーゼ』とロークスを結ぶ大街道の為、整地はされているものの周囲は背丈の高い木々がうっそうと茂っている。
(いくら空から見下ろしたところで木陰に入られればどうしようもないな・・・)
自分の番になったのでクレイスは独自の飛空練習を兼ねながら人影らしきものを探していると、

「・・・やはり相当な魔術を使えるようだな。」

こんな場所で声を掛けられるとは思ってもみなかったので気が乱れて一瞬空から落ちそうになる。慌てて振り向くとそこには非常に凝った衣装を身に纏った長いくせ毛の男が冷たい視線を向けてきていた。
「貴方は・・・確か4将筆頭のバルバロッサ様ですね?」
何度か見たことのある男を前に自分が何故国外追放になったのかをより強く理解しながら念の為にこちらから尋ねる。『ネ=ウィン』はこの時を待っていたのだ。周囲に邪魔されずクレイスと接触できる機会を。
「・・・うむ。皆まで言わずともわかるだろうが、お前を確かめに来た。」
「・・・・・(あれ?)」
てっきり自分の命を奪うか2年前のように身柄を攫いに来たものだとばかり思っていたが確かめるという言葉は想定外だ。
ただ穏便に話し合いをしに来たという訳でもないはずだ。昔の気弱だったクレイスならいざ知らず今の彼はここでおめおめと相手の言いなりになる程臆病ではない。
相手は『ネ=ウィン』の4将筆頭、あのクンシェオルトやカーチフと同じ強さだと国から認められている存在。それを相手にどこまで戦えるのかはわからないが自分には魔術もある。
トロクの件もあるしもし戦いに発展するのであれば少しでもいい。自分の力を試してみようと心に決めるとクレイスは静かに腰の剣を抜いて構えた。



だがこの時の彼は致命的な見落としをしていたのを直後に気が付かされるのであった。





 「・・・ほう?魔術を展開しながらこの私と剣で戦うのか?」
バルバロッサは相変わらず静かにこちらを見据えていた。というよりも彼からは殺意や怒気が感じられない。しかし確かめるという発言だけはしていた。何かを仕掛けてくるはずなのだ。
警戒するクレイスをよそに相手は観察しているような視線を黙って向けてくる。
(・・・どうしよう?僕から仕掛けた方がいいのかな・・・?)
考えてみれば今まで自分から積極的に相手へ切り込んだ経験というのはほぼ無い。オスローを打ち負かした時も防御を固めつつ反撃を繰り出して勝利した形だった。
ましてや魔術師を相手に戦うなど知識も経験もなかったクレイスはやっと自分の無謀さに気が付くもバルバロッサが見逃してくれる事はなく。

「・・・では私から仕掛けてやろう。見事に凌いでみるがよい。」

逃げようとした矢先にそう宣言すると彼の周囲にまるでウンディーネのように火球が数十と一斉に姿を現してから間髪入れずにそれを打ち出してきた。
この火球も見たのは数回であり基本的な攻撃魔術らしいがクレイスからすればザラールのそれを両手で受けた時以来の邂逅だ。
魔力の消耗が激しいのであまり使いたくはないがその数は20を超えている。仕方がないので左手をかざして水の盾を展開しながら躱せそうな攻撃と受ける攻撃を見定めつつ対応すると、
「おお・・・クレイス王子。お前は私が思っていた以上の逸材らしいな。」
非常に驚きながらもうれしそうに褒めたたえてくれるバルバロッサ。だがこちらは火球を受けた盾に若干の違和感を覚えて冷や汗を流していた。
(・・・威力が強いのか・・・?防ぎきれていない気がする・・・)
今までどのような攻撃もこれで凌いできただけに左手の甲に走る痺れが目の前にいる男の強さを再認識させ始める。やはり無謀過ぎたか・・・と。

「・・・ではこっちを試してみよう。」

試すという言葉からバルバロッサも本気ではない事を示唆している。あくまで命を取るつもりはないらしくこちらの強さを確認したいらしい。
ならば今度は隙を見て木々の中へ逃げ込もう。情けない話ではあるが命あっての物種であり、ショウや父、ガゼルも自分の無事を祈ってくれていたのだから意地を張る必要はないのだ。

ばちぃっん!!!!!!

