闇を統べる者

吉岡我龍

亜人 -その一歩の先は-

 『モ=カ=ダス』はイェ=イレィを女王として迎えて以降、神自らが治めるという信仰集権国家になると内情が大きく変わり出す。

まずは意にそぐわない人物が片っ端から牢獄へ送られた事から始まり今までの役職は全て彼女の眼によって一から選出し直された。
これにより意外な人物が宰相や大将軍への栄達を成し遂げたり官位を剥奪されたりしたのだがその中でも最も屈辱を受けたのは間違いなくナハトールの家だろう。
王族であった彼の家系は全ての権力を失っただけでなく資産もほぼ没収、平民の身へと落とされたのだから恨みが生まれない方が難しい。
「おのれぇ・・・・・」
病に伏していた父こそイェ=イレィの奇跡によってその身を持ち直したもののその程度でナハトールの屈辱が晴れるはずもなく、かといって下賜されていた光の剣や鎧も力を失っていたので対抗しようがない。
話によると全盛期の力を失ってはいるが彼女の力は未だ人智を軽く超えている。また神王の即位は人々の心に強い希望と誇りを灯しており、全てを失った一平民如きが多少反論を説いたところで波風どころか水滴一つを落とす事すら出来ないでいた。
「ナハトールよ。我らの時代は幕を閉じたのだ。いい加減イェ=イレィ様に不敬な気持ちを抱くのはよせ。」
自身の病を治療してくれた恩もあるのだろう。父であるネルヴィはその処遇に一切の不満を漏らさず、むしろ元気になった体で仕事に打ち込める喜びを噛みしめている。

「何を仰っているのです?!ここまで『モ=カ=ダス』を築き上げて来たのは私達とそのご先祖様なのです!それをいきなり現れた得体の知れない女などに簒奪されて・・・周りの人間も一切反抗しないで・・・黙っていろという方が無茶でしょう?!」

彼の言っている内容は決して間違っていないのだからもっと賛同者が現れて再び国家奪還の動きが勃発してもおかしくない。だがそれはあくまで神王が縁もゆかりもない人物であればの話だ。
彼女こそが神そのものであり顕現しただけでなく力を思う存分振るっている姿を目に焼き付けて国民達は大いに歓喜している。御神体そのものだと誰もが信じて疑わないのだから手の打ちようがないのだ。
そもそもそういった下地を築き上げてきたのも『モ=カ=ダス』王家だ。彼らは神の名を利用し、自分達の権力を確たるものにする為数多の生贄を捧げたし異能の治癒力や破格の力を持つ武具を賜って来た。
それを少し違う形で再利用されているのも因果応報なのだが生まれた時から国家の頂点に君臨していたナハトールは納得がいくはずもなく、感情を抑えようなどという気は毛頭ない。
ならばどうするか。この屈辱をどう晴らしてくれようか。神の加護どころか神王や民からの信用さえ失った彼では謁見どころか近づく事さえ許されない。

「ほう?確かにこれは素晴らしい悪感情だ。」

毎日そんな憎悪に塗れていた彼はその夜も安酒を片手に悪酔いをしているとそこに聞いた事の無い声が届いてゆっくり振り向く。すると小さな自分の部屋の窓際に見た事の無い動物のような姿がこちらを睨んでいるではないか。
「な、何だ貴様は?!」
「俺か?俺はこの国の執行者だ。お前の存在が目障りだという事でな、神王から命令を受けてやって来た。あとはわかるな?」
少し前からその役目を他種族に任せたという話は聞いていたがまさかそれを刺客として送り付けて来るとは。いや、普段から神王への悪態を裏でずっと付き続けていたのだからその耳に届いてもおかしくはない。
初めて見る『悪魔族』を前に酒の力で怯えを抑えつつ長剣を抜くがとても勝てる気はしない。まさか平民のままで殺されるのか?
全てを手に入れていた自身が、次期国王が約束されていた自身がこんな小さな家屋の一室で?

ざしゅんっ!!

犬のような獣人は言葉を発する事無く突然襲い掛かって来るとこちらは全く反応出来ないまま長剣を切断され、右腕には三本の裂傷が走る。
圧倒的な戦力差に酔いで回らない頭はどうすればいいのか混乱していたが『悪魔族』もじりじりと間合いを計ってはいたものの追撃がすぐに来ることは無い。
「ふむ。ではもう一撃・・・」
まるで甚振るかのようにその鋭い前足を放って来ると今度は左腕、そして胸元に三本の裂傷が入った。そこでやっと痛みと熱さを感じてくると周囲に武器がない事を確認して勢いよく部屋から飛び出す。
「おのれぇっ!!おのれおのれおのれぇぇぇっ!!!」
「ふはははは!!いいぞ!!そうだ!!もっと憎め!!俺達『悪魔』の前に己の無力さを憎め!!」
やがて家を飛び出したナハトールは衛兵に助けを求めようと周囲を見渡すがどういう訳かその夜は辺りに人気が全くなかった。仕方なく適当な農具を手にして構えるも『悪魔族』が軽く前足を振り払っただけでそれはただの棒切れと化してしまう。

「どうした?もうお終いか?」

「くっ・・・くそぉっ!!」
恐怖と憎悪と酔いで戦意こそ折れなかったもののその術を失ったナハトールは仕方なく『悪魔族』の前から逃走を開始するが逃げ切れる気はしない。
再びどこかで武器を拾って相対せねばならないだろう。そう考えて走っていたのだが後方から追撃される気配が無い事を不思議に思って振り返ると眼前に『悪魔』の顔が迫っていたので身と心が膠着してしまった。
「・・・うむ。良い悪感情だ。これからも神王ではなく『悪魔』に畏怖し、憎悪するんだ。いいな?」
てっきりその瞬間こそ命が尽きたものだと思ったが執行者はそう言い残すと手傷を負ったナハトールにそう告げた後、素早い跳躍と飛行で夜空に去っていくのだった。





