闇を統べる者

吉岡我龍

若人の未来 -対を成す-

 クレイス達が執務室から姿を消した時、それを少し離れた場所から見守っていたのがルルーだった。
ただ彼女もヴァッツと『闇を統べる者』の力を言い聞かされていたので多少驚きはしたものの深く考えなかった。

ところが『リングストン』から帰国した時、彼が関与していないと報告があったのだから城内外は一気に慌ただしくなる。

「ヴァッツ様!クレイス様はどちらに赴かれたのでしょう?!」
「ショウ君は?!ショウ君はどこにいったの?!」
「ど、どうしたんだ2人とも?クレイスとショウに何かあったのか?」
居ても立っても居られなかったイルフォシアはルルーと一緒に部屋で休んでいたヴァッツに迫っていくと並んで座っていた時雨やリリーも目を丸くして驚く。
そこに落ち着いた様子のレドラが静かに説明してくれると旅から戻って来た彼女達も大きく頷くが何やらヴァッツの様子がおかしい。

「ヴァッツ。何隠してるの?」

「え?!べべべ、別に隠し事?なんてしてないよぉ?」

破格の存在が取り乱すとこうなるのか。今度はイルフォシアがルルーと並んで目を丸くしているとアルヴィーヌが彼の膝の上に乗り出す姿勢で顔を思い切り近づける。
どうやら睨みを利かせたいようだが姉もあまり感情を露わにしない上に厳しい態度を取った事がないので2人はまるで情事の最中みたいになってしまう。
「・・・まぁヴァッツ様が言いたくないのならいいんじゃないか?ていうか誰かカズキの心配をしてやれよ。」
嘘がつけない様子からイルフォシアもやっと安堵のため息を漏らすが、そうなると何故彼はクレイス達の行方を隠そうとするのかが気になる所だ。
「・・・あの、クレイス様は安全な場所におられるのでしょうか?」

「えっ?!?!そ、そそそ、そうだね?!無茶さえしなければ安全、だと思うよ?!」

「あぁ~!その言い方ですと無茶しそうな場所におられるんですね?!ヴァッツ様!今すぐショウ君達をこの場に戻して下さい!!」

ルルーも同じ心境なのだろう。こちらが遠回しに伝えようとした内容を真っ直ぐにぶつけるとヴァッツは目を泳がせて顔を背けるのだから不安で胸が押しつぶされそうになった。
「ああ!だ、大丈夫!大丈夫だよイルフォシア!何かある前には必ずオレが止めに入るから!!」
すると相手の気持ちを機敏に読み取る彼はこちらを安心させようとつい情報を漏らしてしまう。お蔭で全てを知っているという確信と安心を得られた。
「ヴァッツ様、皆が心配しておりますのでよろしければ御三方がどこにいるのか、支障の出ない範囲で私達に教えて頂く事は出来ませんか?」
最後は時雨の懇願にも似た言葉を聞き入れると腕を組んで苦悩の表情を浮かべた後、ゆっくり唇を開く。
「・・・えっとね。クレイス達は別世界にいるんだよ。で、そこにいる黒い竜や変な人を自分の力で倒したいって言ってるからオレも知らないふりをしてるの。」
「・・・・・それは・・・世界の均衡が崩れている話に繋がるのでしょうか?」
考えてみれば別世界の異邦人が来るという事はその逆も大いにあり得るのだ。ヴァッツの答えに更なる質問を重ねるがここで彼らしからぬ真剣な表情を作ると静かに立ち上がる。そして露台に続く大窓の前で静かに尋ね始めた。



「・・・君だね?オレの世界に干渉してるのは。目的は何?」



「「「「「「???」」」」」」
彼には一体何が見えているのだろう。他の面々は狐につままれたような表情を浮かべていたがどうやら自分達には姿だけでなく声も聞こえなかったらしい。



「・・・オレはオレのままだよ。だからもしこれ以上おかしな事をするのなら・・・君を滅ぼすかもしれない。全力でね。」



言葉にはいつも通りの優しさを感じるものの彼が全力で誰かを滅ぼすという内容は決して聞き流せるものではない。
「ヴァッツ。誰と話してるの?」
呼吸を、心臓を止められたかのような圧迫感を物ともせずアルヴィーヌが口を挟むとヴァッツの雰囲気も普段のものに戻る。
「・・・誰だろうね?」
彼は隠し事が苦手だというのは先程よく理解出来た。なのでさりげなく答えた内容に嘘偽りは全く存在しないのだろう。
破格ですらわからない相手の正体などイルフォシア達に感じ取れる筈も無く、以降は誰も触れなかったが気まずい空気を払拭したくてクレイスについて再び尋ね始めると彼はまた目を泳がせて言葉を詰まらせるのだった。





 元の世界でそのような出来事があった日、クレイス達はチョビムに言われてこちらの世界の衣装に身を通していた。
「こ、これで悪目立ちすることはないとお、思うよ。」
それは見たことが無い素材の上下で色も暗いものだったが郷に入っては郷に従えという。下手に敵対心を煽るよりはと我慢したのだが審美眼の違いだろうか。
出来ればもう少し正装というか礼服っぽいものを用意してもらいたかったが荒廃した世界では見た目より機能性が重視されるらしい。
「割と動きやすいな。それに生地も丈夫だし悪くねぇ。」
「・・・まぁ、慣れれば気になりません、よね。」
カズキだけはご機嫌な様子にショウとクレイスは苦笑を浮かべるしかない。とにかく着替えとこちらの世界の武器をいくつか用意してもらった3人は早速地下都市の出入り口で巨大水球を展開するとまずは北東にある国へと向かう。

「は、はぇぇ~~~・・・魔術、だっけ?!す、凄いね?!こ、これは科学で何とかなる範疇じゃないなぁ!」

初めて空を飛ぶチョビムは砂嵐だけの景色でも感極まる様子だったが3人も石板の能力に首ったけだ。
「お~すげぇなこれ?!視界の良し悪し関係ねぇじゃねぇか!」
迷う事もなく黒い竜にも遭遇しなかった為1時間程で新たな地下都市に辿り着くと一行は見慣れた通路に入っていく。願わくば治安が維持された都市、もしくはタトフィがいない都市が好ましい。
(・・・いや、倒すべき相手なんだからいてもらった方がいいのかな?)
一先ず不意を突かれないよう水盾を展開しながら開けた場所に抜けるとそこはまた違った雰囲気が漂っている。
まずはその規模だ。天井まで届く城壁は視界を完全に遮っており圧迫感と閉塞感が凄い。点在している狙撃用の窓から銃身が覗いている所も強固な要塞といった印象だ。

「珍しいな。まさか地上からの来客とは。」

状況的には初めて足を踏み入れた時に似ていたがやはり規模が違う。城壁からは数十の人間が銃口を向けており、目の前に現れた人物も10名ほど兵士を率いている。
「ど、どどど、どうしよう?滅茶苦茶警戒されてる、よ?」
「まぁ地上があんな状態だからね。初めまして、僕は『バフ』からやってきましたクレイスと言います。地上にいる黒い竜について教えて頂きたくて来訪させて頂きました。」
折角野暮ったい衣装に身を包んでいるのにこれでは意味を成していない。やや落胆している様子のショウを尻目にまずは名乗りを上げると『ソリエド』の人々も顔を見合わせてから静かに答えてくれた。
「俺はディファー。この都市の入管を任されている。しかしお前達、色々突っ込み所満載だな。」
チョビムは怖気づいていたがディファーの対応はかなり柔らかい。これは先にマークスと遭遇していたからそう感じたのだろう。
拘束などをされる気配もなく、短い金髪を持つ無骨な中年は頑強な城壁の中へ案内すると入ってすぐの部屋に通して四角い長机を囲むように座った。

