闇を統べる者

吉岡我龍

王道 -叶わない恋路-

 世界が動いていく。

クレイスを見てそう感じていた時雨は今日もヴァッツの従者として付き従っていたのだが最近はその立場が脅かされていた。
「ヴァッツ様、この『モ=カ=ダス』という国には一度強く伝えるべきです。こう何度も何度もヴァッツ様を呼びつける等、例え王としても許されるものではありません。」
というのも彼に関わる業務には蘇ったクンシェオルトが必ず干渉してくるからだ。
しかし4年前の非業の死を考えると無理矢理押しのける訳にもいかず、立場的には彼の方が上官に当たる事と真面目で堅実な仕事から余計にもやもやしてしまう。
「あ~イェ=イレィね!それじゃ会いに行こうか?」
「いえ、そうではなくてですね。あらゆる局面を打開出来る御力を持つヴァッツ様を気分次第に呼びつけるなど言語道断。よろしければ私が断って参りましょう。」
更に彼はヴァッツの純朴さに流されない強みも持ち合わせているのだ。もしこれが時雨なら反論する事無く一緒に行こうという話でまとまっていただろう。
「そう?でもあの国も不安定な所があるしね。一度見に行くのもいいかも?」
「ふむ・・・でしたら視察と苦言を呈する意味で私もご一緒致します。」
おや?やはりそうなるのか。結果を見て安堵してしまった時雨は若干の自己嫌悪に苦笑いを浮かべていたがやはりクンシェオルトはとても生真面目なのだ。

「では我々は一度『モ=カ=ダス』に赴いて参ります。長居をする予定はございませんので皆様は王城でごゆるりとお休みなさっていて下さい。」

「え?いや、私も付き従わせて・・・」
「時雨様はヴァッツ様の寵愛を受ける御方。このような相手と野暮用に出向かれる必要はございません。」
寵愛を受けるという言葉には思わず気恥ずかしさと喜びを感じてしまうがそれ以上にヴァッツと当分会えなくなる事実は看過出来ない。
「し、しかし私もヴァッツ様の従者なのです!主自らが他国へ赴かれるのを黙って見届けるなど忠義に反します!」
こういった場合彼を独り占め出来る事が多いという下心は隠しながら何とか反論を繰り返すがその強さだけでなく勘や思考も鋭いクンシェオルトはすぐにこちらの意図を察したらしい。

「ご安心を。此度は我々2人だけの任務となりますので決して他に後れを取る事はございません。」

最後は静かにそう耳打ちしてきたので見透かされていた時雨は完全に降参して静かに頷くしかなく、お気をつけてと告げるとヴァッツは元気に頷いて黒い竜の鞍に飛び乗るのだった。





 「アルも続いてるわね~あの娘の事だから生き物の世話なんて一か月も経たずに飽きると思ったのに。」
ヴァッツ達が旅立った後、すっかり後宮での暮らしに慣れ親しんでいたハルカはまるで自分の部屋のように寛いで焼き菓子を頬張る。
本来ならすぐに咎めたい所だが今回は主人が留守の間、何故か自分達に書簡が届いたという事でレドラに招かれたのだからここは頷くに留めておこう。
「ではどうぞ。」
そうして時雨にリリーとハルカがそれぞれ目を通すと内容は『リングストン』にいるルバトゥールからの招待状だった事から各々が反応を見せる。
「へぇ。ヴァッツ様じゃなくてあたし達を呼ぶんだ。・・・何で?」
「お姉様、それは何か企んでいるからに決まってるじゃない。でも何を企んでるのかしら?」
友人の鈍感さはともかく『暗闇夜天』の元頭領にもそれはよくわかっていないらしい。時雨も旅をしていた時にじっくり観察していたが決して搦め手を使うような狡猾さは感じ取れなかったし、むしろ純粋で素直な人物だという印象だ。
という事は本当に自分達を招きたいだけだろうか。辛うじて考えられるのはヴァッツに近づく為の相談くらいが有力か?

「・・・ヴァッツ様も『モ=カ=ダス』で立派にお勤めを果たしておられます。でしたら私達も一度『リングストン』の本質に迫ってみるのも良いかもしれませんね。」

国王フォビア=ボウは相当な曲者だがラカンの反逆から失脚には全てヴァッツの力が関わってきた。であれば彼が囲う少女達に何か危害を加えるような事はしないだろう。
「でしたらどなたか護衛について頂きましょう。」
しかし念の為とレドラが口を挟んできたので3人は顔を見合わせた後、満場一致で是非彼についてきて欲しいという話で同行者が決定するのだった。



「ご、ごめんねレドラ様。でも他に頼れそうな人が思い当たらなくて・・・」
彼はヴァッツの部屋を任された執事であり、常に笑顔を絶やさない人物なので感情がとても読みづらい。故にリリーが申し訳なさそうに謝罪しても普段通りに接してくる。
「いえいえ、私もヴァッツ様の伴侶として選ばれた方々に頼られて光栄の至りでございます。それにもしあなた方に何かあればそれこそ主人に申し訳が立ちませんからね。」
そう言われるとこちらも気恥ずかしさを覚えるがレドラは本気でそう思っているのだろう。いつも以上ににこにことしていたのでこちらもいらぬ気遣いは無用だと安堵した時、別の話題が飛び出してくる。
「ところでハルカ様とリリー様の代役として『気まぐれ屋』にメイ様が派遣されるとお聞きしましたが、大丈夫でしょうか?」
そうなのだ。今回2人が『リングストン』に赴く為不在となり、ウォダーフから何とか代わりの可愛い従業員を要望されたそうでこちらもメイという色々と実力が未知数な彼女に白羽の矢が立ったのだ。
「大丈夫大丈夫。メイも初めての経験だって喜んでたし。それにあの娘結構激情家な所があるしね。何かあればウォダーフに収めて貰えて一石二鳥よ。」
既に問題のある内容だったが出立してしまった今となっては祈るしかないだろう。
そんな他愛のない話をしていると時間はあっという間に過ぎ去り、順調に旅を続けていた一行は2週間を超えた頃『リングストン』の王都に到着していた。





