闇を統べる者

吉岡我龍

別れと出会い -『剣豪』と『緑緋』-

 自分の命が尽きかけている。
その最後は凄惨なものになるだろう。
全てをわかっているからこそヤータムは生にすがろうと必死なのだ。
例えそれが後世に語り継がれるほど醜い行動だとしても・・・

「き、来たぁぁぁ?!?!」
怯えと恐れから大きすぎる悲鳴を上げるヤータム。
その異常な姿から全員が彼と同じ方向に顔を向け、何が来たのかを確認しようとする。
将軍を助けに行く途中だった二人も制止されていたので仕方なく異変の原因に目をやると、

翡翠色の下地に緋い宝石のような目が描かれた旗印、
それを掲げた部隊が速度を落とすことなくこちらに向かってきている。
「掃討部隊か?!」
ここにヤータムが逃げ込んできたのは早々にばれていたらしい。サファヴはすぐに察し、
「ウェディット様!!お逃げください!!!」
あれは『リングストン』最恐の大将軍ラカン率いる緋色の真眼隊。
その強さは噂話程度の知識しか無いが、間違いなくここにいる残党を確実に始末するために参上したのだ。
(何としても将軍だけは助かってほしい・・・)
緋色の真眼隊は下級の雑兵達には目もくれず、大きく回り込んで高台にいる高官達に突撃していく。
「アスワット!!お前はエリーシアの元にいけ!!!」
「えっ?!お、おい?!?!」
サファヴはアスワットより強かった。ここで彼まで連れて行っても足手まといにしかならないだろう。
ならば幼馴染の元に護衛として向かわせた方が自身も安心出来る。
決意するとすぐに彼を後方に突き飛ばし、サファヴは全速力で前に走った。



 将軍はその様子を見ても慌てる事無く、むしろラカンが来るのを待っているようだった。
「ひやぁぁぁぁぁ~~~あぁぁぁぁ!!!」
完全に自我が崩壊したヤータムは急いで飛び降りると、何を思ったのか兵士達の中に飛び込んでいく。
それと入れ替わるようにサファヴが高台に飛び乗った。
「サファヴ?!なぜ来た?!」
制止していたはずの青年がこの場に表れた事が一番の衝撃だったらしい。
非常に驚いて大声で詰め寄ってくるが、
「ここで死ぬとは思えなかったので。俺が食い止めます。将軍は逃げて下さい!」
「・・・お前は本当に頑固だな・・・」
その様子を見て嬉しさからか呆れからか笑みを浮かべるウェディットは落ち着きを取り戻し、
二人の前に現れた翡翠色の髪を持つ男と対峙する。
「貴様は確かウェディット・・・どうする?ここでその首を落とされたいか?」
あまりにも静かな声で話しかけてくるので
本当にあの最恐と呼ばれた大将軍なのかとサファヴは疑ってしまうが、
「いや。然るべき場所にて然るべき裁きを受けよう。
残る私の配下は下級兵卒だけだ。それらは私の首で見逃してもらえればと思っている。」
「ウェディット様?!」
どこまでも気骨の男は死ぬまで己の意志を貫き通すらしい。
「よかろう。ではヤータムの捕縛を手伝え。多少の手傷は許す。」
「御意。」
助けにやってきたはずのサファヴが逆に助けられる形となり、
何もすることが出来ないまま二人の会話が終わると、兵士達の中に逃げ込んだ男を追って将軍達は動き始めた。





 3000人の兵士と5000人の住人が混乱状態の中、
アスワットは懸命にエリーシアを探していた。
「くそっ!!ちょっとどいてくれ!!エリーシアーーー!!!!!」
サファヴに任されたはいいものの8000人が四方に向かって逃げ出している為、
その姿を認識するのさえ難しい状態になっている。
彼女の特徴は金髪おさげとそばかすだが、それもこの中では無いに等しい。
更にこの混乱には別の原因があった。
アスワットは見ていなかったがこの中にヤータムが紛れ込んでいるのだ。
彼が奇声を上げながら出来るだけ人の多い場所へと必死に逃げている為、
集団に恐怖心を植え続けている害悪と化していた。

ざしゅっ!!ざしゅっ!!!

