闇を統べる者
亜人 -お味はいかが?-
翌朝ヴァッツが宣言通りに大きな鞄を持ったウォダーフを連れてくると鳥の顔を持つ彼は目を白黒させて周囲を見回していた。
「・・・そういえば今更で申し訳ございませんがこの場所の事は他言無用でお願いいたします。」
昨日から珍客万来が当たり前のようになっていたので『暗闇夜天』の隠れ里が秘匿だというのを忘れかけていたコクリは静かに告げると彼らも深く頷く。
「しかしヴァッツ様がこのような御力をお持ちだとは・・・ああ、そこに感嘆する前に詳しいお話を聞きましょう。ハルカ様、お願いいたします。」
初対面であるこちらにもバーンにも深々と頭を下げる姿は顔さえ気にしなければとても気品の感じる振る舞いだ。
それにしても別世界から様々な介入を受けているとはいえ人と呼ぶには少々難しい存在が流れ込んできている事を考えると『暗闇夜天』も今後の立ち回りに工夫をする必要があるのかもしれない。
古から伝わる掟と誇りを失わずにそれが可能なのか。思考は僅かに脱線していたがそんなコクリを置いてハルカがウォダーフに昨日の出来事を説明すると彼も何度な頷いていた。
「なるほど。・・・しかし恐怖ですか。私のあまり好まない感情ですから在庫はほとんどありませんありませんね。一応商談には応じますがあまり期待なさらないで下さい。」
「何言ってるの!!ここでしっかり『悪魔』に満足してもらわなきゃ街や人が被害を被るのよ?!しっかりしてよね?!」
頼りない返事にハルカも檄を飛ばしていたが感情の在庫とは一体どういう意味だろう?不思議に思っていたコクリはウォダーフを一度自身の屋敷に招き入れようと案内しかけた時『悪魔』達が早々に姿を見せた。
「さて、約束通りに出向いてやったぞ。我らを満足できる方法とやら、教えてもらおうか。」
しかも今日は明らかに異質な存在を連れてきている。体躯もラルヴォ並みに大きいが何より目立つのはその顔だ。あれは狼なのか犬なのか。一目見て人外とわかる容姿は背中から生えている黒い翼がより強調してくる。
そんな存在にシャヤがとても畏まっているのだから恐らく高位の者なのだろう。相手は警戒する事無く里の地に降りてくるとぐるりと周囲を見渡した。
「ふむ。若干の不安は感じるが確かに心のほとんどが安寧に包まれているな。で、我らが悪魔に提案してきたのは誰だ?」
「はい!私よ!」
恐ろしい見た目の相手によく堂々と挙手をしたものだ。この辺りも『暗闇夜天』の最高傑作と呼ばれる所以なのだろうが命は惜しくないのか。それともヴァッツという未来の伴侶を絶対的に信じているのか。
コクリは胆が冷える思いで成り行きを見守るがウォダーフも『悪魔』の容姿に触れる事は無く、跪いて先程以上に礼儀を見せると相手も深く頷くだけで話は始まる。
「初めまして。私が今回ハルカ様にご依頼を受けた『気まぐれ屋』店主ウォダーフと申します。」
「ほう、鳥獣の類か。私が『悪魔族』を束ねる王、フロウだ。さて、人間を殺さずに悪感情を得られるという話だが早速その方法を教えてもらおうか。」
お互いが人間とかけ離れた容姿をしているからだろうか。こちらが別世界に送られたのではと錯覚する光景と『悪魔』の王自ら登場した事で不安に圧し潰されそうだったがウォダーフは黒い鞄から静かに濃い青紫の丸い物体を取り出してみせる。
「これが憎悪です。」
「ふむ・・・・・どれどれ。」
大人の親指にも満たないが人間が飲み込むには少し大きすぎる。そんな宝玉らしきものをフロウはひょいと摘まみ取ると少しの間空に掲げたりして観察した後、まるで砂糖菓子を食べるかのように大きな口に放り込んだのだ。
ウォダーフの説明を受けていないので何が起こっているのかさっぱりわからなかったコクリは表情に出さないよう必死に堪えていたが『悪魔王』は獰猛な双眸を閉じると軽く頷いた。
「うむ。確かにこれなら腹は満たされるな。しかし量が少なすぎる。この大きさなら一日1000個、配下達の分も含めると1万個は欲しい所だ。」
その注文がどれほどのものなのか、これまたさっぱりわからなかったがウォダーフが若干狼狽したような仕草を見せるとかなりの大量注文らしいのは伝わって来た。
「フロウ様、現在私の店にそれほどの在庫はございません。よって集める為にいくらかの猶予を頂く事は可能でしょうか?」
「ならん。私達も食わねば生きていけぬのだ。少なくとも今すぐ1万個を所望する。なければ人間を狩りに行くだけだ。」
確かに『悪魔』だろうと生物である以上必ず栄養は摂取しなくてはならないだろう。だが彼ら全員の食料をと考えるとよく分からない宝玉でなくとも用意をするのは大変なはずだ。
「ねぇフロウ。君達が悪感情を求めるのって力の維持が理由でしょ?だったら人間の食べ物でしばらく誤魔化せない?」
そこにもう一人の魔王バーンが口を挟むと一瞬フロウからとんでもない殺意が放たれる。まさかこの里で魔王同士の戦いが勃発するのか?怯えるしか出来なかったコクリだが彼の雰囲気はすぐに平静を取り戻したので心と体は安堵で一杯だ。
「そうか、貴殿が『魔界』の王バーンか。同じ魔族として今回は目を瞑るが家畜の餌を勧めるのは止めて貰おう。」
これは『悪魔族』共通の認識なのだろう。彼らから見れば人間は家畜なのだからそれと同じものを食べろというのは人間に未調理の牧草を食べろと言っているのと同義になるはずだ。
となると交渉は決裂、他の代替案が早急に求められるがこの状況は既に『暗闇夜天』の範疇を大きく超えている。
「そもそも悪感情ってあんまり良いものじゃないしね。やっぱり人間と同じ食べ物を食べられるようにした方がよくない?」
なのに純粋な大将軍は全く恐れる様子を見せずに口を挟んでいたがこの時ばかりは彼に頼り、縋る事しか頭に無かったコクリは折衷案が通る事を心から祈っていた。
「お前は人間の分際で『悪魔』に指図す、るの・・・お前は人間か?」
「違うと思うよ。へ~『悪魔族』の王にもわかるんだ?」
再び激昂を見せるかと思ったがそれ以上に疑問が勝ったようだ。2人の魔王が軽いやり取りをすると『暗闇夜天』の人間だけでなくウォダーフやラルヴォといった亜人達も少し驚いていたが彼らの会話は続く。
「うむ。心の底が全く見えん。私の本能が戦う事すらを拒絶してくる。一体何者だ?」
破格の強さこそ知っていたが魔界の王にここまで言わせるとは。コクリもただ強い人間だと認識していたので大いに改める必要があるだろう。
「え?!オレって人間じゃないの?!」
ところが本人もわかっていないらしい。てっきり正体を明かすものだとばかり思っていたが周囲の驚愕にヴァッツ自身も驚愕を重ねていた。
【ヴァッツは人間だ。少し強い力を持っているだけのな。】
そこに同居人が太鼓判を押すと彼もほっと胸をなでおろしている。宴の時に聞いた情報だと声の主は『闇を統べる者』のはずだ。何でも幼少の頃から体中に宿っており彼とは別の意志と破格の力を持っているのだという。
説明では全ての闇、つまり影となる部分の化身らしいがこの話も全く理解が出来なかった。
「・・・う~む。もしかすると私達はとんでもなく厄介な世界にやってきたのか?」
「かもね?少なくともヴァッツを怒らせるような真似だけはしない方が良いよ。多分死ぬより酷い事になるんじゃないかな?」
重い内容を軽く済ませる2人の魔王もその力は人間の枠を大きく超えているはずだ。そんな存在を畏怖させるヴァッツは果たして本当に人間なのだろうか?
「かといって飢え死にを選ぶつもりはない。ウォダーフとハルカだったか。私達『悪魔』の食糧問題を解決させる為にこちらの要求もきちんと飲んでもらうぞ?」
だが今は『悪魔族』の食糧問題を解決するのが先決なのだ。フロウも同族生存の為に折れる訳にはいかないのはわかる。
しかしハルカのきょとんとした表情とは裏腹に読み取りにくい鳥頭のウォダーフが非情に難しい表情を浮かべているのもまた手に取るようにわかってしまう。
「もしご用意できない場合は?」
「人間を襲うだけだ。」
「でもそれをヴァッツが許すとは思えないよ?」
人間の命が懸かっているというのに人間以外の3人が意見を交えると話し合いは暗礁に乗り上げてしまったらしい。再び沈黙が訪れる中コクリも何かないかと思案していた所、ここで動きを見せたのはやはりヴァッツだ。
「あのさ。フロウ達って感情を食べるんでしょ?だったら他の感情じゃ駄目なの?」
純粋故に別の視点から解決策を提示すると『悪魔族』はこれまた見慣れていない風貌なのにとても驚いているのが伝わって来る。
「それでしたら用意は可能です。何せ毎日営業中にそういった感情を集めていま・・・あ、す、すみません!今のはショウ様に内密でお願いします!」
どうやら感情を宝玉に変える行動には制約があるらしい。『トリスト』の左宰相の名前が出るとハルカが困惑した様子で笑いを堪えていたがヴァッツは意味が分かっていないのか小首を傾げている。
「別の感情・・・ウォダーフよ。一番数の多いものを見せて貰えるか?」
「はい。それでしたらこちらをどうぞ。」
それからウォダーフは鞄の中から先程と違って随分明るい黄色の宝玉を取り出すと掌に乗せて見せる。コクリ的にもそちらの方が美しさを感じたがそれはあくまで人間の感性でしかない。
現に『悪魔族』の王は眉間にしわを寄せ、とても訝し気な表情でじっと見つめたまま手に取ろうとしない。
「・・・シャヤ。毒見を任せる。」
「は、はい!」
まさか突然指名されるとは思ってもみなかったのだろう。昨日とは打って変わってとても不安そうな様子を見せているシャヤは恐る恐るウォダーフに近づいて行くとゆっくりそれを摘まみ取る。
「・・・・どうした?早く食べて感想を述べよ。」
「は、はいっ!」
こればかりは彼に同情せざるを得ない。何故ならそれは『悪魔』達にとって猛毒と成り得るものかもしれないのだから。
それでも魔王に急かされて覚悟を決めたシャヤは勢いよく口の中に放り込み咀嚼する事無く飲み込むと胸と腹を両手で抑えたまま動かなくなってしまった。
「・・・ふむ。やはり他の感情は体に受け付けないか。」
毒見というのは珍しい事ではない。特に王というのは国の、種族の象徴なのだから未知の食べ物を確認するのはとても重要な事だ。
冷静に判断したフロウは仕方が無いと言った様子で軽く溜息をついていたが食した本人はどうなるのだろう。まるで石像のように固まっているシャヤは命を失ったのか、あまりの不味さに吐き出そうとしているのか。そもそも彼の食した感情とは一体何だったのか。
コクリは一縷の望みを胸に様子を見守っていたがやっと動き出した『悪魔』は少し頭を横に振ってから口を開き始める。
「・・・す、すみません。慣れない味に驚愕してしまいました。魔王様、これは食べられなくはないですが好みが別れる味だと思います。」
慣れない味といえばこの大陸でも発酵食品の類は東西で賛否が分かれるものだ。西側では納豆はあまり好まれないし東側にある魚を発光させた食品はこちらでは好まれない。
恐らくそんな味なのだろうと考えているとフロウは少し考え込んだ後ウォダーフに同じものを用意させて今度は迷わず自身の口に放り込む。
「・・・なるほど。確かに癖が強いな。ウォダーフ、これは何の感情だ?」
「はい。それは『喜』の感情です。私は茶店を営んでおりますのでそれと『楽』の感情がとても集まりやすいのです。」
簡潔に説明した店主は魔王から要望が出される前に今度は白色の宝玉を取り出す。話の流れから推測するにこれは『楽』の感情が詰まっているのだろう。
そして毒見させる事無くフロウが摘まみ取ると再び少し鑑賞してから口の中へ放り込んだ。するとやっぱり大した反応も見せずに浅く頷く。
「う~む。食せなくはないがやはり味は独特だな。」
「それじゃ代替品にはなりそうにない感じ?」
一番気になっていた質問をバーンがするとフロウは腕を組んで考え込む。反応から見るに絶対美味だとは思っていないだろう。であればやはり人間を襲ってその恐怖や憎悪を直接食らうのだろうか。
「・・・いや、ウォダーフよ。感情の種類を問わず1万個を用意する事は可能か?」
「はい。数、というより質量でしたら可能でございます。」
その意味がよくわからなくて皆が小首を傾げていると答えが彼のカバンの中にあった。なんと今度は今までと比べ物にならない程大きな乳白色の宝玉を取り出してみせたのだ。
「これが『悪魔族』の皆様のお腹をどれ程満たせるのかはわかりませんが私は感情の大きさに比例した宝玉を作り出せるのです。」
「ほほう?これはまた食べ応えがありそうではないか。しかし初めて見る色味だな。」
「はい。これには『喜』と『楽』が多分に含まれております。お味の判断はともかくこの大きさであれば先程の100個分には相当するかと。」
確かにそれは拳ほどの大きさがあり人の口ではかみ砕かないと飲み込むのも難しいだろう。しかし犬の顔を持つフロウは迷う事無く大きな口を開けてそれをまた丸飲みしてしまった。
「・・・うむ。決まりだ。選別はお前に任せるのでこの感情の塊を全て頂こう。」
「御意。」
どうやら『悪魔族』が人間を襲う事態は回避出来そうだ。『暗闇夜天』の者達もほっと胸をなでおろしていたのだがここでじゃじゃ馬娘がいらぬ口を挟むと再び人間達は肝を冷やす。
「ちょっとウォダーフ、大丈夫なの?1万個の質量って相当じゃないの?それを毎日供給出来るの?」
「ええ。お店に在庫もあるので十日分くらいなら。しかし食料として求められているとなると継続するにも限界がありますね。」
ショウにそのほとんどを買い取られた後もこっそり収集していた事などこの場にいる誰もが知る由も無かったし今は大した問題ではない。むしろ十日を超えてからどう供給していくのかが重要だ。
「う~ん。難しそうだね。それじゃオレもこれを返しとこうか?」
そう言ったヴァッツは軽く右手を地面に向けるとそこに突然様々な色の宝玉が入った大きな木箱が現れたので皆が目を丸くして驚く。
「おお?!こ、これはショウ様に買い取って頂いた品々?!し、しかしよろしいのですか?」
「いいよいいよ!フロウ達も食べ物がないと困るんでしょ?でもこれをずっと作り続けるのも大変だし、やっぱり人間の食べ物を食べない?」
「くどいな。私達『悪魔』は断じてお前の脅しには屈しない。」
「そっか~・・・」
傍から見ても脅している風には見えないのだがヴァッツの力を感じた『悪魔族』の王はそう受け取っているのだろう。彼も純粋に残念そうな姿を見せているとハルカが慰めるように背中を思い切り叩いていた。
「ま、とにかくこれでしばらくは保つんでしょ?その間に感情の塊を確保する形でいいんじゃない?」
最後はバーンがそう締めると『悪魔族』達も深く頷く。そして今回はその木箱とウォダーフの持つ全ての宝玉を持ち帰る事、彼らの食料が再び枯渇する前に『暗闇夜天』の里へ赴く流れで話でまとまったのだがコクリは重大な事実に気が付いてしまう。
(・・・ちょっと待て。それでは実質この里が『悪魔族』の監視下に置かれているのと変わらないのでは?)
