闇を統べる者

吉岡我龍

興亡 -国々の淘汰-

 国の形というのは多種多様であり、だからこそ国という枠組みが存在する。そしてそれは世界にも当てはまるのかもしれない。

「ただいま!!」

ヴァッツの力で『トリスト』城の彼の部屋に戻って来たカズキは新鮮な空気を肺に満たしながら帰国を実感するが気を抜く前にやらねばならぬ事があった。
「あら~素敵なお部屋ね。ここが『トリスト』か~。」
それがなし崩し的についてきたタシンだ。随分とのんきな感想を口にしているが今後どう扱うのか左宰相のショウに尋ねようとした時、露台から楽しそうな声がしたので意識はそちらに向けられる。
何となく想像はつくが周りと顔を見合わせた後、外に出てみるとやはり好奇心の塊達が黒い親子の竜とはしゃいでいた。
「あ、ヴァッツおかえり。この子達私が飼うからよろしく。」
「えっ?!」
それにしても流石はアルヴィーヌ、行動が早い。これには落胆している場合ではないとクレイスも焦りを見せて口を挟もうとするが我儘の権化を説得する方法がわからないままあたふたするだけだ。
そんな恋人のどきまぎした姿をイルフォシアは離れた場所からくすくすと笑いながら見守っている、のか?随分と楽しそうだがこれも彼の気付けになるのなら部外者は黙っておこう。
「まずはそれらを含めた報告をしてきます。皆さんは寛いでいて下さい。」
ショウも帰国したばかりだというのに仕事が早い。カズキもアルヴィーヌが飼う事に反対はしないが出来れば一緒に戦った親竜だけは自分の手元に置いておきたいなぁとぼんやり考えながら土産話とタシンの紹介を餌に王女を室内へと連れ戻すのだった。



「そういえばヴァッツ様、例のお手紙をカズキ様にお渡ししてもよろしいでしょうか?」
あれからお茶を堪能しながら黒い竜の名前について話し合っているとレドラがそのような話を持ち出して来たので視線は2人に集まる。
「あ!そうだね!」
自分に手紙を出す人物などいただろうか?見当がつかないまま受け取ると宛名を見てヴァッツが何故別世界にやってきたのかを思い出した。
「へ~、君って手紙のやり取りとかするんだ?案外筆まめな性格なの?」
覗き込んで来るタシンの顔を押しのけながら片手で起用に封を切ると素早く目を通す。確かフランセルもルマーも心配してくれているという話だったがどちらも内容はただ会いに来いという味気ないものだ。
「これって恋文?」
「んな訳あるか。しかしヴァッツ、手紙ってこれだけか?」
「うん?そうだよ。オレ宛てに貰ったのは最近カズキの音沙汰がないからどうしてるの?っていう内容だったし。」
別世界から帰って来たばかりなので羽を休めたかっただが既にこれが届けられてから数日は経っているらしい。ならば急いで向かうべきだろうか。
「・・・焦る必要はないんじゃないかな。カズキも疲れがたまってるだろうし。」
しかしクレイスからやや後ろ向きな提案を受けると一瞬考えた後軽く頷く。火急の用事ならもっと切羽詰まった文面を送ってくるはずだ。

「だな。んじゃちと早いが俺は先に部屋へ戻らせてもらうぜ。」

こうして体を休める選択をしたカズキは一応イルフォシアにクレイスの傍から離れないよう耳打ちして部屋を去ろうとしたのだが大きな荷物を忘れていた。
「カズキ君の部屋か。どんな所なの?」
「・・・はぁ、普通の部屋だよ。最近将軍位を戴いて若干広くはなったけどな。」
何故自分の周りの異性はこうも厚かましい人物が多いのか。置いていく訳にもいかないので仕方なくタシンを連れて帰る途中、今後も振り回されそうな予感に身を震わせるのだった。





 唯一の跡継ぎが世を去って数か月、『ネ=ウィン』ではネクトニウスの覇気と影響力が失われると国としての立場が目に見えて落ちていくのを実感していた。

「強姦はご法度です。控えるように。」

城下では腕っぷしだけを買われた未熟な兵士達が幅を利かせ始めたのでフランセルも治安維持の仕事で毎日大忙しだ。
傘下に収めていた小国も好機と捉えているのか、水面下では再び反攻軍を結成して少しずつ国力をそぎ落とそうと動いているらしい。
4将も2人が不在で国民の不安が募る中、心身が疲弊していた彼女も無意識にカズキへ書簡を送ってしまったのだが返事が届く事は無いだろう。
(・・・いや、敵国の人間に何を望んでいるんだ私は。)
思えば今までが順境過ぎただけなのかもしれない。歴代最強と名高いカーチフが筆頭になり、その後は彼以上の人気を得たクンシェオルトが台頭、父を始め将軍の層は厚く士気も充実していた。
ナルサスという冷酷だが確かな皇子の下に周辺国を圧倒していた日々は今や見る影もなく、侵攻どころか国内の安定にさえ手を焼く始末だ。

「・・・お父さん。」

父や兄が健在であれば回ってくる事のなかった4将の椅子は重すぎる。だが突き返す訳にもいかないフランセルは机に突っ伏したまま窓から晴れ渡る青空に羨望を抱くしか出来ないでいた。

「おい、来てやったぞ。」

そんなある日、突如渇望していた声が耳に届いたので慌てて上半身を起こす。すると少し見ないうちにまた男らしく成長したカズキが見慣れない少女を連れて執務室に入ってきていたのだから理解が追いつかない。
隣の子は誰だ?と口に出せば答えてくれるのかもしれないが何故か聞くのを恐れた彼女はわざとらしい咳ばらいをした後、来賓として丁重に扱う事を選ぶ。
「・・・本当に来てくれるとはね。」
「おいおい何だよその言い草は。まさか顔も見たし帰れとか言うんじゃないだろうな?」
久しぶりに聞く彼の軽口はとても心地が良い。思わず笑みを零すと一緒にいた少女から妙な視線を感じたので再び心を引き締め直してから何故カズキを呼んだのかを説明し始める。

