闇を統べる者
国家の未来 -王を継ぐ者-
別世界の介入が続く中、ショウは各地から情報を集めて来ると『トリスト』に最も良い計画を立てては上奏を繰り返す。
それは1つの執念でもあった。過去に母国と愛する女王を失った彼が唯一生きる目的を見出だすには邁進するしかなかったのだ。スラヴォフィルが語っていた覇者への道を。
「ふむ。しかし焦り過ぎではないか?確かにガビアムが隠匿していた事実は認めるが奴は有能じゃ。下手につつくと飼い犬が手を嚙まれかねんぞ?」
「だからこそです。今の彼は私怨によって国を動かそうとしています。これは私自身の経験から断言しますが放置すれば大きな被害が出る事は間違いありません。」
以前理性を失って戦いを挑み、クンシェオルトの体を乗っ取ったユリアンに一度殺されたのは忘れもしない。自身の中にいたイフリータのお蔭で何とか一命を取り留めたものの代わりに大量の魔力を消費した彼女には随分と苦労と負担をかけてしまった。
今のガビアムを放置すれば似たような現象が周囲で起こる可能性は十分考えられる。だからこそ取り返しがつかなくなる前に彼と彼の国を無力化及び沈静化させる必要があるとショウはスラヴォフィルに説き続けているのだ。
「かといって『アルガハバム領』と『ワイルデル領』を他国に割譲させる等奴が納得するとは思えんが・・・」
「ご心配なく。『ビ=ダータ』王城周辺はしっかりと残し、他を『アデルハイド』に併合すれば『リングストン』や『ネ=ウィン』への牽制になる事は十分理解して頂けるはずです。」
「う~む・・・それをキシリングが了承すればいいのじゃが。」
本来2つの領土は『トリスト』の力で削り取ったものなのだからそこに帰結すべきなのだがそれをしないのは頑なに国王が拒絶しているからだ。
「・・・とにかくお前の話は分かった。」
あまり気乗りしていない様子を見るとこのままでは難しいだろう。スラヴォフィルにせよキシリングにせよ領土拡大にはとても消極的な部分があるのはやはり似た者同士だという事か。
世界の安寧、言葉を変えれば統一するにはそれが最も手堅い方法なのに勿体ない。
退室したショウは心の中だけで本心と溜息を零すとそのまま自身の執務室へ戻ってルルーに温かいお茶を用意してもらうのだった。
『モ=カ=ダス』という大国が未開の地に現れた事で東西の行き来が活発になったのは一部では喜ばしい事だろう。
様々な人に物資、そして情報までもが方々に流入出し始めたのだがこれにより窮地に追い込まれていた『ネ=ウィン』では一筋の活路を見出だす事になる。
「何?ナルサス様に似た人物が?」
現在たった1人の4将ビアードの下に入って来た情報には耳を疑うと同時に意外過ぎる内容だったので最初は純粋に驚いた。
だがすぐに影武者として使えないだろうかという単純な考えが思い浮かぶ。というのも現在ナルサスがクレイスに受けた傷によって療養中の為だ。
『ネ=ウィン』では強さの象徴でもある彼が数日間姿を見せないだけで国民達は不安に駆られてしまう。戦闘国家の定めと言ってしまえばそれまでだが今回は『リングストン』との連携体制を取ったにも関わらず惨敗したのだ。
箝口令を敷いているものの弱体の一途を辿っている今、もしその話が広まってしまえば更なる混乱と国力の低下に繋がりかねない。
そこでビアードは早速その情報を皇帝ネクトニウスに報告すると息子が不覚を取った影響か、やつれた様子の彼にもその真意がすぐに伝わったらしい。
「・・・ほう?もう少し詳しくわかるか?」
「はっ。あくまで噂ですが元は王族だったらしく、それが『トリスト』の介入によって凋落、現在は一国民としての暮らしを強要されているようです。」
この時詳細を初めて聞いたビアードは嫌な予感を覚えたが皇帝は真逆だったらしい。
「面白い。どのような人物か見定めてやろう。」
そういってすぐに書状を用意すると早速斥候に接触を命じる。藁にも縋る思いなのは深く理解出来るが元王族を影武者等に使えるのだろうか?
(・・・余計な騒ぎにならなければいいが・・・いや、そもそも似ているといっても限度がある筈だ。決して主要な場面では使われまい。)
半分は自身と国民を安心させる為に、もう半分はあまり似ていないよう祈る気持ちでそう考えていたのだが2週間後には外套で顔を隠した男が『ネ=ウィン』の王城に入るとビアードは早速検分役として呼び出されていた。
内容が内容なだけに皇帝の部屋には本人とビアード、そして深く外套を被った男だけで面会が行われる。
「さて、まずはよくお越し下さった。私は『ネ=ウィン』皇帝ネクトニウス=ネ=ウィンだ。其方の名を教えて頂けるか?」
「私は『モ=カ=ダス』の王子ナハトール=モ=カ=ダスと申します。此度の寛大すぎる御招き、誠に感謝致します。」
そこで2人は目をむいた。まず声だ。それがナルサスだと確信するくらいに似ているのだ。故に未だ外套を脱いでいない無礼すら忘れる程だった。
次に顔を見るとこれまた呼吸を忘れる程驚いてしまう。髪の長さこそナハトールの方が長いがそれ以外の相違点を見つけるのが難しい。
(ま、まさかこれ程瓜二つとは・・・)
何も聞かされていない人物が見れば皇子は双子なのだと信じて疑わないだろう。それくらい彼はナルサスにそっくりだった。そっくり過ぎていた。
「・・・ビアード、どう思う?」
「はっ・・・とてもよく似ていらっしゃるかと思われます。」
「ほう?書状では厚遇して頂ける旨しか書かれておりませんでしたが・・・何か裏がおありのようですな。」
しかも優秀な王族なのだろう。こちらの反応から既にいくつかの可能性を巡らせているようだ。だからこそビアードはより危険を感じていた。彼をこのまま影武者としてこの地に迎えて良いものかと。
「やれやれ、2人で何をこそこそしているのかと思えばそういう事ですか。」
「「?!」」
「ほう・・・・・これはこれは。改めまして、私は『モ=カ=ダス』の王子ナハトール=モ=カ=ダスと申します。貴方のお名前をお聞きしても?」
「ふふ。私は『ネ=ウィン』の第六皇子ナルサス=ネ=ウィンだ。しかし驚いたな。鏡でもここまで同じ姿には映らないぞ?」
傷もだいぶ癒えていた皇子がこっそり隠れていたのか忍び込んできたのか、部屋の中に現れて挨拶を交わすとこちらも妙な光景に頭がおかしくなってきた。
「ナルサス、傷の事がある。お前は部屋に戻っていなさい。」
「何を仰る。私に隠れてこんなに面白い事を画策なさっていたなんて父上もお人が悪い。」
まだ少し顔色が悪いナルサスはかなりの興味を抱いていたのだろう。皇帝の命令も軽く流して早速近くにあった椅子に腰を下ろすとビアードは無意識に目をこすって何度か見比べてしまう。
「・・・つまり私がこの国に招かれた理由はナルサス様の影武者を求めておられる、という解釈でよろしいでしょうか?」
「う、うむ。」
「でしたらまずは私に話を通しておいて欲しかったですね。ではナハトール殿、詳しくは私の部屋で話し合いましょう。ビアードもついてこい。」
これでは皇子が2人いるのと変わらないではないか。ネクトニウスも最後にこの件を内密に進めるよう再三釘を刺すも他に関しては全く問題ないと判断したらしい。
呼ばれたビアードは慌てて席を立ち、ナハトールも再び外套で顔を隠したのは皇帝の要望にしっかり応える姿勢を表しているのだろう。
それから未だ狐につままれたような気持ちで2人の後を歩いて行くとその目的地がナルサスの自室でない事に気が付く。どうやら彼は姉であるナレットの部屋に向かっているようだ。
「あら?ナルサスじゃない。クレイス様に受けた怪我の具合はどう?」
「はい。面白い出会いのお蔭で随分よくなりました。ナハトール、彼女は私の姉のナレットだ。外套を脱いで貰って構わない。」
「では失礼して。初めましてナレット様、私はナハトール=モ=カ=ダスと申します。」
「あら?あらあらあら?あら~?」
普段から飄々としている彼女ですら彼の姿には相当驚いたのだろう。自身が嫁ぎたいと言っていたクレイスに戦いを仕掛け、返り討ちにあって帰国したナルサスへ随分冷たい態度を取り続けていたのも忘れて同じ言葉を繰り返している。
「そうだ、一応最終確認をしておこう。ナハトール、君には私の影武者となって『ネ=ウィン』に貢献して欲しい。受けてくれるだろうか?」
「もちろんです。今の私は国を追われて何も残っておりませんが、それでも良ければこの命『ネ=ウィン』に捧げましょう。」
さらりと重大な告白を交えていたが姉弟がそこに口を挟む事はなかったのでビアードは大いに焦った。そういえば事前の調査でもそんな話は聞いていた。
何故国を追われるような事になったのか。現在は誰が『モ=カ=ダス』という国を率いているのか。『トリスト』はどれ程干渉しているのか。
洗い出さねばならない情報が山ほど残る中、ナルサスが早速ナハトールの髪を自分と全く同じようにするようナレットに頼むと彼女は専属の理容師とナハトールを隣室へ案内する。
「いいわねぇ。面白い玩具を手に入れたじゃない。」
「はい。ですが私はもっと欲しい。そこで姉上にお願いがあります。もし黒い剣を渡した男が現れたら私の部屋にも顔を出すよう伝えて貰えませんか?」
最後はあの黒い武器を扱う男が話題に上がるとビアードの心労が限界を超えたらしい。白目をむいて立ったまま気を失っていたがそんな彼の気苦労など気にもかけずに姉弟は久しぶりに話を弾ませていた。
最初はナルサスも黒い長剣には嫌悪感を示していた筈なのに何故また呼びつけるような行動に出たのか。
「これはこれはナルサス様ぁ、まさか貴方様から直接お声を掛けていただけるとは光栄の極みでございますぅ~!」
「挨拶は良い。しかしお前、随分やつれたな?話し方も何か変だぞ?病にでもかかったのか?」
あれからすぐに姿を見せた噂の男は確かに初対面のビアードから見ても異様だった。全体的に痩せ細っており頬もこけていて目玉は今にも転げ落ちそうだが金髪だけは妙に若々しく綺麗なので余計に不気味さを際立たせている。
「ああ!これは最近創作意欲が留まる所を知らなくてですねぇ!もう時間の許す限りずっと武器の創作をしていて・・・ってあれ?ナルサス様も少し雰囲気が変わられたような?いや、貴方はナルサス様ではありませんね?何者ですか?」
「ほう?流石だな。一度しか会っていないのによく見破った。」
それから本物が姿を見せると痩せこけた男は本当に目玉を飛び出させる勢いで首をぶんぶんと振っては見比べていたが気持ちは痛い程理解出来る。
何故ならナハトールは元王族もあってか、こちらから細かな注文を付けたり訓練の類を一切必要とせず皇子としての雰囲気を纏えるのだ。そのせいで最近はビアードですら見極めるのが難しいと感じていた程だ。
「こ、これは一体・・・?!」
「うむ。まずは先に用件を伝えよう。私達に黒い長剣を作って欲しい。つまり2本だ。更に以前より強い物を所望する。出来るか?」
しかしナルサスは彼の動揺など露知らず、自身の要望を手短に伝えるとその返事を待つ姿勢に入った。これには色々思う所もあるが誰より嫌悪していた黒い力を再び得ようとするなど皇子は一体何を考えているのだ?
「も、もちろん可能にございます!2本ですね?私達・・・というのはナルサス様とそちらのナルサス様という事で・・・ふむふむ・・・あの、どちらもナルサス様とお呼びすればよろしいでしょうか?」
同じ名前ばかり連呼してて金髪の男も訳が分からなくなってきたらしい。未だ答えを貰っていないのでどう接すればいいのか、瓜二つの彼は一体何者なのかが気になって仕方がない様子にナルサスとナハトールは大層満足している。
「うむ。まぁこちらは見ての通り私の影武者だ。名をナハトールという。」
「よろしく頼むぞ。金髪の武器商人よ。」
「は、はぁ。それにしても影武者にしては似すぎていて不安を覚えますね・・・」
まさかこんな胡散臭い男と同じ感想を抱く事になるとは。確かに彼に言う通り、これ程似ていると不安は絶えない。今の所そういった様子は見られないがもしナハトールが妙な下心を抱いてしまった場合必ずナルサスを護り通さねばならないだろう。
その時しっかりと真贋を判断出来なければ最悪の事態になる。それを危惧して皇帝や皇子には何度か諫言しているのだが王族同士故か似た者同士からなのか、2人の関係に詳細な言及は一切されて来なかった。
皇子が聡明であり強者なのはよく知っている。同時にやや冷酷で我儘な性格である事も。影武者を立てる事までは自身も賛成だがあの妙な力を内包する黒い長剣まで用意させるのは流石に一線を超えている気がしてならない。
「ナルサス様、やっとあの黒い剣の呪縛から解き放たれたのです。それをまた手にしようと考えるのは御控え下さい。」
その凶刃が皇子に向かえば本当に『ネ=ウィン』が滅びかねない。未だナハトールを信用していないビアードは様々な思いと覚悟を胸に諫めるがその言葉が聞き入れられる事は最後まで無かった。
兄の親友でもあるビアードの諫言を受け入れなかった理由はいくつかある。その1つがナハトールととある密約を交わしていた事、そしてもう1つはクレイスを確実に殺す事だ。
1月ほど前、『リングストン』に呼応すべく『アデルハイド』侵攻を開始したナルサスが唯一懸念したのはイルフォシアとの対峙だった。
だが蓋を開けてみれば眼前に現れたのは邪魔で鬱陶しいクレイスだ。突如降って湧いた好機に内心打ち震えるも結果は大きな手傷を負っただけでなく撤退という屈辱まで受けてしまう。
4年前の印象が残っていた為油断はあったのかもしれないが一方的な惨敗に辛酸をなめたナルサスは憤怒と怨恨で眠れない日々が続いた。
そのせいで怪我の治りも遅く、父が再び軍を動かす事を頑なに拒絶してしまった為発散の機会を失った形容し難い感情は大きな渦を巻いて彼の心を静かに歪ませていく。
そんな中自身にそっくりな存在が現れたのだからこれを利用しない手はないだろう。
今度会った時は必ずあの生意気な小僧をズタズタに斬り伏せてやる。その感情だけに支配されていたナルサスはもはや誰の言葉も聞き入れる事は無く、全てを利用してクレイスを殺す事しか頭に無かったのだ。
「大丈夫だ。結果さえ出せば父上も許してくださる。そうだろう?ナハトール?」
「仰る通りだ。私も奴とは奇縁があるのでな。是非討伐を協力させてもらおうじゃないか。」
今回の目的はたった1人の首だけなのだから制圧する程の部隊など必要は無い。特に口煩いビアードは置いていくべきだろう。こうして水面下で冷静に用意を整えていたナルサスはセイドが黒い長剣を用意したその日に『ネ=ウィン』を発つと今度こそ将来の芽を摘み取るべく自身と部隊に檄を飛ばすのだった。
『リングストン』への反抗軍も同時に動き始めていたらしい。奇しくも再び同時に行動を起こせたナルサスは早速『アデルハイド』の王城に火球や矢の雨を降らせて奇襲を開始した。
今回は手段を選ぶつもりも欲張るつもりもない。まずは奴を炙り出す所から始めてその首を刈り取り速やかに帰国する。そう、目的はクレイスの命ただ1つだけなのだから。
「また懲りずにやってきたのか。しかも今回は奇襲?君には誇りがないの?」
「ふっ。前回のような奇跡は二度と起こらん。今日はそれを証明してやろう。」
落ち着いた様子で速やかに登場したクレイスに激しい苛立ちを覚えていたが余裕を見せていられるのも今だけだろう。憎悪で自身を見失っていたナルサスは以前よりも強力な黒威の力をしっかりと感じ取って狂気の笑みを浮かべながら早速身構える。
それと同時に飛行部隊もかなりの距離を取って広く展開し、ナハトールに至っては外套を脱ぎ捨てて同じ容姿をわざと見せつける事で奴の動揺を誘うのだ。
「・・・ああ。ナハトールか。何?王位を追われてナルサスに利用される道を選んだの?言っておくけど君がイルフォシアに剣を向けた事、僕は許していないからね?」
ところがすぐにその正体を見破ったクレイスは軽い溜息と納得する様子を見せつけて来ただけでなく、意外な事を口走ったのでナルサスの方が僅かな猜疑心を生んでしまった。
同時に冷静さも取り戻せていたらこの先の悲劇も回避出来たかもしれないがクレイスの首にこだわっていた彼はその言葉にも耳を塞ぐと無言で攻撃を開始する。
しゃしゃしゃんっ!!
黒威の長剣を持つ猛者が2人、そして遠距離からは魔術師の援護射撃が三方向から放たれるという1人を仕留めるにはあまりにも過剰過ぎる布陣にクレイスの慄く姿が目に浮かぶようだ。
だが簡単には終わらせない。自身が受けた大きすぎる屈辱を倍以上にして返さねば気が済まない。負ける事はもちろん、苦戦など絶対にありえないという自信からナルサスはまずクレイスの体を斬り刻む事に愉悦を巡らせていたがここで思わぬ誤算が生じた。
ががきががきががきんっ!!
何と前面からは自身が、後面からナハトールが同時にその凶刃を振るったはずなのにお互いの切っ先が彼の体に走る事はなかったのだ。
ナルサスの攻撃がクレイスの右手に握られている水の魔術を施した長剣でしっかりと受け切られているのは理解出来る。では後方から迫るナハトールの攻撃をどうやって凌いだのだろう。
気になって視線を向けてみるとそこには展開された水の剣だけが中空で確たる意思を持ち彼の攻撃をしっかりと受け切っているではないか。
我が目を疑いながら一先ず間合いを取ると今度は魔術師達が全方向から火球を放つ。しかしクレイスはそれらを躱す素振りを見せなかったので再びナハトールとの同時攻撃も重ねたのだがはやり右手に握る長剣と彼の意思で自由に動く魔術の剣によって2人の攻撃は的確に受け切られるのだ。
認めなかった。認める訳にはいかなかった。無能だった青二才が想定以上の力を身に着けていた事を。魔術師達の火球を全く防ごうとしなかった意図を。
再び間合いを取って魔術師達の援護射撃を確認したナルサスは角度を変え、今度こそはと影武者と息の合った剣戟を放つがやはり黒い剣閃が彼の体に届く事はなく、気が付けば手にしていた分も合わせて魔術の剣を合計4本展開していたクレイスは再びナルサスの胸元に一か月前と同じ剣閃を走らせると周囲からは動揺と悲痛な声が漏れていた。
「・・・おのれぇ・・・奇妙な術を使いよって・・・」
「それはお互い様でしょ?でもナルサス、黒威の剣はもう使わない方が良い。力は感じるけど動きが単調になり過ぎてるよ。」
2人の差を測れる物差しがあれば納得も行くのだろうか。憎悪の対象に酷く上から助言を受けると憤怒で頭が爆発しそうだ。
「ナルサス様、ここは一旦撤退を。」
この場で提案と判断が出来るのは同じ王族でもある影武者のナハトール以外にあり得ない。魔術師部隊達も激しく頷いていたがここで引けば激しい叱責と謹慎処分は免れない上に自身が憤死しかねない。
もはや憎悪や苦痛を与える事などどうでも良い。何としてでも奴を討ち取らねばならない。何かないのか?何か手は・・・
怒りと憎しみの中無理矢理頭を回転させているのもあるだろう。胸元の激しい出血により冷静さよりも苦痛と貧血からめまいを覚えたナルサスは青白い顔でクレイスを睨みつけると本能から再び撤退の合図を出してしまう。
また失敗してしまった。
後悔や無念が薄く脳裏を過るもののこれ程盤石の体制であっても奴にかすり傷1つ負わせる事が出来ない事実に落胆するしかない。
いや、正確には魔術師達の火球は全て当たっていた。というのもクレイスは今回ナハトールも同じ黒威の長剣を手にしている事から余計な魔力を極力消費しないよう立ち回っていたのだ。
『アデルハイド』への夜襲から始まった外の世界を知る旅は彼の心身を大きく成長させていたのをナルサスは知らない。特に痛みに対して尋常な耐性を持つ彼は一般的な魔術如きに対応するのは魔力や体力の無駄だと全てを受け切り立ち回って見せたのだがこれに気が付く事は一生無い。
ナルサスも研鑽こそ積んできたものの立場上大きな手傷を負う事は無かった。これは彼が王族最後の希望でありとても大切に育てられて来たのも理由だがそういった意味では2人の環境自体はよく似ていたのかもしれない。
唯一異なる点は親友や大切な人の為に命を賭けて戦ってきた経験の有無だろうか。そしてその事実に辿り着いたとして彼は納得の行く最後を迎えられただろうか。
応急手当もそこそこに意気消沈した『ネ=ウィン』の飛行部隊は無言のまま帰国をしている最中、その凶刃はビアードの悪い予感以上の結果を生み出してしまう。
しゃしゃしゃんっ!!