 「只今戻りました。」
「お帰りなさい。どうでした?少しは悪感情を得られた?」
王城に戻ったアンババはイェ=イレィの居室に戻ると多少頭を垂れてから説明を始めた。
「はい。お蔭様で久しぶりに美味しい思いが出来ました。しかし人間の国というのも中々に統率が取れているんですね。まさかここまで執行者という仕事が暇だとは・・・」
本来『悪魔族』のアンババは罪人達に罰を与える、もしくは処刑する為にこの国へ派遣されてきたのだが御神体であるイェ=イレィがしっかり統治を始めて以降、罪を犯す人間はほとんどいなかったのだ。
故に国家を担う臣下の中で私欲に走っていた者達だけの処刑や処罰以降はずっと暇で暇で仕方なかった。それでも国内で唯一悪感情をずっと内包していた存在を感じ取っていたアンババはそれを得る為の許可を以前から求めていた訳だ。

「それはもう、全てはヴァッツ様の御力があってこそです。」

その名前が出るとアンババも若干顔を引きつらせるが相手はかなりの力を保有しているだけでなく現在は仕える立場の為、覚悟を決めてその場に跪くと心と耳を無にした。

「あの御方の慈悲深き心と計り知れない力に私はもちろん、国民全てが心服してしまうのも無理はありません。『悪魔族』の貴方達だってそうでしょう?ヴァッツ様がその気になれば有無も言わさずその存在や形体すら変化させられたはず。なのにあの御方は弱者の声に耳を傾け、争い以外でその道を示して下さったのです。さぁアンババ、今日もヴァッツ様に深い感謝を捧げて一日を終えましょう。」

「ははっ。」
彼女は一度その力を全て奪われた経験をしているからこそ余計に敬意と感謝を深く感じているのは分かる。
だが毎回毎回事ある毎にその素晴らしさを説きたくて説きたくて仕方がないといった態度は『悪魔族』のアンババでさえ軽い恐怖を覚えてしまう。
確かに自身も魔王フロウが全力で戦った姿を見届けた。そしてヴァッツが全く意に介さない姿も目に焼き付いていた。だがここまで狂信的にはならない。それは直接戦ったフロウも同じだ。
(一体この差はどこから生まれてくるのか。)
元よりアンババは彼の強さこそ認めてはいるものの畏怖や感謝といった感情は抱いていない。むしろ何故あれ程食べやすそうな人間なのに不釣り合いな力を持ち合わせているのかという疑問で思考は満たされてしまう。
そんな『悪魔族』の心境など知る由もなく、『モ=カ=ダス』の偉大な神王イェ=イレィは手を合わせて彼がいるであろう西の方角に向かって深い祈りを捧げていた。







一方『ボラムス』で国境線を護っていたボーマはアンババとは真逆に毎日それなりの戦いをこなしては悪感情を生み出し続けていた。
「いや~流石っすね。空を飛べるってのは強いっす。」
「いえいえ。これもシーヴァル様の援護あっての事です。しかし彼らも凝りませんな。」
基本的に直接的な攻撃はほとんど行わずに地上部隊の弓矢や投擲、そこにボーマ達『悪魔族』がちょっとした岩を落として敵陣を崩した所に急降下して追撃を加える。
その時必要以上に攻撃を加えるとこちらの感情も昂ってしまう為、敵兵たちの生死を問わず一撃離脱で再び砦に戻るか再び岩を落とす程度が大体の流れだ。

そして一仕事終えた後の食事は衛兵達と摂るようにガゼルから命じられていた。

これは命を賭けた戦いに生存出来た喜びを仲間と分かち合えという意味らしいがボーマ達からすれば民兵相手に不覚を取る等まずあり得ない。
それでも初日から傀儡王自らが姿を見せると兵士達の士気は確かに上がっていた。それから彼も一緒に座り込んで食事を始めたのだが次にはこちらに宝玉以外の料理も食べてみるよう勧めて来たのだ。
「あの・・・我々にはこれがあるので結構です。」
「そんな石っころだけじゃ力が入らねぇだろ?酒もたんまりあるから遠慮するな。」
遠慮ではない。家畜が食べる物を口に入れたくなかっただけだと反論したかったがボーマは『悪魔族』の中でもかなり知能と理性が高いのでそこは言葉を濁す。
そもそも『ボラムス』という国は自分達の存在についてかなり詳しく知っている筈なのにガゼルという男は一体何を考えているのか。
「あの~ガゼルさん。『悪魔族』って人間を家畜と思っているから同じ料理は食べないってファイケルヴィ様も仰ってませんでした?」
そこに若くて強く、そして聡明さも兼ね備えたシーヴァルが口を挟んでくれたのでボーマも安心して頷く。そうだ、自分達はあくまで魔王の命令によって働いてはいるものの決して人間達と相容れる為にこの場にいるのではない。
「でも食えない訳じゃないんだろ?実際クレイスの料理は食べてたじゃねぇか。」
「それは彼が魔族だからであって・・・」
「うん?あいつが魔族?」
些細な行き違いからお互いが小首を傾げて言葉を失っていたがその理由が分からないガゼルはすぐに切り替えると酒が入った木製の杯を用意した。

