闇を統べる者
興亡 -繁栄に向かって-
「・・・また凄いのを連れて帰ってきたな。」
この世界には存在しなかった、正確には『魔界』にティムニールという似た容姿の存在はいるものの黒い竜達を迎えたザラールは珍しく感嘆の声を漏らしていた。
「きっかけとなった親子の竜はクレイスとカズキに懐いてますからね。他の個体もヴァッツが選別したそうなので意思疎通に問題はないでしょう。後は定住の地を早急に探し出さねばなりません。」
彼らは必ず『トリスト』の繁栄に役立つ筈だ。特に飛べない者達が馬のように駆ればその戦力は跳ね上がるだろう。
既にカズキが『ハルタカ』との戦いでそれを証明してくれていた為、その辺りについては何の心配もしていなかったが残る問題はかなり大きい。
「ザラール様、彼らの住処、牧場とでも申しますか。これも私の権限で選別してもよろしいでしょうか?」
ヴァッツが運んでくれた個体は大きさにばらつきはあるものの皆が巨体であり、その数は30にも上る。これらが自由に暮らせる場所を確保するには相当広大な土地と厳重な管理体制が必要になる筈だ。
「・・・クレイスとヴァッツ様の御意思なら反対する理由はない。巨体故に食料も多大な量が必要だろうからしっかり厳選するのだ。」
そう答えながらザラールも初めて見る竜に興味津々なのか、城外で適当に寛ぐ彼らの姿やアルヴィーヌやハルカが無邪気に戯れている姿を羨望の眼差しで見つめている。
「ではザラール様も一度触れ合ってみて下さい。」
「い、いや・・・私は遠慮しておこう。」
「いいえ、右丞相である貴方にも彼らの性格を知っておいてもらわねばなりません。さぁさぁ。」
本音と建前を使って促すと彼も恐る恐る近づいて行き、そして一際大きな個体の前に立つと黒い竜も小さな老人を認識して鼻先をゆっくり近づけてきた。
長い首や尻尾を合わせると軽く20間(約18m)を超えるので迫力が凄い。ただザラールも動物には慣れているのか、それに応えるよう両手を伸ばすと大きな顔に優しく触れる。
「おお!よしよしよし!いい子だ!」
若干の震えが見て取れたのでもしかしたら面白い様子を目に収められるかと期待したがそれは歓喜を押し殺す為の我慢だったらしい。
少し残念、というかつまらないなぁと内心がっかりしていたがあまり見せない気色の表情を浮かべているのでその感情を霧散させるとルルーも他の個体から楽しそうに滑り降りてきた。
「ねぇショウ君!この子達どうするの?!」
「『トリスト』で保護、何不自由なく暮らせるようしっかり管理します。」
「えぇえぇ?!管理って・・・相変わらずショウ君の言葉は冷たいなぁ・・・」
他に何といえばいいのだ?彼女の意外な指摘に思考を乱されながら飼い慣らすに飼育と言い直したもののどちらも首を横に振って否定されてしまう。
「・・・一緒に暮らす!これね!」
「えぇぇぇ・・・流石にこの巨大な動物と一緒に暮らすのは無理がありませんか?」
ただこれは言葉の意味合いではなくそういう気持ちを込めて使ったのだという。その辺りの気配りがまだまだ未熟だったショウは彼女から説明を受けて納得したのだが実際しっかりとした管理下に置くのであれば共に暮らす飼育員も配置する必要はあるだろう。
「私がやる。」
そんなやり取りが耳に届いてしまったのか、アルヴィーヌが右手を高く上げながら鼻息を荒くして近づいてくるとあっという間に周囲の人間達に止められてしまった。
「アル!お前は第一王女だろ?!それにヴァッツ様との結婚はどうすんだよ?!」
「あ、じゃあヴァッツと私と黒い竜達で暮らそう。いいよね?」
「いいよ!」
「「「駄目です!」」」
彼の傍にいる少女たちは皆骨抜きなのかと思っていたがそうでもないらしい。というか流石にこれは全力で止めないと2人は本気で黒い竜達と暮らしかねない。
「出来ればすぐに会いに行ける場所をと考えていますのでご心配なく。」
でなければこの世界に連れて帰ってきた意味がない。黒い竜達を『トリスト』専属の移動と戦闘手段として考えていたショウは優しく答えるとアルヴィーヌとヴァッツも目を丸くして喜んでいた。
自分達の世界と別世界での時間にそれほどズレはなかったらしい。
まずはそこに安堵したショウだったが黒い竜の姿を一目見たくて『トリスト』国内の人間が城へ集まる中、とある人物が一向に姿を見せない事に違和感を覚える。
「そういえばスラヴォフィル様は?」
これ程の大事件を前に国王である彼が興味を持たない筈がない。ヴァッツの祖父だけあってかなり好奇心旺盛なのだから猶更だ。
「あいつは今セヴァ様につきっきりだ。」
ザラールも黒い竜の冷たくも堅く弾力のある体に触れてとても満足そうに、そしてそれを気取られぬよう笑顔を押し殺しながら短く答えてくれたのだが賢しいショウはすぐに察する。
「・・・まさか傷病の類ですか?」
「む?そうか。お前はまだ知らなかったな。セヴァ様は子を授かられた。そのせいであいつは完全に職務を放棄してしまっているのだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・えっ?!?!」
ところが予想は別の方向で大きく裏切られたので声が漏れるまで数十秒の時間を要した。聞き間違いでは無さそうだがこれまでの知識を総動員して考えてみるとどうしても否定から入ってしまう。何故なら彼女は『魔人族』だからだ。
『天族』や『魔族』との間に生まれた子は子孫を設けられないというのが通説だ。それが理由でダクリバンも苦悩させられたという報告も届いている。
なのにセヴァが懐妊?そんな事があり得るのだろうか?
