闇を統べる者
若人の未来 -邪教ノススメ-
彼らは自分たちの住む世界の生物と違い言葉を使えないので何とかここで待っておくように言い聞かせてみても伝わる事は無い。
「流石に無理があるだろ。」
それでも親竜はカズキが諫めていると理解したのか、子竜の尻尾を咥えて無理に地下通路へ入ろうとするのを何とか引き戻そうとしている。
でかい図体だがこの辺りはそこらの動物と変わらないらしい。微笑ましい様子に骨抜きだったクレイスも頭を撫でて宥めようとしているがこれではきりがないだろう。
『ディニヤ』の住人が地上の出来事に気が付くとは思えないがここで足止めを食らい続ける訳にもいかず、その場で話し合った結果暗殺はカズキとショウで行う事になった。
「ま、私は見届けるだけですけどね。」
最近のショウは戦う素振りを全く見せなくなったがこれは自身の役割をしっかりこなす為の線引きらしい。カズキとしても楽しい仕事を奪われたくなかったので深く追求する事はなかったが若干勿体ない気もしていた。
「んじゃ行くか。留守番よろしくな。」
だが今は喫緊の任務が最優先だろう。餌付けの責任者を置いて2人は再び地下都市に潜入すると1つの問題が浮上する。
「・・・そういやタトフィの居場所がわからんな。」
街全体を散策していた上に途中で儀式が始まった為、未だ詳細を調べられていなかった事に今更気が付いたのだがショウはあまり気にしていないようだ。
「大広場で儀式をしていたのでしょう?でしたらその近辺が怪しいですね。遠い住居から毎回足を運ぶのも時間と労力の無駄になるでしょうから。」
言われてみれば尤もだ。2人は早速裏路地を伝って儀式のあった場所まで赴くとそこから近場の建物をしらみつぶしに探して回る。そしてショウが思いの外隠密行動に長けている事に気が付いた。
「・・・随分手馴れてるな?何かやってたのか?」
「政というのは内憂外患に晒されていますからね。どうしても諜報活動が必要なのですよ。」
つまり自分達と出会う前からそういう動き方をしてきたという事か。政務も中々に大変なんだなと感心しながら2人は速やかに建物内を調べていくと明らかに厳重な警備がなされている部屋を見つけ出した。
(さて・・・さっさと片づけるか。)
容姿は遠望鏡で確認済みなので間違う事はない筈だ。最悪影武者だったとしても力量で劣る事は無いのだから何度も襲えばいい。
あまり気負いせず気持ちを整えたカズキは扉の前に位置取ると取っ手を握ってみる。すると鍵が掛かっていたのでショウに目配せすると彼が近づいてきて手の平を近づけた。
そこから炎の魔術が展開されているのか暫くは微量の音が響いていたのだが文明の壁はあらゆる場面で行動を阻害してくる。
「・・・駄目ですね。仕組みがさっぱりわかりません。」
「・・・んじゃ強行突破だな。」
人を食らう相手に遠慮は無用だろう。カズキは立ち上がって固く閉ざされた扉の縦の隙間に勢いよく刃を走らせると電子錠が断ち切られたらしい。
鋼鉄製故の重さを両手に感じつつ開錠に成功した2人は静かに侵入すると生物の気配を複数感じる。その中にタトフィはいるだろうか。
(・・・ここも迷う必要はないな。)
恐らく全員が『ハルタカ』の関係者であり教祖の傍にいるという事は相当な上役なのだからむしろ残らず斬り伏せておくべきだろう。
久しぶりに戦闘狂全開のカズキは身を沈めながら本能を解放するとまずは見覚えのある外套の生物に絶命必死な斬撃を百近く放つのだった。
クレイスの作る料理に『たたき』というものがある。
自身が作り出した肉塊を見て何故かそれを思い出したのはこちらの世界で満足のいく食事を摂れてなかったからだと信じたい。
目的を達成したカズキは突然の出来事に理解が追い付いていない信者達を数えながら全て斬り伏せる。これで『ディニヤ』も邪教の支配から解放されればいいのだが。
ショウが軽く死体を検分した後棚や書類、衣服までも調べ始めたので自身も他の部屋に周囲に誰もいないかを確認すると思わぬ発見をする。
「・・・・・ぁ」
「んんっ?!」
私室の収納庫だろうか。小さな小部屋にも似た場所を開けるとそこに少女が監禁されていたので驚いて声を上げてしまった。というのも他の面々は気配を読み取れたのに彼女だけはいることさえ全く気が付かなかったからだ。
つまりそういう存在だというのを速やかに受け入れられなかった時点で彼は敗北したのだ。
何故かフランセルと面影を重ねたのもあるだろう。この場所にいる以上何かしらの形で『ハルタカ』に関与しているのは火を見るよりも明らかだった筈なのにおびえた様子の彼女に手を差し伸べてしまう。
そこに彼特有の妙な術に嵌りやすい体質が重なるとダクリバンの時とは比べ物にならない力で意識が一瞬で刈り取られた。
「カズキ、何か面白いものは見つかりました、か?」
執務室をくまなく漁ったショウがこちらに声を掛けてくるも既に自分の意志とは関係なく身体が動き始めている。だが戦闘本能だけは染まることが無かった為、それを使って友人に尋常ではない殺意を浴びせると彼もすぐに異変を察知したのか、距離を置いてこちらの様子を窺ってくれた。
「・・・カズキ?まさかまた・・・?」
『また』と言われるとぐうの音も出ないのだがこればかりは仕方ない。せめて後ほど改善出来る方法を模索しよう。
(・・・帰ったらヴァッツに相談してみるか。)
誰からの干渉も受けないであろう友人を思い出しながら今度はわかりやすく刀を大振りしてショウに自分の状況を伝えると彼は窓から飛び出して地下都市の出入り口に退いていくのだった。
「君はこの世界の人間じゃないね?」
朱色の髪を緩く結いて黒い祭服を身に纏う彼女はタシンという。何でも『ハルタカ』の力を得て今では司祭の位を得ているらしい。