「ま、世の中色んな種族がいるのは間違いねぇ。だがヴァッツが余計な争いを避けようとしてるんだったら俺達も少しは仲を深め合っておいて損はないだろ?」

その名を出されるとこちらも少し強張ってしまう。自分達の王が全く歯が立たなかったあの人間は姿形からは想像も出来ない力を保持しているのだ。
「・・・ではお酒だけでも。」
これはフロウもよく好んで飲んでいたので大丈夫だろう。こうして彼は初めて飲む酒に驚きつつ己の中の警戒心が薄れていくのを感じるとガゼルも満面の笑みを浮かべていた。





 世界が変わっていく。なのに自分は彼が遠い存在になっていく事への不安しかなかった。
「ただいま~!」
「おかえりなさいませ。本日はどちらへ赴かれていたのですか?」
部屋に戻って来た主に頭を下げた時雨は静かに尋ねるとヴァッツは笑顔で獅子族の国『ファヌル』での出来事を話し出す。
どうやら家屋や王城の類は完成し、農業もカズキがしっかり指導したお蔭で順調らしい。ただ彼は最近『ジャディ』や『天界』でも同じような事をやっている為全然剣を振るえてないとボヤいていたそうだ。
その姿が目に浮かぶようで時雨も思わず笑みを零していたが気掛かりな事も頭から離れない。

それがアルヴィーヌの存在だ。

彼女は『神族』からの影響が無くなった後、全ての『天族』が力を失った中1人だけ独力で再誕した存在だ。それはそれで彼女らしいと納得は行くのだが問題はそこではない。
ヴァッツの力が無くても美しい銀髪を維持出来るようになったにも関わらず今まで通り彼の肩にもたれ掛かり、未だに腕を回してはべったりとくっついているのだ。
『モクトウ』では2人が仲睦まじく口づけをする姿も目の前で見て来たが最近の彼女は純粋な好意を真っ直ぐ向けている気がする。
だから感じた事の無い焦りが自身の心を支配するのだ。それは羨ましいというか妬ましいというか、自身も初めての事だったので言葉に表すのが難しい何かだ。

「おかえりなさい。ヴァッツ様。」

そこに質素ながら綺麗な衣装に身を包んだリリーが現れると3人は静かに長椅子へ腰を下ろす。
これも時雨から発破をかけた手前愚痴を言うのはお門違いなのはわかっている。しかしそれにしても素直に自分の心を受け入れたリリーの美しさはこの所際限なく輝きを増していた。
片や身分で、片や美しさで全く歯が立たない中、時雨は主への恋心をどう成就させれば良いのか。従者としてそのような不貞な~という考えはとうに捨てたものの壁はどんどん高く、厚くなっているらしい。
「時雨もこっちにおいでよ!」
3人が腰掛ける後ろで待機していた彼女にそう声を掛けてくれると机の上にはレドラが用意したお茶が4つ並んでいる。
その甘い誘いに心の退路を断っていた時雨は嬉しさを隠す事無く笑みを浮かべて腰を掛けると3人の並ぶ姿を見て牙城をどう崩すかを考える。

(この2人に唯一勝てている点・・・それは誰よりも彼を求めている心しかない。)

恋心で一杯の時雨は冷静さはさておきそう分析する。知人の中だと見習うべきはルサナになりそうだが彼女のように周囲を押しのけてまでというのは性格上難しい。
となると人知れずこっそり、密会のような形で距離を詰めていくのが身分的にも性に合っているか。
「時雨なんか怖い。」
「うん?そう?何か悩んでるみたいだけどオレでよかったら相談に乗るよ?」
「いえ、大丈夫です。少し考えごとをしていただけですから。」
「・・・・・」
思い立ったが吉日だ。リリーが何かを察したのかこちらの様子を窺いながらぎこちない仕草で彼の腕にそっと手を添えるとこちらも覚悟が決まった。



そして夜になって皆が寝静まった頃、従者である時雨は控室の扉を静かに開けて主の眠る寝室へ直行する。

これもまた他の2人と違う利点、地の利といっても差し支えないだろう。何かあった時すぐに駆け込める部屋の位置は違う意味でもとても汎用性が高いのだ。
ところがこの日に限ってアルヴィーヌとリリーが一緒に眠っているとはどういう事だ?
(アルはともかくリリーには気取られたか・・・・・)
お昼過ぎのやり取りで少し表情に出し過ぎていたのを怪しまれたのだろう。普段と違い少女らしい寝間着と髪を降ろしていた時雨は小さな溜息を付くもそこからどうしてそうなったのか一切理解が追い付かないまま自身の体がヴァッツの上に覆いかぶさるよう横になっていたのだ。

「時雨も一緒に寝たかったんだね?いいよ。」

彼らしくない、周囲に気を使った静かな声が耳に届くと理性が吹き飛んでその首に腕を搦めて優しく身を任せる。
「・・・重くないですか?」
「全然、それより寒くない?」
考えてみれば大きな羽毛の掛布団と彼の体の間にどうやって潜り込んだ?入り込んだ?のだろう。考えられる方法は彼の力によるものしかないのだが夜這いされる側にまで優しさを見せられると理性は崩壊寸前だ。
「とても暖かいです。」
短く答えた時雨はそのまま彼の頬に顔を近づけると軽く唇を当ててから頬を重ね合う。だが彼がそれだけでは許してくれなかったらしい。
その首を傾けて大きく温かい右手が時雨の後頭部付近を包み込むように当てられて両隣にいた少女達に気が付かれないまま2人は唇を重ねると時雨は幸せからか一瞬で深い眠りについていた。





 「「・・・・・」」
今更彼女達がどう思おうと勝手だが、それでも起きた時に自身が一番近くで抱き寄せられるようにリリーとヴァッツの間で眠っていたのはあまりよろしくなかったらしい。
「あれ?時雨いつの間に?おはよ~。」
気まずい2人だけが無言で動けないまま、アルヴィーヌが布団を退けて体を起こすと何を思ったのかヴァッツがその手を引いて彼女を胸元へ抱き寄せた。
それからリリーの肩に回していた右腕を包み込むように自身の胸元に持って来ると4人はまるで『モクトウ』の料理、太巻きみたいな形で重なり合ってしまう。

