闇を統べる者
国家の未来 -王太子クレイス-
クレイスは王太子として選ばれたものの定期的に『トリスト』へ戻っていたのには様々な理由がある。
まずはイルフォシアだ。彼女と永遠の愛を誓っていたというのもあるがやはり時にはその声と肌に触れないと不安で落ち着かないのだ。
そして部隊の訓練。これはある程度ノーヴァラットに任せられたのだがそれでもいざとなれば自身が率いて戦わなくてはならない為怠る訳にはいかない。
優先順位が変動しやすいが後はルサナやウンディーネとの接触も忘れない。というか彼が帰国した際向こうからやって来るのでここはあまり気兼ねせずに対応出来ていた。
それらを終えてから『アデルハイド』に戻り今度は国務として臣下の提言や議題といった意見を議会で見守るのだが父曰くこの時はどんどん口を挟むべきらしい。
「当然国王は全ての分野においてある程度の知識を得ておく必要はある。だが専門的な部分にはその役職に就いている者こそが一番詳しいのだ。」
なので彼らの話と周囲の話をすり合わせて最終的にどのような形で落とし込むのかを見届ける事こそが国の運営には大切なのだという。
更に国王の前で議論に持ち込まれる場合、事前に念入りな計画書を作っている為こちらの質疑応答には淀みなく答えてくれるのが理想だそうだ。
「つまり淀みがある場合は・・・」
「うむ。その役職に適していないのかサボっていたのか能力が足りていないのか。様々な理由が挙げられるだろうがそれを見極めるのもまた国務と言えるな。」
4年前に侵攻された爪痕の復旧作業もほとんど終え、現在は珍しく版図拡大についての議題が持ち上がっているのだがこれは『ビ=ダータ』に任せっきりだった『ワイルデル領』の一部を割譲してもらおうという平和的な話だ。
事実上彼の地は『トリスト』が握っている為交渉などほとんどない状態で手には入るそうだが問題はその使い道だという。
「かなり肥沃な土地なので先住者の事も配慮すると今まで通り農村として受け入れるのがよろしいかと。」
「しかし我が国の人口では限度がある。ここは酪農にも力を入れるべきでしょう。特に馬はまだまだ足りておりません。」
「あれ程恵まれた土地なのです。特産品を育てて他国へ売り捌き、外貨を得られるよう利用すべきです。」
「どの政策でも結構ですがまずはしっかりとした居住区と戸籍を調べ直すのが先決でしょう。何をするにも人が必要ですからな。」
思っていた以上に様々な意見が飛び交うのでクレイスは目を丸くしていたが事前に自国の情報をある程度頭に入れておいたので彼らの言い分も全て理解出来る。
(父上はどう考えているんだろう?)
「うむ。まずは生活基盤を洗い出す必要があるな。それに王都からの移民を募って新たな地に送れ。『アデルハイド』の法をしっかり根付かせる事から始めるのだ。」
母国に戻って日は浅いが色々と学んだ内容の中で重要なのは国民の人数をしっかり把握する事だと教えられた。これは生産力や兵士といった国家存続に関わるのでそこにも様々な法律があるらしい。
例えば今回のように別の土地に移る国民や兵士に出願した家族には減税を約束したりするのが基本だそうだ。
後は国家主導の事業は特に重要で先程意見の出た特産物の輸出などは関税や値段の調整などを一手に担っている。そうする事で財政を確保したりもしているらしい。
「クレイス。お前は何か思う所はあるか?」
ただただ感心して今までの事を考えていると国王から話を振られたので一瞬思考が止まってしまう。
「・・・そう、ですね。僕はまだまだ勉強不足なので特に口を挟める内容が見当たりません。ただ防衛に関してはどうなのですか?領土が増える事で手薄になる気はしますが。」
唯一『トリスト』で得た経験と知識は軍事関係の事なのだ。一応『アデルハイド』は堅牢で有名な話も知ってはいるが正直この国の兵士がどの程度なのか全く知らない。
「クレイス様、我が『アデルハイド』の敵国は現在『ネ=ウィン』のみです。よって軍事力は全て南に集中させていれば現状は問題がないと思われます。」
数年前までは北も『リングストン』の脅威に晒されていたものの今は『ビ=ダータ』が支配しているので心配はいらないそうだ。その意見を聞いて納得したクレイスも頷いて以降は口を挟むことなく此度の議会は閉幕した。
「よし。今度はお前だけで街を視察してくるがいい。」
それから父が提案してくれたので目立たない衣服に着替えたのだがどうやらお忍びという事ではなかったらしい。
「では向かおうか。」
てっきり一人だけで街を散策出来るのかと思っていたが従者としてトウケンがついて来るとなるとその出で立ちからも目立つのは目に見えている。
「よろしくお願いします。」
だが彼は『暗闇夜天』の頭領なのだから何か得られるかもしれない。でなければ父も一緒に行動する許可など出さないだろう。
母国なのにほとんど歩いた事がないクレイスは妙にそわそわしながら周囲を見て回るがこちらが興味深そうに観察する以上の視線が主に大柄の従者へ向けられていたらしい。
「クレイスは優秀だな。長としての自覚を持ちこうやって行動出来るのだから。」
周囲の注目など全く気にせず突然褒められたのでこちらも一瞬足を止めて驚いてしまう。
「えぇ?そ、そうですか?僕なんて今まで全く王族らしい事をやってこなかった親不孝者ですよ?」
「それは今までの話だろう?わしは今の話をしておるのだ。」
ハルカの祖父についてはもっと頑固というか厳格な人だと想像していたがほぼ初対面だったこの日、改めて話を聞いていると雰囲気や端々から繊細さや確かな優しさを感じた。
「規模に限らず長というのは何よりもまず自分をしっかり律する必要がある。お主は既にそれを備えておるようだし今の志を忘れずに進めば必ずよい王になれるだろう。」
街を歩きながら店や人々の活気を確かめつつトウケンがそう告げてくれると悪い気はしない。むしろ嬉しくて顔がにやけそうだ。
「だからなクレイス、もしかすると君は将来わしらの力が必要になる時が来るかもしれん。その為に縁戚関係を作るというのも悪くないと思うぞ?」
そこに突然思わぬ提案を告げられるとクレイスは思わず足を止める。話の流れや噂を耳にしていたので彼の言いたい事がすぐ理解出来てしまう自分が憎い。
「それは・・・でもハルカは恐らくヴァッツに娶られると思いますよ。」
「そうかね?『トリスト』の後宮に招かれたものの未だ目立った進展は無いという話だが?むしろ従者であった時雨という娘がその寵愛を一身に受けているとも聞くぞ?」
この辺りは流石『暗闇夜天』の頭領だ。遠く離れた『トリスト』の内情すら良く掴んでいるらしい。
時雨は今でも従者としての役割も果たしたいようでヴァッツを想う気持ちと二足の草鞋を選んでいるのはクレイスも知っていた。
「しかしトウケン様はそのようなお話を方々にされ過ぎでは?確かカズキにも同じ話をされていませんでしたか?」
「うむ。あの少年もわしは気に入っておるからな。今の所婿候補はヴァッツ、カズキ、そしてクレイス殿、お主じゃ。」
自慢の親友と同列に並べられて嬉しい反面、ハルカ自身の気持ちを全く考慮していない点から思わず苦笑いを浮かべてしまうがショウ的思考で捉えれば『暗闇夜天』の未来を見据えての発言とも取れる。
ただ彼の話しぶりからすると婿入りする必要があるだろう。となれば『トリスト』の要であるヴァッツは絶対に無理だろうしクレイスにも『アデルハイド』の次期国王という約束がある。
すると消去法でいけばカズキしか残らない訳だが彼とハルカが恋仲、いや、政略結婚であればお互いの感情など考慮する必要もないかもしれないが結ばれる絵が全く思い浮かばない。
「・・・・・あの~、ハルカの事ですからきっといい人が見つかると思います。はい。」
最後は問答に詰んでしまうと適当な相槌で話を切り上げてクレイスは再び街の視察へ意識を戻す。
『アデルハイド』はとても繫栄しているとまではいかなくとも皆の表情から確かな活力は感じた。それは国民がしっかりと働いて十分生活出来ているからだろう。
労働と対価、衣食足りて礼節を知るというのは国としての基本でありこれを達成、維持する事こそが国家最大の使命なのだ。
次に国防だろう。世界には多種多様な国家が樹立しており方針も様々なものがある。『アデルハイド』は南北を強国で挟まれていた為選択権などなく堅牢にならねばならない事情があったが今ではその危機も半分緩和されている。
では南側の防衛だけに専念すれば良いのかと言えばそうではない。最も恐ろしい敵は国内に潜む佞臣の存在なのだ。
これを放置すると国家は見る見る腐敗の一途を辿る。『シャリーゼ』なども大実業家を擁して繁栄を築きながら厳しく律していたのはそれを水際で食い止めていたからだ。
「・・・僕の国はこういう所だったのか。」
元より小国『アデルハイド』にそのような人物がいないからそこまで考えが回らなかったのだろう。クレイスは活気のある街中を散策して満足すると多少トウケンと世間話をしながら王城へ戻っていった。
まだまだ王族としての自覚と知識に欠けていた為思う所こそあったもののそれを提案するまでには至らない。
だが『暗闇夜天』の頭領は前々から様々な点を危惧していたのだろう。後日行われた議会ではクレイスの隣に座っていたトウケンはいくつか口を挟んできた。
「『ネ=ウィン』が怪しい動きを見せている。ここは南の防衛を強化しておく事を勧める。」
その発言に臣下達がざわつくだけでなくキシリングも険しい表情になったが自身はどう反応すればいいのだろう。母国にありながら自国の民と一緒に戦った事がないクレイスは黙って様子を窺っていると臣下達が意見を述べ始める。
「トウケン殿、現在『ネ=ウィン』は先の『ジグラト戦争』により4将も軍事力も壊滅状態と聞きます。そんな中他国に侵略する余裕などありましょうか?」
「フィアン殿、彼の国は戦闘国家だ。その求心力は戦う事でしか維持出来ない。つまり自国の為にも戦い続ける必要があるのだ。」
むしろ他国の事情の方に詳しいクレイスは2人の意見に頷く。これはどちら側の意見にも筋が通っていたからだ。
「クレイス様はどう思われますか?」
その様子を見ていた不意にプレオスが尋ねてくると周囲の視線が集まるのを感じた。しかし以前の彼とは違い不慣れな部分こそ自覚していたものの発する言葉も意思もぶれる事は無い。
「・・・トウケン様は『暗闇夜天』の頭領でありその情報には信憑性もあります。ですから僕が直接見て来ましょう。」
これは自分であればひとっ飛びで『ネ=ウィン』の上空まで移動出来る事、その目で確認したいからと提案したのだが反対してきたのは先程の臣下だ。
「クレイス様は王太子であらせられます。しかも現在は国務を学ぶ為に邁進されている最中、そんな雑用でお手間を取らせる訳にはいきません。」
正論に次ぐ正論に納得するしかなかったので若干気恥ずかしさから俯くも他の臣下からも気になる点が指摘される。
「それにトウケン殿は我が国と契約はされていないはず。まさか無償でそのような有益な情報を提供して下さるとは思えません。何をお望みですかな?」
これにもただただ頷くしかない。当たり前のように『アデルハイド』で暮らしているがその目的は大切な孫娘ハルカの傍にいたいという理由だった筈だ。
賓客扱いを決定したのは父キシリングなのでそれ以上詳しい事情を知らないクレイスはいよいよ口を挟むのが難しくなるが本人からは全く緊張感を感じず受け答えも実に簡潔なものだった。
「望みか。そうじゃな。出来ればクレイスに我が孫娘を娶って貰いたいのだが、そんな王太子を気に入っているから、という理由では納得せんか?」
まだその話は続いていたのか。内心驚きながら彼の様子を窺うとその双眸は真っ直ぐにキシリングへ向けられている。
「息子をそこまで評価して頂いて光栄だ。では南の国境線は強化する方向で調整して、クレイスは内政に取り組んでもらおうか。」
これが国王の仕事なのだ。様々な分野を任されている臣下の話に耳を傾け、その知識と国家の方針をすり合わせて最後に全ての決定を下す。
だがその強大すぎる権力故に争いが絶えないのもまた事実だ。幸い周辺国のほとんどが世襲制を選んでいるのと暗愚らしき人物が現れていない為平和と繁栄の均衡がある程度保たれているもののこれを選任制にすると権力が分散してややこしい事になる。
よくあるのが王よりも巨大な権力を持った家や領主が裏で暗躍するという悪例だが幸い『ジョーロン』なども領主全てが国家繁栄を胸に協力体制を理解している為こちらもまた上手く運営出来ていた。
(内政・・・って何をすればいいんだろう?)