にらみ合う時間の後ゆっくりとかざした右腕から妙な炸裂音と共にまばゆい光が放たれた。何が起こったのか全く見えなかったがとっさの判断で水の盾を構えた事によって直撃は避けられたらしい。
だが、
「っ?!」
クレイスの左手の甲に走ったのは火傷のような裂傷。後から襲ってくる激しい痛みに冷や汗から脂汗へと変化するも盾を消失させる事もなく構えを崩さずにバルバロッサを睨みつける。
「クレイス様っ?!?!」
かなりの上空で戦っていた2人だが流石にあの炸裂音は地上のイルフォシアにも届いたらしい。慌てて翼を顕現させたせいで衣装を破損させながらも一瞬で2人の間に入って長刀を構えてくる。
「・・・これはこれは。イルフォシア様までご一緒だったとは。よろしければ『ネ=ウィン』までご一緒していただけますか?我が皇子が首を長くしてお待ちしてますぞ。」
恭しく頭を下げたバルバロッサは戦う姿勢を消し去って外交官へと変化させた。とりあえず命は助かりそうだが彼は一体何を考えているのだろう?
あんな派手な音さえ立てなければクレイスを攫う事が出来ていたかもしれないのに・・・。
「でしたらこうお伝え下さい。私は私の意思で添い遂げる相手を選びます。そしてそれは貴方では決して無いと。」
「・・・わかりました。今はそうだとお伝えしておきましょう。」
実に都合よく解釈したバルバロッサは再び頭を深く下げた後そのまま南東の空へと帰っていく。
交渉にしては杜撰だし命を取りに来る気概は全く感じられない。危機から脱したクレイスは本当に何だったんだろうと小首をかしげながら2人で馬上に戻ると、
「クレイス様?!その左手は?!」
イルフォシアの取り乱すような声を聞いてやっと自分が圧倒的な力量差があったのだと痛感しながら大人しく彼女の手当てを受け始めた。





 彼女曰く、クレイスの怪我は火傷のように見えるという。だが火球を受けた記憶はないし水の盾もある程度は機能していたはずだ。
「恐らくあの光った魔術で受けた傷だと思うんですけど・・・」
疼痛は続いていたものの、隣で座って心配そうにこちらを見つめてくるイルフォシアのせいでクレイスの体は痛みも思考も働いていない。
「魔術でこのような傷が出来るなんて・・・ああ、こんな事ならもっと姉さんにお話を聞いておくべきでした。」
彼女の姉アルヴィーヌは『孤高』の1人である『魔王』ザラールすら感服させる程の魔術を扱う。これはイルフォシアに限った事ではなくクレイスも彼女からもっと教えを乞うてもよかったかもしれない。
(もし無事に『トリスト』へ戻れたら今度は頼んでみよう。)
国外追放になってからまだ2週間も経っていないのに立て続けに事件は起き、そしてそれら全てが自分の力不足を痛感させるものばかりだ。
あれだけ真剣に修業していたのにクレイスが思っていた程力をつけられていなかった事にやや落胆するも、今の彼はそれを楔と変えて心にしっかりと打ち込んでいく。

もっとだ。もっと強くならないと。

王位を失った今の自分に出来る事といえばイルフォシアを命に代えても守り通すことくらいだ。この旅で彼は何よりもそれを念頭に掲げている。
もちろん友人や父との約束も忘れた訳ではないがもし彼女の身に何かあれば自分1人が生き残ったところで何の意味もない、というのが紛れもない本心だった。
「クレイス様、またバルバロッサが現れたら今度は迷うことなく私を呼びつけてくださいね?」
焚火の炎で赤を纏ったイルフォシアがこちらを伺うように言ってくれるがいつまでもそれだと格好がつかない。せめてこの旅の中で大好きな娘くらい護れる強さは手に入れたい。
「はい。その時はよろしくお願いします。」
だがそれを口に出すとまたイルフォシアに余計な心配をさせてしまう。なので今はこう言っておこう。
元服を迎えたからか、眠っていた気持ちが呼び起されたのか、13歳になって自分を見つめ直す機会が多くなったクレイスはイルフォシアを安心させるとその日は2人で寄り添うように眠りにつくのだった。



翌日はイルフォシアのみ時折空に上がって周囲を見渡してはいたが目立った情報を得ることは出来なかった。
バルバロッサも姿を現す事もなく、2人は無事に『シャリーゼ』領内の街道を北上する。このまま進めば港街シアヌークだ。
懐かしさと共にクレイスは2年前、小さな村で起きた事件を思い返しながら辺りを見渡していた。思えばあの時に生まれて初めて本当の恐怖を味わったのだ。敵は『ユリアン』教の騎士団だったが今は教団ごと壊滅したという。
(今ならもっと戦えるかもしれない。)
そんな物騒な願望を心に止めつつ見えてきた村をイルフォシアに軽く説明しながら近づいていく。

「・・・あ!貴方は以前ショウ様と一緒におられた・・・!」

すると村人の1人から驚いたような、そしてすがるような声を上げると周囲の民家から一斉に人が飛び出してきて馬上の2人を囲み始めたのだ。
正直2年前は本当に足手まといでしかなかったのでよく自分の事なんかを覚えててくれたなぁと内心嬉しく思っていたのだがどうにも彼らの様子がおかしい。
「クレイス様。これは一体・・・」
イルフォシアも恐怖で顔をゆがめている村人達をみて驚いている。そうなのだ。まるで自分達を待っていたといわんばかりの狂喜っぷりだ。
「皆さん大変お久しぶりです!あの、僕達は訳あって旅をしている最中なのですが何かありましたか?」
国外追放や一緒にいる少女が王女という部分を隠しつつ、クレイスは誰にでもなく大きな声で尋ねると一瞬静寂が間を支配する。
「なんと・・・我々が本国へ再三送った救援要請に応えて来てくれた訳ではないのですか?」
それから以前新しく村長になっていた人物が姿を見せると要領の得ない答えが帰って来たので2人はただ黙って顔を見合わせるのだった。