「えへへ。おはよう!皆で寝ると温かくていいね~。それにリリー達って柔らかくていい匂いがするんだよね~。クレイス達と全く違うのは何でだろ?」

「・・・それは性別の違いかなと思われます。」
一瞬いけない方向に想像してしまったが戦場ではそういう関係があるのも知っている為深くは追及しないでおこう。
特にヴァッツがそのような事を考える筈もないのだ。親友同士、枕を並べて多少夜更かしして楽しくおしゃべりしていただけに違いない。
「しかし距離感おかしくないか?いきなり夜這いってお前・・・いや、いいけどさ。」
リリーがやや不貞腐れた表情で咎めていたがそんな些細な事より柔らくて大きくて凶悪な乳房を衣服越しとはいえ押し付けられているヴァッツは何も感じないのだろうか?
むしろ反応してくれないとこの先関係が発展しそうにない気もするが時雨の胸には昨晩の温かさと柔らかさがしっかり刻み込まれている。

「・・・契り、結んでしまいましたね。」

「・・・あっ!そういえばそうだった!ご、ごめんね?!何か全く確認しないで、何となく時雨がそうして欲しそうだったから勝手にしちゃったんだけど・・・迷惑だったかな?」

ちゅっ

「「あっ」?!」
自身が真上にいた事と今まで散々煮え湯を飲まされた記憶、更に彼がこちらを気遣うような言葉を告げると時雨はいたずらっぽく唇を重ねる。リリーはともかくアルヴィーヌには昨年目の前で見せられたのだからお返しの意味も含まれていた。
「いいえ。私は一生ヴァッツ様の御傍にお仕えします。ですのでこれからもよろしくお願い致します。」
寝起きの寝具内で、しかも両脇に別の少女がいる状態にも関わらず宣言する等正気の沙汰とは思えないが時雨の溢れ出る愛しさは止まるところを知らない。
そしてこの日の朝はアルヴィーヌにも無自覚ながらかなりの恋心が芽生えているらしい事が発覚する。

がしぃっ!!!!!

何故ならその後時雨の右側で抱きかかえられていた彼女が左手を伸ばしてとんでもない力で無理矢理ヴァッツの右耳元に手を当てると無理矢理自身の方向に顔を向けさせて唇を奪うように重ねたのだ。
更にその時間の長い事長い事。軽く3分近くはお互いが身動きを取らず、時雨とリリーも唖然としてその様子を見ていたがやっと納得したアルヴィーヌは唇を放して眉を顰める。
「・・・ヴァッツは私のものだよね?」
「うん。そうだね。オレはアルヴィーヌとリリーと時雨のものになっちゃったね。」
この辺りがクレイスとの大きな差なのだろう。あっけらかんと3人を受け入れる、というより3人への気持ちに応えるような言葉には胸がときめかずにはいられない。

「そういえばリリーとはまだ契りを交わしてないね?」

「えっ?!あ、あたしはまだ大丈夫でつ!!」
彼女も眼前で意中の男性が他の女性と口づけを交わす瞬間を目にしてたじろいでしまったのか、慌てて遠慮したのだがヴァッツだけは不思議そうに何度か確認を取っていた。





 そういった寝室での出来事も全て把握しているのがクンシェオルトやカーチフといった強者に仕えていた執事レドラだ。

故に朝食の声を掛ける時間もしっかり遅らせてくると時雨達もゆとりをもって準備をする事が出来た。
「お前を舐めてたよ・・・まさか口づけなんていう超高等技術で迫るなんてな。」
「おや?最初から同衾するよりは幾分程度は落ちると思いますよ?」
言い出したリリーが思わず頬を染める姿は時雨でさえもときめきを禁じ得ないので出来れば金輪際止めていただきたい。しかし楽しそうに笑っているヴァッツは何かを特別感じ入る事は無いのだろう。

(本当に容姿には靡かない人なんだな・・・)

今までアルヴィーヌとリリーの質の違う可愛らしさと美しさに腰が引けていた時雨だがそれも馬鹿らしく思えて来た。
そして朝食の食卓に付き従って移動したのだがそこには4人分が用意されている。最初は誰か来るのかと思っていたがレドラが手招きして椅子を引いてくれた所を考えるとどうやら時雨の席らしい。
「レドラ様、私は従者ですので後から頂きます。」
「いいえ、時雨様はヴァッツ様の寵愛を賜る存在へなられました。でしたら是非お食事をご一緒して頂かなくては。」
第三者から言葉で告げられると昨晩初めて自分がとても大それた事をしでかしたのだと顔を青ざめる。王族で唯一の男児、下手をすると次期『トリスト』国王にもなりかねない人物に夜這いを仕掛けたのだから本来なら裁きなどを通さずに断罪されてもおかしくない。

「いいね!早くおいでよ!」

それでも初めての口づけが心に過ると笑みが零れる。そして落ち着きを取り戻した時雨が席に着くとその朝から今までと全く違う人生が幕を開くのだった。



決して争うつもりはなかった。それはクレイスの様子を見ていてよく理解していたから。

下手に寵愛を奪い合うと例えヴァッツといえど最後は困り果ててしまうだろう。だから末席でも何でもいい。傍に仕える事さえ出来たらと思っていたのだ。
「良くお似合いですわ!」
「うんうん。時雨様の周りが目立ち過ぎているだけで本来貴女の器量はとても良いのです。もっと自信を持ってください。」
「それにしても美しい黒髪・・・あこがれちゃうなぁ。」
ところが朝食後は自分の部屋に詰め込まれると待ちわびていた召使い達がいつもの黒く動きやすい仕官用の衣服を一気にはぎ取って白を基調とした貴婦人用の衣装に無理矢理着せ替えさせて来たのだ。