もう少しショウに詳しい話を聞いておくべきだったか。時折『トリスト』には顔を出しているので今後は彼との時間もしっかり取るべきなのかもしれない。
頭の中で新たに予定を加えたクレイスは未だ王太子として慣れない身分の中、耳を傾けていると財政とその使い方について議論が巻き起こる。すると最も重きを置いている項目はやはり農作物の向上だそうだ。
(『アデルハイド』は地形が複雑だからな・・・)
南側は切り立った崖になっており王城がその上に建っているだけでなく、北側には大きな川や木々が生い茂っており拓けた土地はとても少ない。
そんな中国民達は辛うじて点在する平地でしか農作物を作れないのでどうしても生産量に限界がある。だから人口を増やすにはまず開墾が必要であり、それを人間の力で切り開くには途方もない年月と労力が必要となるらしい。
「各家の次男以下を駆り出して伐採、根返し、その後の木材加工や整地まで考えると一年で一反(約1000㎡)すら難しいでしょう。更に資金面でも1000人を動員するとして最低でも年間15万金貨は必要になるはずです。」
「それは多く見積もり過ぎでは?私は年間12万まで抑える事が可能かと思います。その代わり協力した家庭の年貢を減免する。この方が最終的な出資を抑えられるかと。」
話を聞いているとガゼルのいる『ボラムス』は相当恵まれた環境だというのが今更ながら理解出来た。彼の地は多少の山岳と森林地帯が北側に集まってはいるものの南は防備が薄い事さえ除けばとても質の高い肥沃な土地が広がっている。
しかも『ワイルデル領』の南部を割譲してもらうという事はその道も整備する必要がある。つまり現在の『アデルハイド』はやらなければならない事業が山積しているようだ。
「・・・父上、よろしいですか?」
「うむ。何でも尋ねるがよい。疑問を疑問のまま終わらせていては前に進めんからな。」
やっと口を挟んだ息子の行動をそういうものだと決めつけていたキシリングは促すとクレイスは一瞬迷うが立ち上がって目の前にあった長卓の国内地図に目をやる。
そして開墾予定の地をじっと見つめた後、概要を少しだけ説明してもらうと深く頷いてから周囲を唖然とさせる提案を皆に聞かせるのだった。
「その開墾、僕に任せてもらってもいいですか?」
今まで全く、本当に全く国務に関わってこなかっただけでなくその人物を詳しく知らない臣下達は目を丸くしていたがキシリングとプレオスだけは驚きと喜びで目を輝かせている。
「クレイス様、失礼ですがその、開墾の知識などは・・・?」
「はい。『トリスト』に詳しい友人がいるので多少は。それに未熟なのは重々承知しておりますので是非詳しい方に協力をお願いしたいです。」
4年前に夜襲を受けた時と全く違う凛々しい姿に今度は目頭が熱くなった国王と側近が顔を伏せたのはさておき、こちらは真剣なのだ。
「でしたら私めが・・・」
「いや、そこはわしが手を貸そう。」
詳しい事情を知らない臣下が一人名乗りを上げようとしたところをトウケンが遮ると先程まで涙を堪えていた2人が今度は驚愕の表情を浮かべていたのだから情緒が心配になる。
「よ、よろしいのですか?」
「うむ。わしらの里も似たような場所にあるからな。」
恐らく先ほどのハルカの件もあるのだろうがクレイスにとっては渡りに船だ。もしかすると開墾以上の知識も得られるかもしれないので考える暇も与えず父に確認すると彼もぎこちなく了承してくれた。
「では早速立札を設置しましょう。報酬は・・・月12金貨の減免方向でよろしいでしょうか?」
「待って下さい。僕は彼らに伐採や根返しをしてもらうつもりはないんです。木材の加工、運搬だけで試算し直しててもらってもいいですか?」
この提案には更に周囲が困惑した様子だったがクレイスには1つ試してみたい事がある。それが悪魔城で見たティムニールの魔術だ。
自身も大地の魔術を多少使えるようになっていたし何より国を預かる者として繁栄を手伝えるのならここは自ら動くべきだろう。
(決してガゼルが言ってたからって訳じゃないからね!)
心の中であの時の会話を否定しつつ、一先ずそれが可能かどうかを知りたくてトウケンと議会を退室するとクレイスは中庭に出て巨大水球を展開しながら目的の場所までひとっ飛びする。
「ほう?随分自信を見せていたがなるほど。この魔術を使うつもりか?」
「はい。ただ初めての展開方式なので念の為試しておこうと思いまして。」
地図で見た場所に到着すると周囲を少し歩いて現場を確かめる。どういった形で大地を動かすべきか、不要な樹木をどこに集めるべきか等、そもそもどれ程の魔力が必要なのか。
トウケンの助言を元にある程度完成図の想像が固まるとクレイスはしゃがみこんで早速その大地に両手を置く。
「ではいきます!むむむ・・・・・むんっ!!!」
最初は加減していたもののびくともしなかったので魔力を一気に高めて集中的に注ぎ込み始めた。
すると川沿いにあった地面が大きな地鳴りと共に動き始めるとまずは生えていた木々が根元から倒れて雪崩のように川辺に転がっていく。
そこから後は傾斜を緩くして、出来れば耕しやすいよう表面を柔らかい土で覆おうとしたのだがここで水や風と違う大地の魔術について大きな違いに気が付いた。
(・・・この大地・・・いや、大地の底はどこも硬くて重い・・・な、なるほど!)
水などは現存する物に魔術を加えた方が魔力を抑えられる事もあるのだが大地はそうではないらしい。特に下の方は圧力の影響なのか、比重が表面と全く違う事に驚きを隠せない。
だが同時にその重さと硬さこそが大切なのだとも感じる。でなければ木々や家屋を支える事等到底出来ないだろう。
(・・・・・これをヴァッツは力だけで持ち上げてたのか・・・・・)
改めて3年前の戦いを思い出す。あの時ヴァッツは5万もの『リングストン』軍を止める為に軽々と大地を三十間(50m強)隆起させたのだ。
もちろん今のクレイスなら一部だけ持ち上げる事は出来るかもしれない。しかしそれでも三十間(50m強)は難しい。いや、全ての魔力を使えば柱のような形なら再現は可能だろうか?
思考が完全に逸れてしまっていたがトウケンが木材を軽く並べている姿を見て本来の使命を思い出すと慌てて意識を整地に戻す。
久しぶりに大量の魔力を消費し続ける事2時間、まずは目標だった一反(約1000㎡)の開拓が終わると安堵と疲れからため息が漏れた。
「うむ。『魔術』とは相当なものじゃな。益々ハルカの婿に欲しくなったぞ?」
「あ、ありがとうございます。」
自分なりに農地っぽく地表を柔らかい土で覆ったが臣下や国民は納得してくれるだろうか。一仕事終えたクレイスはやや心配ながら王城に戻ると翌日は他の面々にもその地を確かめてもらうのだった。
新たな開墾地に関して一番悩ましい態度を示していた父には繊細な理由があったらしい。
「確かに素晴らしい働きだ。しかしお前は王太子なのだ。いずれ国王になる存在が泥にまみれて労働するのは今後控えた方がいいだろう。」
これは自身も各国に赴いて王族達と触れ合って来た為そういった思考や尊厳を重視しているのだと理解はできる。
だがクレイスにはキシリングの血が流れており、『ネ=ウィン』の夜襲を受けて震えていたあの頃とは全く違う存在へと成長していたのだ。
「お言葉ですが父上、僕の中では今まで国を、国務を放棄してきた後悔と後ろめたさが渦巻いているのです。なので王太子に選ばれたからこそそれを晴らしたい、国民への恩義に感謝だけでなく実利で示したい。故にこれ以上の効率的な方法がなければ僕はこのまま継続します。」
その宣言にはプレオスが目を丸くしており、トウケンは涼しい眼差しで親子のやり取りを見護っている。
他の臣下達も料理しかしてこなかったクレイスの印象が強かった筈だ。皆が唖然としていたがキシリングにも王族として譲れない部分がある。
「だったらその力は別の所に使うべきだろう。今は大人しいが敵がいつ襲ってくるかもわからない状況だ。そうだったな?トウケン殿?」
この辺りは『ネ=ウィン』の価値観にやや似ている。結局のところ国民はわかりやすい善政か武名に尊敬の念を抱くものなのだ。
父も王族としての立場的な部分と最大効率をしっかり考えて諫めているのだろうが、いつもギリギリの戦いに身を投じて来たクレイスはガゼルの姿を思い出しながら再び反論した。
「いいえ。僕は『アデルハイド』の未来を考えてこの開墾に全力を注ぎたい。少しでも早く沢山の食料を確保出来る基盤を整えて多くの国民が安心して暮らせる国を目指したい。それにあの傀儡王ですら鍬を持って畑を耕していた話は聞きました。でしたら僕はそれ以上の成果を求めたいのです。」
気が付かないうちに意識していたクレイスは忌憚のない本心を言葉にするとキシリングも一瞬驚愕に感動の笑みを浮かべていたがすぐに素へと戻す。
ちなみにプレオスは大粒の涙が落ちないよう必死に堪えているらしい。
「良いではないか。開墾が早く終わればそれだけ収穫も期待出来るし民が喜ぶのも間違いないのだ。それにクレイスは真っ白な状態で様々な国を見て回っている。お主のような狭小な視野では理解出来ぬ存在へと成長しておるぞ?」
自身より年下だというのもあるのか、トウケンがキシリングに歯に衣着せぬよう告げると父も引き際を悟ったようだ。再び嬉しそうな表情を一瞬だけ見せるが何とか冷静な様子に戻すとわざとらしい程深く頷いた。
「・・・うむ。ではこの地の任務は続けてお前に任せよう。しかし無理のないようにな。」
「はい!」
今では『ボラムス』よりも小さな国家になったが国を富ませる方法はいくらでもあるはずだ。クレイスはそれらにも着手したくてうずうずしていたのだがあまり焦るのも良くないだろう。
まずは初めての国務を完遂させる。
やる気と覚悟に満ち溢れた若き王太子は早速大勢の眼前で昨日よりも効率よく一反(約1000㎡)の整地を終えると臣下達も木材加工要員の重要性を理解したらしい。
「この様子ですと移民を受け入れる体勢もしっかり整えるべきですな!」
「左様左様!キシリング様、この転機、逃す術はありませんぞ?!」
多数の国民が必要不可欠なのはわかる。それが生産性の向上に直結しているからだ。そして更なる人数と労働力で発展を求めていく。
しかしその先は何処へ向かうのだろう。
未だ王太子として駆けだしたばかりのクレイスはそこまで考えが至る事なく調子に乗ってもう一反(約1000㎡)整地を終えると久しぶりに魔力の枯渇を感じる体に充実感を得ていた。
それとは別に週に二回以上『トリスト』へ顔を出しては様々な人間と交流していた生活はある日突然終わりを告げる。
「え?!『リングストン』が侵攻を?!」
きっかけはショウとこれからの『アデルハイド』について相談していた時そのような急報が入ると『トリスト』も対応に追われる所から始まった。
クレイスもこの国では将軍位に就いている為駆り出されるかもしれない、いや、むしろ自分から志願してもいい程だったがこれは方々から止められてしまう。
「クレイス様は今王太子として大切な時期です。あの国程度なら私達で十分対応可能ですので今はご自身の足元に注力なさって下さい。」
特に迎え入れる覚悟と約束を交わしているイルフォシアから言われると頷くしかない。
「わかった。ルサナ、ウンディーネ、ノーヴァラットも任せたよ。」
少し前にヴァッツ達を呼びつけて『ジョーロン』へ向かわせたのは全てこの為だったのだろう。それでもカズキやイルフォシアを始め、『トリスト』には強者が揃っている。
「はい!でも今度はもう少しゆっくりお会いしたいです!」
相変わらずルサナは正直に心境を吐露してくれるが実際『アデルハイド』には誰も連れて行かないという選択をしていたのでクレイスも彼女達を残して去るのは毎回寂しかった。
「うん。僕も出来るだけ時間を取れるようにしておくよ。」
それに答えるとイルフォシアからやや嫉妬の視線を感じたが今は有事だ。こちらも無駄な時間を取らせないようにと挨拶を軽く済ませると再び『アデルハイド』へ戻っていく。
そして翌朝、いつも通り開墾作業を終えて一息ついていた時に王城の方から急報が入って来た事でこちらの情勢も大きく動き始めるのだった。
「クレイス様!!た、大変です!!現在王城へ向かって『ネ=ウィン』の大軍が押し寄せてきています!!」
腹ごしらえの最中だったクレイスを始め労働者達も寝耳に水といった表情だったが唯一人、現場監督的な立ち位置だったトウケンだけは小さな溜息をついていた。
「急いで応援に駆けつけてやれ。ここの作業はわしらで十分事足りるでな。」
まさか彼の口走っていた事態がこんなに早く訪れるとは。というか昨日の件も考えると今回は『リングストン』と『ネ=ウィン』の連合的な動きを感じずにはいられない。
「わかりました!皆も無理はなさらずに!!」
開墾事業は毎日二反(約2000㎡)の面積を続けていたので農地は十分過ぎるほど確保出来ている。むしろ今では木材加工に全力を注いでいたくらいだ。
「クレイス様!お気をつけて!!」
百人近い労働者達の声援を受けて力強く頷いたクレイスはここの所魔力をギリギリまで使用していたのも忘れて王城へ向かう。
本来であれば戦闘国家『ネ=ウィン』から侵攻される立場なのだから亡国の危機とも呼べるのだろうが過去の苦すぎる記憶とそれに対する爆発的な感情は冷たい風を何も感じない程熱くなっていた。
「戦況は?!」
一瞬で王城の中庭に降り立ったクレイスは駆け寄って来る臣下や衛兵達に様々な情報や軽装武具一式を手渡されつつそれ装備しながら会議室へ向かう。
中には父は当然としてプレオスも既に地図を睨みつけて『ネ=ウィン』軍の規模や陣形を並べては唸り声を上げていた。
「おお、戻ったか。」
「遅くなりました。ナルサスが軍を率いていると聞きましたが本当ですか?」
以前夜襲を仕掛けて来た2人はもうこの世にいない。そして現在『ネ=ウィン』の4将で健在なのはビアードのみだ。となると戦力的に皇子が出張ってきてもおかしくはないのだが『ジグラト戦争』後の復興作業をもう終えたというのか?