「ふむふむ。ショウにカズキにチョビムね。で、何でまた危険を冒して地上を渡って来たんだ?『バフ』ではもう食料が尽きたとか、そんな話か?」

「いえ、僕達は黒い竜を本気で討伐したくて情報を集めているんです。」
そこでクレイスは一度は倒したものの姿が消えてしまった事、海上に誘い込んだ時も同じ現象が起きた事などを説明するとディファーは目を丸くしながらも興味深そうに深く頷いた。
「ほっほ~う?あらゆる兵器を無効化したアレをねぇ・・・冗談にしちゃ笑えないな?」
「ほんとだっつーの。」
魔術を持たず個の力が弱いこの世界の人間には信じられないらしい。カズキやクレイスの説明ではいまいち納得しないディファーだったがそれはそれで問題ないと判断したのだろう。

「私達の話はさておきディファー様、黒い竜の情報でしたらどんなものでも構いません。教えて頂く事は出来ませんでしょうか?」

ショウがこちらの要望をしっかり伝えると彼は少し考え込んで4人を見渡した後、いくつかの条件を提示してくるのだった。





 「俺からの提案は1つ。この都市にいる反乱分子の鎮圧を手伝って欲しい。」

意外な内容に皆が顔を見合わせるとディファーは話を続ける。
「実は都市の北部、ここから最も遠い場所に革命派と呼ばれる連中が徒党を組んで俺達に襲い掛かってきているんだ。もしお前達が黒い竜を討伐出来る程の力を持っているならこれくらい余裕だろ?」
世界が崩壊するというのはこういう事なのか。今は助け合って生き延びるべきだと、未来に向けて手を取り合うべきだというのは空想に過ぎない。
それをいち早く理解したショウが詳しい事情を尋ねるとディファーも何でもすらすらと答えてくれた。
「規模は約5000人、対して俺達は8000人だ。一応数の有利はあるんだが出来れば国民同士の犠牲を最小限に抑えたい。どうだ?」
「つまり説得が上策だという事ですね。」
「ああ。だがあいつらは自分達だけが生き残ろうとしている。正直殺し合うしか道が無いので手に余っていたんだ。了承してもらえるのならそのまま都市長のとこまで案内するよ。そこで黒い竜の事も尋ねてみるといい。」
彼の話だと革命派は絶望的な現状に悲観しているのか理性を失っているのか。文字通り手に負えない状態のようだ。
ならば部外者である自分達に白羽の矢が立つのも理解は出来る。何なら話し合いで解決出来る糸口さえ見つかるかもしれない。

「んじゃ決まりだな。」

チョビムは終始おどおどしているだけだったがカズキが快諾するとディファーも笑みを浮かべて頷いた。それから4人は都市内にある一番大きな建物に入っていく。
「すげぇな。こんな馬鹿でかい建物を地下に建造出来るのか。流石別世界だ。」
「別世界?」
「『バフ』とは別世界のようです。世界一の先進国『ソリエド』は全てにおいて規模が段違いですね。」
野暮ったい衣装に身を包んでいるのをいつまでも引きずっているショウからすればここで自分達の正体を明かすのは色んな意味で納得が行かないらしい。
事前情報を元にさらりと話を軌道修正したのでディファーも特に怪しむ様子を見せずに階段をいくつか上る。そして薄暗い中でもわかる立派な扉を叩いて中に入るとそこにはスラヴォフィル程もある大柄な男と自分より小柄な初老の男が机に座ってこちらを見つめて来ていた。

「ようこそ『ソリエド』へ。ふむ、報告通りの若い少年と青年だな。」

やはりこの世界で15歳というのは少年扱いなのか。成人している自覚がある為余計に立ち位置を見失いそうになるがここも下手に訂正すると出自が漏れかねない。
「初めまして。僕はクレイスと申します。早速ですが黒い竜の情報について何かご存じありませんか?」
なので最低限のやり取りから始めると都市長は席を立って4人を来賓用の長卓に促す。それから自身も脚の低い椅子に腰を下ろすと再び話し合いが始まった。
「私はレインスだ。護衛の彼はスーイ。しかしお若いの、黒い竜の情報を聞いてどうするつもりだ?」
「はい。僕はあれを討伐する為に各国を渡り歩いています。些細な事でも結構ですので何か知っている事があれば是非教えて貰いたいと考えています。」
「ほほう。若さゆえか、面白い少年だな。」
ここでもまた軽くあしらわれそうだ。半ば諦め気味に作り笑顔を返したのだがレインスはチョビムが貸与してくれたような石板を手に取ると指でなぞりだした。

「・・・あれには様々な兵器をぶつけたが効果は無いのは良く知られているだろうから、そうだな・・・個体数が複数確認されているのと一体だけ山よりも大きな存在が確認されている。これは役に立ちそうかな?」

「えっ?!」
「ほう?」
やっと有力な手掛かりを得たクレイスは思わず喜色の声を上げるとレインスも嬉しそうな笑みを零す。
「はっはっは。まさかそこまで喜んでもらえるとは光栄だ。さて、他にも情報はあるのだが後は取引後にしようじゃないか。どうだね?」
彼は革命派の鎮圧を言っているのだろう。であれば断る道理はない。今すぐにでも北に赴いて彼らを無力化すべきだ。
「わかりました。ところでその方法は私達のやり方に任せて頂いてもよろしいでしょうか?」
「うん?その話しぶりだとまるで4人だけで赴くように聞こえるが?」
クレイスもてっきりそうだと思っていたのだがこれもまたこの世界との乖離だったようだ。どうやら制圧軍の一部として参加して欲しいという話らしい。

「流石に君達のような未来ある少年に無駄死にを強いたりはしない。むしろ黒い竜に立ち向かおうとするその勇気を気に入ったのだ。出来れば怪我も負わずに帰ってきて欲しい。いいね?」

最初は少し警戒していたが彼らからの対応を受けるとすっかり気を許していたクレイスは自信をもって頷いたがチョビムを除いた友人2人だけは表面上こそ友好的な姿勢を見せるものの心の奥底では警戒を怠らないでいた。





 「作戦はどんな感じですか?」
100人程の規模で編成された部隊に配属されたクレイス達は移動の最中尋ねてみると隊長であるディファーが分かりやすく説明してくれる。
「重要なのは革命派の人間を拘束して素早く退却する事だ。そこは俺達が担うからクレイス達は迫り来る敵に威嚇射撃してくれればいいよ。」
つまり護衛みたいなものか。未だ銃を撃ったことがないクレイスはこっそりカズキにその方法を教えて貰っていると妙な臭いが鼻腔をついてくる。
周囲に高い建物が多い為視認出来なかったがどうやら近くで何がか燃えているらしい。警戒を高めて慎重に行動していくとディファーが待機命令を下したのでクレイスも建物の中に身を潜める。
それから遠望鏡らしきもので相手の数や位置を確認して情報を集めた後、いよいよ作戦が始まった。

「都市長も気に入っているからな。クレイス達は決して無茶をしないでくれよ?」

自分達は極力身の危険が及ばないよう配慮されているらしい。個人的には自身の成長の為苛烈な環境に身を置きたいところだが今回は温情に甘えよう。
「任せて下さい。」
他の3人と同じように扱われてしまったチョビムは真っ青な顔色で困惑していたが認めてもらう為にもここはしっかり動かねばならない。
初めて構える銃に長剣とは違う重さと冷たさを感じながらその時を待っているとクレイスは単純な疑問が頭を過った。
「・・・そういえば敵って見ただけでわかるのかな?」
「む。言われてみればそうだな・・・この世界同じような格好の奴ばっかりだし。まぁ追って来る奴を撃てばいいんじゃないか?」
「カズキ、彼らは敵対していても同胞なのですから言われた通り威嚇射撃に留めておいた方がいいですよ。」
革命派の人間を拘束、拉致するもの自陣で情報を聞き出すだけでなく説得する為だろう。でなければわざわざこんな危険を冒す必要はない筈だ。