「・・・俺はどうなったんだ?」
「まだどうにもなってないよ。ただ心から『ハルタカ』を崇めれば私達と同じような力を得られるわ。こんな風にね。」
間違いなく斬り伏せなければならない相手を前に平然と会話を交わしているのは洗脳がかなり進んでいるからだろう。タシンがおもむろに右手をタコの足のように変化させた事実にも嫌悪感はなく驚愕と僅かな羨望を覚えるだけだ。
「・・・凄いな。俺の情報ではタトフィっていう教祖しか変身しないって聞いてたんだが。」
「司祭以上は誰でも変身出来るよ。でもタトフィが教祖なんて誰から聞いたの?」
本能だけは彼女を敵と認識していても他が全て掌握されている為カズキは疑いもせずチョビムから聞いた話を伝えると彼女は悍ましい笑顔を浮かべて頷いた。
「ああ。壊滅させた都市に生き残りがいたのね。でも大丈夫、皆『ハルタカ』様の胎内で元気に過ごしているから。」
どうやら触手で飲み込まれた信者達は御神体の中へ取り込まれるらしい。非常に有益な情報なのにクレイス達に伝えられない事が悔やまれるが本能だけだと憤怒するのが精一杯だ。
「それにしても君みたいな強い信者が加わるなんて、やっぱり『ハルタカ』様の御加護は素晴らしいね。」
「・・・ああ。」
これから自分はどうなってしまうのだろう。闘争本能のみで自我を保てていたカズキは人外であるタシンに適当な相槌を打ちつつ、友人達に厄介な仕事を回してしまったと後悔するしかなかった。
クレイス達にも時間が必要なのだろう。
あれからすぐにでも助けに来てくれるのかと期待していたがそんな様子はなく、すっかりカズキを気に入ったタシンが細切れにされた肉塊達を飲み込んだ後大広場を案内してくれた。
「儀式は一日3回、最も信仰心の強い人が『旅立ち』を許されるの。」
「・・・『旅立ち』?」
どうやら触手を持つ司祭以上の人間に飲み込まれる事をそう表現するそうだ。他にも『バフ』ではタトフィが仕切っていただけで教祖という訳ではないらしい。
「・・・教祖っていうのはいるのか?」
「どうだろ?私もいつの間にか信者になって司祭に選ばれたからよく知らないわ。」
洗脳されてはいたが不明瞭な内容に本能で小首を傾げる。御神体と信者を取り持つ人物を誰も知らないというのはどういう事だ?
それから聖典らしき物を受け取ると支配された体はそれをぱらぱらとめくる。
「・・・」
内容は他の宗教と代り映えしないのかと決めつけていたがそうではないようだ。様々な戒律に禁忌を犯した時の処刑方法が事細かに書き記されているだ。
身体が変異したり洗脳したりと邪な部分は多々あるが住民達も皆穏やかな生活の為に教えを忠実に守るよう心掛けているのだろう。
「でも司祭が殺されちゃったから新たに決めなきゃいけないね。どうしよっかな~?」
処分したのは間違いなくカズキなので最悪の結末が脳裏を過るが彼を司祭にという話にならないのは慈悲深いのか相当気に入られているのかどちらだろう。
本能で何とか視線だけを逸らすとタシンもあくどい笑みを浮かべるだけでカズキには3階の一室を住居として宛がってくれた。
「もう『ハルタカ』様の威光に当てられているから心配ないと思うけど無法はやめてよ?儀式の時以外は自由にしてていいから。」
ということはそれまでに司祭格の人間を全員斬り伏せれば解決しないだろうか。
(せめてもうちょっと体が自由に動けば・・・)
何とか思考だけは働くも洗脳は思った以上に強力らしく、邪教徒相手に刀を振るうという訳にはいかないようだ。
「ほら、そういう物騒な気配は出さないの!いい?」
闘争本能だけで自我を繋ぎ止めている為、そこに頼ろうとするとどうしても闘志を爆発させねばならない。
言葉はともかくせめて体の自由だけでも何とか奪い返せないだろうか。ナジュナメジナとはまた違う束縛の中、何か妙案はないものかと思案に暮れているとその好機は友人がもたらしてくれた。
夕刻の儀式に入る前、黒い竜親子を何とか説得したらしいクレイスが周囲を警戒しながら飛んでいたのが見えると部屋から動かなかったカズキも一気に本能を解放する。
傍にタシンがいなかったのも好都合だ。彼に発見してもらえるよう壁を斬り出すとまずは蹴りを入れて地面に落下させた。もしかすると下に邪教徒がいたかもしれないが今は後回しだ。
そこから外に飛び出てクレイスの方に駆け寄っていくのだが感情は闘争一色に塗り固められている為正直接触していいものかどうか悩む部分はある。
(・・・まぁ何とかなるだろ。)
それでも自身の体がタコのようになるのを黙って見過ごす訳にはいかないのだ。
自分の意志で何とか動かせるギリギリの闘志を放ちつつクレイスの真下に到着すると彼は一瞬だけ満面の笑みを浮かべてからすぐに引き締まった表情へと戻していた。
(随分いい顔をするようになったんだな。)
互いが本気で向き合うのは初めてだったがなるほど、ナルサスやナハトールを斬り伏せた実力は確かなものらしい。
まさかこんな身近に自身が戦いたいと思える程の猛者がいるとは考えもしなかったカズキは本来の目的も忘れてつい狂喜と闘志を解放させるがクレイスは冷静だった。
「カズキ、ここは狭いから外に出よう。」
「・・・いいぜ。」
闘争本能と洗脳、自分は今どちらに身体を支配されているのかわからなくなってきたカズキはタシンのようなどす黒い笑みを浮かべると全力で出入口に向かう。
そしてショウや黒い竜親子が待つ地上に飛び出すと先行していたクレイスに向かって斬りかかった。だが彼は空を自由に飛べるのだ。
長剣こそ抜いて構えてはいるものの絶対に剣閃の届かない場所でこちらを見下ろしているのはどうするか思案しているといった所だろう。