後顧の憂いを残す結果に再び不安と不満に押しつぶされそうだったがハルカやラルヴォに慰められて元気を出したヴァッツを見ていると暗い気分はやや晴れた。
(・・・いやいや。駄目だ駄目だ。彼は『トリスト』の大将軍でありその力によって『暗闇夜天』は余儀なく従属を迫られたのだ。)
そう考えると『悪魔族』が脅しと受け取るのも深く深く理解出来る。例え本人にその気がなくとも強大な力はこちらを無理矢理屈服させてしまうのだ。
しかし従い続ければ実質『悪魔族』の支配下に、断れば『トリスト』の従属が継続されるとなるとコクリの目指す原初の『暗闇夜天』とはどれ程遠いのだろう。
先の見えない未来にすっかり意気消沈したコクリは頭領の座さえどうでもよく思えてきたが今はまだ隠しておこう。
一先ず今度こそウォダーフを連れて屋敷に戻ると早速感情を効率よく収集する為の話し合いが行われる。
「『悪魔族』って恐怖を一番好むんでしょ?だったら私達が適当に人を襲うふりをしてウォダーフに回収してもらうっていうのはどう?」
「妥当な手段ですね。しかしふりだけだとあまり大きな感情は得られないでしょう。それこそ一日一万回こなさなくては供給が足りなくなる恐れがありますね。」
術が使えるのもウォダーフだけなので流石に非効率すぎると却下されたがそもそも彼の術は感情を一時的に奪い去るだけに過ぎないという。
他にも注意点として同じ相手から同じ感情を抜き取り続けると反応が薄れていくらしい。自身の茶店で術の使用は1人につき一回と決めているのも最初の一口目を飲んだり食べたりした後の幸福感から宝玉を作り、二口目でも同じ感動を味わってもらう為の工夫や再来店の布石を考慮しての事だそうだ。
「・・・別に恐怖である必要はないのでしょう?でしたらハルカ様がラルヴォ様に抱いている好奇の感情を抜き取って頂くのを繰り返せばそれなりの量になりませんか?」
「ちょっとコクリ?あなた話聞いてた?私ラルヴォを愛でる感情を薄めたくないんだけど?」
ハルカをラルヴォから遠ざけたいコクリの意思を多分に含めているので流石に通らなかったか。しかし将来的に暗殺対象としている彼女とこれ以上仲良くされると必ず来たるべき時に支障をきたす筈だ。
そうなる前に何とか2人を引きはがさなくては。ハルカとルアトファに似ている部分もあるのなら猶更と駄目元で提案してみたのだが今は素直に引き下がろう。
「そういえばウォダーフはあの大きな宝玉をどうやって手に入れたの?」
「あれはこの世界に来る前、とある貴族の奥様が不倫をされていたので旦那様に頼まれて回収した時のものです。」
不倫や浮気とは何処の世界でも燃え上がるものらしい。それは恋人や配偶者への背徳感、不満も隠し味として含まれているからなのだろうが何とも言い難い内容に皆が言葉を失う。
「巨大な感情を宝玉に変え続ける事が出来れば解決しそうだがなかなか難しいという訳か。」
ラルヴォも両脇にもたれ掛かって座るハルカとヴァッツを優しく撫でながら思案していたがコクリはそれ以上にその2人へ深く関わって欲しくない気持ちで全く集中出来ない。
【一つ、良い場所を知っている。】
そんな中突如例の声が沈黙を打ち破って来たので皆がヴァッツに視線を集めるが本人もきょとんとした様子で『闇を統べる者』に問い返した。
「そんな所あったっけ?」
【うむ。『神界』だ。現在あの地では大きな憎悪と絶望、恐怖に満ち溢れているからな。あそこで感情の宝玉を作り出せば相当な量になる筈だ。】
初めて聞く場所にほとんどの人物が小首を傾げていたがヴァッツだけは思い出したかのように何度か頷いている。たがすぐに彼らしくない、珍しい表情で若干の嫌悪感を示していたのでハルカまで驚いたようだ。
「でもなぁ。あそこ話を聞かない人だらけでしょ?あんまり関わりたくないんだよねぇ。」
【別に関わる必要はない。ウォダーフを連れて宝玉を作った後早々に帰還するだけだ。】
『悪魔族』にさえ普段と変わらぬ態度で接する彼が忌避するとは一体どんな世界と種族が住んでいるのだ?逆に興味が湧いて来るコクリだったがそれを聞くと面倒事に巻き込まれかねないのでここは黙っておく。
「う~ん。まぁそれならいいかな・・・んじゃウォダーフ、ちょっと行ってみようか。」
「はい。ではいつしゅっぱ・・・」
恐らく日取りを相談したかったのだろうがヴァッツは嫌な事をさっさと終わらせたい性格だというのはよく理解出来た。了承の言葉を聞いた瞬間2人の姿は一瞬で消えるとハルカはラルヴォを独り占め出来る欲望を隠しもせず彼の腹部に顔を埋めるのだった。
ウォダーフ達が感情の確保に目処を付けた頃、『悪魔族』が暮らす悪魔城では早速食料である宝玉の仕分けが始まっていた。
「それにしても不思議な術だ。まさか感情を物質に変えるとは・・・」
魔王でさえ深く感心する技術にシャヤもただ頷くしかない。そして悪感情以外を食したのが2人しかいないという事もあり、仕訳も引き続き彼が任される事となったのだがこれがまた困難を極めた。
味は問題ない。これは魔王も認めているので苦情が出る事はないだろう。しかし問題は『喜』と『楽』寄りの宝玉だ。これらは腹こそ満たされるが賛否の別れる味なのだ。
やはり『悪魔族』は悪感情が最も体に馴染むのだと改めて認識すると同時にこれをどう配給すべきか。
悩みに悩んだ挙句、彼は同族の中でも温和な仲間達には多めに配分して粗暴な仲間には少なめという基準を設けると魔王の宣言があったお蔭か初日は何事もなく幕を閉じる。
しかし三日目になるとやはり粗暴な同族が自身の住居にやってきて不満を漏らし始めたのだ。
「シャヤよ。この白色の塊はあまり美味くない。わしにはこっちの黒いやつを多めに配ってもらえぬか?」
牛の頭と巨体、そしてそれらに見合わぬ小さな黒い翼を持つ『悪魔族』が隠すことなく本音を吐露してくるとこちらも許可を得ていた文言でさらりと返す。
「バカラよ。これはフロウ様のご命令なのだ。文句があるのなら他の色だけを抜いた量になるが構わないか?」
「むむむ・・・そ、それは困る。」
「だったら選り好みせずに食べるのだ。きちんと腹は膨れているだろう?」
バカラはあまり頭の回転が良くないのでそう告げると満腹感を優先したのか、渋々と帰っていったがこれはシャヤも望むところではない。
出来れば皆が思う存分悪感情を摂取できた方がいいに決まっている。だが魔王がヴァッツという存在をやけに警戒してしまったせいで直接人間を襲う事を禁止されたのだからどうしようもないのだ。
(・・・確かに不思議な奴ではあったな。)
思い返せば初対面時から人間の挨拶である握手を求めてきたし魔王だろうと誰だろうと臆することなく同じように接していた。
本来であれば『悪魔』というのは人間から恐れ、忌み嫌われてこそ存在価値と力が得られるというのに奴はそのような素振りを微塵も見せない。
(魔王様ですら戦う事を本能から拒絶されていたのだから・・・今度会う時は握手くらい交わしておいた方がいいのかもしれないな。)
体が蝙蝠に近いシャヤは自宅として使っている洞穴の天井から逆さまにぶら下がった状態で考えを改めつつその日を終えたのだが翌朝、件の人物が他の面々を引き連れて悪魔城にやってくると『悪魔』達が俄かに騒ぎ始めるのだった。
「よくこの場所がわかったな。」
「そりゃ目立つからね。それにしてもこの城壁とかって自分達で削ったの?凄く趣があっていいね!」
まずはこの世界の魔王であるバーンがフロウと軽く言葉を交わして挨拶すると次に声を発したのはやはりヴァッツだ。
「こんにちは!前は自己紹介出来てなかったからまずはそこからだね!オレヴァッツ!よろしくね!」
あの時と同じように無警戒に右手を差し出す姿を見て悪魔王はどう対応するのか。少し遠い距離で待機していたシャヤも興味深そうに窺っていると彼を人間と捉えていないフロウは迷わずその手を握り返す。
「うむ。私は『悪魔族』の魔王フロウだ。しかし突然だな。まさか我が国を支配下にでも置くつもりか?それとも殺戮しにでも来たのか?」
「何でそんな発想になるの?!」
それにしても不思議な少年だ。何故魔王達が恐れる程の強さを内包しているにも関わらずそれを行使しないのだろう。もし彼が本当に人間ならその敵と成り得る『悪魔族』など全滅させればいい。シャヤはそう考えずにはいられなかった。
「フロウ様、大変お待たせ致しました。まずは突然の来訪お許しください。実は先日大量の悪感情を入手致しましたので献上に参った次第でして。」
「ほほう?それは助かるな。是非見せて貰おう。」
それからウォダーフの話を聞くと魔王を含めて全員が納得と期待を胸に抱いた。シャヤを始め、人間でいう衛兵の『悪魔』達も喜びを隠そうともせずに動向をじっと見つめている。そう。皆が注目していたのだ。
「それじゃ、はい、どうぞ!」
なのに何が起きたのか誰にも理解出来なかった。辛うじてわかったのは広い玉座の間の中央にバカラが数十体入る程大きな木箱が突然現れたのと、中には溢れんばかりの宝玉がぎっしりと詰まっている事だけだった。
「おおお!こ、これは・・・いや、本当に助かる。改めて礼を言おう。」
珍しくフロウが感嘆の声を漏らすと『悪魔』達もつい喜びの大歓声を上げていたが今回ばかりは仕方がないだろう。
例え種族が違えども食事を摂るという本能には誰も抗えないのだから。
「お喜びの所失礼します。ご挨拶が遅れましたが私、人間の国『トリスト』の左宰相を務めるショウ=バイエルハートと申します。今回の食料供給の件ですが、こちらは引き続き人間を襲わないという条件で正式に契約を交わしたいと考えております。如何でしょう?」
それから後方にいた赤毛の少年が静かに前に出て来て名乗りを上げると簡潔に人間側の要望を伝えてくる。どうやら今回の来訪はそれが目的らしい。
「うむ。これだけの量があればしばらく食うには困るまい。よかろう。契約を認める。」
魔王も深く頷いて即決すると後は証書を頂きたいという話になったので彼らは魔王の部屋へ案内された。
そこに付き従ったシャヤも初めて知ったのだが人間とはこういう場合、口約束ではなくしっかりと文字で表記した物をお互いが所持し合う事で契約をより強固なものにするらしい。
「文字か。あまり使った事は無いが・・・」
「でしたら私がご説明致しましょう。」
「・・・いや、必要ない。ふむふむ、人間がもし私達を襲ってきた場合には防衛手段を取る旨もしっかり認められているな。よかろう。」
普段は食事以外で使う事のなかった石造りの机に並べられた書面を見てフロウはいち早く理解したようだ。これには人間達も目を丸くしていたようだがそれはシャヤも同じだった。
今までも人間の文化などに全く興味がなく、ただ恐怖と憎悪を生み落として食すだけの家畜としか認識していなかったはずなのに何故魔王は彼らの用意した書面を読み解く事が出来たのだろう?
とても不思議ではあったが答えは皆目見当がつかず、また深く考える必要もないだろうと諦めた頃にお互いが名前をしっかり書き記すとそこで契約は締結された。
(恐らくこれも魔王様の御力なのだろう。)
何よりシャヤもやっと悪感情を心置きなく食べられる喜びに胸が一杯なのだ。厳密には他の感情でも十分腹を満たせてはいたのだがやはり好物に勝るものはない。
「それじゃお堅い話は終わりにして、乾杯しようか!」
最後に証書を大切に保管するよう伝えられると彼らもすぐ帰国するのかと思っていたがこちらの世界の魔王バーンが何やら得意げに瓶と硝子で出来た杯を取り出す。
「乾杯?」
「そう!こっちの世界じゃ目出度い事があった時にはお祝いするんだよ!これ、僕の『魔界』で一番おいしいお酒なんだ。フロウ、一杯どう?」
「ふむ、そういう事なら頂こう。」
基本的に『悪魔族』は人間以外の文化にとても寛容なのだ。だからシャヤもラルヴォを引き込もうとしたし鳥人族のウォダーフが取り出した怪しげな宝玉も疑いなく口に出来た。
しかしお酒とは何だろう?フロウも全く疑う様子を見せずにバーンの真似をしてそれを軽く掲げると2人の魔王は杯を軽く当ててからお互いが飲みあう。
「・・・ふむ。血とはまた別の味がするな。バーンの『魔界』では普段からこれを食しているのか?」
「まぁね。これは希少品だから滅多に開けないけんだど今回ばかりは特別さ。後は料理とかもあるんだよ。良ければ今度持って来るよ。」
この時もフロウが忌避感を現さなかったのはそれらが『魔族』が持ってきたものだからだ。もしこれが人間の作った酒であれば絶対に口には含まなかっただろう。
「それでは今回はこれでお暇致しましょう。」
どうやら乾杯というのは儀式的な意味も含まれていたらしい。2人の魔王だけが飲み終えるとショウという赤毛の少年が深々と一礼した後、全員がその場で姿を消し去った。
「・・・本当に不思議な世界だ。」
石造りの机に残ったお酒と杯を眺めつつ呟いた内容にはシャヤも心の中で深く頷く。
とにかくその夜は久しぶりに『悪魔』達全員がたらふく悪感情を食らい続けるとフロウも同族の喜ぶ姿にとても気分を良くしていたのか、バーンの残していったお酒とやらを喉に流し込みながら笑みを浮かべていた。
彼らが短期間で大量の宝玉を集めて来た事に驚愕すべきか、それともあの程度の量ならばたいした苦労もせず確保し続けられると受け取るべきか。
翌日シャヤはそんな事を考えながら仕分け作業を行っているとその中にある悪感情以外の宝玉を目にしてその手を止めた。
(・・・捨てるのは勿体ないな。)
短い間だが自身も腹を満たす為に食していたし、味はともかく非常食くらいにはなるはずだ。そう思って他の箱に仕舞うと残る悪感情を大きさで分けていく。
後は魔王の指示に従いどれくらいの量で分配するかを決定すれば暫くは安寧の日々を迎えられるだろう。
「安寧・・・安寧か・・・。」
この世界に来るまで自分達は食事の度に人間を襲っていた。もしくは生贄を用意させてそれを食べていた。
どちらの方法でも恐怖や苦痛、悲哀に絶望といった悪感情を多分に摂取出来たが同時に不覚を取る事があったのも間違いない。
武器という道具でこちらを襲ってきたり毒と呼ばれる物質を自身の体に塗りこんでいたりと『悪魔』では想像がつかない様々な手段はこちらを大いに驚かせた。
故に反撃される恐れも怪我を負う心配もせずに食事を摂れるというのは初めての経験だったのだ。そう考えると彼らと契約を交わした魔王の英断には深く感嘆するしかない。
「フロウ様、宝玉の仕分けが完了いたしました。」
しかしこの先戦わずとも食料が手に入るのであれば自分達はどう過ごしていけばいいのだろう。シャヤはこうして仕事を与えてもらっているが直接人間を襲っていた同族達はただ与えられる宝玉を食すだけで日々を過ごすつもりだろうか。
ぼんやりとそんな事を考えながら魔王に報告すると彼もこちらを振り向いて浅く頷いた・・・のだがその手にあった杯と小さな白色の宝玉を見て少し驚く。
「うむ。ご苦労だったな。では今夜から分量はそのままに悪感情の宝玉を配ってやってくれ。」
「は、はい。と、ところでフロウ様、その手にされているのは・・・?」
「ああ、これか。バーンの置いていった酒というやつだな。」
違う、そっちではない。シャヤが気になるのは善感情とも呼ぶべき明るい色の宝玉だ。何故魔王がそれを手にしているのだろう。悪感情がしこたま手に入った今それを口にする必要は無い筈なのに。
再び尋ねるべきか。少し思案したシャヤだったが答えを聞くまでも無くフロウは杯の酒を少し喉に落とし込んだ後迷わず小さな宝玉を口に放り込んだのだ。
「フ、フロウ様、もうそれを食されなくとも悪感情の在庫は十分に確保できております。」
もしかして遠慮されているのか?彼は『悪魔族』の中でも群を抜いて強力な力を持っているだけでなく同族達には公平に慈悲を与えるからこそ皆から敬われてその座に収まっている。
なので率先してこれから余り物扱いされていくであろう異色の宝玉を無理に食しているのではないだろうか。そういった不安と申し訳ない気持ちから発言したのだがこれはシャヤの思い違いだったらしい。
「ああ、わかっている。だが不思議なのだ。この酒という液体と白色の宝玉を一緒に食すと妙に美味く感じてしまってな。少し癖になっている。」
「は、はぁ。」
あれを美味いと感じて楽しんでいるのならこちらも無理に止める訳にもいかない。それにいつもより上機嫌な雰囲気を感じたのだから尚更だ。
そもそも人を襲って直接食する手段しか知らなかった『悪魔』達に酔う機会などなかった。それが今別世界の新たな食文化が流入する事で僅かに変化が生じ始めていたのだ。
もちろん酔うという概念すら知らないのでフロウもシャヤも気が付く事なく宝玉や酒を摂取し続ける。
そして週に一度バーンが『魔界』から不思議な食べ物を、ウォダーフがヴァッツと一緒に手に入れた宝玉を持ち込むようになってから一か月程が経つとフロウは疑問と苦悩に苛まれるようになっていた。
「バーンよ。私達は何の為に存在しているのだろう?」
何かを考え込む時間が増えていたのはシャヤも知っていた。しかしその悩みを同族ではなく別世界の種族達に打ち明けたのだから驚かずにはいられない。
「何々?一体どうしたの?」
「うむ。この世界にやってきて以降『悪魔族』は人間を襲わずとも腹を満たす事が出来ている。しかしそれだけだ。それだけなのだ。」
すっかり気に入った酒を酌み交わすフロウは最近それを摂取し過ぎな事も自覚せずに告げると同席していたウォダーフとヴァッツも顔を見合わせている。
だがその気持ちはシャヤも深く理解出来た。
今までは生きる為に人間を狩って暮らしていたのにそれを禁止され、宝玉という餌だけを与えられて生きる日々。
どうやら唯一の存在意義、本能とも呼べる行動を制限される事に大きな疑問を抱いているらしい。人間が家畜を育てるかのような今の生活に。
「じゃあ何かすればいいじゃない?」
「何をすればいいのだ?私達は食事を得る為に人間を狩り続けた。しかしそれ以外にはやる事がないのだ・・・いや、知らないというべきか。」
バーンが軽く答えると想像以上に重い答えが返って来たので驚いたのだろう。一瞬その様子を見せるが今まで見た事が無い真剣な表情になると『魔族』の王は自論を展開し始める。
「僕も元々戦うしか能のない種族だったからね。それが嫌で『魔族』に変化する術を造りだしたんだけどそれからは戦い以外に挑戦したよ。それこそ人間の社会を真似してね。」