 「よ、ようこそ『リングストン』へ!さぁさぁ、皆様こちらへどうぞ!」
通された部屋で久しぶりにルバトゥールとの再会を果たした時雨達は早速歓待を受けたのだがその違和感に気が付いたのは既に何度も来国を果たしていたリリーだ。
「あれ?今日は随分と規模が小さい・・・やっぱりヴァッツ様がおられないからかな?」
不慣れな時雨はそれなりの大部屋に数十名の召使や重臣達がいるだけでも畏まっていたのに友人はすぐに淑女としての立ち振る舞いを見せると相変わらず人がたかってくる。
ただいつもと違うのはこちらもだ。
「お帰りなさいませリリー様。此度の長旅誠にお疲れ様でございます。して、何やら見慣れぬ紳士がおられますが彼は?」
「はい。今日は主人が不在の為、執事であるレドラに同行して頂いております。」
こいつ、ますます妻としての立ち回りが板についてきてないか?
もしかすると最大の敵は友人なのかも。いや、そもそもヴァッツ様は平等に愛を注がれるのだからその考えこそが駄目なのだ。
もやもやで何度も頭を振っていると時雨もかなり認知されているのか、リリー程ではないにしても10人以上が挨拶にやってきてくるので緊張しながら対応するが横目で見ていたハルカもかなり自然な笑みを浮かべながらやり取りを行っているではないか。

・・・・・帰ったらもう少し淑女について勉強しよう。

いくら主人が平等だと謡っていても彼に恥をかかせるようでは妻失格だ。容姿だけでなく立ち居振る舞いにおいても劣等感を抱いた時雨は強く心に刻み込むとルバトゥールに呼ばれた3人は部屋に通される。
そこでやっと秘密の話があると告げられたのでレドラにだけは扉の外で待機してもらうようお願いすると彼女は椅子に座る3人に頭を低くして小声で話し始めた。
「あの、あれからヴァッツ様は私の事を何か仰ってましたか?」
これは非常に気まずい。というのもあの旅を終えてからルバトゥールの話題は一切出てきていないのだ。それでも彼女からすれば覚えてもらおうと頑張っていたのだろう。
その成果を確認したくて今回は自分達を呼んだという事らしい。
「・・・えーっと。な?」
「残念ね。あの旅から帰ってきて以来あなたの名前は全く聞いていないわ。」
しかしリリーが気まずそうに声を上げると続いてハルカがばっさりと断言したのだから何故か時雨が肝を冷やす。

「ヴァッツ様は普段からそういうお話をされませんが恐らく心の中では様々な事を考えていらっしゃるのでしょう。」

故に何故か自分が助け舟を出すような発言で何とか場を収めるとルバトゥールも控えめな安堵の表情を浮かべて小さな溜息をもらしていた。





 「いくら国家の為とはいえヴァッツに色仕掛けは通じないわよ?もうクレイスの国以外で大将軍はしないって公言も広がってる事だしそろそろ諦めたら?」
なのにハルカは再び無遠慮に場の空気を乱してくる。気苦労が水泡に帰した時雨は机の下から怒りのつま先攻撃を繰り出すと珍しくそれが足首に当たったのでハルカも一瞬顔を歪ませていた。
「い、いいえ。わ、私はヴァッツ様を誰よりもお慕いしております。こ、国家とかは関係ありません!」
「いつつ・・・だったら『リングストン』を捨ててこっちに来なさいよ。そうすればもう少し意識してもらえるかもね?」
「ハ~ル~カ~ぁ?」
これは彼女なりの助言なのかわざと焚きつけているだけなのか。隠す事を諦めた時雨がまるで王女姉妹を叱る時のような声色と視線を向けるが目を逸らしながら口を尖らせる仕草から反省の色は見えない。

「いや、でもハルカの言う事は正しいよ。ヴァッツ様は下心のある奴に手を差し伸べたりしない。ましてや伴侶として振り向いてもらいたいなら猶更だ。なぁルバトゥール、お前は本気でヴァッツ様をお慕いしているか?もう一度自分の胸に手を当てて真剣に考えてみてくれないか?」

最後は皆の姉のような存在のリリーが優しく諭すとやっと話も収束に向かったのだろう。静けさに包まれた部屋から解放されるとレドラが優しく迎えてくれるのだった。



本気でお慕いしているか、か。
あの台詞はもしかすると自身にも問いかけていたのかもしれない。晩餐会が開かれる中、時雨は相も変わらず人に囲まれっぱなしのリリーを眺めながら静かに食事をしているといつの間にかルバトゥールが隣に立っていたので少し驚いた。
「リリー様はお美しく、そしてお強いですね。わ、私にもあれ程の器量があれば・・・」
「ルバトゥール様、それはないものねだりというものです。私達は私達のままで生きていかねばならないのですから。」
彼女の呟きには自身にも覚えがある。同性から見ても目を奪われる容姿は何物にも代えがたい宝なのだ。しかし時雨は彼女と出会ってすぐにその考えは捨てた。
何故ならリリーの美しさは決して温室で育てられたのではないのだから。妹を人質に取られたまま無理矢理戦わされてきたという過酷な環境下でも腐らずに生き抜いてきた事を知っているから。
「そ、そうですよね。わ、私ってばすぐに他人を羨んでしまって・・・これではヴァッツ様にも振り向いて頂けませんよね・・・」
そもそも彼女は王族であるにもかかわらずあまり存在感というか威光みたいなものが感じられない。
恐らくヴァッツを籠絡する為に無理矢理どこかから養女に迎えたのだろうというのがショウの推測だが今なら納得がいく。それで好いた惚れたの展開に持っていくのは相当な食わせ者でなければ難しいだろう。

「・・・もし困っている事があればいつでもご相談下さい。婚姻に関わらない事であれば私達もご協力致します。」

だがルバトゥールにも責任がある筈だ。ヴァッツからの寵愛を受けなければならないという任務に対する責任が。もしそれが遂行不可能だと判断された場合どんなひどい目にあうかは想像に難くない。
であれば出来得る限りの助け船を出すくらいはいいのではないか?袖すり合うも他生の縁という言葉もあるし、何より彼がこの場にいれば同じような言葉を贈っていただろう。
「・・・・・ありがとうございます。」
しかし彼女の疲弊した心では歩く事はもちろん、立ち上がる事さえ出来なかったらしい。力なく感謝を伝えると主催であるはずのルバトゥールはそのまま会場から静かに姿を消すのだった。





 少し可哀そうな気もするが自身も他人に構ってられる程余裕はない。
アルヴィーヌはともかくこのままでは正妻の座は間違いなくリリーのものだろう。いや、平等に愛を注いでくれる彼なら誰が正妻になろうとも気にする必要はないのか?
しかしヴァッツが一国の大将軍であり相当な権力を保持している事も考えると序列や立場は大事になってくるかもしれない。改めて彼との婚姻について考えさせられた時雨はこの『リングストン』への旅がとても有意義なものだったと勝手に締めくくっていたのだが既に世界は動き始めているのだ。
「もうお戻りになられるのですか。もう少しごゆっくりとなさって頂いてもよろしいのですよ?ここはヴァッツ様の御国でもあるのですから。」
初日以降全く姿を見せなくなったルバトゥールの代わりに国王フォビア=ボウ自らが見送りに姿を見せると流石に畏まってしまったがそこはリリーやレドラが恙なく対応する事で無事に出国を迎える、はずだった。



