闇を統べる者

吉岡我龍

若人の未来 -夢に見た王子様-

 地下都市の生存者達の中で殊更エフラには生き延びねばならない理由があった。それが一人娘ヘイダだ。

二年程前に突如黒い竜が現れてからこの世界は滅亡寸前に追い込まれた。クレイス達の住む世界と違い科学がとても発展していた『アイアンプ』では様々な武器でそれを討伐しようと奮闘したがあれには通用しなかったのだ。
結果地上は荒野と化し、奴の力によって常に砂嵐が巻き起こる世界は人間が住み続けるには少し過酷過ぎた。
生き残った人々が避難施設として開発していた地下都市に逃げ込み、その出入口を結界で封じる。一先ず黒い竜の脅威からは免れたが以降はじり貧な生活を押し付けられてしまう。
蓄えていた家畜や植物も減少こそすれど増える事はなかった。人間が生きていく為に十分だと思われていたあらゆる備蓄も減少の一途を辿るとやがて人々は理性も減少していく。
都市の責任者が権力を笠に着て自分が快適に生き残れるよう法律を歪なものへと捻じ曲げれば市民は反感を抱き、溜まった鬱憤は抗争へと発展するのだ。
気が付けば至る所で死体を目にするようになり暴動で破壊された施設は修復が不可能な状態だ。それでも自分達だけは、自分だけは生き残ろうと醜悪さを全力でさらけ出す。

もうあの頃には戻れない。復興までの気の遠くなる時間と労力を考えると彼らは未来から目を背けるようになっていく。

地獄のような世界だがそれでも娘には生き延びてほしかった。夫も殺されて唯一の忘れ形見となってしまったヘイダにだけは。
だから人を食す事すら厭わなくなったのだ。衣食住に困らなかった二年前とは全く違う世界へと変貌を遂げてしまったがまだ八歳の娘には無限の可能性と未来があると信じて。
そして劣悪な環境下でも母の優しさと愛を一身に受けて育ったからこそヘイダは母が戻ってこなかった明朝、噂の異邦人達が野宿しているという場所に単身で乗り込んだのだ。

「ん?また誰か来てるな?おい、出てこいよ。」

銃の使い方に銃撃戦のイロハ程度は教えてもらっていたが身を隠していたにも拘らずこちらの存在がばれた時の対処は教わっていない。
身を潜めているのに、大きな物音も立ててないのに何故ばれたのか。声を掛けられて心臓が爆発しそうな程驚いたヘイダは思わず小さな声を漏らすと母が狼狽した声で異邦人達に懇願している。
「ほ、ほらほら!黒い竜を倒すんでしょ!地下都市からやってくる人間なんて放っておいてさっさと行ってきなさい!!」
「・・・そうですね。では先に貴女の命を奪っておきましょう。」
不味い!状況を確かめる前に言葉の意味をよく理解出来てしまったので慌てて扉の陰から飛び出して銃を構えるが照準を合わせる前にそれは無くなってしまった。
「お?子供だ。」
いつの間に接近されたのか、気が付けば自身の隣にはまるで狼のような目つきと雰囲気をした青年が取り上げた銃を握ったまま軽い口調でこちらを覗き込んできているではないか。
「ヘイダ!!逃げなさいっ!!」
「駄目です。カズキ。」
「悪いなお嬢ちゃん。」
母の叫び声とは裏腹に赤毛の青年が静かに名を呼ぶと狼のような彼がこちらをまたも一瞬で縛り上げてしまったのだから恐怖や困惑が追い付かない。
どうやったのだろう?一体何者だろう?不思議と恐怖を感じなかったヘイダはきょとんとするしかなかったのだが捕われた母の少し奥にいた青年を見て全てを理解してしまった。

「ちょっと?!そんな小さな子に何してるの?!」

見た事のない綺麗な銀髪に流れるような涼しい眼、整い過ぎた顔立ちは過去に読み聞かせてもらった物語の王子様をそのまま具現化したかのようだ。
まるで彼の為だけに仕立てられたような異国の衣装もよく似合っている。似合い過ぎている。こちらにかけてくれた温かい風のような声色も気遣ってくれる内容もまだ幼いヘイダの心を鷲掴みにしてしまう。
「そ、そうだよ!こんな小さな女の子を人質にとろうなんて、あんた鬼かい?!」
「こちらを食べようとした人に言われたくありませんね。さて、どうやらエフラさんの血縁者のようですが、お名前をお聞きしても?」
「あ、えっと、ヘイダと言います。」