そんな中、お構いなしに剣を振るう者がいる。
(何だ?!まさか緋色の部隊か?!)
首領を捕らえる為にここまでやってきているのだ。ここで逃がせば彼らも面目丸つぶれだろう。
しかし、だからといって兵士や武器を持たない住人がいる中に斬り込んでくるか?!
いや、最恐の男が指揮を執っているのだ。むしろ斬り込んでくるのが普通なのかもしれない。

(まずい!!!そんな・・・そんなことになったら・・・)

彼の脳裏にはエリーシアの姿がいっぱいに映し出される。
間違って彼女の身にその凶刃が入れば悔やんでも悔やみきれない。
「エリーシア!!!!どこだ?!?!返事してくれぇぇ!!!!」
咽喉が潰れるほど大きな声で探し回るアスワット。
急がねば本当に取り返しがつかなくなる。必死で目を凝らし首を振って彼女の姿を探す。
「アスワット!!」
その耳に間違いなく彼女の声が届く。
慌ててそちらに顔を向けると先程から剣を振り回していた兵士達に連れ去られそうになっている。
「?!」
理解が全く追い付かなかったがその兵士は緋色の真眼隊ではない。
あれは・・・ヤータムの側近達だ。
「おい!!そいつは俺の友人だ!!放せ!!」
急いで詰め寄るとエリーシアの手を掴み、引き離そうとする。

どしゅっ!!

伸ばした手が彼女に触れる前に、別の側近からアスワットの腹部に剣が突き立てられる。
一瞬何が起こったかわからなかったが、鈍い痛みと急激に力が抜けていく感覚の中、
(・・・何だってんだ・・・今日は何もわからねぇ・・・)
思い返せばウェディットの招集から今までの出来事が何一つ理解出来なかった。
何が何だかさっぱりわからないが本能的に1つだけ、やり遂げねばならない事があるのはわかる。

膝から崩れ落ちそうな体に闘志で火をつけ、鞘から剣を引き抜くと側近に襲い掛かる。
アスワットは直接将軍から稽古をつけてもらっていただけあってそれなりの腕があった。
しかし不意に刺された腹部への刺傷によって満足に体が動いてくれない。
「(エリーシアを取り戻す・・・!!)」
もはや声すら出ない状態だったが憤怒で剣を振り回し、必死で彼女の元へ向かう。
「アスワット・・・」
何とも悲しい顔を向けてくるので焦りが生まれるのを隠しつつ、笑顔で安心させようと顔をほころばせる。

腹部の傷が致命傷だった彼が満足に動けるはずもなく、
アスワットが剣を一振りだけする間に側近達の悪剣がその身に数撃も襲い掛かる。
大好きな彼女を安心させる為に、笑顔を向けたままこと切れた彼はうつ伏せに倒れていった。





 「動くな!!これ以上住人を犠牲にしたくなければ剣を捨てよ!!!」
ヤータムが緋色の真眼隊に向かって奇声に近い声で怒鳴りつける。
その周りは危険だ。
すぐに悟った住人と兵士達は離れていき、やがてその様相がはっきりと浮かび上がる。

あろうことかヤータムは武器を持たぬ住人を20人近く、側近に囲ませて人質という形で扱っていたのだ。

それを包囲するように緋色の真眼隊が集まってくる。
そこに最恐の大将軍ラカンがウェディットを連れて姿を現した。
更にその後ろからサファヴが顔を覗かせると、その光景が目に飛び込んで来た事により彼は2度驚愕する。
人質の中にエリーシアがいた事、そしてその手前にアスワットが倒れていた事に。