 この村はまたも未曾有の危機に陥っているらしい。袖すり合うも他生の縁という。何より役立たずな自分なんかを覚えていてくれた事が本当に嬉しかったクレイスはまず話を聞きたいと申し出て村長の家に案内される。
「確かクレイス様と仰いましたな。私はこのサヴィロイの村で長を務めるサジュウと申します。」
2年越しで知った村と村長の名を心に刻むと同席していたイルフォシアと共に彼らの話を聞き始める。

あれから村の復興は半年ほどで完了し、新たな開墾地や余るほどの木材を加工して非常に潤った生活を送っていたある日それは起こった。
『シャリーゼ』と女王の陥落だ。
ここは王都から一番といっていいほど離れている為影響も情報もかなり遅くに届いたらしいがそこから何十人かがこの村に避難してきた。
ヴァッツのお陰で余裕のあったサヴィロイの村人は彼らを歓迎し、衣食住も問題なく提供する事が出来た。
しかし3ヶ月ほど前から村人が次々と変死体になっていく事件が発生していたのだ。すでに15人の犠牲者が出ておりそれは今も尚続いているという。

「全身の血が奪われていてまるで干物のように・・・なので我らは『シャリーゼ』の中央に何度も衛兵を寄越すよう願い出ていたのですが一向に音沙汰がなくて・・・。」

変死体という聞きなれない言葉に黙って聞いていたクレイスも身の毛がよだつ。人体から血を奪う・・・何だろう?動脈を深く斬れば可能なのだろうか?
戦いにおいて勝敗しか考えた事のなかった彼にとって遺体の状態というのは未知の考察情報だ。そもそも血を奪って何をしようというのか。
「サジュウ様、その変死体というのは残っていますか?調べてみたいのですが。」
だが隣に座っていたイルフォシアは臆する事無く原因究明へ向けての発言をする。確かに死体を調べれば死因が掴めるかもしれないがもう少し躊躇してくれないと1人で怯えている自分がより矮小に感じてしまう。
「どうぞ。多少腐敗は進んでいますが一週間ほど前の犠牲者が離れに安置されています。」
村長はイルフォシアの反応に感情を抑えつつ静かに答えてくれたが事件を調べてくれそうだと内心とても喜んでいるのをクレイスは感じていた。
流石にここで彼女1人だけを行かせる訳にもいかず、イルフォシアとサジュウが席を立つと続いて自身もゆっくりと立ち上がる。
3人が小さな離れまでやってきて扉を開けると確かに死体が安置されているはずなのにそれほど臭いがしない。
「・・・なるほど。本当に干物のようですね。」
イルフォシアは奥に寝かされている骨と皮だけの死体を見て嘆息を漏らしながら近づいていくと一周してからその体に触れ始める。
ここで尻込みする訳にもいかないクレイスも頑張って近づいてはみたがあまりにも変わり果てた人体に思わず目を背けたくなった。しかし、
「クレイス様、ここ、脇の近くと首筋に僅かな刺し傷が。」
真剣に検死していたイルフォシアに死因らしき存在を教えられたので平常心を装いながらそれに目をやる。
「・・・え?こんな小さな傷・・・が?」
しかしあまりにも意外な光景にやっと変死体のおぞましさから脱却すると今度はその死因に思考を巡らせ始めたクレイス。
干からびている事でより小さく見える傷跡。見たところ短剣か小剣か、いや、もしかすると針のような武器で突き刺されたのかもしれない。
ただしこれが致命傷になりえるのだろうか?そもそもこんな傷で全身の血が無くなるほど出血するだろうか?
思っていた以上の怪事件に2人が顔を見合わせる中、
「犠牲者は働き盛りの男勢がほとんどです。お願いします。どうかこの殺人鬼を捕まえて・・・何なら殺して下さい。」

村長の悲痛な願いを聞き届けたクレイスとイルフォシアはとりあえず村中の人間達に意見を聞いて回る事から始めるのだった。





 まさか国外追放中にこんな事になるとは・・・『ネ=ウィン』からの刺客であるバルバロッサの影を気にしつつもクレイスは村の情報を整理していた。
といっても犠牲者の共通点が働き盛りの男勢くらいしか浮かび上がってこない。友人関係だとか親族では繋がりが見えてこないのだ。
更に遺体には血痕すら残っておらず本当に血液だけが煙のように消えているという点が不可思議で仕方がないという。
「・・・やっぱり外部の人間かしら。異能の力も持たない彼らが出来る芸当とは思えません。」
イルフォシアは犯人像を絞り込もうと秘密裏に身体能力の高い村人達を洗い出していたようだが、この線ではないだろうと結論づけている。
そうなればかなり厄介だ。何せどういった狙いで村人を殺しているのか、その理由すらわからないのだから対処のしようがない。
現在100人近くいる村人らを四六時中見守る訳にもいかず、クレイスも自身が出来る内容として全員から話を聞く事を目標に動いていた。

