闇を統べる者

吉岡我龍

道なき人生 -最も強く-


 大柄なハイジヴラムは愛用の鎧を身に着けて御者席に座る。
その馬車の中には外交衣装に身を包んだアルヴィーヌと大将軍であるヴァッツが乗っていた。
が、それも初日の数時間だけで、
「ハイジって今から行くところに住んでたんでしょ?何で引っ越ししたの?」
無邪気の種類に違いはあれど心のままに行動するという所は似ている2人が御者席の両端に移って話をし始めた。
「色々ありまして。一番の理由は私と友人の命が危なかったからですね。」
一応報告としてヴァッツの強さは様々な人間から聞かされてはいた。
ただ王孫というだけで大将軍に引き立てられたのではないはずだし、スラヴォフィルがそんな人物とも思えない。
王女姉妹と同じように丁寧な受け答えを心がけるハイジヴラムに、
「ハイジ結構強いでしょ?何とかならなかったの?」
普段は不愛想に近い無口なアルヴィーヌも退屈な時間を生めるように尋ねてきた。
彼女の事だ。どんな不利な状況からでも力ずくで何とでもなると思っているのか。
「無理でしたね。個の強さでどうこうなる問題ではなく、
国財である兵を大きく失ったその責任は私財も伝手もない私ではどうする事も出来ませんでした。」
独裁国家である『リングストン』は権力の全てが中央に集まっている。
そしてそれらは賄賂、婚姻、人質とあらゆる手段で大王ネヴラディンが掌握しているのだ。
彼がほんの少し指を動かすだけで全ての人間がその命令に従う。
副王やその直属の将軍であったハイジヴラムもある程度の賄賂は使っていたものの、
万の兵を失うような大失態に対応出来る程の根回しはしていなかった。
結果、逃げるか粛清されるかの選択肢しか無かった訳だ。
「ふーん。変なの。」
『トリスト』という国には賄賂の仕組みが厳罰対象として法に組み込まれている。
アルヴィーヌからすればそれを使って減刑を懇願するなど想像もつかないのだろう。
「よくわかんないねぇ・・・そういえば今から行くワイルデル領って所?何しに行くの?」
「え?!それは・・・」
出発前からわかってはいたが今回の護衛対象でもあるこの2人。
国政を全く理解していない為まずはこの道中にそれを詳しく説明する必要があった。
それにしても普段からアルヴィーヌもほぼ妹に任せっきりで何もしていなかったが、
ヴァッツに関しては更にそれを上回る無知具合だ。
どこから話すか、どうやって説明しようかと少し考えた後、
「・・・・・そうですね。
国王様が思っていた民族とは違う勢力が攻め落とそうとしているので、それを止めるのが我々の使命です。」
理解を得られるかどうかはわからないが包み隠さずわかりやすいように言葉に表すも、
「???」
小首を傾げてきょとんとこちらを見つめてくる少年に困り果ててしまうハイジヴラム。
恐らく何1つ伝わっていないのだろう。

「あのねヴァッツ。私達はそのワイルデル領ってとこに攻めてくる大勢の人間を倒しちゃえばいいの。
わかった?」

「「ええええ?!?!」」
あまりの極論にヴァッツと一緒に驚いて声を上げてしまう御世話役。
それはあくまで最終手段であって、まずは仲介からだという話は彼女も聞いていたはずなのだが・・・・・
「駄目だよ!!倒すって・・・死んじゃうって事でしょ?オレ絶対やらないからね?!」
「うん。じゃ私が隕石落としてぱぱっと終わらせるから。で、さっさと帰ろ。ね?」
・・・・・
無知からか、性格からか、それが出来てしまう事を身をもって体験し知っているハイジヴラムは
大きなため息が出そうになるのをぐっと堪えると、
「お2人にはまず今回の仕事についてじっくりとご説明させて頂く必要があるみたいですな・・・。」
今まではファイケルヴィが自分に教えてくれていた。
教えられる立場だった彼がこの時初めて自分の言葉で教える側として丁寧に説明を始めるのであった。





 時間はいくらでもあったのでハイジヴラムは自分が持つ知識を出来る限り丁寧に教えていく。
アルヴィーヌはすぐに飽きて馬車内に隠れてしまうも、
ヴァッツは驚くほどの純粋さと素直さで退屈するそぶりも見せずに彼の話に耳を傾け続けた。
時折見せる人懐っこい笑顔などからも流石スラヴォフィルの御孫様だなぁと感心しながら北上すること8日。
遂に以前の居城であったワイルデル城が目前に迫って来ていた。
時折巡回の兵に訝しまれたが彼らが動く前にこの国では有効である賄賂を配ったお陰で
ハイジヴラムが生きている事、居城に向かっている事は城内に届いていない。
出立前に聞いていた話だと現在の城主はバディール、彼は自分もよく知る人物だ。
(あとはどれくらい劣勢なのかだが・・・)
事前情報だと失った10万の兵の補填は行われておらず、そのせいで蛮族から良いように荒らされているらしい。

正門前に馬車を走らせると門番に『トリスト』の書状とバディールへの謁見を申し出る。
3カ月前までこの城の将軍であった彼が姿を見せると城内はにわかにざわつき始めるも、
「ど、どうぞ・・・」
3人、しかも2人はまだ子供だ。
それを見た衛兵達も訳が分からないといった視線を向けてくる。
「お~!ここがハイジの住んでた所か~!立派だねぇ!!」
「そう?私のお城の方が立派よ?ね?」
「ははは。トリスト城は別格ですからな。あれと比べると全て見劣りしますよ。」
全く緊張も物怖じもしていない2人の様子にこちらも笑みを浮かべて談笑しながら城内へ向かった。