そんなちんけな悩みなど吹き飛ばしてやる。
カズキは祖父の刀を使って叔父であるカーチフの鋭い突きを上空に放つとクレイスは慌てて回避行動を取った。
「・・・ほう。これを躱すのか。本当に成長したな。」
「カズキ?!本当に洗脳されてるんだよね?!」
どうやら戦闘狂が戦いたいが為に演じているのではと疑っているらしい。まさか師匠でもある友人を疑うなんて何と情けないと思ったが今のカズキは心が、身体が、感情が洗脳によって全く均衡がとれていないのだ。
故に闘争本能に全てを預けていた姿を見てそう判断したのも仕方がないのかもしれない。
「・・・ああ。戦う事しか出来なくなってるぜ。」
かといって今のカズキは戦う事こそが洗脳から抗う唯一の手段なのだから止める訳にはいかない。決して強くなったクレイスと本気で戦いたい訳ではないのだ。
何とか上空から引きずり下ろしたいカズキは一度刀を納めると無手の状態で高く跳び、速度が乗ったまま家宝の二振りを顕現するとそれを竹とんぼの要領で振り回す。
「うわっ?!」
そのままクレイスの懐まで一気に加速すると後は重い二振りを両手から手放し、再び小太刀を抜いて斬りかかれば距離の問題は解決だ。
洗脳に関する解決策は未だ不明のまま戦いへの探求心はどのような状態でも忘れないカズキに友人も驚愕の面持ちで舌を巻いているようだ。
「・・・とりあえず下に降りろ。」
ばきんっ!!!
全力で叩き落とそうと攻撃を振り下ろすが成長したクレイスも咄嗟の判断で魔術を展開すると直撃は避けたらしい。
飛空の術式で落下速度を殺しながら砂地に足を下ろすとこちらも軽やかに着地して間髪入れずに前へ跳ぶ。
彼もこの世界に来る前の助言を覚えているらしく、再び魔術の剣を4本展開するも派手に振り回さず迎撃に集中しているようだ。
刀が無事ならもう少し苛烈な攻撃を放てたのに。やや物足りない祖父の形見で深く踏み込むカズキはまるで武者修業の頃に戻ったかの錯覚に囚われる。
楽しい。やはり真剣勝負は楽しい。
もはや洗脳の有無などどうでもよく、久しぶりに血沸き肉躍る戦いの心地良さにこそ全てが支配されていくのを感じるのだった。
クレイスも魔力の消費を最小限に抑えつつ最大限の展開を見せるのだからこちらの本能も滾らずにはいられない。
「・・・俺を相手に小細工か。なめやがって。」
だったら是が非でも全力を出させてやる。頭に一刀斎の血が上ったカズキは目を血走らせると獣と化して弟子に襲い掛かった。
武芸百般を叩き込まれているが故にあらゆる攻撃手段を惜しみなく繰り出すとクレイスは防戦一方だ。しかしそんな中でも飛空の術式を上手く使っているのか、こちらの攻撃が彼に当たる事は無い。
ならば今度は有り余る砂を左手で掬うと思い切り投げつける。絶えず砂嵐が吹き荒ぶ中なので効果は薄いかもしれないが一瞬でも視界を奪えれば十分だ。
ところがこの世界の防塵眼鏡はとても優秀らしい。クレイスが正確にこちらの位置を認識していたのでやはり凶刃は空を斬ってしまう。
いや、友人を相手に絶命必死の一閃を浴びせたらどうなるのか。そんな判断すらつかない状態のカズキを彼らはどう見ているのか。どう対処するつもりなのか。
文字通り我を忘れて鬼の剣を振るっているとその瞬間は突如訪れる。
「カズキ君、戻っておいで。」
司祭でもあるタシンがかなり遠くから声をかけただけで身体が金縛りにあったかのように動きを止めたのだから本能は驚愕に塗りつぶされた。
「あ、あの!カズキを元に戻してもらえませんか?!」
しかしクレイスは好機と読んだのだろう。タシンの下まで飛んでいってそう伝えたが彼女は薄暗い笑みを浮かべながら見下すように吐き捨てる。
「元って何?言っておくけどカズキ君は偉大な『ハルタカ』様の御威光に感銘を受けただけだからね?さ、帰ろ?」
そんな感情など微塵も持ち合わせていないと言い放ちたかったが体が言う事を聞いてくれない事実が今の全てなのだ。
静かに刀を仕舞ったカズキは生気を失った様子でタシンに近づくと2人は振り返る事なく地下都市へと戻るのだった。
「彼らはカズキ君の友達?」
「・・・ああ。」
帰路の途中、口が勝手に肯定すると彼女は少し考え込んでから浅く頷いた。
「だったら彼らも勧誘しよう。あれだけ強いんだったら『ハルタカ』様もきっと喜ばれるよ。」
「・・・ああ。」
いや、そこは肯定すべきじゃない。何とか否定し直そうと無理矢理闘志を高めるがその気配を察したタシンが白い眼で睨みつけてくると洗脳された体は一瞬で冷静さを取り戻す。
「・・・・・そういえば勧誘ってどうやるんだ?」
住民達と軽く挨拶を交わすタシンの姿を眺めながらふと洗脳外からの疑問が零れると彼女も珍しく驚いた様子でこちらの顔を覗き込んで来る。
自分は周囲に比べてそういった信仰心が薄い故の素朴な疑問に何故そこまで興味を示したのだろうか。よくわからないままこちらも見つめ返していると彼女はあくどい笑みを浮かべながら口を開いた。
「・・・どんな宗教にも当てはまるんだけど信仰心が薄い、もしくは無い人間こそ心に隙があるの。だからこの世界の住人は軒並み『ハルタカ』の教えを傾聴するわけ。」
その答えには納得しかない。確かにクレイスはイルフォシアとの関係もあるが基本的に『セイラム教』の人間だ。ショウも宗教色は感じないものの上官への忠誠心は凄まじく、そこに付け入る隙はカズキから見ても存在しない。
対して自身はというと何か特定の教えを遵守する訳でも信仰している訳でもない。
祖父から叩き込まれてきた武芸百般こそ信じる全てだと言えなくもないがこれは身体に染みついている為心でどうこうするものではない。
(・・・だったら俺も神様に縋るべきなのか?)