喜んでいいのか誤診を疑ったほうがいいのか困惑したショウは先程のザラールと同じような仕草で双極の感情を無理矢理抑え込んでいると今度は彼がその様子を見て憎たらしい笑みを浮かべている。
「お前も確かめてくるといい。」
そうだ。結局それが一番手っ取り早いしこんな目出度い誤報をザラールがいつまでも放置している筈がない。
自然と傍にいたルルーの手を握ってしまうと期待と不安から手汗がじんわり滲んできたのがわかる。それでも彼女は嫌な顔一つせず笑顔でついてきてくれるのだから本当に良い娘だ。
それから逸る気持ちを整理して国王の部屋の前に立つと静かに扉を叩く。
「・・・ショウ=バイエルハート、只今戻りました。」
「よ、ょく戻った!!ま、待っておった、ぞ!」
しかしこの件で最も動揺していたのは当事者らしい。
ショウとは比べ物にならない程落ち着きを失ったスラヴォフィルが出迎えてくれたので唖然とした後一瞬で冷静さを取り戻せた。
話す声も抑揚が滅茶苦茶で聞き取りにくいったらありゃしない。だが齢70手前にして初めて子を設けたのであればその気持ちも察するに余りあるだろう。
「・・・セヴァ様が御子を授かったとお聞きして飛んできました。おめでとうございます。」
「・・・ぁあ。ほ、本当にな。ワシは驚きすぎて未だに地に足がつかないくらいじゃ・・・」
確かにいつも隙がなくまるで地面を掴んでいるかのような足腰には全く力が入っていない。こんな所を襲われたら例え『羅刹』といえど命が危ないのではないだろうか。
「ショウ、よく戻った。さぁさ、そんな所で立ち話などしてないで中に入っておくれ。」
そんなことを考えていると奥から優しい笑顔を浮かべた王妃が静かに声をかけてくれる。まだ何週間かその程度なのだろう。見た目で懐妊だとはわからない。
だが夫からすると安静にしてもらいたいようだ。見たことがないほど狼狽して早く椅子に座るよう勧めるスラヴォフィルの姿は何とも微笑ましい。
「・・・本当におめでとうございます。」
どうやら嘘ではないようだ。いつしか事実を受け入れたショウは心の底から祝福の言葉を漏らすと2人もはにかみながら頷いてみせるのだった。
今までの知識が覆されるには必ず理由がある。
ショウは2人の話を聞きながら脳裏ではヴァッツの存在が過っていた。
彼は『神族』であるイェ=イレィから力を奪ったり元に戻したりしただけでなく『七神』の長ティナマを人間にしてしまった前例もあるのだ。
という事は今回もセヴァを人間にしてしまったのだろうか。そう考えれば懐妊も全くおかしなことではなく、むしろ今は世界中にその生誕を知らしめるまである。
「ワ、ワシも正直その、子までは期待しておらんかったからな。この年で授かるとも思えんかったし。な、なぁセヴァ?」
「そうでしょうか?私はいつもスラヴォフィル様を思い、お慕いしておりました故その祈りが届いたのだと考えております。」
2人の、特に凛とした王妃の話を聞いて隣に座るルルーは目を輝かせて深く頷く。恐らく自身と重なる部分が多いので余計に感動を覚えたのだろう。
わかっている。彼女のまっすぐ過ぎる気持ちはよくわかっているのだ。
ルルーが傍にいて笑顔を向けてくれる度に嘘をついている自分を深く理解する。彼女の期待に応える自信がなくて、それを掴んでしまうと思い出が上書きされそうで顔を背けてしまう。国政に関しては一切の感情を排除して行動出来るというのに何とも情けない話だ。
「・・・ショウ?向こうで何かあったのか?」
国王夫妻の御前で話を全く聞いていないショウに異変を感じたスラヴォフィルもやっと冷静さを取り戻して尋ねてくれるがその心配は的を外れていた。
「・・・いえ。私というよりはクレイスが少し気落ちしてしまいまして。今後の国政にも影響がありそうです。」
「そうか。その辺りはお前達に任せるのでな。疲れもあるだろうから無理のない範囲で勤めてくれ。」
問題を先延ばしにする為の詭弁で友を使ってしまうなど最悪だ。自己嫌悪から心の悲鳴を感じるもそれをおくびにも出さないショウは国王の部屋を後にするとルルーが普段と変わらない様子で声をかけてくれる。
「今夜は別世界のお話をいっぱい聞かせてね?」
(はい。)
「・・・・・ルルーはいつまで私の事を追いかけてくれるのでしょう?」
「お?珍しいね?ショウ君の口からそんな言葉が飛び出てくるなんて・・・という事は私を意識し始めてくれてるの?!」
スラヴォフィルやセヴァがあまりにも幸せそうだったせいもあるかもしれない。口に出すつもりのなかった疑問に慌てて口を噤むがルルーは姉譲りの少々勝気な表情でこちらを覗き込んでくる。
紅く大きな瞳は吸い込まれそうな程美しく、そんな双眸で見つめられると普通の異性であれば間違いなく勘違いしてしまいそうだがショウもまた希代の大噓つきなのだ。
「私もカズキと同様、添い遂げる相手は1人で十分だと思っています。そしてその相手が先に旅立ってしまったのですから・・・」
再び友の事例を持ち出して話題を切り替えようとしたのだがセヴァから告げられた最後通告を思い出して言葉を止める。危ない危ない。今度ルルーを泣かせてしまったら『トリスト』から追放されかねない。
ではどう凌ぐべきか。再び悪知恵を働かせていると先にルルーから意外な事実が飛び出してきたので思考は完全に停止する。
「えー?でもカズキ君ってもう何人かと関係を持ってるよね?」
「・・・・・え?」
そんな馬鹿な。
亡き祖父の強さと志を尊敬しているものの複数の女性と関係を持っていた部分だけは絶対に回避したいみたいな事を言っていた筈だし彼の性格上それは全うされると信じて疑わなかった。
なので放心気味に彼女の顔を眺めていると更に詳しく語ってくれる。
「私も直接聞いたんじゃないけどね。でもカーヘンさんの噂は聞いたよ?あとタシンさんともそんな雰囲気だし。」
まさかそんな。否定したかったが自身も彼の異性遍歴について全く知らなかった為更なる放心状態に陥ってしまう。
そして若干の意識を取り戻した時にはルルーと晩御飯を食べていたので今は目下の問題から解決しようと別世界での話をつらつらと語るのだった。
いつの間にそんな事になっていたのか。
ルルーの話が気になったショウは翌日裏取りの為に密かに行動を開始すると回答はあっけない程すぐ手に入った。
「うん?カズキ君と?そだよ~。」
壊滅した別世界の住人というのも大きく影響しているのだろう。決して貞操観念が緩い訳ではないと前置きされながらタシンが軽すぎる自白をしてくれると目まいを覚えた。
「・・・つまりタシンさんは彼と添い遂げたいと考えていらっしゃるのでしょうか?」