「こ、これは・・・本当にハイジヴラム様ですか?」
応接の間に通された3人の前に現れたのは細身で瞼の重そうな男だった。
癖のある短めの茶髪はガゼルのように総髪で、口回りの髭は丁寧に手入れが行き届いている為上品さを醸し出している。
「お久しぶりですバディール殿。」
以前は分野こそ違えど同位だった2人だが、今は所属する国からして違う。
丁寧に頭を下げて挨拶をするハイジヴラムに少し困りつつも、
「頭を上げて下さい!よくぞご無事で・・・早速で申し訳ないのですが是非蛮族の討伐を・・・」
国に戻ってきたと勘違いしているのだろう。いきなり将軍としての任務をお願いしようとしてくるので、
「いえ。今の私は『トリスト』王国の人間です。今日はお2人の近衛として参った次第であります。」
「と、『とりすと』?」
聞いた事のない国名に困惑する様子を見せるバディール。
そしてさっさと用事を済ませたい王女は2人の会話など意に介することなく、
「その蛮族。私がやっつけるからどこにいけばいいか教えて?」
「駄目だって!まずは話し合うんだってハイジに教えてもらってたでしょ?!」
とてもよく自分の話に耳を傾けてくれていた大将軍はすぐに彼女の行動を諫めてくれる。
2人のやりとりに嬉しさを感じながらもあっけに取られている現副王に、
「王女様と大将軍様が仰る通りです。この国に仇成す蛮族を止めに参りました。」
改めてハイジヴラムが経緯を説明し始めた。



「まぁ我々としては奴らを止めて頂けるのでしたら大助かりですが・・・」
話は理解したものの、ハイジヴラムの隣に並んで座っている少年少女に疑いの眼差しを向けるバディール。
その気持ちは痛い程わかる。だが、
「王女様の使われる魔術によってリングストン兵10万が壊滅しました。
そしてヴァッツ様はあの『羅刹』スラヴォフィル様の御孫様に当たります。
どちらも私1人では到底敵わぬ力を持っておられます。」
ヴァッツの力についてはあやふやな部分が多いが、
それでも事実を口に出す事で現副王は疑いの眼差しから複雑な表情へと変化した。一定の理解を示したとみていいだろう。
「では貴方方3名で直接交渉に臨まれると?」
「はい。」
力強く頷くハイジヴラムに合わせてヴァッツもこくこくと頷く。
アルヴィーヌは退屈で長椅子に半分寝転がるように体を預けてあくびをしていたが。
「・・・わかりました。それでは早速国境線に向かってもらいましょう。
すぐに先触れも走らせてその場を設けられるように手はずを整えていきます。」
元とはいえ『リングストン』を代表する将軍が言うのだ。
バディールも半信半疑ながらもその提案を飲む事を選ぶと瞬く間に命令を下していく。
その夜は来賓の間で一夜を過ごして旅の疲れを癒すと
次の日の早朝、彼らはこれからの大仕事への緊張感を一切表すことなく東に馬車を走らせた。





 ワイルデル領は南北に長い形の領土だ。
『アデルハイド』から中央の居城までは距離が相当あったものの、東の国境線には急げば半日で到着する。
その国境線もあやふやで開墾地と森の境目を定義としてはいるがそれはあくまで『リングストン』側の主張だ。
明確な規律を持たない蛮族達にそれを理解させるのは非常に難しく、
結果として日々小競り合いが続く流れが出来上がっていた。
小さな集落にたどり着いた3人は現地の衛兵とそれをまとめる文官に会うと、
「これはハイジヴラム様!!お待ち申し上げておりました!!」
何度も話し合いからだと伝えていたはずなのに、
元猛将としての彼の名声を知る『リングストン』の人間達は羨望と期待に満ちた目を向けてくる。更に、
「昨日の早馬でいただいた命令でしたので500人ほど集めるので精一杯でした。」
申し訳なさそうに文官と部隊長数人が跪いて頭を垂れ始める。
現在のワイルデル領からすれば500人を集めるのも一苦労しただろうに・・・
「いや。その命令は正しく伝わっていないようだな。私達は戦いに来た訳ではないぞ?」
「もちろん存じ上げております。話し合い・・・になるかどうかはわかりませんが、
奴らはいつでも応じるとは言って来ております。ただ今まで幾度も決裂しておりますので・・・」
蛮族は思想の違いもそうだが、その信念がとても強い。
なので決まり事や交渉となると自民族の曲げることが出来ない伝承や習慣をこちらに強要してくる。
こちらとしても出来る限り譲歩はして、一時期休戦協定的なものまでは結べるのだが
少し経つとまた国境を越えての略奪が再開するの繰り返しなのだ。

話し合いでは解決しない。

これが『リングストン』の最終決定であり、それ以降は最初から鎮圧に向けての行動を起こす様に命が敷かれていた。
根付いた思考を覆すには劇的な効果を目の当たりにしないと不可能だろう。
(・・・それは可能だろうか?)
長く住んでいたからこそわかるリングストン人の思考と行動に納得しつつも王女と大将軍に目をやるハイジヴラム。
相変わらず緊張感はなく、1人は退屈そうに、もう1人は見慣れない景色を眺めて楽しんでいるようだ。

「こちらもすぐに対応出来る。奴らの代表に話し合いの場に来るよう伝えてみてくれ。」

今回スラヴォフィルから受けた命の1つに
ハイジヴラム自身がどういった蛮族なのかをその目で見極めてくるように仰せつかっている。
蛮族といっても東の森林や山岳地帯には様々な種族が存在し、
その中でも上下関係がしっかりと出来上がっている為横のつながりを調べる意味も兼ねているのだ。
(いくつの部族を纏め上げて来ているのか・・・)
自身も最前線で指揮を執っていたのである程度の知識はあったが、
ここは記録と補佐がほしいという意味でも先程の文官も同席させてその場に臨もうと考えを纏め上げた。



