闇を統べる者

吉岡我龍

興亡 -黒の財産-

 御世話役としてアルヴィーヌが関わったのは正解だったのかもしれない。何故なら巨大な黒い竜を地上で飼うとなれば周囲の注目は否が応でも集まってしまうのだから。

「ほらほら。今からお散歩いくよ~。」

噂は瞬く間に広がると『アデルハイド』には様々な物好きが一目見る為に世界中から足を運んでくる。これにより国内は今までにない賑わいを見せるが皆が皆おとなしい連中ではないのだ。
架空の存在だと謡われていた竜に触りたい、乗りたい、そしてその肉を食らいたい、鱗や爪、牙を手に入れたい等々、彼らの欲望は蠅のようにどこからともなく湧いて出てくる。
するとどうなるか。
「ほう?俺の所有物に手を出すとは・・・死にたいらしいな?」

アルヴィーヌが空を飛んでいる最中は地上で獅子族のアサドがしっかり目を光らせており、密猟を企てる者は須らくその牙と爪の餌食となる訳だ。

最初こそ穏便に済まそうとしていたが人間とは手痛い罰がないと学習してくれない。結果、黒い竜に手を出そうとした者には容赦のない攻撃が認められるようになった。
空を散歩する第一王女も自分の御世話する可愛い竜達を護る為、加えて元々敵対勢力に遠慮をしない性格なのでそういう輩を見つけたら獅子族以上の苛烈な攻撃を放つ。
過剰防衛気味と捉えられなくもないが今後の繁栄も考えると今のうちに『トリスト』が保有する黒い竜に手を出した者達の末路もしっかり喧伝する必要があるそうだ。
他にも彼らの大きな体を維持する食料問題があったがそれはアルヴィーヌのお散歩によってほとんど解決された。
というのも別世界で遭遇した時は親竜が怪我をしていた為クレイスが魚を捕って与えていたのだが彼らは大空を自由に飛び回り、自然の中で生き抜く手段も知恵もしっかり備わっている竜なのだ。

「あんまり食べ過ぎちゃ駄目だよ~。」

健康体であれば海に赴くだけで自由に飛び込み、好きなだけ魚を捕食する事が出来る。
残す課題はやはり部隊として運用したいのか、ショウが『剣撃士団』に組み込もうと編成してみるも聡明な彼らは各々が気を許す条件みたいなものを保有しているらしい。
例えばクレイスに最も懐いているサリールは窮地を助けられた恩義を深く感じているのだろう。胡麻のように小さな姿からも彼を認識出来るらしく、喜んで飛んでいく姿が度々目撃されていた。
他にはカズキと共闘したオンプなどは彼の無茶ぶりに良く対応している。

「オンプ~ッ!!」

この方法を聞いた時クレイスは度肝を抜かれたのだが空を飛べない彼は手続きや誰かの力を借りて地上に降りるのを随分前から煩わしいと感じていたらしい。
そこで空中国家『トリスト』から黒い竜達のいる『アデルハイド』方向に向かって思い切り飛び降りると後はそのまま彼らの牧草地まで自由落下を続け、良い距離から声をかける事でオンプが素早くカズキを拾い上げてくれるという手段を今は当たり前のように取っているのだ。
「・・・地面に叩きつけられて死ぬような事にはならないでね?」
「お前なぁ・・・もしオンプが留守でも家宝を使えば着地くらい出来るっての。」
こういった形で黒い竜達は少しずつ、確実に『トリスト』との親睦を深めつつあったのだが密猟者達がいよいよ諦め始めた時に嵐は上陸するのだった。





 『ダブラム』に直接関わったのはクレイスしかいないし、その国王が厄介なのも彼しか知らない。

「やっほー!クレイス君久しぶりだね?!」

「えっ?!メ、メラーヴィ様?!あれ?!来訪されるご予定はありましたか?!」
国外追放を受けて西の大陸へ向かった時、他にいた人物といえばイルフォシアにバルバロッサ、ワーディライとルサナが辛うじて判断出来るだろうか。とにかく『アデルハイド』王城にやってきた彼が本物かどうかを判断する為呼び戻されたクレイスは父の執務室で突然の再会に驚いて声を上げた。
「何でも黒い竜の話題は西の大陸でも盛り上がっているようでな。メラーヴィ殿も自らの目で確かめたい一心から足を運ばれたそうだ。」
父の説明に納得はいくものの相変わらず己の欲望に忠実だなぁと呆れるしかない。他にはお供として従っているワーディライがとても申し訳なさそうにしているのが心苦しいくらいか。
「・・・黒い竜の噂を耳にした瞬間から王城を飛び出されてしまってな。本当に度々申し訳ない。」
「何を仰います。ワーディライ様にはそれこそ度々助けて頂いたのです。黒い竜達を見るだけでしたら全然問題ありませんよ。」