カズキからも相当な戦力低下を聞いていたので俄かに信じられなかったがプレオスが静かに説明を始めると納得せざるを得ない。
「はい。どうやら今回は本腰を入れて侵攻してきているようです。先触れからの形式的な書状も届いております。」
それを手渡されて目を通したクレイスは逆に冷静さを取り戻せた。何故ならそこには王族の命と無条件降伏を満たせば攻撃をしないという無茶苦茶な内容が記されていたからだ。
「・・・面白いですね。」
だが感情と記憶は全く別の反応を起こす。4年前、成す術もなくただ逃亡するしかなかったクレイスの記憶は苦々しいものしか残っていないが感情ではそれらを払拭したくて、雪辱したくて魂の滾りを隠せない。
むしろ今の状況は絶好の機会と言ってもいいかもしれない。体から湧き出る力からは今までにないものも感じるのだ。
「どうされます?『トリスト』から援軍を、特にクレイス様の部隊を派兵して頂きましょうか?」
これはナルサス率いる飛行部隊に対抗する為だろう。プレオスが静かに提案するとクレイスは考える事なく首を横に振った。
「いいえ。これは『アデルハイド』の問題です。父上、上空は僕が抑えます。」
「・・・お前1人でか?」
「はい。」
臣下達の記憶は相変わらず料理好きなままなで止まっていたのでこれには皆が驚愕の声を漏らしていたが格段に腕を上げたという話や空を自由に飛ぶ姿も知っている筈だ。
「だ、大丈夫でしょうか?」
最近だと父以上に心配してくるプレオスがとても不安そうに言葉を漏らしていたがキシリングは深く頷く。
「よかろう。ただし無茶はするな。魔術というのは魔力が枯渇すると空に留まる事すらままならないのであろう?」
「・・・お任せください。」
そうだ。自分は既に開墾で相当な魔力を消費していたのを今更ながら気づかされた。しかしこの言葉を送ってくれた父に感謝しかない。
つまり魔力は尽きさえしなければいいのだ。
今回の防衛戦、是が非でも己の手で参加したかったクレイスは爽やかとも取れる笑みを浮かべて答えると臣下達はその姿を見て大層な自信と落ち着きを取り戻したという。
『ネ=ウィン』の求めて来た返答期限は午前中までという事なので『アデルハイド』の武将達もプレオスを中心に王城南部の地図を囲んで各々がどんどんと作戦を立案していく。
(・・・皆凄い。堅牢な『アデルハイド』は彼らの手によって護られていたんだ。)
自国の頼もしさを改めて実感するといよいよ感情は喜びに塗り替えられる。今度こそ、今度こそ過去の自分も塗り替えられそうだ。
「クレイス様。ナルサスは危険な男です。くれぐれもご無理はなさらぬよう・・・」
「うん!任せて!!」
その姿が心配性なイルフォシアと少しだけ重なったので思わず笑みを零すと同時に右手を差し出す。プレオスは一瞬きょとんとするも慌てて握手に応えるが本来ここは国王の檄で締める所だったらしい。
ただヴァッツの癖が移っていたのか。自然と彼が皆と握手を交わすのをキシリングも止める事は無く、午後の鐘の音がなると同時にクレイスは単身で王城南の大空へ飛び立つのだった。
空から見下ろした感じだと情報で確認した通りの布陣が地上で展開されているようだ。
「ほう?貴様だけか?言っておくが遺言等を聞き届けるつもりはないぞ?」
ナルサスが彼らしい嫌味を流して来てもクレイスの感情が動じることは無い。むしろ彼がそういう性格だからこそ今回は遠慮なく戦えそうだ。
「僕もだよ。」
答えながら長剣を抜いて水の魔術を施したクレイスは眼前にいる部隊を確かめる。どうやらナルサスを筆頭に他には剣や槍を持つ近接型とバルバロッサのような外套に身を纏う完全な魔術型がざっと300人ずつ布陣しているらしい。
地上では既に矢と怒号が放たれ始めたのか随分騒がしいがこちらは未だにらみ合いが続く。
「ふむ。では俺達もそろそろ始めるか。おおそうだ、お前を殺した後はイルフォシアを我が妃に頂く。その約束だけ一筆残しておいてもらえないか?」
「だったら僕の体を動かして無理矢理書かせればいい。出来るものならね?」
『ネ=ウィン』の魔術師達の中にはバルバロッサと強く繋がっていた人物もいたのだろう。クレイスが返した余裕すら感じる言葉に何名かがたじろぐ様子も窺えた。
「やれやれ、以前はもう少し可愛げがあったものを。やれ。」
だがナルサスが静かに号令を発するとまずは魔術師達が上下にも移動して同時に火球を放って来た。その後からすぐに近接部隊が飛んできているのを確認すると自分でも驚く程冷静だったクレイスは戦いの最中、その用兵術に深く感銘を受けていた。
(そうか。こういう流れも作れるのか。)
未だに部隊を率いての実戦経験がなかった為、中空での立体的な動きに敵ながら感心したのだ。これは是非後ほど自軍でも試そう。
そう考える余裕があるほど今のクレイスと雑兵には差があった。いや、敵は戦闘国家『ネ=ウィン』の精鋭達なので決して弱い訳ではない。
幾度となく死線を潜り抜けて来た彼にも有り余る経験と力が宿っていただけなのだ。
火球と近接部隊が距離を詰めて来たのをじっくり見極めるとクレイスは一度長剣を咥えて両手を自由にする。それから彼ら以上の速さで敵部隊に突っ込むと懐に深く入り込んでその腹部や胸部に手を当てて瞬間的だが魔力を限界まで吸収しながら突破した。
もちろん敵兵を倒す事が目的ではない。今朝から消費していたそれを少しでも回復させる為にこの手段を選んだのだ。
更にナルサスを完全に無視しながら後衛の魔術師達の陣に突っ込んでいくとこちらでは多少の被弾を一切気にせず彼らからはその魔力を目一杯吸収して回る。
すると半数近くが滞空出来なくなって落下し始めたのでそれを助ける方向にもう半数が動くと後衛部隊は勝手に瓦解し始めた。
「こんな所かな。」
精鋭と言えど自分が関わって来た者達とは保有量が全く違うので個人的にはやや物足りなかったが客観的にみた戦果は十分すぎるものだろう。
咥えていた長剣を再び右手に握ると残った近接部隊をどう片付けるか考える。そう、もはや戦いにはならないと彼は結論付けていたがこれは決して油断ではない。
それ程に力をつけていた本人にはまだまだ自覚がなく、敵将であるナルサスも決してそのような思考には至らなかっただけだ。
「少しはやるようになったではないか。いいだろう。その首俺が頂こう。」
黒い剣を持ったナルサスが憎々しいといった表情を隠そうともせずそう告げてくると何度も見た怪しげな力を纏い始めるがここでもクレイスは決して油断をしない。
過去の経験から対抗する手段を描いて迎撃態勢に入るだけだ。ただナルサスは『ラムハット』国王より素の能力は高いだろう。
後は文字通りそれに太刀打ちできるかどうかだが・・・
きぃぃぃんん・・・っ!!
風のように突進してきたナルサスは迷いも見せ太刀もない一撃でこちらの首を狙ってきたらしい。
剣閃をしっかりと見極めたクレイスもあの時と同じように水の魔術で纏わせた長剣を振るうがやはり分断するには至らない。これは彼の方が強いからか彼の持つ剣が強いのか。
そこからお互いが一度身を退き空を移動しながら何度か接触するがやはり決定打には欠けるようだ。
特に魔力の消耗を極力抑えていたクレイスの動きはほぼ中空で受け流す事だけに集中していた為余計に均衡が崩れそうにない。
「どうした?護ってばかりでは俺の首は獲れぬぞ?!」
思わぬ拮抗状態に焦りか苛立ちを覚えたのだろう。ナルサスが挑発じみた言葉を発しながら更なる剣戟を放って来た時、そこに大きな隙を見たクレイスは水の圧力を一気に上げると振るう剣にも全ての力を込めるのだった。
ぱきっんっ!