「あなたを呼んだのは他でもないわ。今『ネ=ウィン』はネクトニウス様が意気消沈されたままだから将軍や兵士、国全体の質も士気も下がってきている。それを何とかしてもらいたいの。」

「・・・お前なぁ。いや、お前に限らないんだが何度でも言わせてもらう。俺は『トリスト』の人間だぞ?何で他国の存在にそういう大事な案件を頼もうと思うんだよ?」
彼の正論は第三者が聞けば皆揃って深く頷くだろう。しかしフランセルには以前強姦に走る自軍を律してもらった記憶が深く刻み込まれている為無意識に頼ってしまうのだ。むしろ助けてもらって当たり前という考えから何故断ろうとしているのかわからないといった様子で小首を傾げると彼の隣に座っていた少女が口を挟んでくる。
「カズキ君は断るってさ。じゃあ観光して帰ろっか。」
「・・・こほん。これは将軍同士の話ですから貴女は黙ってて頂けますか?」
見た所戦う力は持ち合わせていないようだが彼の恋人?か愛人?もしくは姉とかだろうか。とにかく水を差された事が無性に腹立たしかったフランセルは強めに釘を刺すと名も知らぬ彼女も白い眼でこちらを睨み返してくるではないか。
・・・やるか?日々の苦労と苛立ちをここでぶつけようかと考えた時、誰よりもその気配を鋭く察したカズキはこれ見よがしにため息をつくことで機先を制してくれる。
「・・・わかった、わかったよ。んじゃビアードに活を入れてやる。それでいいだろ?」
最後は少しでも期待に応えようと妥協案を提示してくれたのが思った以上に嬉しかったらしい。それが目に見えてわかる程眩しい笑顔を浮かべるのと真逆に連れの少女は頬を膨らませて不満を露わにしていた。





 「そちらの女性には関係ないのでどこかで休んでいて下さい。」

「あら?随分な物言いだね。カズキ君こんな女のいう事聞く必要ないよ。もう帰ろ?」
彼との関係も名前も聞きたくなかったフランセルは何とか排除しようと画策するもそれを利用して媚を売るような仕草でカズキの腕に絡みつくのだから余計に腹立たしい。
「お前ら仲良くしろ。てかフランセルもタシンも初対面だよな?何でそんなに険悪なんだ?」
「・・・私は女を利用して立ち回ろうとする存在が嫌いなだけよ。女々しいって言葉は知ってる?」
「可愛く整えてるのにそういう事言っちゃうんだ?この世界に鏡は存在してないの?」
これは自身の母やセンナに言われて小奇麗にしているだけであって他意はないというのに何と浅はかな発言だろう。
何故これ程の苛立ちを感じているのか説明できないままビアードの部屋までやってきたフランセルは扉を叩くと許可が下りる前に中へ入る。そしてカズキが入国してきた事だけを告げると後は邪魔にならないようタシンを引き剥がして一先ず任務は完了だ。

「おぉ。カズキか。良く来てくれたな。」

「おっさん、ちと緩みすぎじゃねぇか?フランセルも勝手に俺を呼びつけたりするし4将筆頭らしく立ち振る舞ってくれよな。」
後方に控えていた2人が僅かな時間でお互いの髪の毛がぐちゃぐちゃになるほどもみ合う中、カズキらしい檄を飛ばすも椅子に座ったままのビアードは力なく笑みと溜め息を零すだけだ。
「そうだな。私にこの椅子は少し荷が重過ぎる。フランセルもそうなのだろう。」
決してこちらに向かって発言した訳ではなかった筈だがその内容が深く突き刺さったフランセルは少しだけ本気を出すとタシンを完全に組み伏した。
それから4人が長机を囲んで腰掛けると他国の者達を前にビアードは更なる本音と実情を漏らし始める。

「ネクトニウス様の覇気は完全に失われて国内は荒れる一方だ。私如きが動いたとて治安維持すら難しい。なぁカズキ、もう我々には後が無い。どうだろう?フランセルを娶ってやってくれないか?」

だがいきなり突拍子も無い話が出てくると流石に心が乱れてしまう。照れ隠しもあったのだろう。無意識に隣に座っていたタシンの頬を思い切りつねると彼女は涙を浮かべながらこちらの頬をつねり返してきてくれた。
うむ。確かな痛みを感じるので夢ではないようだが、そうなると羞恥から一気に頬が染まるもこれを抑える術を持ち合わせていなかったフランセルは平常心を装ってカズキの反応を待つしかない。
「何でそんな話になるんだよ?」
「フランセルと夫婦になれば国の根幹に関わる地位を得ても誰も文句は言わない。むしろそれが望まれているくらいに今の『ネ=ウィン』は危ういのだ。お前にならわかるだろう?」
「・・・・・」
本来なら自身の気持ちを汲んで欲しいと、カズキに娶られるなんてまっぴら御免だと断りを入れたかったがビアードや母国を考えるととても口を挟めなかった。
むしろ拒否されなかった事に安堵を覚えていたのだが未だ無自覚なフランセルは仮面夫婦の関係くらいならと妥協案を浮かべていると彼も腕を組みながらゆっくり口を開く。