「え?そだね~そこまで重く考えてなかったけど彼がそうしたいって言うなら籍を入れてもいいよ。」
この価値観の齟齬はショウだからこそすり合わせるのは至難の業だ。というのも同世代の友人達の中で自身だけ妙に身持ちや思考が堅いのはやはりサーマの影響が大きいらしい。
決して自己分析に至らないショウは引きつった笑顔を浮かべつつタシンの部屋を出た後混乱状態で執務室に戻るとそこにはクレイスが待っていた。
「あ、ショウ。黒い竜達の牧場なんだけど『アデルハイド』が新しく『ワイルデル領』の一部を割譲してもらったじゃない?あの辺りはどうかな?」
「・・・・・そうですね。いいんじゃないでしょうか。」
「あ~、まだ上の空だ。クレイス様ごめんなさい。今のショウ君ちょっとおかしいの。目が覚めてからもう一度相談して頂けますか?」
自身に気があるはずの彼女の口から酷い評価が聞こえると流石に思考を無理矢理回転させて軽く咳払いをする。
「ご心配なく。ちょっと立て込み過ぎていた為僅かに混乱しただけです。」
「そうなの?僕の話は後回しにしようか?彼らもこの城を気に入ってくれているみたいだし。」
しばらく王城を空けていたのだから今は集中して国務をこなさねば。ショウは素早く地図を広げると候補地をいくつか割り出して速やかに話を進める。
「大丈夫です。しかし彼らが雑食なのは助かりますね。食料の種類を問わなければある程度の確保は保証出来ますから。」
「それでもあまり変なものは与えたくないな。味や栄養も気になるし・・・よし、ここは僕が毎食用意して・・・」
「クレイス、貴方は次期国王ですよ?しかも今は大切な時期なのです。そんなアルヴィーヌ様みたいな我儘を仰るのは止めてください。」
すっかり飼育員と化していた友人を窘めつつ2人は速やかに計画を立てていくとルルーが用意してくれた落ち着いた香りのお茶の効果もあって時間もかからずに概要はまとまった。
「後は管理者の選任ですが・・・ついでですし地上に降りられているロラン様に任せましょうか。」
現在彼には地上での活動の為、必要な人材を発掘、育成するよう命じているので本当についでといった意味で軽く決定してしまったのだがかなり負担をかけている事実には気が付けない。というのもショウが自分を基準に考えているので有能なロランもそれが可能だと妄信しているからだ。
「・・・あんまりお兄ちゃんをいじめないでよ?将来ショウ君の義兄になるかもしれないんだから。」
「・・・・・えっ?!そ、そうなの?!」
発言の内容より彼女が兄を気遣った事に驚いたがクレイスはいよいよ2人もそういう仲なのかと勘違いしたらしい。
驚きつつも何故か喜びを表情に浮かべていたのでショウははぐらかそうと適当に話を合わせるに留めるが決してルルーにそんな意図は一切なかった筈だ。
「・・・・・そうですね。そういう考え方もあるんですね。」
感情さえ排除すれば様々な策謀が下りてくるのは相変わらずか。小さく呟いた後こちらも満面の笑みを返してクレイスと別れるとその日ショウは更なる躍進の為に貯まっていた国務を滝水が落ちる勢いで片づけていくのだった。
その報せを初めて受けた時よくわからない感情に意識を刈り取られたのだけは何となく覚えていた。目を覚ました時スラヴォフィルが心配そうにずっと傍にいてくれた事実も。
「適度な運動は必要ですから普段通り過ごしてください。決して過剰に体を休めてはなりません。その方が御子に悪影響ですから。」
主治医も慣れたもので優しく告げてくれるとやっと自覚が芽生え始める。この世に生を受けて2800年余り、まさか今になって母親になる日がくるとは夢にも思わなかった。
「し、ししかし無理に動くのもまた危険ではないか?!ここは安静に・・・」
「スラヴォフィル様、傷病とご懐妊は違います。もちろん御子が育てばお腹も大きくなりますので動きに支障は出ますが今はまだその時ではございません。」
夫も出産に立ち会うのは初めてなのだろう。セヴァの体が心配で仕方がないといった様子だが年老いた女医はいらぬ心配だと一刀両断してしまう。
そんな様子がおかしいのと嬉しい気持ちで思わず笑みを零すとそれが合図となったらしい。少し離れた場所で診察が終わるのを待っていた双子がととと~と駆け寄ってくるとこちらに抱き着いてきた。
「ねぇお義母さん。私に新しい妹が出来るの?」
「弟かもしれませんよ。それにしても『魔人族』は子を授かる事が出来ないなんていい加減な話、誰が広めたのでしょう?」
押しかけ女房的な立ち位置であるセヴァを義母と呼んでくれる『天族』の娘達もとてもいい子なので何の心配もいらない。むしろ今は輝く未来しか想像出来ないのが怖いくらいだ。
「・・・スラヴォフィル様。この御子は産んでもよろしい、のでしょうか?」
なので唯一の懸念である新たな命について尋ねるとこれには召使いも含めて皆が目を丸くしていた。
「と、とと当然じゃろう?!ど、どうした?!まさか子を授かるのは望まなかったか?!?!」
「いえ、そうではありません。私は溢れる思いに従い無理矢理押しかけてスラヴォフィル様の御慈悲で御傍に置いて頂いている身ですからその、スラヴォフィル様こそ望まれないのであれば私一人で育てる覚悟も出来ております故・・・」
「・・・セヴァよ。お主が惚れたスラヴォフィルという男はそこまで腰抜けか?」
もし望まれなかった懐妊ならそうすればいい。あくまで後顧の憂いを断つ為の確認程度に過ぎなかったのだがこれによりスラヴォフィルの熱き魂が刺激されてしまったらしい。
初めて怒らせてしまったとすぐ後悔の念に苛まれるが彼は怒りというより闘志を胸にその場で宣言する。
「よいか皆の者!これよりセヴァを正式に我が妃として迎え入れる!!」
今までなし崩し的な関係だった2人だがこの日新たな命と共に本当の夫婦として、家族として迎え入れると高らかに吠えた事で周囲も御子と母体を考慮して声は控えめにその場で跪いた。
「ここまでお膳立てしてもらえんと動けないような臆病な男じゃが・・・共に人生を歩んでもらえるじゃろうか?」
「・・・はい。喜んで。」
こうしてクレイス達がいない間に大きな動きがあった訳だが初めての出産という事で本人以上にスラヴォフィルが過保護っぷりを見せると娘達も見ていられなくなったらしい。
「父さん落ち着いて。」
普段は自由気ままに動くアルヴィーヌすら彼の動きに制限を設けようと動いてくれたおかげでヴァッツ達が連れ帰ったという黒い竜と接する機会を得ると彼らは新たな生命の脈動を鋭く察したらしい。