「・・・お待ちに、なって、ください・・・」



馬車に乗り込もうとした時、一週間ぶりに聞いたルバトゥールの声に衛兵達が機敏に反応すると時雨達も顔を見合わせて周囲を確認する。
場所は正門に通じる中庭で大きな扉は開放されており、そこから出てくる人影はない。衛兵達も来賓や重臣を護る為に警戒しているが声の主を捉える事が出来ていないようだ。
「ルバトゥール様?どちらにおられますか?」
なので特に警戒する理由がなかった時雨は虚空に尋ねてみると城内の奥から人だった塊が2体、かなりの速度で放り出されたではないか。
手足がぐにゃぐにゃに折れた液体のような亡骸は誰もが理解に苦しむ所ではあったがレドラが静かに構えると次いでハルカも『暗闇夜天』族の気配を放って周囲を警戒し始める。

「・・・ど、どうか、私も、・・・連れて行って、・・・」

そしてやっと現れたルバトゥールの姿を見て時雨達だけでなく『リングストン』の人間達も驚愕で固まってしまった。ただ一人を除いては。
「その化け物を始末しろ。」
フォビア=ボウが冷静且つ静かに命令を下すと衛兵達も我に返り、長槍を構えて彼女を囲い込むが異様な気配も相まって攻撃を加える事が出来ないでいる。
「し、時雨さま・・・わ、私にも・・・ヴァッツさまの、ご加護を・・・」
「ル、ルバトゥール様・・・」
右腕は肘から切断されたのだろう。それでも利き手の影響か、こちらに失った右手を伸ばすような格好でゆっくり歩いて来る姿には悲壮感しか覚えない。
整っていた顔には鼻根を中心に大きな十文字の傷が走っており左目にはショウのような刺突と血涙の跡が、衣服に付着している血液から体も相当な傷を負っている筈だ。
どうやら彼女は用済みと判断されたらしい・・・

「何やってんの!!時雨!!構えなさい!!」

だが猛者から見ると同情の前にやらねばならぬ事がある。それは突然飛んで来た死体との関連性だ。
数多の傷を負っている彼女を何故警戒せねばならないのか。時雨だけは一切理解出来ないままだったがレドラとハルカは防御態勢を崩さず、更にリリーもその檄で我に返ったのか、慌てて馬車に飛び乗ると中から大剣を引っ張り出してきた。
「・・・ルバトゥール様、あなたは何故そのようなお姿に・・・?」
「お、お優しい時雨さま・・・ど、どうか私の・・・最後の願いを、聞き届けて・・・いただけません、か?」





 何がどうなっているのか、どうすればいいのかを考えていると衛兵達が国王の号令により何本もの長槍がルバトゥールの体を貫く。
これは一体何だ?
少し前までヴァッツについて語り合っていた人物が何故こんな目にあっているのだ?いくら利用価値が無くなったとはいえこんな扱いが許されていいのだろうか?
目の前で起こる出来事が何一つ理解出来ない時雨は1人だけ無警戒のまま彼女の崩れ行く姿を見つめていると異変は不意に彼女を襲う。

ばきんっ!!!

何と長槍が複数刺さったままルバトゥールは残る左手でこちらに襲い掛かってきたのだ。そしてこの場で最も強い男がそれを凌ぐと城内には銅鑼の音が響き始めた。
「時雨様、お下がりください。」
レドラに言われても体が動かなかった時雨はハルカに無理矢理手を引かれてやっと馬車の裏手に姿を隠す。
「足手纏いはここで大人しくしてる事、いいわね?」
「は、はい・・・・・え?あの、戦うのですか?ルバトゥール様と?」
恐らく彼女は利用されただけなのだ。彼女に否はなかった。なのに何故あんな惨たらしい姿にされた挙句戦いを強いられねばならないのだ?
「よくわかんねぇけど一方的に殺される訳にはいかねぇだろ。それにあれじゃ生きてる方が辛いはずだ。」
今でこそ戦いから離れているが過去にはリリーも様々な戦いに身を投じて相手を屠ってきた。その経験が根底にあるからこそ速やかに切り替えられるのだろう。
「し、しかし・・・」
確かに今から正気を取り戻したとして傷ついた体は元に戻らないし『リングストン』に居場所はない。

それでもヴァッツなら、あの御方なら何か打開策を持っているのではないか?でなければルバトゥールがあまりにも惨めすぎるではないか。

しかしそれを提言しようにも既に戦いは猛者の領域で展開されていた。
近くの衛兵達は彼女の体から射出された長槍で何人もが串刺しにされる中、レドラが妙に力のある手足の攻撃を全て凌ぎ、隙をついてハルカが斬りかかる。因みにリリーも構えはしているが『緑紅』の力を解放しないと動けないのだろう。じっくりと戦いを観察しているらしい。
これも権力抗争の成れの果てと言えるのか。そんな中にこれから自分も入っていくのか。いや、ヴァッツと結ばれるのならその覚悟も必要なのだ。
それでも何か救いが欲しい。
既に倒れてもおかしくない程の手傷を負っているルバトゥールは何の為に戦っているのだ?戦わなくてはならないのだ?
全ての知識と価値観が自分の中で崩れ落ちていく中、遂に彼女の力も限界を迎えたのかレドラの体術により大きく体勢を崩すとハルカとリリーが全力で前に跳びその首と胴に鋭い一閃を放つ。

どどっ

するとその場には首と上半身が地面に落ち、次いで下半身が静かに倒れると戦いは終わったかに見えた。





 ルバトゥールはもう戦えない。死んでしまったのだから。だが問題は何故こんな状況になってしまったのかだ。
「・・・フォビア=ボウ様、何故ルバトゥール様はこのようなお姿になられてしまったのでしょう?」
馬車の影で何も出来ずに隠れていた時雨はそんな事など気にする様子もなく姿を見せながら尋ねるとその答えはとても浅いものだった。
「見ての通りです。妙な力を得たのと気が狂った。だから処分したのですがどうにも生き長らえていたようですね。皆様には多大なご迷惑をお掛けして申し訳ございません。」
絶対に違う。
ルバトゥールには戦う力はもちろん、戦った事すらなかった筈だ。なのにこれ程豹変したのは噂で聞いていた『リングストン』の秘術に他ならない。
過去にはネヴラディンやラカンもそれによって強大な力を得たと聞かされていたが、それ以上に失敗して死んでいった者達がいる話も知っている。