日の当たる場所に多少立派な椅子と卓を並べて周囲には護衛が並んでいる。
伝令を走らせた後すぐに森の方から軽く1000人は超えるであろう蛮族兵が一斉に姿を現すと、
その中央から騎乗した3人がこちらの準備した会談の場に走ってくる。
「・・・何あれ?サル?」
毛皮をほとんど加工しないまま体に纏い、しかも半裸に近い状態の者が視界に入ると
今まで退屈そうだったアルヴィーヌがその姿を見て全く悪気が無い素直な発言を口にした。
周囲の衛兵は驚く者や吹き出してしまう者など反応は様々だったが、
「アル姫様!彼らの前でそれは言ってはいけません!」
相手には聞こえていない事を祈りつつ慌てて釘を刺すハイジヴラムは始まる前から肝を冷やした。
身分は最高位だがどちらも筋金入りの素直な少年少女だ。
下手をすれば開始数秒で決裂しかねないと改めて気を引き締め直すと目の前まで騎乗したまま現れた3人が
こちらを見降ろす形でじっと観察してくる。
「・・・キサマはハイジヴラムか?死んだと聞いていたが・・・」
肌が黒く、一番背も年齢も高い半裸の男が口を開くと、
「おお!ハイジヴラム!!強い奴じゃん!!私と戦おうよ?!」
隣にいた半裸に近い女性が殺気立たせてこちらを誘ってくる。
「父上。姉上。今回は話し合いに来たんですよ?」
唯一1人だけこの場に現れた意味を正確に理解しているであろう青年は身なりも衣装もしっかりと整えており、
恐らく彼が今回の主要人物になるだろうと当たりを付けると、
「ではこちらへどうぞ。」
御世話役兼護衛のハイジヴラムは彼らの話に流される事無くまずは席に案内する。

太陽の光が降り注ぎ、お互いの兵士達がにらみ合う中始まった蛮族との交渉。
「まずはこちらが『トリスト』王国第一王女で在らせられるアルヴィーヌ=リシーア=ヴラウセッツァー様、
そして大将軍のヴァッツ様です。」
ハイジヴラムの紹介に蛮族の2人は目を丸くしながら
「王女と将軍?『トリスト』?聞いた事が無い上にまだ子供じゃないか?!」
「何だいハイジヴラム?私達を虚仮にしてどうしようってんだい?」
見た目通りの蛮族らしい発言に仮面の下で苦々しい表情を浮かべるも、
「オレヴァッツ!よろしく!」
彼らの言動など全く気にすることなく席を立って握手を求める大将軍。
純粋ゆえの行動だろうが奴らの礼を欠く発言よりよほど大人な対応にハイジヴラムの表情は微笑みに変わる。
「う、うむ・・・」
「お、おう・・・」
「よろしくお願いいたします。私はバイラント民族の族長補佐マハジーと申します。」
3人の内まともな返しが出来たのはやはり身なりをきっちり整えている男だ。
それは相手も、いや、マハジーだけが理解したのか、
「この大男が我らの父でもあり族長であるヒーシャ、そちらの女性が私の姉でもあるバイラント一勇猛な戦士バラビアです。」
丁寧に紹介を終えると、
「で。あんたらここを荒らしてるんでしょ?止めてくれる?」
もはやさっさと帰りたい事しか頭にないアルヴィーヌがやる気のなさそうに頬杖を付きながら口を開いた。
凡そ公の場で、しかも国の代表者が話し合う場での態度ではない。
仮面の下と心の底では虹のように顔色が変化するハイジヴラムをよそに、
「いいや止めん!この地は我がバイラントが支配するのだ!!」
ヒーシャは礼を欠く言動よりもその内容にしっかりと反論をしてきた。
「うんうん!ハイジヴラムがいなくなって兵士も凄く減って今が絶好の機会なんだ!止める理由がない!ね?」
「そうですね。まぁ死んだと思われていた猛将が今目の前におられるので予定より苦戦はしそうですが。」
姉の発言に同意しながらこちらに目を向けて薄笑いを浮かべる補佐のマハジー。
「なんだ。やっぱり戦うんじゃない。じゃあさっさと終わらせよう。」
「駄目だって!」
すぐにそちらの方へ話を持っていきたがるアルヴィーヌにすかさず待ったをかけるヴァッツ。
後ろで見届けている文官達も気が気ではないだろうなと申し訳ない気持ちになるも、
ここでしっかりと止めに入った大将軍の動きには深い感動を覚える。
「ほほう?王女より大将軍のほうが弱腰なのか。これはもう我が地になったも同然だな!ばっはっは!」
元々礼儀や建前などを使わない人種が相手の為、アルヴィーヌにこの命を授けたのはスラヴォフィルの狙い通りだったのかもしれない。
「いいねぇお嬢ちゃん。同じ女同士私とやりあおうか?!あっはっは!」
「2人共勝手に話を進めないでください。流石にハイジヴラム様がいる『リングストン』となると少し骨が折れます。」
しかし相手は矛を収める様子など微塵も見受けられない。
ハイジヴラムも2人の護衛と相手の観察こそ命を受けているものの、
この話し合いにどこまで口を挟んでいいものか非常に悩んでいた。
そしてそれとは別に国土を脅かされている兵士達はその言動に怒りを堪えているのも感じ取れた。
(この状態から話し合いで解決・・・これは難題だ・・・)
ファイケルヴィがいれば機転を利かせてくれそうだがいない彼を思っても仕方がない。
最低限口出し出来る範囲で何とかしなければ・・・そう考えて思考の渦に身を任せ始めるハイジヴラム。