いくつかの銃声が聞こえてから暫くすると友軍らしき部隊が人を抱えるような格好で走って来る。どうやら作戦は順調に進んでいるらしい。

「・・・近づいてきてるな。そろそろ発砲しとくか。」
カズキの軽い呟きに視線を凝らすと建物の窓から銃身を伸ばして撃って来ているのが見えた。クレイスは早速当たらないようその淵に目掛けて引き金を引くと弓矢とは違う反動と音に少し驚く。
しかも弾速が思っていた以上に速いのだ。これを撃たれたら最速で対応しても間に合わないかもしれないと考えながら退却を援護していると殿を務めていたディファーがこちらにも合図を送って来る。
「よし。それじゃ僕達も帰ろうか。」
彼らも手馴れているせいか作戦は思った以上に短時間で終わるとクレイス達も後を追う準備を始める。これをあと何回繰り返すのかはわからないがとりあえずこれで新たな情報を得られるだろう。

「よしよし!よくやってくれた!十分な活躍だったぞ!」

それにしても大した働きではないのに随分と評価されるのは少しむず痒い。最初は3人で敵陣に乗り込み無力化を命じられるのだとばかり思っていたので肩透かしを食らった感じか。
それでもディファーが満足そうだったのでこちらからは言及せずに笑顔を返すと4人は再び都市長の下へ案内される。
「無事だったようだな。しかも的確に援護をこなしたそうじゃないか。私の目に狂いはなかったようで安心したよ。」
「はい。ディファーさんにも気をかけてもらったお蔭で何とかこなす事が出来ました。」

「うむうむ。では黒い竜の情報だがやつらは探知出来ん。奴を見つけ出すには地上での目視が必須なのだがその中でも山のような黒い竜は出現位置が凡そ範囲が決まっているぞ。この辺りだ。」

探知という聞きなれない言葉に困惑の表情を浮かべかけたが出現範囲を絞れるのはかなり大きな収穫だ。石板に記された地図を覗き込むと地理はともかく東の方だという事もわかった。
ならば次はこの周辺を探索すべきか。レインスにもその旨を伝えようとしたが彼らにも1つ気掛かりな点があるらしく、話はそのまま本題へと入る。

「ところで君達はどうやって黒い竜を討伐するつもりだ?その辺りを詳しく教えてもらえないか?」





 この質問に限らずショウは素性を極力隠す為に様々な策を巡らせていた。
何故なら自分達から見て科学というのは不可思議で非常に興味をそそられるのだからその逆も然りだと考えたからだ。
「チョビムさん、この先私達の存在、特に魔術の知識は出来るだけ隠し通して下さい。余計な争いに巻き込まれたくないので。」
『バフ』を旅立つ前、最初の問題である黒い竜の討伐方法が話し合われた。何でもこの世界の兵器ではあれを倒す事が出来ないらしい。
ところがクレイスとカズキは力を合わせて成し遂げたのだ。その後姿が消えてしまったで断言はし辛いが少なくとも手ごたえは十分あった。

「ではこの先もし黒い竜の討伐方法について尋ねられた場合、こうしましょう。」



そして今、あの時の話し合いが思い返される中まずはショウがいつも通りに見事な演技で説明を始める。
「レインス様、実は黒い竜が現れたのとほぼ同時期に私達の前にはこれが落ちてきたのです。」
物語の概要はこうだ。
まずクレイスの持つ長剣が天から落ちてきて岩に突き刺さる。そしてそれは選ばれし者にしか抜けない、という流れだ。
非情にありきたりで嘘みたいな話だが自分達の世界にもこの世界にもそのような逸話が残っている。であればそれを利用すべきだとショウは考えたらしい。
彼がそう切り出すとクレイスも隠すように持ち歩いていた何の変哲もない普通の長剣を長机の前に置く。当然レインスやスーイ、少し離れた場所からディファーも興味深そうに覗き込むが彼らの反応は訝し気だ。
「・・・ただの古びた長剣、にしか見えないが本当にそんな凄いものなのかね?」
「では手に取って確かめて御覧になってください。」
彼らも黒い竜によって世界が滅んでいる為、真偽の判断が難しいと悟ったのだろう。言われるがまま長剣を手にして、抜いて、触って匂いまで嗅ぐが何も起こらない。
「そう、私達が触ってもこれはただの長剣です。が、クレイス、お願いします。」
「う、うん。」

これが合図だ。クレイスは自分の長剣を握りながら演出を考えて少し派手に魔術を展開させると鞘から抜いた瞬間、刀身に流れるような水が顕現するのだから誰もが言葉を失った。

「これはクレイスにしか扱えない天の剣です。これで一度は黒い竜を討ち滅ぼしたのですが死体は跡形もなく消えてしまいました。なのでレインス様から頂いた山のような黒い竜の情報、それを討伐すれば今度こそ地上に平和が戻るかもしれないと考えております。」
「ほほう?!しかし不思議だ・・・触ってみてもいいかね?」
「え?!あ、はい。どうぞ。敵対するものにしか力は発動しませんから。」
魔術を知らないので仕方がないのかもしれないがこれに触れたがるとは物好きが過ぎる。クレイスも魔術の力を目一杯抜くと彼らは不思議そうに指で触った後舐めたりもしていたがこれは水の形をしているだけで水ではないのだ。
「・・・不可思議だ。水、のようだが水ではないのか。」
「はい。あくまで水の形をした力の塊です。」
「・・・これが選ばれし者の力なのか・・・」
今まで一切言葉を発しなかったスーイも驚愕の声を漏らしていたので演技は大成功とみて間違いない。
「・・・ではクレイス君達はそのまま東へ向かうのかね?」
「そうですね。出来れば早くあれを倒してしまいたいと思っています。この世界の為にも。」
剣を鞘に収めながら告げるとレインス達も顔を見合わせて頷いている。思っていた以上の期待を抱かせてしまったようだがこちらも絶対に倒すと心に誓っているのだから問題はないだろう。

「初めて見た時から変わった雰囲気を漂わせていると思ったがそうかそうか。であれば私達も英雄の為に全力で協力しなくてはならないな!」

それからレインスは携帯食が沢山入った鞄や旅の道具を用意してくれたのだが移動方法だけは誤魔化しようがなかったので、空を飛べる旨を伝えると彼らはまた言葉を失って顔を見合わせていた。





 時計というのは毎日必ず誤差が生じるという認識だったがこの世界では違うらしい。
地上が砂嵐で覆われており地下都市での生活を余儀なくされている生き残った人々はそれを基準に昼夜を判別して暮らしているそうだ。
「今日はもう日が暮れる。出立するのなら明日にするが良い。」
今まで体内時計に従って行動してきたので時間を告げられると納得せざるを得ない。何から何まで親切にして頂いている御礼を告げると4人は個室に案内してもらったのだがこれがまずかった。
この世界に来てまだ一週間も過ぎておらず、多少知識を得たものの見慣れない家具やその用途についてはほぼわからない。
なのでチョビムにそれらを説明してもらう事で多少は落ち着けるかと思ったのだが地下都市というのは既に崩壊しているのだ。