「人間は私達からすれば餌に過ぎん・・・それを真似るなど同族が許す筈もないだろう。ヴァッツよ、獣も生きていく為に獲物を狩るだろう?人間だって生きていく為に動物を狩るはずだ。なのに『悪魔』が生きていく為に人間を狩るのはそれほどいけない事なのだろうか?」
確かに今の生活は何一つ不自由がない。そしてそれこそが不自由の極みなのだと悟ったフロウは尋ねずにはいられなかったのだ。
自分達の価値観を簡単に崩す訳にもいかず、正に八方塞がりといった『悪魔族』の王は真剣にヴァッツを見つめるが彼も腕を組んで軽く考え込んだ後すぐに答えを出してくる。
「う~ん。でもフロウ達の人間を食べる目的って他の生物と違い過ぎるんだよね。」
これは悪感情の事を言っているのだろう。確かに『悪魔族』は人間を大いに恐怖、憎悪、絶望に追い込んでから食すことが多いのだがこれは狩る側と狩られる側、つまり立場や摂理上仕方のない事なのだ。
「じゃあヴァッツの力で『悪魔族』達が悪感情を食べる能力を取っ払っちゃえば?それなら人間を速やかに食べるだけだし妙な感情が生まれるのも最小限に抑えられるんじゃない?」
「待て。それでは私達の存在が否定されたも同じではないか。能力を喪失させる事が可能だとも思いたくはないがあまりにも一方的過ぎる。今までの宝玉もそうだ。違うか?」
「う、う~ん・・・そ、そうだよね・・・む、難しいなぁ・・・」
彼が未だに強大な力を保有しているとは信じていなかったがフロウはそこを踏まえて力ではなく言葉で訴える事を選ぶ。正論を前にヴァッツも悩ましい顔でうんうんと唸っているがここに助け舟を出したのは今までほとんど口を挟んだことのないウォダーフだった。
「フロウ様、『悪魔族』が本能的に悪感情を必要とする、それを食す理由はわかります。しかし感情とは簡単に争いを生んでしまうのもまた事実なのです。」
鳥頭の嘴が器用に言葉を並べると同席していた3人もそちらに注目する。
「それと私達の行動に何の関係があるのだ?」
「はい。『悪魔族』の方々が悪感情を産み落とし続ければ知恵を持つ人間達は必ず反撃や対策を考える筈です。ヴァッツ様はそこをご心配されているのではないかと。」
「そ、そうそう!そういう事が言いたかったんだよ!!」
「私達も自身の身を危険に晒す事くらい承知している。だがそれでも満足のいく食事を得る為には己の力で狩る、つまり勝ち得る必要があるのだ。」
魔王の発言にはシャヤも目から鱗が落ちる思いだった。そうだ、自分達は人間から忌避され、恐れられる『悪魔』なのだからその行動を否定される事は生きた屍と化すに等しいのだ。
今からでも遅くはない。人間達を襲う生活に戻すべきだろう。そして恐怖と憎悪を生み出しながら奴らを支配する。それこそが『悪魔族』という種族なのだから。
「う、う~ん・・・困ったなぁ・・・そうなってくるとオレがフロウ達を止めなきゃいけないし、結局無理矢理力を奪う形になっちゃうよ?」
それにしてもヴァッツは『悪魔族』を全く恐れないどころかこちらをけん制しているのか本当に可能なのか、妙な事を口走っているがフロウはどう答えるつもりだろう。
「それでも良い。悪感情だけを貪る毎日を送る位なら私は戦って散る事を選ぼう。」
「フロウ様、でしたら私も是非。」
魔王の覚悟を聞いたシャヤは自然と前に進み出るとその場で跪く。するとヴァッツは困惑から他の2人に助けを求めたがその声に誰よりも早く応えたのはもう1人の破格の存在だった。
【ヴァッツよ。『悪魔族』とは人間の悪感情から生まれた存在だ。故に人間を襲うのも畏怖されるのも全てが道理の範疇なのだ。】
「ど、どういう事?」
【つまり彼らが存在するには人間を襲い続けなければならないという事だ。フロウは精神状態から察しているようだがこのままだと『悪魔族』が消滅していくのは間違いないだろう。】
自分達ですら知らない『悪魔族』についてここまで言い切る『闇を統べる者』というのは何者なのだ?しかも話を信じるなら死ぬのではなく消滅してしまうのだという。
「・・・消滅か。だったら猶更戦うしかあるまい。ヴァッツよ、お前から感じていた破格の力、是非見せてもらうぞ?!」
「えーーー?!オレは嫌だね!!『ヤミヲ』!!他に何か方法は無いの?!」
【ない事は無い。一番簡単なのは『悪魔族』を元にいた世界へ帰す事だな。】
その提案なら願ったり叶ったりだ。今すぐ元の世界に帰って一杯人間を殺して回ろう。シャヤもそれしかないといった様子でフロウに力強く頷くが魔王は逆に渋い表情を浮かべている。
「・・・『悪魔族』が生存するには人間を殺して食す必要があり、それをヴァッツが邪魔するのであればお互いが死ぬまで戦う。私はそれで良いと思う。」
「「何で?!」ですか?!」
そして出て来た答えにはヴァッツと声を重ねてしまう程同時に驚いてしまった。
「戻った所で人間を殺して回り、食すだけの日々だからな。元の世界では我々に歯向かえる力を持つ者などいなかった。」
確かに以前の世界では人間の国を尽く手中に収めていたし時折大きな反抗戦が起こりはしたものの『悪魔族』が負ける事など無かった。
「宝玉を食す日々も元の世界に戻って人間を殺す日々も退屈には変わらぬ。ならば私は一度本気で戦ってみたいのだ。さぁヴァッツよ、私の全てを試させてくれ。」
結局のところ『悪魔族』が出来る事といえば戦いしかない。憎悪や恐怖などはその副産物であり腹を満たすのと存在を繋いできたのは結果に過ぎなかった訳だ。
「・・・僕からもお願いしていい?」
「バーンもそんな事言っちゃうの?!」
今までの話しぶりだと『魔族』も戦いが嫌で『天界』から逃げて来ていたはずなので彼が背中を押してくれるのは意外だったがこれにはきちんとした理由があるらしい。
「ヴァッツ、戦いしか知らない者が他に目を向けるには何かきっかけが必要なんだよ。僕だってセイラムがいたから『魔族』への道が開けたんだ。だからフロウにもそれを教えてあげて欲しい。」
「・・・う、う~ん・・・わかった。でもオレからは攻撃しないよ?」
懐の深い魔王バーンの気配りにシャヤも心を打たれたが対してヴァッツは攻撃をしないと宣言してくる。
「・・・では攻撃させるまでだ。」
早速5人は城外の少し開けた場所に移動するとたたかいは突然始まった。
まずはフロウが右前足から渾身の一撃を放つと周辺の木々や大地が文字通り爪痕のように抉り取られる。そんな想像をしたシャヤだったが我らの魔王が放った攻撃はヴァッツの左手の人差し指と親指だけで受け止められていた。
恐らく自分達の知らない術を使われたのだろう。それはフロウも感じ取ったのか今度はその大きな顎を開いて喉元、いや、口の大きさから頭ごと嚙みついたがヴァッツの方は微動だにしない。
「・・・本当に攻撃しないんだ・・・」
一方的な攻勢を隣で見ていたバーンは若干引き気味で声を漏らしていたがヴァッツは首に牙が突き刺さっているのも気にせず顔を横に向けて軽く答える。
「うん。だってこれがオレの戦い方だから。」
どうやら牙は薄皮にすら届いていないらしい。血の一滴どころか締め上げる事すら出来ていない様子から顎を引いたフロウは思い切り吠えるとその犬獣の体が3倍程に膨れ上がっていく。
シャヤですら見た事の無い姿と遠吠えには少し離れた悪魔城の仲間達も気が付いたのか。自分達の王が今、本気の本気で戦っているのだとわかると全員が急いで集まって来る。
だがフロウも必死なので周囲の目など気にする様子もなく今度はその巨体を生かして再び右前足を叩きつける様に放った。その威力は大地を陥没させるに十分であったはずだがそれも人差し指だけで止められた。
見た目は見慣れた人間の形をしているなのに一体奴は何者なのだ?
やっと畏怖を覚えだした同族達も唖然としていたが悪魔王には最後の攻撃が残っていた。少し後ろに飛び退くと大きく口を開けるという行動から再び噛みつくのかと思ったがそうではない。喉元に青い光が見えた瞬間、それが光の波動となって一気に放出されたのだ。
もし相手がヴァッツでなければその一撃は大地を溶かし、小さな都市や国家なら一瞬で灰燼と帰していただろう。
少なくとも『悪魔族』皆がそれだけの力を感じたのだがその強大な光の攻撃は周囲を焼き尽くす事はなく、ヴァッツが掲げていた左手の平に吸い込まれるように消えるとフロウも体を元の大きさに戻すのだった。
「・・・恐ろしいな。まさか微動だにしないとは。」
「フロウもね。でもこの力を人間に向けちゃ駄目だよ?皆死んじゃうから。」
という事はやはり彼は人間ではないのだろう。『悪魔族』の王が全力で攻撃していたのに苦戦どころか余裕を感じる防ぎ方で全て凌いだのだから異常という他ない。
「いや、まぁフロウは強いよ。ちょっと相手が悪すぎただけで、うん。」
ヴァッツの隣にいたバーンも励ます様な言葉を送っていたが彼もまた全くの無傷で微動だにしなかった。という事は周囲への被害すら無力化しながら受け切ったのか。
【さて、これで満足しただろう。後は『悪魔族』存続の為に元の世界へ送り届けて終わりだ。】
「・・・いいや、私は帰らない。」
「「えっ?!」」
ここでもまたヴァッツと同じ声を上げてしまったシャヤだったが今回は気にしていられない。
「な、何故です?!ここに居ても我らは消滅を待つのみです!!そ、それでしたら我らの故郷とも呼べる世界に帰って今まで通り過ごした方が・・・」
「言ったであろう。あそこには敵が、強敵がいなかった。こちらでは人間を食えないが少なくともバーンやヴァッツという強者がいる。同じ退屈な日々を送るのならば私はこの世界で過ごしたい。」
力を全て使い切って大層満足したのか、フロウの顔には笑顔さえ浮かんでいたがそうなると消滅は免れない。だが『悪魔族』の王が敬う世界を選ぶのであればそれに従うのもまた臣下の務めなのだろう。
「でもそうなると『悪魔族』が消滅しちゃうんでしょ?折角仲良くなれたのにそれは嫌だな。ね?ヴァッツ?」
「そうだね・・・だったらせめて消えなくなるようにするくらいは・・・駄目?」
「駄目だ。私達にも『悪魔』の誇りがある。」
この発言で『悪魔族』の宿命は定まった。バーンも少しがっかりしているがこちらも別の種族とここまで深く関わったのも初めての出来事だったのだ。
そう考えると少し寂しさが込み上げてくるのはシャヤが弱いからだろう。
ならば今後は消滅するまでもう少しヴァッツに敬意を払おう。そう密かに誓っていると再び地の底から響いてくるような声が口を挟んできた。
【やれやれ。『悪魔族』とは中々に頑固だな。だったら世界中の憎悪と恐怖を集めれば良い。そうすれば消滅する事は無いだろう。】
それは十分承知している。だがその手段を禁止されているからこそ消滅を待たねばならないというのにこの存在は何を言っているのだろう?
「そんな事出来るの?」
【簡単だ。『悪魔族』と悪魔城の存在を世界に広く喧伝するだけで良い。幸いこの世界には『セイラム教』と『バーン教』の教えが広まっており、教典には悪魔らしき存在も書かれているからな。】
「・・・なるほど!つまりそれは架空の存在じゃなくて本当にいるんだって言いふらせばいい訳だ。」
【うむ。人とは都合の悪い事を別の物に押し付けたがる。後はショウにでも相談すれば最も効率の良い手段が取れるだろう。】
「しかし私達は無為に時間を過ごすつもりもない。消える前に全力で戦う夢も叶ったのだ。このまま余生を過ごすのも・・・」
「フロウ!それは視野が狭いよ!同族皆が消滅を望んでる訳じゃないでしょ?!」
やはり異種同族である『魔族』の王が対等な立場で意見してくれるのはとても大きい。この説得はフロウも思う所があったのか、いつの間にか集まってきていた同族達を見回すと少し落ち着いたようだ。
「・・・かといって人間の真似をするつもりはないぞ?」
「・・・じゃあ人間以外なら真似してもいいんだよね?」
そこにヴァッツが何か思いついたのか、不思議そうな表情で尋ねるとフロウも何となく頷く。すると彼は満面の笑みを浮かべると早速旅に行こうと言い出したので周囲は困惑するしかなかった。
「初めまして。僕は『アデルハイド』の王子クレイス=アデルハイドと申します。」
旅の当日、ヴァッツとバーンにハルカ、後は彼の親友である少年と虎人族のラルヴォが馬車に乗って悪魔城にやってくるとシャヤも違和感を覚えた。
「・・・うむ。私は『悪魔族』を率いる魔王フロウだ。しかしヴァッツの友と聞いていたがなるほど。君もただの人間ではないな?」
「そうだよ~。彼は僕の同族がちょっといたずらしちゃってね。下手な『魔族』より魔力を保有してて強大な魔術も使うんだ。」
故にフロウも迷う事無く挨拶を交わしたのだろう。『魔族』のいたずらというのも気になるが少年から感じる力は確かにバーンと類似している。
「それにラルヴォだったか。君は『暗闇夜天』の里を護る使命があるのではないか?旅などに出て大丈夫なのか?」
「ああ。ハルカが獅子族には是非会っておくべきだと強く勧めてきたのでな。私自身も少し興味があったので今回は彼女の意向に甘んじる事にした。」
「うっふっふ~。ファヌルにもラルヴォの姿を見せて驚かせてあげたいし、その瞬間をこの眼に収めたいからね!楽しみだわ~!」
しかし移動など空を飛べば時間も手間も短縮出来るのに何故わざわざ陸路を進まねばならぬのか。ヴァッツの強い要望があったとはいえここは妥協すべきではなかったのではないか。
『悪魔族』の、自身の新たな価値観と存在意義を一刻も早く見つけたいシャヤは若干の不満を芽生えさせていたが悪魔王の決定なので逆らう訳にもいかない。
「さぁ!それじゃ出発しよう!」
こうして3台の馬車は南へ向けて出発したのだがすぐに問題が浮上する。それが道だ。
そもそも悪魔城に外部の存在がやってくる事などほとんどなかった。来たとしても空を飛べる者や木々のように巨大な存在だったので道を敷く必要が無かったのだ。
となるとバーン達はどうやって小さな馬車でここまで来たのだろう。御者席で初めて手綱を握ったシャヤは馬をどう歩かせるのか、歩いてくれるのか少し悩むと目の前の雑木林がまるで生き物のように左右へ移動したので大いに驚いた。
「ほう?これがバーンの『魔術』か。」
「うん。こう見えて一応魔王だからね。何でも出来るんだよ?」
人間を襲う事に特化している『悪魔族』では想像すらつかなかった力を見てやっとフロウが敬意を示す理由を深く理解する。どうやらこの世界の存在は侮れないものが多いらしい。
「さて、折角の旅だしまずは『悪魔族』について色々聞きたいな。『ヤミヲ』が人間の悪感情から生まれたって言ってたけど一体どんな仕組みなの?」
それから暫く進むと馬車の中からそのような声が聞こえてきたので御者席に座るシャヤも素知らぬ顔で聞き耳を立ててしまう。これは自身もいつの間にか自我を持って生まれていた為、詳しい事を知らない為だ。
「それなら私はまずこの世界に住むお前達の話を詳しく聞きたいぞ。人間を狩る事を禁止されているので満足に周辺の探索もしていないのだからな。」
この正論には同じく別世界からやってきたラルヴォも深く頷いていたのでまずは言い出したバーンが自身の生い立ちから今までの出来事を簡潔に話し始める。
何でも元々『天族』という種族だったらしく毎日同族と戦わねばならないある種の呪いをかけられていた事。
そんな日々にうんざりしていた彼はある日『天界』という自分の世界から下界へ降りると更に地下へ潜って戦いから逃げたのが始まりだそうだ。
そこで内包している力を独自に研究して『魔力』へ変換、見た目も『天族』とは少し違う様に手を加えて今に至るらしい。
「ふむ、流石は『魔界』の王だ。しかし戦う事をそれ程忌避するとは。食事を摂らずに生きていけるのも不思議だな?」
「あ~そこね。『天族』時代は日を跨げば怪我や空腹が全て回復してたから食べるっていう概念すらなかったんだよ。」
これにはシャヤも感嘆の声を漏らしそうになったがそれはラルヴォが唸るような声でかき消してくれる。
「そのような存在がいるのか・・・食事とは生きていく上で必ず必要だと思っていたが。」
「必要だよ?でもそれをさせなかったんだよ。『天族』を作り出した『神』って人達がいてさ・・・ああ、実は今から会いに行くのがその1人なんだよ。」
次にヴァッツがその存在を説明し始めるとやっと旅の目的が垣間見えた。どうやら彼は人間以外の存在がどのように暮らしているのかを見てもらいたいらしい。
「『神』とはまた大きく出たな。確か人間が権力を掴む為に作り出した妄想の事だろう?」
フロウはそう言って鼻で笑っていたのだが同じ『神』として崇められているバーンは失笑気味に口を噤むしかなかった。
「おお!クレイス!よく来てくれたな!」
「傷もすっかり治ったようだな!よかったよかった!」
「ゆっくりしていくといい!しかし今日はまた不思議な奴らが多いな?!」
話の流れから『神』のいる国を訪れるのかと思っていたが最初に辿り着いたのは人間を倍以上に大きくした青黒い肌を持つ種族の集落だった。
「ふむ。人間ではないようだが不思議な存在だな。私は『悪魔族』のフロウだ。」
「ほ~う?わしらは『巨人族』と呼ばれている。まぁ細かい事は気にせずゆっくりしていってくれ!」
彼らはクレイスと懇意の間柄なのか、とても気さくに挨拶を交わすと『悪魔族』達も温かく迎え入れてくれる。
こちらとしても住居や身に纏う衣服が人間と違って洗練されていなかったので親近感を覚えていると『巨人族』はすぐに鹿の肉と酒を用意してくれた。
そして中央には大火が焚かれて各々が最近の出来事、クレイスがこの村にやって来た事等の話で盛り上がっている。この時シャヤも初めて酒というものを口にしたのだが妙な味にただただ戸惑うばかりだ。
「あれ?!この味は・・・」
「お?気が付いたか?お前の作ってくれた方法を真似てみたんだよ!おかげでわしらもこの味付けに慣れてしまってなぁ!がはははは!」
集落の長であるイムとクレイスのやり取りから察するに料理の方は純粋な『巨人族』のものではないらしい。しかし感情の宝玉とは違う味と鹿とはいえ久しぶりに食べる肉はとても美味いと感じてしまった。
(・・・『悪魔族』としてこれは正しいのか?確かに『巨人族』は人間ではない。ならばここは妙な考えを捨てて純粋に楽しむべきか?)