「んんん?見るだけだって?私は何頭か買い付けるつもりだよ?!御金に糸目はつけないからね!!」

ああ、そうだった。彼はとても面倒臭い人だった。そのせいでバルバロッサと戦えたのもあるが、同時にクレイスを庇って命を落とした間接的原因でもあるのだ。
「メラーヴィ様、黒い竜達は『トリスト』と『アデルハイド』の共有財産です。残念ですが他者の手に渡る事は許されていません。」
「ほほー?しばらく会わないうちに随分な物言いをするようになったじゃないか?たかが他国の王太子如きが私に指図するのかい?」
本当に食えない人物だ。妙な気配を放っているのもあってか、2人の雰囲気がまるで殺し合いのような様相を呈してくると流石に父も口を挟まざるを得なかったらしい。
「メラーヴィ殿。クレイスの言う通り、黒い竜達を譲渡する訳にはいかん。もしそれが守れないのであれば即刻帰ってはもらえぬか?」
「ほほー??どうやら『アデルハイド』という田舎の小国は私に歯向かうという事らしい。ワーディライ、蹴散らしてしまえ!!」
「出来る訳ないでしょう?!」
彼の苦労を考えるとこれ以上の注意は逆効果だろうか。会談の最中だというのに思わず父と顔を見合わせているとそこにトウケンが助け船らしいものを出してきた。

「わしから言わせれば『ダブラム』如きが今の『アデルハイド』を下に見る事こそが愚かだと思うがな。」

「ほほほー?たかが『暗闇夜天』の頭目如きが随分な物言いだな?!よし!ワーディライ!やってしまえ!!」
これは助け舟か?話題を逸らすという意味では効果を見込めるかもしれないがこれによりメラーヴィの矛先が彼に向くと周囲はまたも異様な雰囲気に包まれていく。
どうすればこの厄介な来訪者を追い返す、もしくは納得させることが出来るのだろう。頭を悩ませたクレイスは自身の最も得意とする魔術から思考を導くと席を外した後、露台に出て全力で『トリスト』に向かう。
それから手短に事情を説明すると赤毛の親友は二つ返事で快諾してくれたので数分後には再び2人で執務室に戻って来ていた。





 「初めましてメラーヴィ様、私は『トリスト』の左宰相を務めているショウ=バイエルハートと申します。」 

「ふん?何だ何だ?『アデルハイド』だけでは解決出来ないから強国を頼ろうというのかい?これだから弱小国は面倒なんだよ!」
同じ位であれば面倒なのは貴方だと言い返すのだが。ショウもすぐに状況を把握したのか、こちらに軽く目配せをしてから速やかに説得を開始する。
「でしたらお話は簡単ですね。我ら強国『トリスト』が黒い竜の譲渡を禁止しているので例え『ダブラム』国王の貴方であってもお譲りする訳にはいきません。ご理解頂けましたか?」
「ふん!だったら力尽くで持ち帰ろうじゃないか!ねぇワーディライ?!」
「・・・メラーヴィ王、この大陸には他にも様々な異邦人や国家までもが迷い込んでいるとお聞きしています。そちらへの観光や接触に切り替える訳には参りませんか?」
その内容であれば協力は十分可能だ。ワーディライの搾り出すような説得を聞いて無意識に頷いたクレイスは様子を窺うもやはり小さな国王が意見を変える気配はない。

「やれやれ。困りましたねぇ。」

他国の王とはいえ珍しくショウが砕けた素振りを見せると無礼な振る舞いに周囲は冷や汗を、メラーヴィは怒りを滲ませている。
「でしたら直接御世話役に頼んでもらいましょう。ただし、命の保証はしかねます。よろしいですね?」
「あっはっはー!下賤の者に頼めだって?!そんな選択肢はないね!国王である私が命じるだけで解決じゃないか!」
最後は態度も口調も投げやりにそう告げたのだが『御世話役』という言葉から彼の謀略が垣間見える。どうやら正論が通じない相手には我儘の権化をぶつける魂胆らしい。
(ショウらしいといえばショウらしいけど流石に扱いが・・・)
将来自身の義姉になるかもしれない事も考慮すると後で控えめな苦言を呈するくらいはしておくべきか?
そもそも第一王女が飼育員のような働き方をしているからおかしな事になるのだと一から議論し直すか?
周囲が目を丸くする中、誰も口を挟めない流れになったのでメラーヴィも遠回しな許可が下りたのだと勘違いすると早速牧場への馬車を所望するのだった。