「俺は今『トリスト』で最も強靭な部隊を育成させてもらっている。その期待に応える為に余計な問題を抱えたくは無い。」

恐らく『剣撃士団』の事を言っているのだろう。今やその名は界隈に轟いている為納得のいく答えではあったがビアードやフランセルの心では違う感情から落胆を禁じえない。
「・・・すまんな。無理を言ってしまって。」
「いや、わかるよ。俺も最近国が、世界が崩壊したのを目の当たりにして思う所はあるんだ。だから他に何か方法が無いか聞いてくるよ。ま、過度な期待はしないでくれよな。」
やはり彼は優しい・・・いや、面倒見が良い。なんとなくそれを認めてしまうのが怖かったフランセルは脳内で修正を入れるも久しぶりにビアードが満面の笑みを浮かべている姿を見るとこちらも心が軽くなっていくのを実感してつい笑みを零してしまう。
「ふーん。でもカズキ君は渡さないよ?」
ところが隣から余計な茶々が入ると再びもみくちゃの絡み合いが始まりカズキが呆れながら二人の仲を取り持とうと動いてくれるのだった。





 「んじゃ俺達は帰るわ!」

「何?今会ったばかりじゃないか。一晩くらい家でゆっくりしていってくれ。ビシールも喜ぶ。」
タシンを羽交い絞めしながらそそくさと退室しようとするカズキにビアードも驚いて引き止めるがフランセルの心境は微妙だ。
「次来る時はタシンを置いてきてね。そしたらゆっくり歓待してあげる。」
「カズキ君、こんな国二度と来ない方がいいって。変な女に唆されたら友達も悲しむよ?」
本心と本心がぶつかり合って初めて分かる事もある。どうやらタシンという女は自分の宿敵みたいな存在らしい。減らず口を修正する為その柔らかい唇を思い切りねじ切ってやろうとした時彼が彼女を庇ったのでその感情はより強くなっていた。







嵐が過ぎ去った後も国内が安定する気配はなく、治安維持の為に忙しい日々を送っていたフランセルは気が付けば以前よりもカズキの事を考えるようになっていく。

確かに彼は『トリスト』の人間であり言動にも問題は散見されるが無意識に頼ってしまう程の強さは持ち合わせている。それはビアードも認める所だ。
であれば父が遺してくれた国の未来を考えて彼と夫婦になるべきなのだろうか。そうすればカズキも縁故から4将に抜擢されたりするのだろうか。
(・・・フランシスカは喜ぶんだろうな。)
兄は彼の力を高く評価していたので婚姻の話を聞かせたりしたら狂喜で踊り出すだろうが本人達の気持ちはどうする?
そもそもフランセルも自分の立場や自分の気持ちしか考えていないから歪な答えに辿り着いてしまうのだ。『ネ=ウィン』の国内にもっとカズキの立場を考慮する者がいれば違う解決方法もあったのかもしれない。

「・・・巡回にいこう。」

恋に落ちていたフランセルは既に盲目だった。底なし沼に沈み続けている事に気が付けなかった。
集中力と疲労で体力が低下する中、与えられた身分と積み上げてきた強さに妄信的で『ネ=ウィン』の状況を正しく把握出来ていなかった彼女は突如爆発音が鳴り響くと慌てて外に飛び出す。
どんな世界にも時間にも、国にも人生にも平穏だけというのはあり得ない。誰にでも必ずその時がやって来るのだ。今回はそれがフランセルに降りてきたに過ぎない。
早速部隊を各方面に送り込んで情報の収集に制圧を命じながらその規模を計ると想像以上に大きな内乱、いや、これはもはや侵攻と呼んでいい。少なくとも3カ国の部隊が同時に皇都を襲っているのだから相当な計画性も窺える。
これまで圧倒的な軍事力により多大な搾取を行ってきた事実は文官しか知らないし知る由も無い。武官は、将軍は、兵士はただ武功と位人臣を求めて己の命と剣をひたすら振るうだけなのだから。

「思った以上にまとまった軍勢です。ビアード様、私も鎮圧に向かいます。」

国内での紛争だからこそ速やかな鎮圧が求められる。余計な犠牲を出さない為と以前も遠征で同じような働きをしたフランセルがこれなら自分も立派に務めを果たせると考えたのは自然な流れだった。
ビアードもそんな過去の実績に囚われてしまい現状の精査を怠った。だから親友の娘がより武功と経験を重ねる良い機会だと、今後の活躍を優先して答えを出してしまったのだ。
「気をつけて行ってくるんだぞ。」
「はい。」
何故無頼のような兵士が増えたのか。そんな彼らが治安を脅かしていた事実が眼前にころころと転がっていたのに何故もっと注視出来なかったのか。
凋落の渦中にいる当人達が客観視するのは難しい。唯一それが可能だったカズキですらそこまで読むことは出来なかった筈だ。

故に気合を入れたフランセルが50人程の精鋭を連れて城を飛び出した後は最初こそ他国の兵士を圧倒して蹴散らしたものの、深入りした瞬間何故か後ろから強い打撃を受けて昏倒した事実に気が付く事なく、目を覚ました時には両手足が鎖で縛られるという無様な姿に驚愕と恐怖を覚えるのだった。





 「いや~一度は味わっておきたかったんだよなぁ。」

誰の声かは興味が無い。今は襲われた事実こそが全てなのだから。
どうやら目の前の男は以前町娘を襲っていた時何度か咎めた類の一人らしい。軽蔑こそ抱いたがそれ以外の印象がなかったフランセルは睨みを利かせると男が近づいてきて優しく頬に触れてくる。

がぶっ!!