ただでさえ消耗していた魔術師達が全員屠られたのはもちろん、慣れない手傷とクレイス如きに二度も敗れたという心傷も負っていたナルサスは何が起こったのかすらわからず三度同じ場所に、しかも背中から寸分の狂いもなく分断されて絶命するとその場で落下していくのだった。
黒威の武器は特定個人の欲望に呼応するよう作られてきた。故に誰かから奪ってもその力は発揮されない。
それでも凶行に及んだのは単純にこの力が、長剣が2本欲しかっただけだ。それらを手にすることであの憎きイェ=イレィを討てるだろうと考えて。
最初からナルサスや『ネ=ウィン』の事などどうでもよかったナハトールは彼の死体からもう一振りの黒い長剣を遠慮なく抜き盗ると空いている自身の右腰に佩き直す。
「さて、行くか。」
ようやく準備が整った。ようやくイェ=イレィに対抗出来る力を取り戻した。
共に彼女を屠る約束を交わしてはいたが彼もまた憎悪から黒威の力に飲み込まれていた為再び手傷を負ったナルサスを用無しと判断したのも仕方なかったのかもしれない。
全ては己の欲望を満たす為に。
久しぶりに高揚を覚えたナハトールはナルサス以上に歪んだ笑みを浮かべるが一瞬だけ思考力と冷静さが戻ってきて我に返る。
・・・何故自分は奴を討とうとしているのだろう?厚遇してもらったナルサスを裏切り、黒い長剣を奪ってまで彼女を殺したい理由は何だ?
だが我欲に支配されてしまった彼は二度と己を取り戻す事は無く、答えを導き出せないまま東へ向かって飛び去るのだった。
西で起こった大事件の周知が遅れたのはナルサス達の足取りが突如途絶えた事も大きい。
更に『モ=カ=ダス』とそこを統治するイェ=イレィがこの世界の情勢を未だ十分に掴んでいなかったも原因だろう。突如異国の衣装に身を包んだナハトールが現れても最初は必要最低限の対応しかしなかった。
結果いくらかの衛兵達が犠牲になったという話が届くと執行者であるアンババを呼んで殺さず食さず速やかに追い出すよう命じるがあまりにも早く戻って来たので彼女は目を丸くする。
「あら?もう終わったの?」
「いえ、その、どうも奴は人間ではないようでして。しかもその強さは私の手に負いかねます。ここはショウ様の仰っていたように『モクトウ』か『トリスト』へ救援を求めるか女王様自ら始末して頂ければと。」
「???」
一瞬何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。以前、彼の欲求を満たす意味も含めて襲わせた時は軽くあしらっていたはずなのにどういう意味だろう?
訳が分からないまま部屋から外を覗いてみると確かに妙な気配を纏っているのは十分伝わって来る。しかもあれは『神界』で何度も見た姿に酷似していた。
「・・・念の為に両国へ伝令を飛ばしておいて頂戴。」
遠目からでも何かしら外的な要因を保有しているのは明らかだ。問題はそれが誰によって与えられ、どれくらいの力を保有しているかだが少なくともアンババが立ち向かう事を断念するくらいには強力らしい。
昔なら首を突っ込むなど考えられなかった。『神界』という絶対に安全な場所から傍観者として成り行きを見守る事しかしてこなかった『神族』が支配下にある箱庭に自ら干渉するなど有り得ない、それは恥ずべき行動だという考えが根付いていた程だ。
「皆は避難を。特に国民への被害は最小限に抑えなさい。」
しかし今は違う。ヴァッツという破格過ぎる存在に全てを奪われ、与えられ、任されたイェ=イレィは速やかに命じるとふわりと体を浮かせて中庭を歩くナハトールの前に舞い降りた。
「ほう?自ら姿を見せてくれるとは嬉しいぞ。」
「面倒事は早めに解決しないとね。元王族の・・・名前は忘れたけどこの不敬は万死に値します。これは一族郎党全てに責任を負ってもらうわよ?」
『モ=カ=ダス』の象徴であり女王でもある彼女が相対すると遠巻きながら臣民や衛兵達が狂喜の歓声をあげ始めるが『神族』の勘が無意識に左腕を横に振ると周囲は蜘蛛の子を散らすように離れていく。
どうやらナハトールの持つ黒い長剣は以前自分が与えていた神器に近しい物らしい。
つまりあれを破壊、もしくは奪ってしまえば解決するのだろう。多少弱体化されているとはいえ神の力を持つイェ=イレィに油断は無く、最終的には黒い長剣以外を跡形も無く消し去ろうと戦う方向性を固めていたのだが1つ大きな誤算があった。
それは彼が異能の長剣を二本所持していた事だ。黒威の力は最初に与えられた本人しか扱えないというその制限が眼前で破られると二剣を構えたナハトールは狂乱に染まり始め、イェ=イレィは驚愕に肌をひりつかせる。
このまま戦えば敬愛するヴァッツから託された『モ=カ=ダス』にも大きな被害が生まれるだろう。
瞬時に判断した女王は急いで空に飛ぶと黒い獣と化したナハトールも獲物を追うかのように後を追う。そして暫く西に移動した後、周辺に大きな集落がない事を確認してからイェ=イレィは人間を棄てた生物を相手に戦い始めるのだった。
城内で内政の勉強中だったクレイスには十分な余力があった。そこにルマーとの接触や彼女の世界の話、カーヘンとの稽古なども経て更なる引出しを得ていた彼にはナルサスを殺せるだけの力は十分に備わっていた。
それでも奇襲への対応時に再び同じ刀傷だけで済ませたのには理由がある。それが一か月ほど前に行われたトウケンとのやり取りだ。
彼がクレイスにナルサス暗殺を持ち掛けてくれた時考えたのは成否と費用だけだった。つまりこの時はまだ王太子として、次期国王として様々な配慮や思慮が欠け過ぎていたのだ。
「あの・・・それっていくらくらいかかりますか?僕の持ち合わせだけで受けて貰えるのでしょうか?」
「当然だ。ただしハルカを幸せにしてくれる事が最低条件だがな。」
最初のやり取りではやはりそこに帰結するのかとしか思わなかったが対峙して座っていた彼はすぐににやりと意味深な笑みを浮かべると緊張した空気を霧散させる。
「ふっふっふ。やはりお前も面白いな。様々な者が期待を寄せるのも理解出来る。」
「???」
期待を寄せる?様々な者から?15年というまだまだ短い人生を振り返っても全く心当たりは無かったが小首を傾げるクレイスを他所にトウケンは話を続けた。
「もしここでナルサスを亡き者にした場合『ネ=ウィン』と『アデルハイド』にどのような動きが起きるのか、そこから考えてみると良い。」
「はぁ・・・・・う~ん・・・・・」
仕方なくナルサスがいなくなった場合を想像するとまず当面は『アデルハイド』への侵攻を心配する必要はないだろうと考える。後は『ネ=ウィン』の直系男子が全て消え去る事で残ったナレット皇女が女帝として君臨するくらいか。
楽観的に考えればその程度で終わる所だが一流の暗殺者であるトウケンは違う。方々へ諜報員を送って莫大な情報を収集するのはそこから詳しい内情を読み取る為でもあるのだ。
「まず『ネ=ウィン』は間違いなく『アデルハイド』を落としにかかるだろう。しかも今までとは違い全力で、あらゆる手段を用いてな。」
「・・・えっ?」
「ナルサスがイルフォシアを手に入れるにはお前が邪魔なのは周知の事実だ。となると彼が暗殺された場合、誰よりも真っ先にお前が疑われる、というよりは決めつけられる。そこから最愛の息子を失ったネクトニウスや何よりも家族を大事に思うナレットが全てを投げ打ってでも仇を討つ為に行動を起こすと断言してやろう。」
そんな馬鹿な、と口を挟みたかったがトウケンの雰囲気がそれを許してくれない。彼は自信を持って言い切るまでに正確な情報を掴んでいるのだ。
「現在の『ネ=ウィン』と『アデルハイド』は国力が逆転しつつある。そして窮地に立たされている彼の国は正常な判断が難しい状態だ。つまり強者の立場であるお前にこそ選択権があるのだ。奴を許すという選択権がな。」
「・・・・・許す・・・ですか。」
強者かどうかは置いといて許すという言葉で過去の夜襲が思い返された。あの時大した被害こそ出ていなかったものの怨恨は苦々しい記憶として未だ心の奥底に刻み込まれたままだ。
そのせいか自然と両手が固く拳を作っていたのだがトウケンはどこまでこちらの心情を察しているのか、一番大切な事を静かに告げてくれた。
「クレイスよ。国家というのは決して情だけで動いてはならぬ。次期国王なら良く肝に銘じておくのじゃ。」
流石にそこまで言われれば理解するしかない。彼は遠回しにナルサスを殺すなと言っているのだ。もし彼が亡くなると余計な戦禍が巻き起こってしまうと。
しかし今まで憎悪しか抱いてこなかった相手を屠れない上に許せというのはどうにも納得し難い。王族としての自覚こそ芽生え始めて入るもののまだまだ若く血気盛んなクレイスは分かりやすい苦悩の表情を浮かべていたのだろう。
遂にはトウケンが噴出して笑い出すとこちらの悩みも一瞬だけ真っ白になったが『暗闇夜天』の頭領は構わず最後の助言を与えてくれる。
「ではもう1つ教えてやろう。物事には何でも時期や順序というのがある。これもよく覚えておくとよい。」
「・・・わかりました。」
どうやら彼はこうやって少しずつ成長するきっかけと教育も施してくれていたようだ。そこに気が付くと憎悪や怨恨以上に彼への深い敬意と感謝で心は満たされていくのだが素直なクレイスは新たな疑問に頭を悩ませ始める。
つまり時期と順序さえ間違えなければナルサスを屠ってもいいという事だろうか?それとも次期国王として国家の為に許す、のは無理だとしても共存の道を模索すべきなのだろうか?そもそも再び相対した時に衝動を抑える事は出来るのだろうか?
話はそこで終わってしまった為明確な答えがないまま三度ナルサスと対峙する事になったのだがこの時はナハトールを連れて来たり再び黒威の長剣を手にしていた事で感情は呆れと憐憫に向けられた。
結果冷静に立ち回れたクレイスは前回と全く同じ手傷を負わせて無事撃退出来た事に満足と安堵を覚えるも、まさかその後に彼が殺されていたとは夢にも思っていなかった。
それからすぐナハトールによる『モ=カ=ダス』襲撃の急報が入って来るとクレイスは援軍について速やかに父と相談し始めたのだがその直後ナルサスが帰国途中に殺された報せが重ねて届いたので親子揃って目を白黒させる。
「クレイス、お前はナハトールとやらを始末してくるが良い。ここに居ては余計な疑いがかけられるぞ。」
トウケンはそう助言してくれるが憎悪を隠してナルサスを無難に撃退したクレイスは妙な虚無感からすぐには頷けなかった。自分は王族として、国家としての立ち回りを優先していたのにあの男は己の憤怒と復讐に溺れて勝手にあっけない最後を迎えたというのだから当然だろう。
それでも、自業自得とわかっていてもそんな下らない散り方をされる位ならこの手で討ち取りたかったという気持ちは強い。
(・・・あの男・・・どこまで僕を苦しめるんだ。)
まさか死んでも尚嫌悪感を植え付けて来られるとは思いもしなかった。誇りすら忘れた皇子の全く同情出来ない死に様はクレイスを大いに憤慨させるがこれも運命なのかもしれない。
王太子としてまた1つ成長した彼は小さな溜息とやるせない気持ちを排出すると双眸に力を宿して静かに宣言する。
「・・・いえ、僕はナルサスを『ネ=ウィン』に運びます。遺体の場所に案内してもらえますか?」
これには感情の整理を黙って見届けていた父やトウケン、プレオス達も同じような表情と反応を見せる。
「それは流石に許可出来ん!今お前がナルサスの遺体を運べば間違いなく新たな火種を生むぞ?!」
「僕はそうは思いません。確かに彼への憎悪、この手で討ち取りたかった気持ちはありますがそれを果たせなかった悔しさも存在します。ネクトニウス様であればこの感情もしっかり見極めて下さるでしょうし、何より皇子と最後に戦った僕が彼を届けるべきだと考えます。」
好敵手と呼べる間柄でもなかったが最後くらいは同じ立場の者として敬意を払う事を選んだクレイスはキシリングを真っ直ぐ見つめると彼は驚きつつも静かに目を閉じる。
ちなみにプレオスは嗚咽を我慢する程感極まっていたがそれを隠すようにトウケンが案内を買って出てくれたので早速2人は荘厳な棺桶を持って王城を後にするのだった。
「これは・・・トウケン様はどう思われますか?」
空を飛んで数分もかからずに現場へ到着するとまずは上空からでも木々の葉に飛び散る血痕からすぐに異常を察知出来た。
魔術師達も抵抗する間も無く殺されたのだろう。地上にはそこらじゅうに分断した遺体が落ちていたのだがその中にナルサスの遺体もクレイスが付けた刀傷に重なるよう叩っ斬られていた。
「うむ。肩口の傷から見ても後ろから襲われたのは間違いないな。裏切られた事すら気が付かずにこと切れたと考えれば幸せなのかもしれん。」
落胆した弱弱しい表情がまた彼らしくない。もっと最後まで憎悪や激昂した形相を浮かべていて欲しかったと寂しさを覚えたクレイスは早速彼を棺桶に収めると1人で『ネ=ウィン』に向かおうとした。
「待て待て。流石にお前1人を送り出す訳にはいかん。わしも運んでくれ。」
「え?でもトウケン様は『アデルハイド』の賓客です。これ以上の介入は命や『ネ=ウィン』との関係悪化も懸念されるので・・・」
「何を言っておる。この事態をいち早く掴んだのはわしら『暗闇夜天族』だぞ?今更部外者扱いとはそれこそ無礼ではないか?」
初めて聞く事実と同時に何故彼が様々な情報を掴んでいたのかを思い出した。暗殺者とは決して考え無しに人を殺すだけではない。その背景をしっかり精査し、足が付かないよう完璧に仕事をこなすからこそその名を轟かせてきたのだ。
「・・・わかりました。でも衝突しそうならすぐに避難して下さいね。」
「誰に物を言っておる。わしは『暗闇夜天』の頭領だぞ?」
実際彼とは立ち合い稽古すらしていないのでその実力は全く知らなかったがハルカの事を考えると強さで心配するのは逆に失礼だったのかもしれない。クレイスは軽く頷くと早速巨大水球を再展開し、棺桶とトウケンを包み込んで南へ飛ぶ。
それから間もなく『ネ=ウィン』の王城が見えてくるとその飛空速度に目を丸くしていた偵察部隊を尻目に中庭へ降り立った。
続けて簡潔に名乗ってからナルサスの死を伝えたのだが流石に父として冷静ではいられなかったのだろう。
「き、貴様・・・よくも、よくもナルサスをっ!!」
自身がやったのではない、恐らく影武者のナハトールが背後から襲ったのだという説明も聞き入れてもらえずこちらに剣を向けて来た皇帝にどう対応すべきか悩むがそれは目つきの鋭い女性によって阻まれるのだった。
「お久しぶりですクレイス様。随分と立派になられたようで。」
元服の儀の時に見た事のある彼女は確か皇女ナレットだ。当時はイルフォシアにちょっかいを出して来たナルサスに腹が立って気が付かなかったのかその後手に入れたのか。
屈強な戦士でもある皇帝を細腕で簡単に止めていたのは手に握られた黒い鉄扇の影響だろう。でなければ余裕のある態度や不自然な力に合点がいかない。
「はい。皆に良くして頂いたお蔭で何とか生き延びる事は出来ています。」
しかし我を忘れているネクトニウスと違ってナレットは弟と同じような冷酷な雰囲気を纏ってはいるものの激昂や憤怒といった感情は抱いていないらしい。
「先程お伝えしたのですがナルサス殿は影武者であるナハトールに殺されたようです。傷口を見ていただければわかるように背後から両断されていて・・・」
「何をいけしゃあしゃあと!お前が背後に回って手を下したのだろうっ?!」
であればここは冷静に事実だけを伝えて速やかに引き上げよう。そう考えていたのだがつい先日の問答で予習していた模範的解答が飛び出ると驚きと同時に深い納得から言葉を止めた。確かに今までの確執を考えると疑われても仕方がないのだがまさかこんなに早く事例通りの場面に遭遇するとは。
「ネクトニウス。クレイスは決して敵を後ろから襲うような真似はせん。わしが断言しよう。」
そこに大きな体ながら存在感と気配を消していたトウケンが初めて口を挟むとやっと皇帝も冷静さを取り戻したのか、必死で詰め寄る動きを僅かに止めたが納得した様子はない。
クレイスも自分から弁明するつもりはないししたくなかったのでどうするのか少し悩んだ結果、これ以上言葉を発する事無く帰国する準備に入るとネクトニウスは再び怒号を上げる。
「その者をひっ捕らえよ!!ナルサスの国葬前に処刑だ!!」
「お待ちください!!ネクトニウス様、私もクレイス殿がナルサス様を討ったとは思えません!!」
すると今度はビアードが覚悟を決めたのか、随分と険しい表情で諫言してきたのだから周囲はいよいよ危ない雰囲気で空気がひりつき始める。こうなってくると多少の衝突は避けられないか。トウケンを巻き込みたくなかったクレイスは身構えるが一触即発を回避したのは他でもないナレットだ。
「お父様、もしクレイス様がナルサスを背後から斬りつけるような人物なら私が夫として選ぶ筈もありませんし何より元服の儀でそれを実行しなかった事から無実は明白です。」
・・・・・うん?ナレットが自分を夫として選ぶとか言っていたように聞こえたが多分聞き間違いだろう。終始冷静な彼女がきっぱり言い放つと周囲は怒りや悲しみを驚愕に変えてその場で固まってしまった。
だがこれで全てに片が付く筈だ。後は『ネ=ウィン』の問題なのでクレイスが何かをする必要はないと背を向けた時、彼女はこちらに寂しく告げてくる。
「誰も貴方がナルサスを殺したとは考えていないわ。ただその方が楽だから、自分達の過失を認めたくないから取り乱してるのを装っているに過ぎないのよ。」
「ナ、ナレット様、それはあまりにも・・・」
「・・・過失・・・というのはナハトールの事ですか?」
まだまだ純粋さが勝るクレイスはつい振り向いて尋ねると彼女は満足そうな笑みを浮かべ、ビアードとネクトニウスは苦渋の表情を浮かべながら俯いてしまった。
どうやら彼の危険性をある程度理解しながらも影武者として受け入れていたらしい。結果今回の悲劇が生まれ、多少の同情からクレイスも遺体を運ぶことを志願したのだ。
「ええ。ですから私達はナハトールを討伐せねばなりません。そこでお尋ねしたいのですが奴はどこへ向かったのか、何か手がかりをご存じありませんか?」
もちろん知っている。その情報はナルサスの訃報よりも早く『アデルハイド』に入ってきていたくらいだ。
「・・・はい。現在奴は母国である『モ=カ=ダス』に向かったと聞きました。恐らく王位を簒奪する為でしょう。」
「やはりそうですか。ではビアード、早速ナルサス直下の部隊と東へ向かいなさい。必ず奴の首を持ち帰って来るのです。」
「お待ちください。ナハトールの討伐は僕が成し遂げたいと考えています。」
ところがネクトニウスやビアード、『ネ=ウィン』と事情が大きく異なるも気持ちの整理がついていないクレイスはまたも若さと純粋さを優先してしまう。
本来なら自らの手で正々堂々とナルサスを討ち、後顧の憂いを断ちたかったが過去の夜襲から始まった因縁に終止符を打つ機会は永遠に失われたのだ。
ならばクレイスも仇討ちとはまた違った意味合いで奴を討つ資格はある筈だ。ただ意外過ぎる提案はナレットですら目を丸くしていたがすぐに薄い笑みを浮かべると上機嫌に声を掛ける。
「よろしいのですか?本来ナハトールの不手際は私達『ネ=ウィン』の責任です。それを他国の王太子である貴方が危険を冒してまで出向かずとも・・・」
「いいえ、僕はナルサス様としっかり決着を付けたかった。その機会を卑劣な手段で奪ったナハトールを許せません。」
包み隠さず純粋な本音を語るとあれ程激昂していたネクトニウスも驚愕を浮かべてからやっと話を聞ける程には落ち着きを取り戻したらしい。
「・・・よかろう。ではナハトールの首は貴様に任せる。もし『ネ=ウィン』に届けた暁にはナレットとの婚約も前向きに検討してやろう。」
ただ話は思わぬ方向でまとまってしまったのでクレイスは数秒間放心した後、皇女の誘うような視線から逃げるように慌ててトウケンを回収すると音の速さを超えて帰国するのだった。
クレイスが何故あの場で余計な提案を断れなかったのかと激しく後悔している中、『ネ=ウィン』と『モ=カ=ダス』の中間地点では件の人物が『神族』と想像を絶する戦いを繰り広げていた。
というのも本来であればナルサスにしか呼応しない黒威の長剣がナハトールの手の中でその力を如何なく発揮していたからだ。
そして自分専用に作られた黒威の力も重ねると彼は憎きイェ=イレィを滅ぼす為だけに理性を捧げて戦い続ける。
木々と大地は強力な斬撃により裂けて、抉られて、緑と土が入り混じる荒野へと変貌を遂げていたが対峙するイェ=イレィにはいくつかの確信があった。
1つは自身の力が思っていた以上に奪われていなかった事だ。
『神界』にいた頃から自ら戦うという状況はほぼ無かったものの少なくとも黒い獣のようなナハトールに後れを取る心配は無く、圧勝とまではいかなくとも負ける要素はないと考えていた。
故に焦る事無く堅実な攻撃、反撃を心掛けていたのだがここで思わぬ事態が生じてしまった。それが突然地上に見えた1人の少女だ。
知人でもない明らかに何の力も持たない存在に目と心を奪われたのは短い期間ながら女王として直接人間達と接して妙な情が芽生えていた可能性はある。
だが何よりもここはヴァッツの住む世界なのだ。そんな大切な場所で無関係な命を見殺せば彼はどれ程悲しむだろうか。そしてイェ=イレィに大きな落胆を覚えるだろうか。
「がっはぁっ・・・っ!!」
気が付けば考えるよりも先に少女を護ろうと急下降してその体を掬い上げていたのだが本能のまま黒威の二剣を振るう彼の斬撃は容赦なく彼女の背中を十字に斬り刻む。
戦う者としては最大の失策ではあったがイェ=イレィに後悔はない。きっとこの行動こそがヴァッツの望むもので間違いと確信があったからだ。
しかしこんなお荷物を庇って戦い続けるのは分が悪すぎる。更に背中の手傷から勝利がとても遠くに離れていくのを感じると彼女は杖の先にいる銀色の鷹を使って拾い上げた少女を『アデルハイド』に飛ばした。
後はナハトールを倒せばヴァッツにとても喜んでもらえるに違いない。再び下心に火を付けたイェ=イレィは残りの力を振り絞って敵の駆逐に邁進するのだが体中に痛みと熱さが走り出すと自分の意思とは関係なく大地に倒れていた。
『ネ=ウィン』で予想外に時間を食ってしまったクレイスは焦る気持ちを抑えて『モ=カ=ダス』へ向かう。
本当なら魔力の都合を考えて明日に延ばしたかったがもしナレットとの婚姻が本当に進んでしまったらと考えると居ても立っても居られなくなったのだ。
自分には既にイルフォシアという存在が居て、そして自分を慕う数々の少女も傍に置くと誓っていた。
そこに宿敵である男の姉が加わる等あってはならない。いや、王太子として国家の利益になるのなら一考の余地はあるのかもしれないがあの雰囲気と容姿はとてもじゃないが受け入れる気持ちが起こらない。
(・・・これから戦うって時に何を考えているんだ僕は!!)