権力とはこうも人を狂わせるのか。

思えばショウも名声の為に利用され、体内にイフリータという『魔族』の欠片を埋め込まれたりもした。しかもそれが人間の所業だというのだから心底恐ろしい。
「いいえ、ルバトゥール様にそのような力は存在しませんでした。この結末は貴方の傲慢な業によるものです。」
本当ならもっと罵倒しても良かったが心が締め付けられていた時雨にそれ程の余裕はなかった。ただただ悲しくて、恐ろしくて、そして己の無力さに打ちひしがれるしかなかった。
「フォビア=ボウ様、よろしければルバトゥール様の御遺体は我々で葬らせて頂いても?」
それを機敏に察してくれたのだろう。他国の王族を葬るというレドラらしからぬ提案をすると興味が失せたフォビア=ボウも特に反対する様子もなく二つ返事で了承した事でこの旅はとても後味の悪いもので終わりを迎える・・・筈だった。



「嬉しい!やっぱり私はヴァッツ様や時雨様と共に過ごしたいです!」



誰もがまさかと思った。当然だ。体は3つに斬り刻まれ絶命したのは間違いなかった。なのに何故ルバトゥールの元気な声が耳に届いたのだろう?
しかし現実とは必ず自身の双眸に飛び込んでくるのだ。一瞬だけ周囲を包んだ眩い光は彼女の切断面から放たれていたものらしい。
次の瞬間には体が元通りになるだけでなく、衣装も見た事のない豪奢なものへと着替えており、失った右腕は光の塊のようなものへと変化しているようだ。
何より最も目を引いたのはその背中からまるでアルヴィーヌのような真っ白な翼を生やしている。
「・・・ル、ルバトゥール様、貴方は一体・・・?」
「はい!私は選ばれたようです!よかった~これで窮屈な偽りの王女生活ともお別れできます!」
ただそれ以外は本来の彼女らしい。純粋で素朴な笑顔を浮かべていたのでつい気を許しそうになったが瞬きすらしていない中、いつの間にか彼女の右腕にはフォビア=ボウの胸から引っ張り出された心臓が僅かに脈打っていた。





 「ルバトゥール様、申し訳ございませんが今の貴女を『トリスト』及びヴァッツ様と干渉させる訳には参りません。」
一体何がどうなっているのか。何一つわからないまま事態は目まぐるしく変化していくが現状だとフォビア=ボウは間違いなく絶命したらしい。
心臓を失った彼がその場に倒れ込み、地面には血だまりが出来ていく事、体が全く動いていない事からこれだけは現実なのだろう。
そしてどのような理由があるにせよレドラは『リングストン』国王の命を奪ったルバトゥールを最大限に警戒しているようだ。
先程の提案とは打って変わり明確に敵だと認識した彼は再び闘気と構えを見せるとハルカもそれに合わせるがリリーは時雨と同じように戸惑っている。
「あら?たかが執事の分際で私に逆らおうっていうの?これはヴァッツ様にお伝えして強く叱って頂かないとね?」
顔の傷も綺麗になくなってはいたものの、妙な気配を感じる笑みは決して覚えが良いものではない。

「・・・本当にルバトゥール様、ですか?」

故に理解の追い付かない部分を切り離した時雨は主人のように素直な意見を口にすると彼女は驚いた様子でこちらを覗き込んでくる。
「あれ?私ってそんなに見た目が変わりました?確かに右腕が少し光って眩しいですけど、あ。何この汚いの。捨てちゃえ。」
信じられないことにフォビア=ボウの心臓を抉り取った行動は無意識下に行われていたらしい。気が付いた彼女はまるで拾った小石を捨てるかのようにそれを地面に落とすとこちらに近づいてきた。
だがそれを止める為にレドラが割って入ると彼の体が一瞬で後方に吹き飛んだのだから唖然とするしかない。

どぅんっ!!!!

それから遅れて音と風が巻き起こった事でやっとルバトゥールが彼に危害を加えたのだと理解するが既に脅威は目の前だ。
「これからよろしくね?時雨様。」
ただ唯一の欠点にして弱点を『暗闇夜天』は見逃さなかった。それは妙な力を得た彼女が戦いには疎く、また慣れていない点だ。

ずばんっ!!

大きな翼が生えた背中から直刀を深く、全力で袈裟懸けに斬り下ろした事で再びルバトゥールの絶命が眼前で起こるだろう。そう思っていた時雨だが彼女が少し面倒臭そうに後ろに振り向いた時、傷一つ入っていない背中が見えた事で思考が全てを拒否してくる。
「あら?ハルカちゃんってばお転婆ね?そんなんじゃヴァッツ様に嫌われちゃうわよ?」
「はっ!あなたみたいなよくわからない存在より可愛げはあると思うわよ?」
やはり『暗闇夜天』の元頭領は伊達ではない。まさかこの状況でも面と向かって言い合えるとは。今後はもう少し彼女にも敬意を払おう。そう心に刻んでいた時雨はそのままルバトゥールの右腕がハルカの首をしっかり掴んだ光景を目に映していても指先すら動かせずにいた。

ばきっ!!!!

何故だ?何故皆彼女に攻撃を加えるのだ?一体ルバトゥールがどんな罪を犯したというのだ?
ハルカを助ける為に双眸を紅く光らせたリリーが光る右腕を再び斬り落とそうと巨大な大剣を振り下ろすも彼女の体はぴくりとも動かない。
「へ~。リリー様って優れた容姿だけでなく、戦う力もお持ちなのね。羨ましいなぁ。ここはやっぱり皆殺しておくべきよね。私がヴァッツ様を独り占めする為にも。」

ぱんっ!