「え?誰?」

クレイスも初対面時から感じていた事なのだがメラーヴィの厚かましい態度、ではなく妙な雰囲気を警戒したのだろう。
アルヴィーヌがいつも以上につっけんどんな対応を見せると小さな国王はこめかみに青筋を立てながら無理矢理作り出した笑顔で本題を切り出す。
「中々に器量の良い娘よ!私は『ダブラム』国王メラーヴィ=ザ=ファ=ヒーヴァ=ダブラムだ!今回は黒い竜を貰いに来てやったぞ!有難く思え!!」
「え?嫌。」
ここまで御世話役の正体を明かしていない為傍から見れば不敬極まりないのだがショウはくすくすと笑いを堪えるだけで動く気配はなく、ワーディライが辛うじて彼女の紹介をしようと頑張るが憤怒に染まったメラーヴィは聞く耳も姿勢にも入りそうにない。
「あの、メラーヴィ様、彼女は『トリスト』の第一王女アルヴィーヌ=リシーア=ヴラウセッツァー様です。あまり失礼な対応は控えて頂けますか?」
「どうでもよいわ!!娘よ!!さっさと私に黒い竜を渡せ!!」
「ワーディライ、こいつ殺していい?」
「や、やめてくれっ!これでも一応は国王なんじゃ!!」
「こらワーディライ?!一応とは失礼だろう?!」
遠くでこちらの様子をのほほんと眺めている黒い竜達との温度差は凄まじく、いよいよ収集がつかなくなってきたなと困惑していた時やっとショウが別の打開策を閃いたらしい。
少し席を外すと断りを入れてから何処かに飛んでいった後、意外な人物を連れて戻ってきたのだがこれがまた厄介な状況を作り出していく事となる。





 「こういった場合にとても役立つであろうウォダーフ様を連れて参りました。」

なるほど。彼の力を使ってメラーヴィの欲望を焚きつけている感情を全て取り払おうというのか。納得の人選に頷くもその術が発動する前に事態は一変していた。
「な、何っ?!ウォダーフだと?!ま、まさかこの世界に来ているのか?!」
「おや?この気配は・・・ショウ様、これは感情ではなく乗り移っている本体を吸収した方が良さそうです。」
クレイスの記憶では2人は初対面だった筈だ。なのに突如メラーヴィが狼狽を見せると鳥頭のウォダーフも目を光らせてすぐに右手をかざし始めた。
「ま、不味いっ?!に、逃げっ・・・?!」

ずぅぉおっ!!

感情の玉を作り出す時とは違い、とても大きな音が鳴り響くと同時にメラーヴィの体が一瞬だけ発光する。そしてそれがウォダーフの右手の中に収束した後、彼の体は力なくその場に座り込んでしまった。
「これは私のいた世界の悪霊、とでも申しますか。生き物の体を乗っ取り悪さをする『ファンタレック』という存在です。」
「「「「ほぉ~?!」」」」
まさかそのような存在がこの世界に紛れ込んでいたとは。意外な事実に4人が感嘆の声を漏らすとウォダーフの手の平から小さな声が聞こえてくる。
「おいっ?!ここから出せよ?!折角国王の生活を楽しんでいたのに!!」
「・・・ぅぅむ・・・はれ?ここは何処だ?私は一体・・・?」
かなり長い間その体を乗っ取られていたのだろう。ワーディライがその体を支えて立ち上がった本物のメラーヴィは一つずつ自分の記憶と事実を確認していく。

「ふむ・・・わからない事だらけだがとにかくワーディライ、お主の忠心だけはよく理解した。そして私の体を乗っ取っていた『ファンタレック』?とやらはどう処断してくれよう?」

「ひぇっ・・・ぇ・・・ぇと・・・すみません・・・悪気はなかったんですよ?」

おかしな要望ばかりしてきたり妙な雰囲気の理由が解けるとクレイスも苦笑しながらウォダーフの右手に視線を移す。するとそこには無色透明の球体とその中に小さな人間が裸で土下座のような恰好をしているではないか。
「処断と申されるのでしたらこの場で握り潰しましょうか?」 
「正に『悪鳥のウォダーフ』に恥じない言動だなっ?!」
確かに今の大きさなら可能だろうが同じ世界の存在同士、妙なやり取りや意外な二つ名が出てきたりと様々な情報が流れてくるので軽々しい判断は避けたい所だ。
「ほう?中々に厳つい名をお持ちですね?」
「いやはや、お恥ずかしい。まぁこういう悪さをする存在からは忌み嫌われておりますので。」