若干の苦悩を挟みつつ酒の効果でそれも薄れていくとシャヤもいつの間にか見聞のやり取りで交流を深め、気が付けば朝日の眩しさで目を覚ましていた。
昨夜はフロウも『巨人族』の経験談や現在の状況を聞いて十分な感心と満足を得られたらしい。特に人間と取引をする為に大木や大鹿の素材を集めているという話には何度も頷いていた。
翌朝出立する時は彼らの作った酒を少し分けてもらうと上機嫌で別れの挨拶を交わして馬車に乗り込む。
「フロウ。『悪魔族』でも『巨人族』でも色んなやつがいる。それは人間も同じだ。憎しみを生まなきゃ消えちまうってのは寂しいが無理に暴虐を働くのは止めた方がいいぞ。」
「ああ。それはわかっている。」
イムという巨人にそう告げられるとフロウは短く答えていたが昨夜の宴で二日酔い気味のシャヤも気が付いた点がある。それが人間の生態について何も知らない事だ。
彼らが何故国を作るのか、何故食べ物をそのまま食さずに調理するのか、何故妙な布切れを身に纏っているのか等々、真似をするつもりがない以前に知識がなにもなかったし興味も無かった。
「それじゃ今度は『モ=カ=ダス』へ行こう!」
ヴァッツの合図で山を下るように馬車を南へ走らせ始めると『悪魔族』の魔王も視野が広くなっていくのを感じていたらしい。
「・・・そういえば何故人間は布切れを身に纏っているのだ?」
「ああ。それは君達みたいな被毛がないからだよ。寒さにも暑さにも弱いからね。」
彼らからすれば当然だと思える行動にもこちらからすれば答えを聞いてもぴんとこない事がある。特にシャヤの体は密度の薄い短めの被毛で覆われているので彼らの言い分から考えると何かで覆うべきという結論になりそうだがそれだけではないらしい。
「私も人間と関りを持つようになってから腰巻くらいは身に着ける様にしている。ルアトファが言うにはそれが常識というものだそうだ。」
「お~それでラルヴォは割と人間っぽさを感じるのね。ルアトファって良い娘じゃない!」
ハルカとラルヴォの話を聞いてもどこに良い要素があるのか全く分からなかったがフロウは何かを感じ取ったのか、御者席に座るシャヤには見えない所で軽く頷いていた。
「クレイスよ。今夜は君の作った料理とやらを頂けないだろうか?」
『巨人族』の集落を出た日の夜、野宿の準備をする中フロウがそんな事を口走っていたのでシャヤも驚かずにはいられない。
「はい!喜んで!」
だが彼は『魔族』に近い存在なのだから興味半分に何を食べているのかが気になった可能性もある。そう思いたかったが夕食時に慣れない匙でクレイスの料理を口に運んだフロウは目に見えて驚愕した後、器まで飲み込む勢いでそれを喉に流し込んでいた。
「ふぅ・・・なるほど。これが『魔族』の味か。酒は十分堪能していたが料理も美味いな。」
「いや、クレイスの作る料理は別格だよ?『魔界』でも彼の腕に勝る料理人はいないし、ね?」
それを聞いたシャヤもほっと胸をなでおろした。そうだ、彼が人間の食べ物などを口にするはずがないのだ。
「・・・なるほど。これは『魔族』らしいお味ですな。」
だから自分も全く疑う事無くそれを口にしてしまった。シャヤは器用に匙を使って蕩けるような柔らかい肉と感じた事の無い味を堪能しているといつの間にか器が空っぽになっている。
そして静かにおかわりを注いでくれたクレイスを見て計り知れない不安の正体にやっと気が付いたのだ。
「うう~む。バーンよ、クレイスを我が城で預かる事は出来ないだろうか?」
「それは駄目だよ。彼は一応人間だし次期国王だからね。」
人間という言葉に2人の『悪魔族』がはっと我に返るもシャヤは2杯を、フロウも4杯を既に完食してしまっている。
「あ、心配なさらないで下さい。これは『魔界』でもよく食されている料理なのです。僕の魔力もふんだんに込められていますから人間の食事ではありません。」
しかし彼の説明を聞いて安心すると以降は深く考えないようになった。そうだ、この旅の面々で真っ当な人間なのはハルカ1人しかいない。
であれば道中の食事は彼が作る限り何の心配もないだろう。自分達『悪魔族』がまさか人間の料理などを食べる訳にはいかないのだから。
こうして朝と夜の食事に密かな楽しみを覚え始めた『悪魔族』の2人だったがいよいよ元『神』の住む国へ入ると流石に周囲の視線が集まり始める。
「ほう?これは悪くないな・・・」
それもそのはず、馬車の中には狼か犬のような顔を持つフロウに『虎人族』のラルヴォ、御者席には蝙蝠のようなシャヤが座っているのだから否が応でも目立つのだ。
魔王の機嫌が良かったのも直接悪感情を一身に受けることが出来たからだろう。この国も別世界から来たと伝えられていたがはやり亜人種というのは人間には受け入れられない存在らしい。
「ようこそお越しくださいました。」
それでも女王であり元『神』であるイェ=イレィは自ら出迎えると同時に跪いて深々と頭を下げていた。これは彼女がヴァッツに赦された大恩があるからだという。
「こんにちはイェ=イレィ!ところでどう?『モ=カ=ダス』は平和な国になった?」
「はい!国民も私もヴァッツ様に日々祈りを捧げて暮らしております!」
ちぐはぐなやり取りに若干の違和感を覚えたもののそれ以上にイェ=イレィは彼の力を深く理解しているのか。有り余る敬意は傍から見ていても十分に伝わって来る。
「それにしても『悪魔』や『獣人』がご一緒とは。今回来国された目的は・・・わかりました!『モ=カ=ダス』で見せしめの公開処刑を考えていらっしゃるのですね?!」
「違うよ?!何でそうなるの?!」
更にこちらの正体をさらりと言い当てたのにも驚いた。その辺りも元『神』としての力によるものなのだろうがヴァッツは相変わらず『悪魔族』である自分達を庇護するような言動を取っている。
「まぁまぁ。イェ=イレィだっけ?君には僕からも色々聞きたいことがあるんだ。とにかく一度城内に入ろうよ。」
最後はバーンが話をまとめたのだが彼も元『天族』であり『神』に作られ操られてきた存在だ。その辺りの事情を知ってか知らずかイェ=イレィは不思議そうな表情を浮かべながら一行を案内する。
そして装飾が施された豪奢ともいえる部屋で小さすぎる椅子に腰をかけると早速ヴァッツがこれまでの経緯を説明し始めるのだった。
「えっとね。今回ここに来たのはイェ=イレィが普段どんな感じで生活してるのかを教えて欲しいからなんだ。」
「えっ?!そ、それはつまり私と一緒に暮らしたい、私を娶ってくださる?!そ、そういった意味で間違いありませんか?!」
「間違いだと思うよ~?ヴァッツは人間以外の種族がどんな生活を送っているのか『悪魔族』に知ってもらいたいのが目的だよ~。」
どうやらこの元『神』はヴァッツに敬意以上の感情を抱いているらしい。シャヤからすればあまり好ましいものではなかったがバーンが訂正すると元『神』はすぐに巨大な悪感情を見せたので感心してしまった。
「私達『悪魔族』は人間を食すことを禁止されている。そこで有り余る時間を使い何かできないかと模索している最中なのだ。人間の真似などをせず悪感情を得られる方法があれば良いのだが何かないだろうか?」
嘘偽りないフロウの相談内容には後ろで控えるシャヤも力強く頷く。ただしそれは『悪魔族』の都合であって聞いていた『モ=カ=ダス』の人間達は嫌悪と恐怖に心を染めていたようだ。
「そういう事ですか。しかし今の私は国を預かる身、国民を危険に晒すような真似に加担は出来ません。」
そして元『神』である女王は毅然とした態度で魔王の相談を突っぱねる。すると衛兵や召使い達が尊敬と歓喜の念を一斉に放出したのでシャヤは切り替わりの早さにこれまた深く感心した。
しかし無駄に長い時間かけてやってきたのも全てが無駄だったか。これはフロウも同じように考えていた筈だが直後にイェ=イレィは人払いをすると部屋の中には自分達と女王だけになる。
「・・・『悪魔族』の存続についてはわかりました。しかし私が出来る事といえばこの世に『悪魔』がいる事を喧伝するのと『悪魔払いの儀式』を定着させるくらいしか思いつきません。」
先程の発言はあくまで建前であり本心では『悪魔族』というよりヴァッツの役に立ちたくて仕方がないらしい。周囲に気を配りながらに少し残念そうな表情で提案するがそれだけでもかなりの悪感情を得られる気はする。
「なるほど~。つまり『悪魔』を身近なものと定着させるのか。それで何かあればそちらに責任を押し付ける。う~ん、その思考の方がよっぽど『悪魔』らしいよね。」
「かもしれません。しかしヴァッツ様の御力があれば悪感情などなくとも生きていけるように出来るのではありませんか?」
「それをフロウ達が拒んでるからこうやって旅に出たのよ。『悪魔』には『悪魔』としての誇りがあるんだって。まぁわからなくはないけどね。」
「そうですか。流石はヴァッツ様、何と慈悲深いのでしょう。」
イェ=イレィの疑問にはハルカが答えると彼女も少し驚いたがすぐに笑みを浮かべて納得している。
「それらを各国で行ってもられば多少の悪感情は集まるか・・・いや、しかしそれだけでは目的の半分しか解決していない。私達にも何か、人間を殺す以外に生きる明確な目的が欲しい。」
「でしたら人外の姿で街を歩くだけでもかなり効果はあるかと思いますよ。」
それはここに来るまででも馬車の中で十分理解していた。人間は本能からか亜人の存在を極端に恐れるらしい。となると同族達を方々の街で歩かせる事が目的となる訳だがあまりにも退屈な行動に聞いているだけでもあくびが出そうだ。
『巨人族』達のように充実や納得の行く内容ではないが何もしないよりは全然ましかもしれない。シャヤは魔王の決定を待っているがその答えは中々返って来ない。
「その提案は私から反対させてもらおう。」
すると今まで黙っていたラルヴォがゆっくり右手を上げながら口を開いたので皆の視線が集まる。
「それは何か理由があるんだね?」
「うむ。私も『悪魔族』ではないがこんな容姿だ。初めていく街の人間達には恐怖や忌避の目に晒されてきた。しかし彼らは危害を加えない存在だとわかれば心を開いてくれる。つまり慣れて行けばお前達のいう悪感情は芽生えなくなると思う。」
自身の経験から雄弁に語られた内容は周囲に沈黙を生んだ。確かにいくら見た目が怖くても実害がなければ人間に限らず気を許してしまうのだろう。
それは今の自分達にも言えるのかもしれない。ヴァッツという破格の存在に牙をむいたにも関わらず生かされているのを当然と考えてしまっているのと同じように。
「・・・う~ん。クレイスは何かない?」
「ぼ、僕?!そ、そうだね・・・悪感情を生む方法か・・・『ネ=ウィン』が『アデルハイド』に侵攻してきた時はそれが一杯あったと思うけど戦争は余計に犠牲者が出るだろうし。」
もしかすると自分達は相当な無理難題を提示しているのかもしれない。『モ=カ=ダス』でやっとそれが少しわかって来るとシャヤも僅かにヴァッツの力を期待し始めたのだがフロウはまだ諦めていないようだ。
「・・・ちょっと話が暗礁に乗り上げた感じだね。だったら1つ別の質問をしてもいいかな?」
そこにバーンが軽く割って入って来るので皆が注目すると思いがけない事が起こる。何と今まで脅威も恐怖も全く感じなかった彼からとんでもない闘気が放出され始めたのだ。
「ねぇイェ=イレィ。僕達『天族』を作って操ってた奴はまだ『神界』で生きてるの?」
確かに道中彼の身の上話も聞いていた。以前は『天族』であり『天界』では戦いたくないのに毎日同族と殺し合いをしていた事を。
「・・・『神族』はヴァッツ様に全ての力を奪われましたからね。気になるのなら自身の眼で確かめて来ればいいんじゃないかしら?」
こちらも何かを察したのだろう。イェ=イレィも随分軽く返すがまさかこの場で戦うつもりだろうか。
「・・・そいつの名前を教えて貰ってもいい?」
「ザジウスよ。」
ところが名前を聞き出すとバーンの闘気は一瞬で消え去った。これにはフロウも目を丸くしていたが彼は十分に目的を果たしたようで感情も収まりを見せている。
「へ~、覚えておくよ。でも随分あっさり教えてくれたね?」
「だって私もあんまり好きな人じゃなかったし。ずっと『神界』の頂点に立っていてね、強大な力を保有してたから誰も逆らえなかった。ま、今ではただの老人に成り下がってるからもう殺されてるかもしれないけど。」
どうやら『神界』というのも争いの絶えない世界らしい。というかそういう場所に行けば悪感情を沢山手に入れられそうだがここは提案すべきか?
「バーンはザジウスを倒そうとしてる?それとも殺そうとしてる?」
そこにヴァッツがとても静かに問いかけると場は再び耳が痛くなるような沈黙に包まれた、がイェ=イレィだけは静かながらも目を輝かせながら頬を紅潮させている。
「そうだね。僕としては自分や自分の仲間達を散々苦しめたそいつだけは倒したい、って思ってたんだけど今の話を聞いたらもう興味なくなっちゃった。だってヴァッツが力を奪ったんでしょ?」
「そうなのです!あらゆる世界に干渉していた私達『神族』をも軽く超える御方!それこそ唯一無二の『神』でありヴァッツ様なのだと私は確信しているのです!」
「だからオレは人間だって!」
元は『神』と崇められる程優秀なのだろうが想い人の事になると箍が外れるらしい。恍惚とした表情で流暢に褒めちぎるがヴァッツは少し迷惑そうだ。
「しかしヴァッツの思想に沿っていては一向に答えが見つからん。やはり人間を食い殺すかそれに近い事を許してもらう訳にはいかぬか?」
彼が人間かどうかの議論は置いといて相談を再開すると今回は即答される事は無かった。しかし若干の苦悩は見られたもののはやりこちらの意見を通すのは難しく感じる。
「・・・あなたは同族を人間社会に送り込む事は可能でしょうか?」
「む?それはどういう意味だ?」
するとイェ=イレィが何かを思いついたのか確認を取って来るとフロウも意図が分からず小首を傾げる。
「ヴァッツ様、もしよければ『悪魔族』を各国の執行人に据えるのはいかがでしょう?もちろんこれは彼らが人間の命令や法を厳守するという前提を踏まえてですが。」
執行人という言葉の意味すら皆目見当がつかなかったが人間の王子であるクレイスは察したのか、すぐに口を開く。
「そ、そうか。懲罰を与える役目を『悪魔族』の方にお願いすれば合法的に悪感情を集められるという事ですね。うん、やり過ぎなければ僕も賛成です。」
どうやらそれは人間に罰を与えたり処断する役割らしい。ただそうなると人間に従う形になるのではないか?
「それは人間にひれ伏せという事か?」
当然フロウもすぐに問い返す。『悪魔族』からすれば家畜か餌としか考えていない人間の法律、掟などどうでも良く、ましてや都合良く扱われるなど誇りが許さないだろう。
だが今度はイェ=イレィがかなりの怒気を放ちながらこちらを睨みつけると静かに言葉を発した。
「あなた達は大いに誤解しているようですね。この世はヴァッツ様とそれ以外にしか分けられません。下らぬ矜持を捨てないのであれば私も協力するつもりはありませんよ。」
元『神』というだけあってシャヤの胆も十分冷える程の恐怖が襲う。それにしてもこのイェ=イレィという存在はヴァッツに入れ込み過ぎではないだろうか?