カズキの基本的な行動理念は因果応報なのだ。つまり他責思考をほぼ排除しているので今回初めて信仰という思考に真正面からぶつかったことになる。
今からでも間に合うだろうか?よくわからない宗教について色々思案してみても答えがすぐに見つかる事はなく、あれから友人達が再び現れる事もなかったのでその日の終わりは夕刻の儀式を見せられるという最悪の結末で終えるのだった。
心の隙につけいれられたのだとすればそれは精神の修業不足に他ならない。
翌朝儀式前に目覚めたカズキは友人達に頼るだけでなく今からでも自らの弱点を克服すべきだと決意すると早速室内に一本のろうそくを立てる。
座禅を組み、その炎をじっと見つめる事で精神を研ぎ澄ます方法だが洗脳下でも効果はあるだろうか。
(いやいや。今は何でもやらねぇとな。)
最近の自分は少し慣れ合い過ぎているとは感じていたのだ。その結果が今の状態だと考えるともはや躊躇ったり言い訳している場合ではない。
邪魔が入る前に少しでも何かを得られれば。柔らかすぎる床材の上に何の痛痒も感じないまましばし時を過ごすと自身をこちらに引き込んでしまった少女が断りもなく部屋に入って来て後ろから抱き着いてきた。
「おはよ~。何してるの?」
「・・・修業だ。」
この口は本当に自分の物なのだろうか?何でもかんでもぺらぺらと喋ってしまう醜態に本能で愕然と項垂れていたがタシンは一瞬だけ目を丸くした後嬉しそうに腕を絡ませてくる。
「お~!やっぱりそうなんだ~!そうよね。修業しなきゃあんな動きは出来ないよね!」
こんな事をやった所で昨日のような動きが出来る訳がないのだが修正するのも面倒臭いし、何より今は口を開くとろくな発言が出来ないのだから勘違いさせておこう。
それから早朝の儀式までの間、タシンが一方的に体を押し付けてくるのも気にせず精神統一をしていたのだが洗脳からの解放を考えている時点で効果は薄いのだろう。
全く手ごたえのない朝を迎えたカズキは彼女と一緒に見慣れた携帯食を食べた後、見慣れてしまいそうな儀式に立ち会うのだが今回は少し勝手が違った。
ず・・・ずずず・・・ずろろろろろっ!!
司祭が邪教徒を飲み込んだ後、なんと別の邪教徒を吐き出したのだ。これには洗脳状態でも大いに驚いたカズキは唖然としていたのだが周囲は歓喜の声を上げている。
「神の御子達よ!今日は旅から帰還した同胞との再会を大いに祝おうじゃないか!!」
『旅立ち』とはタコのような存在が人間を食う為の詭弁だと思っていたがそうではないらしい。皆が大いに盛り上がって吐き出された男を祝福するとその日は午後の儀式まで酒盛りが行われる事になった。
「・・・意外だな。てっきり皆捕食されてるものだとばかり思ってた。」
「そうだよ?」
流石に他の邪教徒と慣れ合うつもりがなかったカズキは離れた場所で祝い酒を飲んでいたのだがまた脳裏に過った疑問が簡単に口からこぼれ出てしまう。
そして昨日クレイスと本気で戦ったからか、傍から離れてくれないタシンが軽く答えると洗脳下ながら身体は説明を促していた。
「『旅立ち』は運、かな?『ハルタカ』様の胎内に入って生まれ変わる儀式なんだけど皆が皆生還出来る訳じゃないんだ。」
「・・・運、なのか?」
「多分ね。私も『旅立ち』の記憶は全く無いからそうなんじゃないかなって思ってるだけなんだけどね。」
話を聞いているとそれもある意味試練と呼べるものなのだろう。彼らは彼らなりに神を信じて自身を捧げて、運が絡むのか厚い信仰心の賜物なのか、とにかく生還を達成した時人間という存在を超越出来るという。
「・・・不思議だな。」
「そうよ~?でもそれが神様ってものじゃない?」
超越していても酒には弱いのか、いつもより砕けた様子で口が軽くなっている彼女から可能な限り質問を重ねていくと遂には寄りかかってうたた寝を始めてしまう。
(やれやれ。いくらでも逃げられそうなんだがなぁ・・・)
洗脳下では闘気や殺気を信者達には向けられないようになっており、昨日のように部外者の協力が無いと本能に身を任せるのも難しい。
監視役であろうタシンがこんな状態でも何も出来ない歯痒さと無力さにげんなりしていたが裏を返せばこの逆境を利用しない手はない。
ならば友人に頼らずこの状況を打破してみせようじゃないか。久しぶりに遠慮なく本能を解放出来る喜びに歓喜を覚えたカズキは密かに狂喜を育てていくのだった。
「流石に無理があるだろ。」
それでも親竜はカズキが諫めていると理解したのか、子竜の尻尾を咥えて無理に地下通路へ入ろうとするのを何とか引き戻そうとしている。
でかい図体だがこの辺りはそこらの動物と変わらないらしい。微笑ましい様子に骨抜きだったクレイスも頭を撫でて宥めようとしているがこれではきりがないだろう。
『ディニヤ』の住人が地上の出来事に気が付くとは思えないがここで足止めを食らい続ける訳にもいかず、その場で話し合った結果暗殺はカズキとショウで行う事になった。
「ま、私は見届けるだけですけどね。」
最近のショウは戦う素振りを全く見せなくなったがこれは自身の役割をしっかりこなす為の線引きらしい。カズキとしても楽しい仕事を奪われたくなかったので深く追求する事はなかったが若干勿体ない気もしていた。
「んじゃ行くか。留守番よろしくな。」