「ヤータム。自国の民を盾に取るとは、もはや貴様を人とは扱わんぞ?」

静かだが部外者が聞いても震えあがりそうな怒りの籠った男の声が周囲に響き渡る。
「散々内紛を煽った貴様らにそのような事を言われる筋合いはない!!」
こちらも憤怒を前面に出して反論し返している。
逃げようとする姿はともかく一時は副王の座を狙っていた男だ。胆力はそれなりに持ち合わせていたのだろう。
「・・・アスワット・・・」
サファヴはとても大切な、家族のような友人が全く動かないのを見て小さく声を漏らす。
「・・・まさか・・・」
それが聞こえていたのかウェディットも目を凝らし、その姿を見つけると顔を強張らせた。
彼を大事に思っていた2人が呆然とする間にも、ラカンとヤータムの話は続く。

「仕方ないな。全軍突撃・・・」
最恐の大将軍は人質を犠牲にしても奴らを捕える気だ。慌てて、
「待って下さい!!」
サファヴが大声でそれを制する。これにはウェディットも驚いてこちらに顔を向けるが、
「何だ?」
ラカンは相変わらず静かに言葉を発する。
今から住人ごと突撃の合図を出そうとしている男からは何の感情も見えてこない。
敵対するとすべからく恐れを抱くというのはこういう所から来ているのだろう。
「あの中には俺の幼馴染がいるんです!どうか・・・」
本来であれば直接言葉を交わす事など絶対に不可能な身分の人間に、
サファヴはそれを分かったうえで懇願を口にする。
「・・・・・」
何かを考えているのかサファヴの無礼な態度に怒りが込み上げているのか。少しの沈黙の後、
「ラカン様、私が交渉してきても構いませんか?」
ウェディットが助け舟を出してくれた。
「よかろう。だがヤータムに不穏な動きがあればすぐに突撃させる。」
意外にも大将軍がその提案を受け入れてくれたのでサファヴは少しあっけにとられた。
そして自身の最も頼りにしている将軍がここで動いてくれる事に感謝と申し訳なさで胸がいっぱいになる。
下馬したウェディットはこちらに近づいてくると、
「お前の幼馴染というのはどれだ?」
こっそり耳打ちで聞いてきたので、
「金髪でおさげの、そばかすのある子です。」
その特徴をしっかりと伝える。将軍はヤータム達に目をやると、
「よし。では行って来よう。」
確認してから1人で歩いて彼らの前まで近づいていく。周囲はまさしく固唾をのんで見守る事しか出来ない状況だ。
「ほう?裏切者がよく私の前に姿を現せたものだな?」
ヤータムは恐ろしい形相でウェディットを睨みつけている。しかしそんな彼の憎悪など全く気にしない様子で、
「ヤータム様。これ以上の醜態は末代までの恥となります。どうか投降していただけませんか?」
8000人以上がこの場にいるにも関わらず2人の会話はよく聞こえた。
(そうか。投降が一番安全な方法だ。)
最初は将軍1人で何をしようというのかさっぱりわからなかったが彼らは国の重臣。
その責任を負っている為、これ以上無駄な犠牲や戦いを避けるならそれが一番有効な手段だ。
良くも悪くも彼らの死で全てが許され、この内乱が収まるのだから。
更に末代までの恥という言葉は矜持の強い身分の人間にとってはさぞ堪えるだろう。

この説得がうまくいけば・・・・・誰もがそう願っていた。

「・・・末代までの恥か・・・フフフ、ハハハハハハハハ!!!!!」

ヤータムが急変する。大声で笑いだすと、
一番近くにいてしまったエリーシアの腕を掴み、自身の体に重なるように前に出してその首に剣を突き付ける。
「この規模の内乱で我が親族が許される訳がなかろう?当家の人間はこの世から消え去るのだ。
ならば周囲の有象無象に何と思われようと恥でも何でもないわ!!」
言い放つと盾のように自身の前に立たせていた彼女の背中を強く突き飛ばす。
それと同時にウェディットが全力で前に出てエリーシアを取り戻すべく大きく手を伸ばした。

ざしゅっ!!