そこに思い切り噛みつくと悲鳴が上がり、異変に気が付いた周囲の兵士達がこちらの腹部に踏みつけるような蹴りを放つと息が詰まってつい口を放してしまう。
だがしっかり手指は食い千切れたので大いに満足だ。にやりと笑みを浮かべるフランセルに小指を失って痛痒と悲観に激昂する男。どちらが勝者かは言うまでもないだろう。
「このアマァ・・・親の七光りで将軍に選ばれたからって調子乗ってんじゃねぇぞ?!」
そこから無防備な胴体に激しい暴行が加えられたのだが負傷による痛みよりも男の発言の方が心に刺さった。まさかそんな風に見られていたなんて。
確かに父も兄も偉大ではあったが自分もしっかり鍛錬を積んできた自負はある。もしこの下卑た男と剣一本で、何なら無手で立ち会っても勝てる自信もある。
「がはっ・・・」
「おいおい、あんまり痛めつけると楽しめなくなるぞ。俺も楽しみたいんだからそれくらいにしとけよ。」
何よりカーチフの甥っ子であり『剣鬼』一刀斎の孫からそんなくだらない要素を加味して認められたとは思えないし思いたくない。悔しい。今までにない悔しさを胸に何とか希望と闘志を繋ぎ止める。
鎧も全て剝がされていた為衣服の上から容赦なく足蹴にされたフランセルは腹部から来る鈍い痛みと手足を縛る鎖の締め付けで意識を失いかけていたが女を縛らないと襲えない男達が配慮などする筈が無いのだ。
むしろこれからが更なる憂さ晴らしだと言わんばかりに下腹部を曝け出すと下卑た笑いを浮かべながらこちらの頬を舐めまわしてきた。



・・・いよいよ自分も汚されるのか。母のように。



そんな現実に直面すると強気を保っていたフランセルですらうっすらと涙を浮かべてしまう。自分は母のように最期まで気丈でいられるだろうか。この中に父のような存在がいて、最後には憎悪ごと娶ってくれるのだろうか。
最悪の事態に陥ってやっと父やビアードがどれほど大切に育てて来てくれたのかが良く分かったが後悔は先に立たないのだ。これもまた人間らしい。
この鎖を引きちぎれる程鍛えておけばよかったのか。それとも戦士の道を捨ててさっさと家庭を持てばこんな状況にはならなかったのか。様々な妄想が頭を過るのはこれから起こるもっと酷い惨状から逃避したいが為だがその時はやってきてしまう。

ずんっ!!

せめて初めては優しくしてもらいたかった。優しくしてもらえる男に身を委ねたかった。そんな想像を浮かべていたせいか周囲の異変にまだ気が付かないフランセルは静かに行為が終わるのを目を閉じて耐え忍んでいたのだが流石に体のどこにも触れてこないのはおかしい。
「こいつが傷物になったら俺が責任を取らされるんだぞ?ったく勘弁してくれよな。」
すると何故かカズキの声が聞こえたので不思議に思いながらゆっくり双眸を見開くと彼の刀が男の股間と自身を遮るように刺さっている。どうやら男の竿は斬り落とされたらしい。
そして再び悲鳴が上がる前にカズキの力強い拳が下衆な男の顔面にめり込むと監禁されていた室内の壁を全て突き破って外に吹っ飛んでいった。
「おい。大丈夫か?」
「・・・何故?どうしてあなたが?」
手足の鎖を解いてもらったフランセルは助かった安堵や感謝以上に不思議でならなかった。何故いつも敵国の人間が『ネ=ウィン』を、自分を助けてくれるのだろう。

「何故ってお前なぁ。前にビアードとも話しただろ?解決策を聞いて来るって。今日はそれを持ってきたんだよ。そしたらまた巻き込まれたって訳だ。」

本当にこの少年は律儀というか面倒見がいいというか、戦う時こそ狂った獣のような顔を見せるがその人間性は誰よりも信頼出来る。だから自分もビアードも彼を頼ってしまうのだ。
「・・・体中が痛いの。手を貸してくれる?」
「いいぜ。ほらよ。」
最後は優しく抱きかかえられると安堵と心地良さから身体の全てを彼に預けてそのまま深い眠りに落ちるフランセル。

夢の中でこれからどうするのか、どうすべきなのかを父と話し合う中、目が覚めた時には新生『ネ=ウィン』が誕生していたので未だ夢の中なのかと無意識に頬をつねってしまうのだった。





 「フランセルッ?!だ、大丈夫かっ?!」

目が覚めるとまずはビアードが涙を浮かべて覗き込んで来るのを確認出来た。しかし彼女が望んでいたのは残念ながらその姿ではない。
「・・・大丈夫です。ビアード様、ここは?」
「お前の部屋だよ。あれから丸二日眠ってたんだぜ。んでビアードはその間ずっとお前の傍にいた。感謝しろよな。」
その言い方だとカズキは傍にいてくれなかったのだろうか。父の親友には深く感謝すると同時に若干残念な気持ちも湧き上がってしまうのは不敬が過ぎるかもしれない。
「・・・皇都はどうなったのですか?」
それを払拭したくて喫緊の問題を尋ねるとあれから『剣撃士団』があっという間に制圧したらしい。率いてる彼もそうだが『トリスト』の兵士は以前にも増して質が上がっているという事か。

だが素直に喜べないのはやはり問題が山積し過ぎているからだろう。

あれ程の規模の内乱を許してしまったのは国力の低下に首謀者の台頭を許してしまった事が原因だ。『ネ=ウィン』にはそれを見つけ出して厳罰に処すのはもちろん以前のような活気に満ちた国を作り直していかねばならない。
しかし課題こそ明確に思い浮かぶもののそれを行える人物がいないのが現状なのだ。正確には皇帝がまだまだ健在なのだがその覇気に再び炎を灯す方法は誰にもわからない。
相変わらず国家の見通しは暗く先細りしていたので話題を切り替えようとした時ふと気を失う前のやりとりを思い出す。
「・・・そういえば何か解決策があるって言ってたわね?」
「おう。それに関してはお前の傷が癒えてから実行するつもりだ。ま、しばらくのんびりしてればいいよ。」