「待って待って!とりあえず戦いはなしで!!」

先程とは違ってここで双方に釘を刺すヴァッツにまたも深い感動を覚えるハイジヴラム。
話し合いで解決したいという旨を道中散々言い伝えてはいたものの、素直な彼は未だに諦める気配はない。
そんな彼の姿に何かを感じたのか蛮族側の3人もお互いの顔を見合わせると、
「ヴァッツと言ったな?何故そこまで戦いを拒む?お前も戦士の端くれだろう?!」
「え?!オレ戦士じゃないよ?!」
族長の問いにびっくりして答えるヴァッツ。これにはハイジヴラムも驚くと、
「・・・つまり貴方は大将軍というお飾りな訳ですね?」
「お飾りって何?」
マハジーの答えに首を傾げる様子を見て、蛮族3人は大声を上げて笑い出した。
「おいおいハイジヴラム!いくら虚勢を張りたいからと言ってこれは無いだろう?!」
「あーっはっはっはっは!!どこの子供連れてきたんだよ!!あーっはっはっは!!」
「ぐふふふ・・・いや、失礼・・・ぐふふ・・・」
今まで失礼な場面は何度も見てきたが、
流石に自身が仕える王の孫が笑い者にされた事で堪忍袋の緒が切れたハイジヴラムが拳を振り上げようとした時、
「あのさ、ここに住みたいんでしょ?だったらこの国の人間になればいいじゃない。」
相変わらず頬杖を付いたままだるそうにしていたアルヴィーヌが客観的に最も納得のいく意見を出した事で
場の空気が一気に引き締まった。
「おお!いいねそれ!そうしようよ!」
自分が笑われていた事など全く気にも留めないヴァッツが目を輝かせて彼女の意見に賛成している。
そもそも笑われていたとも捉えていないのだろうが、
「ふざけるな!!何故我らバイラント族がこのような下等種族と一緒に住まねばならぬのだ?!?!」
先程までの笑い声が怒声となって辺り一帯に木霊する。
「お嬢ちゃん。あんた私達を馬鹿にしたね?いいよ。嬲り殺してあげるから!」
女戦士も無尽蔵に湧き出る殺気を四散させて睨みつけていると、
「やれやれ。では話し合いは以上ということで。
我らの魂に火が付いたので今日中に占拠するところまで暴れさせていただきますね。」
交渉の決裂を言い捨てたマハジーが席を立つと残りの2人も無言で後に続き、馬に跨ると自陣へ引き上げていった。





 わかってはいた。予感はあった。
いくら知性が低い蛮族相手とはいえ、この話し合いは無謀だったと。
いや、知性だけでなく理性も低いからこそ逆にもっと切れ者を寄越すべきだったのだ。
アルヴィーヌとヴァッツが決して無能という訳ではない。だが、
(・・・やはり決裂を想定しての人選だったのか。)
これからすぐにでも戦端が開かれるはずだ。
そうなれば猛将で知られるハイジヴラムが兵を率いる事、アルヴィーヌがまた強大な魔術を使う事なども
スラヴォフィルの想定済みだったのだろうと思う。
「なんか戦が始まるみたいだし、私も準備するね。」
王女は椅子から立ち上がって伸びをすると早速そんな事を口走る。待機させていた文官達もそれを聞き取ると、
「・・・はやりこうなりましたか。ハイジヴラム様、どうか我らにお力を・・・」
近づいてきて一斉に跪き始めた。
まさか二度と戻らないと誓った国の為にまた剣を振るう時が来るとは・・・これを断る術を持たない彼は、
「・・・うむ。」
頷いて既に対面していた戦場に赴こうとした。
「2人ともどこいくの?」
アルヴィーヌは周囲の目を気にすることなく覚醒して空から魔術を使う準備を、
ハイジヴラムは指揮を執る為に足を運ぼうとしていた。
しかしヴァッツにはこれから何が起こるのかよくわかっていなかったらしい。
そもそもマハジーの言っていた事、これは真実だという事をハイジヴラムも十分理解していたのだ。
彼はスラヴォフィルの孫ではあってもまだ将軍どころか戦士ですらない。
恐らくは経験を積ませたいという願いを込めてこの場に派遣されたのではないかと推測できる。
「これから奴らと決着を付けに参ります。ヴァッツ様も私の馬でご一緒されませんか?」
ならばあとはこの戦できっちりと勝利を収める事がハイジヴラムに出来る唯一の仕事だろう。
そして2人の護衛。
アルヴィーヌの強さは知っているし蛮族が空への攻撃に備えているとも思えない。
ここはヴァッツと共に戦場に出てその厳しさを伝える事が最良だろうと判断する。
怖がるのか猛るのか。戦士としての資質を確認した後、王に報告しようと。
そうすればヴァッツはこの過酷な肩書から解き放たれるかもしれない。

とても純粋な彼は血で染まる生き方をするべきではない。

蛮族を退ける任とは別に一緒に旅をした彼はいつのまにか痛切に願うようになっていたのだ。
「このハイジヴラム、命に代えても必ずお守り致します。では行きましょうか。」
「うん?よくわかんないけどオレも皆を守るよ?」
お互いが何もわかっていないまま、彼の巨体を預ける事ができる大きさの馬に2人で跨ると中央に躍り出た。



「ここで徹底的に叩けば勝利が決定する!!いいか!!バイラントの力を思い知らせてやれ!!」

どどどどどどどどど・・・!!