静かなこの場だからこそ、僅かな斬撃音ですらよく響いた。

エリーシアの背中にヤータムの手にしていた剣が走り、彼女は大きく体勢を崩す。
前に倒れ込みそうになったのをウェディットが慌てて受け止めて抱きしめると
「やれ!!この裏切者を殺せ!!」
その2人に向かってヤータムの側近が矢を射かけ、更に剣を振り下ろす。
将軍はその命令が下るよりも早くエリーシアをしっかり包み込むように抱きしめると
側近達に背を向けてその場にしゃがみこんだ。
彼らの目標は身分の低い住人を抱えたウェディットに絞られる。

びん!びん!びびん!!

弦の弾かれる音と共にヤータムを囲んでいた緋色の真眼隊が不意に矢を放った。
目の前の将軍しか見ていなかった彼らは無防備な状態でそれらを受けて狼狽する中、
騎馬隊が側近達に向かって突撃し、手にした長柄物でそれらを刈り取る。

瞬く間に側近達が屍と化し、長剣を持っていたヤータムの右手には矢が刺さっていた。
緋色の真眼隊が呆然と立ち尽くす反逆者の傍から住人を退避させ、
その前にはラカンが騎乗したままゆっくりと近づいていく。
「・・・・・」
何も言葉を発する事のない両者。大将軍は軽く右手で合図を送ると
真眼隊が3人ほどヤータムに近づいて行き猿ぐつわと手足を縄でしばって拘束した。

恐るべき速さで鎮圧を終えたラカンはゆっくりと踵を返すと部隊を集めて細かい指示を命じ出していた。





 ・・・・・全てが瞬く間に終わった。

ラカンと緋色の真眼隊は自分達の任務を終わらせてから動きがない。
正確には『ダラウェイ』を臨時で治める人間の選出と、
ここにいる兵士や住人の扱いについて相談していたのだが、それが周囲の耳に届くことはなかった。

・・・・・サファヴは未だに立ち尽くしたまま動けなかった。
エリーシアが斬られ、それを守ろうとしたウェディットもまた背中に数本の矢と剣戟をいくつも受けていた。
しっかり守ろうとしてくれた恩人の体はしゃがみこんだまま動こうとしない。

エリーシアを抱えたまま、こちらに歩いてきてくれないだろうか?

でないと自身は今にも倒れそうで・・・とてもじゃないが今は動けない、動けそうにない。
彼らから目が離せないまま立ち尽くしていると、周囲の兵士達が恐る恐る将軍の元に近づいて行く。
皆彼の死を確信しているので、ある者は涙を、ある者は声を漏らしながら・・・

俺も行かねば・・・

命を賭けて幼馴染を守ろうとしてくれた将軍の元に・・・
しかし近づくと2人の死と直面してしまう。
アスワットを失った今、それはあまりにも残酷過ぎて、自分がどうなってしまうかわからない。

何も決断することが出来ないまま茫然自失でいると、
「サファヴ!!!来い!!!」
兵士の一人が呼ぶ声に、心と体に火が付くような熱さを感じると全力で彼らの元に走る。
傍でしゃがみこんでその顔を覗き込みながら、
「ウェディット様!!!」
「・・・・・」
返事は無く、すでに呼吸をする気配はなかった。
「・・・サファヴ・・・」
「?!?! エリーシア!!」
その力強い体に守られた彼女に名前を呼ばれて喜びの声を上げてしまう。
すでに近しい人間が2人も立て続けに死んだのだ。
ここでそんな声が出てしまった事に一瞬自分でも理解に苦しむ感情に囚われるが、
「・・・アスワットが・・・死んじゃった・・・」
「・・・・・ああ。」
エリーシアにその事実を告げられ、再認識させられるサファヴ。
「将軍も、お前を守る為に・・・いや、ウェディット様が、お前を命懸けで守って下さった。」
そう言いながら彼女の頬に手を添わせる。
「・・・・・」
無言になったので慌てて将軍の体を動かしてエリーシアを担ぎ出そうと動き出す。
「すまん皆!!ちょっと手伝ってくれ!!」
彼女も傷を負っているのだ。急がねば取り返しがつかなくなる。
周囲も急いで、しかし丁寧にウェディットの遺体をゆっくりと動かし、
抱きかかえられていたエリーシアの体を運ぼうとするが、その彼女を見て一同が絶句する。