折れる事は無かったものの亀裂の走った感触に驚きを隠す事はしなかった。故に更なる隙を見たクレイスは遠慮なく絶命の一撃を放ったのだがそこは鍛錬を積んできた猛者だ。
辛うじて破壊された黒い剣で凌ごうと動いたものの今度こそ真っ二つに折れながら水の魔術を纏った長剣が右肩から袈裟懸けに大きく振り下ろされるとナルサスは大きく後退する。
そして刹那の時を置いてから胸には剣閃に沿った血が静かに、そしてゆっくりと衣装を染め上げていく。
本来ならここで追撃を放ち、未来の花嫁に付く悪い虫を完全に駆除しておきたかったのだがそこは『ネ=ウィン』の中空近接部隊が一斉に間に割って入って来た。
更にクレイス本人も今の二撃で大量の魔力を消費した為迷いが生じてしまったのだ。それこそ魔力が尽きて落下でもしようものならこちらの命が危ないと。
「・・・いい部隊だね。僕も見習わせてもらうよ。」
故に勝利宣言だけに留めるとあまり手傷を負った事がないのか、ナルサスはかなりの脂汗と悪い顔色で睨みつけながら撤退の命令を出していた。
中空戦で、しかも黒い剣をもつナルサスが負ける等想像もしていなかったのだろう。総大将が退却した事実をまだ知らされていなかったビアード達が戦いを継続している中、クレイスは『ネ=ウィン』兵から見える自軍の頭上近くまで降りてくるとそこで水槍を数十本放つ。
「ナルサスは撃退した!!お前達の負けだ!!!」
無理矢理にでも魔術を展開したのはこちらに意識を向けさせる為なのだがこの宣言を聞いて敵軍は一斉に空を見上げていた。
同時に『アデルハイド』軍からは割れんばかりの勝ち鬨が上がり出し、『ネ=ウィン』軍も事実を正しく把握したのかビアードが速やかに撤退戦へと移行するのだから素晴らしい。
これもまた自身の糧にしよう。クレイスは中空からその動きをじっくりと観察しているとはやり戦闘国家の兵士達は強く、深すぎる追撃にはしっかり迎撃を取って血路を開いていった。
「深追いはするな!!」
それもまた理解しているのだろう。地上を任されていた名参謀プレオスはすぐに号令をかけると今回の防衛戦は一瞬で幕を閉じる。
しかし未だに実感の湧かなかったクレイスは一先ず長剣を納刀すると彼の隣に降り立ち、詳しい説明をしようと思ったのだがこれは『アデルハイド』の兵士達によって大いに阻まれてしまった。
初めて受けた自国の勝ち鬨と賞賛に耳の感覚を失うかと思ったが帰城してからやっと実感が歓喜に染まって来た。
「クレイス!プレオス!!よくやった!!よくやったぞ!!」
居ても立っても居られなかったのだろう。城門前に姿を見せた国王を見て更に兵士達が大きな勝ち鬨を上げるので完全に会話を諦めたクレイスは一先ず父と熱く抱きしめ合う。
それからプレオスと父の隣にいたトウケンとは握手だけに留めた後、少しだけ宙に浮かんで後方にいたまだまだ元気一杯の兵士達に向かって右手の拳を大きく掲げると音で叩き落されそうな感覚に囚われた。
だが戦とは事後処理も含めて戦なのだ。
まずは祝勝会で労う事も忘れず兵士達にもしっかりと報奨金を分配、大きな勲功を挙げた者には国王直々に官位や勲章を授与、更に敵国との条約も結ばねばならないし被害の洗い出しからその親族への弔意等々。
今回は初手でクレイスが大活躍した事により被害も最小限に抑える事は出来たものの地上では双方に多少なりとも犠牲者が出ているのだから浮かれてばかりもいられない。
それでも今までのような地理を生かした耐久戦と違い超短期決戦で勝利を飾れた事、それが王太子クレイス=アデルハイドの活躍によるものだとすれば国内外で飛ぶように話題が広がっていくものだ。
「手ごたえはありました。あれからすぐに書状も送って来ない所を見ると当面は大丈夫なのではないでしょうか。」
その夜、クレイスたっての希望で宴は城下の大広場で行われる事になった。そこで報告がてら父にそう告げる時、軽く一万人以上いたはずの国民が誰一人声を発する事無く聞き耳を立てていたのは一生忘れないだろう。
「そうか。うむ、非常に大儀であった。」
「しかしナルサスは妙な黒い剣を振るっていた筈。あれを前にどう対応されたのでしょう?」
「あ、はい。あれは西の大陸で戦った『ラムハット』の国王様と同じ方法で挑みました。今回はこちらの魔力が少なかったので僅差だったとは思うのですが。」
詳しい説明をしても恐らく誰一人理解は出来ていなかった。それでも彼らが静かに彼の言葉を一言一句拾い集めて記憶の奥底へと刻み込んでいたのは将来この強王が国を、国政を担ってくれるのだという大きな大きな期待で胸を膨らませていたからだ。
「それにしてもナルサスに一方的な手傷を負わせるとは大したものだ。キシリングよ。ハルカもよろしく頼んだぞ?」
「・・・・・それはクレイスが決める事だ。」
少しの沈黙があったのはキシリングも『暗闇夜天』との関係を秤にかけていたからだろう。何となく察していたクレイスも口を挟まなかったのは彼女の心を考えての事だ。
(絶対僕じゃないと思うんだけどなぁ・・・)
とにかくその話を皮切りにいよいよ本格的な祝宴が始まると早速城下は大きな歓声に包まれる。生まれて初めて自国の祝い事に参加していると実感したクレイスも大いに胸を躍らせていつもより羽目を外してしまったらしい。
気が付けば自身の寝室で横になっており更に気が付けば室内ではトウケンが不動の姿勢で一晩中警護を務めてくれていた。
「あの、本当にすみませんでした。ありがとうございます。」
「気にするな。初めて自国で偉業を成し遂げたのだから多少浮かれるのも無理はない。」
戦いに関してはかなりの場数を潜り抜けていた為油断は無かったがその後がいけなかった。特に王太子という身分から最低でも近衛を傍に置いておくべきだと静かに諫言されるとぐうの音も出なくなる。
ただ酒を浴びる程呑んだという訳ではなく、魔力が底を尽きかけていた状態だった為にあれからすぐ泥のように眠ってしまっていたらしい。
遅い朝にはなったが疲れが残る事も無く、むしろ清々しい気持ちで着替えを終えて父の元へ向かい始めると否が応でも気が付いた事が2つほどあった。
まずは周囲の対応だ。
どうやら昨日はクレイスが思っていた以上の功績だと認められていたらしい。召使い達を始め国王の下へ向かうまでの間に城内にいる殆どの人間が挨拶だけでも交わそうと歩み寄ってくるのだ。
「おはようクレイス。昨日はよく眠れたか?」
そして国王も大層嬉しかったのか、朝食を一緒に取りたくてかなりの間待っていてくれたようだが腑に落ちない本人はどういう態度で臨めば良いのだろう。
「おはようございます。お蔭でぐっすり眠れました。」
一先ず挨拶を交わした2人は早速食卓に着くも血の繋がった親子間での隠し事はすぐに見抜かれる。しかも前例がある為すぐには信じて貰えなかったらしい。
「そうか?それにしては気分がすぐれないようにも見える。まさかまた怪我を隠したりしてないだろうな?」
「昨日は無傷で戦を終えました。何でしたら食後に体を隅々まで確かめて頂いても大丈夫です。」
そう、結果としてはこれ以上ないものだった。だがクレイスとしてはどうしてもナルサスの命を奪っておきたかったというのが本音だ。
今回の侵略は『ネ=ウィン』の方から一方的に行われたものでありこちらには防衛として十分すぎる大義名分があった。
その中で彼と一騎打ちで戦えて、且つ堂々と討ち取れる機会が訪れたのは奇跡にも近いのだ。昨日の時点でこそ自身が彼を上回っていたものの次もまた勝利を手にする保証はないしそもそも次がある可能性は限りなく低い。
故に何という千載一遇の好機を逃してしまったのだという激しい後悔が一晩休んで冷静に考えたクレイスの嘘偽りない感想と結論だ。
『ネ=ウィン』軍も昨日はほとんど犠牲を出さずに撤退していた筈なのでむしろ皇子を討ち取れなかったのは後々響いて来る。そんな予感がしてならないのだが周囲はどう感じているのだろう。
「昨晩夜襲もなかった所を見ると『ネ=ウィン』の部隊も既に戦える状態ではないのでしょう。警戒体勢は続けるとしてクレイス様もしばらくは開墾作業を控えて頂ければと考えます。」
プレオスがそう告げてくるとキシリングも深く頷いている。確かに開墾でかなりの魔力を消費したまま戦場に駆け付けてしまったのだから彼らが退き上げるまでは無理をしない方がいいのかもしれない。
「そうだな。交渉の場面も出てくるかもしれないので当面の間は城内で城で体を休めておくといい。」
「わかりました。それでしたら久しぶりに城内の調理場にでも立っておきます。」
しかし彼らは何もする事なく完全に体を休めて欲しかったらしい。キシリングとプレオスは唖然としていたものの傍にいたトウケンだけは一切雰囲気を変えずに静かに傍で待機していた。
以前からそうではあったが15歳になり、美少年から美青年への変貌を遂げている最中のクレイスはいよいよ異性達が放っておかない存在へと昇華しつつあった。
「クレイス様、何かお手伝い出来る事はございませんか?」
「クレイス様、衣装に汚れが。少し失礼致します。」
「クレイス様、あまりご無理はなさらないで下さいね。お部屋の準備もお茶のご用意も出来ておりますので。」
若い召使いがここぞとばかり詰め寄って来たり遠巻きにうっとりと眺めてくる風景は『トリスト』で慣れていたと思っていたがここは母国なのでやや圧を強く感じる。
「皆ありがとう。でも大丈夫、僕が料理を大好きなのは知ってるでしょ?」
自ら鍋を振って作っていたのは以前と同じように父やプレオスといった重臣達を久しぶりに喜ばせるものだが今回はそこにトウケンの分も含まれている。
これは昨夜の恩を少しでも返そうと考えていたいわば御礼の意味も込められていたのだが相変わらず静かに傍に付いていた彼から何か特別な感情や雰囲気を読み取る事は出来ない。
「クレイス、少し人払いをしてもらえるか?」
故に調理を終えてすぐの提案には驚愕したものの召使い達に出来上がった料理を父達へ運ぶよう指示を出した後、自身も2人分の料理を手に自室へ戻ると早速トウケンは本題を話し始めた。
「これは鳥か。ふむ・・・美味いな。流石は調理だけのボンクラだと噂になっていただけの事はある。」
冷めると味も落ちるのでまずはそれを円卓に並べて食べ始めると最初の話題とは思えぬ内容に再び驚きで手を止めてしまうクレイス。
だがトウケンの方はにやりと口元を歪ませつつ静かにそれを食し続けると顔はどんどんと綻んでいった。
「しかしそれも過去の話だ。クレイス、お前は今世界で最も期待されている王太子の一人だろう。」
「あ、ありがとうございます。」
最近ではまるで本当の従者のように、執事のように付き従ってくれているので話す機会が増えたのだがその中で1つ確信した事がある。
それは彼が話す内容は必ず今とこれからについてという事だ。
「お前はナルサスを討ち取れなかった点を危惧しておるな?」
父も何かしらを感じてはいた筈だが具体的な話には至らなかった為、この時初めて心の内を告げられるとクレイスの手も止まる。
そんなにわかりやすく行動は表情に現れていたのか、それとも『暗闇夜天』族の頭領故の心眼に見透かされたのか。返事を出来ないのが答えだと悟った彼は話を続ける。
「・・・どうしても奴を始末したいのであればわしらの力を頼るか?」
「?!」
人払いをした理由をやっと深く理解出来たクレイスは期待と不安、更なる驚愕に何故か忌避感も相まって完全に頭の中が真っ白になった。
「あ奴がイルフォシアを我が物にしようと企んでいる事くらいわしの耳にも届いておる。故にお前は昨日の戦いで何としてでも仕留めたかった筈だ。しかしその機会も当分ないだろう。そして『暗闇夜天』はそういう時の為に世界で重宝されてきた。」
まさか暗殺の話になるとは思いもしなかったがそうではない。彼が世界でも最高峰に立つ『暗闇夜天』族の長だという事をすっかり失念していただけなのだ。
確かに今のナルサスは程度こそわからないが手負いなのは間違いない。そこに腕利きが送られれば命を奪う事も決して難しくはないだろう。
「むっふっふ。悩んどるな。」
それにしても話を切り出した本人は随分と楽しそうにこちらの様子を窺っている。まだまだ知識と経験不足故の苦悩がそれ程面白いのか。
「そ、それは悩みますよ!これは国家が絡んでくる事ですし何より僕の一存では絶対に決められない!父や『トリスト』にも相談する必要があるでしょうし・・・」
「そうか。では1つ教えてやろう。昨夜の時点でナルサスからお前の暗殺について打診があった。」
「えっ?!?!」
体こそ休めていたがこの日の話は感情の乱高下で心が疲弊しっぱなしだ。もちろん相手も手段を問わずにイルフォシアを手に入れたいのだと考えれば合点はいくもののそこまで素早く行動していたとは。
・・・いや、今はそこではない。
「あの?そんな話を何故僕に?」
そうだ。今は機密情報をその標的たる人物に教えた事が大いに問題なのだ。
暗殺家業である『暗闇夜天』の食い扶持を損ねてしまった責任すら感じ得なかったクレイスはとても不思議そうに尋ねるとトウケンは最後の一切れを口に運んで頷いてからゆっくり答えてくれた。
「決まっておろう。それはお主が孫娘の婿になる可能性があるからじゃ。」
冗談ではなかったのか。というかそこまで本気だったのかと心が申し訳なさで埋め尽くされる中、彼は初めて表情を崩して逆に申し訳なさそうな顔で告げてくる。
「と、まぁこれも本心ではあるのだが『トリスト』のヴァッツにはわしもハルカも救われた。そんな彼が大事に思うクレイスを手にかけるつもりはないのじゃ。」
そう言われるとやっとこちらの心も解放された。そうだ、『暗闇夜天』の掟について仲介したのはヴァッツであり、その結果今はトウケンがハルカにいつでも会えるよう『アデルハイド』の賓客扱いとなっているのだ。
「な、何だ。それだったら最初からそう仰って下さいよ。」
「がっはっは。すまんな。少し悪戯心が抑えられなくてな。しかしナルサス暗殺の提案に嘘偽りはないぞ?」
体を休めるとは何だったのか。再び彼が真剣な面持ちになってしまったのでクレイスも頭頂から緊張を感じると2人はしばらく無言のまま視線を交わし続けるのであった。
まずはイルフォシアだ。彼女と永遠の愛を誓っていたというのもあるがやはり時にはその声と肌に触れないと不安で落ち着かないのだ。
そして部隊の訓練。これはある程度ノーヴァラットに任せられたのだがそれでもいざとなれば自身が率いて戦わなくてはならない為怠る訳にはいかない。
優先順位が変動しやすいが後はルサナやウンディーネとの接触も忘れない。というか彼が帰国した際向こうからやって来るのでここはあまり気兼ねせずに対応出来ていた。
それらを終えてから『アデルハイド』に戻り今度は国務として臣下の提言や議題といった意見を議会で見守るのだが父曰くこの時はどんどん口を挟むべきらしい。
「当然国王は全ての分野においてある程度の知識を得ておく必要はある。だが専門的な部分にはその役職に就いている者こそが一番詳しいのだ。」
なので彼らの話と周囲の話をすり合わせて最終的にどのような形で落とし込むのかを見届ける事こそが国の運営には大切なのだという。
更に国王の前で議論に持ち込まれる場合、事前に念入りな計画書を作っている為こちらの質疑応答には淀みなく答えてくれるのが理想だそうだ。
「つまり淀みがある場合は・・・」
「うむ。その役職に適していないのかサボっていたのか能力が足りていないのか。様々な理由が挙げられるだろうがそれを見極めるのもまた国務と言えるな。」
4年前に侵攻された爪痕の復旧作業もほとんど終え、現在は珍しく版図拡大についての議題が持ち上がっているのだがこれは『ビ=ダータ』に任せっきりだった『ワイルデル領』の一部を割譲してもらおうという平和的な話だ。
事実上彼の地は『トリスト』が握っている為交渉などほとんどない状態で手には入るそうだが問題はその使い道だという。
「かなり肥沃な土地なので先住者の事も配慮すると今まで通り農村として受け入れるのがよろしいかと。」
「しかし我が国の人口では限度がある。ここは酪農にも力を入れるべきでしょう。特に馬はまだまだ足りておりません。」
「あれ程恵まれた土地なのです。特産品を育てて他国へ売り捌き、外貨を得られるよう利用すべきです。」
「どの政策でも結構ですがまずはしっかりとした居住区と戸籍を調べ直すのが先決でしょう。何をするにも人が必要ですからな。」
思っていた以上に様々な意見が飛び交うのでクレイスは目を丸くしていたが事前に自国の情報をある程度頭に入れておいたので彼らの言い分も全て理解出来る。
(父上はどう考えているんだろう?)