クレイスに最も懐いているという小さな子竜が無警戒に近づいてくるとこちらのお腹に耳らしき部分を当て始めたのでくすぐったさとかわいい仕草に思わず笑みが零れる。
「この子が生まれた暁には仲良く遊んでやってくれ。」
言葉は話せないものの理解はしているのか、彼が小さく鳴くと益々生命誕生の実感を得たセヴァはその頭を優しく撫でて今からその日を待ちわびるのだった。
あれ以来ショウは切り離そう、もしくは忘れようと必死に国務に逃げていたが大きすぎる事実となまじ賢しい頭脳がそれを許してくれなかった。
「セヴァ様の御子様ってやっぱり男の子がいいのかな?」
「・・・そうですね。跡取りを望まれるでしょうから出来れば男児がよろしいかと。」
「あれ?跡取りって・・・クレイス様が次期国王に選ばれたんじゃないの?」
「・・・そうですね。クレイスが国王になれば『トリスト』も安泰です。」
「も~ショウ君?また意識が何処かに行ってるよ?」
最近ではルルーもより遠慮が無くなってきたのか、こちらが気を緩めると一気に間合いを詰めて吐息が感じる距離まで顔を近づけてくるので油断ならない。
「・・・そうですね。ここは踏ん張りどころです。気合を入れましょう!」
といっても手を動かしたまま頭ではルルーと結ばれた後の事ばかり考えている。普段は周囲の人間に対してそういう考え方はするもののまさか自身にも適用されるとは思いもしなかったショウはいよいよ感情が働かなくなっていく。
自分の事に関しては疎い為、ルルーと契りを交わせば必然的に彼女の兄妹とも親族関係になる事など気付きもしなかった。だからリリーとヴァッツが結ばれる事で親族関係の輪に自身も含まれるのだと改めて理解出来たのだ。
これは美味しい。とても美味しい。
各国が彼の力を欲して小細工を仕掛けてきたものの親族関係という強固な武器を誰一人として得られなかった。それが今自分の目の前に転がっていると考えれば気が気ではなくなる。
つい簡単に手を伸ばして拾い上げそうになる。
しかし辛うじて彼女の気持ちを考える理性が押し留めて居るのだ。
そんな不義理な行動をしてはいけない、ルルーを悲しませる事は正式に王妃になられたセヴァも絶対に許さない筈だと。
「・・・あんまり深く考えなくていいと思うんだけどなぁ。あ、今日は帰ってくるの?」
「え?あ、すみません。今夜は『アデルハイド』の晩餐に御呼ばれしておりますので明日帰国します。では。」
深く考えるのはもはや趣味というか習性に近い。彼女のぼやきに反応するのを避けたショウは素早く話を区切ると執務室から外に出る。
「あ。ショウ。ごめんね。アルヴィーヌが言う事きかなくて。お詫びに『アデルハイド』まで送るよ!」
するとそこには珍しく申し訳なさそうなヴァッツが困惑の表情を浮かべて謝罪までしてきたのだからこちらは満面の笑みを浮かべてしまった。
(・・・彼と親族になれば・・・いえ、そんなのは関係ありませんよね。)
いくら何でも邪が過ぎたショウが突然勢いよく両手で自分の頬を強く叩いたので後ろで見送ろうとしていたルルーもびっくりだ。
「・・・その前に2人だけで少し話せませんか?」
「うん?いいよ!じゃあ・・・あ!オレん家に行こうか!」
彼も将軍らしい任務はこなしていないがその存在感だけで引く手数多、まさに引っ張りだこで毎日を忙しく過ごしている。故に久しぶりに実家を確認したい思惑もあったのだろう。
自身のそれに比べるととても純粋で優しい理由にこちらはやや恥じ入りながら頷くと足元の陰にすとんと落ちる。
理屈はともかく相変わらず理論が全くわからない方法で彼の家に到着した2人は早速簡素な食卓の椅子に腰を下ろすとショウは内容と覚悟を決めた後、静かに相談事を語り始めるのだった。
「これはヴァッツというより『闇を統べる者』様にお尋ねしたいのですが、サーマの遺体はまだ残っていますか?」
【うむ。あの時と同じ状態で闇の中に安置してある。気持ちの整理がついたのか?】
久しぶりに聞く彼の声は苦悩しているショウの心にとても優しく届く。だが遺体を返してもらえば次にやる事など葬儀しか残されていない。
「いえ・・・その。ぇえい!破格のお二人だからこそ問います!!亡くなってしまったサーマの意志は残っていますか?!もしくは会話出来たりしませんか?!」
生殺し状態はルルーも同じなのだ。2人しかいない空間だと踏ん切りをつけたショウは普段の冷静沈着な殻を脱ぎ捨てて子供みたいな質問をぶつけるとヴァッツは目を丸くして近くの影に目をやる。
「・・・いけなくはないと思うけど・・・『ヤミヲ』はどう思う?」
【私は反対だな。死という世界に入った者と無理に接触すれば混乱を生じかねん。】
軽すぎるやり取りを見て希望と絶望を抱いたがここは食い下がるしかない。この自縄自縛をどうにかしなければ誰も幸せにならないのだから。
「お願いします!どうかサーマと話をさせてください!私は、私は彼女に許しを請わねばならないのです!!」
するとまたヴァッツは手近な影と顔を見合わせるような仕草を見せるが彼には難題だったようだ。腕を組んで難しい表情を浮かべ始めるが『闇を統べる者』はそうではない。
【死とは生との決別であり生きる者と絶対的な線引きがなされている。お前ほどの若者なら十分理解出来るだろう?】
「はい!理屈では理解出来ます!しかしこれは感情の問題なのです!私は・・・間違いなく二心を抱いています!そしてそれを両立出来る程器用でもありません!!」
必死だった。悪知恵でどうにかなる問題ではなかった為何としてでも解決したくて彼らを頼ったのだが歯切れの良い答えが返ってくる気配はない。
「・・・・・じゃあやっぱりサーマを生き返らそうか?」
「・・・へっ?」
むしろそれを遥かに超える回答を頂くと初めて妙な声を漏らしてしまったと同時にまさか、いや、彼ならそれも軽くやってのけるのだろうと納得もしてしまう。
【・・・ヴァッツがそう決めたのであれば私から口を挟むこともない。】
「どう?それならお話もしっかり出来るしショウも許して貰えるんじゃない?」
あまりにもあっけない。あまりにも予想外が過ぎる。感情と思考がごちゃ混ぜになったショウは目と頭をくらくらと回していたが最後は聡明さと生き物としての本能が脳裏に閃光を走らせた。
「・・・・・いえ。止めておきます。すみません、取り乱した上にとんでもないお願いをしてしまって。この場のやり取りは忘れて頂けると助かります。」
「そ、そう?オレ何もしてないけど・・・うん!ショウが元気を取り戻したっぽいからそれでいいか!」
死者を生き返らせる。そんな夢みたいな事を実現されれば世界中が彼の力を求め回るのは想像に難くない。