そんな中ある家に出向いた2人は他と違う造りに一瞬だけ違和感を覚える。原因は翼の生えた小さな男性像が飾られている部分だ。
『シャリーゼ』では国教として扱われているセイラム教の神父が住んでいるのだろう。
(・・・もしかしてイルフォシア様と関係あるのかな?)
彼女達双子はセイラムと名乗る男から授かったという話はスラヴォフィルから聞いていたし、『トリスト』もセイラム教を国教として定めていたからこそ翼を持つ王女姉妹を必要以上に崇拝するような風潮があった。
ただ目の前に現れた男がセイラム教の御神体かどうかまではわかっておらず、現在確定している事といえば彼女達が『天族』という戦いに特化した種族だということだけだ。
「ようこそいらっしゃいました。ささ、どうぞどうぞ。」
出迎えてくれたのは非常に優しそうな男性で他の村人とは違い神父らしい礼服に身を包んでいる。茶色の髪を短く整えて身だしなみにも十分気を使える男らしい。
クレイスの母国はバーン教を崇めていた為未だにセイラム教というものを詳しくは知らないのだがそこは隣にいるイルフォシアが弁えている。何かあれば彼女に助けを乞えばいいだろう。
「私はウラーヘヴと申します。『シャリーゼ』が陥落した時に他の方々とこの村に非難してきた1人でして。」
神父は自己紹介と共に現在起きている連続猟奇殺人と自身の立場からの考察などを話してくれる。
「私も犠牲者達に近い年齢の男です。次は自分なんじゃないかと思うと気が休まらなくもなり・・・ははは。お恥ずかしい話でして。」
言われてみれば彼も三十路を過ぎた頃だろう。年齢だけで考えればいつ彼が襲われてもおかしくはない。
それから炊事場の方に軽く手招きをするといつからいたのか。父と同じ茶色の髪をした少女がおどおどとした様子でゆっくりと顔を覗かせてきたと思えば瞬く間にまた姿を隠す。
「妻は『シャリーゼ』襲撃の犠牲になってしまい、今は男手一つで娘を育てていかねばなりません。私が死んだらあの娘は・・・」

「あの、娘さんのお名前は?」

不意にクレイスがそちらに興味を持ったのが意外だったらしい。隣にいたイルフォシアまでもが目を丸くしていたがあの娘の行動、あれは非常に身に覚えがある。そう、まるで以前の自分そのものだ。
自信が無くて他人とどう接すればいいのかわからないので親の影にかくれておどおどとする。自分の生き写しが現れたかのような錯覚に囚われたクレイスは純粋に興味を惹かれて深く考える事なく尋ねただけなのだが。
「ルサナと申します。ほら、クレイス様とイルフォシア様にご挨拶しなさい。」
父に言われておずおずと姿を現したルサナが俯き気味にこちらをちらりと見ながら小さな声で自分の名前と恐らく挨拶の言葉を発したのだろう。またも物陰に隠れていったのでクレイスは懐かしさに思わず頬が緩む。
「もし私に何かあれば・・・クレイス様、ルサナをよろしくお願い致します。」
そんなクレイスをとても好意的に感じたらしいウラーヘヴはまるで娘を嫁がせるかのような発言をするので非常に恐縮して思わず頭を深く下げてしまう。
この時もう少し隣に座っていたイルフォシアに気を配っていれば後々面倒事にはならなかったのだがこればかりは後の祭りだ。

神父という立場からの観点と情報を教わりつつ、その日は晩御飯までご馳走になるとあっという間に夜は更けていった。


クレイス達は食事を戴いた後2人で寒空を歩きながら貸し与えられている家屋へと向かっていた。
「クレイス様、随分ルサナ様の事を気にかけておられましたね?」
すると月明かりと冷たい空気でその美しさに一層輝きを増しながらも少し硬い表情のイルフォシアがこちらに尋ねてくる。
過去に見た覚えのない様子にこちらまで少し緊張するが、ふと食事の時も彼女の口数がとても少なかったのも思い出す。
「え?あ、はい。そうですね。ルサナは何というかその・・・放っておけないというか。」
彼女の言葉に隠された意図などに気がつけるはずもなく気恥ずかしい気持ちが強かったクレイスは本心を隠したまま答えると、
「ふーーーーーーーん・・・?」
今度はイルフォシアが今までにないほど顔を近づけてきてこちらの表情を覗き込んでくるではないか。
酒を出された訳でも呑んだ訳でもないのにこの酔狂な行動は一体どうしたのだろう?ただその可愛くも美しい顔が目の前にあってそれを独り占め出来ている今の時間がとても幸せだ。
このまま時が止まればいいのに、と本気で考えていたがクレイスの幸せな気持ちとは裏腹にイルフォシアは内心とても怒っていたのだがこの日それに気が付くことはなかった。