「ふむふむ。どうやら私の与り知らぬ所で様々な出来事が起こっていたようだな。ではまず・・・あの黒い竜を見せてもらってもよろしいか?アルヴィーヌ殿?」

「・・・いいけどあげないよ?」
「ふぉっふぉっふぉ。もちろんだ。『トリスト』の第一王女自らが御世話する彼らを奪い取ろう等誰が考えるものか。」
どうやら本物のメラーヴィはかなりの人格者らしい。だからワーディライも彼に従う道を選んだのだろう。久しぶりに本当の主従が再会出来た喜びから薄く涙も溜めていたようだが黒い竜への興味もまた本物なのだ。
「・・・うん、いいよ。今のあなたは信用出来そう。」
こうしてアルヴィーヌの許可を得たメラーヴィとワーディライは最も大きな黒い竜キャベイルと触れ合い、更に背中に乗って大空を飛ぶという貴重な経験をも果たす。その満足感はこちらが話題に挙げるまで『ファンタレック』の存在を忘れる程だった。





 「まさか竜と触れ合えるだけでなくその背中に乗って自由に空を飛び回れるとは!これは私も『トリスト』移住を真剣に考えねばならないのかもしれないな!」

時折出てくる大胆な発言は『ファンタレック』に取りつかれていた時と遜色ない事からもしや2人は似た者同士なのでは?と勘ぐってしまう。
あれから『アデルハイド』王城に戻ったクレイス達はウォダーフも加えてとても楽しい晩餐会を楽しんでいたのだが捕らえた悪霊の問題が残ったままだ。
「くそ~・・・俺も美味しい飯を食いたかったぜ・・・」
手の平に収まる程小さな体をした『ファンタレック』は現在硝子の球体に閉じ込められた状態で食卓の端に鎮座している。
その姿形はほとんど人間そのものだったがよく観察すると側頭部から小さな角が二本、更に耳も以上に尖っていて長い。

「彼らの正体を知らない者達は妖精とも言っていましたが、まぁ私から言わせればそんな可愛げな存在ではありません。」

ちなみにウォダーフが『ファンタレック』に恐れられている理由はその能力に他ならない。
こちらの世界ではただ生き物の感情を一時的に奪って宝玉化していただけだが、対象者の感情や思考に干渉している存在がいればそれを硝子の球体に閉じ込めてしまう事も出来るのだ。
「・・・見た目は悪くない。私が飼ってあげようか?」
「アルヴィーヌ様、流石にそれは・・・」
無害であれば反対もしないのだが2人の反応から見るに『ファンタレック』は人に取りついて悪さをするらしい。
であれば速やかな処刑か隔離か、どちらにしても罪人として扱わねば他に被害が生まれかねないだろう。

「・・・では黒い竜一頭と交換、というのはいかがだろうか?」

「じゃあいらない。」

(本当にメラーヴィ様は自我を取り戻したんだよね?!)
自身に取り憑いていた事から『ファンタレック』を自分の所有物のように考えているのか、さも当然のように取引を持ち掛けたので周囲はクレイスも含めて驚愕したがこれは彼なりの説得だったようだ。
「そうかそうか。では国王への不敬罪としてさっさと処分してしまおう。」
アルヴィーヌの興味をしっかり断ってから明言すると『ファンタレック』は青ざめた表情で再び土下座をし始めたがこればかりは擁護のしようがない。
「し、死刑だけはご勘弁を!わ、私も心を入れ替えますから!!」
小さな体と声で必死に懇願する姿は部外者だからだろうか、つい恩情をかけたくなるが今回はその生態をよく知る人物がこの場にいるので覆す事は難しい。

「彼は人を騙すのが得意なのでその発言に耳を傾けてはいけません。そもそも消滅させるには少し工夫が必要なのです。」

「ほう?それはどういった内容ですか?」
感情を排して物事を考えるショウが食いつくと『ファンタレック』は嫌悪感をこれでもかと表情に浮かべ、ウォダーフとショウはとても楽しそうに言葉を交わす。
「はい。『ファンタレック』とは感情に自我が芽生えた存在なのです。ですから私の力で純粋な感情に戻すのが正道なのですが・・・『悪魔族』の皆様に食べて頂いた時の反応を見てみたい気もします。」
「おぉいっ?!な、何だよその『悪魔族』っていうのは?!お、お前いよいよ完全な悪に染まったのか?!染まったんだな?!」
悪鳥の名に相応しい提案を受けて満足そうに頷く赤い宰相。放っておけば『ファンタレック』は実験材料にされかねないが口を挟めそうになかったクレイスはただ苦笑を浮かべるしかなかった。