だが今は喫緊の任務が最優先だろう。餌付けの責任者を置いて2人は再び地下都市に潜入すると1つの問題が浮上する。
「・・・そういやタトフィの居場所がわからんな。」
街全体を散策していた上に途中で儀式が始まった為、未だ詳細を調べられていなかった事に今更気が付いたのだがショウはあまり気にしていないようだ。
「大広場で儀式をしていたのでしょう?でしたらその近辺が怪しいですね。遠い住居から毎回足を運ぶのも時間と労力の無駄になるでしょうから。」
言われてみれば尤もだ。2人は早速裏路地を伝って儀式のあった場所まで赴くとそこから近場の建物をしらみつぶしに探して回る。そしてショウが思いの外隠密行動に長けている事に気が付いた。
「・・・随分手馴れてるな?何かやってたのか?」
「政というのは内憂外患に晒されていますからね。どうしても諜報活動が必要なのですよ。」
つまり自分達と出会う前からそういう動き方をしてきたという事か。政務も中々に大変なんだなと感心しながら2人は速やかに建物内を調べていくと明らかに厳重な警備がなされている部屋を見つけ出した。
(さて・・・さっさと片づけるか。)
容姿は遠望鏡で確認済みなので間違う事はない筈だ。最悪影武者だったとしても力量で劣る事は無いのだから何度も襲えばいい。
あまり気負いせず気持ちを整えたカズキは扉の前に位置取ると取っ手を握ってみる。すると鍵が掛かっていたのでショウに目配せすると彼が近づいてきて手の平を近づけた。
そこから炎の魔術が展開されているのか暫くは微量の音が響いていたのだが文明の壁はあらゆる場面で行動を阻害してくる。
「・・・駄目ですね。仕組みがさっぱりわかりません。」
「・・・んじゃ強行突破だな。」
人を食らう相手に遠慮は無用だろう。カズキは立ち上がって固く閉ざされた扉の縦の隙間に勢いよく刃を走らせると電子錠が断ち切られたらしい。
鋼鉄製故の重さを両手に感じつつ開錠に成功した2人は静かに侵入すると生物の気配を複数感じる。その中にタトフィはいるだろうか。
(・・・ここも迷う必要はないな。)
恐らく全員が『ハルタカ』の関係者であり教祖の傍にいるという事は相当な上役なのだからむしろ残らず斬り伏せておくべきだろう。
久しぶりに戦闘狂全開のカズキは身を沈めながら本能を解放するとまずは見覚えのある外套の生物に絶命必死な斬撃を百近く放つのだった。
クレイスの作る料理に『たたき』というものがある。
自身が作り出した肉塊を見て何故かそれを思い出したのはこちらの世界で満足のいく食事を摂れてなかったからだと信じたい。
目的を達成したカズキは突然の出来事に理解が追い付いていない信者達を数えながら全て斬り伏せる。これで『ディニヤ』も邪教の支配から解放されればいいのだが。
ショウが軽く死体を検分した後棚や書類、衣服までも調べ始めたので自身も他の部屋に周囲に誰もいないかを確認すると思わぬ発見をする。
「・・・・・ぁ」
「んんっ?!」
私室の収納庫だろうか。小さな小部屋にも似た場所を開けるとそこに少女が監禁されていたので驚いて声を上げてしまった。というのも他の面々は気配を読み取れたのに彼女だけはいることさえ全く気が付かなかったからだ。
つまりそういう存在だというのを速やかに受け入れられなかった時点で彼は敗北したのだ。
何故かフランセルと面影を重ねたのもあるだろう。この場所にいる以上何かしらの形で『ハルタカ』に関与しているのは火を見るよりも明らかだった筈なのにおびえた様子の彼女に手を差し伸べてしまう。
そこに彼特有の妙な術に嵌りやすい体質が重なるとダクリバンの時とは比べ物にならない力で意識が一瞬で刈り取られた。
「カズキ、何か面白いものは見つかりました、か?」
執務室をくまなく漁ったショウがこちらに声を掛けてくるも既に自分の意志とは関係なく身体が動き始めている。だが戦闘本能だけは染まることが無かった為、それを使って友人に尋常ではない殺意を浴びせると彼もすぐに異変を察知したのか、距離を置いてこちらの様子を窺ってくれた。
「・・・カズキ?まさかまた・・・?」
『また』と言われるとぐうの音も出ないのだがこればかりは仕方ない。せめて後ほど改善出来る方法を模索しよう。
(・・・帰ったらヴァッツに相談してみるか。)
誰からの干渉も受けないであろう友人を思い出しながら今度はわかりやすく刀を大振りしてショウに自分の状況を伝えると彼は窓から飛び出して地下都市の出入り口に退いていくのだった。
「君はこの世界の人間じゃないね?」
朱色の髪を緩く結いて黒い祭服を身に纏う彼女はタシンという。何でも『ハルタカ』の力を得て今では司祭の位を得ているらしい。
「・・・俺はどうなったんだ?」
「まだどうにもなってないよ。ただ心から『ハルタカ』を崇めれば私達と同じような力を得られるわ。こんな風にね。」
間違いなく斬り伏せなければならない相手を前に平然と会話を交わしているのは洗脳がかなり進んでいるからだろう。タシンがおもむろに右手をタコの足のように変化させた事実にも嫌悪感はなく驚愕と僅かな羨望を覚えるだけだ。
「・・・凄いな。俺の情報ではタトフィっていう教祖しか変身しないって聞いてたんだが。」
「司祭以上は誰でも変身出来るよ。でもタトフィが教祖なんて誰から聞いたの?」