 急ぐ旅でもなかったし自分達が滞在する事で犯罪の抑制に繋がっているのならそれも悪くないだろう。
クレイス達がサヴィロイの村に来て2週間、新たな犠牲者が出ることもなくイルフォシアと小さいながらも家屋での2人暮らしはまたも彼の思考と心を弛緩させていく。
だが最近はクレイスがそんな甘い夢を妄想しているのを見抜くかのようにイルフォシアがじっとこちらを観察するような視線を送ってくる時がある。
今も朝食を戴く最中に食卓を挟んで座っているのだが彼女は料理を口に運ぶよりもそれに時間を費やしていたのでこちらも食事がなかなか喉を通らない。
「あの、イルフォシア様、もしかしてお味にご不満でも?」
旅を始めてから全ての料理を手がけていた上に彼女が口にするのだ。いつも最良の食事を用意しているはずなのでそんな事はないはずだがそれくらいしか話題が出てこない。
「いいえ。」
イルフォシアは短く答えると黙って食事を再開する。
「では私は神父様のお話を聞いてきますね。クレイス様は他の所をお願いします。」
食べ終えたイルフォシアは後片付けの後、身支度を整えると早々に家を後にする。彼女がセイラム教徒だからだろうか。ここの所毎日あの親子の家に足を運んでいるのだ。
クレイスも全ての村人と面識は持っていたので軽く村内を巡回して何事も無ければイルフォシアがいるであろう神父の家に向かうのだが。

「ようこそクレイス様。」

ここは働き手以外の村人達が引っ切り無しに出入りしていて今日も忙しそうだ。それもそのはず、彼らにとって出来る事といえば神に祈りを奉げるか力ある者を頼るくらいしかないのだ。
イルフォシアも神父の手伝いが板についてきたらしく、村人達が感謝を述べるとそれぞれに微笑を返すくらいの余裕はあるようだった。
なのに娘であるルサナは相変わらず奥に引きこもっているらしい。いや、時々顔を覗かせてはいるのだがそれは来客がいなくなったかどうかを確認する為だ。
誰かが居ればまた引っ込むその姿、父と子という親子関係は本当に自分と重なって映ってしまい、ついつい構いたくなるのだが。
「クレイス様、村の様子はいかがでしたか?」
そういう時に限っていつもイルフォシアが声を掛けてくる。
当然そちらが最優先なのでその報告を終えてからほんの少しだけルサナと接する時間が生まれるのだが彼女から話をしてくる事は無く、イルフォシアにしたような村の様子を簡潔に伝える事と安心させるように優しい言葉を一言二言投げかけるだけのやりとり。
それを聞いて彼女の表情にうっすらと安堵が浮かぶのを見て取れたクレイスも顔をほころばせる。すると何故かイルフォシアがこちらを食い入るように見入ってくるのだからよくわからない。
(恐らくイルフォシア様と年が近いはず。だったら是非お友達になってもらえれば・・・)
ルサナの心配からそんな事を考えたりもするがこればかりは本人達の問題だ。更にイルフォシアは家出中とはいえ王女、クレイスのように一切相手の身分などを気にしない人間ならいざ知らず普通は身分違いから双方が敬遠するところだろう。
「ささ、我々もお昼をいただきましょう。」
参拝客がひと段落すんだところにウラーヘヴが簡単な昼食を用意してくれたので4人が卓を囲んで座る。調べによると犠牲者の多くは夕方から明け方に発見されており、日中は比較的安全だろうというのが皆の認識だった。
相変わらず目的だけは見当がつかないままだったがそれでもクレイス達がショウの友人であるという事実が彼らの心に僅かながら安寧を与えていたお陰か村には少しずつ活気が戻ってきているという。
「何とか期待には応えたいのですが・・・」
腕に多少の自信は出てきていたものの果たしてクレイスで太刀打ち出来るのか。犠牲者はすべからく首筋と胸に刺し傷があった為その背丈は推定でもクレイス以上だろう。
となれば立ち会った場合間合いから不利な状況だ。いくら魔術を使えるといえどあまりにも全容が掴めない相手に以前の自分が顔を出しそうになるが視界にルサナが入ってくると無意識に背筋を伸ばして微笑みかける。
(僕の周りに居た将軍や文官達もこんな気持ちだったんだろうなぁ・・・)
改めて何もしてこなかった自分と臆病な王子の為に周囲がどれほど気をかけてくれていたかに気づかされるクレイス。
「お二人はまだまだ若い。そのお気持ちはうれしいですが無理だけはなさらないで下さい。」
神父らしい言葉に励まされるも今まで散々甘えて与えられて生きてきたのだ。これからはそれを返していきたい。