自分だってアン女王や夢半ばで散ったクンシェオルトなどがすぐに思い浮かぶのだ。しかしヴァッツはそれをやってこなかった。どれだけ大切な人が亡くなっても彼はその力を使う事をしなかった。
それこそが破格の答えなのだろう。
ならば自身も生きる者として、生ける者の期待に応えようじゃないか。もし仮に死という世界でサーマに再会出来たらその時に謝ろう。
「ヴァッツ。私も前に進みますよ。あれ程慕っていてくれるのですから応えなければ男ではありませんよね?」
「うん?そうだね?」
しかし破格の友人と親族関係を築けるという喜びにはどうしても忌避感を覚えて仕方がない。それがリリーとの婚姻が結ばれればという前提条件であるとしてもだ。
そこだけはまた別に答えを導き出さねば。久しぶりに心が羽のように軽く感じたショウは深く頭を下げて感謝を述べるとやる気に満ち溢れた2人は『アデルハイド』へ向かう。
そして皆が頭を抱えていた問題を目の当たりにしたのだがこれには鶴の一声が掛かった為、予想より迅速に解決するのだった。
この世界には存在しなかった、正確には『魔界』にティムニールという似た容姿の存在はいるものの黒い竜達を迎えたザラールは珍しく感嘆の声を漏らしていた。
「きっかけとなった親子の竜はクレイスとカズキに懐いてますからね。他の個体もヴァッツが選別したそうなので意思疎通に問題はないでしょう。後は定住の地を早急に探し出さねばなりません。」
彼らは必ず『トリスト』の繁栄に役立つ筈だ。特に飛べない者達が馬のように駆ればその戦力は跳ね上がるだろう。
既にカズキが『ハルタカ』との戦いでそれを証明してくれていた為、その辺りについては何の心配もしていなかったが残る問題はかなり大きい。
「ザラール様、彼らの住処、牧場とでも申しますか。これも私の権限で選別してもよろしいでしょうか?」
ヴァッツが運んでくれた個体は大きさにばらつきはあるものの皆が巨体であり、その数は30にも上る。これらが自由に暮らせる場所を確保するには相当広大な土地と厳重な管理体制が必要になる筈だ。
「・・・クレイスとヴァッツ様の御意思なら反対する理由はない。巨体故に食料も多大な量が必要だろうからしっかり厳選するのだ。」
そう答えながらザラールも初めて見る竜に興味津々なのか、城外で適当に寛ぐ彼らの姿やアルヴィーヌやハルカが無邪気に戯れている姿を羨望の眼差しで見つめている。
「ではザラール様も一度触れ合ってみて下さい。」
「い、いや・・・私は遠慮しておこう。」
「いいえ、右丞相である貴方にも彼らの性格を知っておいてもらわねばなりません。さぁさぁ。」
本音と建前を使って促すと彼も恐る恐る近づいて行き、そして一際大きな個体の前に立つと黒い竜も小さな老人を認識して鼻先をゆっくり近づけてきた。
長い首や尻尾を合わせると軽く20間(約18m)を超えるので迫力が凄い。ただザラールも動物には慣れているのか、それに応えるよう両手を伸ばすと大きな顔に優しく触れる。
「おお!よしよしよし!いい子だ!」
若干の震えが見て取れたのでもしかしたら面白い様子を目に収められるかと期待したがそれは歓喜を押し殺す為の我慢だったらしい。
少し残念、というかつまらないなぁと内心がっかりしていたがあまり見せない気色の表情を浮かべているのでその感情を霧散させるとルルーも他の個体から楽しそうに滑り降りてきた。
「ねぇショウ君!この子達どうするの?!」
「『トリスト』で保護、何不自由なく暮らせるようしっかり管理します。」
「えぇえぇ?!管理って・・・相変わらずショウ君の言葉は冷たいなぁ・・・」
他に何といえばいいのだ?彼女の意外な指摘に思考を乱されながら飼い慣らすに飼育と言い直したもののどちらも首を横に振って否定されてしまう。
「・・・一緒に暮らす!これね!」
「えぇぇぇ・・・流石にこの巨大な動物と一緒に暮らすのは無理がありませんか?」
ただこれは言葉の意味合いではなくそういう気持ちを込めて使ったのだという。その辺りの気配りがまだまだ未熟だったショウは彼女から説明を受けて納得したのだが実際しっかりとした管理下に置くのであれば共に暮らす飼育員も配置する必要はあるだろう。
「私がやる。」
そんなやり取りが耳に届いてしまったのか、アルヴィーヌが右手を高く上げながら鼻息を荒くして近づいてくるとあっという間に周囲の人間達に止められてしまった。
「アル!お前は第一王女だろ?!それにヴァッツ様との結婚はどうすんだよ?!」
「あ、じゃあヴァッツと私と黒い竜達で暮らそう。いいよね?」
「いいよ!」
「「「駄目です!」」」
彼の傍にいる少女たちは皆骨抜きなのかと思っていたがそうでもないらしい。というか流石にこれは全力で止めないと2人は本気で黒い竜達と暮らしかねない。
「出来ればすぐに会いに行ける場所をと考えていますのでご心配なく。」
でなければこの世界に連れて帰ってきた意味がない。黒い竜達を『トリスト』専属の移動と戦闘手段として考えていたショウは優しく答えるとアルヴィーヌとヴァッツも目を丸くして喜んでいた。
自分達の世界と別世界での時間にそれほどズレはなかったらしい。
まずはそこに安堵したショウだったが黒い竜の姿を一目見たくて『トリスト』国内の人間が城へ集まる中、とある人物が一向に姿を見せない事に違和感を覚える。
「そういえばスラヴォフィル様は?」
これ程の大事件を前に国王である彼が興味を持たない筈がない。ヴァッツの祖父だけあってかなり好奇心旺盛なのだから猶更だ。
「あいつは今セヴァ様につきっきりだ。」
ザラールも黒い竜の冷たくも堅く弾力のある体に触れてとても満足そうに、そしてそれを気取られぬよう笑顔を押し殺しながら短く答えてくれたのだが賢しいショウはすぐに察する。
「・・・まさか傷病の類ですか?」
「む?そうか。お前はまだ知らなかったな。セヴァ様は子を授かられた。そのせいであいつは完全に職務を放棄してしまっているのだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・えっ?!?!」
ところが予想は別の方向で大きく裏切られたので声が漏れるまで数十秒の時間を要した。聞き間違いでは無さそうだがこれまでの知識を総動員して考えてみるとどうしても否定から入ってしまう。何故なら彼女は『魔人族』だからだ。
『天族』や『魔族』との間に生まれた子は子孫を設けられないというのが通説だ。それが理由でダクリバンも苦悩させられたという報告も届いている。
なのにセヴァが懐妊?そんな事があり得るのだろうか?