 「おいっ?!ほ、本当に『悪魔族』とやらの下に行くのか?!」
あれから様々な都合を考慮した結果、ここ3年ほどの記憶がないメラーヴィへの歓待と慰労も兼ねて彼の要望である『悪魔族』との邂逅が決まる。
「ふぉっふぉっふぉ。さてさて、華麗なる空旅を期待しておるぞ。」
『悪魔城』まで相当な距離がある事から再び黒い竜での移動が選ばれたのもその一環だ。ちなみに彼らの統率と自身もフロウに会いたいという事から指揮役としてアルヴィーヌも同行することになった。
「留守番は任せてのんびり楽しんできてくれ。」
となると御世話役がアサドだけになってしまうのだがそこは国務に厳しいショウが自ら補佐を買って出る。最近では密猟者も鳴りを潜めていたし今回は日帰りなのだから特に大した問題も起きないだろう。
「まさか私まで竜の背に乗せて頂けるとは・・・あの、ゆっくりお願いしますね?高所はやや苦手なものですから。」
最も鳥に近い容姿を持つウォダーフは相変わらず空を飛ぶ事が苦手らしい。自身も『悪魔族』の酒がどれほど進化しているのかが気になっていたのと今回サリールも一緒に連れて行く事になったので数々の期待が胸の内で踊る。
「気をつけてな。メラーヴィ殿は思う存分楽しんできてくだされ。」
他にトウケンの要望で『暗闇夜天』の里にも立ち寄る事が決定しているので非常に密度の濃い一日になるのは間違いない。

「では行って参ります。」

こうして黒い竜を5頭にアルヴィーヌやクレイスといった『トリスト』関係者を含めた6人は日が昇ってまだ浅い空に羽ばたくと、清々しい空気を肺に満たしながら東へ向かうのだった。



子竜が一緒という事もあって速度は控えめだったがそれでも午前中に到着した一行は早速異形の『悪魔族』達から歓待を受ける。

「クレイス、よく来てくれた。実は今度作る新作で少し相談したい事があってな。」
メラーヴィも先にアサドと対面していたおかげで狼の顔を持つ悪魔王への畏怖はさほど感じなかったらしいが流石に小さな黒い竜くらいの体格を持つ個体や昆虫にも似た顔を持つ『悪魔族』には目を丸くして体を竦ませていた。
だが何よりフロウが黒い竜や初対面の王族らに一切構うことなく酒造について饒舌に相談し始めたのだからクレイスも違う意味で目を丸くしてしまう。
「でしたら詳しいお話をお聞きしましょう。それとこちらからも少し見てもらいたい存在がございまして。」
そう告げると熱く語り過ぎていたのを自覚したのだろう。やっと正気に戻った悪魔王はいつの間にか肩車に乗っているアルヴィーヌにも軽く挨拶を交わすとクレイス達をとっておきの来賓室へ案内してくれた。





 「・・・へっ!なーんだ!ただの狼人間じゃないかっ?!」

「口を慎め小人よ!この御方は『悪魔族』の魔王フロウ様であらせられるぞ?!」

似た生物だとムカデだろうか。それでも人間程の大きな体を持っている為大きな顎をかちかち鳴らしながら眼前まで迫られると『ファンタレック』も嘘か誠か、球体の中で気を失ったかのように倒れこんでしまった。
「ほう?これはまた珍しい。確か妖精と呼ばれる類だったか?」
フロウ達の世界でも存在は認知されていたようだがお互い初対面なのだろう。珍しく酒以外に多少の興味を持った魔王は顔を近づけてまじまじと眺めている。
「私共の世界では悪霊と呼んでおります。とにかく性悪な個体が多いもので。」
メラーヴィが用意された『悪魔族』の酒に舌鼓を打つ中、ウォダーフも補足してくれると側近を含めた『悪魔族』達は頷きながら『ファンタレック』に鋭い視線を向ける。
「彼らは感情に自我が芽生える事で生まれるそうですが、『悪魔族』の皆さんはこれを食そうと思われますか?」

「おいクレイスッ?!余計な事は言わなくていいんだよっ?!」

やはり狸寝入りだったか。核心に迫る質問を告げると『ファンタレック』が飛び起きて非難の声を上げるが『悪魔族』の連中は顔を見合わせて小首を傾げた。
「ふむ。まぁ食せなくはない、と思うが・・・あまりに雑味が多いな。とびっきりの恐怖を植え付ける下ごしらえをしないと・・・」
「ひぇぇぇぇっ?!ご、ご勘弁をぉぉ!!」
「まぁ処刑とはそういうものじゃ。諦めろ。ふぉっふぉっふぉ。」
お酒の力もあるのだろうが、すっかり上機嫌になったメラーヴィはにんまり顔を近づけて勝ち誇ったかのように宣言している。