「あの?!私はヴァッツ様の従者です!このような浮ついた衣装ではいざという時お護り出来ません!」

すると姦しい召使い達が顔を見合わせた後3人がそれを近づけながら凄んできた。
「何を仰っているのです?!城内は既に昨夜の情事で持ちきりですよ?!」
「うんうん。ヴァッツ様もすんなり受け入れたとレドラ様が仰っていました。でしたらもう一生安泰でしょう。おめでとうございます。」
「後はどの位置に収まるかですよねぇ。正妻に興味はおありなんですか?」
昨日の今日でそこまで噂になっているのか?今まで目立ったことがない時雨は目を白黒させたまま連れ出されると今度は後宮の別室に案内される。
そこは今まで使っていた部屋と違い広く大きく、そして豪奢な装飾品や家具が揃っていた。

「今後はここが時雨様のお部屋になります!」

「・・・・・へっ?」
「だってヴァッツ様のお部屋と隣り合わせでは不公平でしょう?とレドラ様が仰っていました。」
「うんうん。つまり今度からは時雨様がヴァッツ様をお部屋に御招きすれば誰にも邪魔されずに済むということです。頑張ってください。」
想像するだけで心身が硬直してしまうが部屋の準備までして頂いたという事はスラヴォフィルも公認しているのだろう。突然過ぎる待遇の変化に戸惑いを隠せないがそれは他の面々も同じらしい。
「よろしくな。お隣さん。」
後ろから馴染みの声が聞こえてくるとそこには相変わらず美しさを凝縮した翡翠色の髪を持つ少女が怖い顔でこちらに据わった視線を送って来る。
「お隣さん?」
「ああ、スラヴォフィル様からのご命令でヴァッツ様に関係のある人間が全員この後宮に招かれたんだよ。」
どうやらリリー姉妹だけでなくハルカもここに住む事になったらしく、今までの民家は一応残すものの今後はより重用される流れで話は進んでいるらしい。

「そういう事ですか。でもリリー、私が情事に耽っている時は邪魔しないで下さいね?」

わかりやすいやきもちを初心な彼女に突き刺さる言葉で見事返り討ちにすると顔を真っ赤にして去っていく。こうして突如勃発した大将軍の心を射止めるのは誰かという話題はしばらく城内外で、特に召使い達の間で賑わっていた。





 その話題は城下町へも広がっていたが中でもとある家族だけはやや安心した様子を見せていた。

「そっか~。少し寂しいけどリリーちゃんはヴァッツ君にぞっこんなのね。」
「い、いえ、そんな事は・・・」
否定しつつも頬を染めている姿はシャルアも抱きしめてしまいたくなる程可愛くて愛おしい。というかこんな少女に好意を抱かれたら異性など一瞬で落ちそうなものだがやはり破格の存在に常識は通用しないのか。
一先ずこれでサファヴが誘惑される事は無くなるだろう。物理的、感情的な距離が遠くなる事に妻として安心が半分、寂しさが半分と言った所だ。
「私もショウ君の心を射止める為に頑張りたいんだけどやっぱりお家にも愛着があるからね。時々は戻って来てまた皆でご飯を食べようってお話してたの!」
それにしても末っ子のルルーが姉以上に積極的なのには驚いた。最近左宰相の執務室に入り浸っているのは知っていたがまさかそのような野望を抱いていたとは。
「私は職場への行き来が楽な事くらいかな・・・他に利点が思い浮かばないわ。むしろお姉様やルーと3人で住める大部屋とかに引っ越し出来ないかしら?」

「それじゃお姉ちゃんが後れを取ってしまうでしょ!それにハルカちゃんもヴァッツ君との仲を深めるよう御爺様から言われてるんじゃないの?!」

どうやらルルーの前では腕の立つ2人も全く歯が立たないらしい。リリーは更に顔を染めて言葉を失っているしハルカですら若干気恥ずかしさを見せつつ強く否定している。
「ルルーちゃん、だったらあなた達が後宮で暮らす間、あの家を私に使わせてもらえないかしら?」
「いいですよ!是非!」
そこに母が提案してくるとルルーは二つ返事で了承する。こういう場合普通は家長に相談すべきなのだろうが肝心のリリーは相変わらず顔と頭が沸騰している状態なので話になりそうもない。
シャルアは母と離れる事に少し寂しさを覚えたが家は隣同士だし何より彼女は新婚である2人の邪魔をしたくなかったらしい。

「2人のお兄さんもお城に住んでらっしゃるんでしょ?だったら今まで以上に気軽に交流出来るんじゃない?」

実はその存在こそ知っていたものの彼女達の兄が家に戻ってきているのを見た事がない。よってその姿も全く知らないのだが何やら事情があるのか、『緑紅』の姉妹は目を逸らして興味のない表情を浮かべている。
「いい加減許してあげればいいと思うんだけどねぇ。」
ハルカだけは頬杖をついて呆れていたが家族には家族の事情があるのだから深く話を掘り下げるのはよそう。むしろ自身の親族については思う所があったのでシャルアは一気に感情を昂らせる。
「そういえば皆、カズキに会ったらたまには私達の家に来るよう伝えてくれる?!あの子ったら引っ越ししてきた後も1回しか顔を出してないのよ?!」
父と祖父を亡くしたシャルアは親族を以前に増して大切に思っていた。弟のような従弟も可愛くて仕方がないのに彼はそんな気持ちを持ち合わせていないらしい。
今度会ったらそういう所は祖父にそっくりだと絶対に言ってやるのだ。苛立ちで心を燃やしていたがよく考えると父カーチフもシャルアが駄々をこねるまでずっと仕事一筋だった。

(・・・これが一刀斎の血なのかしら?)