滅亡したに等しいこの世界では例え8歳の少女でも甘い希望や夢などを見る余裕はなかった。全てを諦めてただ生き長らえる事だけが人生であり必死だった。

ところがこの日、遂に自分の下にも王子様が現れたのだ。白馬にこそ乗っていなかったが彼女の中では初めての希望として心に深く刻みつけられる。

「あの、王子様は私達を助けに来てくれたんですよね?」
緊張から声が上ずったせいか、彼らは一瞬きょとんとした表情を浮かべるが王子様だけはすぐに眩しい程の優しい笑顔を浮かべるとこちらの前で膝をつき静かに答えてくれる。
「・・・そうだね。地上にいる黒い竜を倒す事くらいしか出来ないけど、それで助けになるかな?」
「はいっ!」
しかも彼はあの黒い竜を討伐してくれるという。嬉しさと夢のようなやり取りに手を縛られているのも忘れて彼の胸元に飛び込むと王子もまたヘイダを優しく抱きしめてくれるのだった。





 クレイス達が別世界から迷い込んできたとか異邦人と呼ばれている事など心の底からどうでもよかった。

大事なのは本物の王子様が目の前に現れて世界を救おうとしてくれている事実、これだけなのだ。
「お、王子様はお強いんですか?」
期待で胸が一杯だったヘイダは後ろ手に縛られているのも気にせず話しかけるとクレイスはやや困惑した様子で周囲と顔を見合わせている。
「・・・どうだろ?多少は強くなってる、のかな?」
「弱くはない筈だ。そこは肯定していいと思うぜ。」
獣のような目つきの従者がそう答えるといよいよこちらの歓喜は胸を飛び出しそうだ。人質として地上へ連れていかれるという不安も傍で王子様の雄姿を見れるというわくわくが大いに勝る。
ちなみに何故か母は事あるごとに口を挟んだり罵ったりしているがその理由はさっぱりわからない。こんなに優しくも見目麗しい王子様が自分達を裏切る筈などないのに。

「王子様、頑張ってください!私、応援してます!」

「う、うん。ありがとう。ねぇショウ、これが終わったら解放してあげてね?」
「はいはい。」
どうやら戦うのは王子様と目つきの鋭い従者だけらしい。ショウと呼ばれる右目に傷を持つ赤毛の青年はヘイダと一緒に見守れるよう地上の出入り口付近で見送ると早速王子様が空を飛んで行ったので砂嵐も忘れてぽかんと口を開けてしまった。
「お、王子様はお空を飛べるんですね・・・」
「・・・この世界の人々は空を飛べないのですか?」
「えっ?そ、そうですね。昔はそういう乗り物があったって聞いてますけど人が飛ぶというのは・・・」
「ふむふむ、では貴女が持っていたこの石弓の使い方についてなのですが。」
赤毛の青年も自身の扱いはさておき、敵意を向ける事はなく沢山の質問をしてくるので少し困惑したがクレイスの為だと言われるとこちらも断れない。
仕方なく王子様が黒い竜をおびき寄せるまでの間、様々なやり取りをしていると離れた場所で様子を窺っていたカズキという従者が合図を送って来た。

「来ましたか。」

するとまずはクレイスが静かに戻ってきて、それから砂嵐に大きすぎる影がゆっくりと濃くなっていく。ショウも質問を止めて見守る姿勢に入るがヘイダは自分の世界を崩壊させた存在を初めて目の当たりにすると言葉と呼吸を失う。
まるで小さな山のような生物を王子は討伐するというが本当に可能なのだろうか。もしかすると自分は夢を見ているのではないのだろうか。
現実では崩壊もしていなくて今頃は学校で授業を受けているのだ。学友達に囲まれて、時々難しくて退屈な、時々面白くて興味津々な毎日を送る。
でもやっぱり一番楽しいのは休み時間と放課後で、友達と楽しくおしゃべりするだけでも至上の時間なのだと歳を重ねて気が付ける。そんなありふれた世界と人生が別に存在するのではないか。

「いくよっ!!」

「おうっ!!」

しかし更なる夢を目の当たりにすると現実を受け止められるのだから不思議なものだ。クレイスが凛とした声で号令をかけると従者もどこから出したのか、部屋の大きさくらいある大剣を2本その手に握っている。
そこに黒い竜の口から砂竜巻が放たれると彼らは左右に動いで躱し、一気に間合いを詰めてその頭部や首、腹部らしい場所に目掛けて斬撃を放ったのだ。
「ちぃ!浅い!クレイス!叩き落せるか?!」
「わかった!!」
相手も体を浮かせている為地上からの攻撃はどうしても半減してしまうらしい。従者が命令するとヘイダはなんて失礼な奴だと憤慨しかけたが優しい王子様は嫌な顔一つ浮かべずに応じる。
それにしてもクレイスはどうするつもりだろう。彼が空を飛べるというのはよくわかったが手にしているのは普通?の長剣だけで攻撃手段が他に見当たらない。