本能だけは彼女を敵と認識していても他が全て掌握されている為カズキは疑いもせずチョビムから聞いた話を伝えると彼女は悍ましい笑顔を浮かべて頷いた。
「ああ。壊滅させた都市に生き残りがいたのね。でも大丈夫、皆『ハルタカ』様の胎内で元気に過ごしているから。」
どうやら触手で飲み込まれた信者達は御神体の中へ取り込まれるらしい。非常に有益な情報なのにクレイス達に伝えられない事が悔やまれるが本能だけだと憤怒するのが精一杯だ。
「それにしても君みたいな強い信者が加わるなんて、やっぱり『ハルタカ』様の御加護は素晴らしいね。」
「・・・ああ。」
これから自分はどうなってしまうのだろう。闘争本能のみで自我を保てていたカズキは人外であるタシンに適当な相槌を打ちつつ、友人達に厄介な仕事を回してしまったと後悔するしかなかった。
クレイス達にも時間が必要なのだろう。
あれからすぐにでも助けに来てくれるのかと期待していたがそんな様子はなく、すっかりカズキを気に入ったタシンが細切れにされた肉塊達を飲み込んだ後大広場を案内してくれた。
「儀式は一日3回、最も信仰心の強い人が『旅立ち』を許されるの。」
「・・・『旅立ち』?」
どうやら触手を持つ司祭以上の人間に飲み込まれる事をそう表現するそうだ。他にも『バフ』ではタトフィが仕切っていただけで教祖という訳ではないらしい。
「・・・教祖っていうのはいるのか?」
「どうだろ?私もいつの間にか信者になって司祭に選ばれたからよく知らないわ。」
洗脳されてはいたが不明瞭な内容に本能で小首を傾げる。御神体と信者を取り持つ人物を誰も知らないというのはどういう事だ?
それから聖典らしき物を受け取ると支配された体はそれをぱらぱらとめくる。
「・・・」
内容は他の宗教と代り映えしないのかと決めつけていたがそうではないようだ。様々な戒律に禁忌を犯した時の処刑方法が事細かに書き記されているだ。
身体が変異したり洗脳したりと邪な部分は多々あるが住民達も皆穏やかな生活の為に教えを忠実に守るよう心掛けているのだろう。
「でも司祭が殺されちゃったから新たに決めなきゃいけないね。どうしよっかな~?」
処分したのは間違いなくカズキなので最悪の結末が脳裏を過るが彼を司祭にという話にならないのは慈悲深いのか相当気に入られているのかどちらだろう。
本能で何とか視線だけを逸らすとタシンもあくどい笑みを浮かべるだけでカズキには3階の一室を住居として宛がってくれた。
「もう『ハルタカ』様の威光に当てられているから心配ないと思うけど無法はやめてよ?儀式の時以外は自由にしてていいから。」
ということはそれまでに司祭格の人間を全員斬り伏せれば解決しないだろうか。
(せめてもうちょっと体が自由に動けば・・・)
何とか思考だけは働くも洗脳は思った以上に強力らしく、邪教徒相手に刀を振るうという訳にはいかないようだ。
「ほら、そういう物騒な気配は出さないの!いい?」
闘争本能だけで自我を繋ぎ止めている為、そこに頼ろうとするとどうしても闘志を爆発させねばならない。
言葉はともかくせめて体の自由だけでも何とか奪い返せないだろうか。ナジュナメジナとはまた違う束縛の中、何か妙案はないものかと思案に暮れているとその好機は友人がもたらしてくれた。
夕刻の儀式に入る前、黒い竜親子を何とか説得したらしいクレイスが周囲を警戒しながら飛んでいたのが見えると部屋から動かなかったカズキも一気に本能を解放する。
傍にタシンがいなかったのも好都合だ。彼に発見してもらえるよう壁を斬り出すとまずは蹴りを入れて地面に落下させた。もしかすると下に邪教徒がいたかもしれないが今は後回しだ。
そこから外に飛び出てクレイスの方に駆け寄っていくのだが感情は闘争一色に塗り固められている為正直接触していいものかどうか悩む部分はある。
(・・・まぁ何とかなるだろ。)
それでも自身の体がタコのようになるのを黙って見過ごす訳にはいかないのだ。
自分の意志で何とか動かせるギリギリの闘志を放ちつつクレイスの真下に到着すると彼は一瞬だけ満面の笑みを浮かべてからすぐに引き締まった表情へと戻していた。
(随分いい顔をするようになったんだな。)
互いが本気で向き合うのは初めてだったがなるほど、ナルサスやナハトールを斬り伏せた実力は確かなものらしい。
まさかこんな身近に自身が戦いたいと思える程の猛者がいるとは考えもしなかったカズキは本来の目的も忘れてつい狂喜と闘志を解放させるがクレイスは冷静だった。
「カズキ、ここは狭いから外に出よう。」
「・・・いいぜ。」
闘争本能と洗脳、自分は今どちらに身体を支配されているのかわからなくなってきたカズキはタシンのようなどす黒い笑みを浮かべると全力で出入口に向かう。
そしてショウや黒い竜親子が待つ地上に飛び出すと先行していたクレイスに向かって斬りかかった。だが彼は空を自由に飛べるのだ。
長剣こそ抜いて構えてはいるものの絶対に剣閃の届かない場所でこちらを見下ろしているのはどうするか思案しているといった所だろう。
そんなちんけな悩みなど吹き飛ばしてやる。
カズキは祖父の刀を使って叔父であるカーチフの鋭い突きを上空に放つとクレイスは慌てて回避行動を取った。
「・・・ほう。これを躱すのか。本当に成長したな。」
「カズキ?!本当に洗脳されてるんだよね?!」