焦る気持ちを自戒しながら魔力を抑えて必死に東へ飛ぶが今の精神状態でしっかり戦えるのだろうか。
こんな事なら『トリスト』に立ち寄ってイルフォシアと触れ合って来ればよかった、などともやもやで不安定な飛び方をしていると前方から見慣れない何かが飛んできたのでやっと気持ちを切り替える。
「・・・あれは?イェ=イレィ様の鷹?」
一度だけだが『モ=カ=ダス』の議会場で見た銀色の鷹は彼女の杖の先にくっついていたもので間違いない筈だ。しかし今回は体が大きく変化しているのと鉤爪に妙な少女が掴まれている事から何かしらの理由があるのだろう。
「えっと!そこの銀色の鷹さん!僕を覚えてますか?!『アデルハイド』のクレイスです!」
言葉が通じるのか分からないまま声を掛けてみると鷹の方はこちらを覚えてくれていたのかただ反応しただけなのか、大きな翼をはためかせながら少し上昇気味に向かってくるとその少女を投げるように寄越してきたので慌てて受け止める。
「えっ?えっ??あ、あの、えーっと、君は誰?」
「あっ!わ、私はルアトファって言います!その、突然訳の分からない場所に迷い込んじゃって・・・それに目の前で変な人達が空を飛んだり戦ったりしてて・・・あの・・・ここはどこですか?何がどうなってるんですか?!」
「ルアトファ・・・えっ?!」
思ってもみなかった出会いに先程までのもやもやが吹き飛ぶと旋回して急いで東へ戻る銀の鷹すら忘れて彼女をまじまじと見つめてしまった。
言われてみれば髪型こそ違うが確かに見た目はハルカに似ている。という事はラルヴォが一緒に旅をしていた少女で間違いないだろう。
『モ=カ=ダス』方向から何故銀の鷹が彼女を運んできたのか、その理由はわからないままだが彼女を一緒に連れて行くのは足枷になりかねない。
偶然ながら探し求めていた人物を得たクレイスは一先ず『暗闇夜天』の集落へ急ぐと再会を諦めていたラルヴォは目を丸くした後、喉をゴロゴロと鳴らしてルアトファを抱きかかえるのだった。
これはこれでとてもよかった。朗報を前にこちらも爽やかな笑みを浮かべていたが自分にはこれからやらねばならない事が残っている。
「じゃあ僕はこれで・・・」
「お待ちください。クレイス様にはルアトファ様を探し当てた経緯を語って頂いた後、是非祝宴に参加して頂きたい。」
「うむ。私からも是非礼をしたいのだ。長くは引き止めんので少しだけでも話を聞かせてはくれないか?」
元々見た目とは裏腹にとても紳士的なラルヴォと冷酷な印象ながら里や仲間の事を第一に考えているコクリに引き留められると押しに弱いクレイスは断り切れなかった。
「では少しだけ・・・」
仕方なく座敷に腰を下ろすと個人的にも気になっていたルアトファ本人の件から尋ねてみたのだがその答えは意外なもので再び彼の使命感を逸らせてしまう。
「昨日からラルヴォが急にいなくなったからとりあえず近辺を捜索していたの。そうしたら突然見た事の無い場所に出て来ちゃって、変な人達は空を飛ぶし大地はめちゃくちゃになるし。」
ハルカに似た少女はほとんど飲まず食わずで彼を探していたらしい。そういった説明の中目の前に料理が用意されたのだから喜ばない訳がない。まるで子供のように目を輝かせて食べようとしたのだが食べ方がわからず困惑しているようだ。
実際『モクトウ』近辺は突き匙ではなく箸という食器を使って料理を頂く為知識や経験がないと難しい。それを一番深く理解しているのはラルヴォなのだろう。彼がすぐに使い慣れた突き匙を渡すと彼女も喜んでいただき始めた。ちなみにクレイスは料理に関係する作法という意味合いから箸はぎこちないながらも履修済みだ。
「しかし昨日から・・・という部分が気になりますな。ラルヴォ様がこの地で生活されて既に3か月近くは経っています。」
コクリ以外もそこが不思議だったのだろう。皆が小首を傾げていたがこれはそういう状況を経験した者にしかわからないらしい。
「恐らくラルヴォ様のいた世界とこちらでは時間の進み方が違うのでしょう。」
『天界』と『魔界』の事情を知っていたクレイスが簡単に説明しても誰も理解する事が出来なかったのでルアトファが無事だった話に戻すと彼女は食事を止めて顔を青ざめる。
「あっ?!で、でも私を助けてくれた方が危ないかもしれない・・・あの時手傷を負われていたようだし・・・」
無理矢理にでも話題を切り替えてよかった。それが事実なら今のナハトールはイェ=イレィを倒せる力を手にしており、彼女と『モ=カ=ダス』には亡国の危機が迫っているという事だ。
「すみません。まずはナハトールを討ってきます。話は全てを終えてから後ほどゆっくり聞かせてください。」
だが既に彼女達の戦いは終焉を迎えておりイェ=イレィは最大限の恥辱と苦痛を与えられていた事を、ナハトールが二本の黒威を取り込み人外へと成長した事を知らなかったクレイスは軽い足取りで里を飛び立った。
生物としての全てを捧げて勝利を収めたナハトールは僅かな記憶に縋って玉座に腰かけはしたものの何故そこに座っているのか、何故イェ=イレィの下腹部に黒威の長剣を深く突き刺して這いつくばらせているのか全く理解出来ていない。
感情と知性と理性を失った彼はもう生きる理由も生きていく理由も見出だせない廃人と化していたのだが『モ=カ=ダス』の人間がイェ=イレィを助けようとする動きにだけは反射的に体を動かして排除する様子は見せている。
そのせいで臣下達もただただ遠くで見守る事しか出来ずにいたのだが一瞬だけ希望を見出だした時があった。それが彼女の飼っていた銀色の鷹が物凄い速度で城壁を破壊しながらナハトールに襲い掛かった時だ。
しかし常人には捉える事の出来なかった2つの力はぶつかり合った瞬間に片方が真二つに叩っ斬られた事であっけなく摘み取られる。
(・・・ヴァッツ様には何と申し開きすれば良いのかしら・・・)
そんな周囲の悲壮感を他所に子宮ごと床に貫かれて身動きが取れないイェ=イレィはヴァッツの事を考えながら何か突破口はないかと考えを巡らせていた。
折角『神族』としての力を再度与えられ、国を任されたのにこの体たらくは我ながら目を背けたくなる程情けなく不甲斐無い。それに彼の子を授かる為の器官にこのような凶刃を立てた恨みは必ず晴らさねばならない。
何としてでも奴を始末せねば。イェ=イレィは残された手段をいつ、どこで放つかを虎視眈々と狙っていたのだが彼女の救世主は突然現れる。
「あっ!イェ=イレィ様!!だ、大丈夫ですか?!」
それはヴァッツの親友であり『アデルハイド』の王太子クレイスだ。確かに彼も相当な手練れだという話は聞いていたがナハトールを相手にするには荷が重すぎるだろう。
「・・・逃げなさいクレイス、そしてヴァッツ様の御力添えを賜って来るのです。」
だから静かにそう告げるに留めたのだ。これ以上奴の凶刃によって余計な犠牲が出ないようにと考えて。
「・・・いいえ、奴は僕が討ち取ります。ナハトール、ここは狭いから外に出ようじゃないか。」
ところがクレイスはこちらの忠告を一切聞く事無く謁見の間に入って静かに言い放つとナハトールもイェ=イレィの腹部に刺さっている黒威の長剣を引き抜いて誘われるように大空へと飛び立っていった。
理由は分からないがナハトールはクレイスを敵と認識したのは間違いない。
そして素早く対応した彼も一瞬でイェ=イレィの体を巨大な水球で包み込んでくれたのは下手な追撃や止めから護ってくれたのだろう。お蔭で自身は助かったのだがクレイスもすぐにナハトールの異変を察したのか。
彼女と同じように都市から離れるよう誘導すると獣と化した彼も反射的に後を追っていく。
(せめて見届けないと。)
責任感からイェ=イレィは重傷の体で後を追おうとしたが自身を包み込んだ水球は思っていた以上に強い弾力があり、傷ついた彼女の力では外に出る事も動く事も出来なかった。
つまりそれ程の力を持っているからこそ彼がナハトール討伐に選ばれたのだと考えればここは信じて吉報を待つべきなのかもしれない。
「じょ、女王様・・・」
「恐らくあの御方はヴァッツ様に任されてこの窮地に現れて下さったのでしょう。私達は何の心配もせず復旧作業に当たりなさい。」
慌てて駆け寄って来る臣下達が安心と悲哀の声を掛けてくるとイェ=イレィも己の責務を全うする為に毅然と命令を下す。今は彼の親友を信じよう。いつかはこの世界を統一するであろう覇者の彼を。
そう思えた彼女は遠い西の空に視線を向けているといつの間にか水球は消えてなくなっていたらしい。慌てて召使いや医者達が囲んできて必死で手当てを行い始めるのを見ていると少しの期待を胸に静かに気を失っていくのだった。
そんな『モ=カ=ダス』の状況を他所にクレイスは確信がないまま西へ飛び続けるとルアトファが言っていた場所に辿り着いていた。
「な、なるほど・・・これは凄いな。」
大地には折れたり切断された木々が倒れて埋もれてと一目しただけでもここで激しい戦いが行われたのだと容易に想像がつく。
だが感心ばかりもしていられない。『モ=カ=ダス』で見た時から感じていたのだがどうやらナハトールは既に己を見失っているらしいのだ。
過去にはその状態に陥ったセンフィスをヴァッツは軽く消滅させていたがクレイスはその事実を認知しておらず同じ事が出来る力は持ち合わせていない。それでもこれ以上の被害が生まれないよう、そして自分の気持ちに整理を付ける為には是が非でも勝利を掴まねばならないのだ。
「・・・ナハトール。言葉が通じるかどうかはわからないけど一応宣言しておくよ。ナルサスの仇として君を討つ。」
両手に黒威の長剣を持つナハトールは低い唸り声と僅かに笑みを浮かべているのか。手足が黒い獣のように変化していた彼は何を考えているのか。
「・・・面白イ。では私モ全力で斬リ刻んデヤロう。」
想像以上にしっかりとした答えが返って来たので驚いたが本物の獣のように口を開いて短い呼吸を繰り返す様子から遠慮は必要なさそうだ。
こちらも長剣に水の魔術を施してどっしりと身構える。まずは人間離れしたその容姿と動きをしっかり見極めようと思ったのだが次の瞬間慌てたクレイスは全力で魔術を展開してしまった。
がががががががっ!!
何故なら彼は左右の二剣を叩きつけた後すぐに手を放して獣と化した両腕で殴りかかって来たからだ。こちらも手で握る事の無い水の魔剣を自由自在に操る事は可能だが物理的な攻撃を同時に成立させる方法には焦りを禁じ得ない。
しかも相手の右拳に自身の長剣を、残る1本の拳と2本の長剣に水の魔剣をぶつけて相殺したもののナハトールの攻撃は前回よりかなり強力になっているらしく、こちらの魔術は全て一撃で粉砕されてしまったのだ。
そして放ち終えた両拳が黒威の長剣を握ると間髪入れずに追撃を放ち、再び両手での攻撃・・・だけではない。
ぼんぼんどどんどんっ!!!
既に人間離れしていたナハトールの四肢は長剣を叩きつけた瞬間にその手を放し拳を、蹴りを交えてくると流石に身の危険を察したクレイスは水の大盾を展開するがそれも短い時間で破壊されてしまう。
今までの黒威使いとは一線を画す多様で強力な攻撃手段に冷や汗が止まらなかったが同時に得も言われぬ高揚を感じていたのも事実だ。
この日は午前中にナルサスとナハトールの奇襲を退け、そこから『ネ=ウィン』、『暗闇夜天』の隠里、『モ=カ=ダス』に飛び相当な魔力を消耗しているのは理解していた。
だからこそ刹那の決着を求めたのだ。
数々の負傷と劣勢を乗り越えて来たクレイスは覚悟を決めるとナハトールが黒威の長剣を手放した瞬間を狙って水の魔剣を同時に五本展開してその一本を左手に握る。
そして全力で二剣を叩きつけるが多少のヒビが走るも一撃では破壊できなかったので展開していた他の魔剣に更なる魔力を注ぐと反対側から鋏のように力を加えて無理矢理分断した。
後は放たれている奴の拳をどう捌くかだが黒威を破壊した事で多少は弱体化していたらしい。
ずどむっ!!!
右拳が左胸に突き刺さる寸前に僅かな防御姿勢を作れただけでなく残っていた水の魔剣をナハトールの両肩口に突き刺す反撃にも成功していた。
更に素早く身を翻したクレイスはくるりと後方に回転しながら体勢を立て直すとそのまま一気に加速して残った4本の魔剣で同時に薙ぎ払い、相手の首を勢いよく跳ね飛ばすのだった。
何事も思い通りに事が運べば嬉しいものだ。
今回は魔力の残存量がぎりぎりの中、普段展開する水球を水の魔剣に代えたり一瞬だけ風の魔術で加速したりと工夫に工夫を凝らして得た勝利は受けた拳の痛みを完全に忘れさせていた。
しかし喜んでばかりもいられない。最終目的は『ネ=ウィン』から掛けられた嫌疑を晴らす事なのだからここで終わりではないのだ。
余力が残っていれば『トリスト』に立ち寄りたいな。
受けた攻撃は一撃だけだったがそれによりかなりの負傷をしていたからだろうか。無意識にイルフォシアを求めていたクレイスは枯渇寸前の魔力を使い西へ飛ぶ。
そして辺りが暗くなってきた頃、僅か1日で全てを片付けて再び『ネ=ウィン』に戻ってくるとすぐ謁見の間に通されたのでナハトールの首と砕かれた黒威の長剣を速やかに献上した後その場を去るのだった。
だがここまでが順調すぎたのかもしれない。最後の最後で完全に魔力が枯渇してしまった事と攻撃を受けた左胸にやっと痛みを感じたクレイスはまるで蛇のような気配を覚えて振り向いた。
「お疲れ様でした。まさかこの短期間に全てを成し遂げられるなんて・・・私、益々惚れ直しましたわ。」
「あ、ありがとうございます。」
流石に敵地の王城内で皇女相手に無礼な態度を取る訳にもいかなかったクレイスは渋々言葉を返すが出来れば今すぐ飛び去りたい。何なら走り去ってもいいかもしれない。
彼女にだけは決して魔力や怪我の事情を知られたくなかったので何とか騒ぎにならないよう帰国の方法を考えるが飛べない以上陸路しか選択肢はなく、しかも日は暮れてしまっている為無理に馬車を出してもらうのも大きな借りを作るようで気が引ける。
唯一頼れそうなのはいつもヴァッツやカズキを持て成してくれるビアードだが彼も今はナルサスの国葬や皇帝の傍に使える任務などで身動きはとれないだろう。松明が灯る中庭には空を飛べないクレイスとナレットの2人しかおらず、周囲の衛兵や召使いが介入してくる様子はない。
「あ、あの、ではこれで失礼しますね。」
相手が彼女以外ならとても良い雰囲気に浸れるのにと妄想しながら一先ず空を飛ぶような素振りだけしてみるがナレットは最後まで見届けるつもりか様子を窺っているのか、微動だにせずこちらをじっと見つめてくる。
・・・・・
「・・・クレイス様、見た所左胸に怪我をなさってますわね。その手当てもせず、晩餐会も開かず帰国させる等皇族として恥ずべき行為だというのはご理解して下さいますよね?」
間の取り方といい言い回しといい、蛇に睨まれた蛙のような心境だったクレイスはどんな強敵と対峙した時よりも生きた心地がしなかったが彼女の言いたい事は十分理解出来るのと逃げる手段がなかった為仕方なくゆっくり振り向く。
「父は未だ気持ちの整理がつかない様子ですから代わりに私が十分に御もてなしさせて頂きますわ。どうぞこちらへ。」
果たして無事に帰国出来るだろうか。もし何かあれば自刃の覚悟もしておいた方がいいのか。今襲われたら絶対に太刀打ちできないだろうと悟っていたクレイスはまな板の鯉状態で後に続くとまずは来賓用の部屋に通されてから王宮の医師団に囲まれた。
「・・・これはひどい。鎖骨に肋骨が5本程折れているようですが、かなり痛むでしょう?」
「え?あ、はい。多少は・・・」
治療の最中もずっとこちらを見つめてくる視線が気になって痛みどころではなかったのだがこちらが怯えを隠す中、鎮痛の軟膏を塗り込んで治療が終わると今度は晩餐の場に案内される。
(・・・・・毒を盛られたらどうしよう・・・・・)
こういう時ルサナが居れば安心なんだけどなぁと心の中で嘆くもこの席は2人だけという訳ではない。ある程度の身分を持つ女性が同席していたようだが彼女はあのフランドルの娘らしい。
「この娘はフランセル。今『ネ=ウィン』では新進気鋭の将官よ。カズキ様にも一目置かれているらしいわ。ね?」
「はい。あいつはいつか必ず私が討ち取って御覧に入れます。」
柔らかそうな見た目とは裏腹に随分感情の篭った答えと親友の名が出ると少しだけ緊張の糸は解れて表情が綻ぶ。カズキからの話では筋が良いので将来有望な将軍候補だろうと聞いていたが仲は良くないようだ。
とにかく体よりも精神の疲弊を強く感じていたクレイスはそれ以上思考を働かせるのが難しく、まずは栄養をしっかり摂ろうと用意された料理を口に運ぶと少し驚いた。
「・・・美味しいですね。」
「・・・よかったわ~!クレイス様は料理にとても精通されているとお聞きしていたので心配でしたの!さぁさぁどんどん召し上がって下さい!」
死闘で全てを出し切った後というのもあるのだろう。戦闘国家特有の濃い味付けは疲れた身体が求めていたものらしく、あっという間に全てを平らげたクレイスは不覚にも気を完全に緩めてしまっていた。
傷病と疲れを癒すには沢山の食事と休養が基本中の基本だ。
久しぶりに魔力を完全に枯渇させる程の戦いを終えたクレイスはあれから泥のように眠ってしまうと慌てて飛び起きる。
どうやらそこは昨日宛がわれた部屋で間違いないらしい。そして誰かが同衾している事も無く、左胸に若干の痛みが走るも最悪の事態は免れたようだ。
「おはようございます。」
しかし女性から声を掛けられると再び戦慄が走った。もしかしてと考えずにはいられなかったがそこに立っていたのは昨夜一緒に食事をしたフランセルなので無意識に安堵のため息が漏れてしまう。
「お、おはようフランセルさん。あの、何で僕の部屋に?」
「ナレット様より護衛の任務を命じられておりました。」
思ったより丁重な持て成しを受けていたようで少し過剰に警戒し過ぎていた事に羞恥を覚えつつ着替えを終えるがその間も彼女は直立不動のままだった。
『トリスト』や『アデルハイド』ではあまり見ない頼もしい姿に感心していたのだがそれには命令以外の理由があったらしい。
「ところでクレイス様、最近のカズキはその・・・どのような様子でしょうか?」
「え?カズキ?」
質問の意味を全く理解出来なかったクレイスは思わず小首を傾げるがフランセルの方も一切動じる様子を見せなかったので答えに迷う。
確か今は『ボラムス』で別世界からやってきた魔法使いの傍に付いている筈だがこの情報には箝口令が敷かれている。故にそこだけは隠して告げればいいのかもしれないが昨夜の様子だと彼を敵視している筈だ。
「えっと、とても元気にやってるよ。」
クレイスにはまだ情報が届いていなかったのだがこの時カズキは昇進した後すぐに大規模な反攻作戦を展開中だったので間違いではない。
「・・・そうですか。」
なので当たり障りのない答えに留めたのだがそれを聞いたフランセルが一瞬だけ目に見えて落ち込む様子を見せたのだから訳が分からなくなる。
おかしい。好敵手と思える相手が元気なのは喜ばしい事の筈だが何が気に食わなかったのだろう。もしかして間者などを差し向けて毒殺でも画策しているのか?とすれば自分は益々急ぎ帰国して彼に忠告する必要がある。
「あの、カズキに何かあるなら伝えるよ?」
ナレットの時とは違う警戒心を抱きながら探りを入れると彼女は目を丸くしてから首を軽く横に振って俯いた。そしてその様子から違う疑問を抱いたクレイスは更に彼女の様子をじっくり観察すると勘の良さから1つの答えに辿り着いてしまった。
「いえ、大丈夫です。その、『ネ=ウィン』にいた時は頼みもしないのに毎日毎日稽古をつけてくれていたものですから、ちょっと最近寂し・・・退屈していただけです。すみません。皇子が亡くなられた直後だというのに不敬ですよね。」
「・・・そんな事は無いよ。国の為に研鑽を積むのは悪い事じゃないと僕は思う。そうだね、彼も強い相手と戦うのを何よりも求めているし、帰ったら伝えておくよ。」
そう伝えると彼女が一瞬だけ華を咲かせたような笑顔を浮かべたのをも見逃さない。
(へぇ。何だ、自分には女っ気がないとか言ってたけどちゃんといるじゃないか。)
その感情がどこまで深いものなのかはわからないが少なくとも好意以上、恋焦がれるようなものは抱いているのだろう。ただ相手が『ネ=ウィン』の人間だというのは微妙な所だ。
もしカズキとフランセルにその気があるのなら彼女を『アデルハイド』や『ボラムス』に引き抜いてしまおうか。いや、フランドルの娘なのだから難しいか?