妙な破裂音と共に今度はリリーが吹き飛んだ時、光の翼による攻撃は僅かに手心が加えられていたのだと後ほど理解する。でなければその一撃で絶命していただろうから。
「という事だからごめんね時雨様。貴女には気遣って頂いた御恩があるのはよくわかっているの。でも・・・やっぱり欲望には抗えないのよね?」





 今のルバトゥールからはどのような攻撃が想定されるのか。
既に周囲の『リングストン』人達も凡そ人知の及ばない現象が起きている事だけは理解しているのだろう。国王の遺体を放置したまま我先にと逃げまどっているが彼女はそんな有象無象に興味を示していない。
今はただ目の前にいる時雨をとても優しい眼差しで見つめているだけだ。
「・・・ルバトゥール様、リリーの言葉を覚えていらっしゃいますか?」
恐らく自身の死は免れない。ではせめて最後に1つだけ大切なことを確認しておこう。そう思い立った時雨が切り出すと彼女はきょとんとした表情に変わる。
「リリー様が仰っていた事?」
「はい。ヴァッツ様を本気でお慕いしているかどうか、です。」
「う~ん。正直まだよくわかりません。だからこそこうやって全ての障害を排除する事で私のものにしようと・・・」

「ヴァッツ様は全てを平等に愛してくれます。貴女はあの旅で何も感じなかったのですか?そんな独りよがりな事をすればよりヴァッツ様の御心が遠くなると何故理解されないのですか?」

覚悟を決めた時雨に迷いはない。だが真意を伝えると共に首を掴まれているハルカが少しずつ苦しみだしたのだけは何とかせねばなるまい。
「・・・だったら力尽くで奪うだけよ。男だってそうやって女をものにする人っているでしょ?」
「そんな2人が幸せを掴めるとでもお思いですか?」
しかし目の前にいるまるで子供のようなルバトゥールとのやり取りには負けたくない。負ける訳にはいかないのだ。
命懸けの口論に感情のすべてを注ぎ込んでいた時雨はますます首を絞められていくハルカすら見えなくなる程熱くなっていくと更に畳みかけた。

「貴女の立場には同情します。しかし看過は出来ません。どうかハルカから手を放し、皆への謝罪を行ってください。」

どんっ!!

これでも最大限に譲歩したつもりだったのだがルバトゥールには受け入れてもらえないようだ。気が付くと光の翼で叩かれたのだろう。
痛みより先に後方でレドラが受け止めてくれた事に感謝しつつ、そのすぐ後からハルカが飛んで来たので今度は時雨がそれを受け止める。
「・・・何で・・・何でわかってくれないの?私は・・・私はヴァッツ様を手に入れなきゃいけないの。そうしないと私の家族が・・・」
リリーの時といい『リングストン』では人を動かす為に家族を人質に取る事が多いらしい。先ほどまでと違って苦悶の表情を浮かべるルバトゥールに時雨は希望の光を見たが彼女自身に激しい拷問が行われている時点で結末は迎えていたのだ。
「でしたら今こそ、その力を以ってご家族を助けに行かれれば・・・」
「父も母も、妹も全員殺されたわ。私の目の前でね。」
それは拷問の最中に行われたというのだから、もはや言葉が見つからない。全てを失ったルバトゥールには新たな力や様々な言葉などではなく海よりも広い癒しが必要だというのに時雨はそれを持ち合わせていないのだ。

「そうよ。私の家族は皆殺されたのよ。なのに何故ヴァッツに固執してたのかしら。今はこの国を亡ぼす事に全てを注がなきゃいけないのに。」

だが置かれた立場に気が付いて少しだけ我に返ったのか。ルバトゥールは自身の力と欲望に覚醒するとこちらから視線を外して立ち去ろうとしたのだがそこに鋭い一撃が放たれた事で僅かに国家滅亡は先送りになるのだった。





 相手が人間であればその一矢はかるく人体を貫通していただろう。
しかしよくわからない存在へと昇華していたルバトゥールの体には毛穴ほどの傷も与えられずに矢は地面に落ちていく。
「あら?コーサ様じゃありませんか?私に何か御用ですか?」
「うわ~国王の命を奪っておいてよく言うね~?フォビア=ボウの仇って訳じゃないんだけど立場的にね~君の命を貰いたいんだけど厳しそうかな~?」
いつの間にか現れた『リングストン』の将軍は相変わらず緊張感のない声を漏らすと再び遠距離から鋭い矢を放つ。しかし今度は光の翼が叩かれるだけで強大な風が発生し、コーサごと吹き飛ばしてしまった。

「時雨、余計に刺激しないで。いい?」

そんな戦いが繰り広げられる中、ハルカがこっそり耳打ちしてきたので一瞬きょとんとすると時雨を受け止めてくれたレドラはすぐに頷く。
「時雨様、ルバトゥール様がここから去った後速やかに帰還しますよ。」
どうやら分が悪すぎるのと動ける状態のうちにこの国から立ち去ろうというのが2人の判断らしい。
「し、しかしそれでは・・・」
遠くでもぞもぞと動いているリリーを忘れて今一度説得出来ないかと訴えたかったが今のルバトゥールにはもはやなにも届きそうにない。

「ああ、そうか。ヴァッツの花嫁候補を全員消して、それから『リングストン』を滅ぼせばいいのか。そうすれば全てが手に入るじゃない。そうよね?時雨様?」

「いいえ、違います。そんな事をしても貴女は何も得られません。」

それでも命の箍が外れた時雨は反射で強く言い返してしまった。するとハルカとレドラも覚悟を決めたのか、再び構えて対峙する。
何故こんなに意固地になっているのか、その本質を理解はしていなかったが今は引けない。偉大なる主にして慕う人物が軽んじられている今、時雨は逃げる訳にはいかないのだ。
そう告げるとルバトゥールの双眸と右腕が眩く光る。もしかすると文字通り瞬きする間に殺されるのか。
そんな思考が脳裏を過ったのだがこういった場面で必ず助けてくれるのが彼なのだ。

ばっきぃぃぃんんん・・・っ!!!!

ほら、やっぱりそうだ。激しい衝撃が目の前で起こると同時に破壊音は鼓膜を破りそうだった。それでも無傷でその攻撃を凌げたのは他でもない、破格の存在であるヴァッツのお陰なの・・・だ?
「おお。これは強い。」
「え?アルヴィーヌ様?いつの間にこちらに?」
その衝撃だけで城門や城壁が吹き飛ぶ中、突如現れたアルヴィーヌとルバトゥールが軽い調子で言葉を交わすがその疑問には時雨も頷くしかない。

「うん。ヴァッツに様子を見てきて欲しいって頼まれたから来てみた。するとこんな状況だった。ごめんねルバトゥール、あなたに恨みはないんだけど『トリスト』の第一王女アルヴィーヌ=リシーア=ヴラウセッツァーがあなたを危険分子とみなし、この場で処断します。」





 もしかして自分は夢でも見ているのだろうか?
まさかアルヴィーヌに助けられるとは思いもよらず、更に彼女がとても王女らしい毅然とした態度と宣言を見せたので時雨は吹き飛びながらも無意識に頬をつねる。
それは他の面々も同じ心境なのだろう。ハルカだけでなく、あのレドラさえ唖然とした様子でアルヴィーヌの頼もしい背中に熱い視線を注いでいた。
「へぇ?アルヴィーヌ様ってもっと自由で奔放な方だと思っていたけど。私を処断?いいわよ。やってごらんなさい。」
「うん。いくよ。」
お互いが光のような白い翼を強くはためかせると最初にアルヴィーヌが遠慮のない突進から拳を放つ。本来強すぎる力を抑える手段として魔術を使っていたが実際彼女は単純に膂力で戦うほうが強いのだ。

どっごぉぉぉぉおおおおん!!!!