昼食を終えてから2人は彼らの家を後にすると今度は男衆の仕事場に足を運ぶ。そこで日が暮れるまで周囲を警戒してクレイス達の一日が終わるのだ。

そして今日は招かれざる客がやってきた事で彼らの安寧が音を立てて崩れるのだった。





 『ネ=ウィン』4将筆頭バルバロッサがいきなり空から降りてきたので周囲は驚いていたがクレイスは静かに息を整えると彼に話しかけた。
「バルバロッサ様、ここは『シャリーゼ』の領内。貴方も騒ぎを起こすと問題なのでは?」
もし彼が現れたらと考えていた切り替えしで追い返そうと試みる。現在復興の最中であり以前の商業国家は見る影もないがそれでも『ネ=ウィン』とは同盟関係だ。
むやみやたらに戦火を熾すと必ず不利益が生じるに違いないはずだというのがクレイスの導き出した答えなのだが。
「・・・国外追放を受けた流れ者を回収したところで『シャリーゼ』に迷惑がかかるとも思えんがな。」
言われてから自分の状況がすっぽり抜け落ちていた事を深く反省するクレイス。これはまた戦うしかないか・・・いや、戦いになるのか?と悩みを交えつつ闘志を灯し始めた時。

「バルバロッサ様。今日は私がお相手致します。」

少し離れた場所で巡回していたイルフォシアが風のように姿を現したので村人達も驚く。翼を顕現していない所をみると冷静さは保てているようだ。
「残念ですがイルフォシア様と戦う許可を得ておりません。」
しかし4将筆頭は恭しく頭を下げながらその申し出を丁重に断る。という事は逆にクレイスとは自由に戦える許可をもらっているのか。
すぐに思い浮かんだのは嬲り殺すという線だがそれにしても彼は日中から堂々と姿を現す。前回もそうだ。
イルフォシアと一緒にいるのがわかっているのだからせめてクレイスが1人の時に接触してくればいいのにと不思議に思っていたので、
「・・・貴方の目的は何ですか?」
周囲の村人も警戒して距離を取るのを確認するといつでも戦えるよう構えながら尋ねてみた。
立場上仕方がないとはいえ、いつ襲われるかわからないまま旅を続けるもの気が滅入る。ならばいっそのことその理由をしっかりと教えて欲しい。
もちろんこれはクレイス側からの我侭に過ぎず、それを彼が教える道理は何もないのだがバルバロッサは静かに口を開くと、
「・・・1つだけ教えてやろう。私はお前の魔術に興味がある。だからお前と戦いたい。それだけだ。」
まるでカズキみたいな言い分に眉を顰めるクレイス。仮にも将軍である男がそんな直情的な理由で戦いを求めるもの・・・か?いや、相手は戦闘国家の人間だ。十分に有り得る理由なのかもしれない。
静かに体を移動させて隣にやってきたイルフォシアを尻目にバルバロッサはこちらの心情を読み取ったのか静かに目を伏せて、

「・・・クレイス。お前は魔術師と戦った事はあるか?」

意外な質問に言葉が詰まる。戦う・・・最初に思い浮かんだのは魔術の師であるザラールだが彼とは訓練内でも戦ったことはなかった。
更にウンディーネやアルヴィーヌといった面々が脳裏によぎるも魔術を交えた記憶はない。

「いえ、恐らく貴方が初めてです。」

意外な質問と自分の中にあった意外な答え。それが素直に心まで届いたクレイスは駆け引きなど微塵も考える事無く思ったままを口にする。
するとバルバロッサは軽く頷いて話を続ける。
「・・・私もそうだ。いや、正確には我が国の優秀な魔術師達と立会いはした。だがそれらは全て私が持つ知識を使った者達だ。」
これは武術に置き換えると流派が同じだといいたいのだろう。普段から無口なのか、言葉をゆっくりと選びながら綴る彼は更に自身の意見を述べる。
「・・・だからお前なのだ。お前は私の知らない魔術を使う。それを確かめ、そして感じたいのだ。」
「・・・・・」
4将筆頭という立場の大魔術師ですらそうなのかと軽い感動を覚えたクレイスは息を呑む。そしてこの話は自分にとっても悪くないのだと感じてしまったのが不味かった。
「・・・お前はどうだ?魔術師と戦いたくはないか?お前の知らない術を持つこの私と。」
「・・・・・戦いたいです。」
「クレイス様っ?!?!」
隣で2人のやり取りを黙って聞いていたイルフォシアが叱りつけるように名を呼んだがクレイスは強くなりたい。強さが欲しいのだ。
ましてや相手は敵国の最上級。これを断る理由は・・・冷静に考えればいくらでもあるのだが今のクレイスにそれは届かない。
「・・・決まりだな。イルフォシア様、これは我らの立会い、邪魔立ては無用でお願い致します。」
前回は訳の分からないまま手傷だけを負わされた。今度はこちらから納得の行く立ち回りをしよう。してみせる。
迷いを払拭し一気に闘志を湧き立たせ始めたクレイスを悲しげな目で見つめるイルフォシアは短く嘆息を漏らすと静かに2人から距離を離した。