「うむ。まずは生活基盤を洗い出す必要があるな。それに王都からの移民を募って新たな地に送れ。『アデルハイド』の法をしっかり根付かせる事から始めるのだ。」
母国に戻って日は浅いが色々と学んだ内容の中で重要なのは国民の人数をしっかり把握する事だと教えられた。これは生産力や兵士といった国家存続に関わるのでそこにも様々な法律があるらしい。
例えば今回のように別の土地に移る国民や兵士に出願した家族には減税を約束したりするのが基本だそうだ。
後は国家主導の事業は特に重要で先程意見の出た特産物の輸出などは関税や値段の調整などを一手に担っている。そうする事で財政を確保したりもしているらしい。
「クレイス。お前は何か思う所はあるか?」
ただただ感心して今までの事を考えていると国王から話を振られたので一瞬思考が止まってしまう。
「・・・そう、ですね。僕はまだまだ勉強不足なので特に口を挟める内容が見当たりません。ただ防衛に関してはどうなのですか?領土が増える事で手薄になる気はしますが。」
唯一『トリスト』で得た経験と知識は軍事関係の事なのだ。一応『アデルハイド』は堅牢で有名な話も知ってはいるが正直この国の兵士がどの程度なのか全く知らない。
「クレイス様、我が『アデルハイド』の敵国は現在『ネ=ウィン』のみです。よって軍事力は全て南に集中させていれば現状は問題がないと思われます。」
数年前までは北も『リングストン』の脅威に晒されていたものの今は『ビ=ダータ』が支配しているので心配はいらないそうだ。その意見を聞いて納得したクレイスも頷いて以降は口を挟むことなく此度の議会は閉幕した。
「よし。今度はお前だけで街を視察してくるがいい。」
それから父が提案してくれたので目立たない衣服に着替えたのだがどうやらお忍びという事ではなかったらしい。
「では向かおうか。」
てっきり一人だけで街を散策出来るのかと思っていたが従者としてトウケンがついて来るとなるとその出で立ちからも目立つのは目に見えている。
「よろしくお願いします。」
だが彼は『暗闇夜天』の頭領なのだから何か得られるかもしれない。でなければ父も一緒に行動する許可など出さないだろう。
母国なのにほとんど歩いた事がないクレイスは妙にそわそわしながら周囲を見て回るがこちらが興味深そうに観察する以上の視線が主に大柄の従者へ向けられていたらしい。
「クレイスは優秀だな。長としての自覚を持ちこうやって行動出来るのだから。」
周囲の注目など全く気にせず突然褒められたのでこちらも一瞬足を止めて驚いてしまう。
「えぇ?そ、そうですか?僕なんて今まで全く王族らしい事をやってこなかった親不孝者ですよ?」
「それは今までの話だろう?わしは今の話をしておるのだ。」
ハルカの祖父についてはもっと頑固というか厳格な人だと想像していたがほぼ初対面だったこの日、改めて話を聞いていると雰囲気や端々から繊細さや確かな優しさを感じた。
「規模に限らず長というのは何よりもまず自分をしっかり律する必要がある。お主は既にそれを備えておるようだし今の志を忘れずに進めば必ずよい王になれるだろう。」
街を歩きながら店や人々の活気を確かめつつトウケンがそう告げてくれると悪い気はしない。むしろ嬉しくて顔がにやけそうだ。
「だからなクレイス、もしかすると君は将来わしらの力が必要になる時が来るかもしれん。その為に縁戚関係を作るというのも悪くないと思うぞ?」
そこに突然思わぬ提案を告げられるとクレイスは思わず足を止める。話の流れや噂を耳にしていたので彼の言いたい事がすぐ理解出来てしまう自分が憎い。
「それは・・・でもハルカは恐らくヴァッツに娶られると思いますよ。」
「そうかね?『トリスト』の後宮に招かれたものの未だ目立った進展は無いという話だが?むしろ従者であった時雨という娘がその寵愛を一身に受けているとも聞くぞ?」
この辺りは流石『暗闇夜天』の頭領だ。遠く離れた『トリスト』の内情すら良く掴んでいるらしい。
時雨は今でも従者としての役割も果たしたいようでヴァッツを想う気持ちと二足の草鞋を選んでいるのはクレイスも知っていた。
「しかしトウケン様はそのようなお話を方々にされ過ぎでは?確かカズキにも同じ話をされていませんでしたか?」
「うむ。あの少年もわしは気に入っておるからな。今の所婿候補はヴァッツ、カズキ、そしてクレイス殿、お主じゃ。」
自慢の親友と同列に並べられて嬉しい反面、ハルカ自身の気持ちを全く考慮していない点から思わず苦笑いを浮かべてしまうがショウ的思考で捉えれば『暗闇夜天』の未来を見据えての発言とも取れる。
ただ彼の話しぶりからすると婿入りする必要があるだろう。となれば『トリスト』の要であるヴァッツは絶対に無理だろうしクレイスにも『アデルハイド』の次期国王という約束がある。
すると消去法でいけばカズキしか残らない訳だが彼とハルカが恋仲、いや、政略結婚であればお互いの感情など考慮する必要もないかもしれないが結ばれる絵が全く思い浮かばない。
「・・・・・あの~、ハルカの事ですからきっといい人が見つかると思います。はい。」
最後は問答に詰んでしまうと適当な相槌で話を切り上げてクレイスは再び街の視察へ意識を戻す。
『アデルハイド』はとても繫栄しているとまではいかなくとも皆の表情から確かな活力は感じた。それは国民がしっかりと働いて十分生活出来ているからだろう。
労働と対価、衣食足りて礼節を知るというのは国としての基本でありこれを達成、維持する事こそが国家最大の使命なのだ。
次に国防だろう。世界には多種多様な国家が樹立しており方針も様々なものがある。『アデルハイド』は南北を強国で挟まれていた為選択権などなく堅牢にならねばならない事情があったが今ではその危機も半分緩和されている。
では南側の防衛だけに専念すれば良いのかと言えばそうではない。最も恐ろしい敵は国内に潜む佞臣の存在なのだ。
これを放置すると国家は見る見る腐敗の一途を辿る。『シャリーゼ』なども大実業家を擁して繁栄を築きながら厳しく律していたのはそれを水際で食い止めていたからだ。
「・・・僕の国はこういう所だったのか。」
元より小国『アデルハイド』にそのような人物がいないからそこまで考えが回らなかったのだろう。クレイスは活気のある街中を散策して満足すると多少トウケンと世間話をしながら王城へ戻っていった。
まだまだ王族としての自覚と知識に欠けていた為思う所こそあったもののそれを提案するまでには至らない。
だが『暗闇夜天』の頭領は前々から様々な点を危惧していたのだろう。後日行われた議会ではクレイスの隣に座っていたトウケンはいくつか口を挟んできた。
「『ネ=ウィン』が怪しい動きを見せている。ここは南の防衛を強化しておく事を勧める。」
その発言に臣下達がざわつくだけでなくキシリングも険しい表情になったが自身はどう反応すればいいのだろう。母国にありながら自国の民と一緒に戦った事がないクレイスは黙って様子を窺っていると臣下達が意見を述べ始める。
「トウケン殿、現在『ネ=ウィン』は先の『ジグラト戦争』により4将も軍事力も壊滅状態と聞きます。そんな中他国に侵略する余裕などありましょうか?」
「フィアン殿、彼の国は戦闘国家だ。その求心力は戦う事でしか維持出来ない。つまり自国の為にも戦い続ける必要があるのだ。」
むしろ他国の事情の方に詳しいクレイスは2人の意見に頷く。これはどちら側の意見にも筋が通っていたからだ。
「クレイス様はどう思われますか?」
その様子を見ていた不意にプレオスが尋ねてくると周囲の視線が集まるのを感じた。しかし以前の彼とは違い不慣れな部分こそ自覚していたものの発する言葉も意思もぶれる事は無い。
「・・・トウケン様は『暗闇夜天』の頭領でありその情報には信憑性もあります。ですから僕が直接見て来ましょう。」
これは自分であればひとっ飛びで『ネ=ウィン』の上空まで移動出来る事、その目で確認したいからと提案したのだが反対してきたのは先程の臣下だ。
「クレイス様は王太子であらせられます。しかも現在は国務を学ぶ為に邁進されている最中、そんな雑用でお手間を取らせる訳にはいきません。」
正論に次ぐ正論に納得するしかなかったので若干気恥ずかしさから俯くも他の臣下からも気になる点が指摘される。
「それにトウケン殿は我が国と契約はされていないはず。まさか無償でそのような有益な情報を提供して下さるとは思えません。何をお望みですかな?」
これにもただただ頷くしかない。当たり前のように『アデルハイド』で暮らしているがその目的は大切な孫娘ハルカの傍にいたいという理由だった筈だ。
賓客扱いを決定したのは父キシリングなのでそれ以上詳しい事情を知らないクレイスはいよいよ口を挟むのが難しくなるが本人からは全く緊張感を感じず受け答えも実に簡潔なものだった。
「望みか。そうじゃな。出来ればクレイスに我が孫娘を娶って貰いたいのだが、そんな王太子を気に入っているから、という理由では納得せんか?」
まだその話は続いていたのか。内心驚きながら彼の様子を窺うとその双眸は真っ直ぐにキシリングへ向けられている。
「息子をそこまで評価して頂いて光栄だ。では南の国境線は強化する方向で調整して、クレイスは内政に取り組んでもらおうか。」
これが国王の仕事なのだ。様々な分野を任されている臣下の話に耳を傾け、その知識と国家の方針をすり合わせて最後に全ての決定を下す。
だがその強大すぎる権力故に争いが絶えないのもまた事実だ。幸い周辺国のほとんどが世襲制を選んでいるのと暗愚らしき人物が現れていない為平和と繁栄の均衡がある程度保たれているもののこれを選任制にすると権力が分散してややこしい事になる。
よくあるのが王よりも巨大な権力を持った家や領主が裏で暗躍するという悪例だが幸い『ジョーロン』なども領主全てが国家繁栄を胸に協力体制を理解している為こちらもまた上手く運営出来ていた。
(内政・・・って何をすればいいんだろう?)