ぴんぽん

聞きなれない音が室内に鳴り響くと慌てて飛び起きたクレイスは警戒するが壁の小窓に何か少女らしき人物が映っている。
「あの、扉を開けて下さい。」
通話装置と教わっていたが見知らぬ来客までは予期していなかった。一先ずクレイスは言われるがまま玄関の扉を開けると少女はするりと室内に身を滑り込ませて寝具の上に腰を下ろす。
「夜伽に参りました。」
ここまで一方的な彼女の言動に目を白黒させていたが恐らくこれもレインスかその周りの人間が気を利かせてくれたのだろう。
自身の国、世界にもある共通の風習に触れる事で少し安堵したがクレイスはイルフォシア以外を抱くつもりはない。

「えっと、折角だけど遠慮しておくよ。僕には心に決めた人がいるから。」

他の部屋にもそういう少女が送られているのか、それとも天の剣を引き抜いたと担がれているから歓待を受けているのか。
未だ自身の立ち位置がよくわからないまま断ると今度は少女が目を大きく見開いて驚いている。ただそれも一瞬だ。次の瞬間には素早く正座して頭を床にこすりつけていた。
「・・・クレイス様が不快になられるような言動は深く謝罪致しますのでどうか一晩だけ、私を使ってください。」
「えぇ?!い、いや、だからね?僕はイルフォシア以外と肌を重ねるつもりはないんだよ?」
文字通りの低頭平身を初めて見たクレイスは慌てて顔を上げるよう懇願していたが普通に考えると立場が逆な気もする。
彼女がやや震えていたのも気になって最終的には肩と膝の隙間に無理矢理腕を回して抱き上げるとやっと恐怖からは解放されたようだ。
「だから君は悪くないよ。今夜帰れないのならこの部屋でゆっくり眠って行けばいいし、ね?」

「・・・お優しいのですね。しかしこの部屋は監視されていますし何よりレインス様から絶対に子種を搾り取るよう命じられていまして。」

「・・・へ?」
監視と搾り取るという言葉に一瞬眩暈を覚えたがこれはショウがクレイスを持ち上げ過ぎた部分にも原因がある。というか周囲に人の気配はないはずだがどこから監視されているのだ?
カズキ程ではないにしても部屋の中にいるであろう侵入者の気配くらいは読み取りたいが静かに風の魔術を走らせてみてもそれらしき者はいなかった。
「・・・そんな人いないよ?」
「人?あの、私が言っているのは監視映写、光学機器の事ですが・・・」
「あ、ああ!そ、それね!後学・・・危機ね!」
何の事だかさっぱりわからないクレイスは苦し紛れに知ったかぶりをしてみたものの監視の目は誤魔化せていないらしい。ならばせめて一緒に寝具に入るよう提案すべきかとも考えたが男の、特に多感な年頃の少年にはやや荷が重い。
「・・・その、監視って全部?」
「はい。この小声も全て拾われているかもしれません。」
寝具に並んで耳打ちしながら会話を続けていても盗聴されるとなればとんでもない世界だ。僅かな違和感と悍ましさに今度はこちらが少しの鳥肌を立てるが夜明けはまだまだ遠い。

「・・・と、とりあえず横になろう、か。」

余裕がなくなってつい昔のような自分の喋り方が出ると少女も完全に気心を許したのだろう。一瞬目を丸くしてから微笑むとこちらの首に腕を巻き付けて唇を重ねるのだった。





 彼女が震えて許しを請うたのには崩壊した世界の地下に渦巻く欲望が関係している。
「・・・私はどちらかと言えば革命派寄りの、いえ、逃避の為に考えるのを放棄した人間でした。それがある日突然攫わて・・・それからは毎日このような扱いを受けているんです。」
声が漏れていようが関係ない。2人が頭まで布団をかぶると真っ暗な中で『ソリエド』の情勢が語られ始める。

革命派と保守派。

これらを説明するには様々な要因や思考が絡んでくるのだが異性間については対極の思想を持っているらしい。
つまり革命派は地上で暮らしていた時と同じよう自由に接する事、保守派は保全の為にそれらを管理する事だ。
既に地上が崩壊して2年の月日が経っているのだから後世や人類の未来を考えると善悪などという単純な思考で判断出来る訳もない。
ただ彼女の手の甲には管理番号が刻まれているという。これは革命派の人間である前歴をしっかり認識する為なのだそうだ。

「確かに革命派の街では強姦という事件はあります。しかし保守派の地でも常に管理されながら誰かの処理を強いられてきました。この差は何でしょうか?」

「・・・・・」
これを断れば食事を与えられず、処罰として責め苦を受けるらしい。今では彼女も働くという思考で毎日を過ごしているそうだが本来の営みは決して他人に強要されるものではない筈だ。
しかしそんな綺麗事を言っていられないのが滅亡した世界の定めなのだろう。
人間も生き物なのだ。本能から繁栄を願い、その為に子を設ける行動は遺伝子に刻み込まれている。
そこに半端な知識と文明が重なり合うと『ソリエド』のような対立や支配構造が形成されるのも仕方のない事なのかもしれない。
「・・・早く、黒い竜を倒さないとね。」
いつの間にか自分の胸に彼女を抱き寄せていたのは好意や同情ではなく、自分の決意をより強固なものへと昇華させる為だ。
「・・・あまり無理をなさらないで下さい。クレイス様のようなお優しい方が散ってしまわれると私も今度こそ・・・」

明日は早朝から出立しよう。出来ればもう誰とも顔を合わせたくないと考えていたクレイスはぬくもりを抱きしめたまま眠りにつこうとしたのだがこの日は『ソリエド』にとっても分水嶺だったらしい。

どどどんっ!!!

建物が激しく揺れる程の爆音が鳴り響くと2人は飛び起きて窓際から外を覗いた。すると激しい大火と闇のような煙が地下都市一帯を包み込み始めているではないか。



「何だ何だ?!何か面白そうな事が始まったぞ?!」

カズキが大きな声で外に出ると横並びの扉から次にクレイス、ショウ、チョビムが姿を見せる。
「も、もしかして革命派の軍勢が夜襲を仕掛けてきたのかもしれません。彼らは女子供を尽く攫われていましたから。」
昼間の拉致作戦が脳裏を過ると堪らず自己嫌悪に苛まれた。知らなかったとはいえまさかそんな事の片棒を担いでいたとは。
「・・・君は革命派の拠点に戻りたい?」
「・・・私には私の望みがわかりません。」

「だったら僕が取り戻すよ。この世界と君の心に希望を。」

これ以上彼女の傷に触れる必要はない。クレイスは明るく宣言すると着慣れた衣装に袖を通して窓硝子を土塊で叩き割る。
ショウがやや唖然としていたようだが『ソリエド』でやる事は決まったのだ。彼は外に飛び出すと紛争が起きている場所を確認する。それから一気に魔術を展開して兵士達全員の手足を土塊で包み込んで見せた。





 この世界の知識や道具は想像がつかないものばかりだが1つだけ揺るぎない事実があった。それは何をするにしてもやはり人間の手で行われるという事だ。

こればかりは文明の根本が違えども不変らしい。そう考えていたクレイスは無傷で無力化すると戦場では武器を掴めない驚愕から皆が右往左往している。
「『ソリエド』の皆さん!すみませんが全員を無力化しました!死んだりするものではないので落ち着いてください!!」
混乱を治めるというのは難しいがクレイスも王族であり戦場で働いてきた経験もある。その時の記憶から大きくも透き通る声で宣言すると何人かが中空に浮かんだ彼の姿を見て固まった。
それがみるみる伝播していくと混乱が畏怖に上書きされたのだろう。使う予定のない長剣に水の魔術も施してこれ見よがしに振るうと効果てきめんだったようだ。