中々の茨道だなぁと感心していたクレイスは一人で納得しながら部屋を後にするのだが自身も未だその敵国にいる事をすっかり失念していたのでナレットとの朝食時には少しぎこちない表情を浮かべながら味と記憶のぼやけた料理を口に運んでいた。
クレイスがナハトールに勝てたのは積み上げて来た鍛錬や経験だけではない。純粋にセイドの作り上げた黒威が、黒威の力しか発動していなかったから勝利を得たのだ。
砕かれた黒威の長剣と首を『ネ=ウィン』に運ばれた翌日、残った遺体は人知れず動き出すと意外な事に考える頭を失った今の方がやるべき事や感情がはっきりしているのをナハトールは理解していた。
「・・・帰るか。」
今度こそしっかりイェ=イレィに引導を渡せるだろう。自身が首のない体で動いているとさえわからないまま空へ飛んだナハトールはどこから湧き出て来るのかわからない力を頼りに悲願を達成するのだと息巻くのだった。
内臓に大きな損傷を受けていたイェ=イレィは『神族』でなければ確実に死んでいただろう。
医師達も少し前までは彼女から下賜された力で治癒を施していた為ほとんど成す術が無かったものの色んな書物を漁って必死で治療した事が功を奏したのか、翌朝には容体が安定したイェ=イレィは今回の件は国家方針について考える良いきっかけだったと前向きに捉えていた。
人間は弱い。だから集団で身を護り合って繁栄を築こうと国家を形成しているのだ。
もちろん我欲に塗れた人物が台頭すると根幹から腐っていくだろうがイェ=イレィが女王である間その心配はない。ならばまず優先的に医療を推奨して生活の安定に努めてはどうだろうか。
ヴァッツとの約束で人間に特別な力を与える選択肢がない以上、彼らは彼らの力だけでその繁栄と平和を掴み取らねばならないのだ。
であれば女王としてしっかり指針を示す必要がある。自身が大きな傷を負った事でそれに気が付けたイェ=イレィは初めて人間主体の考え方に辿り着いたのだが直後にまたも混乱が『モ=カ=ダス』を襲ってきた。
それは一夜明けた早朝に『アデルハイド』からクレイスがナハトールを見事に討ち取ったという朗報から始まった。
奴の首と破壊された妙な黒い長剣は『ネ=ウィン』が回収しており完全に脅威が、国賊が去ったのだと国内はお祭り騒ぎだった所に首のない人間が空を飛んで現れたのだから皆が声を失う。
「どうした?王の帰還だぞ?もっと騒げばよいではないか。」
更にどこから出ているのか、城門前に降り立ったナハトールらしき体から彼の声が聞こえてくると衛兵達も全く機能せずにただただ呆然と立ち尽くすだけだ。
もちろんいち早くその情報を受けてイェ=イレィは再びアンババに排除を命ずるも、彼は以前よりも素早く断りを入れて来たのだから若干呆れてしまった。
「仮にも『悪魔族』でしょう?首も武器も持たない人間をそんなに恐れてどうするのですか?」
「い、いや、女王様。お言葉ですがあれは人間ではありません。以前もおかしな様子でしたが今回は断言します。あれには絶対関わらない方が良い。玉座を求めているのであれば速やかに譲るべきです。」
とんでもない不敬な発言に下腹部の傷口が開きそうなほど激昂しかけたがこちらも未だ寝具から立ち上がれるほど回復はしていない。
「アンババ。この国はヴァッツ様から賜れた国です。そんな真似が出来る筈もないでしょう?」
「し、しかし・・・わかりました。でしたら私が悪魔城からフロウ様に嘆願して参ります。それまで時間を稼いでいて下さい。」
まさか彼から『悪魔族』の王に頼るという提案をされるとは思いもしなかったが首のないナハトールはそれ程までに脅威という事か。手傷さえ追っていなければこの手で滅ぼしてやりたい所だが今は彼の提案が最も現実的なのだろう。
その意見を了承すると彼は速やかに退室して今度は初めて見る人間が入れ替わるように姿を見せる。
「初めまして。私は『モクトウ』の大将軍リセイと申します。此度は元王族が謀反を働いたと聞いて駆け付けた次第でございます。」
一瞬何の事かと考えたがそういえば『トリスト』の他に東へもナハトール謀反を報せていた。だが彼らには空を飛ぶ手段がなかった為急ぎではあったものの一日遅れで到着したという訳だ。
「ありがとうリセイ様。しかし今はまた少し状況が変わっていまして・・・」
「それは玉座に座っているという首のない人間の事ですか?」
どうやらナハトールは死しても尚玉座に、国王に執着しているらしい。動けない状態の為直接確かめていなかったが奴の愚かさには溜息しか出てこない。
しかし『モクトウ』の大将軍自ら参上してもらったのだからこちらも真摯に対応する必要がある。イェ=イレィはこの一日で何が起こったのかを丁寧に説明すると彼は深く頷き、こちらは浅く俯いた。
「本当にお恥ずかしい話です。これから『悪魔族』の魔王を頼って早急に処理致しますのでどうかリセイ様はゆっくりとお寛ぎになって下さい。」
後は恩義に報いる盛大な歓待と返礼の品々を用意すべきだろう。ナハトールの処分は既に完了している風に話を進めるがリセイという男は少し考え込んだ後に素朴な疑問を投げかけてくる。
「あの、イェ=イレィ様。このまま国賊を野放しにされておくおつもりでしょうか?」
「え?そうですね。魔王がこちらに来られるまでは被害を最小限に抑えるよう伝達していますが。もちろんリセイ様に危害が及ばないよう厳命しておりますからご心配なく。」
「いえ、そうではなくてですね。それ程の脅威であれば速やかに排除すべきだと愚考しますがいかがでしょう?」
それは確かにその通りだ。イェ=イレィも彼の言っている意味がわかるようなわからないような様子で軽く頷いて見せるとリセイは静かに立ち上がって意外な言葉を告げて来た。
「でしたら早速私が処して参ります。」
「・・・・・えっ?あの、リセイ様、お気持ちは大変嬉しいのですがその、ナハトールは現在危険な存在だと認識していますので人間の貴方が戦うのは少々荷が重いと申しますか・・・」
「ご心配感謝致します。しかし先程の様子では恐らく討ち取る事は可能かと。歓待はその後甘んじて受けさせて頂きますゆえ。」
『モ=カ=ダス』に強者がいない為彼の言動には驚愕しか抱かなかったがその背中からは確かな自信と強さを感じる。では任せてしまっても良いのだろうか?いや、他国の大将軍が討ち死になどしてしまえばそれもまたヴァッツの意に反する事になりかねない。
「・・・明確な勝算があるとお考えでしょうか?」
「そうですね。多少の怪我を負う可能性はありますが負ける事はないかと。」
本当に?強がりではなく?人間の強さをいまいち理解していないイェ=イレィはさらりと言いのける彼の言葉を微塵も信用できなかったが逆に興味も湧いて来る。
「わかりました。でしたら私も見届けたく思いますので大広場で決着を付けて頂いてもよろしいでしょうか?」
医師団から立つ事を固く禁じられていた為仕方なく神輿のような物に腰かけたイェ=イレィは少し気恥ずかしい思いをしながら街の大広場にやってくると民衆も神でもある女王の姿を拝謁出来た歓喜で溢れ返っていた。
だが同時に首を持たないナハトールを視界に捉えるとその周辺だけお通夜のような雰囲気に切り替わるのだから極端な対比に笑いを漏らしそうになる。
「死にぞこないが。随分と良い物に乗っているじゃないか。」
「あら?顔がないから鏡も見れないのかしら?それとも頭を失って考える事が出来なくなったの?」
皮肉をたっぷり返してから改めてナハトールを観察するが本当にどこから声を出しているのだ?更に視覚も確保出来ているのかこちらの姿もしっかりと捉えられているらしい。
「ナハトールと言ったか。此度は私が成敗しに参った。最初に聞いておこう。何か言い残す事は無いか?」
それにしてもリセイという男は何故これほどまでに自信があるのだろう。相手はどう考えても普通ではないのに畏怖や不安を感じないのだろうか?
彼に全てを任すような決断を若干後悔していたイェ=イレィは何かあれば自身も捨て身で戦おうと身構えているとナハトールが返答する所から空気が変わって来る。
「はっはっは。お前こそ遺書でも何でも用意しておいた方が良い。今の私は誰にも負けないだろうからな。それこそ戦いも一瞬で勝負がつくだろう。」
「そうか。では万が一私が敗れてもお前はこの国を去れと忠告しておこう。もしヴァッツ様がお前のような存在を知ればどのような結末を迎えるか想像もつかん。」
まさか遺言らしきものから神の名が聞けるとは。というかリセイもヴァッツの素晴らしさ、強さを十二分に承知しているらしい。
もしかすると彼の自信はそこから来ているのか?ヴァッツから何か特別な力でも与えられているのだろうか?そう考えると今までの態度も全てが腑に落ちる。
「・・・心配するな。お前を屠り、イェ=イレィを惨殺した後は奴を殺すからな。」
何と愚かな。
ナハトールは議会場で起こった真意を何も理解していないのか。『神族』を普通の人間にしたり再び力を与えたりはもちろん、イェ=イレィが下賜した神器の力や治癒などの力を全て奪ってみせた彼の力を。
「ふむ。では始めるか。」
もはや語るに足らずと判断したのだろう。大広場で片刃の曲刀を抜いたリセイが静かに告げて構えると周囲も固唾を飲んで見守る。
ここからどういった戦いになるのか。ナハトールは首も武器も持っておらず空も飛んでいない所を見るとそのまま地上戦から仕掛けるつもりか。
人間の猛者がどのように立ち回るのかよくわからないイェ=イレィはいつの間にか群衆と同じような期待と不安を胸に見守っていると先に仕掛けたのは意外にもリセイだった。
しゅんっ!
彼はかなりの速さで間合いを詰めると少し違和感のある袈裟懸けの斬り下ろしを見せたがナハトールは剣閃が届かないぎりぎりの所まで体を引く。
だがすぐに膝元への薙ぎ払いが放たれると今度は軽く体を浮かせ、更に斬り上げまで派生させた後には完全に空へと身を逃がしていた。
やはり飛べる者と飛べない者の差は大きい。
悠々と間合いの外から見下ろす・・・首がないのでそう見えるだけかもしれないが余裕さえ感じられるナハトールをリセイも落ち着いた様子で見上げている。
「ほう?中々良い動きだ。今なら降伏を受け入れてやらんでもないぞ?私の右腕として使ってやろう。」
「断る。」
しかしあの男、何をするにしても自信に溢れているのだから不思議でならない。空からの攻撃は非常に厄介で下手をすると一方的に蹂躙され兼ねないというのに。
このまま終わるとも反撃の手立てがあるとも思えないイェ=イレィはいつでも助太刀出来るよう僅かに腰を浮かせていると恐れていた事が現実になった。
どんどんどんどん!!
ナハトールが上空から拳を放つとその衝撃波が一方的にリセイを襲ったのだ。これには身を躱すか受けるしか手段がなく、大広場の石畳が見る見るうちに酷い有様へと変わっていくが双方の動きに変化は見られない。
どうやらリセイにはまだまだ余力があるようでそれを察したナハトールも名実共に人の道を踏み外した行為に走ると攻撃は見事に彼の背中を捕えた。
「・・・ナハトール・・・貴様ぁッ!!」
彼は『モクトウ』でも相当信頼のおける人物に違いない。でなければ戦いを見物していた他国民達に放たれた攻撃を身を挺してまで護るはずがないのだ。
卑劣すぎる方法にイェ=イレィもいよいよ戦う姿勢に入るがリセイはこちらに手を向けると力の宿る双眸で静かに頷いて来る。
こんな人間も存在するのか。気が付けば自身もすっかりリセイを信頼していたがそれからの戦いは酷かった。ナハトールは彼を直接狙う事はなく自国民に攻撃を放ってはリセイがそれを受ける。
蜘蛛の子を散らすかのように逃げ惑う野次馬と、それを庇って確実に負傷していく彼の様子が楽しくて仕方がないのか、相変わらずどこから出しているのかわからない笑い声はこちらの感情を見る見る逆立てていった。
それでもリセイは臆する様子も降参する気配も見せずにただ黙々と国民を庇い続けるのは何故だ?
いつしかそんな彼に目を奪われていたイェ=イレィだったがその答えは単純且つ、重要なものだった。
「さて、そろそろ終わらせようか。」
止めを刺せるまで弱らせたと確信したらしい。頭を持たないナハトールの勝ち誇った声が再びこちらを激昂させるがリセイは最初から最後までずっと静かな様子で立ち回っている。
そこにやっと気が付いたイェ=イレィだったが油断しきっていた暗愚には真意を読む事など到底無理だった。
拳から放たれた衝撃波を直接打ち込んでいくも相変わらず致命傷を負わない範囲でのらりくらりと躱し、受け流すリセイを見て我慢が出来なくなったのか。
直接その手で粉砕する為に突然急降下してきたのでイェ=イレィも銀の杖を構えて前に飛び込んだ瞬間、遂に彼の力が解放された。
しゃぃぃ・・・ぃぃんん・・・
あまりにも静かな剣閃は水面に沈むかのように、ぼろぼろに崩れた大広場の床と逃げ惑う国民達の間を見事に走り抜ける刀は上空に斬り上げられていた。
すると首を持たない体が綺麗に割れるがリセイはそこから静かに追撃を放つとまるで食材屋に並ぶ肉塊の如く、綺麗な細切れとなってその場に落ちて行く。
「ふぅ。少々時間が掛かってしまい申し訳ありませんでした。」
人間にもこのような男がいるのか。被弾こそしていたものの全ては国民を護る為であり、思い返せば危うい場面など一度もなくナハトールを完全に斬り伏せた強さには臣民共々唖然とするしかない。
「・・・よく使命を果たして下さいました。『モ=カ=ダス』の女王として深くお礼を申し上げます。」
それから我に返ったイェ=イレィが心の底から感服して謝意を述べるとやっと本当の安寧を覚えた国民達も割れんばかりの大歓声を上げるがリセイだけは念の為ナハトールの遺体は早々に燃やしてしまった方が良いと最後まで冷静に対応し続けていた。
「我が国民を、身を挺してまで護って頂き誠に感謝致します。人間とは己の保身しか考えない生物だと思っていましたがリセイ様を知って浅はかさに恥じ入るばかりでございます。」
あの後アンババが魔王フロウを連れて帰って来た時には全て終わっていたのだがこちらも手ぶらで帰す訳にもいかないのでイェ=イレィは急遽3人での会食の場を設けた。
「とんでもない。かく言う私も今回の戦いでは甥の姿を思い出しながら真似ただけでして。己の身を一番に行動するのは本能故、例外はないと考えて下されば気も楽になるかと。」
話によると彼の甥という人物は以前人質の身を案ずるが故に無抵抗のまま攻撃を受け続けたそうだ。しかも耐え忍ぶ中ずっと反撃の機会を窺っていた姿はリセイも深く感嘆したという。
つまり自身も甥から戦士としての心得を教わっただけでなく今回はそれを再現したに過ぎないと謙遜しているのだが、そういった性格もまた『モクトウ』の大将軍たる所以なのだろう。
「ふむ。しかし首のない人間とやらはどのようなものだったのだ?私達『悪魔族』も数々の人間を襲ってきたがそのような存在は見た事も聞いた事もないぞ?」
食事よりも酒を楽しんでいたフロウが素朴な疑問を投げかけるとイェ=イレィも言葉に詰まる。
見た所何かに操られている様子はなかった。そもそも人間以前に生物として首を落とされているのに自我を保って行動する等可能なのだろうか?
「はい。私は少し前にヴァッツ殿から似たような話を聞いておりましたので冷静に対処出来た次第でございます。」
またも神の名が出て来た事でイェ=イレィは目を輝かせて、フロウは納得した様子で頷くとリセイは話の続きを聞かせてくれる。
何でも二年程前に『モクトウ』を牛耳っていた男が暴虐の限りを尽くしていたらしく、それを討伐する為に甥やヴァッツの力を借りたのだそうだ。
そして今回と同じように首を落とされたダクリバンという男が埋葬された後から蘇って来たという。ただその時はヴァッツが対応したのとダクリバンが戦う意思を見せなかった為何事もなく再び死んでいったらしい。
「・・・この世界は不思議ですね。」
「うむ。ヴァッツという破格の存在と共存しているのも大概だが他の者達も不可解な力を持っているのか、もしくは誰かに与えられたのか。」
フロウの意見にはイェ=イレィも頷かざるを得ない。自分が人々から神と崇められていた為奢っていた部分は確かにある。
それにしてもそんな『神族』の住む『神界』にあっさり侵入してきただけでなくそこにいる全員の力を一瞬で奪う等、今考えても破格が過ぎる。
なのにザジウスは自分よりも遥かに強者の住むこの世界に干渉出来ていたのは何故だ?・・・・・いや、干渉をさせられていた?許されていた?まさか命じられていた?