喜んでいいのか誤診を疑ったほうがいいのか困惑したショウは先程のザラールと同じような仕草で双極の感情を無理矢理抑え込んでいると今度は彼がその様子を見て憎たらしい笑みを浮かべている。
「お前も確かめてくるといい。」
そうだ。結局それが一番手っ取り早いしこんな目出度い誤報をザラールがいつまでも放置している筈がない。
自然と傍にいたルルーの手を握ってしまうと期待と不安から手汗がじんわり滲んできたのがわかる。それでも彼女は嫌な顔一つせず笑顔でついてきてくれるのだから本当に良い娘だ。
それから逸る気持ちを整理して国王の部屋の前に立つと静かに扉を叩く。
「・・・ショウ=バイエルハート、只今戻りました。」
「よ、ょく戻った!!ま、待っておった、ぞ!」
しかしこの件で最も動揺していたのは当事者らしい。
ショウとは比べ物にならない程落ち着きを失ったスラヴォフィルが出迎えてくれたので唖然とした後一瞬で冷静さを取り戻せた。
話す声も抑揚が滅茶苦茶で聞き取りにくいったらありゃしない。だが齢70手前にして初めて子を設けたのであればその気持ちも察するに余りあるだろう。
「・・・セヴァ様が御子を授かったとお聞きして飛んできました。おめでとうございます。」
「・・・ぁあ。ほ、本当にな。ワシは驚きすぎて未だに地に足がつかないくらいじゃ・・・」
確かにいつも隙がなくまるで地面を掴んでいるかのような足腰には全く力が入っていない。こんな所を襲われたら例え『羅刹』といえど命が危ないのではないだろうか。
「ショウ、よく戻った。さぁさ、そんな所で立ち話などしてないで中に入っておくれ。」
そんなことを考えていると奥から優しい笑顔を浮かべた王妃が静かに声をかけてくれる。まだ何週間かその程度なのだろう。見た目で懐妊だとはわからない。
だが夫からすると安静にしてもらいたいようだ。見たことがないほど狼狽して早く椅子に座るよう勧めるスラヴォフィルの姿は何とも微笑ましい。
「・・・本当におめでとうございます。」
どうやら嘘ではないようだ。いつしか事実を受け入れたショウは心の底から祝福の言葉を漏らすと2人もはにかみながら頷いてみせるのだった。
今までの知識が覆されるには必ず理由がある。
ショウは2人の話を聞きながら脳裏ではヴァッツの存在が過っていた。
彼は『神族』であるイェ=イレィから力を奪ったり元に戻したりしただけでなく『七神』の長ティナマを人間にしてしまった前例もあるのだ。
という事は今回もセヴァを人間にしてしまったのだろうか。そう考えれば懐妊も全くおかしなことではなく、むしろ今は世界中にその生誕を知らしめるまである。
「ワ、ワシも正直その、子までは期待しておらんかったからな。この年で授かるとも思えんかったし。な、なぁセヴァ?」
「そうでしょうか?私はいつもスラヴォフィル様を思い、お慕いしておりました故その祈りが届いたのだと考えております。」
2人の、特に凛とした王妃の話を聞いて隣に座るルルーは目を輝かせて深く頷く。恐らく自身と重なる部分が多いので余計に感動を覚えたのだろう。
わかっている。彼女のまっすぐ過ぎる気持ちはよくわかっているのだ。
ルルーが傍にいて笑顔を向けてくれる度に嘘をついている自分を深く理解する。彼女の期待に応える自信がなくて、それを掴んでしまうと思い出が上書きされそうで顔を背けてしまう。国政に関しては一切の感情を排除して行動出来るというのに何とも情けない話だ。
「・・・ショウ?向こうで何かあったのか?」
国王夫妻の御前で話を全く聞いていないショウに異変を感じたスラヴォフィルもやっと冷静さを取り戻して尋ねてくれるがその心配は的を外れていた。
「・・・いえ。私というよりはクレイスが少し気落ちしてしまいまして。今後の国政にも影響がありそうです。」
「そうか。その辺りはお前達に任せるのでな。疲れもあるだろうから無理のない範囲で勤めてくれ。」
問題を先延ばしにする為の詭弁で友を使ってしまうなど最悪だ。自己嫌悪から心の悲鳴を感じるもそれをおくびにも出さないショウは国王の部屋を後にするとルルーが普段と変わらない様子で声をかけてくれる。
「今夜は別世界のお話をいっぱい聞かせてね?」
(はい。)
「・・・・・ルルーはいつまで私の事を追いかけてくれるのでしょう?」
「お?珍しいね?ショウ君の口からそんな言葉が飛び出てくるなんて・・・という事は私を意識し始めてくれてるの?!」
スラヴォフィルやセヴァがあまりにも幸せそうだったせいもあるかもしれない。口に出すつもりのなかった疑問に慌てて口を噤むがルルーは姉譲りの少々勝気な表情でこちらを覗き込んでくる。
紅く大きな瞳は吸い込まれそうな程美しく、そんな双眸で見つめられると普通の異性であれば間違いなく勘違いしてしまいそうだがショウもまた希代の大噓つきなのだ。
「私もカズキと同様、添い遂げる相手は1人で十分だと思っています。そしてその相手が先に旅立ってしまったのですから・・・」
再び友の事例を持ち出して話題を切り替えようとしたのだがセヴァから告げられた最後通告を思い出して言葉を止める。危ない危ない。今度ルルーを泣かせてしまったら『トリスト』から追放されかねない。
ではどう凌ぐべきか。再び悪知恵を働かせていると先にルルーから意外な事実が飛び出してきたので思考は完全に停止する。
「えー?でもカズキ君ってもう何人かと関係を持ってるよね?」
「・・・・・え?」
そんな馬鹿な。
亡き祖父の強さと志を尊敬しているものの複数の女性と関係を持っていた部分だけは絶対に回避したいみたいな事を言っていた筈だし彼の性格上それは全うされると信じて疑わなかった。
なので放心気味に彼女の顔を眺めていると更に詳しく語ってくれる。
「私も直接聞いたんじゃないけどね。でもカーヘンさんの噂は聞いたよ?あとタシンさんともそんな雰囲気だし。」
まさかそんな。否定したかったが自身も彼の異性遍歴について全く知らなかった為更なる放心状態に陥ってしまう。
そして若干の意識を取り戻した時にはルルーと晩御飯を食べていたので今は目下の問題から解決しようと別世界での話をつらつらと語るのだった。
いつの間にそんな事になっていたのか。
ルルーの話が気になったショウは翌日裏取りの為に密かに行動を開始すると回答はあっけない程すぐ手に入った。
「うん?カズキ君と?そだよ~。」
壊滅した別世界の住人というのも大きく影響しているのだろう。決して貞操観念が緩い訳ではないと前置きされながらタシンが軽すぎる自白をしてくれると目まいを覚えた。
「・・・つまりタシンさんは彼と添い遂げたいと考えていらっしゃるのでしょうか?」
「え?そだね~そこまで重く考えてなかったけど彼がそうしたいって言うなら籍を入れてもいいよ。」
この価値観の齟齬はショウだからこそすり合わせるのは至難の業だ。というのも同世代の友人達の中で自身だけ妙に身持ちや思考が堅いのはやはりサーマの影響が大きいらしい。