「僕は別世界から来ました、『アデルハイド』の王子クレイス=アデルハイドと申します。『ソリエド』の無駄な内戦が見るに堪えなかったので仲裁させて頂きます。」

地下都市の暗い空間で白を基調とした衣装もよく映える。皆が唖然とする中、その中央に降り立つと嬉しそうなカズキや苦虫を嚙み潰したようなショウも近くにやって来た。
「クレイス君、これは一体どういう事かね?」
当然保守派の長であるレインスもスーイを連れて現れるが素性を明かしたクレイスに後ろめたさはほとんど無い。
「はい。世界は違いますが次期国王として『ソリエド』の内紛を見過ごせなかったので介入させて頂きました。」
一応魔術の事だけは伏せて話したのは辛うじてショウの筋書きを残せる可能性を考慮したからだが読み取ってくれるだろうか。
「攻め入って来たのは革命派だ。私にはそれを退ける義務がある。今すぐこのふざけた土塊を解除してくれないか?」
「いいえ、保守派の方々が革命派の人間を拉致している件を考えると彼らの怒りも当然です。ここは一度話し合いの場を設けるべきです。」
その発言を聞いた革命派の兵士達が頷き合っている事からも少女の話がかなり信憑性が高いものだと理解出来る。
「・・・しかし奴らは己の事しか考えていない。そんな人間と話し合いなど成立するとは思えんな。」

「でしたら僕が直接確かめてきます。行こう。」

友人達にそう告げたクレイスはチョビムと自身の部屋にいた少女を遠距離から巨大水球で拾い上げて自身の隣に下ろす。
それから過激派の隊長らしき人物を紹介してもらうと彼らは北の集落へ向かって歩き出すのだった。



「ク、クレイスって一番大人しいと思ってたのに・・・い、一番過激だね?」
「まぁ王族だからこんなもんだろ。」
念の為ある程度離れてから魔術を収束させると過激派と呼ばれる人々も不思議そうに自分の手をまじまじと眺めている。
「・・・一応は助けてもらった形になるのか?俺はラディ、過激派・・・ってのは奴らが勝手にそう言ってるだけなんだが今回指揮を任された隊長だ。」
こちらはディファーと違い黒い髪の野性味溢れる男だ。顔にいくつかの傷もある事からこの世界では相当な猛者なのだろう。
「え?では貴方達の派閥は何というんですか?」
「穏健派だ。」
侵攻をしてきた者の言葉とは思えないが彼は至って真面目にそう答えた。これこそ主観の相違から来る真逆の価値観なのだと素直に納得して頷くと隊長は目を丸くしてからやや柔和な態度に変わる。
「お前は別世界からやって来たと言っていたな?その辺りを皆にも納得が行くように説明は出来るか?」
「はい。ただ僕達もよくわかっていない部分が多すぎるので憶測混じりにはなりますが・・・」
彼らも突然合流したクレイス達への不信感は大いに抱いていたのだろう。それを少しでも取り除きたくて自分達の世界にやってきた存在の話から始めると兵士達は不思議そうな表情を浮かべはしたものの、茶化すような者はいなかった。





 穏健派と保守派が合わせて1万人以上住む地下の大都市は移動だけでも大変だ。

彼らの集落に辿り着く頃には深夜を回っていたのだがこちらも都市長と呼ぶべきか、マータデンというラディ程ではないが割としっかりした体躯を持つ中年男性が出迎えてくれる。
「クレイスだったか。報告によると別世界の王子らしいが・・・随分余計な事をしてくれたものだ。」
だが攫われた女子供を取り戻すために挙兵したにも拘わらず得られたのはクレイスに宛がわれた少女だけだ。
そう考えると彼の言い分も尤もなのだが最近は王子として、次期国王として認めてくれているショウがやや過保護気味に食いついてしまう。
「では我々はレインス様の下で力を振るうべきでしたか?そうなると貴方達の全滅は免れませんでしたよ?」
「はっ?!口だけは一丁前だな?!」
これにはチョビムがまたも驚愕して身を縮こませる。まさか自分より年下の少年達が崩壊した世界で権力を生み出した大人達に次々と無遠慮な言動を放つなどと夢にも思わなかったのだろう。
「まぁまぁ抑えて抑えて。彼らは俺達の話が聞きたいってわざわざ同行してくれたんだ。それにクレイスは別世界の王子らしいぞ?」
道中時間が余っていたのでクレイス達は自分の国や世界の話をかなり語っていたのでラディは信じてくれているのか面白がってくれているのか。マーダテンを軽い様子で諫めると彼も不機嫌そうに顔を背けるが嫌味は鳴りを潜める。

「・・・黒い竜が別世界から現れたという説もあるからな。よし、今日はわしが納得するまで洗いざらい情報を聞き出してやる。」

世界中の国家機関を通して黒い竜の情報は共有されているようだがそれを鵜吞みにしない人物もいるらしい。
マータデンが鋭い眼光を向けてくると3人も顔を見合わせながら静かに頷く。それから無骨な長机のある部屋に通されると一同は今夜の襲撃も含めて話し合いを始めた。
「穏健派の皆さんは保守派の方々と和解を考えたりされていますか?」
「あいつらから一方的に同胞を拉致され続けている。しかも扱いは奴隷にも等しいのだ。そんな奴らと和解が成立すると思うか?」
黒い竜の件も大切だがまずは『ソリエド』の状況を何とか良い方向に持っていけないか、その一心からいきなり核心に迫る質問を投げかけると彼はまるでガゼルのような仏頂面で拒絶を示す。
「ですがこちらもかなり治安が乱れているというお話を聞いています。保守派の施策も苛烈に思いますが無法を放置するのもいかがなものかと。」
「わしは地下で生活しなければならない心労に最も重きを置いている。皆が疲弊しているのだからせめて目の届く範囲では地上にいた頃と同じような生活基盤を作りたいのだ。それに多少の犯罪は想定内だ。罪人には相応の懲罰も課しているからな。」
聞けばこちらの集落では家庭を持つ事こそ推進しているものの他に住人を縛る様な法は制定していないらしい。対して保守派の方は軍事色が強かったので皆が規則正しい生活を強いられるのだそうだ。

「いつかは地上に戻れる時が来る。その為に備えておくべきは健やかな精神であって全てを管理下に置く規律ではない。これがわしらの思想だ。では黒い竜について話を進めるぞ。」

どちらが正しいとかではない。どちらも現在と未来に向けて違う道を同じ方向に歩んでいるだけなのだ。
マータデンが自信満々に断言した姿を見て更に黒い竜を討伐せねばならない理由を己の中に重ねたクレイスは同時に指導者として彼の姿を脳裏に刻む。
それからレインスに教えて貰った情報に自分達の経験談を話すとここだけは頑固な部分が足を引っ張っているのか。説明の合間合間に否定的な意見を挟んでくるのでカズキが白い眼で睨みを利かせ始める。
「クレイス、マーダテンは年の割には頑固なんだ。良かったら手足が土塊で包まれるやつを彼にもかけてやってくれ。」
最後には仲間であるラディにまでそんな事を言われるとクレイスも若干呆れはするものの彼が鏡に映る自身のようにも思えてしまう。

「・・・まぁ頑固なのは悪い事ではない、と思います。我儘の域を越えなければ・・・」

歯切れの悪い言葉で無理矢理話題を切り替えたのを友人達も察したのだろう。こちらを見透かすような薄笑いを浮かべてきたので堪らず視線を逸らしたクレイスは黒い竜について情報のすり合わせを進めるのだった。





 こんな事ならもっと保守派の集落を探索しておくべきだった。
この世界に迷い込んで初めての都市らしい都市『ソリエド』に辿り着いたにも拘らず最初から小競り合いに首を突っ込んでしまったのは大きな失策だろう。
彼らがどんな生活基盤を築いていたのか、穏健派とどう違うのかを比べるのは難しい。それでも一眠りしてから地下都市を歩いてみると確かに気性が荒い人間が多い気はする。
マーダテンも言っていたが規律でがちがちに管理するよりも心に余裕を持たせて統治しているからこのようになるのかもしれない。
だがクレイスが何よりも気になったのは自動車だ。以前は動いていたという乗り物がそこかしこに放置してある光景に心を躍らせていると案内役のラディもその視線に気が付いたのか、それらについて説明をしてくれる。