 サヴィロイの村を襲う殺人犯を見つけ出す。そんな目的があったような気がする。だが今のクレイスは眼前の敵と戦う事で頭を埋め尽くしていた。
ウンディーネ直伝の水球をいくつか周囲に展開しつつ左手には水の盾、右手は悩んだ挙句ナルサスに突き出したものと同じ水の剣を展開する。
相手は生粋の魔術師であり、前回は長剣を構えはしたものの何も出来ずに終わったのだ。今回は彼の要望と自身の為にも魔術のみで戦おうと決意すると、
「参ります!!」
敵である相手にわざわざ声を掛けてから襲い掛かるクレイス。同時に水球を飛ばしながら自身も低空ながら飛空して一気に距離を詰めると初めて扱う水の剣をいつものように振り下ろしてみた。
必死だったからかいつもと違う魔力の消耗に気が付かず、しかし躊躇する事もせずにそのまま斬りつけにかかるとバルバロッサは思った以上に素早く身をかわす。
水球にあわせるように最低限の火球だけを展開したのはまだまだこちらの手の内を見たいからか。ならばとクレイスも普段の大盾と長剣の感覚でそれらを試すように振るい続けるとやっと顔色を変えたバルバロッサが両手をかざしつつ新たな火球を飛ばしてきた。
肉弾戦を一切行わない魔術師が懐に入られると困るのは理屈として分かる。なので追い返すといった意味合いが強いのだろう。
こちらはそれを水の盾で凌ぐもやはり左手の甲には以前と同じく痺れが走った。だが今回はこちらが攻めている。痛みを脳裏に置き去り一気に間合いを詰めると今度こそはと右手にあった水の剣で斬りかかる。

びしゃっ!!

バルバロッサがかざした右手から閃光が走ったと同時に轟く雷鳴、そして自身の右手は大きく後ろに吹き飛びクレイスも仰け反るように体勢を崩したが必死で踏みとどまって上半身を目一杯起こすと水の剣を彼の肩口に叩き付ける。
正直それを使って何かを斬った事がなかったので当たったとしてもどんな手ごたえがあるのかはわからない。ただバルバロッサは冷酷な薄笑いを浮かべつつ間合いを取ると何事もなかったかのように火球を打ち込んできた。
ここで離されるとまたもぐりこまねばならない。いや、こちらも魔術を使えば遠距離同士で戦う事も出来たはずだ。
だがクレイスは戦士だ。未だ魔術の扉を開いて日も浅く、そんな戦い方など頭になかった為水の盾を構えつつ必死で追いつこうとするも、

ぼぼぼぼぼっ!!!

側面、そして背面から襲ってきた火球が着弾すると次々に爆ぜてクレイスの体力を大いに奪っていく。
魔力よりも先に彼の体力が尽きたのか、珍しく短いうめき声を上げて左ひざを地面につけると展開していた水の盾と剣も消失した。
しかし遠くでイルフォシアの小さな悲鳴が漏れたのを聞き取ると再度その2つが展開され、落ちていた膝も力強く伸びてバルバロッサに向かって体が滑り出す。
一瞬虚を突かれたに思えたがそこは4将筆頭。歴戦の猛者はクレイスという弱者相手にでも油断する事はない。

びしゃしゃっ!!!!

正体不明の雷鳴が立て続けに鳴るとそれらは水の盾を貫通してクレイスの胸元に突き刺さっていた。

「クレイス様っ!!!」

と同時にイルフォシアが割って入ってきた事により、今度こそ2人の立会いは幕を閉じる。



意識はあったものの至る所に走る激痛がバルバロッサという男の強さを表していた。
「・・・ふむ。多少は凌がれているようだが手傷を負わせる事は可能なのか。」
恐らく自身の放った魔術を詳しく分析した結果を口にしているのだろう。短いながらも何かを得たバルバロッサはクレイスなど眼中にない様子で自身の行動を省みていた。
イルフォシアは2人の戦いを止める為に抱きついてきたはずだが未だに闘志を落とさないクレイスに驚きつつ、今はこちらを押さえ込むような形で力を入れ直している。
しばらくしてやっとそれに気が付いたバルバロッサもゆっくりとこちらに目をやり、
「・・・楽しかったぞ。また来る。」
それだけ言い残すと『ネ=ウィン』のある方向に飛び去った。





 村人達の期待はずれといった視線は感じていた。だが今は手当てが先だとイルフォシアが肩を貸してくれるのに甘えつつ家へと戻るクレイス。
バルバロッサもそうだったがこの戦い、クレイスも大いに考えさせられる事がいくつもあった。
まずはその間合いだ。今まで長剣でしか戦った事のないクレイスが見よう見真似で水球を展開出来たまではよかった。
だがそこから繰り出された攻撃はあくまで間合いを詰めるためだけの陽動的な意味合いしか持たず、結局本命であった水の剣を活躍させる事は叶わなかった。
そして相手の魔術師らしからぬ流れるような素早い動き。これはイルフォシアから指摘されていた低空の飛空の術式をバルバロッサも使っていたのだろう。
自身のような未熟者ですら扱える魔術の応用くらい4将筆頭が出来て当然だと心に留めておくべきだった。
更にその動きに合わせて放ってきた火球。機敏さから繰り出される反撃とけん制の魔術はクレイスに何もさせなかった。
なのに自分は水の剣と盾にこだわり無理矢理間合いを詰めようと躍起になっていた。これでは相手も思う壺だとほくそ笑んでいたはずだ。
後は・・・