族長が檄を飛ばすと同時に1000人がけたたましい音を立てながら一気に攻めあがってくる。
だがこれには補佐役であるマハジーの入れ知恵が施されていた。
全軍突撃の大笛が鳴ると後ろの森林に身を隠していた蛮族兵達が次々に姿を現したのだ。
お互いが前進を始めていた為『リングストン』の兵士達はその膨れ上がる戦力を前に一瞬で戦意を失い浮き足立つ。
「怯むなっ!!我が軍には勝利の女神がついておられるっ!!!」
普段は物静かだが一度戦場に出れば大きな体躯から更に大きな声で味方を鼓舞するハイジヴラム。
その太い腕を天高く上げて指した先には覚醒した銀髪の少女が眩しく輝く翼を広げて戦場を見渡していた。
先程とは全く様子の違う他国の王女が神々しさを纏って天空から自分達に加護をもたらしてくれている事に、
そしてそれを全力で信じている猛将ハイジヴラムの姿に500の兵は今まで見た事が無い程猛り狂う。

この瞬間も遥か上空ではアルヴィーヌがあの時と同じような魔術で敵陣に狙いを定めているはずだ。
今出来る事はその時に味方が巻き込まれないようにしっかりと統率の取れた動きを保ち続ける事。
彼が唯一出来る事であり彼にしか出来ない事だ。
『リングストン』側は数で圧倒的な劣勢を強いられている為無理な突貫をせずに防戦を徹底する。
出来れば本格的な衝突が起こる前に王女の一撃が決まればいいのだが・・・・・
魔術に関して全く知識を持ち合わせていないハイジヴラムは期待せざるを得なかった。

あと数秒で全軍が衝突する。

こちらはなるべく密集させて戦力の分散をさせないように指示を出していた。
気が付けば敵軍の数は軽く倍を超えている。
蛮族らしい奇声や咆哮が多数の兵士達による大地を踏み抜き行軍する音と重なり合って巨大な暴風に変わっていく。
だがそれを目の前にしても約束をした以上自分は命を賭けてヴァッツを守り通すのだ。
自身を奮い立たせ、味方を奮い立たせようと今一度大きな咆哮を上げようとした時、


『・・・・・やめろっ!!!!!!!!!』

自身の前に座らせていたヴァッツからとんでもなく大きな衝撃波が生まれた。
それは辺り一帯に轟き、空気が、大地が激しく揺れて敵味方関係なく全てが彼を中心に大きく外側に吹っ飛ばされる。
お互いが陣形を完全に崩され、更に手にしていた武器もそこかしこに散らばり、素早く立て直さないと身の危険が迫ってくるはずだ。
普段の戦場ならそういった流れになるだろう。
しかし彼の雄叫びによって大地で転がっていた兵士達はその誰もが動こうとしない。
相当な傷を負ったのだろうか?
いや、少しずつ動いてはいるがそこにもはや戦意はなく、衝撃が起きた発生源にゆっくりと視線を送ってきた。

彼と一緒に騎乗していたハイジヴラムだけが体勢を崩す事無くその横に長く展開された戦場の中央に立っている。

ふと空を見上げるとアルヴィーヌもその衝撃波を受けたのか魔術を使用することなく
上空で驚いた表情を浮かべながらこちらを見下ろしていた。

「・・・今、皆が殺しあおうとしたんだよね?それはだめ。オレが絶対許さない。」

とても落ち着いた静かな声だがその通る声質は戦場の端まで十二分に届いているようだ。

確かにとても大きな気合が篭った雄叫びだった。
理屈はわからないがその衝撃によって全員を吹っ飛ばしたのだ。効果は絶大だっただろう。
しかし全てが体勢を崩して倒れているだけで何も死人が出たわけではない。
特に蛮族側は圧倒的優勢を保ったままでありわざわざヴァッツの話に耳を傾ける必要は無いはずだ。
なのに何故か味方すらも武器を拾って構えようとしない。
この場にいる全員がヴァッツに視線を向けたまま動こうとしないのだ。
(・・・それほどまでに説得力があったか?)
一瞬あっけにとられる程度ならわかるが、
こうも誰も彼もが動かないのを見ていると疑問と違和感しか出てこないハイジヴラム。

【バイラントよ。退け。闇に葬られたくなければな?】

いきなり聞いた事の無い声、いや、クンシェオルトの葬儀に参列していた時に一度だけ聞いた。
辺りが闇に覆われ、どこから聞こえてきたかもわからなかった声だ。
明らかにヴァッツのものではない低く地の底から聞こえてくるかのような声もその場にいる全員の耳に届いたようで、
最初は蛮族側の兵士達が次々に立ち上がってきた。
不味い?!と思ったのもつかの間で
彼らは自分達の武器を拾うことすらせずに情けない小さな悲鳴を上げて皆が皆、一斉に森の中に退却していった。
一方『リングストン』兵達は相変わらず立ち上がる気配を見せずその場で留まっている。
追撃を与える絶好の機会だったのだが、後から知る事情によりそれは不可能だった事を思い知るハイジヴラム。