「しかしクレイス、これを食べさせる為だけにわざわざ赴いて来たのか?それは少し寂しいぞ?」

「大丈夫。私はフロウに会いたくてやってきたから落ち込まないで。」

その発言には一瞬どきりとさせられたが魔王の毛並みを堪能していたアルヴィーヌがその脇に埋もれながら即答してくれると彼も機嫌を良くしたようだ。
「・・・はは。僕も『悪魔族』のお酒について気になっていた、くらいしか頭になかったものですから。今度はもう少し皆様に喜ばれるお話や品々を・・・」
「何を言う?!それこそが最も喜ばしい話ではないか!!良い機会だ。皆の者にも先程話題に出した新酒の味を確かめてもらおう。持ってくるのだ!」
誤魔化すのを止めて素直に吐露したのがとても前向きに転んだらしい。目を輝かせたフロウが配下に命じると試作品であろう酒と杯が長卓に所狭しと並べられていく。

「今回作ったのは基本に立ち戻った葡萄酒でな。品種や作り方にこだわったのだがどうにも後味が弱くて納得いかないのだ。皆の忌憚なき意見を求める。」

「おお~これは絶景だな!ではフロウ殿、我々も遠慮なく頂きますぞ。」

結局年配者達が随分と深酒してしまったせいで移動と思考がやや困難な状態に陥ってしまったのだがメラーヴィも良い気晴らしになっただろう。クレイスも出来る限りの分析と対策を簡潔にまとめるとフロウは真剣にそれらをまとめて試作に取り掛かる。
すると次なる目的地『暗闇夜天』の隠れ里に辿り着いた時には日がかなり傾いていた。





 「とりあえず助かった、のか?!そろそろ俺を解放してくれていいんじゃないのかっ?!」
「それはあり得ません。」
メラーヴィ王以下、最側近のワーディライでさえほろ酔いで即座に戦えそうもない中、珍しくトウケンも頬を紅に染めた状態で郷土に降り立つとまずは皆が黒い竜に驚く。

「これはこれはトウケン様。随分突然の御帰りですね?」

そして現在この里を任されているコクリと客人であるラルヴォ、以前自身が助けたルアトファも彼の腕に抱き着いた状態で現れた。
「久しぶりラルヴォ。」
「あっ?!何この娘?!」
アルヴィーヌの目的は彼のみだったのだろう。フロウにしたのと同じようにふわりと中空を移動してから肩車状態に移行したのだが温和な彼は笑顔でそれを迎え、最も仲の良い彼女は驚愕とやや嫉妬らしい声で非難の声を上げている。

「うむ。最近全く帰れてなかったからの。そちらにいるラルヴォやルアトファにも会っておきたかったのだ。しかし本当にハルカに似ておるな。」

祖父がまるで愛孫にでも再会したかのような笑顔と雰囲気を作ると彼は一行を自分の家に案内する。『暗闇夜天族』は暗殺家業や隠れ里といった要素から普段も全く話題
には上がらないのだが里帰りだけに立ち寄った訳ではないはずだ。
座敷に通されるとラルヴォも畳に慣れた様子で胡坐をかき、上機嫌だったメラーヴィとワーディライも不思議そうに天井を見上げていた。
急な帰宅だったにも拘らず様々な海と山の幸が運ばれてくるとクレイスも胸を躍らせていたがトウケンとコクリは無言で隣同士に腰を下ろしたまま一言も発する事無く静かに晩餐が始まる。

「・・・最近の里はどうだ?皆に安寧はもたらされておるか?」

「・・・はい。ハルカ様がクンシェオルト様から贈与された大金のお陰で何不自由なく暮らせております。」

意外な名前と内容が聞こえてきたので思わず目を丸くしたがこれは部外者が聞いて良い情報なのだろうか。
小鉢を手に取ったまま動きを止めてしまったのでつい聞き耳を立てるような形になったが彼らは気にすることなく話を続ける。
「そうか。しかし金はいずれ尽きる。そうならないよう仕事は継続せねばならんな。」
放っておけば次の暗殺対象が出てきそうな流れから意識を遠ざけようと急いで止めていた箸を動かすがコクリも待っていたかのように頷いた。
「仰る通りです。しかし昔から世界が我らの力を必要としてきました。今後もそれが枯渇する事はなく、職を失うことはありますまい。」
生活していくという意味ではどんな仕事よりも安定しているとも考えられるのか。何故部外者の集う中そのような話をしているのか皆目見当がつかないが彼らは料理に一切手を付けないままやり取りを進めていく。