「・・・・・」

優しくその腕に守られてはいたが、いくつもの矢や槍が貫通して彼女の体にまで傷を負わせていたのだ。

「・・・・・そ・・・んな・・・・」
「・・・サファ・・・好きよ・・・・」
やっと救い出せた彼女の最後の声は、呼ばれた名前よりも好きという言葉の方がしっかりと聞き取れた。

それを伝え終えたエリーシアはとても満足そうな微笑みを浮かべていた。





 動かなくなったエリーシアを見つめながらサファヴはやっと気付いた。

この日、彼は大切な友人と上官を失った事で深い悲しみに襲われていたのだ。

しかし最後に言葉を交わし、自分の腕の中で死んでいった彼女を見届けると、
あれだけ悲しかった2人の死が全てエリーシアへの想いにかき消されたのだ。

・・・こんなにも彼女を愛していたのか。

淡い恋心などと気づかないふりをしたり、
アスワットとエリーシアを弟や妹みたいに都合よく変換していたのも全て言い訳だ。
こんなことならもっと・・・幼馴染ではなく1人の女の子として向き合うべきだった。
アスワットとウェディットの死を軽視している訳では決してない。
しかし脳裏に浮かぶのは彼女の姿と最後の言葉、後悔と悲しみが絶え間なく心に押し寄せてくる。

こんなにも大きな想いが自分の中にあったなんて・・・

未だエリーシアの体を放す事が出来ず、安らかに微笑む顔をただ眺めていると、
「聞け。我らは反逆の首謀者ヤータムを王都に連行する。
ここの管理は我が配下のエウーダに任せる。以上。」
短く静かに周囲の人間にそう伝えると緋色の真眼隊を引き連れて帰ろうとしたラカン。
「待って下さい・・・。」
同じように静かに声をかけたサファヴ。馬の足を止めて振り向く大将軍は、
「何か?」
相変わらず感情が読めない口調と表情だが、
彼の呼びかけに応じてくれたのはウェディットが目にかけていたサファヴを少しは認めてくれているのだろう。
だが今のサファヴにそんな些細な事などどうでもよかった。
静かにエリーシアを地面にそっと横たえさせると、
「ヤータム。そいつは俺に殺させてください。」
ラカンの返事を待つ前に抜剣し、怒りと憎しみの表情を浮かべる彼を周囲の人間も心配そうに見守る。
「駄目だ。こいつには然るべき刑が待っている。雑兵が踏み込む余地はない。」
国の中枢を担う大将軍の発言はもっともだ。
これを覆そうと思ったら相応の身分とかなりの弁が必要になるだろう。
「それでも。お願いします。」
サファヴは再度静かに、感情を押し殺しながら願い出る。しかしそれ以上に静かな男は、
「くどい。」
短く拒絶した。
今までの彼ならそこで諦めていただろうが、エリーシアを失った事で理性はとうになくなっていた。
一足飛びでヤータムが収容されていた馬車に近づくとその護衛共々斬り伏せる勢いで剣を振るう。
「や、やめろサファヴ!」
顔見知りの兵士達が悲鳴に近い声で彼を止めようとするが耳に届くはずもない。
更に彼の実力がかなりのものだった事が悪い方向に拍車をかける。
相当な実力を持つ緋色の真眼隊の戦士に手傷を負わせて怯ませたのだ。
馬車の護衛は2人。もう1人を抑えれば彼がヤータムに手を掛けるのも現実味を帯びて来る。
しかし、

ばきゃっ!!!