「・・・ふざけないで。こんなの父や兄に比べたらかすり傷でもないわ。」

これ以上足踏みをしている暇はない。自身も、そして『ネ=ウィン』もだ。
「・・・はぅんっ!」
気合と共に寝具から身を起こしたフランドルは足を床面に移動させて颯爽と立ち上がったのだが実戦経験が少ない彼女は怪我と環境の関係を知らなかった。命のやり取りが優先される戦いの最中にのみ痛みから意識を遠ざけられるという事実を。
これは強い人間であればあるほど強く意識するのだが当然だ。多少のかすり傷程度でひるんでいては敵に弱点と強さの底を曝け出すのに他ならないのだから。
稀に痛みを全く気にせず戦える者もいるがそういった才能は格上をも討伐する可能性と同時に命を落とす可能性も極めて高い。だから周囲も最大限の気を配らないといけなくなる。
「その様子だとあと一週間は休んでおいた方がいいな。」
「じっ、冗談じゃないわっ!傾国の危機におちおち寝てなどいられにゃっ?!」
語気を強めるだけだけで、軽く身体をひねるだけで妙な声が漏れてしまうのはフランセルに限ったことではない。才能の有無関係なく人は命が助かったと心から安堵した時、最も痛みを強く感じてしまうのだ。
つまり手当てを終えて自室で休んでいる彼女は完治するまでの間、これらと向き合わねばならない。もちろん途中で戦いに赴かねばならない状況が生まれると多少は痛みから解放されるだろうが完治した訳ではない上にそれこそ周囲が許さないだろう。

初めて感じる屈辱と苦痛にどんな表情をすればいいのかわからないフランセルは知らず知らずの内に若干の涙目になっていたらしい。

味方と思っていた兵士に背後から襲われただけでなく傷物にされかけた。自身の強さや功績を親の七光りだと一蹴された。皇都の鎮圧では一切役に立たなかった。
まだまだ未熟だと思っていたがその気持ちは自分の心にすら建前として形骸化していたのだ。
その涙の意味を知ってか知らずか。カズキが形容し難い笑みを浮かべたので戦場と同じような気迫を発しながら痛みを忘れて飛び掛かったのだが彼は難なくこちらの体を抱きしめると力技で寝具に押し倒すのだった。





 「・・・わかりました。ルクトゥール医師の仰る通り一週間は安静にします。」

目を覚ましてから三日目、兄弟や母、ビアード達が根気よく説得を続けると流石にフランセルも周囲への迷惑から折れざるを得なかった。
それに『剣撃士団』お抱えの医師は高齢ながらかなり腕がいいのか、自身の体から日に日に痛みとあざが取れていくのを実感していたのだ。彼らの強さはこういった後療法にも支えられているのだろう。
「ただしカズキ。あなたは毎日、出来る限りずっとこの部屋にいる事。いいわね?」
「げ、お前もかよ。どいつもこいつも人の時間を何だと思ってんだ・・・」
その言い草だと過去にも似たような経験をしたらしい。では完治するまでその話を詳しく聞かせて貰おうと思っていた矢先、当事者が現れると再びフランセルの機嫌は急転直下に悪くなる。

「ねぇカズキ君。この国ってなんか物騒な雰囲気だし・・・そろそろ帰らない?」

来てくれと頼んだのはカズキだけであって他の人間を呼んだ覚えはないのだからさっさと一人で帰ればいいのに。というか彼の周りはいつからこんな華やかになったのだ?
「駄目だ。俺はここでやらなきゃならねぇ事がある。てか最初に言っただろ。遊びに来たんじゃないんだから先に帰ってろよ。誰かに送らせるからさ。」
今まで異性の気配など感じなかったはずだ。寝具の上から動けないのを知っててわざと見せつけられるのではないかと疑いたくもなるが冷静に観察するとカズキは誰に対しても同じような対応をしている。
なので排除するなら妙に距離が近い少女の方だけで良い。そうすれば彼は自分の手元に落ちてくる・・・はずだ。
「ルマーさん。何かあってからでは遅いのでカズキの言うように先に帰国された方がよろしいかと。」
「・・・何かが起こらないように私を護ってよね?カズキ君?」
「目の届く範囲内ならな。」
そう思って牽制してみたのだがタシンとはまた性格の違うルマーは逆手にとって試すような言動を繰り返している。もちろんカズキも軽くあしらうに留めるのだが傍から見ていて気持ちの良いものではない。

・・・だったら力尽くで追い出してやろうか。

立ち居振る舞いから彼女もまた戦士ではないはずだ。であれば負傷していても力で負ける事は無いだろう。
要所要所に父の性格や思考が垣間見えるフランセルは無自覚のまま機を窺っていたがその思惑もすぐに引っ込む事になる。
「はいフランセル。あーん。」
何故なら自身の看護は主に彼女がしてくれるようになったからだ。2人のやり取りを観察した所、フランセルと同じ気持ちを抱いているのは間違いなさそうだが同時に彼女の性格はわりと社交性が高く、そして世話好きらしい。
「・・・ぁ~ん・・・いえ、ルマーさん。匙くらい持てますから。」
「そう?でも怪我人だし遠慮しないでね?」
自身も兄弟に挟まれて育ってきたので弟達の世話をする立場からわからなくもない。しかし恋敵に施しを受けるのはどうにもむず痒くて仕方がないのだ。
「・・・この借り、いえ、御恩は必ず返します。」
「そんな固く考えなくていいから。お水飲む?」
これなら殴り合えるタシンの方がいくらか気が楽だ。環境の都合から同性の生態に詳しくないフランセルは2つ程年上の彼女にどう接すべきか四苦八苦していると部屋の隅で退屈そうに欠伸をしながら書物を読むカズキの姿を捉える。

本当はこの役を彼に任せたかったのに・・・!