不明瞭な不安が思考を支配するとイェ=イレィは一瞬で我に返る。そして何を思ったのか、考えていたのかという記憶を失った事さえ理解出来ないまま彼女は再び偉大なる大将軍リセイに御礼を伝えると有耶無耶な話と会食は幕を閉じるのだった。
それは1つの執念でもあった。過去に母国と愛する女王を失った彼が唯一生きる目的を見出だすには邁進するしかなかったのだ。スラヴォフィルが語っていた覇者への道を。
「ふむ。しかし焦り過ぎではないか?確かにガビアムが隠匿していた事実は認めるが奴は有能じゃ。下手につつくと飼い犬が手を嚙まれかねんぞ?」
「だからこそです。今の彼は私怨によって国を動かそうとしています。これは私自身の経験から断言しますが放置すれば大きな被害が出る事は間違いありません。」
以前理性を失って戦いを挑み、クンシェオルトの体を乗っ取ったユリアンに一度殺されたのは忘れもしない。自身の中にいたイフリータのお蔭で何とか一命を取り留めたものの代わりに大量の魔力を消費した彼女には随分と苦労と負担をかけてしまった。
今のガビアムを放置すれば似たような現象が周囲で起こる可能性は十分考えられる。だからこそ取り返しがつかなくなる前に彼と彼の国を無力化及び沈静化させる必要があるとショウはスラヴォフィルに説き続けているのだ。
「かといって『アルガハバム領』と『ワイルデル領』を他国に割譲させる等奴が納得するとは思えんが・・・」
「ご心配なく。『ビ=ダータ』王城周辺はしっかりと残し、他を『アデルハイド』に併合すれば『リングストン』や『ネ=ウィン』への牽制になる事は十分理解して頂けるはずです。」
「う~む・・・それをキシリングが了承すればいいのじゃが。」
本来2つの領土は『トリスト』の力で削り取ったものなのだからそこに帰結すべきなのだがそれをしないのは頑なに国王が拒絶しているからだ。
「・・・とにかくお前の話は分かった。」
あまり気乗りしていない様子を見るとこのままでは難しいだろう。スラヴォフィルにせよキシリングにせよ領土拡大にはとても消極的な部分があるのはやはり似た者同士だという事か。
世界の安寧、言葉を変えれば統一するにはそれが最も手堅い方法なのに勿体ない。
退室したショウは心の中だけで本心と溜息を零すとそのまま自身の執務室へ戻ってルルーに温かいお茶を用意してもらうのだった。
『モ=カ=ダス』という大国が未開の地に現れた事で東西の行き来が活発になったのは一部では喜ばしい事だろう。
様々な人に物資、そして情報までもが方々に流入出し始めたのだがこれにより窮地に追い込まれていた『ネ=ウィン』では一筋の活路を見出だす事になる。
「何?ナルサス様に似た人物が?」
現在たった1人の4将ビアードの下に入って来た情報には耳を疑うと同時に意外過ぎる内容だったので最初は純粋に驚いた。
だがすぐに影武者として使えないだろうかという単純な考えが思い浮かぶ。というのも現在ナルサスがクレイスに受けた傷によって療養中の為だ。
『ネ=ウィン』では強さの象徴でもある彼が数日間姿を見せないだけで国民達は不安に駆られてしまう。戦闘国家の定めと言ってしまえばそれまでだが今回は『リングストン』との連携体制を取ったにも関わらず惨敗したのだ。
箝口令を敷いているものの弱体の一途を辿っている今、もしその話が広まってしまえば更なる混乱と国力の低下に繋がりかねない。
そこでビアードは早速その情報を皇帝ネクトニウスに報告すると息子が不覚を取った影響か、やつれた様子の彼にもその真意がすぐに伝わったらしい。
「・・・ほう?もう少し詳しくわかるか?」
「はっ。あくまで噂ですが元は王族だったらしく、それが『トリスト』の介入によって凋落、現在は一国民としての暮らしを強要されているようです。」
この時詳細を初めて聞いたビアードは嫌な予感を覚えたが皇帝は真逆だったらしい。
「面白い。どのような人物か見定めてやろう。」
そういってすぐに書状を用意すると早速斥候に接触を命じる。藁にも縋る思いなのは深く理解出来るが元王族を影武者等に使えるのだろうか?
(・・・余計な騒ぎにならなければいいが・・・いや、そもそも似ているといっても限度がある筈だ。決して主要な場面では使われまい。)
半分は自身と国民を安心させる為に、もう半分はあまり似ていないよう祈る気持ちでそう考えていたのだが2週間後には外套で顔を隠した男が『ネ=ウィン』の王城に入るとビアードは早速検分役として呼び出されていた。
内容が内容なだけに皇帝の部屋には本人とビアード、そして深く外套を被った男だけで面会が行われる。
「さて、まずはよくお越し下さった。私は『ネ=ウィン』皇帝ネクトニウス=ネ=ウィンだ。其方の名を教えて頂けるか?」
「私は『モ=カ=ダス』の王子ナハトール=モ=カ=ダスと申します。此度の寛大すぎる御招き、誠に感謝致します。」
そこで2人は目をむいた。まず声だ。それがナルサスだと確信するくらいに似ているのだ。故に未だ外套を脱いでいない無礼すら忘れる程だった。
次に顔を見るとこれまた呼吸を忘れる程驚いてしまう。髪の長さこそナハトールの方が長いがそれ以外の相違点を見つけるのが難しい。
(ま、まさかこれ程瓜二つとは・・・)
何も聞かされていない人物が見れば皇子は双子なのだと信じて疑わないだろう。それくらい彼はナルサスにそっくりだった。そっくり過ぎていた。
「・・・ビアード、どう思う?」
「はっ・・・とてもよく似ていらっしゃるかと思われます。」
「ほう?書状では厚遇して頂ける旨しか書かれておりませんでしたが・・・何か裏がおありのようですな。」
しかも優秀な王族なのだろう。こちらの反応から既にいくつかの可能性を巡らせているようだ。だからこそビアードはより危険を感じていた。彼をこのまま影武者としてこの地に迎えて良いものかと。
「やれやれ、2人で何をこそこそしているのかと思えばそういう事ですか。」
「「?!」」
「ほう・・・・・これはこれは。改めまして、私は『モ=カ=ダス』の王子ナハトール=モ=カ=ダスと申します。貴方のお名前をお聞きしても?」
「ふふ。私は『ネ=ウィン』の第六皇子ナルサス=ネ=ウィンだ。しかし驚いたな。鏡でもここまで同じ姿には映らないぞ?」
傷もだいぶ癒えていた皇子がこっそり隠れていたのか忍び込んできたのか、部屋の中に現れて挨拶を交わすとこちらも妙な光景に頭がおかしくなってきた。
「ナルサス、傷の事がある。お前は部屋に戻っていなさい。」
「何を仰る。私に隠れてこんなに面白い事を画策なさっていたなんて父上もお人が悪い。」
まだ少し顔色が悪いナルサスはかなりの興味を抱いていたのだろう。皇帝の命令も軽く流して早速近くにあった椅子に腰を下ろすとビアードは無意識に目をこすって何度か見比べてしまう。
「・・・つまり私がこの国に招かれた理由はナルサス様の影武者を求めておられる、という解釈でよろしいでしょうか?」
「う、うむ。」
「でしたらまずは私に話を通しておいて欲しかったですね。ではナハトール殿、詳しくは私の部屋で話し合いましょう。ビアードもついてこい。」
これでは皇子が2人いるのと変わらないではないか。ネクトニウスも最後にこの件を内密に進めるよう再三釘を刺すも他に関しては全く問題ないと判断したらしい。
呼ばれたビアードは慌てて席を立ち、ナハトールも再び外套で顔を隠したのは皇帝の要望にしっかり応える姿勢を表しているのだろう。
それから未だ狐につままれたような気持ちで2人の後を歩いて行くとその目的地がナルサスの自室でない事に気が付く。どうやら彼は姉であるナレットの部屋に向かっているようだ。
「あら?ナルサスじゃない。クレイス様に受けた怪我の具合はどう?」
「はい。面白い出会いのお蔭で随分よくなりました。ナハトール、彼女は私の姉のナレットだ。外套を脱いで貰って構わない。」
「では失礼して。初めましてナレット様、私はナハトール=モ=カ=ダスと申します。」
「あら?あらあらあら?あら~?」
普段から飄々としている彼女ですら彼の姿には相当驚いたのだろう。自身が嫁ぎたいと言っていたクレイスに戦いを仕掛け、返り討ちにあって帰国したナルサスへ随分冷たい態度を取り続けていたのも忘れて同じ言葉を繰り返している。
「そうだ、一応最終確認をしておこう。ナハトール、君には私の影武者となって『ネ=ウィン』に貢献して欲しい。受けてくれるだろうか?」
「もちろんです。今の私は国を追われて何も残っておりませんが、それでも良ければこの命『ネ=ウィン』に捧げましょう。」
さらりと重大な告白を交えていたが姉弟がそこに口を挟む事はなかったのでビアードは大いに焦った。そういえば事前の調査でもそんな話は聞いていた。
何故国を追われるような事になったのか。現在は誰が『モ=カ=ダス』という国を率いているのか。『トリスト』はどれ程干渉しているのか。
洗い出さねばならない情報が山ほど残る中、ナルサスが早速ナハトールの髪を自分と全く同じようにするようナレットに頼むと彼女は専属の理容師とナハトールを隣室へ案内する。
「いいわねぇ。面白い玩具を手に入れたじゃない。」
「はい。ですが私はもっと欲しい。そこで姉上にお願いがあります。もし黒い剣を渡した男が現れたら私の部屋にも顔を出すよう伝えて貰えませんか?」
最後はあの黒い武器を扱う男が話題に上がるとビアードの心労が限界を超えたらしい。白目をむいて立ったまま気を失っていたがそんな彼の気苦労など気にもかけずに姉弟は久しぶりに話を弾ませていた。
最初はナルサスも黒い長剣には嫌悪感を示していた筈なのに何故また呼びつけるような行動に出たのか。
「これはこれはナルサス様ぁ、まさか貴方様から直接お声を掛けていただけるとは光栄の極みでございますぅ~!」
「挨拶は良い。しかしお前、随分やつれたな?話し方も何か変だぞ?病にでもかかったのか?」
あれからすぐに姿を見せた噂の男は確かに初対面のビアードから見ても異様だった。全体的に痩せ細っており頬もこけていて目玉は今にも転げ落ちそうだが金髪だけは妙に若々しく綺麗なので余計に不気味さを際立たせている。
「ああ!これは最近創作意欲が留まる所を知らなくてですねぇ!もう時間の許す限りずっと武器の創作をしていて・・・ってあれ?ナルサス様も少し雰囲気が変わられたような?いや、貴方はナルサス様ではありませんね?何者ですか?」
「ほう?流石だな。一度しか会っていないのによく見破った。」
それから本物が姿を見せると痩せこけた男は本当に目玉を飛び出させる勢いで首をぶんぶんと振っては見比べていたが気持ちは痛い程理解出来る。
何故ならナハトールは元王族もあってか、こちらから細かな注文を付けたり訓練の類を一切必要とせず皇子としての雰囲気を纏えるのだ。そのせいで最近はビアードですら見極めるのが難しいと感じていた程だ。
「こ、これは一体・・・?!」
「うむ。まずは先に用件を伝えよう。私達に黒い長剣を作って欲しい。つまり2本だ。更に以前より強い物を所望する。出来るか?」
しかしナルサスは彼の動揺など露知らず、自身の要望を手短に伝えるとその返事を待つ姿勢に入った。これには色々思う所もあるが誰より嫌悪していた黒い力を再び得ようとするなど皇子は一体何を考えているのだ?
「も、もちろん可能にございます!2本ですね?私達・・・というのはナルサス様とそちらのナルサス様という事で・・・ふむふむ・・・あの、どちらもナルサス様とお呼びすればよろしいでしょうか?」
同じ名前ばかり連呼してて金髪の男も訳が分からなくなってきたらしい。未だ答えを貰っていないのでどう接すればいいのか、瓜二つの彼は一体何者なのかが気になって仕方がない様子にナルサスとナハトールは大層満足している。
「うむ。まぁこちらは見ての通り私の影武者だ。名をナハトールという。」
「よろしく頼むぞ。金髪の武器商人よ。」
「は、はぁ。それにしても影武者にしては似すぎていて不安を覚えますね・・・」
まさかこんな胡散臭い男と同じ感想を抱く事になるとは。確かに彼に言う通り、これ程似ていると不安は絶えない。今の所そういった様子は見られないがもしナハトールが妙な下心を抱いてしまった場合必ずナルサスを護り通さねばならないだろう。
その時しっかりと真贋を判断出来なければ最悪の事態になる。それを危惧して皇帝や皇子には何度か諫言しているのだが王族同士故か似た者同士からなのか、2人の関係に詳細な言及は一切されて来なかった。
皇子が聡明であり強者なのはよく知っている。同時にやや冷酷で我儘な性格である事も。影武者を立てる事までは自身も賛成だがあの妙な力を内包する黒い長剣まで用意させるのは流石に一線を超えている気がしてならない。
「ナルサス様、やっとあの黒い剣の呪縛から解き放たれたのです。それをまた手にしようと考えるのは御控え下さい。」
その凶刃が皇子に向かえば本当に『ネ=ウィン』が滅びかねない。未だナハトールを信用していないビアードは様々な思いと覚悟を胸に諫めるがその言葉が聞き入れられる事は最後まで無かった。
兄の親友でもあるビアードの諫言を受け入れなかった理由はいくつかある。その1つがナハトールととある密約を交わしていた事、そしてもう1つはクレイスを確実に殺す事だ。
1月ほど前、『リングストン』に呼応すべく『アデルハイド』侵攻を開始したナルサスが唯一懸念したのはイルフォシアとの対峙だった。
だが蓋を開けてみれば眼前に現れたのは邪魔で鬱陶しいクレイスだ。突如降って湧いた好機に内心打ち震えるも結果は大きな手傷を負っただけでなく撤退という屈辱まで受けてしまう。
4年前の印象が残っていた為油断はあったのかもしれないが一方的な惨敗に辛酸をなめたナルサスは憤怒と怨恨で眠れない日々が続いた。
そのせいで怪我の治りも遅く、父が再び軍を動かす事を頑なに拒絶してしまった為発散の機会を失った形容し難い感情は大きな渦を巻いて彼の心を静かに歪ませていく。
そんな中自身にそっくりな存在が現れたのだからこれを利用しない手はないだろう。
今度会った時は必ずあの生意気な小僧をズタズタに斬り伏せてやる。その感情だけに支配されていたナルサスはもはや誰の言葉も聞き入れる事は無く、全てを利用してクレイスを殺す事しか頭に無かったのだ。
「大丈夫だ。結果さえ出せば父上も許してくださる。そうだろう?ナハトール?」
「仰る通りだ。私も奴とは奇縁があるのでな。是非討伐を協力させてもらおうじゃないか。」
今回の目的はたった1人の首だけなのだから制圧する程の部隊など必要は無い。特に口煩いビアードは置いていくべきだろう。こうして水面下で冷静に用意を整えていたナルサスはセイドが黒い長剣を用意したその日に『ネ=ウィン』を発つと今度こそ将来の芽を摘み取るべく自身と部隊に檄を飛ばすのだった。
『リングストン』への反抗軍も同時に動き始めていたらしい。奇しくも再び同時に行動を起こせたナルサスは早速『アデルハイド』の王城に火球や矢の雨を降らせて奇襲を開始した。
今回は手段を選ぶつもりも欲張るつもりもない。まずは奴を炙り出す所から始めてその首を刈り取り速やかに帰国する。そう、目的はクレイスの命ただ1つだけなのだから。
「また懲りずにやってきたのか。しかも今回は奇襲?君には誇りがないの?」
「ふっ。前回のような奇跡は二度と起こらん。今日はそれを証明してやろう。」
落ち着いた様子で速やかに登場したクレイスに激しい苛立ちを覚えていたが余裕を見せていられるのも今だけだろう。憎悪で自身を見失っていたナルサスは以前よりも強力な黒威の力をしっかりと感じ取って狂気の笑みを浮かべながら早速身構える。
それと同時に飛行部隊もかなりの距離を取って広く展開し、ナハトールに至っては外套を脱ぎ捨てて同じ容姿をわざと見せつける事で奴の動揺を誘うのだ。
「・・・ああ。ナハトールか。何?王位を追われてナルサスに利用される道を選んだの?言っておくけど君がイルフォシアに剣を向けた事、僕は許していないからね?」
ところがすぐにその正体を見破ったクレイスは軽い溜息と納得する様子を見せつけて来ただけでなく、意外な事を口走ったのでナルサスの方が僅かな猜疑心を生んでしまった。
同時に冷静さも取り戻せていたらこの先の悲劇も回避出来たかもしれないがクレイスの首にこだわっていた彼はその言葉にも耳を塞ぐと無言で攻撃を開始する。
しゃしゃしゃんっ!!
黒威の長剣を持つ猛者が2人、そして遠距離からは魔術師の援護射撃が三方向から放たれるという1人を仕留めるにはあまりにも過剰過ぎる布陣にクレイスの慄く姿が目に浮かぶようだ。
だが簡単には終わらせない。自身が受けた大きすぎる屈辱を倍以上にして返さねば気が済まない。負ける事はもちろん、苦戦など絶対にありえないという自信からナルサスはまずクレイスの体を斬り刻む事に愉悦を巡らせていたがここで思わぬ誤算が生じた。
ががきががきががきんっ!!
何と前面からは自身が、後面からナハトールが同時にその凶刃を振るったはずなのにお互いの切っ先が彼の体に走る事はなかったのだ。
ナルサスの攻撃がクレイスの右手に握られている水の魔術を施した長剣でしっかりと受け切られているのは理解出来る。では後方から迫るナハトールの攻撃をどうやって凌いだのだろう。
気になって視線を向けてみるとそこには展開された水の剣だけが中空で確たる意思を持ち彼の攻撃をしっかりと受け切っているではないか。
我が目を疑いながら一先ず間合いを取ると今度は魔術師達が全方向から火球を放つ。しかしクレイスはそれらを躱す素振りを見せなかったので再びナハトールとの同時攻撃も重ねたのだがはやり右手に握る長剣と彼の意思で自由に動く魔術の剣によって2人の攻撃は的確に受け切られるのだ。
認めなかった。認める訳にはいかなかった。無能だった青二才が想定以上の力を身に着けていた事を。魔術師達の火球を全く防ごうとしなかった意図を。
再び間合いを取って魔術師達の援護射撃を確認したナルサスは角度を変え、今度こそはと影武者と息の合った剣戟を放つがやはり黒い剣閃が彼の体に届く事はなく、気が付けば手にしていた分も合わせて魔術の剣を合計4本展開していたクレイスは再びナルサスの胸元に一か月前と同じ剣閃を走らせると周囲からは動揺と悲痛な声が漏れていた。
「・・・おのれぇ・・・奇妙な術を使いよって・・・」
「それはお互い様でしょ?でもナルサス、黒威の剣はもう使わない方が良い。力は感じるけど動きが単調になり過ぎてるよ。」
2人の差を測れる物差しがあれば納得も行くのだろうか。憎悪の対象に酷く上から助言を受けると憤怒で頭が爆発しそうだ。
「ナルサス様、ここは一旦撤退を。」
この場で提案と判断が出来るのは同じ王族でもある影武者のナハトール以外にあり得ない。魔術師部隊達も激しく頷いていたがここで引けば激しい叱責と謹慎処分は免れない上に自身が憤死しかねない。
もはや憎悪や苦痛を与える事などどうでも良い。何としてでも奴を討ち取らねばならない。何かないのか?何か手は・・・
怒りと憎しみの中無理矢理頭を回転させているのもあるだろう。胸元の激しい出血により冷静さよりも苦痛と貧血からめまいを覚えたナルサスは青白い顔でクレイスを睨みつけると本能から再び撤退の合図を出してしまう。
また失敗してしまった。
後悔や無念が薄く脳裏を過るもののこれ程盤石の体制であっても奴にかすり傷1つ負わせる事が出来ない事実に落胆するしかない。
いや、正確には魔術師達の火球は全て当たっていた。というのもクレイスは今回ナハトールも同じ黒威の長剣を手にしている事から余計な魔力を極力消費しないよう立ち回っていたのだ。
『アデルハイド』への夜襲から始まった外の世界を知る旅は彼の心身を大きく成長させていたのをナルサスは知らない。特に痛みに対して尋常な耐性を持つ彼は一般的な魔術如きに対応するのは魔力や体力の無駄だと全てを受け切り立ち回って見せたのだがこれに気が付く事は一生無い。
ナルサスも研鑽こそ積んできたものの立場上大きな手傷を負う事は無かった。これは彼が王族最後の希望でありとても大切に育てられて来たのも理由だがそういった意味では2人の環境自体はよく似ていたのかもしれない。
唯一異なる点は親友や大切な人の為に命を賭けて戦ってきた経験の有無だろうか。そしてその事実に辿り着いたとして彼は納得の行く最後を迎えられただろうか。
応急手当もそこそこに意気消沈した『ネ=ウィン』の飛行部隊は無言のまま帰国をしている最中、その凶刃はビアードの悪い予感以上の結果を生み出してしまう。
しゃしゃしゃんっ!!