「・・・コクリよ。お主はまだ原初の『暗闇夜天』にすがるつもりか?」





 それがどういう意味なのか詳しくはわからない。気が付けばメラーヴィにワーディライ、ラルヴォも耳を傾けているようだ。

「当然です。我らの繁栄があるのもご先祖様達の功績によるものなのです。それを忘れて個人の感情に流されるようでは顔向けできません。」

2人の確執らしきものは察したが大丈夫だろうか?いや、トウケンはとても厳格であり、それでいて頭も切れる。皆の前で何も考えずにこんな会話をするはずがない。
では自分達を生き証人として期待しているのだろうか?アルヴィーヌとルアトファがラルヴォの両隣で小競り合いする姿が多少視界に入るも思考と聴覚は次の展開に集中しっぱなしだ。
「・・・ではやはり里を分けるか。」
「それだけは聞き捨てなりませんな。」
不意に殺気を放ったコクリに思わずクレイスが反応するもトウケンは静かに座ったままで相変わらず動きを見せない。

「コクリよ。今、外の世界ではわしらの力を遥かに凌駕する存在がみるみる増えてきておる。そんな中でも暗殺家業が務まると思うか?もし『悪魔族』の魔王を殺してくれと言われて実現が可能か?」

「・・・可能か不可能かではありません。我々は依頼された仕事をただこなすのみ。今までもそうだったでしょう?」

これは難しい問題だ。トウケンはこれからを、コクリは今までを重視した立場を取っており、決してどちらも軽んじる事は出来ない。
それこそ里の連中皆で相談すべきだとも考えたがここは小さな国家でもある。国王とそれに近い存在の意志決定に全てが懸かっているのだ。
「・・・であればわしは腰抜けだな。この先どんな未来が待っているのか、どのような情勢になるのか、いくら想像してもわしらの働ける姿が想像出来んのだから。」
その発言を聞いてやっと顔を向けると老人はとても寂しそうな表情でやや俯いている。そして初めて御猪口を手に取ると清酒をすっと一口で飲み干して小さな溜息をついた。
もしかすると『暗闇夜天』の頭領が代わる場面に立ち会ってしまったのか。不思議と不安、そして何故か寂しさを覚えたクレイスは口を挟むかどうか悩んでいると逆隣りに座っていたコクリは右手を挙げて隅に控えていた男に何やら耳打ちをする。

「それは間違いなく老い、そして衰えでしょう。」

それから感情の感じない声で吐き捨ててきたのだからこちらが激高しそうになったがすぐに先程の男が新しい徳利を運んできた。
『暗闇夜天』の後継者はこんな男しかいないのか。せめてハルカが再び頭領の座に戻ればと考えるが流石に調子が良すぎるか。
自分の事のように悔しかったクレイスは憤怒を隠して2人の様子を窺っていると部外者の心情など知る由もないコクリは何故か新しい御猪口に手酌で注いでこれまた一口で飲み干す。

「・・・トウケン様、ここからは酔っ払いの戯言としてお聞きください。」

一瞬意味が分からなかったがトウケンが少し驚いた様子を浮かべていたので何かあるのだろう。彼らと同じように全く目の前の料理が減っていないクレイスはそれでも話の結末が知りたくてもはや隠す事もせず聞き入っているとコクリもまた小さな溜息をついて静かに口を開くのだった。





 「私の確固たる意志もとうに揺らいでいるのです。ラルヴォ殿と相対した時からずっと。」

そう始めると彼は邂逅した時の戦いからこれまでの出来事を少し嬉しそうに語りだす。最初こそ邪魔者だった次席の戦死に喜びはしたものの力の差と死の恐怖を感じた事。
異形の存在でありながらも里を護ろうとしてくれた話や『悪魔族』の襲来、そして2人の魔王やヴァッツによって場を収めてもらった事。
「確かにあの時までは原初の『暗闇夜天』を、伝統を護り通すつもりでいました。しかし空を飛び、我らの知らない術を使う者達が増えてきた事で対抗出来る手段がほとんどない事に気付かされてしまったのです。それこそ才覚に溢れた者しか太刀打ち出来ないと。」
酒食に全く手を付けていなかったのが嘘のように御猪口から4杯目の清酒を注いだコクリはいつの間にか先程のトウケン以上に寂しい表情を浮かべている。そしてトウケンも静かにその話を黙って聞き続けていた。

「『暗闇夜天』を存続させるにはトウケン様、そしてハルカ様の御力が絶対に必要なのです。私では、私の掟に縛られた考えでは必ず破綻します。それはよく理解しているつもりです。」