だが東方の国にいた叔父は妻をとても大切にしているらしく片時も離れないとも聞いている。自身もサファヴと一緒にいたいと強く願っている事を考えると遺伝にもばらつきがあるのか。
「あいつ妙に面倒見がいいのよね。その辺りカーチフ様に似てるから仕方ないんじゃない?」
「・・・なるほど!」
そういう面も持ち合わせているのであれば仕方がない、とはならない。これは年上の従姉として厳しく躾けてやる必要があるだろう。
武術とは一切無縁だったシャルアが怒りに任せて右手で握り拳を作ると普段使わない筋骨がみしみしと音を立てる。
その音に自身の夫ですら引いていたが『緑紅』姉妹にも本気が伝わったらしい。彼女達はまるで兵士のようにぴしっと敬礼してその任務を受けると挨拶も早々に王城へ戻っていくのだった。





 『トリスト』とその周辺国が浮ついた話でもちきりだった頃、『リングストン』ではネヴラディンが珍しく溜息を付いていた。
「ルバトゥールには少し荷が重すぎたか。」
更に珍しく皇子ネヴラティークも同席を許されており、父のぼやきには軽く頷くに留める。
「致し方ありません。ルバトゥールとヴァッツ様は出会って日も浅く、心を掴むにはまだ時間が必要でしょうから。」
政略結婚で無理矢理親族関係を作る事は可能かもしれないがそれではあの力を手に入れる事は出来ないだろう。
むしろ彼は縁よりも自身の大切なものの為に動く傾向がある。それは一緒に旅をしたネヴラティークの方がよく理解していたかもしれない。
最近市場に出回っている『悪魔』の酒とやらを軽く喉に落としながら静かに考えていると父は再び浅い溜息を漏らした後話題を切り替えてきた。

「そういえば『ファヌル』とはどんな感じだ?」

「はい。彼の地も数日で城と街が完成した後は開墾までもあっという間に終わらせて我が物顔で国家を名乗っております。如何致しましょう?」

いかにも『リングストン』らしい物言いをしたのは父の短絡的決断を引き出す為だがそこは大王と呼ばれるだけあって思考や展開に乱れはなく、期待するだけ無駄だったようだ。
「ならば使者を送って同盟を結んで来るのだ。相互不可侵は当然としてお前は奴らと接していただろう。何か期待は出来そうか?」
「そうですね。未だに人間を非常食みたいに思っている節はありますが、その力は兵卒階級でも我らよりずっと強靭です。もし我が軍に編制できれば東の版図を取り戻すのに十分役立ってくれるかと。」
「ふむ。では早速準備をするか。『ビ=ダータ』侵攻はお前の方は任せる。私は『トリスト』を抑えてみよう。」
普段から父の即断即決にはいつも舌を巻いていたが今回はあまり見せない動きを提案してきたので期待以上に驚きが上回る。
(父が『トリスト』を?)
彼の国を抑えるとなればまず間違いなくヴァッツを引き込むか無力化するかが最重要課題になるはずだ。しかし文字通り神出鬼没で計り知れない力を持つ彼をどのように攻略するのだろう。

「お前はいらぬ心配をするな。今回は全ての権限を与えるので『アルガハバム領』と『ワイルデル領』を奪い返してこい。いいな?」

久しぶりに感じる父からの本気に畏怖を走らせずにはいられない。ネヴラティークは静かに返答するが本当に大丈夫だろうか。
(いや、ここはしっかり結果に応える事こそが最善だろう。)
元々父の威光が強すぎて自身は国内でも存在感を示せていない。であれば此度の奪還をしっかり完遂させる事でその名を周辺国や世界に轟かせる絶好の機会でもあるはずだ。
「どんな手を使ってもいい。期待しているぞ。」
今までの人生で聞いた事の無い言葉を送られて目が点になっていたが父も既に50を過ぎている。もし今の言葉が文面通りなのならいよいよ後継者として意識され始めたのだろうか?
考えに整理がつかないままその場を離れたネヴラティークは未だ混乱していたがこちらも覚悟を決めると早速『ファヌル』へ向かう馬車と献上品を用意させて熱が冷めやらぬうちに出発した。



「ふむ。お前達の支配下に加われと言うのか?」

開口一番獅子王が不機嫌さと不快さを隠そうともせず尋ね返して来たのでネヴラティークは静かに答える。
「いいえ。我々が求めているのは対等な同盟、そして此度は『獅子族』のお力添えを賜りたくこちらをご用意いたしました。」
それは文字通り山ほどの肉だ。干し肉や塩漬け、更に生きた牛や豚も用意してあるので彼らにとっても悪い話ではないだろう。これには近衛達が目の色を変えて喜んでいたがファヌルは新しい玉座で頬杖をついたまま少しも動かない。
「・・・よかろう。我が『獅子族』の勇猛な雄を10匹程用意してやる。」
「誠に感謝致します。」
最終的には良い結論にまとまるも彼もまたヴァッツや『トリスト』に感化されている為か、どうにも『リングストン』への対応は厳しく感じる。
実際この地は『リングストン領』なのだからそこをもう少し理解してもらいたい所だが今は戦力を賄えただけでも良しとすべきか。