どれほどの大恩があるのか知らないが仮にも王という存在がここまで感情的に物事を判断するのは如何なものなのだ・・・と考えているとそれはそのまま『悪魔族』やフロウ達にも当てはまっている事に気が付いた。
(・・・ここは人間の国だが統治しているのは元『神』だ。ならば妥協すべきは我々の方なのかもしれない。)
フロウもすぐに答えが出せないでいるのは葛藤しているからか。腕を組み双眸を閉じたまま全く動かないでいるとヴァッツが優しく声を掛けて来た。
「答えを急がなくてもいいと思うよ。フロウ達にはまだ会って欲しい人達がいるからね!」
「流石はヴァッツ様!深淵とも呼べる懐の深さにこのイェ=イレィ、改めてこの身も心も捧げる事を誓います!」
結局この日の会議はそこで幕を閉じたのだが他に会って欲しい存在とはどのような者達なのだろう。そして女王のいうヴァッツとそれ以外という考え方はある意味理に適っているのかもしれない。
シャヤはそのような事をぼんやり考えていたのだが翌日はよくわからない人間に挨拶をした後、一行はイェ=イレィに別れを惜しまれながら再び馬車に乗って西へと向かい出す。
「さて、今度こそファヌル達の所に行くのよね?」
「うん。でもその前にアルヴィーヌやショウにも会って欲しいな。カズキは・・・ちょっと危ないかな?」
「あはは。彼なら絶対戦いを挑むだろうね。」
どうやら彼らの様子だと次に会えるのも人間以外の存在らしい。ならばヴァッツの言う通り焦らず大局を見極めていくべきかもしれない。
そう考えたシャヤはやっと乗り慣れて来た馬車の手綱を軽く握ると後ろから聞こえてくる話し声にそ知らぬふりで聞き耳を立てながら見慣れない景色を楽しむ余裕が生まれていた。
「・・・そういえば今更で申し訳ございませんがこの場所の事は他言無用でお願いいたします。」
昨日から珍客万来が当たり前のようになっていたので『暗闇夜天』の隠れ里が秘匿だというのを忘れかけていたコクリは静かに告げると彼らも深く頷く。
「しかしヴァッツ様がこのような御力をお持ちだとは・・・ああ、そこに感嘆する前に詳しいお話を聞きましょう。ハルカ様、お願いいたします。」
初対面であるこちらにもバーンにも深々と頭を下げる姿は顔さえ気にしなければとても気品の感じる振る舞いだ。
それにしても別世界から様々な介入を受けているとはいえ人と呼ぶには少々難しい存在が流れ込んできている事を考えると『暗闇夜天』も今後の立ち回りに工夫をする必要があるのかもしれない。
古から伝わる掟と誇りを失わずにそれが可能なのか。思考は僅かに脱線していたがそんなコクリを置いてハルカがウォダーフに昨日の出来事を説明すると彼も何度な頷いていた。
「なるほど。・・・しかし恐怖ですか。私のあまり好まない感情ですから在庫はほとんどありませんありませんね。一応商談には応じますがあまり期待なさらないで下さい。」
「何言ってるの!!ここでしっかり『悪魔』に満足してもらわなきゃ街や人が被害を被るのよ?!しっかりしてよね?!」
頼りない返事にハルカも檄を飛ばしていたが感情の在庫とは一体どういう意味だろう?不思議に思っていたコクリはウォダーフを一度自身の屋敷に招き入れようと案内しかけた時『悪魔』達が早々に姿を見せた。
「さて、約束通りに出向いてやったぞ。我らを満足できる方法とやら、教えてもらおうか。」
しかも今日は明らかに異質な存在を連れてきている。体躯もラルヴォ並みに大きいが何より目立つのはその顔だ。あれは狼なのか犬なのか。一目見て人外とわかる容姿は背中から生えている黒い翼がより強調してくる。
そんな存在にシャヤがとても畏まっているのだから恐らく高位の者なのだろう。相手は警戒する事無く里の地に降りてくるとぐるりと周囲を見渡した。
「ふむ。若干の不安は感じるが確かに心のほとんどが安寧に包まれているな。で、我らが悪魔に提案してきたのは誰だ?」
「はい!私よ!」
恐ろしい見た目の相手によく堂々と挙手をしたものだ。この辺りも『暗闇夜天』の最高傑作と呼ばれる所以なのだろうが命は惜しくないのか。それともヴァッツという未来の伴侶を絶対的に信じているのか。
コクリは胆が冷える思いで成り行きを見守るがウォダーフも『悪魔』の容姿に触れる事は無く、跪いて先程以上に礼儀を見せると相手も深く頷くだけで話は始まる。
「初めまして。私が今回ハルカ様にご依頼を受けた『気まぐれ屋』店主ウォダーフと申します。」
「ほう、鳥獣の類か。私が『悪魔族』を束ねる王、フロウだ。さて、人間を殺さずに悪感情を得られるという話だが早速その方法を教えてもらおうか。」
お互いが人間とかけ離れた容姿をしているからだろうか。こちらが別世界に送られたのではと錯覚する光景と『悪魔』の王自ら登場した事で不安に圧し潰されそうだったがウォダーフは黒い鞄から静かに濃い青紫の丸い物体を取り出してみせる。
「これが憎悪です。」
「ふむ・・・・・どれどれ。」
大人の親指にも満たないが人間が飲み込むには少し大きすぎる。そんな宝玉らしきものをフロウはひょいと摘まみ取ると少しの間空に掲げたりして観察した後、まるで砂糖菓子を食べるかのように大きな口に放り込んだのだ。
ウォダーフの説明を受けていないので何が起こっているのかさっぱりわからなかったコクリは表情に出さないよう必死に堪えていたが『悪魔王』は獰猛な双眸を閉じると軽く頷いた。
「うむ。確かにこれなら腹は満たされるな。しかし量が少なすぎる。この大きさなら一日1000個、配下達の分も含めると1万個は欲しい所だ。」
その注文がどれほどのものなのか、これまたさっぱりわからなかったがウォダーフが若干狼狽したような仕草を見せるとかなりの大量注文らしいのは伝わって来た。
「フロウ様、現在私の店にそれほどの在庫はございません。よって集める為にいくらかの猶予を頂く事は可能でしょうか?」
「ならん。私達も食わねば生きていけぬのだ。少なくとも今すぐ1万個を所望する。なければ人間を狩りに行くだけだ。」
確かに『悪魔』だろうと生物である以上必ず栄養は摂取しなくてはならないだろう。だが彼ら全員の食料をと考えるとよく分からない宝玉でなくとも用意をするのは大変なはずだ。
「ねぇフロウ。君達が悪感情を求めるのって力の維持が理由でしょ?だったら人間の食べ物でしばらく誤魔化せない?」
そこにもう一人の魔王バーンが口を挟むと一瞬フロウからとんでもない殺意が放たれる。まさかこの里で魔王同士の戦いが勃発するのか?怯えるしか出来なかったコクリだが彼の雰囲気はすぐに平静を取り戻したので心と体は安堵で一杯だ。
「そうか、貴殿が『魔界』の王バーンか。同じ魔族として今回は目を瞑るが家畜の餌を勧めるのは止めて貰おう。」
これは『悪魔族』共通の認識なのだろう。彼らから見れば人間は家畜なのだからそれと同じものを食べろというのは人間に未調理の牧草を食べろと言っているのと同義になるはずだ。
となると交渉は決裂、他の代替案が早急に求められるがこの状況は既に『暗闇夜天』の範疇を大きく超えている。
「そもそも悪感情ってあんまり良いものじゃないしね。やっぱり人間と同じ食べ物を食べられるようにした方がよくない?」
なのに純粋な大将軍は全く恐れる様子を見せずに口を挟んでいたがこの時ばかりは彼に頼り、縋る事しか頭に無かったコクリは折衷案が通る事を心から祈っていた。
「お前は人間の分際で『悪魔』に指図す、るの・・・お前は人間か?」
「違うと思うよ。へ~『悪魔族』の王にもわかるんだ?」
再び激昂を見せるかと思ったがそれ以上に疑問が勝ったようだ。2人の魔王が軽いやり取りをすると『暗闇夜天』の人間だけでなくウォダーフやラルヴォといった亜人達も少し驚いていたが彼らの会話は続く。
「うむ。心の底が全く見えん。私の本能が戦う事すらを拒絶してくる。一体何者だ?」
破格の強さこそ知っていたが魔界の王にここまで言わせるとは。コクリもただ強い人間だと認識していたので大いに改める必要があるだろう。
「え?!オレって人間じゃないの?!」
ところが本人もわかっていないらしい。てっきり正体を明かすものだとばかり思っていたが周囲の驚愕にヴァッツ自身も驚愕を重ねていた。
【ヴァッツは人間だ。少し強い力を持っているだけのな。】
そこに同居人が太鼓判を押すと彼もほっと胸をなでおろしている。宴の時に聞いた情報だと声の主は『闇を統べる者』のはずだ。何でも幼少の頃から体中に宿っており彼とは別の意志と破格の力を持っているのだという。
説明では全ての闇、つまり影となる部分の化身らしいがこの話も全く理解が出来なかった。
「・・・う~む。もしかすると私達はとんでもなく厄介な世界にやってきたのか?」
「かもね?少なくともヴァッツを怒らせるような真似だけはしない方が良いよ。多分死ぬより酷い事になるんじゃないかな?」
重い内容を軽く済ませる2人の魔王もその力は人間の枠を大きく超えているはずだ。そんな存在を畏怖させるヴァッツは果たして本当に人間なのだろうか?
「かといって飢え死にを選ぶつもりはない。ウォダーフとハルカだったか。私達『悪魔』の食糧問題を解決させる為にこちらの要求もきちんと飲んでもらうぞ?」
だが今は『悪魔族』の食糧問題を解決するのが先決なのだ。フロウも同族生存の為に折れる訳にはいかないのはわかる。
しかしハルカのきょとんとした表情とは裏腹に読み取りにくい鳥頭のウォダーフが非情に難しい表情を浮かべているのもまた手に取るようにわかってしまう。
「もしご用意できない場合は?」
「人間を襲うだけだ。」
「でもそれをヴァッツが許すとは思えないよ?」
人間の命が懸かっているというのに人間以外の3人が意見を交えると話し合いは暗礁に乗り上げてしまったらしい。再び沈黙が訪れる中コクリも何かないかと思案していた所、ここで動きを見せたのはやはりヴァッツだ。
「あのさ。フロウ達って感情を食べるんでしょ?だったら他の感情じゃ駄目なの?」
純粋故に別の視点から解決策を提示すると『悪魔族』はこれまた見慣れていない風貌なのにとても驚いているのが伝わって来る。
「それでしたら用意は可能です。何せ毎日営業中にそういった感情を集めていま・・・あ、す、すみません!今のはショウ様に内密でお願いします!」
どうやら感情を宝玉に変える行動には制約があるらしい。『トリスト』の左宰相の名前が出るとハルカが困惑した様子で笑いを堪えていたがヴァッツは意味が分かっていないのか小首を傾げている。
「別の感情・・・ウォダーフよ。一番数の多いものを見せて貰えるか?」
「はい。それでしたらこちらをどうぞ。」
それからウォダーフは鞄の中から先程と違って随分明るい黄色の宝玉を取り出すと掌に乗せて見せる。コクリ的にもそちらの方が美しさを感じたがそれはあくまで人間の感性でしかない。
現に『悪魔族』の王は眉間にしわを寄せ、とても訝し気な表情でじっと見つめたまま手に取ろうとしない。
「・・・シャヤ。毒見を任せる。」
「は、はい!」
まさか突然指名されるとは思ってもみなかったのだろう。昨日とは打って変わってとても不安そうな様子を見せているシャヤは恐る恐るウォダーフに近づいて行くとゆっくりそれを摘まみ取る。
「・・・・どうした?早く食べて感想を述べよ。」
「は、はいっ!」
こればかりは彼に同情せざるを得ない。何故ならそれは『悪魔』達にとって猛毒と成り得るものかもしれないのだから。
それでも魔王に急かされて覚悟を決めたシャヤは勢いよく口の中に放り込み咀嚼する事無く飲み込むと胸と腹を両手で抑えたまま動かなくなってしまった。
「・・・ふむ。やはり他の感情は体に受け付けないか。」
毒見というのは珍しい事ではない。特に王というのは国の、種族の象徴なのだから未知の食べ物を確認するのはとても重要な事だ。
冷静に判断したフロウは仕方が無いと言った様子で軽く溜息をついていたが食した本人はどうなるのだろう。まるで石像のように固まっているシャヤは命を失ったのか、あまりの不味さに吐き出そうとしているのか。そもそも彼の食した感情とは一体何だったのか。
コクリは一縷の望みを胸に様子を見守っていたがやっと動き出した『悪魔』は少し頭を横に振ってから口を開き始める。
「・・・す、すみません。慣れない味に驚愕してしまいました。魔王様、これは食べられなくはないですが好みが別れる味だと思います。」
慣れない味といえばこの大陸でも発酵食品の類は東西で賛否が分かれるものだ。西側では納豆はあまり好まれないし東側にある魚を発光させた食品はこちらでは好まれない。
恐らくそんな味なのだろうと考えているとフロウは少し考え込んだ後ウォダーフに同じものを用意させて今度は迷わず自身の口に放り込む。
「・・・なるほど。確かに癖が強いな。ウォダーフ、これは何の感情だ?」
「はい。それは『喜』の感情です。私は茶店を営んでおりますのでそれと『楽』の感情がとても集まりやすいのです。」
簡潔に説明した店主は魔王から要望が出される前に今度は白色の宝玉を取り出す。話の流れから推測するにこれは『楽』の感情が詰まっているのだろう。
そして毒見させる事無くフロウが摘まみ取ると再び少し鑑賞してから口の中へ放り込んだ。するとやっぱり大した反応も見せずに浅く頷く。
「う~む。食せなくはないがやはり味は独特だな。」
「それじゃ代替品にはなりそうにない感じ?」
一番気になっていた質問をバーンがするとフロウは腕を組んで考え込む。反応から見るに絶対美味だとは思っていないだろう。であればやはり人間を襲ってその恐怖や憎悪を直接食らうのだろうか。
「・・・いや、ウォダーフよ。感情の種類を問わず1万個を用意する事は可能か?」
「はい。数、というより質量でしたら可能でございます。」
その意味がよくわからなくて皆が小首を傾げていると答えが彼のカバンの中にあった。なんと今度は今までと比べ物にならない程大きな乳白色の宝玉を取り出してみせたのだ。
「これが『悪魔族』の皆様のお腹をどれ程満たせるのかはわかりませんが私は感情の大きさに比例した宝玉を作り出せるのです。」
「ほほう?これはまた食べ応えがありそうではないか。しかし初めて見る色味だな。」
「はい。これには『喜』と『楽』が多分に含まれております。お味の判断はともかくこの大きさであれば先程の100個分には相当するかと。」
確かにそれは拳ほどの大きさがあり人の口ではかみ砕かないと飲み込むのも難しいだろう。しかし犬の顔を持つフロウは迷う事無く大きな口を開けてそれをまた丸飲みしてしまった。
「・・・うむ。決まりだ。選別はお前に任せるのでこの感情の塊を全て頂こう。」
「御意。」
どうやら『悪魔族』が人間を襲う事態は回避出来そうだ。『暗闇夜天』の者達もほっと胸をなでおろしていたのだがここでじゃじゃ馬娘がいらぬ口を挟むと再び人間達は肝を冷やす。
「ちょっとウォダーフ、大丈夫なの?1万個の質量って相当じゃないの?それを毎日供給出来るの?」
「ええ。お店に在庫もあるので十日分くらいなら。しかし食料として求められているとなると継続するにも限界がありますね。」
ショウにそのほとんどを買い取られた後もこっそり収集していた事などこの場にいる誰もが知る由も無かったし今は大した問題ではない。むしろ十日を超えてからどう供給していくのかが重要だ。
「う~ん。難しそうだね。それじゃオレもこれを返しとこうか?」
そう言ったヴァッツは軽く右手を地面に向けるとそこに突然様々な色の宝玉が入った大きな木箱が現れたので皆が目を丸くして驚く。
「おお?!こ、これはショウ様に買い取って頂いた品々?!し、しかしよろしいのですか?」
「いいよいいよ!フロウ達も食べ物がないと困るんでしょ?でもこれをずっと作り続けるのも大変だし、やっぱり人間の食べ物を食べない?」
「くどいな。私達『悪魔』は断じてお前の脅しには屈しない。」
「そっか~・・・」
傍から見ても脅している風には見えないのだがヴァッツの力を感じた『悪魔族』の王はそう受け取っているのだろう。彼も純粋に残念そうな姿を見せているとハルカが慰めるように背中を思い切り叩いていた。
「ま、とにかくこれでしばらくは保つんでしょ?その間に感情の塊を確保する形でいいんじゃない?」
最後はバーンがそう締めると『悪魔族』達も深く頷く。そして今回はその木箱とウォダーフの持つ全ての宝玉を持ち帰る事、彼らの食料が再び枯渇する前に『暗闇夜天』の里へ赴く流れで話でまとまったのだがコクリは重大な事実に気が付いてしまう。
(・・・ちょっと待て。それでは実質この里が『悪魔族』の監視下に置かれているのと変わらないのでは?)