「自動車は便利な移動手段だったんだけどな。今では充電する余力もないから飾りみたいになってるんだよ。」

それはチョビムから預かっている石板と同じように電力とやらを消費して機能を発揮するものらしいが消費量が段違いなのだそうだ。
「・・・・・黒い竜を倒せば動かせるようになりますか?」
「む、そうだな・・・地上に何か施設が残っていれば復旧次第って感じかな?」
金属で出来た車体に弾力のある車輪、そして馬車とは全く違う全身を覆う形は初めて見るのにクレイスの心を掴んで離さない。
黒い竜を倒したら是が非でも乗ってみたいものだ。未だ少年の心を強く持つ彼は決意を重ねると改めてここが別次元の世界であり、そこに足を踏み入れたのだと実感するのだった。







クレイス達が集落を自由に探索している頃、用事があると穏健派の都庁に戻ったラディはマーダテンに詰められていた。
「おいラディ!何故あんな子供に言われるがままなんだ?!天の剣だか別世界の王子だか知らんが昨夜の作戦は入念に準備と調達を進めてきた大事なものだった!なのにろくな衝突も大きな戦果も得られていない!」
普段、市民に注意を呼び掛ける程度に留めていたのは小さな動きに関して警戒する方が疲れるからだ。
故に昨日の作戦はとても重要だった。貯まりに貯まったつけを返してもらうための一大作戦だったのだ。これを完遂すれば保守派の連中も気軽にこちらの人材を拉致しようなど考えなくなる筈だった。
「だから言ったでしょ?両軍の兵士達全員の手足が土塊に包まれたんだって。あれじゃ殴り合いどころか満足に歩けもしなかったんだよ。それはあんたも体験しただろ?」
深夜の会議でクレイスはマーダテンにもわかりやすいようその術を掛けたのだから彼もその脅威を十分理解している。
「うむ!だからこそあいつの機嫌を取りながら帰還する部隊と本隊を分けて再び侵攻を仕掛けるべきだったのだ!」
「それは・・・そこまで頭が回らなかったな。今度はあんたが直接指揮を執ってくれ。」

「馬鹿者!わしはそれほど人望がないのだ!兵士達をまとめられる筈がないだろう!!」

やはり彼は切れ者だ。崩壊した世界で軍事力という脅威を人に預ける胆力は只者ではない。地下都市の中でもなるべく地上と同じような世界を作り出せているのは多少憎まれながらも都市長として最低限の仕事をこなしているのも大きい。
「まぁ近々それは成し遂げられるんじゃないかな。少年に阿るというのはちょっと気が引けるけど彼は俺達にはない強力な力がある。それを利用できれば余計な犠牲者も出ないしな。どうかな?」
「・・・ふん。では今後その方向で動くと受け取っていいんだな?」
「ああ。彼らも『ソリエド』の人間同士が争うのは避けたいみたいだからな。考えられる限り立ち回ってみるよ。」
こうして保守派と穏健派はクレイスの知らぬ所で密かに策謀を巡らせていたのだが、もしかするとこの世界で最も頑固な存在が簡単に手の平で踊る訳がないと後ほど思い知らされる事になる。





 あれからすぐマーダテンに保守派の陣営へ乗り込んで奪われた女子供を奪還してくるよう命じられるとショウやカズキは大いなる上から目線に苛立ちを表す。
「わかりました!」
しかし自動車に憧れを抱いていたクレイスだけは嫌悪感を示すどころか元気に即答すると友人達も呆れ顔だ。
「よ、よっぽど自動車に乗りたいんだね。」
「うん!だって僕達の世界に金属で乗り物を作る発想はなかったからね!」
「護りの為に鉄板を貼り付けはしますが全体を金属製にすると馬に引かせるのも大変でしょうし。」
ショウもクレイス程ではないにしても別世界の文明や利器にはかなり興味を抱いているらしい。地下都市とはいえ街灯なども24時間光を放っているので便利だと感心していた。

「地上で暮らしていた時はもっと栄えていたんだけどな。」

ラディが言うにはこことは比べ物にならない程の大都市や大きな道路が世界中に走っており何百人も乗せて空を飛ぶ乗り物や何千人も乗せて海を渡る船なども存在したという。
姿形が想像もつかない3人は目を丸くしていたがチョビムが石板を使ってその写真とやらを見せてくれると感嘆の声を漏らす。
「凄いですね。こんな高い建物まで・・・ファヌル様が見れば絶対に欲しがりそうです。」
「つかあいつらがここに来なくてよかったな。絶対食料にけちをつけるだろうしここの人間も食い殺されてたぞ。」
「あ~・・・反論出来ないかも。」
「そ、そそ、そんな物騒な人がク、クレイス達の世界にはいるのかい?!」
返礼と言っては何だが今度はこちらが自分達の世界について開示しても良い程度の話をすると2人も目を丸くする。

「・・・別世界ってのは本当にあるんだな。しかし『悪魔族』か。もしかすると地上の黒い竜もそれなんじゃないか?」

どの世界にも悪魔という言葉は人間に仇なす存在として認識されるらしい。ラディがそんな事を口走ったのでクレイスは何となく脳裏に留めておく。
(・・・じゃあ今度遭遇したらフロウ様の名前を出してみようかな。)
もし彼らの同族であれば話が通じるかもしれない。しかし対面した感じや地上の様子から鑑みると彼より強力な存在な気もする。人間は王より強い存在を従えたりするが他の種族はどうなのだろう?
「まぁ彼らも近年私達の世界にやってきた存在ですからね。そう考えると別世界の数は相当あるのでしょう。」
今回は現地の人々が友好的だったので何とか生存出来ているがもし言葉の通じない世界や他種族を認めない世界ならどうなっていたことやら。

「・・・とにかくお前達は穏健派に有利な流れで話を付けるのだ。いいな?」

その様子を終始黙って見ていたマーダテンが久しぶりに口を挟むと5人も感情を隠すことなく表情に浮かべながら頷く。一昨日の夜襲こそラディに任せっきりだったが今回は会談という事で彼も直接出向く決意をしたらしい。
「はい。少なくとも拉致された人達の解放は約束します。」
「おいおい、断言して大丈夫か?あいつらも事情や信念を持って行動してるんだぞ?」
これには自分達の負い目もある為多少強引な手段を使ってでも成し遂げるつもりだったクレイスにカズキがやや不安そうに尋ねるとショウも軽いため息をついていた。
「こうなるとてこでも覆しませんからね。私達は補佐を念頭に立ち回りましょう。」
クレイス以外には既に波乱が見える会談だったらしいが本人にその気はなく、3時間程で保守派の集落に辿り着いた6人は数多の銃口を向けられながら都市長の下まで連行されるのだった。