「落ちろぉっ!!!」

そう思っていたのはヘイダの勘違いだったようだ。王子様は突然黒い竜の頭上にその顔と同じほどの土塊を展開すると勢いよく叩きつけたのだから理解が追い付かない。
ずずん!という大きな低音が砂嵐の中にこだますると奴も流石に堪えたのだろう。体全体が地上に落ちてきたので真下に待機していたカズキは狂喜の形相を浮かべながら巨大な大剣を全力で叩きつける。
腹と喉元に大きな裂傷が走ると黒い竜の体は激しく波打ち、自身を護ろうと砂竜巻を何十本も発生させたが頭上にいたクレイスも好機と読んだらしい。
急降下して水で出来た大槍を眉間に深く突き刺した瞬間、黒い竜は大きく仰け反った後体をわずかに振動させながら大地に沈んでいく。
「ふむ。流石はクレイスとカズキ、頼りになりますね。」
2人は豆粒のように小さかった。にも拘らず王子様は本当に巨大な黒い竜を討伐してしまったのだから隣でとても満足そうな笑顔を浮かべるショウを尻目に英雄の戦いを間近で見届けたヘイダは腰が抜けてその場で座り込んでいた。





 王子様が邪悪な竜を退治する話などあらゆる世界のどの時代にも存在する。だがそれが実現される事は多く無い。

この日、別世界からやってきた王子によって地上を壊滅させた黒い竜は見事に討伐された。夢に夢が重なると現実に戻れなくなりそうだがまだ幼いヘイダなら許されるだろう。
それにクレイスには別の目的もあったのだ。黒い竜を食料として確保するという目的が。
「あっ?!」
「むおっ?!」
「えっ?!」
故に異邦人達は驚いて声を漏らす。というのもあれ程の巨体が段々と姿を薄くしていくと最後は跡形もなく消え去ってしまったからだ。
食べる事は出来なくなったのかもしれないが世界は救われたのだからまずはゆっくり地上を復興させていけばいい。そうすれば食料に困らない日がきっとやってくると希望を見出していたのだがそれは甘い考えらしい。
「駄目だ。何も残ってないや。」
「何がどうなってるんですか?」
「・・・そういった生態なのか、もしくは幻だったのか・・・姿を消している可能性もある。どちらにしても楽観視は危険だ。一度戻るぞ。」
どうやら彼らは討伐の事実すら疑っているようだ。ヘイダはその意味が分からず小首を傾げているとクレイスが歩み寄ってきて未だ腰の抜けた彼女を軽々と抱きかかえると優しい笑みを浮かべて運んでくれるのだった。



野営地に戻った彼らは数度のやり取りを経た後ヘイダにも話を振って来る。
「ねぇヘイダ。よかったらマークスさんの所まで案内してもらえないかな?」
「ちょっと?!ヘイダにそんな危険な事を頼まないでおくれ!あいつに会いたいのならあたしが案内してやるから!」
「駄目です。彼女には黒い竜の討伐を目撃した証人としても是非同行して頂かなくてはならないので。」
「へっ?!ほ、本当にあれを、た、倒したのかい?!」
未だ囚われ状態の母が驚いて問いかけてきたのでこちらも力強く頷いてみせた。しかしあまり会った事が無いマークスの下までしっかり案内出来るだろうか。
一抹の不安にかられるが王子様の要望には応えたいし何よりあれ程強い御方が一緒なら怖いものなどない筈だ。意を決したヘイダは彼の手を引くと母の反対を押し切って早速地下都市へ向かって歩き始める。