長柄物の柄を使って打ち込んだのは大将軍ラカンだ。
サファヴの体は簡単に吹っ飛び、それでもすぐに受け身を取って立ち上がるが
額には大きく縦に裂けた傷がぱっくりと開き、頭部独特の激しい流血が顔中に拡がっていく。
「やれやれ。聞き分けの無い小僧だ。」
そう言ったラカンは懐から小さな皮袋を取り出して彼と自分の中間あたりに放り投げる。
「これで手を引け。」
恐らく宝石や貴金属の類だろう。『リングストン』の貨幣は一部の上流階級しか扱えない為、
サファヴのような下級兵士には直接的な物品を与える事で懐柔しようとしたようだ。
「そ、そうじゃない・・・そうじゃないんだ!?」
怒りでより流血が激しくなる中、もう一度馬車に向かって走り出す。
(せめて・・・俺に出来る事は・・・これしかないから・・・!)
エリーシアを直接手にかけ、アスワットとウェディットをも殺した男。
(今ここでそいつを仕留めなければ、俺は・・・俺は・・・)
「うおおおおおおお!!!」
激しい咆哮と共に馬車に襲い掛かるサファヴ。
だが文字通り、ラカンの横槍でまたも簡単に吹っ飛ばされ、また立ち上がる。
もはや痛みなどは感じない。

刺し違えてでも奴だけは殺す。
いや、死んでも奴だけはこの手で殺す。

「惜しいな・・・」
ラカンが一瞬憐みの目を見せるがそんなものはどうでもいい。
サファヴはやらなければならないのだ。

三度馬車への攻撃を仕掛けようと身をかがめた瞬間。

『ダラウェイ』から一番近い林、丁度サファヴの後方から多数の矢と蹄の音が轟いてきた。





 「よっしゃー!一番乗りっす!!」
とても元気な声を上げる若輩者が勢いそのままに騎馬で林から飛び出してくる。
数十の矢が緋色の真眼隊に飛んでいく中、
(これは・・・今しかない!!)
どこの部隊かわからないが彼らの攻撃によってラカンの部隊が若干浮足立ったのだ。
サファヴはこれを好機と受け取り、三度馬車へ突貫する。

「させんよ。」

そこに再び現れる翡翠色の髪の男。だか今度は長柄物の刃を叩きこもうとしている。
それでも彼は恐れない。すべてを失った今、恐れる理由が何もないのだ。
『リングストン』最恐の大将軍ラカン。
その男の手によって殺されるのなら、この怒りと恨みを断ち切ってもらえるのなら、それも悪くないかもしれない。
心に若干の諦めも生まれつつ、それでも最後まで馬車にいる奴の命を狙うサファヴ。

「そうだな!」

刹那、聞きおぼえのない声が背後から聞こえてきた。
それとほぼ同時に、

ばきぃぃぃ・・・・・ッ!!!

火花と共に響き渡る激しい金属音。
それがすぐそばで発生したので鼓膜が破れたのではという錯覚に囚われる。
見れば馬車周りの護衛もいつの間にか見たことのない兵士達を相手に奮闘している為
サファヴに構う余裕はなさそうだ。
「こんな気骨のある若者を殺そうとするなんて、
『リングストン』は相変わらず人の価値ってのがわかってねぇな。」
先程一瞬聞こえた声の主。
派手な鎧を身に着けている訳でもない、それなりに年を取った男がラカンに向かって大口を叩いている。
「貴様・・・何者だ?」
「初めまして。俺はフェイカーって言うんだ。ただのしがない一兵卒よ。」
一兵卒??
自分と同じ身分のこの中年。ラカンの一撃を跳ね返したこの男がただの兵卒??
いきなり降って湧いてきたこの状況に思わず憎悪を忘れてしまうが、
「おら。何ぼさっとしている。目的はその馬車だろ?」
フェイカーという男は顎でそれを差してサファヴに大事な事を思い出させてくれた。
「させんよ。」
先程と同じ声だが動きがまるで違う。
一瞬で騎馬ごとサファヴに接近してくるラカンに初めて恐怖を感じたが、
「俺を前に出来ると思ってるのか?」
それよりも早く距離を詰めてくるフェイカーという男。
ラカンが手にする長柄物の槍に対して彼が持つのは細めの長剣だ。
様々な点で無謀過ぎるその行動に目をそむけたくなるが、

ガキキィ・・・・・ッ!!ガン!!ガン!!ガガン!!ガンッ!!