もしかするとルバトゥールの望みはこの戦いで成就されてしまうのかもしれない。今まで見た事のない威力の攻撃は当たっていないにも拘らず王城や城下を全壊させてしまうが受けきる方もどうかしている。
「む?その光る腕は?」
「えへへ。いいでしょ?とっても強いのよ?」
アルヴィーヌの左拳をルバトゥールの右手がしっかり受け止めている状況から考えると力の差はほとんどないか、もしくはルバトゥールの方が上なのか?
どちらからも余裕を感じ取れる為無力な時雨が読み取るのは難しいが光の翼を持つ2人が激しく飛び回り始めると今度は竜巻が発生して周辺の被害はどんどん増えていく。

「ちょ、ちょっと?!アル!!!もっと静かに戦えないの?!」

ハルカも流石に不味いと感じたのだろう。吹き飛ばされないようレドラの腰に腕を回し、そのレドラも巨大な瓦礫にしがみついている程だったが彼女達の戦いが収まる気配はない。ちなみに時雨はリリーの方向に吹き飛ばされた後、大剣を地面に刺してもらってそこに2人でしがみついていた。
だが彼女達の攻防は瓦礫をも軽々と巻き込んでいる。それが時雨とリリーの前に飛んできた時、流石に手を放すしかないと2人は覚悟を決めたのだがその瞬間、
2人を助けに来てくれたアルヴィーヌの背中にルバトゥールの右腕が放たれてしまう。
「ぁがっ・・・」
聞いたことのない声が耳に届くと抱き合っていたリリーも慌てて様子を窺ったが確認する前に彼女は2人を上空へ放り投げる。
するとかなりの高度で滞空していた黒い竜達が拾い上げてくれた事で何とか避難を終えたが彼らも御世話役のアルヴィーヌを心配しているらしい。
各々が戦いの中心部に向かってみゅうみゅうと鳴き声を上げる中、今度は残る2人も同じように飛んで来たので他の黒い竜が背中で受け止めた。

「ちょっと?!あの手傷じゃ不味いわよ!」

しかしハルカがすぐに現状を叫ぶとレドラが迷わず地上へ飛び降りたので3人はあっけに取られてしまった。





 「レドラ様っ?!?!」
辛うじて時雨も叫び声を上げたのだがレドラはこちらに笑顔を向けて彼らしからぬ大きな声を届けてくれる。
「ご安心を!!アルヴィーヌ様は私の命に代えても御護り致します!!」
しまった。ヴァッツの執事であり『孤高』と呼ばれる彼がその力量だけでなく責任感も人とは比べ物にならない程強いのを失念していた。
既に人外同士の戦いは王都を壊滅しているにも拘らず激しさは増すばかりだというのに彼は何をしようというのか。
「・・・恐らく一撃程度なら受け止められると考えられたんじゃないか。レドラ様ならその隙を作れるって。」
「そ、そんな・・・」
「ごめんお姉様!!私も行くわ!!ルルーとメイによろしく伝えてね!!」
猛者である『暗闇夜天』の元頭領もアルヴィーヌだけに任せてはいられないと判断したのだろう。砂塵や暴風、そしてあまりにも強く速い動きは既に目で追えるものではなかったが何としてもここでルバトゥールを仕留めなければと決断したらしい。
「ば、馬鹿っ!!お前達が行ったところで何になるっていうんだっ?!」
しかし姉と慕うリリーが口汚く止めに入ったのを笑顔で返したハルカはそのまま黒い竜の背中を蹴って再び地上へ飛び降りてしまった。

このままでは3人が命を落としてしまう。

もしこの場にカズキがいれば戦力にならない者はさっさと帰す指示を出していただろう。だが王女姉妹の御世話役だった時雨にはアルヴィーヌを置いて立ち去るという判断も、傷ついていく姿を眺める判断も到底出来ない。
「・・・・・リリー。私は・・・・・私も行きます。」
「お前・・・はぁ・・・仕方ねぇな。それじゃあたしも付き合うよ。足手纏いと判断されたレドラ様が最初に戻ったんだ。責任は後であの人に取ってもらおう。」
このところ淑女としての生活に慣れ親しんでいたリリーも蓋を開ければ過去に生き抜いてきた戦いと経験がぎっしり詰まっているのだ。
皆の意思を理解するのに時間はかからず、周囲を飛ぶ黒い竜達だけには絶対に近寄らないよう伝えると2人も勢いよく飛び降りた。
「・・・あ?!やばい!!この高さから飛び降りたら無傷じゃ済まないかも?!」
そしてすぐに己の浅慮から面白い悲鳴を上げるのだから本当に美しくも可愛い存在だ。

「・・・大丈夫です。地上に降りる時には私が飛空の術式を展開しますから。」

そう。例え歩くより遅い魔術でもこういう場面ではとても重宝するのだ。時雨はリリーの手を引いてしっかり抱き合うと機を見計らって久しぶりにそれを発動すると落下速度はみるみる遅くなり、暴風によって吹き飛ばされながら何とか地上に転がり降りる。
「あ、ありがとよ!!しかしお前も色々持ってるんだな。」
「あまり役に立つ機会はありませんけどね。」
そうして建物の残骸に身を潜めた2人は何とかアルヴィーヌの姿を捉えようと周囲を窺い始めたのだが既に戦いは佳境へと差し掛かっていた。





 「おいっ?!あれっ!!!」
その場面を見つけたリリーが叫ぶように教えてくれると時雨も急いで顔を向けた。すると風が少しずつ収まる中、膝をついたアルヴィーヌがルバトゥールの光る右腕から放たれた手刀によって胸部を貫かれていたのだから気が気ではない。
光る翼をとって見てもルバトゥールは相変わらず眩く美しいままなのに対し、アルヴィーヌの翼は血に染まり、折れて悲惨な状態だ。
「アルッ?!」
2人も慌てて助けに走るが既にレドラも光る右腕をしっかり掴んで何とか止めようと、背後からは『暗闇夜天乃ハルカ』が気を逸らそうと全力で攻撃を放っている。
更にアルヴィーヌ自身も何とか引き抜こうと光る手首を両手で握っているようだが場面は膠着というよりルバトゥールがわざとその状況を作り出しているらしい。