後顧の憂いを残す結果に再び不安と不満に押しつぶされそうだったがハルカやラルヴォに慰められて元気を出したヴァッツを見ていると暗い気分はやや晴れた。
(・・・いやいや。駄目だ駄目だ。彼は『トリスト』の大将軍でありその力によって『暗闇夜天』は余儀なく従属を迫られたのだ。)
そう考えると『悪魔族』が脅しと受け取るのも深く深く理解出来る。例え本人にその気がなくとも強大な力はこちらを無理矢理屈服させてしまうのだ。
しかし従い続ければ実質『悪魔族』の支配下に、断れば『トリスト』の従属が継続されるとなるとコクリの目指す原初の『暗闇夜天』とはどれ程遠いのだろう。
先の見えない未来にすっかり意気消沈したコクリは頭領の座さえどうでもよく思えてきたが今はまだ隠しておこう。
一先ず今度こそウォダーフを連れて屋敷に戻ると早速感情を効率よく収集する為の話し合いが行われる。
「『悪魔族』って恐怖を一番好むんでしょ?だったら私達が適当に人を襲うふりをしてウォダーフに回収してもらうっていうのはどう?」
「妥当な手段ですね。しかしふりだけだとあまり大きな感情は得られないでしょう。それこそ一日一万回こなさなくては供給が足りなくなる恐れがありますね。」
術が使えるのもウォダーフだけなので流石に非効率すぎると却下されたがそもそも彼の術は感情を一時的に奪い去るだけに過ぎないという。
他にも注意点として同じ相手から同じ感情を抜き取り続けると反応が薄れていくらしい。自身の茶店で術の使用は1人につき一回と決めているのも最初の一口目を飲んだり食べたりした後の幸福感から宝玉を作り、二口目でも同じ感動を味わってもらう為の工夫や再来店の布石を考慮しての事だそうだ。
「・・・別に恐怖である必要はないのでしょう?でしたらハルカ様がラルヴォ様に抱いている好奇の感情を抜き取って頂くのを繰り返せばそれなりの量になりませんか?」
「ちょっとコクリ?あなた話聞いてた?私ラルヴォを愛でる感情を薄めたくないんだけど?」
ハルカをラルヴォから遠ざけたいコクリの意思を多分に含めているので流石に通らなかったか。しかし将来的に暗殺対象としている彼女とこれ以上仲良くされると必ず来たるべき時に支障をきたす筈だ。
そうなる前に何とか2人を引きはがさなくては。ハルカとルアトファに似ている部分もあるのなら猶更と駄目元で提案してみたのだが今は素直に引き下がろう。
「そういえばウォダーフはあの大きな宝玉をどうやって手に入れたの?」
「あれはこの世界に来る前、とある貴族の奥様が不倫をされていたので旦那様に頼まれて回収した時のものです。」
不倫や浮気とは何処の世界でも燃え上がるものらしい。それは恋人や配偶者への背徳感、不満も隠し味として含まれているからなのだろうが何とも言い難い内容に皆が言葉を失う。
「巨大な感情を宝玉に変え続ける事が出来れば解決しそうだがなかなか難しいという訳か。」
ラルヴォも両脇にもたれ掛かって座るハルカとヴァッツを優しく撫でながら思案していたがコクリはそれ以上にその2人へ深く関わって欲しくない気持ちで全く集中出来ない。
【一つ、良い場所を知っている。】
そんな中突如例の声が沈黙を打ち破って来たので皆がヴァッツに視線を集めるが本人もきょとんとした様子で『闇を統べる者』に問い返した。
「そんな所あったっけ?」
【うむ。『神界』だ。現在あの地では大きな憎悪と絶望、恐怖に満ち溢れているからな。あそこで感情の宝玉を作り出せば相当な量になる筈だ。】
初めて聞く場所にほとんどの人物が小首を傾げていたがヴァッツだけは思い出したかのように何度か頷いている。たがすぐに彼らしくない、珍しい表情で若干の嫌悪感を示していたのでハルカまで驚いたようだ。
「でもなぁ。あそこ話を聞かない人だらけでしょ?あんまり関わりたくないんだよねぇ。」
【別に関わる必要はない。ウォダーフを連れて宝玉を作った後早々に帰還するだけだ。】
『悪魔族』にさえ普段と変わらぬ態度で接する彼が忌避するとは一体どんな世界と種族が住んでいるのだ?逆に興味が湧いて来るコクリだったがそれを聞くと面倒事に巻き込まれかねないのでここは黙っておく。
「う~ん。まぁそれならいいかな・・・んじゃウォダーフ、ちょっと行ってみようか。」
「はい。ではいつしゅっぱ・・・」
恐らく日取りを相談したかったのだろうがヴァッツは嫌な事をさっさと終わらせたい性格だというのはよく理解出来た。了承の言葉を聞いた瞬間2人の姿は一瞬で消えるとハルカはラルヴォを独り占め出来る欲望を隠しもせず彼の腹部に顔を埋めるのだった。
ウォダーフ達が感情の確保に目処を付けた頃、『悪魔族』が暮らす悪魔城では早速食料である宝玉の仕分けが始まっていた。
「それにしても不思議な術だ。まさか感情を物質に変えるとは・・・」
魔王でさえ深く感心する技術にシャヤもただ頷くしかない。そして悪感情以外を食したのが2人しかいないという事もあり、仕訳も引き続き彼が任される事となったのだがこれがまた困難を極めた。
味は問題ない。これは魔王も認めているので苦情が出る事はないだろう。しかし問題は『喜』と『楽』寄りの宝玉だ。これらは腹こそ満たされるが賛否の別れる味なのだ。
やはり『悪魔族』は悪感情が最も体に馴染むのだと改めて認識すると同時にこれをどう配給すべきか。
悩みに悩んだ挙句、彼は同族の中でも温和な仲間達には多めに配分して粗暴な仲間には少なめという基準を設けると魔王の宣言があったお蔭か初日は何事もなく幕を閉じる。
しかし三日目になるとやはり粗暴な同族が自身の住居にやってきて不満を漏らし始めたのだ。
「シャヤよ。この白色の塊はあまり美味くない。わしにはこっちの黒いやつを多めに配ってもらえぬか?」
牛の頭と巨体、そしてそれらに見合わぬ小さな黒い翼を持つ『悪魔族』が隠すことなく本音を吐露してくるとこちらも許可を得ていた文言でさらりと返す。
「バカラよ。これはフロウ様のご命令なのだ。文句があるのなら他の色だけを抜いた量になるが構わないか?」
「むむむ・・・そ、それは困る。」
「だったら選り好みせずに食べるのだ。きちんと腹は膨れているだろう?」
バカラはあまり頭の回転が良くないのでそう告げると満腹感を優先したのか、渋々と帰っていったがこれはシャヤも望むところではない。
出来れば皆が思う存分悪感情を摂取できた方がいいに決まっている。だが魔王がヴァッツという存在をやけに警戒してしまったせいで直接人間を襲う事を禁止されたのだからどうしようもないのだ。
(・・・確かに不思議な奴ではあったな。)
思い返せば初対面時から人間の挨拶である握手を求めてきたし魔王だろうと誰だろうと臆することなく同じように接していた。
本来であれば『悪魔』というのは人間から恐れ、忌み嫌われてこそ存在価値と力が得られるというのに奴はそのような素振りを微塵も見せない。
(魔王様ですら戦う事を本能から拒絶されていたのだから・・・今度会う時は握手くらい交わしておいた方がいいのかもしれないな。)
体が蝙蝠に近いシャヤは自宅として使っている洞穴の天井から逆さまにぶら下がった状態で考えを改めつつその日を終えたのだが翌朝、件の人物が他の面々を引き連れて悪魔城にやってくると『悪魔』達が俄かに騒ぎ始めるのだった。
「よくこの場所がわかったな。」
「そりゃ目立つからね。それにしてもこの城壁とかって自分達で削ったの?凄く趣があっていいね!」
まずはこの世界の魔王であるバーンがフロウと軽く言葉を交わして挨拶すると次に声を発したのはやはりヴァッツだ。
「こんにちは!前は自己紹介出来てなかったからまずはそこからだね!オレヴァッツ!よろしくね!」
あの時と同じように無警戒に右手を差し出す姿を見て悪魔王はどう対応するのか。少し遠い距離で待機していたシャヤも興味深そうに窺っていると彼を人間と捉えていないフロウは迷わずその手を握り返す。
「うむ。私は『悪魔族』の魔王フロウだ。しかし突然だな。まさか我が国を支配下にでも置くつもりか?それとも殺戮しにでも来たのか?」
「何でそんな発想になるの?!」
それにしても不思議な少年だ。何故魔王達が恐れる程の強さを内包しているにも関わらずそれを行使しないのだろう。もし彼が本当に人間ならその敵と成り得る『悪魔族』など全滅させればいい。シャヤはそう考えずにはいられなかった。
「フロウ様、大変お待たせ致しました。まずは突然の来訪お許しください。実は先日大量の悪感情を入手致しましたので献上に参った次第でして。」
「ほほう?それは助かるな。是非見せて貰おう。」
それからウォダーフの話を聞くと魔王を含めて全員が納得と期待を胸に抱いた。シャヤを始め、人間でいう衛兵の『悪魔』達も喜びを隠そうともせずに動向をじっと見つめている。そう。皆が注目していたのだ。
「それじゃ、はい、どうぞ!」
なのに何が起きたのか誰にも理解出来なかった。辛うじてわかったのは広い玉座の間の中央にバカラが数十体入る程大きな木箱が突然現れたのと、中には溢れんばかりの宝玉がぎっしりと詰まっている事だけだった。
「おおお!こ、これは・・・いや、本当に助かる。改めて礼を言おう。」
珍しくフロウが感嘆の声を漏らすと『悪魔』達もつい喜びの大歓声を上げていたが今回ばかりは仕方がないだろう。
例え種族が違えども食事を摂るという本能には誰も抗えないのだから。
「お喜びの所失礼します。ご挨拶が遅れましたが私、人間の国『トリスト』の左宰相を務めるショウ=バイエルハートと申します。今回の食料供給の件ですが、こちらは引き続き人間を襲わないという条件で正式に契約を交わしたいと考えております。如何でしょう?」
それから後方にいた赤毛の少年が静かに前に出て来て名乗りを上げると簡潔に人間側の要望を伝えてくる。どうやら今回の来訪はそれが目的らしい。
「うむ。これだけの量があればしばらく食うには困るまい。よかろう。契約を認める。」
魔王も深く頷いて即決すると後は証書を頂きたいという話になったので彼らは魔王の部屋へ案内された。
そこに付き従ったシャヤも初めて知ったのだが人間とはこういう場合、口約束ではなくしっかりと文字で表記した物をお互いが所持し合う事で契約をより強固なものにするらしい。
「文字か。あまり使った事は無いが・・・」
「でしたら私がご説明致しましょう。」
「・・・いや、必要ない。ふむふむ、人間がもし私達を襲ってきた場合には防衛手段を取る旨もしっかり認められているな。よかろう。」
普段は食事以外で使う事のなかった石造りの机に並べられた書面を見てフロウはいち早く理解したようだ。これには人間達も目を丸くしていたようだがそれはシャヤも同じだった。
今までも人間の文化などに全く興味がなく、ただ恐怖と憎悪を生み落として食すだけの家畜としか認識していなかったはずなのに何故魔王は彼らの用意した書面を読み解く事が出来たのだろう?
とても不思議ではあったが答えは皆目見当がつかず、また深く考える必要もないだろうと諦めた頃にお互いが名前をしっかり書き記すとそこで契約は締結された。
(恐らくこれも魔王様の御力なのだろう。)
何よりシャヤもやっと悪感情を心置きなく食べられる喜びに胸が一杯なのだ。厳密には他の感情でも十分腹を満たせてはいたのだがやはり好物に勝るものはない。
「それじゃお堅い話は終わりにして、乾杯しようか!」
最後に証書を大切に保管するよう伝えられると彼らもすぐ帰国するのかと思っていたがこちらの世界の魔王バーンが何やら得意げに瓶と硝子で出来た杯を取り出す。
「乾杯?」
「そう!こっちの世界じゃ目出度い事があった時にはお祝いするんだよ!これ、僕の『魔界』で一番おいしいお酒なんだ。フロウ、一杯どう?」
「ふむ、そういう事なら頂こう。」
基本的に『悪魔族』は人間以外の文化にとても寛容なのだ。だからシャヤもラルヴォを引き込もうとしたし鳥人族のウォダーフが取り出した怪しげな宝玉も疑いなく口に出来た。
しかしお酒とは何だろう?フロウも全く疑う様子を見せずにバーンの真似をしてそれを軽く掲げると2人の魔王は杯を軽く当ててからお互いが飲みあう。
「・・・ふむ。血とはまた別の味がするな。バーンの『魔界』では普段からこれを食しているのか?」
「まぁね。これは希少品だから滅多に開けないけんだど今回ばかりは特別さ。後は料理とかもあるんだよ。良ければ今度持って来るよ。」
この時もフロウが忌避感を現さなかったのはそれらが『魔族』が持ってきたものだからだ。もしこれが人間の作った酒であれば絶対に口には含まなかっただろう。
「それでは今回はこれでお暇致しましょう。」
どうやら乾杯というのは儀式的な意味も含まれていたらしい。2人の魔王だけが飲み終えるとショウという赤毛の少年が深々と一礼した後、全員がその場で姿を消し去った。
「・・・本当に不思議な世界だ。」
石造りの机に残ったお酒と杯を眺めつつ呟いた内容にはシャヤも心の中で深く頷く。
とにかくその夜は久しぶりに『悪魔』達全員がたらふく悪感情を食らい続けるとフロウも同族の喜ぶ姿にとても気分を良くしていたのか、バーンの残していったお酒とやらを喉に流し込みながら笑みを浮かべていた。
彼らが短期間で大量の宝玉を集めて来た事に驚愕すべきか、それともあの程度の量ならばたいした苦労もせず確保し続けられると受け取るべきか。
翌日シャヤはそんな事を考えながら仕分け作業を行っているとその中にある悪感情以外の宝玉を目にしてその手を止めた。
(・・・捨てるのは勿体ないな。)
短い間だが自身も腹を満たす為に食していたし、味はともかく非常食くらいにはなるはずだ。そう思って他の箱に仕舞うと残る悪感情を大きさで分けていく。
後は魔王の指示に従いどれくらいの量で分配するかを決定すれば暫くは安寧の日々を迎えられるだろう。
「安寧・・・安寧か・・・。」
この世界に来るまで自分達は食事の度に人間を襲っていた。もしくは生贄を用意させてそれを食べていた。
どちらの方法でも恐怖や苦痛、悲哀に絶望といった悪感情を多分に摂取出来たが同時に不覚を取る事があったのも間違いない。
武器という道具でこちらを襲ってきたり毒と呼ばれる物質を自身の体に塗りこんでいたりと『悪魔』では想像がつかない様々な手段はこちらを大いに驚かせた。
故に反撃される恐れも怪我を負う心配もせずに食事を摂れるというのは初めての経験だったのだ。そう考えると彼らと契約を交わした魔王の英断には深く感嘆するしかない。
「フロウ様、宝玉の仕分けが完了いたしました。」
しかしこの先戦わずとも食料が手に入るのであれば自分達はどう過ごしていけばいいのだろう。シャヤはこうして仕事を与えてもらっているが直接人間を襲っていた同族達はただ与えられる宝玉を食すだけで日々を過ごすつもりだろうか。
ぼんやりとそんな事を考えながら魔王に報告すると彼もこちらを振り向いて浅く頷いた・・・のだがその手にあった杯と小さな白色の宝玉を見て少し驚く。
「うむ。ご苦労だったな。では今夜から分量はそのままに悪感情の宝玉を配ってやってくれ。」
「は、はい。と、ところでフロウ様、その手にされているのは・・・?」
「ああ、これか。バーンの置いていった酒というやつだな。」
違う、そっちではない。シャヤが気になるのは善感情とも呼ぶべき明るい色の宝玉だ。何故魔王がそれを手にしているのだろう。悪感情がしこたま手に入った今それを口にする必要は無い筈なのに。
再び尋ねるべきか。少し思案したシャヤだったが答えを聞くまでも無くフロウは杯の酒を少し喉に落とし込んだ後迷わず小さな宝玉を口に放り込んだのだ。
「フ、フロウ様、もうそれを食されなくとも悪感情の在庫は十分に確保できております。」
もしかして遠慮されているのか?彼は『悪魔族』の中でも群を抜いて強力な力を持っているだけでなく同族達には公平に慈悲を与えるからこそ皆から敬われてその座に収まっている。
なので率先してこれから余り物扱いされていくであろう異色の宝玉を無理に食しているのではないだろうか。そういった不安と申し訳ない気持ちから発言したのだがこれはシャヤの思い違いだったらしい。
「ああ、わかっている。だが不思議なのだ。この酒という液体と白色の宝玉を一緒に食すと妙に美味く感じてしまってな。少し癖になっている。」
「は、はぁ。」
あれを美味いと感じて楽しんでいるのならこちらも無理に止める訳にもいかない。それにいつもより上機嫌な雰囲気を感じたのだから尚更だ。
そもそも人を襲って直接食する手段しか知らなかった『悪魔』達に酔う機会などなかった。それが今別世界の新たな食文化が流入する事で僅かに変化が生じ始めていたのだ。
もちろん酔うという概念すら知らないのでフロウもシャヤも気が付く事なく宝玉や酒を摂取し続ける。
そして週に一度バーンが『魔界』から不思議な食べ物を、ウォダーフがヴァッツと一緒に手に入れた宝玉を持ち込むようになってから一か月程が経つとフロウは疑問と苦悩に苛まれるようになっていた。
「バーンよ。私達は何の為に存在しているのだろう?」
何かを考え込む時間が増えていたのはシャヤも知っていた。しかしその悩みを同族ではなく別世界の種族達に打ち明けたのだから驚かずにはいられない。
「何々?一体どうしたの?」
「うむ。この世界にやってきて以降『悪魔族』は人間を襲わずとも腹を満たす事が出来ている。しかしそれだけだ。それだけなのだ。」
すっかり気に入った酒を酌み交わすフロウは最近それを摂取し過ぎな事も自覚せずに告げると同席していたウォダーフとヴァッツも顔を見合わせている。
だがその気持ちはシャヤも深く理解出来た。
今までは生きる為に人間を狩って暮らしていたのにそれを禁止され、宝玉という餌だけを与えられて生きる日々。
どうやら唯一の存在意義、本能とも呼べる行動を制限される事に大きな疑問を抱いているらしい。人間が家畜を育てるかのような今の生活に。
「じゃあ何かすればいいじゃない?」
「何をすればいいのだ?私達は食事を得る為に人間を狩り続けた。しかしそれ以外にはやる事がないのだ・・・いや、知らないというべきか。」
バーンが軽く答えると想像以上に重い答えが返って来たので驚いたのだろう。一瞬その様子を見せるが今まで見た事が無い真剣な表情になると『魔族』の王は自論を展開し始める。
「僕も元々戦うしか能のない種族だったからね。それが嫌で『魔族』に変化する術を造りだしたんだけどそれからは戦い以外に挑戦したよ。それこそ人間の社会を真似してね。」