ただでさえ消耗していた魔術師達が全員屠られたのはもちろん、慣れない手傷とクレイス如きに二度も敗れたという心傷も負っていたナルサスは何が起こったのかすらわからず三度同じ場所に、しかも背中から寸分の狂いもなく分断されて絶命するとその場で落下していくのだった。
黒威の武器は特定個人の欲望に呼応するよう作られてきた。故に誰かから奪ってもその力は発揮されない。
それでも凶行に及んだのは単純にこの力が、長剣が2本欲しかっただけだ。それらを手にすることであの憎きイェ=イレィを討てるだろうと考えて。
最初からナルサスや『ネ=ウィン』の事などどうでもよかったナハトールは彼の死体からもう一振りの黒い長剣を遠慮なく抜き盗ると空いている自身の右腰に佩き直す。
「さて、行くか。」
ようやく準備が整った。ようやくイェ=イレィに対抗出来る力を取り戻した。
共に彼女を屠る約束を交わしてはいたが彼もまた憎悪から黒威の力に飲み込まれていた為再び手傷を負ったナルサスを用無しと判断したのも仕方なかったのかもしれない。
全ては己の欲望を満たす為に。
久しぶりに高揚を覚えたナハトールはナルサス以上に歪んだ笑みを浮かべるが一瞬だけ思考力と冷静さが戻ってきて我に返る。
・・・何故自分は奴を討とうとしているのだろう?厚遇してもらったナルサスを裏切り、黒い長剣を奪ってまで彼女を殺したい理由は何だ?
だが我欲に支配されてしまった彼は二度と己を取り戻す事は無く、答えを導き出せないまま東へ向かって飛び去るのだった。
西で起こった大事件の周知が遅れたのはナルサス達の足取りが突如途絶えた事も大きい。
更に『モ=カ=ダス』とそこを統治するイェ=イレィがこの世界の情勢を未だ十分に掴んでいなかったも原因だろう。突如異国の衣装に身を包んだナハトールが現れても最初は必要最低限の対応しかしなかった。
結果いくらかの衛兵達が犠牲になったという話が届くと執行者であるアンババを呼んで殺さず食さず速やかに追い出すよう命じるがあまりにも早く戻って来たので彼女は目を丸くする。
「あら?もう終わったの?」
「いえ、その、どうも奴は人間ではないようでして。しかもその強さは私の手に負いかねます。ここはショウ様の仰っていたように『モクトウ』か『トリスト』へ救援を求めるか女王様自ら始末して頂ければと。」
「???」
一瞬何を言っているのかさっぱり理解出来なかった。以前、彼の欲求を満たす意味も含めて襲わせた時は軽くあしらっていたはずなのにどういう意味だろう?
訳が分からないまま部屋から外を覗いてみると確かに妙な気配を纏っているのは十分伝わって来る。しかもあれは『神界』で何度も見た姿に酷似していた。
「・・・念の為に両国へ伝令を飛ばしておいて頂戴。」
遠目からでも何かしら外的な要因を保有しているのは明らかだ。問題はそれが誰によって与えられ、どれくらいの力を保有しているかだが少なくともアンババが立ち向かう事を断念するくらいには強力らしい。
昔なら首を突っ込むなど考えられなかった。『神界』という絶対に安全な場所から傍観者として成り行きを見守る事しかしてこなかった『神族』が支配下にある箱庭に自ら干渉するなど有り得ない、それは恥ずべき行動だという考えが根付いていた程だ。
「皆は避難を。特に国民への被害は最小限に抑えなさい。」
しかし今は違う。ヴァッツという破格過ぎる存在に全てを奪われ、与えられ、任されたイェ=イレィは速やかに命じるとふわりと体を浮かせて中庭を歩くナハトールの前に舞い降りた。
「ほう?自ら姿を見せてくれるとは嬉しいぞ。」
「面倒事は早めに解決しないとね。元王族の・・・名前は忘れたけどこの不敬は万死に値します。これは一族郎党全てに責任を負ってもらうわよ?」
『モ=カ=ダス』の象徴であり女王でもある彼女が相対すると遠巻きながら臣民や衛兵達が狂喜の歓声をあげ始めるが『神族』の勘が無意識に左腕を横に振ると周囲は蜘蛛の子を散らすように離れていく。
どうやらナハトールの持つ黒い長剣は以前自分が与えていた神器に近しい物らしい。
つまりあれを破壊、もしくは奪ってしまえば解決するのだろう。多少弱体化されているとはいえ神の力を持つイェ=イレィに油断は無く、最終的には黒い長剣以外を跡形も無く消し去ろうと戦う方向性を固めていたのだが1つ大きな誤算があった。
それは彼が異能の長剣を二本所持していた事だ。黒威の力は最初に与えられた本人しか扱えないというその制限が眼前で破られると二剣を構えたナハトールは狂乱に染まり始め、イェ=イレィは驚愕に肌をひりつかせる。
このまま戦えば敬愛するヴァッツから託された『モ=カ=ダス』にも大きな被害が生まれるだろう。
瞬時に判断した女王は急いで空に飛ぶと黒い獣と化したナハトールも獲物を追うかのように後を追う。そして暫く西に移動した後、周辺に大きな集落がない事を確認してからイェ=イレィは人間を棄てた生物を相手に戦い始めるのだった。
城内で内政の勉強中だったクレイスには十分な余力があった。そこにルマーとの接触や彼女の世界の話、カーヘンとの稽古なども経て更なる引出しを得ていた彼にはナルサスを殺せるだけの力は十分に備わっていた。
それでも奇襲への対応時に再び同じ刀傷だけで済ませたのには理由がある。それが一か月ほど前に行われたトウケンとのやり取りだ。
彼がクレイスにナルサス暗殺を持ち掛けてくれた時考えたのは成否と費用だけだった。つまりこの時はまだ王太子として、次期国王として様々な配慮や思慮が欠け過ぎていたのだ。
「あの・・・それっていくらくらいかかりますか?僕の持ち合わせだけで受けて貰えるのでしょうか?」
「当然だ。ただしハルカを幸せにしてくれる事が最低条件だがな。」
最初のやり取りではやはりそこに帰結するのかとしか思わなかったが対峙して座っていた彼はすぐににやりと意味深な笑みを浮かべると緊張した空気を霧散させる。
「ふっふっふ。やはりお前も面白いな。様々な者が期待を寄せるのも理解出来る。」
「???」
期待を寄せる?様々な者から?15年というまだまだ短い人生を振り返っても全く心当たりは無かったが小首を傾げるクレイスを他所にトウケンは話を続けた。
「もしここでナルサスを亡き者にした場合『ネ=ウィン』と『アデルハイド』にどのような動きが起きるのか、そこから考えてみると良い。」
「はぁ・・・・・う~ん・・・・・」
仕方なくナルサスがいなくなった場合を想像するとまず当面は『アデルハイド』への侵攻を心配する必要はないだろうと考える。後は『ネ=ウィン』の直系男子が全て消え去る事で残ったナレット皇女が女帝として君臨するくらいか。
楽観的に考えればその程度で終わる所だが一流の暗殺者であるトウケンは違う。方々へ諜報員を送って莫大な情報を収集するのはそこから詳しい内情を読み取る為でもあるのだ。
「まず『ネ=ウィン』は間違いなく『アデルハイド』を落としにかかるだろう。しかも今までとは違い全力で、あらゆる手段を用いてな。」
「・・・えっ?」
「ナルサスがイルフォシアを手に入れるにはお前が邪魔なのは周知の事実だ。となると彼が暗殺された場合、誰よりも真っ先にお前が疑われる、というよりは決めつけられる。そこから最愛の息子を失ったネクトニウスや何よりも家族を大事に思うナレットが全てを投げ打ってでも仇を討つ為に行動を起こすと断言してやろう。」
そんな馬鹿な、と口を挟みたかったがトウケンの雰囲気がそれを許してくれない。彼は自信を持って言い切るまでに正確な情報を掴んでいるのだ。
「現在の『ネ=ウィン』と『アデルハイド』は国力が逆転しつつある。そして窮地に立たされている彼の国は正常な判断が難しい状態だ。つまり強者の立場であるお前にこそ選択権があるのだ。奴を許すという選択権がな。」
「・・・・・許す・・・ですか。」
強者かどうかは置いといて許すという言葉で過去の夜襲が思い返された。あの時大した被害こそ出ていなかったものの怨恨は苦々しい記憶として未だ心の奥底に刻み込まれたままだ。
そのせいか自然と両手が固く拳を作っていたのだがトウケンはどこまでこちらの心情を察しているのか、一番大切な事を静かに告げてくれた。
「クレイスよ。国家というのは決して情だけで動いてはならぬ。次期国王なら良く肝に銘じておくのじゃ。」
流石にそこまで言われれば理解するしかない。彼は遠回しにナルサスを殺すなと言っているのだ。もし彼が亡くなると余計な戦禍が巻き起こってしまうと。
しかし今まで憎悪しか抱いてこなかった相手を屠れない上に許せというのはどうにも納得し難い。王族としての自覚こそ芽生え始めて入るもののまだまだ若く血気盛んなクレイスは分かりやすい苦悩の表情を浮かべていたのだろう。
遂にはトウケンが噴出して笑い出すとこちらの悩みも一瞬だけ真っ白になったが『暗闇夜天』の頭領は構わず最後の助言を与えてくれる。
「ではもう1つ教えてやろう。物事には何でも時期や順序というのがある。これもよく覚えておくとよい。」
「・・・わかりました。」
どうやら彼はこうやって少しずつ成長するきっかけと教育も施してくれていたようだ。そこに気が付くと憎悪や怨恨以上に彼への深い敬意と感謝で心は満たされていくのだが素直なクレイスは新たな疑問に頭を悩ませ始める。
つまり時期と順序さえ間違えなければナルサスを屠ってもいいという事だろうか?それとも次期国王として国家の為に許す、のは無理だとしても共存の道を模索すべきなのだろうか?そもそも再び相対した時に衝動を抑える事は出来るのだろうか?
話はそこで終わってしまった為明確な答えがないまま三度ナルサスと対峙する事になったのだがこの時はナハトールを連れて来たり再び黒威の長剣を手にしていた事で感情は呆れと憐憫に向けられた。
結果冷静に立ち回れたクレイスは前回と全く同じ手傷を負わせて無事撃退出来た事に満足と安堵を覚えるも、まさかその後に彼が殺されていたとは夢にも思っていなかった。
それからすぐナハトールによる『モ=カ=ダス』襲撃の急報が入って来るとクレイスは援軍について速やかに父と相談し始めたのだがその直後ナルサスが帰国途中に殺された報せが重ねて届いたので親子揃って目を白黒させる。
「クレイス、お前はナハトールとやらを始末してくるが良い。ここに居ては余計な疑いがかけられるぞ。」
トウケンはそう助言してくれるが憎悪を隠してナルサスを無難に撃退したクレイスは妙な虚無感からすぐには頷けなかった。自分は王族として、国家としての立ち回りを優先していたのにあの男は己の憤怒と復讐に溺れて勝手にあっけない最後を迎えたというのだから当然だろう。
それでも、自業自得とわかっていてもそんな下らない散り方をされる位ならこの手で討ち取りたかったという気持ちは強い。
(・・・あの男・・・どこまで僕を苦しめるんだ。)
まさか死んでも尚嫌悪感を植え付けて来られるとは思いもしなかった。誇りすら忘れた皇子の全く同情出来ない死に様はクレイスを大いに憤慨させるがこれも運命なのかもしれない。
王太子としてまた1つ成長した彼は小さな溜息とやるせない気持ちを排出すると双眸に力を宿して静かに宣言する。
「・・・いえ、僕はナルサスを『ネ=ウィン』に運びます。遺体の場所に案内してもらえますか?」
これには感情の整理を黙って見届けていた父やトウケン、プレオス達も同じような表情と反応を見せる。
「それは流石に許可出来ん!今お前がナルサスの遺体を運べば間違いなく新たな火種を生むぞ?!」
「僕はそうは思いません。確かに彼への憎悪、この手で討ち取りたかった気持ちはありますがそれを果たせなかった悔しさも存在します。ネクトニウス様であればこの感情もしっかり見極めて下さるでしょうし、何より皇子と最後に戦った僕が彼を届けるべきだと考えます。」
好敵手と呼べる間柄でもなかったが最後くらいは同じ立場の者として敬意を払う事を選んだクレイスはキシリングを真っ直ぐ見つめると彼は驚きつつも静かに目を閉じる。
ちなみにプレオスは嗚咽を我慢する程感極まっていたがそれを隠すようにトウケンが案内を買って出てくれたので早速2人は荘厳な棺桶を持って王城を後にするのだった。
「これは・・・トウケン様はどう思われますか?」
空を飛んで数分もかからずに現場へ到着するとまずは上空からでも木々の葉に飛び散る血痕からすぐに異常を察知出来た。
魔術師達も抵抗する間も無く殺されたのだろう。地上にはそこらじゅうに分断した遺体が落ちていたのだがその中にナルサスの遺体もクレイスが付けた刀傷に重なるよう叩っ斬られていた。
「うむ。肩口の傷から見ても後ろから襲われたのは間違いないな。裏切られた事すら気が付かずにこと切れたと考えれば幸せなのかもしれん。」
落胆した弱弱しい表情がまた彼らしくない。もっと最後まで憎悪や激昂した形相を浮かべていて欲しかったと寂しさを覚えたクレイスは早速彼を棺桶に収めると1人で『ネ=ウィン』に向かおうとした。
「待て待て。流石にお前1人を送り出す訳にはいかん。わしも運んでくれ。」
「え?でもトウケン様は『アデルハイド』の賓客です。これ以上の介入は命や『ネ=ウィン』との関係悪化も懸念されるので・・・」
「何を言っておる。この事態をいち早く掴んだのはわしら『暗闇夜天族』だぞ?今更部外者扱いとはそれこそ無礼ではないか?」
初めて聞く事実と同時に何故彼が様々な情報を掴んでいたのかを思い出した。暗殺者とは決して考え無しに人を殺すだけではない。その背景をしっかり精査し、足が付かないよう完璧に仕事をこなすからこそその名を轟かせてきたのだ。
「・・・わかりました。でも衝突しそうならすぐに避難して下さいね。」
「誰に物を言っておる。わしは『暗闇夜天』の頭領だぞ?」
実際彼とは立ち合い稽古すらしていないのでその実力は全く知らなかったがハルカの事を考えると強さで心配するのは逆に失礼だったのかもしれない。クレイスは軽く頷くと早速巨大水球を再展開し、棺桶とトウケンを包み込んで南へ飛ぶ。
それから間もなく『ネ=ウィン』の王城が見えてくるとその飛空速度に目を丸くしていた偵察部隊を尻目に中庭へ降り立った。
続けて簡潔に名乗ってからナルサスの死を伝えたのだが流石に父として冷静ではいられなかったのだろう。
「き、貴様・・・よくも、よくもナルサスをっ!!」
自身がやったのではない、恐らく影武者のナハトールが背後から襲ったのだという説明も聞き入れてもらえずこちらに剣を向けて来た皇帝にどう対応すべきか悩むがそれは目つきの鋭い女性によって阻まれるのだった。
「お久しぶりですクレイス様。随分と立派になられたようで。」
元服の儀の時に見た事のある彼女は確か皇女ナレットだ。当時はイルフォシアにちょっかいを出して来たナルサスに腹が立って気が付かなかったのかその後手に入れたのか。
屈強な戦士でもある皇帝を細腕で簡単に止めていたのは手に握られた黒い鉄扇の影響だろう。でなければ余裕のある態度や不自然な力に合点がいかない。
「はい。皆に良くして頂いたお蔭で何とか生き延びる事は出来ています。」
しかし我を忘れているネクトニウスと違ってナレットは弟と同じような冷酷な雰囲気を纏ってはいるものの激昂や憤怒といった感情は抱いていないらしい。
「先程お伝えしたのですがナルサス殿は影武者であるナハトールに殺されたようです。傷口を見ていただければわかるように背後から両断されていて・・・」
「何をいけしゃあしゃあと!お前が背後に回って手を下したのだろうっ?!」
であればここは冷静に事実だけを伝えて速やかに引き上げよう。そう考えていたのだがつい先日の問答で予習していた模範的解答が飛び出ると驚きと同時に深い納得から言葉を止めた。確かに今までの確執を考えると疑われても仕方がないのだがまさかこんなに早く事例通りの場面に遭遇するとは。
「ネクトニウス。クレイスは決して敵を後ろから襲うような真似はせん。わしが断言しよう。」
そこに大きな体ながら存在感と気配を消していたトウケンが初めて口を挟むとやっと皇帝も冷静さを取り戻したのか、必死で詰め寄る動きを僅かに止めたが納得した様子はない。
クレイスも自分から弁明するつもりはないししたくなかったのでどうするのか少し悩んだ結果、これ以上言葉を発する事無く帰国する準備に入るとネクトニウスは再び怒号を上げる。
「その者をひっ捕らえよ!!ナルサスの国葬前に処刑だ!!」
「お待ちください!!ネクトニウス様、私もクレイス殿がナルサス様を討ったとは思えません!!」
すると今度はビアードが覚悟を決めたのか、随分と険しい表情で諫言してきたのだから周囲はいよいよ危ない雰囲気で空気がひりつき始める。こうなってくると多少の衝突は避けられないか。トウケンを巻き込みたくなかったクレイスは身構えるが一触即発を回避したのは他でもないナレットだ。
「お父様、もしクレイス様がナルサスを背後から斬りつけるような人物なら私が夫として選ぶ筈もありませんし何より元服の儀でそれを実行しなかった事から無実は明白です。」
・・・・・うん?ナレットが自分を夫として選ぶとか言っていたように聞こえたが多分聞き間違いだろう。終始冷静な彼女がきっぱり言い放つと周囲は怒りや悲しみを驚愕に変えてその場で固まってしまった。
だがこれで全てに片が付く筈だ。後は『ネ=ウィン』の問題なのでクレイスが何かをする必要はないと背を向けた時、彼女はこちらに寂しく告げてくる。
「誰も貴方がナルサスを殺したとは考えていないわ。ただその方が楽だから、自分達の過失を認めたくないから取り乱してるのを装っているに過ぎないのよ。」
「ナ、ナレット様、それはあまりにも・・・」
「・・・過失・・・というのはナハトールの事ですか?」
まだまだ純粋さが勝るクレイスはつい振り向いて尋ねると彼女は満足そうな笑みを浮かべ、ビアードとネクトニウスは苦渋の表情を浮かべながら俯いてしまった。
どうやら彼の危険性をある程度理解しながらも影武者として受け入れていたらしい。結果今回の悲劇が生まれ、多少の同情からクレイスも遺体を運ぶことを志願したのだ。
「ええ。ですから私達はナハトールを討伐せねばなりません。そこでお尋ねしたいのですが奴はどこへ向かったのか、何か手がかりをご存じありませんか?」
もちろん知っている。その情報はナルサスの訃報よりも早く『アデルハイド』に入ってきていたくらいだ。
「・・・はい。現在奴は母国である『モ=カ=ダス』に向かったと聞きました。恐らく王位を簒奪する為でしょう。」
「やはりそうですか。ではビアード、早速ナルサス直下の部隊と東へ向かいなさい。必ず奴の首を持ち帰って来るのです。」
「お待ちください。ナハトールの討伐は僕が成し遂げたいと考えています。」
ところがネクトニウスやビアード、『ネ=ウィン』と事情が大きく異なるも気持ちの整理がついていないクレイスはまたも若さと純粋さを優先してしまう。
本来なら自らの手で正々堂々とナルサスを討ち、後顧の憂いを断ちたかったが過去の夜襲から始まった因縁に終止符を打つ機会は永遠に失われたのだ。
ならばクレイスも仇討ちとはまた違った意味合いで奴を討つ資格はある筈だ。ただ意外過ぎる提案はナレットですら目を丸くしていたがすぐに薄い笑みを浮かべると上機嫌に声を掛ける。
「よろしいのですか?本来ナハトールの不手際は私達『ネ=ウィン』の責任です。それを他国の王太子である貴方が危険を冒してまで出向かずとも・・・」
「いいえ、僕はナルサス様としっかり決着を付けたかった。その機会を卑劣な手段で奪ったナハトールを許せません。」
包み隠さず純粋な本音を語るとあれ程激昂していたネクトニウスも驚愕を浮かべてからやっと話を聞ける程には落ち着きを取り戻したらしい。
「・・・よかろう。ではナハトールの首は貴様に任せる。もし『ネ=ウィン』に届けた暁にはナレットとの婚約も前向きに検討してやろう。」
ただ話は思わぬ方向でまとまってしまったのでクレイスは数秒間放心した後、皇女の誘うような視線から逃げるように慌ててトウケンを回収すると音の速さを超えて帰国するのだった。
クレイスが何故あの場で余計な提案を断れなかったのかと激しく後悔している中、『ネ=ウィン』と『モ=カ=ダス』の中間地点では件の人物が『神族』と想像を絶する戦いを繰り広げていた。
というのも本来であればナルサスにしか呼応しない黒威の長剣がナハトールの手の中でその力を如何なく発揮していたからだ。
そして自分専用に作られた黒威の力も重ねると彼は憎きイェ=イレィを滅ぼす為だけに理性を捧げて戦い続ける。
木々と大地は強力な斬撃により裂けて、抉られて、緑と土が入り混じる荒野へと変貌を遂げていたが対峙するイェ=イレィにはいくつかの確信があった。
1つは自身の力が思っていた以上に奪われていなかった事だ。
『神界』にいた頃から自ら戦うという状況はほぼ無かったものの少なくとも黒い獣のようなナハトールに後れを取る心配は無く、圧勝とまではいかなくとも負ける要素はないと考えていた。
故に焦る事無く堅実な攻撃、反撃を心掛けていたのだがここで思わぬ事態が生じてしまった。それが突然地上に見えた1人の少女だ。
知人でもない明らかに何の力も持たない存在に目と心を奪われたのは短い期間ながら女王として直接人間達と接して妙な情が芽生えていた可能性はある。
だが何よりもここはヴァッツの住む世界なのだ。そんな大切な場所で無関係な命を見殺せば彼はどれ程悲しむだろうか。そしてイェ=イレィに大きな落胆を覚えるだろうか。
「がっはぁっ・・・っ!!」
気が付けば考えるよりも先に少女を護ろうと急下降してその体を掬い上げていたのだが本能のまま黒威の二剣を振るう彼の斬撃は容赦なく彼女の背中を十字に斬り刻む。
戦う者としては最大の失策ではあったがイェ=イレィに後悔はない。きっとこの行動こそがヴァッツの望むもので間違いと確信があったからだ。
しかしこんなお荷物を庇って戦い続けるのは分が悪すぎる。更に背中の手傷から勝利がとても遠くに離れていくのを感じると彼女は杖の先にいる銀色の鷹を使って拾い上げた少女を『アデルハイド』に飛ばした。
後はナハトールを倒せばヴァッツにとても喜んでもらえるに違いない。再び下心に火を付けたイェ=イレィは残りの力を振り絞って敵の駆逐に邁進するのだが体中に痛みと熱さが走り出すと自分の意思とは関係なく大地に倒れていた。
『ネ=ウィン』で予想外に時間を食ってしまったクレイスは焦る気持ちを抑えて『モ=カ=ダス』へ向かう。
本当なら魔力の都合を考えて明日に延ばしたかったがもしナレットとの婚姻が本当に進んでしまったらと考えると居ても立っても居られなくなったのだ。
自分には既にイルフォシアという存在が居て、そして自分を慕う数々の少女も傍に置くと誓っていた。
そこに宿敵である男の姉が加わる等あってはならない。いや、王太子として国家の利益になるのなら一考の余地はあるのかもしれないがあの雰囲気と容姿はとてもじゃないが受け入れる気持ちが起こらない。
(・・・これから戦うって時に何を考えているんだ僕は!!)