「・・・よし!!誰も死んでないし戦いも終わったね?!やったー!!」

バイラント族が全て姿を消してから数秒後にはいつも通りの少年が無邪気に喜ぶ姿を皆の前で見せていた。





 退けるどころか3000近い武器も手に入って万々歳の『リングストン』陣営だが、
何故そうなったのかは皆目見当がつかないハイジヴラム。
まだ日も高いうちに祝勝会が開かれる中、
早速その話題を出してみるとあの場にいた兵士全員が驚愕の表情を浮かべて彼に視線を集めていた。
「うん?どうした?私の顔に何かついてるか?」
「い、いえ。流石猛将ハイジヴラム様だと感激しておりました。恐らく全員が同じ思いでしょう。」
何の事かさっぱり理解できないのでヴァッツのように小首を傾げるも
確かに周囲の反応から感激という言葉に偽りは無いようだ。
「・・・いや。戦端も開いていないし、私は何もしていない。うん??どういう事だ?」
「あ、あの・・・あの時ヴァッツ様が放っていた恐ろしい殺気に皆が恐怖で動けなかったんですが。
ハイジヴラム様だけは平気なご様子だったので、それで・・・」
「はい・・・!動けば殺されるという確信がありました!恐怖で体が動かなくなったのは初めてですよ!」
「声を出すことも出来ませんでした!しかしハイジヴラム将軍だけは毅然と振舞っておられた!!」
「そうです!そうです!!」
まるで火が付いたかのように兵士達がそれぞれの思いを口にしだすとあっという間に宴は大音量に到達する。
(・・・・・殺気だと?)
戦場で長く戦ってきたハイジヴラムからすればそれはどれだけ小さな気でも拾えるはずだ。
一番自分に馴染みのある気配、それをあの時彼は一つも感じ取れなかった。
もしかして全員で私を持ち上げて帰属を促そうという魂胆か?とも考えたが宴の熱を考えるとそれはないなと確信する。
「・・・つまり蛮族側もその殺気に怯えて逃げ帰ったという事か?」
「恐らく!いえ!間違いないでしょう!!」
小隊長が鼻息荒く答えてくれたがどうも釈然としない。
誰か詳しい説明を・・・いや、ここは自分でも考えてみるか。
いつも優秀な友人にばかり頼って入られない。
もはやこの国の猛将ではなく現在は『トリスト』の御世話役、更に今は護衛の任も賜っている。
(気になったのはむしろあの声なのだが・・・)
その場に充満していたらしい殺気を感じなかった彼からすれば思考はそちらの方ばかりに気を取られてしまう。

そもそもヴァッツという人物は謎が多いという話は様々な人間から聞いていた。

ただの無邪気な少年ではなく、大将軍の肩書きにも偽りは無いのか?
気が付けば兵士達は始めて出会った時誰一人として彼らを認知していなかったのに
今では誰もが大将軍として、そして王女は女神として認識し頭を下げて敬意を表すようになった。
「多分私とハイジには殺気?を向けなかったのよ。」
隣でご馳走を淡々と平らげながらアルヴィーヌがまるで心を読んだかのような的確な答えを渡してくれる。
「な、なるほど・・・アル姫様はお空でいかがでしたか?衝撃波のようなものは・・・?」
「来た。びっくりした。あとでお説教する。」
びっくりする程度で済んだのか・・・
まぁハイジヴラムもヴァッツを乗せていたせいか吹っ飛ぶような事はなかったし、
あの時は彼の大声と周囲の状況にただただ驚くだけだった。

話し合いでは解決しなかったものの、軍の衝突を避けて蛮族を退ける事に成功した3人。
同じ戦場に立っていた文官達も
あれだけの恐怖を植え付けられてはしばらく襲ってくることはないだろうと口々に言っていた。
なので任務は達成出来たと判断し、次の日には帰国しようと考えていた矢先に最後の事件が起こる。



早朝から帰り支度を終えた馬車に乗り込もうとしていた3人に伝令の1人が慌てて走ってくると、
「何?!あいつらがまただと?!」
話や戦場の流れでは当分来ないと踏んでいたのにも関わらず次の日にいきなりやってきたそうだ。
しかし恐怖こそ与えたものの被害は出ていない。当然といえば当然なのかもしれない。
「えー?もう放っておこうよ?私この国を見物しながらのんびり帰ろうと思ってたのに。」
「いいえ!主から言い渡された任務を完全に遂行しないと堂々と帰国は出来ません!」
今度こそ血の戦いが開かれる。
一瞬そう思って気合を入れたハイジヴラムだったが、
「絶対に誰も殺させないよ?」
その時妙に威圧感を感じたヴァッツの声に肝が冷える思いをすると一気に頭の熱が冷めていく。
(・・・これが・・・ヴァッツ様の力なのか?)
首筋に冷や汗を走らせたハイジヴラムは仮面を被っていてよかったと安堵のため息をこぼしつつ
3人は伝令に連れられて戦場へ戻るも、そこに軍勢は見当たらない。

詳しく話を聞くと今度は相手側から会談を持ちかけられたそうだ。
「いかがいたします?」
例の文官が王女でも大将軍でもなくハイジヴラムに聞いてくるので、
「受けよう。ここでしっかりと楔を打ち込んでおく。」
仕方なく彼は元『リングストン』将軍としての返答を伝えるとしばらくして昨日と同じ3人が森から姿を現した。
しかし今日はかなり手前で馬を降りると徒歩で3人の前まで歩いてくる。
更にヴァッツの前で止まると全員が跪いて頭を垂れたので周囲はあっけに取られていた。
「昨日の非礼を謝りに参りました。」
口を開いたのはマハジーだ。謝罪に来たというのなら彼以外に口を出させるのは確かに下策。
恐らくこの後も彼と話し合う事で折り合いを付けていくのだろう。
そう思っていたのだが、

「大将軍殿のお力、この身をもって確かめたい!!立会いを受けて下さるかな?!」

彼らは国という枠に捉える事が難しいから蛮族なのだ。頭を上げた族長が自ら戦うと言い出したので、
「嫌だよ。オレは戦わないって何度も言ったよね?」
どうなるかと思ったがヴァッツは基本的に戦いをとても嫌っているので当然の答えをつき返す。
「そこを何とか!
このままでは我らは恐怖に囚われた負け犬部族として生きていかねばならなくなる!!どうか!!」
族長はしつこく食い下がろうとするので純粋で優しい少年は
「えーー・・・困ったなぁ・・・」
アルヴィーヌなら何度でもきつく突っぱねるのだろうが彼にはそれが出来なかったらしい。
「どうか!!この通りです!!どうか!!」
「ええーーー・・・」
ごねる大人と困る少年の図を尻目にハイジヴラムも何か策はないか周囲の文官達に目配せをするも、
そもそも彼らはヴァッツの事をよく知らない上に他国の大将軍だ。
地方を任されている文官程度が口出し出来る問題ではないだろう。なのでここは、
「ではいくつか約束事を設けての立会い、というのはどうでしょう?」
出来る限りヴァッツの要望を第一に考えつつ、
更に『リングストン』への不干渉を盛り込んでの立会い方法を作り上げていくハイジヴラム。