もう少しショウに詳しい話を聞いておくべきだったか。時折『トリスト』には顔を出しているので今後は彼との時間もしっかり取るべきなのかもしれない。
頭の中で新たに予定を加えたクレイスは未だ王太子として慣れない身分の中、耳を傾けていると財政とその使い方について議論が巻き起こる。すると最も重きを置いている項目はやはり農作物の向上だそうだ。
(『アデルハイド』は地形が複雑だからな・・・)
南側は切り立った崖になっており王城がその上に建っているだけでなく、北側には大きな川や木々が生い茂っており拓けた土地はとても少ない。
そんな中国民達は辛うじて点在する平地でしか農作物を作れないのでどうしても生産量に限界がある。だから人口を増やすにはまず開墾が必要であり、それを人間の力で切り開くには途方もない年月と労力が必要となるらしい。
「各家の次男以下を駆り出して伐採、根返し、その後の木材加工や整地まで考えると一年で一反(約1000㎡)すら難しいでしょう。更に資金面でも1000人を動員するとして最低でも年間15万金貨は必要になるはずです。」
「それは多く見積もり過ぎでは?私は年間12万まで抑える事が可能かと思います。その代わり協力した家庭の年貢を減免する。この方が最終的な出資を抑えられるかと。」
話を聞いているとガゼルのいる『ボラムス』は相当恵まれた環境だというのが今更ながら理解出来た。彼の地は多少の山岳と森林地帯が北側に集まってはいるものの南は防備が薄い事さえ除けばとても質の高い肥沃な土地が広がっている。
しかも『ワイルデル領』の南部を割譲してもらうという事はその道も整備する必要がある。つまり現在の『アデルハイド』はやらなければならない事業が山積しているようだ。
「・・・父上、よろしいですか?」
「うむ。何でも尋ねるがよい。疑問を疑問のまま終わらせていては前に進めんからな。」
やっと口を挟んだ息子の行動をそういうものだと決めつけていたキシリングは促すとクレイスは一瞬迷うが立ち上がって目の前にあった長卓の国内地図に目をやる。
そして開墾予定の地をじっと見つめた後、概要を少しだけ説明してもらうと深く頷いてから周囲を唖然とさせる提案を皆に聞かせるのだった。
「その開墾、僕に任せてもらってもいいですか?」
今まで全く、本当に全く国務に関わってこなかっただけでなくその人物を詳しく知らない臣下達は目を丸くしていたがキシリングとプレオスだけは驚きと喜びで目を輝かせている。
「クレイス様、失礼ですがその、開墾の知識などは・・・?」
「はい。『トリスト』に詳しい友人がいるので多少は。それに未熟なのは重々承知しておりますので是非詳しい方に協力をお願いしたいです。」
4年前に夜襲を受けた時と全く違う凛々しい姿に今度は目頭が熱くなった国王と側近が顔を伏せたのはさておき、こちらは真剣なのだ。
「でしたら私めが・・・」
「いや、そこはわしが手を貸そう。」
詳しい事情を知らない臣下が一人名乗りを上げようとしたところをトウケンが遮ると先程まで涙を堪えていた2人が今度は驚愕の表情を浮かべていたのだから情緒が心配になる。
「よ、よろしいのですか?」
「うむ。わしらの里も似たような場所にあるからな。」
恐らく先ほどのハルカの件もあるのだろうがクレイスにとっては渡りに船だ。もしかすると開墾以上の知識も得られるかもしれないので考える暇も与えず父に確認すると彼もぎこちなく了承してくれた。
「では早速立札を設置しましょう。報酬は・・・月12金貨の減免方向でよろしいでしょうか?」
「待って下さい。僕は彼らに伐採や根返しをしてもらうつもりはないんです。木材の加工、運搬だけで試算し直しててもらってもいいですか?」
この提案には更に周囲が困惑した様子だったがクレイスには1つ試してみたい事がある。それが悪魔城で見たティムニールの魔術だ。
自身も大地の魔術を多少使えるようになっていたし何より国を預かる者として繁栄を手伝えるのならここは自ら動くべきだろう。
(決してガゼルが言ってたからって訳じゃないからね!)
心の中であの時の会話を否定しつつ、一先ずそれが可能かどうかを知りたくてトウケンと議会を退室するとクレイスは中庭に出て巨大水球を展開しながら目的の場所までひとっ飛びする。
「ほう?随分自信を見せていたがなるほど。この魔術を使うつもりか?」
「はい。ただ初めての展開方式なので念の為試しておこうと思いまして。」
地図で見た場所に到着すると周囲を少し歩いて現場を確かめる。どういった形で大地を動かすべきか、不要な樹木をどこに集めるべきか等、そもそもどれ程の魔力が必要なのか。
トウケンの助言を元にある程度完成図の想像が固まるとクレイスはしゃがみこんで早速その大地に両手を置く。
「ではいきます!むむむ・・・・・むんっ!!!」
最初は加減していたもののびくともしなかったので魔力を一気に高めて集中的に注ぎ込み始めた。
すると川沿いにあった地面が大きな地鳴りと共に動き始めるとまずは生えていた木々が根元から倒れて雪崩のように川辺に転がっていく。
そこから後は傾斜を緩くして、出来れば耕しやすいよう表面を柔らかい土で覆おうとしたのだがここで水や風と違う大地の魔術について大きな違いに気が付いた。
(・・・この大地・・・いや、大地の底はどこも硬くて重い・・・な、なるほど!)
水などは現存する物に魔術を加えた方が魔力を抑えられる事もあるのだが大地はそうではないらしい。特に下の方は圧力の影響なのか、比重が表面と全く違う事に驚きを隠せない。
だが同時にその重さと硬さこそが大切なのだとも感じる。でなければ木々や家屋を支える事等到底出来ないだろう。
(・・・・・これをヴァッツは力だけで持ち上げてたのか・・・・・)
改めて3年前の戦いを思い出す。あの時ヴァッツは5万もの『リングストン』軍を止める為に軽々と大地を三十間(50m強)隆起させたのだ。
もちろん今のクレイスなら一部だけ持ち上げる事は出来るかもしれない。しかしそれでも三十間(50m強)は難しい。いや、全ての魔力を使えば柱のような形なら再現は可能だろうか?
思考が完全に逸れてしまっていたがトウケンが木材を軽く並べている姿を見て本来の使命を思い出すと慌てて意識を整地に戻す。
久しぶりに大量の魔力を消費し続ける事2時間、まずは目標だった一反(約1000㎡)の開拓が終わると安堵と疲れからため息が漏れた。
「うむ。『魔術』とは相当なものじゃな。益々ハルカの婿に欲しくなったぞ?」
「あ、ありがとうございます。」
自分なりに農地っぽく地表を柔らかい土で覆ったが臣下や国民は納得してくれるだろうか。一仕事終えたクレイスはやや心配ながら王城に戻ると翌日は他の面々にもその地を確かめてもらうのだった。
新たな開墾地に関して一番悩ましい態度を示していた父には繊細な理由があったらしい。
「確かに素晴らしい働きだ。しかしお前は王太子なのだ。いずれ国王になる存在が泥にまみれて労働するのは今後控えた方がいいだろう。」
これは自身も各国に赴いて王族達と触れ合って来た為そういった思考や尊厳を重視しているのだと理解はできる。
だがクレイスにはキシリングの血が流れており、『ネ=ウィン』の夜襲を受けて震えていたあの頃とは全く違う存在へと成長していたのだ。
「お言葉ですが父上、僕の中では今まで国を、国務を放棄してきた後悔と後ろめたさが渦巻いているのです。なので王太子に選ばれたからこそそれを晴らしたい、国民への恩義に感謝だけでなく実利で示したい。故にこれ以上の効率的な方法がなければ僕はこのまま継続します。」
その宣言にはプレオスが目を丸くしており、トウケンは涼しい眼差しで親子のやり取りを見護っている。
他の臣下達も料理しかしてこなかったクレイスの印象が強かった筈だ。皆が唖然としていたがキシリングにも王族として譲れない部分がある。
「だったらその力は別の所に使うべきだろう。今は大人しいが敵がいつ襲ってくるかもわからない状況だ。そうだったな?トウケン殿?」
この辺りは『ネ=ウィン』の価値観にやや似ている。結局のところ国民はわかりやすい善政か武名に尊敬の念を抱くものなのだ。
父も王族としての立場的な部分と最大効率をしっかり考えて諫めているのだろうが、いつもギリギリの戦いに身を投じて来たクレイスはガゼルの姿を思い出しながら再び反論した。
「いいえ。僕は『アデルハイド』の未来を考えてこの開墾に全力を注ぎたい。少しでも早く沢山の食料を確保出来る基盤を整えて多くの国民が安心して暮らせる国を目指したい。それにあの傀儡王ですら鍬を持って畑を耕していた話は聞きました。でしたら僕はそれ以上の成果を求めたいのです。」
気が付かないうちに意識していたクレイスは忌憚のない本心を言葉にするとキシリングも一瞬驚愕に感動の笑みを浮かべていたがすぐに素へと戻す。
ちなみにプレオスは大粒の涙が落ちないよう必死に堪えているらしい。
「良いではないか。開墾が早く終わればそれだけ収穫も期待出来るし民が喜ぶのも間違いないのだ。それにクレイスは真っ白な状態で様々な国を見て回っている。お主のような狭小な視野では理解出来ぬ存在へと成長しておるぞ?」
自身より年下だというのもあるのか、トウケンがキシリングに歯に衣着せぬよう告げると父も引き際を悟ったようだ。再び嬉しそうな表情を一瞬だけ見せるが何とか冷静な様子に戻すとわざとらしい程深く頷いた。
「・・・うむ。ではこの地の任務は続けてお前に任せよう。しかし無理のないようにな。」
「はい!」
今では『ボラムス』よりも小さな国家になったが国を富ませる方法はいくらでもあるはずだ。クレイスはそれらにも着手したくてうずうずしていたのだがあまり焦るのも良くないだろう。
まずは初めての国務を完遂させる。
やる気と覚悟に満ち溢れた若き王太子は早速大勢の眼前で昨日よりも効率よく一反(約1000㎡)の整地を終えると臣下達も木材加工要員の重要性を理解したらしい。
「この様子ですと移民を受け入れる体勢もしっかり整えるべきですな!」
「左様左様!キシリング様、この転機、逃す術はありませんぞ?!」
多数の国民が必要不可欠なのはわかる。それが生産性の向上に直結しているからだ。そして更なる人数と労働力で発展を求めていく。
しかしその先は何処へ向かうのだろう。
未だ王太子として駆けだしたばかりのクレイスはそこまで考えが至る事なく調子に乗ってもう一反(約1000㎡)整地を終えると久しぶりに魔力の枯渇を感じる体に充実感を得ていた。
それとは別に週に二回以上『トリスト』へ顔を出しては様々な人間と交流していた生活はある日突然終わりを告げる。
「え?!『リングストン』が侵攻を?!」
きっかけはショウとこれからの『アデルハイド』について相談していた時そのような急報が入ると『トリスト』も対応に追われる所から始まった。
クレイスもこの国では将軍位に就いている為駆り出されるかもしれない、いや、むしろ自分から志願してもいい程だったがこれは方々から止められてしまう。
「クレイス様は今王太子として大切な時期です。あの国程度なら私達で十分対応可能ですので今はご自身の足元に注力なさって下さい。」
特に迎え入れる覚悟と約束を交わしているイルフォシアから言われると頷くしかない。
「わかった。ルサナ、ウンディーネ、ノーヴァラットも任せたよ。」
少し前にヴァッツ達を呼びつけて『ジョーロン』へ向かわせたのは全てこの為だったのだろう。それでもカズキやイルフォシアを始め、『トリスト』には強者が揃っている。
「はい!でも今度はもう少しゆっくりお会いしたいです!」
相変わらずルサナは正直に心境を吐露してくれるが実際『アデルハイド』には誰も連れて行かないという選択をしていたのでクレイスも彼女達を残して去るのは毎回寂しかった。
「うん。僕も出来るだけ時間を取れるようにしておくよ。」
それに答えるとイルフォシアからやや嫉妬の視線を感じたが今は有事だ。こちらも無駄な時間を取らせないようにと挨拶を軽く済ませると再び『アデルハイド』へ戻っていく。
そして翌朝、いつも通り開墾作業を終えて一息ついていた時に王城の方から急報が入って来た事でこちらの情勢も大きく動き始めるのだった。
「クレイス様!!た、大変です!!現在王城へ向かって『ネ=ウィン』の大軍が押し寄せてきています!!」
腹ごしらえの最中だったクレイスを始め労働者達も寝耳に水といった表情だったが唯一人、現場監督的な立ち位置だったトウケンだけは小さな溜息をついていた。
「急いで応援に駆けつけてやれ。ここの作業はわしらで十分事足りるでな。」
まさか彼の口走っていた事態がこんなに早く訪れるとは。というか昨日の件も考えると今回は『リングストン』と『ネ=ウィン』の連合的な動きを感じずにはいられない。
「わかりました!皆も無理はなさらずに!!」
開墾事業は毎日二反(約2000㎡)の面積を続けていたので農地は十分過ぎるほど確保出来ている。むしろ今では木材加工に全力を注いでいたくらいだ。
「クレイス様!お気をつけて!!」
百人近い労働者達の声援を受けて力強く頷いたクレイスはここの所魔力をギリギリまで使用していたのも忘れて王城へ向かう。
本来であれば戦闘国家『ネ=ウィン』から侵攻される立場なのだから亡国の危機とも呼べるのだろうが過去の苦すぎる記憶とそれに対する爆発的な感情は冷たい風を何も感じない程熱くなっていた。
「戦況は?!」
一瞬で王城の中庭に降り立ったクレイスは駆け寄って来る臣下や衛兵達に様々な情報や軽装武具一式を手渡されつつそれ装備しながら会議室へ向かう。
中には父は当然としてプレオスも既に地図を睨みつけて『ネ=ウィン』軍の規模や陣形を並べては唸り声を上げていた。
「おお、戻ったか。」
「遅くなりました。ナルサスが軍を率いていると聞きましたが本当ですか?」
以前夜襲を仕掛けて来た2人はもうこの世にいない。そして現在『ネ=ウィン』の4将で健在なのはビアードのみだ。となると戦力的に皇子が出張ってきてもおかしくはないのだが『ジグラト戦争』後の復興作業をもう終えたというのか?