焦る気持ちを自戒しながら魔力を抑えて必死に東へ飛ぶが今の精神状態でしっかり戦えるのだろうか。
こんな事なら『トリスト』に立ち寄ってイルフォシアと触れ合って来ればよかった、などともやもやで不安定な飛び方をしていると前方から見慣れない何かが飛んできたのでやっと気持ちを切り替える。
「・・・あれは?イェ=イレィ様の鷹?」
一度だけだが『モ=カ=ダス』の議会場で見た銀色の鷹は彼女の杖の先にくっついていたもので間違いない筈だ。しかし今回は体が大きく変化しているのと鉤爪に妙な少女が掴まれている事から何かしらの理由があるのだろう。
「えっと!そこの銀色の鷹さん!僕を覚えてますか?!『アデルハイド』のクレイスです!」
言葉が通じるのか分からないまま声を掛けてみると鷹の方はこちらを覚えてくれていたのかただ反応しただけなのか、大きな翼をはためかせながら少し上昇気味に向かってくるとその少女を投げるように寄越してきたので慌てて受け止める。
「えっ?えっ??あ、あの、えーっと、君は誰?」
「あっ!わ、私はルアトファって言います!その、突然訳の分からない場所に迷い込んじゃって・・・それに目の前で変な人達が空を飛んだり戦ったりしてて・・・あの・・・ここはどこですか?何がどうなってるんですか?!」
「ルアトファ・・・えっ?!」
思ってもみなかった出会いに先程までのもやもやが吹き飛ぶと旋回して急いで東へ戻る銀の鷹すら忘れて彼女をまじまじと見つめてしまった。
言われてみれば髪型こそ違うが確かに見た目はハルカに似ている。という事はラルヴォが一緒に旅をしていた少女で間違いないだろう。
『モ=カ=ダス』方向から何故銀の鷹が彼女を運んできたのか、その理由はわからないままだが彼女を一緒に連れて行くのは足枷になりかねない。
偶然ながら探し求めていた人物を得たクレイスは一先ず『暗闇夜天』の集落へ急ぐと再会を諦めていたラルヴォは目を丸くした後、喉をゴロゴロと鳴らしてルアトファを抱きかかえるのだった。
これはこれでとてもよかった。朗報を前にこちらも爽やかな笑みを浮かべていたが自分にはこれからやらねばならない事が残っている。
「じゃあ僕はこれで・・・」
「お待ちください。クレイス様にはルアトファ様を探し当てた経緯を語って頂いた後、是非祝宴に参加して頂きたい。」
「うむ。私からも是非礼をしたいのだ。長くは引き止めんので少しだけでも話を聞かせてはくれないか?」
元々見た目とは裏腹にとても紳士的なラルヴォと冷酷な印象ながら里や仲間の事を第一に考えているコクリに引き留められると押しに弱いクレイスは断り切れなかった。
「では少しだけ・・・」
仕方なく座敷に腰を下ろすと個人的にも気になっていたルアトファ本人の件から尋ねてみたのだがその答えは意外なもので再び彼の使命感を逸らせてしまう。
「昨日からラルヴォが急にいなくなったからとりあえず近辺を捜索していたの。そうしたら突然見た事の無い場所に出て来ちゃって、変な人達は空を飛ぶし大地はめちゃくちゃになるし。」
ハルカに似た少女はほとんど飲まず食わずで彼を探していたらしい。そういった説明の中目の前に料理が用意されたのだから喜ばない訳がない。まるで子供のように目を輝かせて食べようとしたのだが食べ方がわからず困惑しているようだ。
実際『モクトウ』近辺は突き匙ではなく箸という食器を使って料理を頂く為知識や経験がないと難しい。それを一番深く理解しているのはラルヴォなのだろう。彼がすぐに使い慣れた突き匙を渡すと彼女も喜んでいただき始めた。ちなみにクレイスは料理に関係する作法という意味合いから箸はぎこちないながらも履修済みだ。
「しかし昨日から・・・という部分が気になりますな。ラルヴォ様がこの地で生活されて既に3か月近くは経っています。」
コクリ以外もそこが不思議だったのだろう。皆が小首を傾げていたがこれはそういう状況を経験した者にしかわからないらしい。
「恐らくラルヴォ様のいた世界とこちらでは時間の進み方が違うのでしょう。」
『天界』と『魔界』の事情を知っていたクレイスが簡単に説明しても誰も理解する事が出来なかったのでルアトファが無事だった話に戻すと彼女は食事を止めて顔を青ざめる。
「あっ?!で、でも私を助けてくれた方が危ないかもしれない・・・あの時手傷を負われていたようだし・・・」
無理矢理にでも話題を切り替えてよかった。それが事実なら今のナハトールはイェ=イレィを倒せる力を手にしており、彼女と『モ=カ=ダス』には亡国の危機が迫っているという事だ。
「すみません。まずはナハトールを討ってきます。話は全てを終えてから後ほどゆっくり聞かせてください。」
だが既に彼女達の戦いは終焉を迎えておりイェ=イレィは最大限の恥辱と苦痛を与えられていた事を、ナハトールが二本の黒威を取り込み人外へと成長した事を知らなかったクレイスは軽い足取りで里を飛び立った。
生物としての全てを捧げて勝利を収めたナハトールは僅かな記憶に縋って玉座に腰かけはしたものの何故そこに座っているのか、何故イェ=イレィの下腹部に黒威の長剣を深く突き刺して這いつくばらせているのか全く理解出来ていない。
感情と知性と理性を失った彼はもう生きる理由も生きていく理由も見出だせない廃人と化していたのだが『モ=カ=ダス』の人間がイェ=イレィを助けようとする動きにだけは反射的に体を動かして排除する様子は見せている。
そのせいで臣下達もただただ遠くで見守る事しか出来ずにいたのだが一瞬だけ希望を見出だした時があった。それが彼女の飼っていた銀色の鷹が物凄い速度で城壁を破壊しながらナハトールに襲い掛かった時だ。
しかし常人には捉える事の出来なかった2つの力はぶつかり合った瞬間に片方が真二つに叩っ斬られた事であっけなく摘み取られる。
(・・・ヴァッツ様には何と申し開きすれば良いのかしら・・・)
そんな周囲の悲壮感を他所に子宮ごと床に貫かれて身動きが取れないイェ=イレィはヴァッツの事を考えながら何か突破口はないかと考えを巡らせていた。
折角『神族』としての力を再度与えられ、国を任されたのにこの体たらくは我ながら目を背けたくなる程情けなく不甲斐無い。それに彼の子を授かる為の器官にこのような凶刃を立てた恨みは必ず晴らさねばならない。
何としてでも奴を始末せねば。イェ=イレィは残された手段をいつ、どこで放つかを虎視眈々と狙っていたのだが彼女の救世主は突然現れる。
「あっ!イェ=イレィ様!!だ、大丈夫ですか?!」
それはヴァッツの親友であり『アデルハイド』の王太子クレイスだ。確かに彼も相当な手練れだという話は聞いていたがナハトールを相手にするには荷が重すぎるだろう。
「・・・逃げなさいクレイス、そしてヴァッツ様の御力添えを賜って来るのです。」
だから静かにそう告げるに留めたのだ。これ以上奴の凶刃によって余計な犠牲が出ないようにと考えて。
「・・・いいえ、奴は僕が討ち取ります。ナハトール、ここは狭いから外に出ようじゃないか。」
ところがクレイスはこちらの忠告を一切聞く事無く謁見の間に入って静かに言い放つとナハトールもイェ=イレィの腹部に刺さっている黒威の長剣を引き抜いて誘われるように大空へと飛び立っていった。
理由は分からないがナハトールはクレイスを敵と認識したのは間違いない。
そして素早く対応した彼も一瞬でイェ=イレィの体を巨大な水球で包み込んでくれたのは下手な追撃や止めから護ってくれたのだろう。お蔭で自身は助かったのだがクレイスもすぐにナハトールの異変を察したのか。
彼女と同じように都市から離れるよう誘導すると獣と化した彼も反射的に後を追っていく。
(せめて見届けないと。)
責任感からイェ=イレィは重傷の体で後を追おうとしたが自身を包み込んだ水球は思っていた以上に強い弾力があり、傷ついた彼女の力では外に出る事も動く事も出来なかった。
つまりそれ程の力を持っているからこそ彼がナハトール討伐に選ばれたのだと考えればここは信じて吉報を待つべきなのかもしれない。
「じょ、女王様・・・」
「恐らくあの御方はヴァッツ様に任されてこの窮地に現れて下さったのでしょう。私達は何の心配もせず復旧作業に当たりなさい。」
慌てて駆け寄って来る臣下達が安心と悲哀の声を掛けてくるとイェ=イレィも己の責務を全うする為に毅然と命令を下す。今は彼の親友を信じよう。いつかはこの世界を統一するであろう覇者の彼を。
そう思えた彼女は遠い西の空に視線を向けているといつの間にか水球は消えてなくなっていたらしい。慌てて召使いや医者達が囲んできて必死で手当てを行い始めるのを見ていると少しの期待を胸に静かに気を失っていくのだった。
そんな『モ=カ=ダス』の状況を他所にクレイスは確信がないまま西へ飛び続けるとルアトファが言っていた場所に辿り着いていた。
「な、なるほど・・・これは凄いな。」
大地には折れたり切断された木々が倒れて埋もれてと一目しただけでもここで激しい戦いが行われたのだと容易に想像がつく。
だが感心ばかりもしていられない。『モ=カ=ダス』で見た時から感じていたのだがどうやらナハトールは既に己を見失っているらしいのだ。
過去にはその状態に陥ったセンフィスをヴァッツは軽く消滅させていたがクレイスはその事実を認知しておらず同じ事が出来る力は持ち合わせていない。それでもこれ以上の被害が生まれないよう、そして自分の気持ちに整理を付ける為には是が非でも勝利を掴まねばならないのだ。
「・・・ナハトール。言葉が通じるかどうかはわからないけど一応宣言しておくよ。ナルサスの仇として君を討つ。」
両手に黒威の長剣を持つナハトールは低い唸り声と僅かに笑みを浮かべているのか。手足が黒い獣のように変化していた彼は何を考えているのか。
「・・・面白イ。では私モ全力で斬リ刻んデヤロう。」
想像以上にしっかりとした答えが返って来たので驚いたが本物の獣のように口を開いて短い呼吸を繰り返す様子から遠慮は必要なさそうだ。
こちらも長剣に水の魔術を施してどっしりと身構える。まずは人間離れしたその容姿と動きをしっかり見極めようと思ったのだが次の瞬間慌てたクレイスは全力で魔術を展開してしまった。
がががががががっ!!
何故なら彼は左右の二剣を叩きつけた後すぐに手を放して獣と化した両腕で殴りかかって来たからだ。こちらも手で握る事の無い水の魔剣を自由自在に操る事は可能だが物理的な攻撃を同時に成立させる方法には焦りを禁じ得ない。
しかも相手の右拳に自身の長剣を、残る1本の拳と2本の長剣に水の魔剣をぶつけて相殺したもののナハトールの攻撃は前回よりかなり強力になっているらしく、こちらの魔術は全て一撃で粉砕されてしまったのだ。
そして放ち終えた両拳が黒威の長剣を握ると間髪入れずに追撃を放ち、再び両手での攻撃・・・だけではない。
ぼんぼんどどんどんっ!!!
既に人間離れしていたナハトールの四肢は長剣を叩きつけた瞬間にその手を放し拳を、蹴りを交えてくると流石に身の危険を察したクレイスは水の大盾を展開するがそれも短い時間で破壊されてしまう。
今までの黒威使いとは一線を画す多様で強力な攻撃手段に冷や汗が止まらなかったが同時に得も言われぬ高揚を感じていたのも事実だ。
この日は午前中にナルサスとナハトールの奇襲を退け、そこから『ネ=ウィン』、『暗闇夜天』の隠里、『モ=カ=ダス』に飛び相当な魔力を消耗しているのは理解していた。
だからこそ刹那の決着を求めたのだ。
数々の負傷と劣勢を乗り越えて来たクレイスは覚悟を決めるとナハトールが黒威の長剣を手放した瞬間を狙って水の魔剣を同時に五本展開してその一本を左手に握る。
そして全力で二剣を叩きつけるが多少のヒビが走るも一撃では破壊できなかったので展開していた他の魔剣に更なる魔力を注ぐと反対側から鋏のように力を加えて無理矢理分断した。
後は放たれている奴の拳をどう捌くかだが黒威を破壊した事で多少は弱体化していたらしい。
ずどむっ!!!
右拳が左胸に突き刺さる寸前に僅かな防御姿勢を作れただけでなく残っていた水の魔剣をナハトールの両肩口に突き刺す反撃にも成功していた。
更に素早く身を翻したクレイスはくるりと後方に回転しながら体勢を立て直すとそのまま一気に加速して残った4本の魔剣で同時に薙ぎ払い、相手の首を勢いよく跳ね飛ばすのだった。
何事も思い通りに事が運べば嬉しいものだ。
今回は魔力の残存量がぎりぎりの中、普段展開する水球を水の魔剣に代えたり一瞬だけ風の魔術で加速したりと工夫に工夫を凝らして得た勝利は受けた拳の痛みを完全に忘れさせていた。
しかし喜んでばかりもいられない。最終目的は『ネ=ウィン』から掛けられた嫌疑を晴らす事なのだからここで終わりではないのだ。
余力が残っていれば『トリスト』に立ち寄りたいな。
受けた攻撃は一撃だけだったがそれによりかなりの負傷をしていたからだろうか。無意識にイルフォシアを求めていたクレイスは枯渇寸前の魔力を使い西へ飛ぶ。
そして辺りが暗くなってきた頃、僅か1日で全てを片付けて再び『ネ=ウィン』に戻ってくるとすぐ謁見の間に通されたのでナハトールの首と砕かれた黒威の長剣を速やかに献上した後その場を去るのだった。
だがここまでが順調すぎたのかもしれない。最後の最後で完全に魔力が枯渇してしまった事と攻撃を受けた左胸にやっと痛みを感じたクレイスはまるで蛇のような気配を覚えて振り向いた。
「お疲れ様でした。まさかこの短期間に全てを成し遂げられるなんて・・・私、益々惚れ直しましたわ。」
「あ、ありがとうございます。」
流石に敵地の王城内で皇女相手に無礼な態度を取る訳にもいかなかったクレイスは渋々言葉を返すが出来れば今すぐ飛び去りたい。何なら走り去ってもいいかもしれない。
彼女にだけは決して魔力や怪我の事情を知られたくなかったので何とか騒ぎにならないよう帰国の方法を考えるが飛べない以上陸路しか選択肢はなく、しかも日は暮れてしまっている為無理に馬車を出してもらうのも大きな借りを作るようで気が引ける。
唯一頼れそうなのはいつもヴァッツやカズキを持て成してくれるビアードだが彼も今はナルサスの国葬や皇帝の傍に使える任務などで身動きはとれないだろう。松明が灯る中庭には空を飛べないクレイスとナレットの2人しかおらず、周囲の衛兵や召使いが介入してくる様子はない。
「あ、あの、ではこれで失礼しますね。」
相手が彼女以外ならとても良い雰囲気に浸れるのにと妄想しながら一先ず空を飛ぶような素振りだけしてみるがナレットは最後まで見届けるつもりか様子を窺っているのか、微動だにせずこちらをじっと見つめてくる。
・・・・・
「・・・クレイス様、見た所左胸に怪我をなさってますわね。その手当てもせず、晩餐会も開かず帰国させる等皇族として恥ずべき行為だというのはご理解して下さいますよね?」
間の取り方といい言い回しといい、蛇に睨まれた蛙のような心境だったクレイスはどんな強敵と対峙した時よりも生きた心地がしなかったが彼女の言いたい事は十分理解出来るのと逃げる手段がなかった為仕方なくゆっくり振り向く。
「父は未だ気持ちの整理がつかない様子ですから代わりに私が十分に御もてなしさせて頂きますわ。どうぞこちらへ。」
果たして無事に帰国出来るだろうか。もし何かあれば自刃の覚悟もしておいた方がいいのか。今襲われたら絶対に太刀打ちできないだろうと悟っていたクレイスはまな板の鯉状態で後に続くとまずは来賓用の部屋に通されてから王宮の医師団に囲まれた。
「・・・これはひどい。鎖骨に肋骨が5本程折れているようですが、かなり痛むでしょう?」
「え?あ、はい。多少は・・・」
治療の最中もずっとこちらを見つめてくる視線が気になって痛みどころではなかったのだがこちらが怯えを隠す中、鎮痛の軟膏を塗り込んで治療が終わると今度は晩餐の場に案内される。
(・・・・・毒を盛られたらどうしよう・・・・・)
こういう時ルサナが居れば安心なんだけどなぁと心の中で嘆くもこの席は2人だけという訳ではない。ある程度の身分を持つ女性が同席していたようだが彼女はあのフランドルの娘らしい。
「この娘はフランセル。今『ネ=ウィン』では新進気鋭の将官よ。カズキ様にも一目置かれているらしいわ。ね?」
「はい。あいつはいつか必ず私が討ち取って御覧に入れます。」
柔らかそうな見た目とは裏腹に随分感情の篭った答えと親友の名が出ると少しだけ緊張の糸は解れて表情が綻ぶ。カズキからの話では筋が良いので将来有望な将軍候補だろうと聞いていたが仲は良くないようだ。
とにかく体よりも精神の疲弊を強く感じていたクレイスはそれ以上思考を働かせるのが難しく、まずは栄養をしっかり摂ろうと用意された料理を口に運ぶと少し驚いた。
「・・・美味しいですね。」
「・・・よかったわ~!クレイス様は料理にとても精通されているとお聞きしていたので心配でしたの!さぁさぁどんどん召し上がって下さい!」
死闘で全てを出し切った後というのもあるのだろう。戦闘国家特有の濃い味付けは疲れた身体が求めていたものらしく、あっという間に全てを平らげたクレイスは不覚にも気を完全に緩めてしまっていた。
傷病と疲れを癒すには沢山の食事と休養が基本中の基本だ。
久しぶりに魔力を完全に枯渇させる程の戦いを終えたクレイスはあれから泥のように眠ってしまうと慌てて飛び起きる。
どうやらそこは昨日宛がわれた部屋で間違いないらしい。そして誰かが同衾している事も無く、左胸に若干の痛みが走るも最悪の事態は免れたようだ。
「おはようございます。」
しかし女性から声を掛けられると再び戦慄が走った。もしかしてと考えずにはいられなかったがそこに立っていたのは昨夜一緒に食事をしたフランセルなので無意識に安堵のため息が漏れてしまう。
「お、おはようフランセルさん。あの、何で僕の部屋に?」
「ナレット様より護衛の任務を命じられておりました。」
思ったより丁重な持て成しを受けていたようで少し過剰に警戒し過ぎていた事に羞恥を覚えつつ着替えを終えるがその間も彼女は直立不動のままだった。
『トリスト』や『アデルハイド』ではあまり見ない頼もしい姿に感心していたのだがそれには命令以外の理由があったらしい。
「ところでクレイス様、最近のカズキはその・・・どのような様子でしょうか?」
「え?カズキ?」
質問の意味を全く理解出来なかったクレイスは思わず小首を傾げるがフランセルの方も一切動じる様子を見せなかったので答えに迷う。
確か今は『ボラムス』で別世界からやってきた魔法使いの傍に付いている筈だがこの情報には箝口令が敷かれている。故にそこだけは隠して告げればいいのかもしれないが昨夜の様子だと彼を敵視している筈だ。
「えっと、とても元気にやってるよ。」
クレイスにはまだ情報が届いていなかったのだがこの時カズキは昇進した後すぐに大規模な反攻作戦を展開中だったので間違いではない。
「・・・そうですか。」
なので当たり障りのない答えに留めたのだがそれを聞いたフランセルが一瞬だけ目に見えて落ち込む様子を見せたのだから訳が分からなくなる。
おかしい。好敵手と思える相手が元気なのは喜ばしい事の筈だが何が気に食わなかったのだろう。もしかして間者などを差し向けて毒殺でも画策しているのか?とすれば自分は益々急ぎ帰国して彼に忠告する必要がある。
「あの、カズキに何かあるなら伝えるよ?」
ナレットの時とは違う警戒心を抱きながら探りを入れると彼女は目を丸くしてから首を軽く横に振って俯いた。そしてその様子から違う疑問を抱いたクレイスは更に彼女の様子をじっくり観察すると勘の良さから1つの答えに辿り着いてしまった。
「いえ、大丈夫です。その、『ネ=ウィン』にいた時は頼みもしないのに毎日毎日稽古をつけてくれていたものですから、ちょっと最近寂し・・・退屈していただけです。すみません。皇子が亡くなられた直後だというのに不敬ですよね。」
「・・・そんな事は無いよ。国の為に研鑽を積むのは悪い事じゃないと僕は思う。そうだね、彼も強い相手と戦うのを何よりも求めているし、帰ったら伝えておくよ。」
そう伝えると彼女が一瞬だけ華を咲かせたような笑顔を浮かべたのをも見逃さない。
(へぇ。何だ、自分には女っ気がないとか言ってたけどちゃんといるじゃないか。)
その感情がどこまで深いものなのかはわからないが少なくとも好意以上、恋焦がれるようなものは抱いているのだろう。ただ相手が『ネ=ウィン』の人間だというのは微妙な所だ。
もしカズキとフランセルにその気があるのなら彼女を『アデルハイド』や『ボラムス』に引き抜いてしまおうか。いや、フランドルの娘なのだから難しいか?