こうして失敗が許されない奪還作戦は20万の兵に新しい戦力が加わるとその日の内から行進を開始、一週間後には『ビ=ダータ』の半分近くが一気に攻め落とされていた。





 大王ネヴラディンが行った1つ目の作戦は娘とヴァッツを2人きりにさせるというものだ。

「ヴ、ヴァッツ様、私その、船旅というのが初めてでして・・・」
「そうなんだ!じゃあ一緒に楽しもう!」
そこで選んだのが船旅だった。『ジョーロン』と交易こそしていたものの『リングストン』から出向いたことは無く、まずは挨拶を建前に王女を送るという手段を選んだのだ。
その護衛として面識があり自国の大将軍でもあるヴァッツを寄越すよう『トリスト』にかなり高圧的な書簡を送ると思いの外あっさりと戻ってきてくれたのも大きい。
あとは西海岸から船に乗せれば当面の間『カーラル大陸』での出来事に関与することは無いはずだ。
「船か・・・私も海は飛んで渡ってたからなぁ。楽しみ。」
「カズキが言うには船酔いなるものがどんな戦いより辛いと言ってました。皆様も気を付けましょう。」
他にもアルヴィーヌやリリーといった公認の正妻候補が一緒だったがこれも予想の範疇であり、むしろこちらとしては好都合だとも言える。

「しかしダラウェイという町は初めてですね。以前はシアヌークの港から出港してましたし私も楽しみです。」

それにしても従者だった時雨という少女が随分身なりを整えていた事だけは気になった。言動やヴァッツへ向ける視線はとてもわかりやすいものでネヴラディンも納得はしていたが問題は彼が彼女を恋人のように扱っていた事だ。
(奴にもそういう感情が芽生えてはいるのか?)
これならルバトゥールにも可能性は十分考えられるだろう。わざわざ世間知らずの田舎者を養女に迎えたのは全てこの為なのだから後はしっかりと陥落させるよう覚えさせた最低限の知識と技術を駆使出来ればと密かに期待する。
「・・・・・」
そんな中、元『暗闇夜天』頭領のハルカは周囲に合わせたのか普段と違って綺麗な衣装に身を包んでいたものの一言も発する事無く淑女然としていたのは不気味だった。

「ではクスィーヴ様にもよろしくお伝え下さい。」

こうしてヴァッツが好きだと公言している旅をより快適なものにする為馬車を10台用意させると西へ向かうのを見届ける。



そしてその数日後、『ネ=ウィン』には曰く付きの人物フォビア=ボウが到着すると早速ネクトニウスに謁見し、北伐についての話を持ち掛けていた。
「ほう?私にそのような話をするとは・・・『リングストン』もよほど切羽詰まっておるようだな?」
本来であれば『ジグラト戦争』によって失った4将達の話題で切り返す所だが今回はネヴラディンの厳命を受けている為ここは耐え忍ぶ。
「はい。ですのでどうしても『ネ=ウィン』の御力を賜りたく参りました。こちらが献上の品々です。」
それから送られた書簡に目を通すネクトニウスは隣に控えていたナルサスへ手渡すと彼も読み終えて目とそれを伏せる。
「よかろう。『アデルハイド』は我が国にとっても目障りな存在なのでな。此度の共闘は前向きに検討する。」
国力の低下もあるのだろうが『リングストン』が用意した数年分の金や物資は決断させるに十分だったようだ。ここまで簡単に話が運んだ事で肩透かしを食らっていたフォビア=ボウだが最後に大きな懸念点へ差し掛かる。

「フォビア=ボウといったな。貴様、ヴァッツの存在をどうするつもりだ?」

これには他に控えていた重臣や4将達も目を光らせながら頷いていた。そう、周辺国が動けなくなったのは正に彼という存在が原因の全てなのだがここも大王がしっかり抑えてある。
「ご心配なく。現在彼は西の海を渡り『ジャカルド大陸』へ向かわれております故。」
「その程度で奴の干渉を止められるとは思えんな。そこで1つ条件を付けたい。父上、発言をお許しいただけますか?」
そこまで口を挟んでおいても一応立場を弁えている皇子は確認を取り、皇帝が頷くとやはり予想通りの流れで話は進んでいく。
「お前達『リングストン』が先に動くと約束せよ。我らはそれを確認してから行動する。良いな?」

「畏まりました。では今から丁度1週間後に領土奪還の戦を始めます。『ネ=ウィン』の方々は8日目以降に動いて下さるようお願い申し上げます。」

「ふむ?つまり『リングストン』では編成が終わっているのだな?」
「はい。我が大王も此度は第一王子であるネヴラティーク様に全権を与えておられます。兵力は20万を超え、『アルガハバム領』と『ワイルデル領』を一気に攻め落とされるでしょう。」
包み隠さず全ての情報を告げると流石に本気具合が伝わったのか、皇帝を除いて全員が目を丸くしている。
「そしてこのフォビア=ボウも微力ながら『ネ=ウィン』軍の端に加えていただければと考えております。」
これは単純に助力の意味だけではない。もし約束を違えた時その命を以て償うという意思表示なのだがこれを表明すると疑いのほとんどは溶けてなくなったらしい。

「・・・ナルサス、今回はお前に全てを任せる!何としてでも『アデルハイド』を堕として来るのだ!!」

「ははっ!」
どうやら皇帝も大いに感化されたのだろう。『ネ=ウィン』でも皇子が全軍を任されたことでいよいよ止まらない本流が音を立てて動き出す。
フォビア=ボウも曲者ではあったが決して大王を裏切ったり必要以上の無理な栄達を求めている訳ではない。故に『トリスト』が擁する『アデルハイド』を本気で陥落出来るよう全ての力を注ごうと密かに覚悟を決めていた。
「では早速準備をしようか。ビアード、フォビア、ついてこい。」
全ては愛する母国の為だ。彼は違和感なく4将筆頭と共に皇子の後をついて行くと早速会議室では綿密な戦力の編成が話し合われるのだった。