もやもやで一杯だった彼女は考えるよりも早く手首を動かして匙を投げつけるが視線を向ける事さえせずに人差し指と中指で軽く受け止めたカズキは付着していた汁物をぺろりと舐めた後こちらに投げ返して来た。
「いい味じゃん。これルマーが作ったのか?」
「そうよ。仲間の食事は私が担当してたしね。っていうかお行儀が悪い!!食器を投げないの!!」
何故こんな空間が出来上がってしまったのだろう。
姉のようなルマーに感謝と遠慮が入り混じる気持ちをどう整理すればいいのかわからないまま一週間が過ぎてやっと自由を取り戻したフランセルは速やかに湯あみと着替えを終えるとまずは眼前の問題を解決すべくカズキの部屋に赴くのだった。





 「お、フランセルだっけ?もう調子はいいのか?」

カズキには母の好意により亡き父の部屋を貸与されていたのは知っている。なのに何故そこに女がいるのだ?しかもルマーより着飾っていてとても可愛らしい、のはこの際置いておく。
「今日から復職だな。いきなり無理はするなよ?」
「・・・貴女は誰ですか?」
だが彼の着替えを手伝っているのは見過ごせない。というか自分の部屋に招いていた時は普段着なので気が付かなかったが衣装も仕立てのかなり良い将軍位のものになっている。
ただ深緑の短い外套は以前のままらしい。そこだけは安心感を覚えるもそれを見知らぬ女に羽織らせている様子は夫婦みたいに見えて嫌悪感しかない。

「ふ~ん?・・・あたしはカーヘン。『剣撃士団』の一員さ。よろしくな。」

なるほど。であればカズキと一緒にいるのも頷ける。しかし2人にはフランセルの様子がとても歪なものに見えたのだろう。実際無理矢理作り笑いを浮かべたせいで母には大笑いされる程おかしなものだったらしい。
「さて。それじゃ登城するか。」
「・・・うん?登城って・・・『トリスト』の?」
「何でだよ。『ネ=ウィン』のに決まってるだろ。さぁ気合入れろよ。」
ここまで解決策とやらを一切聞いていない為何が何だかよくわからなかったが彼が珍しく凛とした雰囲気を漂わせている事からその本気度が伺える。
これで全てが丸く収まるのだろうか。不安と期待が入り混じったフランセルも気持ちを切り替えるとルマーを含めた4人は馬車に乗って皇城へ向かうのだった。



「おお!すっかり良くなったようだな!」

城門から中に入ると最初に4将筆頭であるビアードがとても明るい笑顔で出迎えてくれたのでまずはしっかり謝罪と謝意を伝えた。
「この失態は必ず晴らして御覧に見せます。」
「ああ・・・しかし無茶はするな。お前に何かあれば今度こそ・・・」
フランセルを大事に思っての発言なのだろうが将軍とはいえ武に携わる者は所詮消耗品なのだ。もし倒れたとしてもまた次の芽が出ると信じたいが。
(・・・今の『ネ=ウィン』では難しいのかもしれないけど。)
せめて母国の話題を明るく語り合えるくらいには立て直せないだろうか。カズキも暗い雰囲気を払拭する為にさっさと案内してくれみたいな口調で話の腰を折って来るとビアードは失笑を、自身は近距離から肘打ちを放っていた。

そこから見慣れた城内を歩いて行くとフランセルとカズキだけが小さな会議室に通される。

確かこの部屋は非常に重要な話し合いの場合にのみ使用される場所で室内が狭いのも壁や天井が分厚く作られているからだ。
その事実だけでもカズキのいう解決策とやらが相当秘匿性の高いものだと悟ったが例え『トリスト』を代表するような猛者と言えど一国の事情に干渉出来る程の策があるのかと疑問も膨らむ。
よくわからないまま椅子に腰かけたフランセルは念の為体の調子を静かに確かめつつその時を待っていると静かに扉が開いてやや老けを感じるネクトニウスが入室してきた。
内乱が原因でもあるのだろうが最後に見た時以上に覇気が無くなっていた彼の姿は自身の心をきつく締めつけて呼吸が浅くなる。皇帝がこんな状態に陥ったのも不甲斐ない自分達に責任がある、そう思わずにはいられなかった。
「・・・さて、カズキよ。大切な話があるそうだな?私としてはお前が4将に就いてくれる決意表明だと考えているのだがどうかね?」
「いえ、違います。そんな些細な事以上に大切なお話です。」
違うのか?というか4将の地位に関する話を些細で終わらせるんじゃない。
流石に皇帝の御前で再び肘を入れるには距離もあり不敬でもある為何とか怒りを押し殺したがでは一体何なのだ?てっきりフランセルもその方向で解決してくれると望んでいたのに違うのか?
周囲も何も聞かされていないのだろう。ビアードも落胆した様子とまだ期待する気持ちを双眸に乗せて2人の様子を見守っているとカズキが軽く頭を下げてから静かに口を開いた。





 「・・・実は『ネ=ウィン』の後を継ぐ方をお連れしたのです。」

・・・・・
その言葉を意味が分からなかった4将達は押し黙るしかなかったがネクトニウスは違う。6人いた皇子達は既に他界しており残す血縁者はナレット王女だけなのだ。
まさか彼女の婚約者候補でも連れてきたのか?それくらいしか考えが及ばなかったフランセルは念の為そこにカズキが名乗り出るのかもしれないと覚悟を決めたがどうやら全くの見当違いだったらしい。
「・・・つまりクレイス王子がナレットと結ばれる、という事か?」
「いえ、私も最近まで存じ上げなかったのですが実は・・・」

がちゃり

カズキが畏まって説明をする最中、いきなり扉が開くとそこから見慣れない衣装と仮面を着けた男が静かに入って来る。
「遅れて申し訳ない。」
「・・・・・?!」
口元と声だけは確認出来るものの怪しさしかない。しかし城内にあるこの会議室に入って来た事と話の流れからこの男が『ネ=ウィン』の後を継ぐ者なのだろうか?
話が全くわからないので僅かに警戒していると男の正体には誰よりも早く皇帝が気づいたようだ。