中々の茨道だなぁと感心していたクレイスは一人で納得しながら部屋を後にするのだが自身も未だその敵国にいる事をすっかり失念していたのでナレットとの朝食時には少しぎこちない表情を浮かべながら味と記憶のぼやけた料理を口に運んでいた。
クレイスがナハトールに勝てたのは積み上げて来た鍛錬や経験だけではない。純粋にセイドの作り上げた黒威が、黒威の力しか発動していなかったから勝利を得たのだ。
砕かれた黒威の長剣と首を『ネ=ウィン』に運ばれた翌日、残った遺体は人知れず動き出すと意外な事に考える頭を失った今の方がやるべき事や感情がはっきりしているのをナハトールは理解していた。
「・・・帰るか。」
今度こそしっかりイェ=イレィに引導を渡せるだろう。自身が首のない体で動いているとさえわからないまま空へ飛んだナハトールはどこから湧き出て来るのかわからない力を頼りに悲願を達成するのだと息巻くのだった。
内臓に大きな損傷を受けていたイェ=イレィは『神族』でなければ確実に死んでいただろう。
医師達も少し前までは彼女から下賜された力で治癒を施していた為ほとんど成す術が無かったものの色んな書物を漁って必死で治療した事が功を奏したのか、翌朝には容体が安定したイェ=イレィは今回の件は国家方針について考える良いきっかけだったと前向きに捉えていた。
人間は弱い。だから集団で身を護り合って繁栄を築こうと国家を形成しているのだ。
もちろん我欲に塗れた人物が台頭すると根幹から腐っていくだろうがイェ=イレィが女王である間その心配はない。ならばまず優先的に医療を推奨して生活の安定に努めてはどうだろうか。
ヴァッツとの約束で人間に特別な力を与える選択肢がない以上、彼らは彼らの力だけでその繁栄と平和を掴み取らねばならないのだ。
であれば女王としてしっかり指針を示す必要がある。自身が大きな傷を負った事でそれに気が付けたイェ=イレィは初めて人間主体の考え方に辿り着いたのだが直後にまたも混乱が『モ=カ=ダス』を襲ってきた。
それは一夜明けた早朝に『アデルハイド』からクレイスがナハトールを見事に討ち取ったという朗報から始まった。
奴の首と破壊された妙な黒い長剣は『ネ=ウィン』が回収しており完全に脅威が、国賊が去ったのだと国内はお祭り騒ぎだった所に首のない人間が空を飛んで現れたのだから皆が声を失う。
「どうした?王の帰還だぞ?もっと騒げばよいではないか。」
更にどこから出ているのか、城門前に降り立ったナハトールらしき体から彼の声が聞こえてくると衛兵達も全く機能せずにただただ呆然と立ち尽くすだけだ。
もちろんいち早くその情報を受けてイェ=イレィは再びアンババに排除を命ずるも、彼は以前よりも素早く断りを入れて来たのだから若干呆れてしまった。
「仮にも『悪魔族』でしょう?首も武器も持たない人間をそんなに恐れてどうするのですか?」
「い、いや、女王様。お言葉ですがあれは人間ではありません。以前もおかしな様子でしたが今回は断言します。あれには絶対関わらない方が良い。玉座を求めているのであれば速やかに譲るべきです。」
とんでもない不敬な発言に下腹部の傷口が開きそうなほど激昂しかけたがこちらも未だ寝具から立ち上がれるほど回復はしていない。
「アンババ。この国はヴァッツ様から賜れた国です。そんな真似が出来る筈もないでしょう?」
「し、しかし・・・わかりました。でしたら私が悪魔城からフロウ様に嘆願して参ります。それまで時間を稼いでいて下さい。」
まさか彼から『悪魔族』の王に頼るという提案をされるとは思いもしなかったが首のないナハトールはそれ程までに脅威という事か。手傷さえ追っていなければこの手で滅ぼしてやりたい所だが今は彼の提案が最も現実的なのだろう。
その意見を了承すると彼は速やかに退室して今度は初めて見る人間が入れ替わるように姿を見せる。
「初めまして。私は『モクトウ』の大将軍リセイと申します。此度は元王族が謀反を働いたと聞いて駆け付けた次第でございます。」
一瞬何の事かと考えたがそういえば『トリスト』の他に東へもナハトール謀反を報せていた。だが彼らには空を飛ぶ手段がなかった為急ぎではあったものの一日遅れで到着したという訳だ。
「ありがとうリセイ様。しかし今はまた少し状況が変わっていまして・・・」
「それは玉座に座っているという首のない人間の事ですか?」
どうやらナハトールは死しても尚玉座に、国王に執着しているらしい。動けない状態の為直接確かめていなかったが奴の愚かさには溜息しか出てこない。
しかし『モクトウ』の大将軍自ら参上してもらったのだからこちらも真摯に対応する必要がある。イェ=イレィはこの一日で何が起こったのかを丁寧に説明すると彼は深く頷き、こちらは浅く俯いた。
「本当にお恥ずかしい話です。これから『悪魔族』の魔王を頼って早急に処理致しますのでどうかリセイ様はゆっくりとお寛ぎになって下さい。」
後は恩義に報いる盛大な歓待と返礼の品々を用意すべきだろう。ナハトールの処分は既に完了している風に話を進めるがリセイという男は少し考え込んだ後に素朴な疑問を投げかけてくる。
「あの、イェ=イレィ様。このまま国賊を野放しにされておくおつもりでしょうか?」
「え?そうですね。魔王がこちらに来られるまでは被害を最小限に抑えるよう伝達していますが。もちろんリセイ様に危害が及ばないよう厳命しておりますからご心配なく。」
「いえ、そうではなくてですね。それ程の脅威であれば速やかに排除すべきだと愚考しますがいかがでしょう?」
それは確かにその通りだ。イェ=イレィも彼の言っている意味がわかるようなわからないような様子で軽く頷いて見せるとリセイは静かに立ち上がって意外な言葉を告げて来た。
「でしたら早速私が処して参ります。」
「・・・・・えっ?あの、リセイ様、お気持ちは大変嬉しいのですがその、ナハトールは現在危険な存在だと認識していますので人間の貴方が戦うのは少々荷が重いと申しますか・・・」
「ご心配感謝致します。しかし先程の様子では恐らく討ち取る事は可能かと。歓待はその後甘んじて受けさせて頂きますゆえ。」
『モ=カ=ダス』に強者がいない為彼の言動には驚愕しか抱かなかったがその背中からは確かな自信と強さを感じる。では任せてしまっても良いのだろうか?いや、他国の大将軍が討ち死になどしてしまえばそれもまたヴァッツの意に反する事になりかねない。
「・・・明確な勝算があるとお考えでしょうか?」
「そうですね。多少の怪我を負う可能性はありますが負ける事はないかと。」
本当に?強がりではなく?人間の強さをいまいち理解していないイェ=イレィはさらりと言いのける彼の言葉を微塵も信用できなかったが逆に興味も湧いて来る。
「わかりました。でしたら私も見届けたく思いますので大広場で決着を付けて頂いてもよろしいでしょうか?」
医師団から立つ事を固く禁じられていた為仕方なく神輿のような物に腰かけたイェ=イレィは少し気恥ずかしい思いをしながら街の大広場にやってくると民衆も神でもある女王の姿を拝謁出来た歓喜で溢れ返っていた。
だが同時に首を持たないナハトールを視界に捉えるとその周辺だけお通夜のような雰囲気に切り替わるのだから極端な対比に笑いを漏らしそうになる。
「死にぞこないが。随分と良い物に乗っているじゃないか。」
「あら?顔がないから鏡も見れないのかしら?それとも頭を失って考える事が出来なくなったの?」
皮肉をたっぷり返してから改めてナハトールを観察するが本当にどこから声を出しているのだ?更に視覚も確保出来ているのかこちらの姿もしっかりと捉えられているらしい。
「ナハトールと言ったか。此度は私が成敗しに参った。最初に聞いておこう。何か言い残す事は無いか?」
それにしてもリセイという男は何故これほどまでに自信があるのだろう。相手はどう考えても普通ではないのに畏怖や不安を感じないのだろうか?
彼に全てを任すような決断を若干後悔していたイェ=イレィは何かあれば自身も捨て身で戦おうと身構えているとナハトールが返答する所から空気が変わって来る。
「はっはっは。お前こそ遺書でも何でも用意しておいた方が良い。今の私は誰にも負けないだろうからな。それこそ戦いも一瞬で勝負がつくだろう。」
「そうか。では万が一私が敗れてもお前はこの国を去れと忠告しておこう。もしヴァッツ様がお前のような存在を知ればどのような結末を迎えるか想像もつかん。」
まさか遺言らしきものから神の名が聞けるとは。というかリセイもヴァッツの素晴らしさ、強さを十二分に承知しているらしい。
もしかすると彼の自信はそこから来ているのか?ヴァッツから何か特別な力でも与えられているのだろうか?そう考えると今までの態度も全てが腑に落ちる。
「・・・心配するな。お前を屠り、イェ=イレィを惨殺した後は奴を殺すからな。」
何と愚かな。
ナハトールは議会場で起こった真意を何も理解していないのか。『神族』を普通の人間にしたり再び力を与えたりはもちろん、イェ=イレィが下賜した神器の力や治癒などの力を全て奪ってみせた彼の力を。
「ふむ。では始めるか。」
もはや語るに足らずと判断したのだろう。大広場で片刃の曲刀を抜いたリセイが静かに告げて構えると周囲も固唾を飲んで見守る。
ここからどういった戦いになるのか。ナハトールは首も武器も持っておらず空も飛んでいない所を見るとそのまま地上戦から仕掛けるつもりか。
人間の猛者がどのように立ち回るのかよくわからないイェ=イレィはいつの間にか群衆と同じような期待と不安を胸に見守っていると先に仕掛けたのは意外にもリセイだった。
しゅんっ!
彼はかなりの速さで間合いを詰めると少し違和感のある袈裟懸けの斬り下ろしを見せたがナハトールは剣閃が届かないぎりぎりの所まで体を引く。
だがすぐに膝元への薙ぎ払いが放たれると今度は軽く体を浮かせ、更に斬り上げまで派生させた後には完全に空へと身を逃がしていた。
やはり飛べる者と飛べない者の差は大きい。
悠々と間合いの外から見下ろす・・・首がないのでそう見えるだけかもしれないが余裕さえ感じられるナハトールをリセイも落ち着いた様子で見上げている。
「ほう?中々良い動きだ。今なら降伏を受け入れてやらんでもないぞ?私の右腕として使ってやろう。」
「断る。」
しかしあの男、何をするにしても自信に溢れているのだから不思議でならない。空からの攻撃は非常に厄介で下手をすると一方的に蹂躙され兼ねないというのに。
このまま終わるとも反撃の手立てがあるとも思えないイェ=イレィはいつでも助太刀出来るよう僅かに腰を浮かせていると恐れていた事が現実になった。
どんどんどんどん!!
ナハトールが上空から拳を放つとその衝撃波が一方的にリセイを襲ったのだ。これには身を躱すか受けるしか手段がなく、大広場の石畳が見る見るうちに酷い有様へと変わっていくが双方の動きに変化は見られない。
どうやらリセイにはまだまだ余力があるようでそれを察したナハトールも名実共に人の道を踏み外した行為に走ると攻撃は見事に彼の背中を捕えた。
「・・・ナハトール・・・貴様ぁッ!!」
彼は『モクトウ』でも相当信頼のおける人物に違いない。でなければ戦いを見物していた他国民達に放たれた攻撃を身を挺してまで護るはずがないのだ。
卑劣すぎる方法にイェ=イレィもいよいよ戦う姿勢に入るがリセイはこちらに手を向けると力の宿る双眸で静かに頷いて来る。
こんな人間も存在するのか。気が付けば自身もすっかりリセイを信頼していたがそれからの戦いは酷かった。ナハトールは彼を直接狙う事はなく自国民に攻撃を放ってはリセイがそれを受ける。
蜘蛛の子を散らすかのように逃げ惑う野次馬と、それを庇って確実に負傷していく彼の様子が楽しくて仕方がないのか、相変わらずどこから出しているのかわからない笑い声はこちらの感情を見る見る逆立てていった。
それでもリセイは臆する様子も降参する気配も見せずにただ黙々と国民を庇い続けるのは何故だ?
いつしかそんな彼に目を奪われていたイェ=イレィだったがその答えは単純且つ、重要なものだった。
「さて、そろそろ終わらせようか。」
止めを刺せるまで弱らせたと確信したらしい。頭を持たないナハトールの勝ち誇った声が再びこちらを激昂させるがリセイは最初から最後までずっと静かな様子で立ち回っている。
そこにやっと気が付いたイェ=イレィだったが油断しきっていた暗愚には真意を読む事など到底無理だった。
拳から放たれた衝撃波を直接打ち込んでいくも相変わらず致命傷を負わない範囲でのらりくらりと躱し、受け流すリセイを見て我慢が出来なくなったのか。
直接その手で粉砕する為に突然急降下してきたのでイェ=イレィも銀の杖を構えて前に飛び込んだ瞬間、遂に彼の力が解放された。
しゃぃぃ・・・ぃぃんん・・・
あまりにも静かな剣閃は水面に沈むかのように、ぼろぼろに崩れた大広場の床と逃げ惑う国民達の間を見事に走り抜ける刀は上空に斬り上げられていた。
すると首を持たない体が綺麗に割れるがリセイはそこから静かに追撃を放つとまるで食材屋に並ぶ肉塊の如く、綺麗な細切れとなってその場に落ちて行く。
「ふぅ。少々時間が掛かってしまい申し訳ありませんでした。」
人間にもこのような男がいるのか。被弾こそしていたものの全ては国民を護る為であり、思い返せば危うい場面など一度もなくナハトールを完全に斬り伏せた強さには臣民共々唖然とするしかない。
「・・・よく使命を果たして下さいました。『モ=カ=ダス』の女王として深くお礼を申し上げます。」
それから我に返ったイェ=イレィが心の底から感服して謝意を述べるとやっと本当の安寧を覚えた国民達も割れんばかりの大歓声を上げるがリセイだけは念の為ナハトールの遺体は早々に燃やしてしまった方が良いと最後まで冷静に対応し続けていた。
「我が国民を、身を挺してまで護って頂き誠に感謝致します。人間とは己の保身しか考えない生物だと思っていましたがリセイ様を知って浅はかさに恥じ入るばかりでございます。」
あの後アンババが魔王フロウを連れて帰って来た時には全て終わっていたのだがこちらも手ぶらで帰す訳にもいかないのでイェ=イレィは急遽3人での会食の場を設けた。
「とんでもない。かく言う私も今回の戦いでは甥の姿を思い出しながら真似ただけでして。己の身を一番に行動するのは本能故、例外はないと考えて下されば気も楽になるかと。」
話によると彼の甥という人物は以前人質の身を案ずるが故に無抵抗のまま攻撃を受け続けたそうだ。しかも耐え忍ぶ中ずっと反撃の機会を窺っていた姿はリセイも深く感嘆したという。
つまり自身も甥から戦士としての心得を教わっただけでなく今回はそれを再現したに過ぎないと謙遜しているのだが、そういった性格もまた『モクトウ』の大将軍たる所以なのだろう。
「ふむ。しかし首のない人間とやらはどのようなものだったのだ?私達『悪魔族』も数々の人間を襲ってきたがそのような存在は見た事も聞いた事もないぞ?」
食事よりも酒を楽しんでいたフロウが素朴な疑問を投げかけるとイェ=イレィも言葉に詰まる。
見た所何かに操られている様子はなかった。そもそも人間以前に生物として首を落とされているのに自我を保って行動する等可能なのだろうか?
「はい。私は少し前にヴァッツ殿から似たような話を聞いておりましたので冷静に対処出来た次第でございます。」
またも神の名が出て来た事でイェ=イレィは目を輝かせて、フロウは納得した様子で頷くとリセイは話の続きを聞かせてくれる。
何でも二年程前に『モクトウ』を牛耳っていた男が暴虐の限りを尽くしていたらしく、それを討伐する為に甥やヴァッツの力を借りたのだそうだ。
そして今回と同じように首を落とされたダクリバンという男が埋葬された後から蘇って来たという。ただその時はヴァッツが対応したのとダクリバンが戦う意思を見せなかった為何事もなく再び死んでいったらしい。
「・・・この世界は不思議ですね。」
「うむ。ヴァッツという破格の存在と共存しているのも大概だが他の者達も不可解な力を持っているのか、もしくは誰かに与えられたのか。」
フロウの意見にはイェ=イレィも頷かざるを得ない。自分が人々から神と崇められていた為奢っていた部分は確かにある。
それにしてもそんな『神族』の住む『神界』にあっさり侵入してきただけでなくそこにいる全員の力を一瞬で奪う等、今考えても破格が過ぎる。
なのにザジウスは自分よりも遥かに強者の住むこの世界に干渉出来ていたのは何故だ?・・・・・いや、干渉をさせられていた?許されていた?まさか命じられていた?
不明瞭な不安が思考を支配するとイェ=イレィは一瞬で我に返る。そして何を思ったのか、考えていたのかという記憶を失った事さえ理解出来ないまま彼女は再び偉大なる大将軍リセイに御礼を伝えると有耶無耶な話と会食は幕を閉じるのだった。
「ファンタジー」の人気作品
-
-
4.9万
-
-
7万
-
-
4.8万
-
-
2.3万
-
-
1.6万
-
-
1.1万
-
-
2.4万
-
-
2.3万
-
-
5.5万
書籍化作品
-
-
769
-
-
314
-
-
4504
-
-
93
-
-
0
-
-
93
-
-
2818
-
-
353
-
-
1
コメント