カズキからも相当な戦力低下を聞いていたので俄かに信じられなかったがプレオスが静かに説明を始めると納得せざるを得ない。
「はい。どうやら今回は本腰を入れて侵攻してきているようです。先触れからの形式的な書状も届いております。」
それを手渡されて目を通したクレイスは逆に冷静さを取り戻せた。何故ならそこには王族の命と無条件降伏を満たせば攻撃をしないという無茶苦茶な内容が記されていたからだ。
「・・・面白いですね。」
だが感情と記憶は全く別の反応を起こす。4年前、成す術もなくただ逃亡するしかなかったクレイスの記憶は苦々しいものしか残っていないが感情ではそれらを払拭したくて、雪辱したくて魂の滾りを隠せない。
むしろ今の状況は絶好の機会と言ってもいいかもしれない。体から湧き出る力からは今までにないものも感じるのだ。
「どうされます?『トリスト』から援軍を、特にクレイス様の部隊を派兵して頂きましょうか?」
これはナルサス率いる飛行部隊に対抗する為だろう。プレオスが静かに提案するとクレイスは考える事なく首を横に振った。
「いいえ。これは『アデルハイド』の問題です。父上、上空は僕が抑えます。」
「・・・お前1人でか?」
「はい。」
臣下達の記憶は相変わらず料理好きなままなで止まっていたのでこれには皆が驚愕の声を漏らしていたが格段に腕を上げたという話や空を自由に飛ぶ姿も知っている筈だ。
「だ、大丈夫でしょうか?」
最近だと父以上に心配してくるプレオスがとても不安そうに言葉を漏らしていたがキシリングは深く頷く。
「よかろう。ただし無茶はするな。魔術というのは魔力が枯渇すると空に留まる事すらままならないのであろう?」
「・・・お任せください。」
そうだ。自分は既に開墾で相当な魔力を消費していたのを今更ながら気づかされた。しかしこの言葉を送ってくれた父に感謝しかない。
つまり魔力は尽きさえしなければいいのだ。
今回の防衛戦、是が非でも己の手で参加したかったクレイスは爽やかとも取れる笑みを浮かべて答えると臣下達はその姿を見て大層な自信と落ち着きを取り戻したという。
『ネ=ウィン』の求めて来た返答期限は午前中までという事なので『アデルハイド』の武将達もプレオスを中心に王城南部の地図を囲んで各々がどんどんと作戦を立案していく。
(・・・皆凄い。堅牢な『アデルハイド』は彼らの手によって護られていたんだ。)
自国の頼もしさを改めて実感するといよいよ感情は喜びに塗り替えられる。今度こそ、今度こそ過去の自分も塗り替えられそうだ。
「クレイス様。ナルサスは危険な男です。くれぐれもご無理はなさらぬよう・・・」
「うん!任せて!!」
その姿が心配性なイルフォシアと少しだけ重なったので思わず笑みを零すと同時に右手を差し出す。プレオスは一瞬きょとんとするも慌てて握手に応えるが本来ここは国王の檄で締める所だったらしい。
ただヴァッツの癖が移っていたのか。自然と彼が皆と握手を交わすのをキシリングも止める事は無く、午後の鐘の音がなると同時にクレイスは単身で王城南の大空へ飛び立つのだった。
空から見下ろした感じだと情報で確認した通りの布陣が地上で展開されているようだ。
「ほう?貴様だけか?言っておくが遺言等を聞き届けるつもりはないぞ?」
ナルサスが彼らしい嫌味を流して来てもクレイスの感情が動じることは無い。むしろ彼がそういう性格だからこそ今回は遠慮なく戦えそうだ。
「僕もだよ。」
答えながら長剣を抜いて水の魔術を施したクレイスは眼前にいる部隊を確かめる。どうやらナルサスを筆頭に他には剣や槍を持つ近接型とバルバロッサのような外套に身を纏う完全な魔術型がざっと300人ずつ布陣しているらしい。
地上では既に矢と怒号が放たれ始めたのか随分騒がしいがこちらは未だにらみ合いが続く。
「ふむ。では俺達もそろそろ始めるか。おおそうだ、お前を殺した後はイルフォシアを我が妃に頂く。その約束だけ一筆残しておいてもらえないか?」
「だったら僕の体を動かして無理矢理書かせればいい。出来るものならね?」
『ネ=ウィン』の魔術師達の中にはバルバロッサと強く繋がっていた人物もいたのだろう。クレイスが返した余裕すら感じる言葉に何名かがたじろぐ様子も窺えた。
「やれやれ、以前はもう少し可愛げがあったものを。やれ。」
だがナルサスが静かに号令を発するとまずは魔術師達が上下にも移動して同時に火球を放って来た。その後からすぐに近接部隊が飛んできているのを確認すると自分でも驚く程冷静だったクレイスは戦いの最中、その用兵術に深く感銘を受けていた。
(そうか。こういう流れも作れるのか。)
未だに部隊を率いての実戦経験がなかった為、中空での立体的な動きに敵ながら感心したのだ。これは是非後ほど自軍でも試そう。
そう考える余裕があるほど今のクレイスと雑兵には差があった。いや、敵は戦闘国家『ネ=ウィン』の精鋭達なので決して弱い訳ではない。
幾度となく死線を潜り抜けて来た彼にも有り余る経験と力が宿っていただけなのだ。
火球と近接部隊が距離を詰めて来たのをじっくり見極めるとクレイスは一度長剣を咥えて両手を自由にする。それから彼ら以上の速さで敵部隊に突っ込むと懐に深く入り込んでその腹部や胸部に手を当てて瞬間的だが魔力を限界まで吸収しながら突破した。
もちろん敵兵を倒す事が目的ではない。今朝から消費していたそれを少しでも回復させる為にこの手段を選んだのだ。
更にナルサスを完全に無視しながら後衛の魔術師達の陣に突っ込んでいくとこちらでは多少の被弾を一切気にせず彼らからはその魔力を目一杯吸収して回る。
すると半数近くが滞空出来なくなって落下し始めたのでそれを助ける方向にもう半数が動くと後衛部隊は勝手に瓦解し始めた。
「こんな所かな。」
精鋭と言えど自分が関わって来た者達とは保有量が全く違うので個人的にはやや物足りなかったが客観的にみた戦果は十分すぎるものだろう。
咥えていた長剣を再び右手に握ると残った近接部隊をどう片付けるか考える。そう、もはや戦いにはならないと彼は結論付けていたがこれは決して油断ではない。
それ程に力をつけていた本人にはまだまだ自覚がなく、敵将であるナルサスも決してそのような思考には至らなかっただけだ。
「少しはやるようになったではないか。いいだろう。その首俺が頂こう。」
黒い剣を持ったナルサスが憎々しいといった表情を隠そうともせずそう告げてくると何度も見た怪しげな力を纏い始めるがここでもクレイスは決して油断をしない。
過去の経験から対抗する手段を描いて迎撃態勢に入るだけだ。ただナルサスは『ラムハット』国王より素の能力は高いだろう。
後は文字通りそれに太刀打ちできるかどうかだが・・・
きぃぃぃんん・・・っ!!
風のように突進してきたナルサスは迷いも見せ太刀もない一撃でこちらの首を狙ってきたらしい。
剣閃をしっかりと見極めたクレイスもあの時と同じように水の魔術で纏わせた長剣を振るうがやはり分断するには至らない。これは彼の方が強いからか彼の持つ剣が強いのか。
そこからお互いが一度身を退き空を移動しながら何度か接触するがやはり決定打には欠けるようだ。
特に魔力の消耗を極力抑えていたクレイスの動きはほぼ中空で受け流す事だけに集中していた為余計に均衡が崩れそうにない。
「どうした?護ってばかりでは俺の首は獲れぬぞ?!」
思わぬ拮抗状態に焦りか苛立ちを覚えたのだろう。ナルサスが挑発じみた言葉を発しながら更なる剣戟を放って来た時、そこに大きな隙を見たクレイスは水の圧力を一気に上げると振るう剣にも全ての力を込めるのだった。
ぱきっんっ!