激しい撃ち合いが行われる。あの最恐の男に全く引けを取らない中年。
一体何者だ??
「あとで教えてやるから、さっさと片付けて来い!!」
それだけ激しい剣戟を放ちながらもこちらを気に掛ける余裕があるらしい。
憎しみを忘れるほど凄まじい立ち合いに背を向けるのが惜しい気もするが、
エリーシアとアスワット、そしてウェディットの仇が討てる。
憎悪と共に新たな感情、狂喜が生まれたのを感じるサファヴ。
外からしか外せない施錠を解除し薄暗い馬車の中を覗き込むと
猿ぐつわと両手足を縛られたままの男がこちらを恐怖に濁った眼で見てきた。





 何となくわかる。
あのフェイカーという男、ラカンと同等か、それ以上に強い。
彼だけではない。彼が引き連れてきた集団も緋色の真眼隊と互角に戦っていた。
恐らくこの馬車に、もう邪魔者は入ってこない。

「さて。俺はサファヴ。お前が斬り殺したエリーシアを誰よりも愛していた男だ。」
静かに自己紹介を終えると、持っていた長剣をヤータムの胸元に向けて、
「ウェディット将軍にはよくしていただいた。黒髪の青年、アスワットっていうんだが。
あれも俺の幼馴染、大事な友人だったよ。」
殺された2人との関係も静かに語る。ヤータムは切っ先から逃げようと後ろに下がるが馬車内は狭い。
やがて四隅の部分に体を押し付けて、それ以上逃げれない所まで自らをおいやったのを確認すると、
「お前だけは・・・絶対に許さない。許されないんだ。」
長剣の切っ先を胸元から脇腹付近に位置を変えると静かに突き刺し始める。
「・・・!!・・・・!!」
ゆっくり・・・そう、ゆっくりだ。
時間をかけて、その切っ先が背中に貫通するまで、その腹部を突き刺していく。
猿ぐつわはしているものの多少のうめき声は聞こえてくる。
だが今の彼にとってそれはとても耳障りの良い音楽のように感じていた。

背中まで届いたのを確認すると今度はそれを勢いよく引き抜き、
ヤータムはその痛みから体を激しく反応させる。
そのまま今度は反対側の腹部に切っ先を持っていき、またもゆっくりと突き刺していく。
そう。ゆっくりだ。ここで手を抜いてはいけない。
自分の恨みと怒り、そして亡くなっていった大切な人達の無念。
エリーシアは優しいからこんな事を望まないかもしれない。だがサファヴはそれを許さない。

ずず・・・ずずず・・・

「・・!!・・!!」
2本目の長剣が体に入っていくのを白目を向きながら体を震わせて感じているヤータム。
それも背中まで貫通し終わると、刀身を強くひねって引き抜く。
「・・・・・」
もはや虫の息だ。
このまま止めを刺さずに苦しませておいたほうがよかった気もしたが、
彼の中に残っている笑顔のエリーシアが本当に機嫌を損ねかねない。
「あの世ってのがあるのなら、今度はアスワットに殺されるんだな。」
最後にそう言って勢いよく喉元に剣を突き刺すサファヴ。
副王タフ=レイの息子ヤータムはここに刑を終えた。





 怨恨と憎悪と狂喜を止めることが出来ず、
思いのほか始末に時間がかかってしまったサファヴ。しかしすでにこの命に未練はない。
もし外であのフェイカーという男が倒されていて自分もラカンに斬り殺されても悔いはなかった。
やりきったことにより心のゆるみが生じたのか、少しふらつきながら馬車の外に出ると、
未だに周囲では激しい戦いが繰り広げられている。
(凄いな・・・彼らは一体・・・)
しかも彼が馬車から出てきたのを確認すると、
「お?!やったみたいだな!!」
あのラカンと戦っているのにこちらの様子を伺う余裕があるらしい。
(本当に何者なんだ・・・)

がきぃぃ・・・・ん!!!