決して自己分析に至らないショウは引きつった笑顔を浮かべつつタシンの部屋を出た後混乱状態で執務室に戻るとそこにはクレイスが待っていた。
「あ、ショウ。黒い竜達の牧場なんだけど『アデルハイド』が新しく『ワイルデル領』の一部を割譲してもらったじゃない?あの辺りはどうかな?」
「・・・・・そうですね。いいんじゃないでしょうか。」
「あ~、まだ上の空だ。クレイス様ごめんなさい。今のショウ君ちょっとおかしいの。目が覚めてからもう一度相談して頂けますか?」
自身に気があるはずの彼女の口から酷い評価が聞こえると流石に思考を無理矢理回転させて軽く咳払いをする。
「ご心配なく。ちょっと立て込み過ぎていた為僅かに混乱しただけです。」
「そうなの?僕の話は後回しにしようか?彼らもこの城を気に入ってくれているみたいだし。」
しばらく王城を空けていたのだから今は集中して国務をこなさねば。ショウは素早く地図を広げると候補地をいくつか割り出して速やかに話を進める。
「大丈夫です。しかし彼らが雑食なのは助かりますね。食料の種類を問わなければある程度の確保は保証出来ますから。」
「それでもあまり変なものは与えたくないな。味や栄養も気になるし・・・よし、ここは僕が毎食用意して・・・」
「クレイス、貴方は次期国王ですよ?しかも今は大切な時期なのです。そんなアルヴィーヌ様みたいな我儘を仰るのは止めてください。」
すっかり飼育員と化していた友人を窘めつつ2人は速やかに計画を立てていくとルルーが用意してくれた落ち着いた香りのお茶の効果もあって時間もかからずに概要はまとまった。
「後は管理者の選任ですが・・・ついでですし地上に降りられているロラン様に任せましょうか。」
現在彼には地上での活動の為、必要な人材を発掘、育成するよう命じているので本当についでといった意味で軽く決定してしまったのだがかなり負担をかけている事実には気が付けない。というのもショウが自分を基準に考えているので有能なロランもそれが可能だと妄信しているからだ。
「・・・あんまりお兄ちゃんをいじめないでよ?将来ショウ君の義兄になるかもしれないんだから。」
「・・・・・えっ?!そ、そうなの?!」
発言の内容より彼女が兄を気遣った事に驚いたがクレイスはいよいよ2人もそういう仲なのかと勘違いしたらしい。
驚きつつも何故か喜びを表情に浮かべていたのでショウははぐらかそうと適当に話を合わせるに留めるが決してルルーにそんな意図は一切なかった筈だ。
「・・・・・そうですね。そういう考え方もあるんですね。」
感情さえ排除すれば様々な策謀が下りてくるのは相変わらずか。小さく呟いた後こちらも満面の笑みを返してクレイスと別れるとその日ショウは更なる躍進の為に貯まっていた国務を滝水が落ちる勢いで片づけていくのだった。
その報せを初めて受けた時よくわからない感情に意識を刈り取られたのだけは何となく覚えていた。目を覚ました時スラヴォフィルが心配そうにずっと傍にいてくれた事実も。
「適度な運動は必要ですから普段通り過ごしてください。決して過剰に体を休めてはなりません。その方が御子に悪影響ですから。」
主治医も慣れたもので優しく告げてくれるとやっと自覚が芽生え始める。この世に生を受けて2800年余り、まさか今になって母親になる日がくるとは夢にも思わなかった。
「し、ししかし無理に動くのもまた危険ではないか?!ここは安静に・・・」
「スラヴォフィル様、傷病とご懐妊は違います。もちろん御子が育てばお腹も大きくなりますので動きに支障は出ますが今はまだその時ではございません。」
夫も出産に立ち会うのは初めてなのだろう。セヴァの体が心配で仕方がないといった様子だが年老いた女医はいらぬ心配だと一刀両断してしまう。
そんな様子がおかしいのと嬉しい気持ちで思わず笑みを零すとそれが合図となったらしい。少し離れた場所で診察が終わるのを待っていた双子がととと~と駆け寄ってくるとこちらに抱き着いてきた。
「ねぇお義母さん。私に新しい妹が出来るの?」
「弟かもしれませんよ。それにしても『魔人族』は子を授かる事が出来ないなんていい加減な話、誰が広めたのでしょう?」
押しかけ女房的な立ち位置であるセヴァを義母と呼んでくれる『天族』の娘達もとてもいい子なので何の心配もいらない。むしろ今は輝く未来しか想像出来ないのが怖いくらいだ。
「・・・スラヴォフィル様。この御子は産んでもよろしい、のでしょうか?」
なので唯一の懸念である新たな命について尋ねるとこれには召使いも含めて皆が目を丸くしていた。
「と、とと当然じゃろう?!ど、どうした?!まさか子を授かるのは望まなかったか?!?!」
「いえ、そうではありません。私は溢れる思いに従い無理矢理押しかけてスラヴォフィル様の御慈悲で御傍に置いて頂いている身ですからその、スラヴォフィル様こそ望まれないのであれば私一人で育てる覚悟も出来ております故・・・」
「・・・セヴァよ。お主が惚れたスラヴォフィルという男はそこまで腰抜けか?」
もし望まれなかった懐妊ならそうすればいい。あくまで後顧の憂いを断つ為の確認程度に過ぎなかったのだがこれによりスラヴォフィルの熱き魂が刺激されてしまったらしい。
初めて怒らせてしまったとすぐ後悔の念に苛まれるが彼は怒りというより闘志を胸にその場で宣言する。
「よいか皆の者!これよりセヴァを正式に我が妃として迎え入れる!!」
今までなし崩し的な関係だった2人だがこの日新たな命と共に本当の夫婦として、家族として迎え入れると高らかに吠えた事で周囲も御子と母体を考慮して声は控えめにその場で跪いた。
「ここまでお膳立てしてもらえんと動けないような臆病な男じゃが・・・共に人生を歩んでもらえるじゃろうか?」
「・・・はい。喜んで。」
こうしてクレイス達がいない間に大きな動きがあった訳だが初めての出産という事で本人以上にスラヴォフィルが過保護っぷりを見せると娘達も見ていられなくなったらしい。
「父さん落ち着いて。」
普段は自由気ままに動くアルヴィーヌすら彼の動きに制限を設けようと動いてくれたおかげでヴァッツ達が連れ帰ったという黒い竜と接する機会を得ると彼らは新たな生命の脈動を鋭く察したらしい。
クレイスに最も懐いているという小さな子竜が無警戒に近づいてくるとこちらのお腹に耳らしき部分を当て始めたのでくすぐったさとかわいい仕草に思わず笑みが零れる。
「この子が生まれた暁には仲良く遊んでやってくれ。」
言葉は話せないものの理解はしているのか、彼が小さく鳴くと益々生命誕生の実感を得たセヴァはその頭を優しく撫でて今からその日を待ちわびるのだった。
あれ以来ショウは切り離そう、もしくは忘れようと必死に国務に逃げていたが大きすぎる事実となまじ賢しい頭脳がそれを許してくれなかった。
「セヴァ様の御子様ってやっぱり男の子がいいのかな?」
「・・・そうですね。跡取りを望まれるでしょうから出来れば男児がよろしいかと。」
「あれ?跡取りって・・・クレイス様が次期国王に選ばれたんじゃないの?」