「ううむ・・・よかろう!!この条件を飲もう!!」

最終的に武器を使わず相手が降参すればそこで終わり。
更に勝敗に関係なく今後バイラント族が『リングストン』へ侵攻をかけるのを禁止し、
もし破った場合は全軍を挙げて壊滅させる旨、毎年の貢納品までも組み込めてしまった。





 蛮族達にとって名声や信仰はとても大事だ。
今回の件でそれらを全て失ってしまった彼らに残された道はこれしかなかったのだ。
族長ヒーシャは既に次の事を、いや、補佐役であるマハジーは考えていた。
「父上。悔いのない戦いを!」
娘と息子に見守られながらヴァッツの前に立つヒーシャ。素手との約束だがその身長の差は倍近くある。
肉体を駆使して戦うというのなら圧倒的に族長が有利だ。
長い手足と重い体重を乗せた攻撃は少年をいとも簡単に破壊するだろう。相手が普通の少年なら。

がしっ!!!

合図と同時に殺しにかかる勢いで拳を突き出すも簡単に手首を掴まれるヒーシャ。
まだ岩間に挟まれた方が動けるだろうと錯覚してしまうほどの握力は彼の体から吹き出る脂汗がそれを物語る。
わかってはいるのだがもはや後には退けない。族長が渾身の蹴りを放つもそれすら、

がしっ!!!

いとも簡単に捕まえてしまう。
倍以上の身長と体重を持つ彼の体が少年の両腕によって軽々と持ち上げられた状態で収まると、

見物していた『リングストン』の兵士達からは歓声が沸き起こり、
国境付近からその様子を見ていたバイラント族達は悲痛などよめきが沸き立つ。
(あの男は決して弱くないのに・・・ヴァッツ様の力は底が深すぎるな。)
その様子からもしかすると既に祖父のスラヴォフィルを超えているのではと感じてしまうハイジヴラム。
「もう終わりでいい?」
「い、いや!!待って下さい!!手を離して、もう一度だけ攻撃をさせて下さい!!」
ヴァッツが戦いを嫌い、自分から攻撃をしないと宣言していたので
ヒーシャ側が彼を倒さねば勝利と成り得ないのだが、それを達成する事こそ有り得ないだろう。

その後懇願する族長に仕方なく手を離して攻撃をさせること5回。

ついに諦めたヒーシャは今まで以上に頭を垂れてヴァッツに降参の意を表した。



「やっと終わった?じゃあ帰ろ?」
相変わらずのアルヴィーヌは2人の戦いや結ばれた条約などに全く興味を示す事無くいつも通りだった。
ハイジヴラムは急かされつつもヴァッツの隣に座りながら間に文官を挟んで
マハジーと今後の関係について記された書簡に名を入れていた。
「・・・ではこれで我が国はしばらく安泰ですね。」
全てを見届けた文官はやっと肩の荷が下りたようで表情が緩みきっていた。
直接的な交渉はヴァッツ達3人の手柄だがそれを仕切った功績は当然『リングストン』としても認められるだろう。
次に会う時彼はそれなりの地位を得ているかもしれない。そんな事を思いながら別れの挨拶を交わすと、
3人は大勢の兵士達に見送られながらワイルデル領を後にした。



バイラントの人間というのは族長のヒーシャを見ていてもわかるが諦めが悪いらしい。
馬車を走らせて1時間も経たない内に、
「待って待って!!そこの馬車止まれ!!」
東の茂みからバイラント一だと謳われていた女戦士が馬を駆って姿を現した。
「何だ?早速条約を破りに来たのか?今度は私が相手をするので命が助かるような事はないぞ?」
この旅でヴァッツが強い事と彼が戦うのを嫌っている事は十分理解出来た。
既に任務も終わっている為これ以上彼に負担をかけさせまいとハイジヴラムは御者席に座りながらも
今まで抑えていた怒気を全て開放する。
「待って待って!!そうじゃない!!話をさせて!!話ならいいでしょ?!」
単騎で近づいてきた上に本当に慌てている様子から何かを企んでいる訳ではなさそうだ。
仕方が無いので伏兵を注意する為に見晴らしのいい平原まで馬車を走らせると、
「で。何の用だ?」
ゆっくりと御者席から降りたハイジヴラムは未だ怒気を内に秘めた状態で話を聞く。
半分脅しているかのように受け取られかねないが、事実さっさと追い返そうという魂胆はあったので間違いではない。
「あ、あのね・・・その、ヴァッツ様にお願いがある・・・んです。」
条約時にも散々ごねていた上にまだ何か懇願するというのか・・・
ハイジヴラムの中でバイラントという民族は非常に諦めが悪く強欲だという注意書きを深く刻み込むと、
「何々?オレに何か用?」
名前を呼ばれたので喜んで反応したヴァッツが扉を開けて飛び出してきた。
「は、はいぃっ!!この度バラビアはヴァッツ様の妻になりたくて参上致しましたぁっ!!」
その姿を見た瞬間顔を紅潮させて声を裏返らせつつ恭しく跪いた女戦士。
予想を超える酔狂な発言に3人が3人ともあっけにとられたまましばらく動けなくなっていた。





 「つまり強い子供がほしいからヴァッツの妻になりたい?」
正直『リングストン』とのいざこざよりよほど重要な事件が起きてしまったので
急遽この場で焚き火を熾した3人。
詳しく話を聞き始めるとアルヴィーヌが一番張り切って場を仕切っていた。
「は、はひぃ!あ、あたい達バイラントの民はそうやって強い血を取り込んできましたからぁ!!」
内容としてはとてもよく理解出来る話ではあるが、一般的にそれは武人や文官などの間だけだ。
普通王族は自他国の王族かそれに近い高位の家や信頼の置ける配下等と縁を強めるために婚約する。
間違っても力が強いからとか頭が良いからなどという理由で権力から目を逸らして婚姻相手を選ぶような愚考は犯さないものである。