どうやら戦闘狂が戦いたいが為に演じているのではと疑っているらしい。まさか師匠でもある友人を疑うなんて何と情けないと思ったが今のカズキは心が、身体が、感情が洗脳によって全く均衡がとれていないのだ。
故に闘争本能に全てを預けていた姿を見てそう判断したのも仕方がないのかもしれない。
「・・・ああ。戦う事しか出来なくなってるぜ。」
かといって今のカズキは戦う事こそが洗脳から抗う唯一の手段なのだから止める訳にはいかない。決して強くなったクレイスと本気で戦いたい訳ではないのだ。
何とか上空から引きずり下ろしたいカズキは一度刀を納めると無手の状態で高く跳び、速度が乗ったまま家宝の二振りを顕現するとそれを竹とんぼの要領で振り回す。
「うわっ?!」
そのままクレイスの懐まで一気に加速すると後は重い二振りを両手から手放し、再び小太刀を抜いて斬りかかれば距離の問題は解決だ。
洗脳に関する解決策は未だ不明のまま戦いへの探求心はどのような状態でも忘れないカズキに友人も驚愕の面持ちで舌を巻いているようだ。
「・・・とりあえず下に降りろ。」
ばきんっ!!!
全力で叩き落とそうと攻撃を振り下ろすが成長したクレイスも咄嗟の判断で魔術を展開すると直撃は避けたらしい。
飛空の術式で落下速度を殺しながら砂地に足を下ろすとこちらも軽やかに着地して間髪入れずに前へ跳ぶ。
彼もこの世界に来る前の助言を覚えているらしく、再び魔術の剣を4本展開するも派手に振り回さず迎撃に集中しているようだ。
刀が無事ならもう少し苛烈な攻撃を放てたのに。やや物足りない祖父の形見で深く踏み込むカズキはまるで武者修業の頃に戻ったかの錯覚に囚われる。
楽しい。やはり真剣勝負は楽しい。
もはや洗脳の有無などどうでもよく、久しぶりに血沸き肉躍る戦いの心地良さにこそ全てが支配されていくのを感じるのだった。
クレイスも魔力の消費を最小限に抑えつつ最大限の展開を見せるのだからこちらの本能も滾らずにはいられない。
「・・・俺を相手に小細工か。なめやがって。」
だったら是が非でも全力を出させてやる。頭に一刀斎の血が上ったカズキは目を血走らせると獣と化して弟子に襲い掛かった。
武芸百般を叩き込まれているが故にあらゆる攻撃手段を惜しみなく繰り出すとクレイスは防戦一方だ。しかしそんな中でも飛空の術式を上手く使っているのか、こちらの攻撃が彼に当たる事は無い。
ならば今度は有り余る砂を左手で掬うと思い切り投げつける。絶えず砂嵐が吹き荒ぶ中なので効果は薄いかもしれないが一瞬でも視界を奪えれば十分だ。
ところがこの世界の防塵眼鏡はとても優秀らしい。クレイスが正確にこちらの位置を認識していたのでやはり凶刃は空を斬ってしまう。
いや、友人を相手に絶命必死の一閃を浴びせたらどうなるのか。そんな判断すらつかない状態のカズキを彼らはどう見ているのか。どう対処するつもりなのか。
文字通り我を忘れて鬼の剣を振るっているとその瞬間は突如訪れる。
「カズキ君、戻っておいで。」
司祭でもあるタシンがかなり遠くから声をかけただけで身体が金縛りにあったかのように動きを止めたのだから本能は驚愕に塗りつぶされた。
「あ、あの!カズキを元に戻してもらえませんか?!」
しかしクレイスは好機と読んだのだろう。タシンの下まで飛んでいってそう伝えたが彼女は薄暗い笑みを浮かべながら見下すように吐き捨てる。
「元って何?言っておくけどカズキ君は偉大な『ハルタカ』様の御威光に感銘を受けただけだからね?さ、帰ろ?」
そんな感情など微塵も持ち合わせていないと言い放ちたかったが体が言う事を聞いてくれない事実が今の全てなのだ。
静かに刀を仕舞ったカズキは生気を失った様子でタシンに近づくと2人は振り返る事なく地下都市へと戻るのだった。
「彼らはカズキ君の友達?」
「・・・ああ。」
帰路の途中、口が勝手に肯定すると彼女は少し考え込んでから浅く頷いた。
「だったら彼らも勧誘しよう。あれだけ強いんだったら『ハルタカ』様もきっと喜ばれるよ。」
「・・・ああ。」
いや、そこは肯定すべきじゃない。何とか否定し直そうと無理矢理闘志を高めるがその気配を察したタシンが白い眼で睨みつけてくると洗脳された体は一瞬で冷静さを取り戻す。
「・・・・・そういえば勧誘ってどうやるんだ?」
住民達と軽く挨拶を交わすタシンの姿を眺めながらふと洗脳外からの疑問が零れると彼女も珍しく驚いた様子でこちらの顔を覗き込んで来る。
自分は周囲に比べてそういった信仰心が薄い故の素朴な疑問に何故そこまで興味を示したのだろうか。よくわからないままこちらも見つめ返していると彼女はあくどい笑みを浮かべながら口を開いた。
「・・・どんな宗教にも当てはまるんだけど信仰心が薄い、もしくは無い人間こそ心に隙があるの。だからこの世界の住人は軒並み『ハルタカ』の教えを傾聴するわけ。」
その答えには納得しかない。確かにクレイスはイルフォシアとの関係もあるが基本的に『セイラム教』の人間だ。ショウも宗教色は感じないものの上官への忠誠心は凄まじく、そこに付け入る隙はカズキから見ても存在しない。
対して自身はというと何か特定の教えを遵守する訳でも信仰している訳でもない。
祖父から叩き込まれてきた武芸百般こそ信じる全てだと言えなくもないがこれは身体に染みついている為心でどうこうするものではない。
(・・・だったら俺も神様に縋るべきなのか?)