「ああやっぱり。これだけ危機的な状態ですもの。皆様が加勢に来られるのは当然ですよね?」

つまり皆が釣り出された訳だ。これには時雨も珍しく眉を顰めていたのだが再びあまり役に立たない能力が無意識下で発動すると誰よりも早く声を上げる。

「ルバトゥール様!!!その腕を止めて下さい!!!」

しかし数秒先の動きを見てしまった時雨の叫びはルバトゥールの手刀がみるみるアルヴィーヌの胸に沈んでいく光景にかき消された。
「それは無理な相談ね。大丈夫、皆様には私と同じような苦しみを分け与えてあげますよ?」
光っているので全容はわからないが指の関節部分が見えなくなるほど深く突き刺さっている筈だ。であれば絶命してもおかしくはない。
もはや力の差など気にしていられない時雨とリリーも加勢に入るが痛痒はもちろん、状況が変わる事は何一つなかった。

ずむんっ

ところがセイラムの血を色濃く受け継いだ彼女もまた普通ではないのだ。恐らく一瞬の油断を突いたのだろう。
いつのまにか光る手首を掴んでいた右手は放されて、逆にルバトゥールの腹部に手刀を突き刺し返したのだから全員が唖然として動きを止めてしまった。
「あ、あれ?い、いつの間に・・・?」
「ルバトゥール、あなたは本当に危険。だから必ずここで処断します。」
綺麗な衣装が血に染まっていくとやっと理解が追い付いたのか、翼をはためかせながら邪魔な時雨達を一払いすると顔には苦悶の表情と汗が垣間見えた。
「な、何ていう娘なの。た、確か『天族』だとは聞いていたけど・・・は、放しなさいっ!!」
「駄目。」
こうなると4人は見届けるしかできないようだ。レドラでさえ立ち上がって様子を窺いはしているものの闘気は完全に消失している。

「あ、あぁ・・・や、やめて・・・アル・・・」

本当にこの能力は邪魔でしかない。時雨だけはアルヴィーヌが自分の胸に刺さる手刀を放さないようしっかり握ったまま、己の右手をより深くルバトゥールに押し込もうとする姿を予見してしまったので彼女らしいと呆れる反面、あまりにも危険だとこちらまで汗をにじませ始めた。

そして予見通り、この我慢比べがアルヴィーヌの敗北として視界に飛び込んでくるのを誰よりも早く見知った時雨は己の無力さからその場に崩れ落ちると彼は姿を現すのだった。





 「はいそこまで!!アルヴィーヌ!!危なかったら心の中でもいいから呼んでって言ったでしょ?!」

本当にヴァッツという存在は何なのだろうか。危うくアルヴィーヌが死ぬ直前で2人の間に突如現れるだけでなく、時雨の予見をも覆すとお互いの手首を掴んで胸部と腹部から軽く引き抜いて見せるのだから安堵と涙しか出てこない。
「危なくない。私はまだ、戦えた・・・」
最後はぎりぎりの状態だった彼女が傷の深さとそれこそ安堵を覚えたからか、ゆっくり気を失っていくとヴァッツはその体を優しく抱きしめる。
「ヴァ、ヴァッツ様!!助けて頂き誠にありがとうございます!!そ、それにしても今やっとあなたの御力がよくわかりました!!お願いします!!どうか私を娶って頂けないでしょうか?!」
対してルバトゥールにも感じる部分はあったらしい。手傷を負って顔色こそ悪かったが何より求婚を優先させるとヴァッツでさえ苦笑を見せていた。

「・・・ごめんね。前のルバトゥールなら受けても良かったんだけど・・・今のルバトゥールはもうルバトゥールじゃないんだよ。」

意外な返事に時雨だけでなく、他の3人も目を丸くしていたがレドラだけは先の言葉を理解したようで浅く頷いている。
「そ、それはどういった意味でしょうか?た、確かに私はこんな姿になってしまいましたが意思も、感情も、記憶も私のもので間違いありませんよ?!」



「うん。でも一度亡くなってるよね?そしていらない力を植え付けられてしまった・・・・・出て来いよ。お前だろ?」



初めてヴァッツが『お前』と呼ぶ姿に、ただそれだけに威圧感を覚えたのはルバトゥールも同じだったようだ。もちろん自分の事ではない筈だが、それでも彼が警戒して彼女にそう呼びかけたのだから気が気ではなかったらしい。
「わ、わわ、わたしは・・・私は?私ではないのです、か?」



「もうルバトゥールは死んだ。この世に存在していないんだ。でもその体を使って悪さをしている奴がいる。本当にごめんね。オレの力が弱いせいでそいつの正体が掴めなくて・・・」



弱い・・・・・???弱い???????

一体誰の話だ???????????????

今の今まで誰もが到達できなかったあらゆる力を見せてきた彼の口から驚くような言葉が出てくるとレドラさえも唖然としている。
一体何が起こっているのか。何を以ってして弱いなどと発言しているのか。
誰もが小首を傾げてしまうやり取りに展開が見えないまま時間が過ぎると不意にヴァッツがルバトゥールに左手をかざす。
これは彼が何か超常的な力を使う時によく行う仕草だというのは知っていたのでもしかすると彼女から余計な力を取り除くのだろうか。そして以前のルバトゥールに戻した後、花嫁候補として名を連ねるのだろうかと愚考しては苦悩する。

ところがそうではなかった。いや、ヴァッツはそうするつもりだったのかもしれない。



「やれやれ。お前ならもう少し強くなると思っていたんだがな。」



突然ルバトゥールとは全く違った優しい男の声が耳に届いたので周囲は再び警戒態勢を取る。そしてそれはあのヴァッツでさえも例外ではなかった。





 「・・・お前の名前は?」
「そんなものは存在しない。必要がないからな。」

どうやら彼こそがヴァッツに敵と認識させた、最も警戒すべき存在らしい。時雨如きでは相手の力量など何もわからなかったが今までの光る力は全て奴の仕業だと考えるとこれもまた人智を優に超えている。

「どうしてこんな事をするの?人を酷い目にあわせて何が楽しいの?」
「彼らは力を望んだ。だから与えたまでだ。クンシェオルトもお前に仕える事が出来て大層喜んでいるではないか。」

という事は今目の前にいる存在が彼らを蘇らせたというのか。意外な事実を知って驚くも彼らの話は終わらない。

「・・・オレは人が、生き物が必要な事をいっぱい学んできたつもりだよ。生き物は生まれて生き物は死ぬ。生き返ったりしないし突然大きな力を得たりもしない。器を超える力なんて絶対に得られるものじゃない。」
「その通りだ。よくわかっているじゃないか。」