最初は街の連中がクレイスに注目したのが嬉しかった。ところが彼は招かれざる客なのだ。

都市へは入らないよう忠告されていた事など知らなかったヘイダはお構いなしに並んで進んでいくと探し人は向こうからやって来る。

「ほう?一番物分かりが良いと思っていたお前が我が都市に許可なく踏み入るとは。しかもヘイダを連れている・・・その辺りの事情を聞かせてもらおうか?」

相変わらず顔を隠している為彼女も彼がマークスかどうかの判断に迷う程だったがクレイスは確信しているらしい。
地上で黒い竜を討伐した事、その死体が消え去ってしまった事を手短に伝えると彼や配下達は驚愕した雰囲気で顔を見合わせている。
「ほ、本当です!クレイス様は本当に黒い竜を倒されました!私、この目で見たんです!」
「・・・ふむ。しかし死体が消えたとなると証明は出来ない訳だ。」
「はい。ですのでマークスさんにあの竜について詳しい話をお聞きしたいと思って立ち入らせてもらいました。強引な手段で申し訳ありません。」
「・・・いいだろう。その建物に入ろうか。」
割と穏便に話が進んだのでまずは安堵を、次に僅かな違和感を覚えたが今はクレイスの役に立つ事が最優先だ。
この後も彼と従者のカズキがどのように立ち回って黒い竜を倒したのかをしっかり説明できるよう何度も脳内で文章を組み立てていたのだがその話が掘り返される事はなく、彼らは黒い竜について語り始める。
「あれは我が世界の武器を全てぶつけても一切通用しなかった。故に我々は地下都市での生活を余儀なくされたのだが正直あれの情報はそれくらいしか持っていない。なのにお前は討伐出来たという。」
「はい。」
「・・・であれば砂嵐くらいは消えたのか?」
居間らしい場所で放置されていた椅子に腰かけた一行はそんなやり取りから始めると意外な質問が出てきたのでヘイダはクレイスと顔を見合わせて小首を傾げる。
「いいえ。外は相変わらず砂嵐のままですが、それは何か関係が?」

「うむ。詳細はわからんが黒い竜が現れたと同時に地上は砂嵐に覆われたのだ。もし討伐出来たのであればあれも共に消えるかも、と考えたのだがどう思う?」

幼いヘイダには少し難しかったが彼は黒い竜を真に討伐出来た時、地上も以前のような穏やかな気象に戻ると考えたらしい。クレイスも真剣な表情で頷くと他にも可能性を掘り下げてはこの世界の情報を吸収するのだった。





 「つまり砂嵐と黒い竜は相互作用していると考えられるのですね。ふむふむ・・・」

それから再び従者や母の待つ野営地に戻った2人はマークスとのやり取りを報告するとショウも何やら考え始める。ところがこの話に水を差したのはカズキだ。

「おい。まずは俺達の食料を確保する事を優先しないか?」

これにはヘイダも目を丸くしたがどうやら王子様達には配給品が届けられないらしい。つまり今日食べる物もない状態なのだ。
「・・・カズキ、その言い方は・・・」
「わかってるよ。だけど綺麗事だけじゃ生きていけないだろ。もしまた黒い竜と戦うんだったら猶更だ。」
クレイス達ほど強ければ頼んで分けてもらう以外にも無理矢理強奪する手段も取れる筈だ。なのにその道を選ばないのは強靭な理性や底の見えない慈悲深さを有しているからだろう。
そもそもこの世界の住人でない彼らが命を懸けてまで戦う理由はない。ただ優しい王子様はこちらに少し申し訳なさそうな表情を向けてきたのが最も辛く感じたヘイダは慌てて肯定する。
「お、仰る通りです!でしたら私の食事を貰ってください!」
「あんたは何てことを言い出すんだい?!配給品もどれだけ続くかわからないんだよ?!」
何となく気がついていたがやはり地下都市は相当困窮しているらしい。初めてその事実を母から直接教えてもらうと驚きよりも納得が勝ってしまった。
「・・・エフラさん。海に生物は存在していますか?」
「さぁね?」
「お、お母さん。クレイス様に教えてあげて?王子様なら絶対この世界を救ってくれるから。」
だがヘイダのまだまだ知らない事情は沢山あるのだ。その1つがエフラにこのような態度を取らせている訳だがまるで敵視するような言動を諫めるようにお願いしてみると母も冷静さを取り戻したらしい。

「・・・世界が崩壊してしばらくは他国と連絡も取ってたんだよ。でも自分達が生きる為に余計な電力を回せなくなってね。以降は各国が助けを待つような状態になっているのさ。」

「・・・なるほど。」
銃も知らない彼らは電力が何かもわかっていないだろうがそれでも世界全体が困窮し、各地が助けを求めているのはヘイダも痛すぎる程理解出来た。
「あんた達がどこに行こうが勝手だがこの世界に期待しない方がいいよ?恐らくどこも同じような状況だろうからね。」
「お母さん!」
折角掴んだ希望の光とも呼べる彼らに何て言い草だ。暴言が過ぎたせいでこちらもかっとなって大声で非難すると母は少しだけ気まずそうに視線を背ける。
「だったら行って確かめよう。」
だがその激高もクレイスの一言で希望に変わるのだ。やはり本物の王子様は本人の高潔さもさることながら周囲にもたらす影響力も凄まじい。
それを聞いて高揚から胸が張り裂けそうになったヘイダは思わず抱き着くと彼も笑顔で頭を撫でてくれる。
「んじゃ決まりだな。どうする?また一晩休むか?」
「いや、これ以上迷惑はかけられない。今すぐ出立しよう。」
そう言われると今度は別れの寂しさに胸が張り裂けそうになる。せめて一晩一緒に過ごせないだろうか。もしくは自分も連れて行ってもらえないだろうか。
どうにもならない不安を何とか言葉に表したくて口を僅かに動かすも引き留めてしまうのは彼らの偉業を邪魔する事になりかねない。

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