「まさか・・・・・お前は、ナイルか?」

「ご無沙汰しております。父上。」

「えぇっ?!?!」

名前を聞いても自分が会ったことのない人物だった為フランセルはただ驚くしか出来なかったがビアードの反応からそれが亡くなった筈の第二皇子ではと推察出来る。
仮面の人物が静かにそれを外すと父は薄暗い会議室でも息子の顔をしっかり認識したらしい。その目に確かな力と涙を浮かべていた。
「・・・何故だ?何故さっさと帰国しなかった?!お前がもっと早く帰ってきていればナルサスが死ぬ事もなかっただろうに!!」
ところが親子故の感情が爆発したのか、感動より先に事実と不満が漏れるとナイルも多少場都合の悪そうな表情で事情を述べ始める。
「私は以前から申し上げていた筈です。戦いに至上の価値を見出していてはいずれ国が立ち行かなくなると。それをわかってもらう為これまでの様子をずっと『トリスト』から眺めていました。」
これにはフランセルも声を漏らすほど驚いた。もしかすると自分達は知らず知らずの内に『ネ=ウィン』の第二皇子と戦っていた可能性もあるのか。
「き、貴様ぁ!!そこまで堕ちたかっ?!」

「堕ちたのはこの国です。故に立て直す為に私が帰国しました。」

解決策とはこういう事らしい。話ぶりからするとカズキも最近までナイルの存在を知らなかったようだが第二皇子は『トリスト』でどのように過ごしていたのだろう。
椅子に腰かけて机を人差し指で軽く叩きながら淡々と説明する姿に確かな皇族の血を感じる。この場にナルサスがいたら己の冷酷さはまだまだ浅いと笑っていたかもしれない。
(これが第二皇子ナイル様なのね。)
「・・・それで?今更皇帝の座を譲れと申すのか?!兄弟達が死にゆくのを指を咥えて見ていた貴様にっ?!」
「はい。私が『トリスト』で生かした経験と知識を用いれば『ネ=ウィン』を豊かな国にする事など造作もありません。もちろん多少の血は流れるでしょうが革命にはつきものでしょう。」
皇族2人の話が淡々と進むので周囲は置いてけぼりだがどう収集を付けるつもりだろう。
ネクトニウスはナイルを自身の息子と認知はしたものの後継者と認める流れではない。むしろ勘当されてもおかしくないのでは?とすら感じてしまう。
「・・・み、認めん!!断じて貴様を認めんぞっ?!」
「ではこの国は『トリスト』に攻め滅ぼしてもらいましょう。更地の方が新国家も樹立しやすい。」
もはや話し合いというより脅迫の域に達してきたのでビアードの顔色も真っ青になっていたがどうする?若輩者の自分でも何か出来ないだろうかと思案した時、何故か双眸を伏せてじっと座るカズキに目が行くのだった。





 「よかろう!ならばどちらかが滅ぶまで戦おうではないかっ?!」

「お待ちください。」
激昂するネクトニウスを静かに宥めたのは他でもないカズキだ。周囲の視線が彼に集まると期待からフランセルの心と体も熱くなる。
「何だカズキ?!まさかこの場で私の命を奪うとでも申すのか?!」
「いいえ、そうではありません。ナイル様、そろそろ本題と申しますか、もう少し譲歩して頂かないと話が進みません。」
「ふふふ。すまない。父が相変わらずなのでつい自分も昔に戻ってしまった。」
つまり以前からこういう仲なのか。確かに戦闘国家『ネ=ウィン』で戦いを否定するような思想は相手にされないか淘汰されるのが落ちだろう。
「・・・何だ?譲歩だと?」

「はい。もし私が皇帝となり『ネ=ウィン』を統治する事になれば4将にカズキを置きます。これは決定事項です。」

「「ッ?!」」
絶対にありえないとわかっていながら彼がその椅子に座ってくれたら、共に戦ってくれたらどれほど心強いかと何度も夢想した。それが今やっと目の前に転がり込んできたのだからフランセルはもちろん、ビアードも喜色を隠そうと必死だ。
「・・・その程度で譲歩だと?笑わせるな。カズキ程度の戦士などいくらでもいるだろう?」
売り言葉に買い言葉とはいえ無茶苦茶だ。既に相当な熱を上げているフランセルはつい口を挟みそうになるもそれをカズキの大きな手が遮ってきた。
「ほう?ではビアードとカズキに戦ってもらいますか?フランセルも加えて一対二でも構いませんが、もし負けた場合は命を奪いますよ?」
しかしナイルという男、大人しい見た目や口調とは裏腹に言動が一々過激すぎる。まさか本当にカズキと戦わねばならない状況にはならない、よね?味方では無類の頼もしさを覚えるも敵に回せばどんな殺され方をされるのか想像するだけでも恐ろしい。
いくら相手が格上とはいえ恐怖を覚えた時点で戦士としてフランセルの限界は近いのかもしれない。そんな真理に気づく事無くどきどきしながら見守っているとネクトニウスも流石に考えを改めたらしい。
「・・・お前が皇帝になったらこの国から戦いが消える。そうなればご先祖様に申し訳が立たん。」

「国が消える方こそ申し訳が立たないと思います。それに戦いは無くなりませんよ。」

ここに来てまたナイルがよくわからない発言をしたのでフランセルは思考を放棄したが皇帝はそういう訳にもいかない。
「・・・どういう事だ?」
「私は『トリスト』で自身の理想である富国強兵を求めてきました。現在その結果は敵対していた『ネ=ウィン』の国民であれば十分理解して頂けたと思いますが。」
そう言いながらこちらとビアードに確認するような視線を向けてきたのでフランセルも静かに頷く。
「つまり『ネ=ウィン』にもこの国に落とし込めるよう多少形を変えて同じ施策を敷こうと考えています。」
「・・・具体的にはどうするつもりだ?」