折れる事は無かったものの亀裂の走った感触に驚きを隠す事はしなかった。故に更なる隙を見たクレイスは遠慮なく絶命の一撃を放ったのだがそこは鍛錬を積んできた猛者だ。
辛うじて破壊された黒い剣で凌ごうと動いたものの今度こそ真っ二つに折れながら水の魔術を纏った長剣が右肩から袈裟懸けに大きく振り下ろされるとナルサスは大きく後退する。
そして刹那の時を置いてから胸には剣閃に沿った血が静かに、そしてゆっくりと衣装を染め上げていく。
本来ならここで追撃を放ち、未来の花嫁に付く悪い虫を完全に駆除しておきたかったのだがそこは『ネ=ウィン』の中空近接部隊が一斉に間に割って入って来た。
更にクレイス本人も今の二撃で大量の魔力を消費した為迷いが生じてしまったのだ。それこそ魔力が尽きて落下でもしようものならこちらの命が危ないと。
「・・・いい部隊だね。僕も見習わせてもらうよ。」
故に勝利宣言だけに留めるとあまり手傷を負った事がないのか、ナルサスはかなりの脂汗と悪い顔色で睨みつけながら撤退の命令を出していた。
中空戦で、しかも黒い剣をもつナルサスが負ける等想像もしていなかったのだろう。総大将が退却した事実をまだ知らされていなかったビアード達が戦いを継続している中、クレイスは『ネ=ウィン』兵から見える自軍の頭上近くまで降りてくるとそこで水槍を数十本放つ。
「ナルサスは撃退した!!お前達の負けだ!!!」
無理矢理にでも魔術を展開したのはこちらに意識を向けさせる為なのだがこの宣言を聞いて敵軍は一斉に空を見上げていた。
同時に『アデルハイド』軍からは割れんばかりの勝ち鬨が上がり出し、『ネ=ウィン』軍も事実を正しく把握したのかビアードが速やかに撤退戦へと移行するのだから素晴らしい。
これもまた自身の糧にしよう。クレイスは中空からその動きをじっくりと観察しているとはやり戦闘国家の兵士達は強く、深すぎる追撃にはしっかり迎撃を取って血路を開いていった。
「深追いはするな!!」
それもまた理解しているのだろう。地上を任されていた名参謀プレオスはすぐに号令をかけると今回の防衛戦は一瞬で幕を閉じる。
しかし未だに実感の湧かなかったクレイスは一先ず長剣を納刀すると彼の隣に降り立ち、詳しい説明をしようと思ったのだがこれは『アデルハイド』の兵士達によって大いに阻まれてしまった。
初めて受けた自国の勝ち鬨と賞賛に耳の感覚を失うかと思ったが帰城してからやっと実感が歓喜に染まって来た。
「クレイス!プレオス!!よくやった!!よくやったぞ!!」
居ても立っても居られなかったのだろう。城門前に姿を見せた国王を見て更に兵士達が大きな勝ち鬨を上げるので完全に会話を諦めたクレイスは一先ず父と熱く抱きしめ合う。
それからプレオスと父の隣にいたトウケンとは握手だけに留めた後、少しだけ宙に浮かんで後方にいたまだまだ元気一杯の兵士達に向かって右手の拳を大きく掲げると音で叩き落されそうな感覚に囚われた。
だが戦とは事後処理も含めて戦なのだ。
まずは祝勝会で労う事も忘れず兵士達にもしっかりと報奨金を分配、大きな勲功を挙げた者には国王直々に官位や勲章を授与、更に敵国との条約も結ばねばならないし被害の洗い出しからその親族への弔意等々。
今回は初手でクレイスが大活躍した事により被害も最小限に抑える事は出来たものの地上では双方に多少なりとも犠牲者が出ているのだから浮かれてばかりもいられない。
それでも今までのような地理を生かした耐久戦と違い超短期決戦で勝利を飾れた事、それが王太子クレイス=アデルハイドの活躍によるものだとすれば国内外で飛ぶように話題が広がっていくものだ。
「手ごたえはありました。あれからすぐに書状も送って来ない所を見ると当面は大丈夫なのではないでしょうか。」
その夜、クレイスたっての希望で宴は城下の大広場で行われる事になった。そこで報告がてら父にそう告げる時、軽く一万人以上いたはずの国民が誰一人声を発する事無く聞き耳を立てていたのは一生忘れないだろう。
「そうか。うむ、非常に大儀であった。」
「しかしナルサスは妙な黒い剣を振るっていた筈。あれを前にどう対応されたのでしょう?」
「あ、はい。あれは西の大陸で戦った『ラムハット』の国王様と同じ方法で挑みました。今回はこちらの魔力が少なかったので僅差だったとは思うのですが。」
詳しい説明をしても恐らく誰一人理解は出来ていなかった。それでも彼らが静かに彼の言葉を一言一句拾い集めて記憶の奥底へと刻み込んでいたのは将来この強王が国を、国政を担ってくれるのだという大きな大きな期待で胸を膨らませていたからだ。
「それにしてもナルサスに一方的な手傷を負わせるとは大したものだ。キシリングよ。ハルカもよろしく頼んだぞ?」
「・・・・・それはクレイスが決める事だ。」
少しの沈黙があったのはキシリングも『暗闇夜天』との関係を秤にかけていたからだろう。何となく察していたクレイスも口を挟まなかったのは彼女の心を考えての事だ。
(絶対僕じゃないと思うんだけどなぁ・・・)
とにかくその話を皮切りにいよいよ本格的な祝宴が始まると早速城下は大きな歓声に包まれる。生まれて初めて自国の祝い事に参加していると実感したクレイスも大いに胸を躍らせていつもより羽目を外してしまったらしい。
気が付けば自身の寝室で横になっており更に気が付けば室内ではトウケンが不動の姿勢で一晩中警護を務めてくれていた。
「あの、本当にすみませんでした。ありがとうございます。」
「気にするな。初めて自国で偉業を成し遂げたのだから多少浮かれるのも無理はない。」
戦いに関してはかなりの場数を潜り抜けていた為油断は無かったがその後がいけなかった。特に王太子という身分から最低でも近衛を傍に置いておくべきだと静かに諫言されるとぐうの音も出なくなる。
ただ酒を浴びる程呑んだという訳ではなく、魔力が底を尽きかけていた状態だった為にあれからすぐ泥のように眠ってしまっていたらしい。
遅い朝にはなったが疲れが残る事も無く、むしろ清々しい気持ちで着替えを終えて父の元へ向かい始めると否が応でも気が付いた事が2つほどあった。
まずは周囲の対応だ。
どうやら昨日はクレイスが思っていた以上の功績だと認められていたらしい。召使い達を始め国王の下へ向かうまでの間に城内にいる殆どの人間が挨拶だけでも交わそうと歩み寄ってくるのだ。
「おはようクレイス。昨日はよく眠れたか?」
そして国王も大層嬉しかったのか、朝食を一緒に取りたくてかなりの間待っていてくれたようだが腑に落ちない本人はどういう態度で臨めば良いのだろう。
「おはようございます。お蔭でぐっすり眠れました。」
一先ず挨拶を交わした2人は早速食卓に着くも血の繋がった親子間での隠し事はすぐに見抜かれる。しかも前例がある為すぐには信じて貰えなかったらしい。
「そうか?それにしては気分がすぐれないようにも見える。まさかまた怪我を隠したりしてないだろうな?」
「昨日は無傷で戦を終えました。何でしたら食後に体を隅々まで確かめて頂いても大丈夫です。」
そう、結果としてはこれ以上ないものだった。だがクレイスとしてはどうしてもナルサスの命を奪っておきたかったというのが本音だ。
今回の侵略は『ネ=ウィン』の方から一方的に行われたものでありこちらには防衛として十分すぎる大義名分があった。
その中で彼と一騎打ちで戦えて、且つ堂々と討ち取れる機会が訪れたのは奇跡にも近いのだ。昨日の時点でこそ自身が彼を上回っていたものの次もまた勝利を手にする保証はないしそもそも次がある可能性は限りなく低い。
故に何という千載一遇の好機を逃してしまったのだという激しい後悔が一晩休んで冷静に考えたクレイスの嘘偽りない感想と結論だ。
『ネ=ウィン』軍も昨日はほとんど犠牲を出さずに撤退していた筈なのでむしろ皇子を討ち取れなかったのは後々響いて来る。そんな予感がしてならないのだが周囲はどう感じているのだろう。
「昨晩夜襲もなかった所を見ると『ネ=ウィン』の部隊も既に戦える状態ではないのでしょう。警戒体勢は続けるとしてクレイス様もしばらくは開墾作業を控えて頂ければと考えます。」
プレオスがそう告げてくるとキシリングも深く頷いている。確かに開墾でかなりの魔力を消費したまま戦場に駆け付けてしまったのだから彼らが退き上げるまでは無理をしない方がいいのかもしれない。
「そうだな。交渉の場面も出てくるかもしれないので当面の間は城内で城で体を休めておくといい。」
「わかりました。それでしたら久しぶりに城内の調理場にでも立っておきます。」
しかし彼らは何もする事なく完全に体を休めて欲しかったらしい。キシリングとプレオスは唖然としていたものの傍にいたトウケンだけは一切雰囲気を変えずに静かに傍で待機していた。
以前からそうではあったが15歳になり、美少年から美青年への変貌を遂げている最中のクレイスはいよいよ異性達が放っておかない存在へと昇華しつつあった。
「クレイス様、何かお手伝い出来る事はございませんか?」
「クレイス様、衣装に汚れが。少し失礼致します。」
「クレイス様、あまりご無理はなさらないで下さいね。お部屋の準備もお茶のご用意も出来ておりますので。」
若い召使いがここぞとばかり詰め寄って来たり遠巻きにうっとりと眺めてくる風景は『トリスト』で慣れていたと思っていたがここは母国なのでやや圧を強く感じる。
「皆ありがとう。でも大丈夫、僕が料理を大好きなのは知ってるでしょ?」
自ら鍋を振って作っていたのは以前と同じように父やプレオスといった重臣達を久しぶりに喜ばせるものだが今回はそこにトウケンの分も含まれている。
これは昨夜の恩を少しでも返そうと考えていたいわば御礼の意味も込められていたのだが相変わらず静かに傍に付いていた彼から何か特別な感情や雰囲気を読み取る事は出来ない。
「クレイス、少し人払いをしてもらえるか?」
故に調理を終えてすぐの提案には驚愕したものの召使い達に出来上がった料理を父達へ運ぶよう指示を出した後、自身も2人分の料理を手に自室へ戻ると早速トウケンは本題を話し始めた。
「これは鳥か。ふむ・・・美味いな。流石は調理だけのボンクラだと噂になっていただけの事はある。」
冷めると味も落ちるのでまずはそれを円卓に並べて食べ始めると最初の話題とは思えぬ内容に再び驚きで手を止めてしまうクレイス。
だがトウケンの方はにやりと口元を歪ませつつ静かにそれを食し続けると顔はどんどんと綻んでいった。
「しかしそれも過去の話だ。クレイス、お前は今世界で最も期待されている王太子の一人だろう。」
「あ、ありがとうございます。」
最近ではまるで本当の従者のように、執事のように付き従ってくれているので話す機会が増えたのだがその中で1つ確信した事がある。
それは彼が話す内容は必ず今とこれからについてという事だ。
「お前はナルサスを討ち取れなかった点を危惧しておるな?」
父も何かしらを感じてはいた筈だが具体的な話には至らなかった為、この時初めて心の内を告げられるとクレイスの手も止まる。
そんなにわかりやすく行動は表情に現れていたのか、それとも『暗闇夜天』族の頭領故の心眼に見透かされたのか。返事を出来ないのが答えだと悟った彼は話を続ける。
「・・・どうしても奴を始末したいのであればわしらの力を頼るか?」
「?!」
人払いをした理由をやっと深く理解出来たクレイスは期待と不安、更なる驚愕に何故か忌避感も相まって完全に頭の中が真っ白になった。
「あ奴がイルフォシアを我が物にしようと企んでいる事くらいわしの耳にも届いておる。故にお前は昨日の戦いで何としてでも仕留めたかった筈だ。しかしその機会も当分ないだろう。そして『暗闇夜天』はそういう時の為に世界で重宝されてきた。」
まさか暗殺の話になるとは思いもしなかったがそうではない。彼が世界でも最高峰に立つ『暗闇夜天』族の長だという事をすっかり失念していただけなのだ。
確かに今のナルサスは程度こそわからないが手負いなのは間違いない。そこに腕利きが送られれば命を奪う事も決して難しくはないだろう。
「むっふっふ。悩んどるな。」
それにしても話を切り出した本人は随分と楽しそうにこちらの様子を窺っている。まだまだ知識と経験不足故の苦悩がそれ程面白いのか。
「そ、それは悩みますよ!これは国家が絡んでくる事ですし何より僕の一存では絶対に決められない!父や『トリスト』にも相談する必要があるでしょうし・・・」
「そうか。では1つ教えてやろう。昨夜の時点でナルサスからお前の暗殺について打診があった。」
「えっ?!?!」
体こそ休めていたがこの日の話は感情の乱高下で心が疲弊しっぱなしだ。もちろん相手も手段を問わずにイルフォシアを手に入れたいのだと考えれば合点はいくもののそこまで素早く行動していたとは。
・・・いや、今はそこではない。
「あの?そんな話を何故僕に?」
そうだ。今は機密情報をその標的たる人物に教えた事が大いに問題なのだ。
暗殺家業である『暗闇夜天』の食い扶持を損ねてしまった責任すら感じ得なかったクレイスはとても不思議そうに尋ねるとトウケンは最後の一切れを口に運んで頷いてからゆっくり答えてくれた。
「決まっておろう。それはお主が孫娘の婿になる可能性があるからじゃ。」
冗談ではなかったのか。というかそこまで本気だったのかと心が申し訳なさで埋め尽くされる中、彼は初めて表情を崩して逆に申し訳なさそうな顔で告げてくる。
「と、まぁこれも本心ではあるのだが『トリスト』のヴァッツにはわしもハルカも救われた。そんな彼が大事に思うクレイスを手にかけるつもりはないのじゃ。」
そう言われるとやっとこちらの心も解放された。そうだ、『暗闇夜天』の掟について仲介したのはヴァッツであり、その結果今はトウケンがハルカにいつでも会えるよう『アデルハイド』の賓客扱いとなっているのだ。
「な、何だ。それだったら最初からそう仰って下さいよ。」
「がっはっは。すまんな。少し悪戯心が抑えられなくてな。しかしナルサス暗殺の提案に嘘偽りはないぞ?」
体を休めるとは何だったのか。再び彼が真剣な面持ちになってしまったのでクレイスも頭頂から緊張を感じると2人はしばらく無言のまま視線を交わし続けるのであった。
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