一際大きな金属音が鳴り響き、強者2人が距離を取ると、
「貴様達・・・覚悟は出来ているんだろうな?」
今まで静かな印象だったラカンが怒りに満ちた表情を浮かべている。
それは周囲も感じたのか敵味方問わず一瞬皆がそちらに目を奪われると、
「覚悟ねぇ・・・せっかくだ。もう少しだけなら相手してやろう。」
軽い口調で顎鬚に手をやりながらそれに答えるフェイカー。だが、
「お前らは下がれ!シーヴァル!!この金髪を連れて行け!!」
すぐに自分の事だとはわかったが、連れて行く・・・どこにだ?
正直全てを終わらせたのでもう自分がどうなってしまっても構わないと思っているサファヴ。
「逃がすと思うか?」
突如ラカンの雰囲気が変わった。
翡翠色の髪が逆立ち、紅い目はまるで血の色のように鮮やかに光を放つ。
と、大将軍が一瞬でサファヴに襲い掛かって来た。
動きの一切がわからず、負傷によってふらつき気味だった彼にはどうする事も敵わなかったが、

ばきんっ!!!

やはりフェイカーが間に割って入り、その攻撃を受け切っている。
「ほら!!こっちっす!!」
気が付けばかなり若い兵卒が馬から体を半分乗り出してサファヴを拾う形で突進してきた。
訳が分からないままそれに捕まり、馬上に座ると、
「・・・すまない。エリーシアを置いてはいけない。」
ここに留まっていれば間違いなく反逆罪で殺される。
だが失った3人を葬っている時間もない。
どこに連れて行かれるかもわからないので最後は彼女の元にいたいという理由から口に出してみたのだが、

ばきゃっ!!!がきん!!がん!!ががんっ!!

「そのエリーシアってのを運べ!!長老!!」
お互いの剣戟が見えず、その剣閃で地面に亀裂が入るほどの戦いを展開する中でも
フェイカーが指示を出してくる。
見ればいくつかの剣閃で緋色の真眼隊隊員が巻き込まれてかなりの傷を負っていた。
すぐに造りの粗い馬車が現れると、
「エリーシアってあの子っすか?!」
シーヴァルという青年に尋ねられ、もはや何も考えられずに、
「あ、ああ。」
短く答えるのが精いっぱいだったサファヴ。2人がかりで素早くそこに担ぎ込まれると、
「退却じゃ~!!」
馬車に乗っていた初老に近い男が号令を出す。
彼の兵卒達は風のように退却していくがラカンと対峙している男だけは、

ばきっ!!がん!!ばききっ!!がんっ!!

未だにラカンと剣を交えたままだ。
しかしその激しさ故、周囲が手を出す事は一切出来ない。
「フェイカーさん!!いつまでやってるんっすか!!」
シーヴァルが大声で彼を諫めると、
「おう!じゃあ戻るか!!」
相変わらず彼からは余裕を感じる。本当に底が見えない男だ。
「逃がさんぞ?」
相手はあの大将軍ラカン。ここまで虚仮にされて黙っているはずもない。のだが、
「はっはっはー。次は最初から全力で来い。でないと俺は止められんぞ?」
そう言い放ったフェイカーの右手から

ぴぃぃぃ~~・・・・ぃぃん・・・・

耳障りな高音が鳴り響き、同時にラカンの馬、両手足に裂傷が浮かび上がると一気に流血する。
「ぬぅ・・・・」
一瞬で四肢に負傷を負い、馬を失った大将軍。
逆立っていた翡翠色の髪は勢いをなくし、険しい表情の浮かぶ彼の目に力がなくなると体が大きく揺れた。
「ラカン様?!?!」
見守っていた緋色の真眼隊が一斉にフェイカーに突撃し、残りはラカンの盾となるべく彼を囲みだす。
命に代えても必ず大将軍を守り切る。彼らの忠誠心から来る捨て身の布陣だ。
それを目の当たりにしてもフェイカーの態度は最初と変わらず、
「もうやらねぇって。んじゃな!」
軽口に加えて手まで振りながら退却していった。

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