「人間は私達からすれば餌に過ぎん・・・それを真似るなど同族が許す筈もないだろう。ヴァッツよ、獣も生きていく為に獲物を狩るだろう?人間だって生きていく為に動物を狩るはずだ。なのに『悪魔』が生きていく為に人間を狩るのはそれほどいけない事なのだろうか?」
確かに今の生活は何一つ不自由がない。そしてそれこそが不自由の極みなのだと悟ったフロウは尋ねずにはいられなかったのだ。
自分達の価値観を簡単に崩す訳にもいかず、正に八方塞がりといった『悪魔族』の王は真剣にヴァッツを見つめるが彼も腕を組んで軽く考え込んだ後すぐに答えを出してくる。
「う~ん。でもフロウ達の人間を食べる目的って他の生物と違い過ぎるんだよね。」
これは悪感情の事を言っているのだろう。確かに『悪魔族』は人間を大いに恐怖、憎悪、絶望に追い込んでから食すことが多いのだがこれは狩る側と狩られる側、つまり立場や摂理上仕方のない事なのだ。
「じゃあヴァッツの力で『悪魔族』達が悪感情を食べる能力を取っ払っちゃえば?それなら人間を速やかに食べるだけだし妙な感情が生まれるのも最小限に抑えられるんじゃない?」
「待て。それでは私達の存在が否定されたも同じではないか。能力を喪失させる事が可能だとも思いたくはないがあまりにも一方的過ぎる。今までの宝玉もそうだ。違うか?」
「う、う~ん・・・そ、そうだよね・・・む、難しいなぁ・・・」
彼が未だに強大な力を保有しているとは信じていなかったがフロウはそこを踏まえて力ではなく言葉で訴える事を選ぶ。正論を前にヴァッツも悩ましい顔でうんうんと唸っているがここに助け舟を出したのは今までほとんど口を挟んだことのないウォダーフだった。
「フロウ様、『悪魔族』が本能的に悪感情を必要とする、それを食す理由はわかります。しかし感情とは簡単に争いを生んでしまうのもまた事実なのです。」
鳥頭の嘴が器用に言葉を並べると同席していた3人もそちらに注目する。
「それと私達の行動に何の関係があるのだ?」
「はい。『悪魔族』の方々が悪感情を産み落とし続ければ知恵を持つ人間達は必ず反撃や対策を考える筈です。ヴァッツ様はそこをご心配されているのではないかと。」
「そ、そうそう!そういう事が言いたかったんだよ!!」
「私達も自身の身を危険に晒す事くらい承知している。だがそれでも満足のいく食事を得る為には己の力で狩る、つまり勝ち得る必要があるのだ。」
魔王の発言にはシャヤも目から鱗が落ちる思いだった。そうだ、自分達は人間から忌避され、恐れられる『悪魔』なのだからその行動を否定される事は生きた屍と化すに等しいのだ。
今からでも遅くはない。人間達を襲う生活に戻すべきだろう。そして恐怖と憎悪を生み出しながら奴らを支配する。それこそが『悪魔族』という種族なのだから。
「う、う~ん・・・困ったなぁ・・・そうなってくるとオレがフロウ達を止めなきゃいけないし、結局無理矢理力を奪う形になっちゃうよ?」
それにしてもヴァッツは『悪魔族』を全く恐れないどころかこちらをけん制しているのか本当に可能なのか、妙な事を口走っているがフロウはどう答えるつもりだろう。
「それでも良い。悪感情だけを貪る毎日を送る位なら私は戦って散る事を選ぼう。」
「フロウ様、でしたら私も是非。」
魔王の覚悟を聞いたシャヤは自然と前に進み出るとその場で跪く。するとヴァッツは困惑から他の2人に助けを求めたがその声に誰よりも早く応えたのはもう1人の破格の存在だった。
【ヴァッツよ。『悪魔族』とは人間の悪感情から生まれた存在だ。故に人間を襲うのも畏怖されるのも全てが道理の範疇なのだ。】
「ど、どういう事?」
【つまり彼らが存在するには人間を襲い続けなければならないという事だ。フロウは精神状態から察しているようだがこのままだと『悪魔族』が消滅していくのは間違いないだろう。】
自分達ですら知らない『悪魔族』についてここまで言い切る『闇を統べる者』というのは何者なのだ?しかも話を信じるなら死ぬのではなく消滅してしまうのだという。
「・・・消滅か。だったら猶更戦うしかあるまい。ヴァッツよ、お前から感じていた破格の力、是非見せてもらうぞ?!」
「えーーー?!オレは嫌だね!!『ヤミヲ』!!他に何か方法は無いの?!」
【ない事は無い。一番簡単なのは『悪魔族』を元にいた世界へ帰す事だな。】
その提案なら願ったり叶ったりだ。今すぐ元の世界に帰って一杯人間を殺して回ろう。シャヤもそれしかないといった様子でフロウに力強く頷くが魔王は逆に渋い表情を浮かべている。
「・・・『悪魔族』が生存するには人間を殺して食す必要があり、それをヴァッツが邪魔するのであればお互いが死ぬまで戦う。私はそれで良いと思う。」
「「何で?!」ですか?!」
そして出て来た答えにはヴァッツと声を重ねてしまう程同時に驚いてしまった。
「戻った所で人間を殺して回り、食すだけの日々だからな。元の世界では我々に歯向かえる力を持つ者などいなかった。」
確かに以前の世界では人間の国を尽く手中に収めていたし時折大きな反抗戦が起こりはしたものの『悪魔族』が負ける事など無かった。
「宝玉を食す日々も元の世界に戻って人間を殺す日々も退屈には変わらぬ。ならば私は一度本気で戦ってみたいのだ。さぁヴァッツよ、私の全てを試させてくれ。」
結局のところ『悪魔族』が出来る事といえば戦いしかない。憎悪や恐怖などはその副産物であり腹を満たすのと存在を繋いできたのは結果に過ぎなかった訳だ。
「・・・僕からもお願いしていい?」
「バーンもそんな事言っちゃうの?!」
今までの話しぶりだと『魔族』も戦いが嫌で『天界』から逃げて来ていたはずなので彼が背中を押してくれるのは意外だったがこれにはきちんとした理由があるらしい。
「ヴァッツ、戦いしか知らない者が他に目を向けるには何かきっかけが必要なんだよ。僕だってセイラムがいたから『魔族』への道が開けたんだ。だからフロウにもそれを教えてあげて欲しい。」
「・・・う、う~ん・・・わかった。でもオレからは攻撃しないよ?」
懐の深い魔王バーンの気配りにシャヤも心を打たれたが対してヴァッツは攻撃をしないと宣言してくる。
「・・・では攻撃させるまでだ。」
早速5人は城外の少し開けた場所に移動するとたたかいは突然始まった。
まずはフロウが右前足から渾身の一撃を放つと周辺の木々や大地が文字通り爪痕のように抉り取られる。そんな想像をしたシャヤだったが我らの魔王が放った攻撃はヴァッツの左手の人差し指と親指だけで受け止められていた。
恐らく自分達の知らない術を使われたのだろう。それはフロウも感じ取ったのか今度はその大きな顎を開いて喉元、いや、口の大きさから頭ごと嚙みついたがヴァッツの方は微動だにしない。
「・・・本当に攻撃しないんだ・・・」
一方的な攻勢を隣で見ていたバーンは若干引き気味で声を漏らしていたがヴァッツは首に牙が突き刺さっているのも気にせず顔を横に向けて軽く答える。
「うん。だってこれがオレの戦い方だから。」
どうやら牙は薄皮にすら届いていないらしい。血の一滴どころか締め上げる事すら出来ていない様子から顎を引いたフロウは思い切り吠えるとその犬獣の体が3倍程に膨れ上がっていく。
シャヤですら見た事の無い姿と遠吠えには少し離れた悪魔城の仲間達も気が付いたのか。自分達の王が今、本気の本気で戦っているのだとわかると全員が急いで集まって来る。
だがフロウも必死なので周囲の目など気にする様子もなく今度はその巨体を生かして再び右前足を叩きつける様に放った。その威力は大地を陥没させるに十分であったはずだがそれも人差し指だけで止められた。
見た目は見慣れた人間の形をしているなのに一体奴は何者なのだ?
やっと畏怖を覚えだした同族達も唖然としていたが悪魔王には最後の攻撃が残っていた。少し後ろに飛び退くと大きく口を開けるという行動から再び噛みつくのかと思ったがそうではない。喉元に青い光が見えた瞬間、それが光の波動となって一気に放出されたのだ。
もし相手がヴァッツでなければその一撃は大地を溶かし、小さな都市や国家なら一瞬で灰燼と帰していただろう。
少なくとも『悪魔族』皆がそれだけの力を感じたのだがその強大な光の攻撃は周囲を焼き尽くす事はなく、ヴァッツが掲げていた左手の平に吸い込まれるように消えるとフロウも体を元の大きさに戻すのだった。
「・・・恐ろしいな。まさか微動だにしないとは。」
「フロウもね。でもこの力を人間に向けちゃ駄目だよ?皆死んじゃうから。」
という事はやはり彼は人間ではないのだろう。『悪魔族』の王が全力で攻撃していたのに苦戦どころか余裕を感じる防ぎ方で全て凌いだのだから異常という他ない。
「いや、まぁフロウは強いよ。ちょっと相手が悪すぎただけで、うん。」
ヴァッツの隣にいたバーンも励ます様な言葉を送っていたが彼もまた全くの無傷で微動だにしなかった。という事は周囲への被害すら無力化しながら受け切ったのか。
【さて、これで満足しただろう。後は『悪魔族』存続の為に元の世界へ送り届けて終わりだ。】
「・・・いいや、私は帰らない。」
「「えっ?!」」
ここでもまたヴァッツと同じ声を上げてしまったシャヤだったが今回は気にしていられない。
「な、何故です?!ここに居ても我らは消滅を待つのみです!!そ、それでしたら我らの故郷とも呼べる世界に帰って今まで通り過ごした方が・・・」
「言ったであろう。あそこには敵が、強敵がいなかった。こちらでは人間を食えないが少なくともバーンやヴァッツという強者がいる。同じ退屈な日々を送るのならば私はこの世界で過ごしたい。」
力を全て使い切って大層満足したのか、フロウの顔には笑顔さえ浮かんでいたがそうなると消滅は免れない。だが『悪魔族』の王が敬う世界を選ぶのであればそれに従うのもまた臣下の務めなのだろう。
「でもそうなると『悪魔族』が消滅しちゃうんでしょ?折角仲良くなれたのにそれは嫌だな。ね?ヴァッツ?」
「そうだね・・・だったらせめて消えなくなるようにするくらいは・・・駄目?」
「駄目だ。私達にも『悪魔』の誇りがある。」
この発言で『悪魔族』の宿命は定まった。バーンも少しがっかりしているがこちらも別の種族とここまで深く関わったのも初めての出来事だったのだ。
そう考えると少し寂しさが込み上げてくるのはシャヤが弱いからだろう。
ならば今後は消滅するまでもう少しヴァッツに敬意を払おう。そう密かに誓っていると再び地の底から響いてくるような声が口を挟んできた。
【やれやれ。『悪魔族』とは中々に頑固だな。だったら世界中の憎悪と恐怖を集めれば良い。そうすれば消滅する事は無いだろう。】
それは十分承知している。だがその手段を禁止されているからこそ消滅を待たねばならないというのにこの存在は何を言っているのだろう?
「そんな事出来るの?」
【簡単だ。『悪魔族』と悪魔城の存在を世界に広く喧伝するだけで良い。幸いこの世界には『セイラム教』と『バーン教』の教えが広まっており、教典には悪魔らしき存在も書かれているからな。】
「・・・なるほど!つまりそれは架空の存在じゃなくて本当にいるんだって言いふらせばいい訳だ。」
【うむ。人とは都合の悪い事を別の物に押し付けたがる。後はショウにでも相談すれば最も効率の良い手段が取れるだろう。】
「しかし私達は無為に時間を過ごすつもりもない。消える前に全力で戦う夢も叶ったのだ。このまま余生を過ごすのも・・・」
「フロウ!それは視野が狭いよ!同族皆が消滅を望んでる訳じゃないでしょ?!」
やはり異種同族である『魔族』の王が対等な立場で意見してくれるのはとても大きい。この説得はフロウも思う所があったのか、いつの間にか集まってきていた同族達を見回すと少し落ち着いたようだ。
「・・・かといって人間の真似をするつもりはないぞ?」
「・・・じゃあ人間以外なら真似してもいいんだよね?」
そこにヴァッツが何か思いついたのか、不思議そうな表情で尋ねるとフロウも何となく頷く。すると彼は満面の笑みを浮かべると早速旅に行こうと言い出したので周囲は困惑するしかなかった。
「初めまして。僕は『アデルハイド』の王子クレイス=アデルハイドと申します。」
旅の当日、ヴァッツとバーンにハルカ、後は彼の親友である少年と虎人族のラルヴォが馬車に乗って悪魔城にやってくるとシャヤも違和感を覚えた。
「・・・うむ。私は『悪魔族』を率いる魔王フロウだ。しかしヴァッツの友と聞いていたがなるほど。君もただの人間ではないな?」
「そうだよ~。彼は僕の同族がちょっといたずらしちゃってね。下手な『魔族』より魔力を保有してて強大な魔術も使うんだ。」
故にフロウも迷う事無く挨拶を交わしたのだろう。『魔族』のいたずらというのも気になるが少年から感じる力は確かにバーンと類似している。
「それにラルヴォだったか。君は『暗闇夜天』の里を護る使命があるのではないか?旅などに出て大丈夫なのか?」
「ああ。ハルカが獅子族には是非会っておくべきだと強く勧めてきたのでな。私自身も少し興味があったので今回は彼女の意向に甘んじる事にした。」
「うっふっふ~。ファヌルにもラルヴォの姿を見せて驚かせてあげたいし、その瞬間をこの眼に収めたいからね!楽しみだわ~!」
しかし移動など空を飛べば時間も手間も短縮出来るのに何故わざわざ陸路を進まねばならぬのか。ヴァッツの強い要望があったとはいえここは妥協すべきではなかったのではないか。
『悪魔族』の、自身の新たな価値観と存在意義を一刻も早く見つけたいシャヤは若干の不満を芽生えさせていたが悪魔王の決定なので逆らう訳にもいかない。
「さぁ!それじゃ出発しよう!」
こうして3台の馬車は南へ向けて出発したのだがすぐに問題が浮上する。それが道だ。
そもそも悪魔城に外部の存在がやってくる事などほとんどなかった。来たとしても空を飛べる者や木々のように巨大な存在だったので道を敷く必要が無かったのだ。
となるとバーン達はどうやって小さな馬車でここまで来たのだろう。御者席で初めて手綱を握ったシャヤは馬をどう歩かせるのか、歩いてくれるのか少し悩むと目の前の雑木林がまるで生き物のように左右へ移動したので大いに驚いた。
「ほう?これがバーンの『魔術』か。」
「うん。こう見えて一応魔王だからね。何でも出来るんだよ?」
人間を襲う事に特化している『悪魔族』では想像すらつかなかった力を見てやっとフロウが敬意を示す理由を深く理解する。どうやらこの世界の存在は侮れないものが多いらしい。
「さて、折角の旅だしまずは『悪魔族』について色々聞きたいな。『ヤミヲ』が人間の悪感情から生まれたって言ってたけど一体どんな仕組みなの?」
それから暫く進むと馬車の中からそのような声が聞こえてきたので御者席に座るシャヤも素知らぬ顔で聞き耳を立ててしまう。これは自身もいつの間にか自我を持って生まれていた為、詳しい事を知らない為だ。
「それなら私はまずこの世界に住むお前達の話を詳しく聞きたいぞ。人間を狩る事を禁止されているので満足に周辺の探索もしていないのだからな。」
この正論には同じく別世界からやってきたラルヴォも深く頷いていたのでまずは言い出したバーンが自身の生い立ちから今までの出来事を簡潔に話し始める。
何でも元々『天族』という種族だったらしく毎日同族と戦わねばならないある種の呪いをかけられていた事。
そんな日々にうんざりしていた彼はある日『天界』という自分の世界から下界へ降りると更に地下へ潜って戦いから逃げたのが始まりだそうだ。
そこで内包している力を独自に研究して『魔力』へ変換、見た目も『天族』とは少し違う様に手を加えて今に至るらしい。
「ふむ、流石は『魔界』の王だ。しかし戦う事をそれ程忌避するとは。食事を摂らずに生きていけるのも不思議だな?」
「あ~そこね。『天族』時代は日を跨げば怪我や空腹が全て回復してたから食べるっていう概念すらなかったんだよ。」
これにはシャヤも感嘆の声を漏らしそうになったがそれはラルヴォが唸るような声でかき消してくれる。
「そのような存在がいるのか・・・食事とは生きていく上で必ず必要だと思っていたが。」
「必要だよ?でもそれをさせなかったんだよ。『天族』を作り出した『神』って人達がいてさ・・・ああ、実は今から会いに行くのがその1人なんだよ。」
次にヴァッツがその存在を説明し始めるとやっと旅の目的が垣間見えた。どうやら彼は人間以外の存在がどのように暮らしているのかを見てもらいたいらしい。
「『神』とはまた大きく出たな。確か人間が権力を掴む為に作り出した妄想の事だろう?」
フロウはそう言って鼻で笑っていたのだが同じ『神』として崇められているバーンは失笑気味に口を噤むしかなかった。
「おお!クレイス!よく来てくれたな!」
「傷もすっかり治ったようだな!よかったよかった!」
「ゆっくりしていくといい!しかし今日はまた不思議な奴らが多いな?!」
話の流れから『神』のいる国を訪れるのかと思っていたが最初に辿り着いたのは人間を倍以上に大きくした青黒い肌を持つ種族の集落だった。
「ふむ。人間ではないようだが不思議な存在だな。私は『悪魔族』のフロウだ。」
「ほ~う?わしらは『巨人族』と呼ばれている。まぁ細かい事は気にせずゆっくりしていってくれ!」
彼らはクレイスと懇意の間柄なのか、とても気さくに挨拶を交わすと『悪魔族』達も温かく迎え入れてくれる。
こちらとしても住居や身に纏う衣服が人間と違って洗練されていなかったので親近感を覚えていると『巨人族』はすぐに鹿の肉と酒を用意してくれた。
そして中央には大火が焚かれて各々が最近の出来事、クレイスがこの村にやって来た事等の話で盛り上がっている。この時シャヤも初めて酒というものを口にしたのだが妙な味にただただ戸惑うばかりだ。
「あれ?!この味は・・・」
「お?気が付いたか?お前の作ってくれた方法を真似てみたんだよ!おかげでわしらもこの味付けに慣れてしまってなぁ!がはははは!」
集落の長であるイムとクレイスのやり取りから察するに料理の方は純粋な『巨人族』のものではないらしい。しかし感情の宝玉とは違う味と鹿とはいえ久しぶりに食べる肉はとても美味いと感じてしまった。
(・・・『悪魔族』としてこれは正しいのか?確かに『巨人族』は人間ではない。ならばここは妙な考えを捨てて純粋に楽しむべきか?)