 『トリスト』がヴァッツを擁している以上下手な戦は仕掛けられない。

それを誰よりも理解していた大王ネヴラディンは更に搦め手を仕掛けていた。それが『ワイルデル領』の東方に暮らす蛮族達だ。
彼らの大族長と呼ばれるバラビアは現在遥か東の国『モクトウ』で暮らしており、月に二度報告の為に書簡でやり取りしている話も聞いていた。
当然最近その連絡が途絶えていた事で『ワイルデル領』を擁する『ビ=ダータ』に僅かな不信感を抱いていた事も。
「これらを全て自由に使って頂いて結構です。」
「・・・・・」
故に蛮族達には多数の家畜と食糧、そしてしっかり金貨も送り届けておく。
「・・・見返りは何をお求めですか?」
現在大族長代理のラゼベッツは無言で訝し気な表情を浮かべたままだったが副長であるマハジーが単刀直入に尋ねると『リングストン』の使者は僅かに笑みを浮かべて答えた。

「特に何もございません。ただそうですね、もしかすると近日中に大きな戦が起こるやもしれません。その時に被害が起きないよう『東の大森林』へ退避するか、それとも好機と見てこの地を奪い取るか、傍観して頂いてもよろしいでしょう。」

後は協力的なのであれば更なる貢納を示唆する事も忘れない。あくまで蛮族を気に掛けるだけで判断は向こうに委ねるのだ。
「・・・わかった。」
喋った一言がそれだけだったがラゼベッツにも迷いやあるのは見て取れる。この様子だと彼らが能動的に動く事はないだろう。そこが最低条件だったので確信した『リングストン』の使者は深く頭を下げてその地を後にする。
これで『リングストン』『ネ=ウィン』の連合軍による『ビ=ダータ』『アデルハイド』の攻略戦が形になった訳だがその背後に『トリスト』の存在がある事も忘れていない。



「まさかわしらが参戦する事になるとは・・・」
「しかしこれは汚名返上とこの世界の戦力を分析、更に我ら『エンヴィ=トゥリア』の名を轟かせる正に絶好の機会です。」
その対策としてネヴラティークが用意した最後の切り札がナヴェル率いる『エンヴィ=トゥリア』軍だ。ヴァッツ達と視察した時その戦力をある程度計っていた彼は関係を築く為に今回そちらにも援軍を要請していたのだ。
ハーシも己の行動に責任を感じていたのもあるのか、珍しく誰よりも闘気を満たしているがナヴェルは黒い大槍を手に少しだけ不安を覚えていた。
何故なら相手はあの『トリスト』と良好関係であるらしいのだ。といってもその関係者とは全く面識がない上に国王命令でもあるので遠慮はない。ただ敵軍にカズキがいた場合だけは無意識に加減が生まれる可能性はあるだろう。
(うう~む。戦う前からこれでは危ないな・・・)
「・・・ハーシ!!今回の先鋒は全て任せる!!だが無駄な消耗を避けて敵の戦力を見極める事に注力せよ!!」
「ははっ!!」
どれ程の強者であろうとも油断というのが一番の大敵だ。珍しく思考がはっきりしていないナヴェルはそれを察して副将軍に檄と命令を下すと早速全てを把握できないほどの大軍勢と合流してネヴラティークのいる陣幕に顔を出す。

「これはこれはナヴェル殿。此度の参戦、父に代わり深く感謝致します。」

この男も目立つ存在ではないものの決して気を許せないのはわかる。だが今回はともに命を賭けて戦う同盟軍なのだからしっかり距離を近づけておく必要はあるだろう。
「こちらこそ我らの力を頼ってくれるとは誇らしいですぞ。此度の戦、必ずや期待に応えて見せましょう。」
それから固い握手を交わすと早速侵攻作戦が開かれる。そこで驚いたのは『獅子族』が居た事だ。
どうやらネヴラティークのいう20万という軍勢も誇張ではなく、むしろ少し少なめに公表して敵を油断させるくらいまで考えているのかもしれない。それ程こちらの戦力は高いと感じ取れる。
「コーサ、始めてくれ。」

「は~い。え~っと、敵軍の中には恐らく空を飛べる者が何百、下手をすると何千にもなるかもしれないのでそれは私の部隊が引き受けます~。皆様には最前線での立ち回りをお願いしたいんですけどよろしいでしょうか?」

空を飛べるというお伽話に一瞬ぽかんとしてしまったが『獅子族』達は黙って頷いていた。それからすぐにハーシが難色を示すと口を開き始める。
「という事は我らは捨て駒ですか?」
「い~え。敵の地上部隊に専念していただければ空からの攻撃は私達が何とかします~。今回はかなりの広範囲で戦を展開する為こちらも消耗する訳にはいかないので~。」
(空を飛ぶ?空を飛ぶ??う~~む。この世界には羽の生えた生物でもいるのか?)
少なくとも『エンヴィ=トゥリア』に来た人物達がそれをやっているのは見ていないしカズキが相当な猛者だという事以外に情報が無かったナヴェルはただただ小首を傾げるしかない。

「ですが念の為上空からの攻撃、まぁ矢を意識するような形で展開して頂ければ問題ないかと考えております。」

最後はネヴラティークが軽く伝えるとハーシはやや不服そうだったがこちらとしてはカズキとの邂逅以上に面白そうな戦いに気が逸れて助かる。
「よかろう!!では我が『エンヴィ=トゥリア』の力、皆に証明してみせよう!!」
そして彼らは南北に広がる軍勢の中軍に合流すると真っ直ぐ東へ前進、その勢いは止まるところを知らず『アルガハバム領』はあっという間に攻め落とされていくのだった。

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