「ほとんどの専業戦士を廃止して皆が副業を持てるよう動くつもりです。」

民兵とは違うのだろうか?あまり詳しくないので口には出さなかったものの戦いに重きを置いてきた『ネ=ウィン』がそんな施策を取り上げて大丈夫なのかと素直に心配してしまう。
「それでは『リングストン』と変わらんではないか。む、つまり少数精鋭から人海戦術に切り替えるのか?」
「そうではありません。平時は生産に勤しんでもらい適度に訓練を挟む事で国民を鍛える。これを徹底させる事で戦わずとも実利と戦力を補強していくのです。」
「むむ?では民兵という事か?」

「はい。ただし他国の民兵とは一線を画す存在です。主に戦士としての誇りと思想をしっかり教育する事で戦う意味とその存在意義を徹底的に植え付けるのが最終目的になります。」

植え付けるというやや物騒な物言いに鳥肌が立ったがこれは自身にも大いに関係があるらしい。ナイルが再びこちらに視線を向けるとフランセルは身体を強張らせてしまったが彼は優しい笑みを浮かべてその理由を語り始めてくれた。





 「そもそも戦士とは過酷なのだ。生きていく為に命を賭して生活していく等相当な猛者でも難しい。これは私が『ネ=ウィン』にいた頃から感じていた。」
静かに立ち上がったナイルは最低限の光源を確保する為に作られた小さな窓に視線を向けつつ外を眺める。
「勝って当然、勝たねば生活が成り立たない。戦いに重きを置くが故に国民はいつしか思想を強迫観念とはき違えるようになっていた。するとどうなるか?それは君が身をもって経験したはずだ。」
「・・・はい。」
恐らく自軍の兵士に背後から襲われて強姦されそうになった事を話しているのだろう。ただ何を言いたいのかはよくわからず、周囲も話に耳を傾けているとナイルは再び語り始める。

「酒や煙草に溺れるのも強姦や強盗を働くのも全ては強迫観念によって逃げ場を失った結果に過ぎないのだ。人は弱い。だから私は国民の精神を解放する為に戦士以外の生き方を教えていきたいのです。」

戦って散れば家族は悲しむだろう。散らなくとも負傷で活動に支障が出れば『ネ=ウィン』での栄達が見込めないどころか人並みの生活すら出来なくなる。そんな戦闘国家特有の歪な理想に隠された負の連鎖を断ち切る事で国民を導きたいらしい。
最後は父ネクトニウスに向けてしっかり明言すると彼も思う所があるのか、浅く頷いてしばし沈黙が流れた。
「・・・お前の考えはわかった。しかしこの国の民は戦闘関連以外を生業としている者など少数だ。かなりの時間を要するのではないか?」
「覚悟の上です。それにカズキを4将に据えれば想像よりも早く成果を得られるかと期待しております。」
こういう部分はやはり皇族だ。『剣鬼』一刀斎と『剣豪』カーチフの血縁者であるカズキを最大限利用して国家の求心力を強化しつつ大規模な革命を行うつもりらしい。
むしろ今のフランセルも彼が傍にいてくれるという事実だけで胸が一杯なのだから不平不満などあるはずがない。このまま『ネ=ウィン』に移住するのだろうか。であれば住居を探す手伝いくらいはすべきだろうか等と思考を先走らせていると最後に残る4将の一枠が明かされるのだった。



「俺は親父や妹の件も含めてお前にはとても感謝している。でも同情でこんな事されても嬉しくないぜ?」

まさかフランシスカが指名されるとは思いもしなかった。嬉しい出来事が重なり過ぎたフランセルはカズキの手を強く握ったまま帰宅するとすぐに報告したのだが兄の態度は想像の真逆を現している。
「同情ねぇ。ま、決めたのは新しい皇帝様だから文句はそっちにに言ってくれ。」
両脚を失った彼が4将の座を任されても国民が、特に本人が納得しない事など少し考えればわかった筈なのにどれだけ浮かれていたのだ。
反省とともに歓喜の気持ちは見る見る霧散するも未だ手を繋いでいた2人の間からカーヘンが無理矢理体をねじ込んで来た事で若干の嫌悪感から冷静さを取り戻す。
「貴方の気持ちはわかるけどこれからの『ネ=ウィン』は生まれ変わるの。戦いに脅迫されない国へと。」
「・・・お前がカズキに惚れてるのは全然構わないけどちょっと夢を見すぎ痛っ?!」
更に兄から余計な一言が飛び出すと口よりも右手が素早く動いて椅子に座る彼のむき出しだった額に見事なでこぴんを放った。この攻撃は老若男女問わず使える上に効果も最低保証がある為こういった場面で重宝するのだ。

「いちち・・・・・まぁとにかく、戦いに脅迫されない国だぁ?『ネ=ウィン』は戦ってなんぼの国だろ?それを生まれ変わるってネクトニウス様が仰ったのか?」

「いいや、第二皇子のナイル様だ。」
その名を聞くとフランシスカも痛みを忘れて目を丸くするが途中から小首を傾げて理解に苦しみだした。
確かに彼は10年以上も前戦死したと伝えられているのでそんな話をされてすぐに信じられるはずも無いのだ。
「まぁまぁ、立ち話はそのくらいにしてさぁさぁ皆席についてついて。今日は腕を振るわよ~フランセルも手伝ってね。」
それよりも見守ってくれていた母が素直に息子の昇進を喜んでカズキにカーヘン、ルマーまでもを晩餐へ招待するとフランセルは有無も言わさずに借り出される。
(・・・ま、いいか。)
詳しい説明はその時にすればいいだろう。繋いでいた手を離す事だけに僅かな名残惜しさを感じつつも普段着に着替えると慌ただしく炊事場に入る。

ところが料理が完成した頃には4人はかなり打ち解けていたのか、フランシスカでさえカズキがどちらかを娶るような話をしていたのが耳に届くと今度は頭頂部に父譲りの力強い拳骨を落とす事で場は逆に盛り上がりをみせてしまうのだった。

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