若干の苦悩を挟みつつ酒の効果でそれも薄れていくとシャヤもいつの間にか見聞のやり取りで交流を深め、気が付けば朝日の眩しさで目を覚ましていた。
昨夜はフロウも『巨人族』の経験談や現在の状況を聞いて十分な感心と満足を得られたらしい。特に人間と取引をする為に大木や大鹿の素材を集めているという話には何度も頷いていた。
翌朝出立する時は彼らの作った酒を少し分けてもらうと上機嫌で別れの挨拶を交わして馬車に乗り込む。
「フロウ。『悪魔族』でも『巨人族』でも色んなやつがいる。それは人間も同じだ。憎しみを生まなきゃ消えちまうってのは寂しいが無理に暴虐を働くのは止めた方がいいぞ。」
「ああ。それはわかっている。」
イムという巨人にそう告げられるとフロウは短く答えていたが昨夜の宴で二日酔い気味のシャヤも気が付いた点がある。それが人間の生態について何も知らない事だ。
彼らが何故国を作るのか、何故食べ物をそのまま食さずに調理するのか、何故妙な布切れを身に纏っているのか等々、真似をするつもりがない以前に知識がなにもなかったし興味も無かった。
「それじゃ今度は『モ=カ=ダス』へ行こう!」
ヴァッツの合図で山を下るように馬車を南へ走らせ始めると『悪魔族』の魔王も視野が広くなっていくのを感じていたらしい。
「・・・そういえば何故人間は布切れを身に纏っているのだ?」
「ああ。それは君達みたいな被毛がないからだよ。寒さにも暑さにも弱いからね。」
彼らからすれば当然だと思える行動にもこちらからすれば答えを聞いてもぴんとこない事がある。特にシャヤの体は密度の薄い短めの被毛で覆われているので彼らの言い分から考えると何かで覆うべきという結論になりそうだがそれだけではないらしい。
「私も人間と関りを持つようになってから腰巻くらいは身に着ける様にしている。ルアトファが言うにはそれが常識というものだそうだ。」
「お~それでラルヴォは割と人間っぽさを感じるのね。ルアトファって良い娘じゃない!」
ハルカとラルヴォの話を聞いてもどこに良い要素があるのか全く分からなかったがフロウは何かを感じ取ったのか、御者席に座るシャヤには見えない所で軽く頷いていた。
「クレイスよ。今夜は君の作った料理とやらを頂けないだろうか?」
『巨人族』の集落を出た日の夜、野宿の準備をする中フロウがそんな事を口走っていたのでシャヤも驚かずにはいられない。
「はい!喜んで!」
だが彼は『魔族』に近い存在なのだから興味半分に何を食べているのかが気になった可能性もある。そう思いたかったが夕食時に慣れない匙でクレイスの料理を口に運んだフロウは目に見えて驚愕した後、器まで飲み込む勢いでそれを喉に流し込んでいた。
「ふぅ・・・なるほど。これが『魔族』の味か。酒は十分堪能していたが料理も美味いな。」
「いや、クレイスの作る料理は別格だよ?『魔界』でも彼の腕に勝る料理人はいないし、ね?」
それを聞いたシャヤもほっと胸をなでおろした。そうだ、彼が人間の食べ物などを口にするはずがないのだ。
「・・・なるほど。これは『魔族』らしいお味ですな。」
だから自分も全く疑う事無くそれを口にしてしまった。シャヤは器用に匙を使って蕩けるような柔らかい肉と感じた事の無い味を堪能しているといつの間にか器が空っぽになっている。
そして静かにおかわりを注いでくれたクレイスを見て計り知れない不安の正体にやっと気が付いたのだ。
「うう~む。バーンよ、クレイスを我が城で預かる事は出来ないだろうか?」
「それは駄目だよ。彼は一応人間だし次期国王だからね。」
人間という言葉に2人の『悪魔族』がはっと我に返るもシャヤは2杯を、フロウも4杯を既に完食してしまっている。
「あ、心配なさらないで下さい。これは『魔界』でもよく食されている料理なのです。僕の魔力もふんだんに込められていますから人間の食事ではありません。」
しかし彼の説明を聞いて安心すると以降は深く考えないようになった。そうだ、この旅の面々で真っ当な人間なのはハルカ1人しかいない。
であれば道中の食事は彼が作る限り何の心配もないだろう。自分達『悪魔族』がまさか人間の料理などを食べる訳にはいかないのだから。
こうして朝と夜の食事に密かな楽しみを覚え始めた『悪魔族』の2人だったがいよいよ元『神』の住む国へ入ると流石に周囲の視線が集まり始める。
「ほう?これは悪くないな・・・」
それもそのはず、馬車の中には狼か犬のような顔を持つフロウに『虎人族』のラルヴォ、御者席には蝙蝠のようなシャヤが座っているのだから否が応でも目立つのだ。
魔王の機嫌が良かったのも直接悪感情を一身に受けることが出来たからだろう。この国も別世界から来たと伝えられていたがはやり亜人種というのは人間には受け入れられない存在らしい。
「ようこそお越しくださいました。」
それでも女王であり元『神』であるイェ=イレィは自ら出迎えると同時に跪いて深々と頭を下げていた。これは彼女がヴァッツに赦された大恩があるからだという。
「こんにちはイェ=イレィ!ところでどう?『モ=カ=ダス』は平和な国になった?」
「はい!国民も私もヴァッツ様に日々祈りを捧げて暮らしております!」
ちぐはぐなやり取りに若干の違和感を覚えたもののそれ以上にイェ=イレィは彼の力を深く理解しているのか。有り余る敬意は傍から見ていても十分に伝わって来る。
「それにしても『悪魔』や『獣人』がご一緒とは。今回来国された目的は・・・わかりました!『モ=カ=ダス』で見せしめの公開処刑を考えていらっしゃるのですね?!」
「違うよ?!何でそうなるの?!」
更にこちらの正体をさらりと言い当てたのにも驚いた。その辺りも元『神』としての力によるものなのだろうがヴァッツは相変わらず『悪魔族』である自分達を庇護するような言動を取っている。
「まぁまぁ。イェ=イレィだっけ?君には僕からも色々聞きたいことがあるんだ。とにかく一度城内に入ろうよ。」
最後はバーンが話をまとめたのだが彼も元『天族』であり『神』に作られ操られてきた存在だ。その辺りの事情を知ってか知らずかイェ=イレィは不思議そうな表情を浮かべながら一行を案内する。
そして装飾が施された豪奢ともいえる部屋で小さすぎる椅子に腰をかけると早速ヴァッツがこれまでの経緯を説明し始めるのだった。
「えっとね。今回ここに来たのはイェ=イレィが普段どんな感じで生活してるのかを教えて欲しいからなんだ。」
「えっ?!そ、それはつまり私と一緒に暮らしたい、私を娶ってくださる?!そ、そういった意味で間違いありませんか?!」
「間違いだと思うよ~?ヴァッツは人間以外の種族がどんな生活を送っているのか『悪魔族』に知ってもらいたいのが目的だよ~。」
どうやらこの元『神』はヴァッツに敬意以上の感情を抱いているらしい。シャヤからすればあまり好ましいものではなかったがバーンが訂正すると元『神』はすぐに巨大な悪感情を見せたので感心してしまった。
「私達『悪魔族』は人間を食すことを禁止されている。そこで有り余る時間を使い何かできないかと模索している最中なのだ。人間の真似などをせず悪感情を得られる方法があれば良いのだが何かないだろうか?」
嘘偽りないフロウの相談内容には後ろで控えるシャヤも力強く頷く。ただしそれは『悪魔族』の都合であって聞いていた『モ=カ=ダス』の人間達は嫌悪と恐怖に心を染めていたようだ。
「そういう事ですか。しかし今の私は国を預かる身、国民を危険に晒すような真似に加担は出来ません。」
そして元『神』である女王は毅然とした態度で魔王の相談を突っぱねる。すると衛兵や召使い達が尊敬と歓喜の念を一斉に放出したのでシャヤは切り替わりの早さにこれまた深く感心した。
しかし無駄に長い時間かけてやってきたのも全てが無駄だったか。これはフロウも同じように考えていた筈だが直後にイェ=イレィは人払いをすると部屋の中には自分達と女王だけになる。
「・・・『悪魔族』の存続についてはわかりました。しかし私が出来る事といえばこの世に『悪魔』がいる事を喧伝するのと『悪魔払いの儀式』を定着させるくらいしか思いつきません。」
先程の発言はあくまで建前であり本心では『悪魔族』というよりヴァッツの役に立ちたくて仕方がないらしい。周囲に気を配りながらに少し残念そうな表情で提案するがそれだけでもかなりの悪感情を得られる気はする。
「なるほど~。つまり『悪魔』を身近なものと定着させるのか。それで何かあればそちらに責任を押し付ける。う~ん、その思考の方がよっぽど『悪魔』らしいよね。」
「かもしれません。しかしヴァッツ様の御力があれば悪感情などなくとも生きていけるように出来るのではありませんか?」
「それをフロウ達が拒んでるからこうやって旅に出たのよ。『悪魔』には『悪魔』としての誇りがあるんだって。まぁわからなくはないけどね。」
「そうですか。流石はヴァッツ様、何と慈悲深いのでしょう。」
イェ=イレィの疑問にはハルカが答えると彼女も少し驚いたがすぐに笑みを浮かべて納得している。
「それらを各国で行ってもられば多少の悪感情は集まるか・・・いや、しかしそれだけでは目的の半分しか解決していない。私達にも何か、人間を殺す以外に生きる明確な目的が欲しい。」
「でしたら人外の姿で街を歩くだけでもかなり効果はあるかと思いますよ。」
それはここに来るまででも馬車の中で十分理解していた。人間は本能からか亜人の存在を極端に恐れるらしい。となると同族達を方々の街で歩かせる事が目的となる訳だがあまりにも退屈な行動に聞いているだけでもあくびが出そうだ。
『巨人族』達のように充実や納得の行く内容ではないが何もしないよりは全然ましかもしれない。シャヤは魔王の決定を待っているがその答えは中々返って来ない。
「その提案は私から反対させてもらおう。」
すると今まで黙っていたラルヴォがゆっくり右手を上げながら口を開いたので皆の視線が集まる。
「それは何か理由があるんだね?」
「うむ。私も『悪魔族』ではないがこんな容姿だ。初めていく街の人間達には恐怖や忌避の目に晒されてきた。しかし彼らは危害を加えない存在だとわかれば心を開いてくれる。つまり慣れて行けばお前達のいう悪感情は芽生えなくなると思う。」
自身の経験から雄弁に語られた内容は周囲に沈黙を生んだ。確かにいくら見た目が怖くても実害がなければ人間に限らず気を許してしまうのだろう。
それは今の自分達にも言えるのかもしれない。ヴァッツという破格の存在に牙をむいたにも関わらず生かされているのを当然と考えてしまっているのと同じように。
「・・・う~ん。クレイスは何かない?」
「ぼ、僕?!そ、そうだね・・・悪感情を生む方法か・・・『ネ=ウィン』が『アデルハイド』に侵攻してきた時はそれが一杯あったと思うけど戦争は余計に犠牲者が出るだろうし。」
もしかすると自分達は相当な無理難題を提示しているのかもしれない。『モ=カ=ダス』でやっとそれが少しわかって来るとシャヤも僅かにヴァッツの力を期待し始めたのだがフロウはまだ諦めていないようだ。
「・・・ちょっと話が暗礁に乗り上げた感じだね。だったら1つ別の質問をしてもいいかな?」
そこにバーンが軽く割って入って来るので皆が注目すると思いがけない事が起こる。何と今まで脅威も恐怖も全く感じなかった彼からとんでもない闘気が放出され始めたのだ。
「ねぇイェ=イレィ。僕達『天族』を作って操ってた奴はまだ『神界』で生きてるの?」
確かに道中彼の身の上話も聞いていた。以前は『天族』であり『天界』では戦いたくないのに毎日同族と殺し合いをしていた事を。
「・・・『神族』はヴァッツ様に全ての力を奪われましたからね。気になるのなら自身の眼で確かめて来ればいいんじゃないかしら?」
こちらも何かを察したのだろう。イェ=イレィも随分軽く返すがまさかこの場で戦うつもりだろうか。
「・・・そいつの名前を教えて貰ってもいい?」
「ザジウスよ。」
ところが名前を聞き出すとバーンの闘気は一瞬で消え去った。これにはフロウも目を丸くしていたが彼は十分に目的を果たしたようで感情も収まりを見せている。
「へ~、覚えておくよ。でも随分あっさり教えてくれたね?」
「だって私もあんまり好きな人じゃなかったし。ずっと『神界』の頂点に立っていてね、強大な力を保有してたから誰も逆らえなかった。ま、今ではただの老人に成り下がってるからもう殺されてるかもしれないけど。」
どうやら『神界』というのも争いの絶えない世界らしい。というかそういう場所に行けば悪感情を沢山手に入れられそうだがここは提案すべきか?
「バーンはザジウスを倒そうとしてる?それとも殺そうとしてる?」
そこにヴァッツがとても静かに問いかけると場は再び耳が痛くなるような沈黙に包まれた、がイェ=イレィだけは静かながらも目を輝かせながら頬を紅潮させている。
「そうだね。僕としては自分や自分の仲間達を散々苦しめたそいつだけは倒したい、って思ってたんだけど今の話を聞いたらもう興味なくなっちゃった。だってヴァッツが力を奪ったんでしょ?」
「そうなのです!あらゆる世界に干渉していた私達『神族』をも軽く超える御方!それこそ唯一無二の『神』でありヴァッツ様なのだと私は確信しているのです!」
「だからオレは人間だって!」
元は『神』と崇められる程優秀なのだろうが想い人の事になると箍が外れるらしい。恍惚とした表情で流暢に褒めちぎるがヴァッツは少し迷惑そうだ。
「しかしヴァッツの思想に沿っていては一向に答えが見つからん。やはり人間を食い殺すかそれに近い事を許してもらう訳にはいかぬか?」
彼が人間かどうかの議論は置いといて相談を再開すると今回は即答される事は無かった。しかし若干の苦悩は見られたもののはやりこちらの意見を通すのは難しく感じる。
「・・・あなたは同族を人間社会に送り込む事は可能でしょうか?」
「む?それはどういう意味だ?」
するとイェ=イレィが何かを思いついたのか確認を取って来るとフロウも意図が分からず小首を傾げる。
「ヴァッツ様、もしよければ『悪魔族』を各国の執行人に据えるのはいかがでしょう?もちろんこれは彼らが人間の命令や法を厳守するという前提を踏まえてですが。」
執行人という言葉の意味すら皆目見当がつかなかったが人間の王子であるクレイスは察したのか、すぐに口を開く。
「そ、そうか。懲罰を与える役目を『悪魔族』の方にお願いすれば合法的に悪感情を集められるという事ですね。うん、やり過ぎなければ僕も賛成です。」
どうやらそれは人間に罰を与えたり処断する役割らしい。ただそうなると人間に従う形になるのではないか?
「それは人間にひれ伏せという事か?」
当然フロウもすぐに問い返す。『悪魔族』からすれば家畜か餌としか考えていない人間の法律、掟などどうでも良く、ましてや都合良く扱われるなど誇りが許さないだろう。
だが今度はイェ=イレィがかなりの怒気を放ちながらこちらを睨みつけると静かに言葉を発した。
「あなた達は大いに誤解しているようですね。この世はヴァッツ様とそれ以外にしか分けられません。下らぬ矜持を捨てないのであれば私も協力するつもりはありませんよ。」
元『神』というだけあってシャヤの胆も十分冷える程の恐怖が襲う。それにしてもこのイェ=イレィという存在はヴァッツに入れ込み過ぎではないだろうか?
どれほどの大恩があるのか知らないが仮にも王という存在がここまで感情的に物事を判断するのは如何なものなのだ・・・と考えているとそれはそのまま『悪魔族』やフロウ達にも当てはまっている事に気が付いた。
(・・・ここは人間の国だが統治しているのは元『神』だ。ならば妥協すべきは我々の方なのかもしれない。)
フロウもすぐに答えが出せないでいるのは葛藤しているからか。腕を組み双眸を閉じたまま全く動かないでいるとヴァッツが優しく声を掛けて来た。
「答えを急がなくてもいいと思うよ。フロウ達にはまだ会って欲しい人達がいるからね!」
「流石はヴァッツ様!深淵とも呼べる懐の深さにこのイェ=イレィ、改めてこの身も心も捧げる事を誓います!」
結局この日の会議はそこで幕を閉じたのだが他に会って欲しい存在とはどのような者達なのだろう。そして女王のいうヴァッツとそれ以外という考え方はある意味理に適っているのかもしれない。
シャヤはそのような事をぼんやり考えていたのだが翌日はよくわからない人間に挨拶をした後、一行はイェ=イレィに別れを惜しまれながら再び馬車に乗って西へと向かい出す。
「さて、今度こそファヌル達の所に行くのよね?」
「うん。でもその前にアルヴィーヌやショウにも会って欲しいな。カズキは・・・ちょっと危ないかな?」
「あはは。彼なら絶対戦いを挑むだろうね。」
どうやら彼らの様子だと次に会えるのも人間以外の存在らしい。ならばヴァッツの言う通り焦らず大局を見極めていくべきかもしれない。
そう考えたシャヤはやっと乗り慣れて来た馬車の手綱を軽く握ると後ろから聞こえてくる話し声にそ知らぬふりで聞き耳を立てながら見慣れない景色を楽しむ余裕が生まれていた。
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