その話を聞いて時雨が最初に思いついたのは黒威なのだが彼らとは次元が違うのだろう。

「だったら何で・・・」
「お前の学びが足りないからだよ。」
「オレの?」
「ああ。お前にはまだまだ伸びしろがある。なのにそれが放置されっぱなしではないか。だから痺れを切らした私がこうして動いているのだ。わかったかね?」

口調はとても柔らかく、言っている事も過激なものではない。むしろ優しい印象まであるのに2人のやり取りだと考えた途端に緊張感を覚えるのは何故だろう。

「・・・何を考えてるの?」
「私の興味を満たす事、それだけだ。どれ、最後に私が直接教育してやろう。これを対処してみるがよい。」



びしっ!!・・・ぱりん・・・



似た音だと硝子や陶器が割れるのもこんな音だ。しかしそれは規模が全く違うものだった。
突然目の前にそういったもの特有の亀裂が見えたので時雨は疲れているのかと少しだけ瞬きをしてから目頭を指先で揉み解す。
「お、おい?!な、何だこれっ?!」
ところが傍にいたリリーの焦り声に今一度周囲を確認してみるとその亀裂は遥か上空から地面に伸びており瓦礫、更にはハルカや時雨の姿にまで走っていたのだから驚く以外にやる事がない。
「・・・どうなっているのでしょう?」
しかし不思議と痛みはなかったのでもはや諦めの境地で尋ねてみても彼女は悲痛な表情でこちらに声をかけて来るだけだ。
更にその亀裂から眩い光が漏れ始めると何となくだが世界の終わりを見た。恐らく最後とはこうやって迎えるのだろうと。



「な、なんて事を・・・するんだよっ!!!!!!!」



だがそれを止められる存在は怒りの声を放ちつつ左手を上空に向けると亀裂の拡大は止まり、少しずつ消えていくではないか。



「ふむ。流石に簡単過ぎたか。これならばどうだ?」



世界を使っての教育とは随分と破格なやり取りだ。ルバトゥールから放たれる声が更に課題を追加したのか、光がより一層強くなるとヴァッツが驚愕を浮かべた後、苦悶の表情に切り替わったので相当なのだろう。
次の瞬間、彼の足元にあった影から激しい靄が炎のように現れるとそれに包み込まれるヴァッツの双眸にも同じような現象に染まる。
それから光の亀裂が少しずつ闇に染められていくと今度こそそれは少しずつ消えていき、完全に無くなった後にはいつの間にか亡骸と化したルバトゥールが地面に転がっていた。





 元々ルバトゥールは王族でも貴族でもない。しがない国民の一人であったがその容姿は評判だった。
故に以前から目をつけていた『リングストン』は早々に侍女として囲う。ルバトゥールの家族も娘が選ばれた事を大層喜んでいたが特別な地位と拘束は同義なのだ。
もちろん国家の事情を知らない彼らに理解が出来る筈もなく、幼い彼女も国の為、そして家族の為にと奉仕に勤しんだ。
そして突如降って湧いてきた養女の話。まさか自分が王族の一端に加えられるとは夢にも思わなかったがそれには厳命もついてきた。

それこそが大将軍ヴァッツを籠絡せよという話だ。

歳は既に14歳を迎えてはいたものの成り上がりだったルバトゥールに恋をする余裕はなく、そんな彼女に男を落として来いとは無理難題もいいところだ。
それでも独裁国家の国王命令は絶対なのだ。彼女は重過ぎる任務を謹んで賜ると付け焼刃ながら何とかして彼に近づく。
だが驚いたことに自分より1つ年上の彼は自分以上に恋愛感情に疎かったのだ。
15歳の男となればもっと異性に対して貪欲になるものだという知識は間違っているのかもしれない。もしくは書物を慌てて読み漁ったので覚え違いをしているのかも?
他に挙げられる理由としては自身の行動に覚束ない部分が目立つのか周りに比べて容姿が見劣りするせいなのか。経験だけでなく才能にも恵まれなかったが故の結末なのかもしれない。

「あの、ヴァッツ様は・・・一体何者なのですか?」

せめてもう少し猶予があれば、もっと早くに出会っていればこんな関係で終わる事はなかったのに。全ての柵から解放されたルバトゥールはやっと本心を告げ始めるとヴァッツは苦笑いを浮かべて答えてくれる。
「何者っていうのは・・・大将軍って答えればいいのかな?」
「いえ、そうではなくてですね。先ほどのあの御力はその、私が言うのも何ですがとても人間の業とは思えません。世界に入った亀裂をも修復されるなんて・・・もしかして神様ですか?」
「いやいや!オレは普通の人間だって!!ねぇ『ヤミヲ』?」


【その通り。ヴァッツは普通の人間だ。ほんの少し力を持っただけのな。】


中空を漂う真っ暗な空間から聞こえてくる声には疑問しか残らないがルバトゥールも腕を組み、ヴァッツをじっと睨みつけるだけで反論は控える。
「・・・まぁいいでしょう。ところで私はこれからどうなるのですか?」
「えっ?!と、そうだね・・・ルバトゥールは死んじゃったからこれから消えるだけ、だね。」
「やっぱりそうですか。でもヴァッツ様なら私を生き返らせたり出来るのではありませんか?」
「ぇぇぇ・・・君もそういう事を言ってくるんだ。何か、死んでからの方が本当のルバトゥールみたいで嬉しいけど。」
そうして2人は笑い合うが本心をぶつけたい彼女は止まらない。

「でも今の御様子ですと生き返らせる事は出来るんですよね?されないんですか?今までも大切な方を失って来られたのでしょう?」

もし自分にそんな力があれば間違いなく家族を蘇らせるだろう。そして戦火のない場所で静かに暮らすのだ。それが出来ればどれほど幸せかと夢想せずにはいられない。



「うん。そうだね。でも人間は生き物を蘇らせたり出来ないでしょ?オレは人間だからさ。」



ああ、そうか。彼は人間でありたいのか。十分な答えと気持ちが伝わるとやっとルバトゥールも未練が無くなるのを感じていく。
「そうですよね。人間にそのような御力はございません。差し出がましい事を口にしてしまい申し訳ございませんでした。」
ただ死んでしまった事でやっと彼に興味が持てた。ヴァッツの純粋さにはこういった意味が含まれていたのだとわかると新たな未練が芽生えてくる。
「・・・もし生まれ変わったら今度こそ、私を娶って頂けませんか?」
「・・・・・うん。その時はよろしくね!」
これこそが恋心なのかもしれない。生まれて初めて本当に惹かれた瞬間であったが包み隠さず本心を伝えるとルバトゥールは余韻に浸る間もなく消えてしまった。

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