そして彼女は蛮族の長の娘だ。

「う、うーむ・・・」
色々と口を挟みたいが非常に繊細な問題の為、歯がゆくて唸るしかできないハイジヴラム。
「貴女、ヴァッツの事好きなの?」
「は、はいぃっ!!その強さに身も心も奪われましたぁ!!絶対ヴァッツ様のお子を戴きたいですっ!」
強い男に惹かれるというのは男女問わず理解出来るがそれでもまだ出会って二日、
時間に換算し直すとこうやって言葉を交わした時間は2時間にも満たないだろう。
「ねぇハイジ。嫁ってよくわかんないんだけど何?」
「えっ?!?!」
ここにきて最大の問題に直面した猛将は今までの人生で一番頭を使って考えた。
正直自分も未婚の身である為明確な答えを持っていないのだが、
「一緒に暮らそうって事よ。」
代わりにアルヴィーヌがある意味本質を捉えた答えを軽く返すと、
「なるほど!一緒にか・・・いいよ!!」
「ええぇっ?!?!っと!!!ちょっとお待ちください!!!」
いつも通り簡単に返事をするヴァッツに思わず待ったをかけるハイジヴラム。
流石に蛮族の娘を嫁として連れ帰ればお叱りだけでは済まされない。
彼はスラヴォフィルの親族であり破格の力を持つ国の希望なのだ。
恐らく正式な婚約相手は国王が選ぶか、国王が集めた中からヴァッツ様が選ぶ形になるはずだ。
もちろん妻を複数持つ事も出来るだろうが、果たしてその中に蛮族の娘を入れていいかと問われると・・・。
「えっと・・・バラビア様。この問題は我が国を巻き込む大きな選択となります。
なので一度持ち帰ってから精査の後お返事したく存じますがいかがでしょう?」
「いいよ!!じゃあ早速『トリスト』に行こう!!!」
保留という形でも快諾したバラビアはそのまま着いて来る気らしい。
「え?!一緒に来るの?!」
「もちろん!!あたいはヴァッツ様のお子を授かるまで故郷には帰らないつもりだよ!!よろしく!!」
「お~。何か面白そう。よろしくバラビア。」
「・・・・・」
『リングストン』内でのいざこざを解決したハイジヴラムは
その吉報を遥かに超える凶報を持ち帰らなければならなくなった事態に深いため息しか出なかった。







バラビアがヴァッツ達と共に『アデルハイド』に向かっていた頃、
山間部にあるバイラントの集落では族長が祝宴を上げていた。
「いや~!目出度い!!あれほどの力が手に入るとは!!」
単純な彼らは民族内での信仰の1つである、
『バイラントで一番強い戦士がそれ以上に強い他民族の戦士と契りを結べば永遠の繁栄が約束される』という言い伝えが成就し、
既にバラビアがヴァッツの子を授かったかのような大盛り上がりを見せていた。
「父上。姉上がまだ契りを結べた訳ではありません。あまり早とちりされないようにお願いします。」
一緒に座るマハジーは狂喜とも呼べる騒ぎ方を諫めつつもそれほど強くは諌言しなかった。
理由はもちろんヴァッツだ。

彼が放った大いなる殺気によってあの戦場にいた戦士達は恐怖に支配され全く役に立たなくなっていたのだ。
バイラントは周辺でも5大勢力に入るほど影響力が強く人口も多い。
大半の戦士が使い物にならない状態だと知られてしまえばあっという間に他民族からの侵攻を受けるだろう。

この危機を一気に打破出来る策、これこそマハジーが打ち出した身内に取り込むという方法だった。
彼自身この計略がすんなり通るとは思っていない。
いくら強くてもヴァッツという少年はまだ子供。姉が子を授かるにしてもその結果は数年先になるはずだ。

だがそれも都合がよかった。

この数年間、結果が出るまでバイラントの民は強大な力が手に入ったと決めつけて思い込み、
昨日の恐怖を狂喜で塗り替える事によって皆が鼓舞し、戦士の力を取り戻せるのだ。
もし契りが果たせなくても数年この状態を維持出来れば周辺の部族に後れを取る事は無いだろう。
いや、今後れを取る訳にはいかないのだ。でないと・・・
「父上。ムンワープンの生き残りはどうされます?」
その名前が出るとあれだけ騒いでいた族長がぴたりと動きを止めて一瞬で真剣な面持ちになる。
「・・・彼らは奴隷として確保しておく。
扱いはお前に任せるが民族が全滅した件だけはしっかりと調べておいてくれ。」

バイラントと違い友好的で知勇に秀でていた民族ムンワープン。

蛮族の中で恐らく1,2を争う程の力を持っていた彼らが
一夜明けると全滅していた事件は東の大森林に住む者達に大きな衝撃を与えていた。

誰がやったのか?次はどの部族が狙われるのか?

発覚してから一週間、蛮族の間では戦々恐々とした空気が流れ疑心暗鬼でいがみ合いが湧き起こる中。
事件前にとある旅人からの情報を手に入れたヒーシャはこの場から退避する意味も含めて
現在国力が低下しているという『リングストン』侵攻を選んだのだ。
「・・・もしかしてあのヴァッツとかいうのがムンワープンを・・・」
「その可能性は低いですね。もし彼が滅ぼした本人なら我らもあの時散っていたでしょうし。」
バイラントから見て目の上のたん瘤的な存在だったが、
かの部族がいたお陰で蛮族がはびこる大陸の東は均衡と平和が保たれていたのだ。
それが一瞬で滅ぼされた事実に蛮族達は今、様々な思惑を胸に生き残りを賭けての行動を模索していた。

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