カズキの基本的な行動理念は因果応報なのだ。つまり他責思考をほぼ排除しているので今回初めて信仰という思考に真正面からぶつかったことになる。
今からでも間に合うだろうか?よくわからない宗教について色々思案してみても答えがすぐに見つかる事はなく、あれから友人達が再び現れる事もなかったのでその日の終わりは夕刻の儀式を見せられるという最悪の結末で終えるのだった。
心の隙につけいれられたのだとすればそれは精神の修業不足に他ならない。
翌朝儀式前に目覚めたカズキは友人達に頼るだけでなく今からでも自らの弱点を克服すべきだと決意すると早速室内に一本のろうそくを立てる。
座禅を組み、その炎をじっと見つめる事で精神を研ぎ澄ます方法だが洗脳下でも効果はあるだろうか。
(いやいや。今は何でもやらねぇとな。)
最近の自分は少し慣れ合い過ぎているとは感じていたのだ。その結果が今の状態だと考えるともはや躊躇ったり言い訳している場合ではない。
邪魔が入る前に少しでも何かを得られれば。柔らかすぎる床材の上に何の痛痒も感じないまましばし時を過ごすと自身をこちらに引き込んでしまった少女が断りもなく部屋に入って来て後ろから抱き着いてきた。
「おはよ~。何してるの?」
「・・・修業だ。」
この口は本当に自分の物なのだろうか?何でもかんでもぺらぺらと喋ってしまう醜態に本能で愕然と項垂れていたがタシンは一瞬だけ目を丸くした後嬉しそうに腕を絡ませてくる。
「お~!やっぱりそうなんだ~!そうよね。修業しなきゃあんな動きは出来ないよね!」
こんな事をやった所で昨日のような動きが出来る訳がないのだが修正するのも面倒臭いし、何より今は口を開くとろくな発言が出来ないのだから勘違いさせておこう。
それから早朝の儀式までの間、タシンが一方的に体を押し付けてくるのも気にせず精神統一をしていたのだが洗脳からの解放を考えている時点で効果は薄いのだろう。
全く手ごたえのない朝を迎えたカズキは彼女と一緒に見慣れた携帯食を食べた後、見慣れてしまいそうな儀式に立ち会うのだが今回は少し勝手が違った。
ず・・・ずずず・・・ずろろろろろっ!!
司祭が邪教徒を飲み込んだ後、なんと別の邪教徒を吐き出したのだ。これには洗脳状態でも大いに驚いたカズキは唖然としていたのだが周囲は歓喜の声を上げている。
「神の御子達よ!今日は旅から帰還した同胞との再会を大いに祝おうじゃないか!!」
『旅立ち』とはタコのような存在が人間を食う為の詭弁だと思っていたがそうではないらしい。皆が大いに盛り上がって吐き出された男を祝福するとその日は午後の儀式まで酒盛りが行われる事になった。
「・・・意外だな。てっきり皆捕食されてるものだとばかり思ってた。」
「そうだよ?」
流石に他の邪教徒と慣れ合うつもりがなかったカズキは離れた場所で祝い酒を飲んでいたのだがまた脳裏に過った疑問が簡単に口からこぼれ出てしまう。
そして昨日クレイスと本気で戦ったからか、傍から離れてくれないタシンが軽く答えると洗脳下ながら身体は説明を促していた。
「『旅立ち』は運、かな?『ハルタカ』様の胎内に入って生まれ変わる儀式なんだけど皆が皆生還出来る訳じゃないんだ。」
「・・・運、なのか?」
「多分ね。私も『旅立ち』の記憶は全く無いからそうなんじゃないかなって思ってるだけなんだけどね。」
話を聞いているとそれもある意味試練と呼べるものなのだろう。彼らは彼らなりに神を信じて自身を捧げて、運が絡むのか厚い信仰心の賜物なのか、とにかく生還を達成した時人間という存在を超越出来るという。
「・・・不思議だな。」
「そうよ~?でもそれが神様ってものじゃない?」
超越していても酒には弱いのか、いつもより砕けた様子で口が軽くなっている彼女から可能な限り質問を重ねていくと遂には寄りかかってうたた寝を始めてしまう。
(やれやれ。いくらでも逃げられそうなんだがなぁ・・・)
洗脳下では闘気や殺気を信者達には向けられないようになっており、昨日のように部外者の協力が無いと本能に身を任せるのも難しい。
監視役であろうタシンがこんな状態でも何も出来ない歯痒さと無力さにげんなりしていたが裏を返せばこの逆境を利用しない手はない。
ならば友人に頼らずこの状況を打破してみせようじゃないか。久しぶりに遠慮なく本能を解放出来る喜びに歓喜を覚えたカズキは密かに狂喜を育てていくのだった。
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