 「久しぶりだなマーダテン。」
最初はこちらに皮肉の一つでも飛ばしてくるかと身構えていたが考えてみるとクレイス達は部外者だ。
「ちっ。わしはお前の面など見たくはなかったんだがな。」
知らない仲ではないのだろう。派閥の代表同士が静かに険悪な雰囲気を作り出すと周囲は見守るしか出来ないが今回は話し合いに来たのだ。
「前置きは要らん。お前が攫ったわしの市民を返せ。でなければクレイスが保守派の人間を皆殺しにするぞ。」
「何を馬鹿な事を。クレイスやその友人は聡明だ。お前のような夢見がちな中年の言う事など聞く筈がないだろう。」
これは会談なのか?無遠慮にどかどかと入室したマーダテンは誰よりも早く横柄に座ると長机の上に足を乗せて要件を告げた。それにしても所作は所々ガゼルの姿と重なる。
思えば彼も規律の関係は全て副王ファイケルヴィに任せていたのだから性根が似ているのだろう。憎まれ役や傀儡という自身が行動するのに凡そ不便な立ち位置や立ち回りまで類似点は多い。
とにかくクレイス達も会議に参加するがどちらにも肩入れする訳にはいかない。長机の両翼に2人の都市長が座ると自身はその丁度真ん中の椅子を手に取り腰を下ろす。

「えっと、まずは僕からもマーダテン様の集落から攫った人達を返してもらえるようお願いします。」

「ほらみろ!さっさと観念するんだな!」
それにしても彼は先程から随分と威勢がいい。これはクレイスの力を直接感じたからだろうか、やや虎の威を借りる狐っぽく見えるがそれもまたガゼルらしくて笑いをこらえるのに必死だった。
「それは出来んな。彼らは私達の生活の一部、というより既に保守派の一部なのだ。どうしてもと言うなら無理矢理連行するといい。もちろんこちらは反抗させてもらうがね?」
流石に食えない人物から了承を得るのは一筋縄ではいかないようだ。短い期間とはいえ知らない仲ではない人物をどう説得すべきか。左右に座る友人をちらりと覗くとショウが静かに口を開いた。
「でしたら連れてこられた全員に意見を聞きましょう。既に洗脳されている可能性もありますがまだ日が浅い人達なら正常な判断を下せる筈です。」
妥協案としては悪くない気がする。今度は左右の都市長の顔色を窺うと2人とも難しい表情だ。
「仕方あるまい。」
「いいだろう。わしが直々に会って話を聞こう。」
よかった。渋々だが何とか手を取り合って『ソリエド』の未来へ歩めそうだ。やっと安心したクレイスは思わず体の力を抜くが彼らの確執は崩壊した世界という状況下で想像以上にこじれていたのだ。

「では捕虜を解放次第わしらは街へ戻る。いいか?金輪際わしらの土地へ足を踏み入れる事は許さんぞ?」

「さて、それはお前達次第だ。知っているぞ?革命派の連中が時折我が街に来て女を襲っているのを。自分の街ではないからとそのような蛮行が許されると思うなよ?」

どうやら本当に捕虜の解放だけで話が終わりそうだ。というか穏健派の連中も規制が緩いのをいい事に他の場所で悪行を重ねていたのか。
どちらも一長一短だとは思っていたがこのままでは例え黒い竜を倒してもこの国は2つの派閥で割れてしまうだろう。それでは全く意味がない。復興後も国民がいらぬ苦労と禍根を強いられるだけだ。
王族としての血がそうさせるのか。何とか2つの派閥には手を取り合ってもらいたいとクレイスは2人が牽制という罵倒を交わしている間も静かに考える。
「・・・お2人とも、『ソリエド』の未来の為に統一に向かって歩み寄って頂く訳にはいきませんか?」
それは何の前触れもなく告げられた。力強くも静かな声色で、それでいて無理難題だと誰もが理解する内容に喧々諤々としていた室内は静寂に包まれる。
「・・・それが可能だと思うか?」

「同じ国の民ですよ?むしろ不可能だと思えませんね。」

密かに友人二人が目を輝かせていたのは期待しているからだろう。彼らをどう説得するのか。チョビムもクレイスの時々見せる強引さにも多少慣れたのか、静かに成り行きを見守っていた。





 「僕から出せる条件は黒い竜を討伐する事。つまり地上を奪還出来た暁には必ず『ソリエド』を1つにまとめ上げると約束して下さい。」

「・・・もし断ったら?」
「黒い竜には金輪際触れません。この世界がどうなろうと僕達の知ったことではないので。」
ヘイダとの約束もある為討伐しないという選択肢はあり得ないのだがここは成長した証なのだろう。突き放すような物言いに最も驚愕したのはやはりチョビムだったが逆に最も落ち着いていたのがマータデンだ。
「お前は別世界からやってきた割には随分と干渉してくるな。何だ、英雄気取りか?」
「そんなんじゃありません。ただ他国と言えど憂慮を放っておけないだけです。」

「だったらはっきり言ってやる。余計なお節介だ。そういうのは『トリスト』や『アデルハイド』でやるんだな。」

「・・・・・」
ガゼルに似てると感じていたからか、余計に腹立たしさを覚えたクレイスは憤怒を優先させたがそれ以上に重大な発言だったのを左宰相は見逃さない。
机の下からつま先をやや強めに小突いてきたので何事かとやや冷静さを取り戻すとショウは静かに口を開いた。
「袖すり合うも他生の縁と申します。でしたらどうでしょう?私達が黒い竜を一週間以内に討伐出来ればこの話を前向きに検討して頂くというのは?」
何かきっかけがあって自ら発言したのだろうがその内容は酷い。未だ正体を掴めていない黒い竜を一週間以内で倒す事など可能なのだろうか?
今度は一切動きのないカズキの方に視線を向けるが彼はあまり興味がないのか、これ見よがしにあくびをしている。
「ほう?面白いな。しかし一週間でいいのか?私も君達も奴の情報はまだまだ足りてない筈だが?」
「それじゃレインス、お前の知る情報を全部教えてやれ。んで期限は一か月待とう。」
突然の手のひら返しに何が起こったのかわからない面々が目を丸くする中、ショウだけは静かに頭を下げて話がまとまったと意思表示を示す。
「・・・何を勝手に決めている?保守派は同意していないぞ?」

「しかし大宰相のショウがこう言ってるんだ。まだ若い連中だが恐らくやり遂げるだろうよ。」

その発言を聞いてやっとクレイスにも違和感が走った。そういえば自分達の世界について多少の話しはしたものの『トリスト』の名前やショウの身分は一切明かしていない。
しかもマータデンは大宰相と言っている。現在は左宰相なので若干意味は違えどその身分はほぼ的確に当てていた。
もしや自分以外の誰かが教えたのだろうか?よくわからないまま再び左右の友人を見てみると取り乱す様子はない。
「・・・大宰相のショウに次期国王のクレイスか。そして光の剣・・・うん?何だか聞いたことがあるぞ?」
するとレインスまで何か心当たりがあるのか、妙な事を言い出したのでクレイスは動揺を隠すのに必死だった。
「そういえば鋭い目つきの少年はカズキだったか・・・偶然にも剣撃士団長のカズキ=ジークフリードと同じ名だ。君達は『トリスト教』の話を知ってそう名乗っているのか?」
最後の友人に関してはディファーが完全な正体を告げたのでもはや全てをショウに任せようと顔を向けると彼も珍しく困惑した様子だ。
「あの、私達はそこまでお話していない筈ですが?それに『トリスト教』とは一体?」

「・・・これは偶然で済まされる話なのか?」

いつの間にか『ソリエド』の統一問題が自分達の正体に移るとチョビムだけはきょとんとしていたがマータデンは気にも留めず保守派の人間に聖典を映し出すよう指示を出すのだった。