「イルフォシア様。あの雷鳴みたいな魔術は見えましたか?」

煎じた薬草を胸元に塗りこんでくれる彼女に尋ねると今まで隠されていたイルフォシアの感情が一気に爆発する。
それは今思い返しても恐ろしいものだった。何せ噴火ではない。まず噴煙からなのだ。硫黄の代わりに不穏な雰囲気が室内に充満する事で息苦しくなったのは決して錯覚ではない。

「・・・クレイス様。私言いましたよね?もし次にバルバロッサが姿を現したら私がお相手をしますと。」

正確にはイルフォシアを呼んで下さいといった話だったが、確かにそれを了承した記憶はある。静かに頷くと、
「なのにクレイス様は私が止めようとするのにも関わらず彼と矛を交えられましたよね?そして今大怪我をなさっている。ですよね?」
これまでの経緯を確認するかのように静かに順序立てて説明してくるイルフォシア。この時のクレイスは彼女の静かな変化に気が付きながらも脳内は未だにバルバロッサとの戦いが占めていた。
「これ以上貴方が無茶な事を仕出かさないように私がついているというのに貴方という方は人の気も知らないで・・・」
そんな気遣いをされていた事を初めて知ったクレイスはようやく彼女の拡がりゆく怒りに冷や汗を噴出し始めたがもう手遅れだ。

「挙句神父の娘に色目を使うし、私の視線は無視するし!一体どうなっているんですか?!」

最後の最後に全く身に覚えのない難癖が飛んできて反論以前に思考が吹き飛ぶもそんな事でイルフォシアの怒りは収まらない。
「いいですかクレイス様!貴方は一国の王子です!貴方が強くなりたい気持ちもわかりますしそれに邁進されているのも知っています!ですが物事には順序と限度があります!!
バルバロッサはあのザラール様ですら一目置くほどの存在、それを貴方が相手にするなんて無謀を通り越して滑稽です!!」
まずは今日の戦いについての駄目出しから始まる。その中にクレイスを慮る言葉も入っていたので一瞬嬉しく思うも、それは次の言葉によって完全に潰される。

「更に貴方がどこの誰を見初めようとも私には関係ありません!ええ、関係ありませんとも!!ですが今は村の脅威を一刻も早く排除し、そして『ネ=ウィン』の追っ手から逃れるべきではないですか?!」

「あ、あの・・・!僕が好きな方はルサラではなくてですね・・・」
まくし立てるように放ってきた言葉の中にある大きな誤解を看過出来なかったクレイスは考えるよりも先に言い訳を始めるが話の流れから想い人の名を求められるのでは?と気が付くと声が途切れる。
いずれは本人に告げたい気持ちではあるものの、こんな喧嘩の最中みたいな時にそれを達成するのは如何なものか?
「・・・どなたかお好きな方が他におられるとでも?」
傷の手当てもそっちのけで腕を組みながら白い目を向けてくるイルフォシアにたじたじするしかないクレイスは回遊魚の如く目を泳がせる。
そしてそんな曖昧な態度が気に入らなかったのか、再度怒りを噴火させそうになったので考えるよりも先に彼女の両腕をしっかりと掴んで真剣な表情で向き合ってから深呼吸をすると、

「イルフォシア様。僕には命を捧げてもよいと考える程大切に想う方が確かにいます。ただそれを今ここでお教えする事は出来ません。」

こんなにイルフォシアが近くに居て、その柔肌に触れながらも本心をしっかりと伝える事ができたのは奇跡だった。ただ、それを彼女が納得するかどうかはまた別問題だ。
「・・・ほ、ほ、ほう?で、で、ではいつそれを、お、教えていただけますか?」
妙に声が上ずっていて今度は彼女のほうが目を泳がせている。言葉ももつれ気味で以前のクレイスみたいだ。しかしこれは真摯に答えねばならない大事な質問だろう。
イルフォシアの心情は定かではないがここでもまた一呼吸おいて冷静さを取り戻せと自身に命令しながら口を開いたクレイスは、

「この旅が終わる時、それをお伝えしましょう。」

ショウや父のいう王族復帰策、それが成った時こそ彼女にしっかりと告白しよう。これはそういう決意を乗せた発言だったのだが、後から思えば少し先走りすぎていた。
しかしイルフォシアもそれ以上追及する事はなく、先程以上に目を白黒させながら静かに何度か頷くのみだった。

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