「・・・そうですね。クレイスが国王になれば『トリスト』も安泰です。」
「も~ショウ君?また意識が何処かに行ってるよ?」
最近ではルルーもより遠慮が無くなってきたのか、こちらが気を緩めると一気に間合いを詰めて吐息が感じる距離まで顔を近づけてくるので油断ならない。
「・・・そうですね。ここは踏ん張りどころです。気合を入れましょう!」
といっても手を動かしたまま頭ではルルーと結ばれた後の事ばかり考えている。普段は周囲の人間に対してそういう考え方はするもののまさか自身にも適用されるとは思いもしなかったショウはいよいよ感情が働かなくなっていく。
自分の事に関しては疎い為、ルルーと契りを交わせば必然的に彼女の兄妹とも親族関係になる事など気付きもしなかった。だからリリーとヴァッツが結ばれる事で親族関係の輪に自身も含まれるのだと改めて理解出来たのだ。
これは美味しい。とても美味しい。
各国が彼の力を欲して小細工を仕掛けてきたものの親族関係という強固な武器を誰一人として得られなかった。それが今自分の目の前に転がっていると考えれば気が気ではなくなる。
つい簡単に手を伸ばして拾い上げそうになる。
しかし辛うじて彼女の気持ちを考える理性が押し留めて居るのだ。
そんな不義理な行動をしてはいけない、ルルーを悲しませる事は正式に王妃になられたセヴァも絶対に許さない筈だと。
「・・・あんまり深く考えなくていいと思うんだけどなぁ。あ、今日は帰ってくるの?」
「え?あ、すみません。今夜は『アデルハイド』の晩餐に御呼ばれしておりますので明日帰国します。では。」
深く考えるのはもはや趣味というか習性に近い。彼女のぼやきに反応するのを避けたショウは素早く話を区切ると執務室から外に出る。
「あ。ショウ。ごめんね。アルヴィーヌが言う事きかなくて。お詫びに『アデルハイド』まで送るよ!」
するとそこには珍しく申し訳なさそうなヴァッツが困惑の表情を浮かべて謝罪までしてきたのだからこちらは満面の笑みを浮かべてしまった。
(・・・彼と親族になれば・・・いえ、そんなのは関係ありませんよね。)
いくら何でも邪が過ぎたショウが突然勢いよく両手で自分の頬を強く叩いたので後ろで見送ろうとしていたルルーもびっくりだ。
「・・・その前に2人だけで少し話せませんか?」
「うん?いいよ!じゃあ・・・あ!オレん家に行こうか!」
彼も将軍らしい任務はこなしていないがその存在感だけで引く手数多、まさに引っ張りだこで毎日を忙しく過ごしている。故に久しぶりに実家を確認したい思惑もあったのだろう。
自身のそれに比べるととても純粋で優しい理由にこちらはやや恥じ入りながら頷くと足元の陰にすとんと落ちる。
理屈はともかく相変わらず理論が全くわからない方法で彼の家に到着した2人は早速簡素な食卓の椅子に腰を下ろすとショウは内容と覚悟を決めた後、静かに相談事を語り始めるのだった。
「これはヴァッツというより『闇を統べる者』様にお尋ねしたいのですが、サーマの遺体はまだ残っていますか?」
【うむ。あの時と同じ状態で闇の中に安置してある。気持ちの整理がついたのか?】
久しぶりに聞く彼の声は苦悩しているショウの心にとても優しく届く。だが遺体を返してもらえば次にやる事など葬儀しか残されていない。
「いえ・・・その。ぇえい!破格のお二人だからこそ問います!!亡くなってしまったサーマの意志は残っていますか?!もしくは会話出来たりしませんか?!」
生殺し状態はルルーも同じなのだ。2人しかいない空間だと踏ん切りをつけたショウは普段の冷静沈着な殻を脱ぎ捨てて子供みたいな質問をぶつけるとヴァッツは目を丸くして近くの影に目をやる。
「・・・いけなくはないと思うけど・・・『ヤミヲ』はどう思う?」
【私は反対だな。死という世界に入った者と無理に接触すれば混乱を生じかねん。】
軽すぎるやり取りを見て希望と絶望を抱いたがここは食い下がるしかない。この自縄自縛をどうにかしなければ誰も幸せにならないのだから。
「お願いします!どうかサーマと話をさせてください!私は、私は彼女に許しを請わねばならないのです!!」
するとまたヴァッツは手近な影と顔を見合わせるような仕草を見せるが彼には難題だったようだ。腕を組んで難しい表情を浮かべ始めるが『闇を統べる者』はそうではない。
【死とは生との決別であり生きる者と絶対的な線引きがなされている。お前ほどの若者なら十分理解出来るだろう?】
「はい!理屈では理解出来ます!しかしこれは感情の問題なのです!私は・・・間違いなく二心を抱いています!そしてそれを両立出来る程器用でもありません!!」
必死だった。悪知恵でどうにかなる問題ではなかった為何としてでも解決したくて彼らを頼ったのだが歯切れの良い答えが返ってくる気配はない。
「・・・・・じゃあやっぱりサーマを生き返らそうか?」
「・・・へっ?」
むしろそれを遥かに超える回答を頂くと初めて妙な声を漏らしてしまったと同時にまさか、いや、彼ならそれも軽くやってのけるのだろうと納得もしてしまう。
【・・・ヴァッツがそう決めたのであれば私から口を挟むこともない。】
「どう?それならお話もしっかり出来るしショウも許して貰えるんじゃない?」
あまりにもあっけない。あまりにも予想外が過ぎる。感情と思考がごちゃ混ぜになったショウは目と頭をくらくらと回していたが最後は聡明さと生き物としての本能が脳裏に閃光を走らせた。
「・・・・・いえ。止めておきます。すみません、取り乱した上にとんでもないお願いをしてしまって。この場のやり取りは忘れて頂けると助かります。」
「そ、そう?オレ何もしてないけど・・・うん!ショウが元気を取り戻したっぽいからそれでいいか!」
死者を生き返らせる。そんな夢みたいな事を実現されれば世界中が彼の力を求め回るのは想像に難くない。
自分だってアン女王や夢半ばで散ったクンシェオルトなどがすぐに思い浮かぶのだ。しかしヴァッツはそれをやってこなかった。どれだけ大切な人が亡くなっても彼はその力を使う事をしなかった。
それこそが破格の答えなのだろう。
ならば自身も生きる者として、生ける者の期待に応えようじゃないか。もし仮に死という世界でサーマに再会出来たらその時に謝ろう。
「ヴァッツ。私も前に進みますよ。あれ程慕っていてくれるのですから応えなければ男ではありませんよね?」
「うん?そうだね?」
しかし破格の友人と親族関係を築けるという喜びにはどうしても忌避感を覚えて仕方がない。それがリリーとの婚姻が結ばれればという前提条件であるとしてもだ。
そこだけはまた別に答えを導き出さねば。久しぶりに心が羽のように軽く感じたショウは深く頭を下げて感謝を述べるとやる気に満ち溢れた2人は『アデルハイド』へ向かう。
そして皆が頭を抱えていた問題を目の当たりにしたのだがこれには鶴の一声が掛かった為、予想より迅速に解決するのだった。
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