 石板と同じ仕組みらしいが自分達の前にある壁一杯に表示されると圧巻だ。

それは古い書物の頁だった。

書名は『トリスト』で中には自分達の出来事が事細かに記されている。序章は『アデルハイド』が襲われた事、亡命生活から海を渡り西側の大陸での事件やイルフォシアとの出会いなどなど・・・
「・・・・・貴方達は一体?」
「わしらは『ソリエド』の人間だ。それ以上でも以下でもないのだがクレイス、お前のやり取りと頑固な姿勢を見てると思い出したんだ。これにそっくりだと。」
ぱらぱらと頁がめくられるので熟読は出来なかったが内容はほぼ自分の、自分達の生い立ちとみて間違いない。
不思議というより不気味な感覚から鳥肌を立てていたのだが普段から書物に精通しているショウだけは尤も重要な違和感を覚えていた。
「・・・なるほど。確かに名前だけは私達と一致しているようですが。ところでこの話、最後はどうなっているのですか?」
ただその疑問に触れる事無く、むしろ聖典の最終章を尋ねたのだから耳を塞ぎたい衝動に駆られる。もしこれが本当に自分達の行動の過去、現在、未来が書き記してあるとすればイルフォシアと自分の関係がどうなっているのかもわかってしまう。
多分、恐らく大丈夫、円満な家庭を築けているに違いないと思いたいがこの世に絶対という事はそうそうない筈だ。

「本当に知らないんだな。最後はクレイスが『トリスト』国王に、ショウは大宰相、カズキは大将軍兼剣撃士団長として大団円を迎えている。」

マータデンが軽く結末を教えてくれたので構えていたクレイスの心は一気に弛緩した。よかった。望んだ通りの結末に安堵のため息を漏らしたのもつかの間、大画面の中でぱらぱらとめくられた最後の頁の後がまたも心をざわつかせた。



何故なら残り四分の三程は何も書かれていない頁が続いていたからだ。



「料理しか能のない温室育ちの少年クレイスが他国の侵略をきっかけに成長していく話だ。まぁありきたりと言えばありきたりだがこの中のクレイスも不思議な剣を使っては強敵を倒していた。『魔術』という不思議な術も使ってたな。」
「君達が別世界から来たというのも眉唾ではあるが聖典に書かれている内容と容姿は一致している。」
先程まであれ程いがみ合っていた2人が『トリスト教』の話になると見事な意気投合を見せるのでこちらは視線を伏せ続けるしかない。
「私達は『トリスト教』そのものを知りませんが、少なくともその中身以上の活躍を以って黒い竜を必ず打ち倒す事を約束致しましょう。」
「おお。流石は冷徹無比の赤い宰相、これなら期待出来るな。」
「まぁ茶化すのはこのくらいでいいだろう。流石にこの教えも2000年続いているからな。お前達が物語の同一人物だとは思わないがこの偶然には期待したい。今こそ神の思し召しをってやつだ。」
最後はレインスとマータデンが乾杯する程に国教の影響力は大きいらしい。3人とも真偽についてはほぼ口に出さなかったものの正直それを全部読んでみたい気持ちとこれ以上詳しい未来を知りたくない気持ちで一杯だ。
「では猶予は一か月という事で。あとはその聖典を一度読ませていただいても?」

(読むの?!?!?)

これには喉まで声が出かかったのを無理矢理抑え込んだせいで妙な音が鳴ってしまった。
「構わんよ。これくらいなら君達が持っている端末でも十分読めるさ。チョビム君から教えて貰うといい。」
『ソリエド』の件は丸く収まりそうだが新たな問題の当事者となったクレイスは混乱状態が収まらない。
一先ず会談は終わりを迎えると4人は以前貸与された部屋に案内される。そこで小さな石板に3人が顔を並べて睨み続けるのだがショウがいち早く気づいた違和感にクレイスも大きな衝撃を受けるのだった。





 「・・・・・これ、ヴァッツが書かれてないね。」

詳細な未来は知りたくないという事で現在の自分達の頁までと約束した3人はじっくり読み進めると序章で気が付いてしまった。
そうなのだ。この聖典には何故かヴァッツの存在だけが全く出てこない。他は自分達の日記みたいに正確な内容が記されているのに彼だけは最初からいなかったかのような扱いなのだ。
「ヴァッツって、クレイス君が言ってた最も頼りになる友人、だよね?」
「そ、そうです!彼のお蔭で僕達は何度も救われたんですよ!なのに全く書かれていない!やっぱりこれおかしいよ?!」
「そもそも2000年前の書物に何故私達の事が書かれているのか、単なる偶然なのか。違和感はそこからですね。」
「それにしてもお前、冷酷無比の赤い宰相って呼ばれるようになるんだな。これは面白いっちち?!火をつけるんじゃねぇ!!」
このおかしさをどう表現すればいいのだろう。最終的にショウは偶然似ているだけだと判断したらしいが名前も地名も国名も、自分の行動そのものが全て酷似している内容を一言で片づけるには無理があり過ぎる。

「あまり深く考えない事です。私達は別世界の住人でありながら黒い竜を討伐しようとしている。それだけでもおかしさてんこ盛りですからね。」

そんなクレイスの苦悩を一瞬で解放してくれるショウはやはり冷酷無比の赤い宰相なのかもしれない。
「・・・・・そういう関係だから僕達はこの世界にやってきたのかな?」
それでもふと思わずにはいられなかった本音を零すと2人も一瞬だけ真剣な面持ちを浮かべる。自分の知識や常識と全く異なったこの世界に何故迷い込んだのか。その意味があるとすれば何を示されているのだろう。
今まで神と呼ばれる存在が身近過ぎて薄れていた信仰心が僅かに目を覚ました時、ふと自身の手元にある影から友人を思い起こしていた。







「ねぇヴァッツ様。クレイス様達はその黒い竜を討伐したらすぐに帰ってこられるのでしょうか?」

ヴァッツがつい彼らの現状を漏らしてしまった為居ても立っても居られないイルフォシアは一日に何度もその話を尋ねてしまうのだが性格からか破格故か、答えは非常に楽観的なものだ。
「さぁ・・・あ、でもタトフィって奴も倒したいらしいからもうちょっとかかるかな?」
「そ、それは危険な相手ではありませんか?!」
「大丈夫!3人が一緒に行動してるんだったら何も心配はないよ!それより皆お仕事は大丈夫なの?」
父スラヴォフィルもクレイス達より毎日彼の部屋に集まって来るうら若き少女らを心配していたがヴァッツに限って間違いは起きないと皆が確信している。
だが彼の指摘も尤もだろう。王女姉妹は国務があるしノーヴァラットも預かっている魔術師団の修練があるはずだ。ちなみに現在一番苦労していたのは右宰相ザラールだった。
今まで雑務を全てショウに任せていたのとその右腕としててきぱき働いていたルルーもこの部屋に入り浸りの為政務はてんてこ舞いらしい。
逆にカズキが率いている『剣撃士団』は副団長達がしっかり管理しているので全く問題ないというから不思議なものだ。

「ヴァッツ様。お手紙が届いております。」

姉妹揃ってのお茶もすっかり慣れてしまったイルフォシアはこのままではいけないと思いつつも彼がいない不安を理由に日々を過ごしているとレドラが珍しい報告をしてきた。
「え?オレに?誰からだろ?」
「二通ですね。一通は『ネ=ウィン』の4将フランセル様から、もう一通は『ボラムス』に滞在しているルマー様とカーヘン様の連名になっております。」
3人が別世界に飛ばされた話には箝口令が敷かれていたものの人の口には戸が立てられない。
彼女達もカズキが心配だったのか、ヴァッツに直接事情を教えて貰いたくてそのような手段を取って来たらしい。

「・・・ありゃ。皆凄く心配してるね。どうしよう。もう連れ戻す?」

相変わらず彼の軽い提案に思わずルサナと顔を見合わせてしまったが夫の成長を見守るのもまた妻の役目だろう。
「・・・いえ、大怪我をされたりその心配がなければ最後まで帰りを待とうと思います。」
こうして地上でカズキを心配する面々にも返信でそのように送るとクレイス達もその期待に応えるかのように黒い竜の本体へ近づくのだった。

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