最初に前置きをしたのはこの為だったのか。一見冷徹そうな対応をしていたコクリにも抱えきれない悩みがあったのだ。
彼は更に酒をくいっと飲み干すと最後は悲痛な表情を浮かべ、答えが欲しいのか尋ねるように一言を呟く。
「・・・『暗闇夜天』はもう終焉を迎えるのでしょうか?」
「馬鹿を抜かすな。全くコクリ、お前は昔から生真面目が過ぎるのだ。」
現在は実力者2人が里を離れており、その状態だと暗殺出来る対象はかなり限られてくるだろうしこの先はもっと厳しくなってくるはずだ。
これもまた時代の流れなのか。目前で1つの勢力が滅亡に向かうのをクレイスは呼吸も忘れて見護るしか出来なかったが当事者は逆に光明を捉えたらしい。

「『暗闇夜天』の本質は暗殺能力とその志にある。掟はあくまでそれを維持する為の手段に過ぎん。わかるか?」

「・・・と、申されますと?」
「時代が変わるのであれば我らもそれに合わせて変わればよい。暗殺対象を人間だけに絞っても良いし、人外を相手にする場合を含めてこちらも異形の者を招き入れても良い。」
「私は手を貸しませんよ?」
すると先程からいくらか名前の挙がっていたラルヴォが鋭い眼光と言葉を発したのでトウケンはいつもの不敵な笑みで切り返す。
「よいよい。お主でなくともこの先必ずそういった者が現れる。直近だとハルカの御子などが有力じゃな。」
(えっ?!)
声を上げそうだったクレイスは思わず両手で口を押えたが確かに彼の血を継ぐ子であれば男女問わずとんでもない力をもって生まれてくる筈だ。
「おぉ・・・と、いう事は・・・」
「うむ。わしらも初志を忘れずに形を変えて生き抜こうではないか。時代に迎合される形にな。」
正直暗殺者が迎合されるという点には肯定し辛いが彼らには彼らの歴史や生き様が存在するのだから部外者が安易に否定するのも違うだろう。

「でもヴァッツが自分の子に暗殺なんてさせないと思うよ?」

だが唯一そこに口を挟める少女が2人の話を聞いていた事、それに明確且つ正確な答えを返すと全員が目を丸くした後、大きく笑いだすのだった。





 遥か東方の地でそんな出来事があった少し前、『アデルハイド』の牧草地ではとある邂逅と事件が勃発する。

「黒い竜か。倒せば名声も素材も手に入ってお得だな。」

というのもこの日、『ビ=ダータ』のボトヴィが退屈しのぎとガビアムへの恩義も兼ねて噂の竜を倒しに来ていたのだ。
一応アサドにショウというそれなりの戦士2人が護衛としてついてはいるもののまさか国家に与する高名な戦士がそんな無知蒙昧を働くなど想像すらしていなかった。
相手も元の世界では名の知れた存在だったのもあるだろう。密猟などといった姑息な手を使わず堂々と2人の前に姿を現したのだけは唯一の救いだが有無も言わさず殺処分
出来ない事を考えると面倒臭さは変わらない。

「・・・貴方達は確か『ビ=ダータ』の剣客であるボトヴィ様とアス様、でしょうか。」

「お?初対面なのに俺達の事がわかるなんて、ここの飼育員はきちんと教育されているんだな。」

カズキの話ではやや鼻につく性格だと聞いていたがなるほど、これは色んな意味で厄介な相手らしい。
アサドが速やかに戦闘態勢へと移行するのを一応相手は友好国の所属なのだからと宥めつつ、前に出たショウは何とか穏便に解決しようと切り出すがさてどうするか。
「いつもであれば『トリスト』の第一王女が自ら御世話されております。今日だけは左宰相である私ショウ=バイエルハートが代理、という訳です。」
ヴァッツやカズキのような好奇心とは違い、恐らく地位や名声の為に動く人物なのだろうと敢えて身分をしっかり明かしてみると思った通り、相手は僅かに考えを改める姿勢を見せた。
「え?そうなの?ですか?ふむ・・・黒い竜を倒すか持ち帰ればガビアム王も喜んでくれると思ったんですけど・・・一頭頂く訳にはいきませんかね?」

「申し訳ございませんがこれらは我が国の大将軍ヴァッツが持ち帰ったものです。国王スラヴォフィルも決して他国に渡さないよう厳命されております。黒い竜の存在と管理は『トリスト』の王族全てが関わるだけでなく、国家の威厳さえ懸かっているものだとご理解下されば幸いです。」

これまでの生き方を否定するつもりはない。しかしこの世界でその道理を許せば『トリスト』の地位でさえ脅かされかねないのだ。
丁寧ながらも強い覚悟を込めて断ると流石に引き下がっていったが今後の展開を考えるともう少し警備を補強すべきか。
クレイス達の帰りを待つ中、他の方法を模索するのに集中しすぎていたのもあるだろう。この時のショウはアサドが同族を殺したボトヴィの顔と復讐をしっかりと脳裏に刻み込んでいたのに気が付けないまま一日を終えてしまうのだった。

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