闇を統べる者

吉岡我龍

亜人 -獅子の首-

 クレイス達が『ラムハット』へ赴いた後、『リングストン』からの使者は『アデルハイド』を訪れるとキシリングを前に堂々と宣言する。
「現在母国は侵略の危機に晒されています。故にヴァッツ様には本日中に出立して頂きます。」
これには同席させていたハルカの祖父トウケンも渋い表情を浮かべていたがややこしい事にヴァッツは彼らの国でも大将軍代理という立場なのだ。
しかもその原因が自身の息子にあるとなれば無下に追い返す訳にもいかない。
「・・・わかった。早々に報告しよう」
キシリングはこれ見よがしにため息を付いて見せるが使者の方はその挑発的な行為を気にする様子もなく要件を済ますと速やかに退室する。

「・・・あれがフォビア=ボウか。情報通り食えぬ男だな。」

元暗闇夜天の先代頭目なだけあってトウケンはある程度彼の情報を握っているらしい。
「そんなに凄い男なのか?」
「うむ。若い時から情けを持ち込まない政治手腕を買われてネヴラディンに重用されていたはずだが流石に昨年の『ビ=ダータ』侵攻作戦の責任は取らされたらしいな。」
その戦いについてはキシリングも詳細も知っている。
自軍すら省みず毒煙をまき散らした結果『リングストン』としては相当な被害に釣り合わない戦果だったそうだが、使者という扱いもその処分から来ているものなのだろう。
それでも冷酷な独裁者から『粛清』されていない所をみるにまだまだその能力を買われているらしい。
「プレオス、早急に連絡だ。使者がフォビア=ボウである事もしっかり伝えておくように。」
「御意。」
そして入れ替わるように謁見の間の扉が開かれると今度は彼の孫娘が顔をひょいと覗かせて姿を見せる。
「やっほ。おじいちゃま元気?」
「おぉぉぉぉぉ?!ハ、ハルカッ!!ど、どうしたんじゃ急に?!今から会いに行こうとしていたのにお前から・・・・わ、わしは嬉しいぞぉっ?!

「あのね、おじいちゃまってば紅茶だけで何時間も居座り続けてお店に迷惑だからたまには私の方から会いに行けってティナマに言われてさ。これも仕事の内よ。」

祖父の熱い思いとは裏腹に孫娘は『気まぐれ屋』の事情により仕方なく遠路はるばる『アデルハイド』へとやってきたらしい。
しかし『暗闇夜天』の掟を捻じ曲げてまで命を救ったのに本人から向けられる塩対応は少し哀れに思うがトウケンが嬉しそうなのでそこは流しておこう。



それから1時間も経たない内に左宰相のショウがやってくると直接フォビア=ボウとのやり取りを始める。
「貴方が悪名高きフォビア=ボウ様ですか。カズキからお話は聞いております。」
「恐縮です。ところでヴァッツ様はどちらに?」
「ヴァッツが必要かどうかは話の内容次第ですね。さぁどうぞ、侵略の危機とやらを説いて私を説得してみせて下さい。」
どうやら素直にヴァッツを派遣するつもりはないらしい。再びトウケンやプレオス、そして今回はハルカも交えてフォビア=ボウの話と様子を観察していると彼は不意に付き人へ木箱を持ってくるよう命じる。
それは間違いなく首桶だろうが何故そんなものをこの場に持ち込んだのかはわからない。だが4人は中身を見るとやっと理解した。

「これが現在『リングストン』を襲っている蛮族です。我々は見た目ちなんで『獅子族』と呼んでいます。」

そこには凡そ人間とは程遠い首があったのだ。それは知識さえあれば誰もが獅子だと断言するだろうがまさか『気まぐれ屋』の店主のような存在が『リングストン』国内に現れたというのか。
対してショウはどう答えるのだろう。いや、これもまた世界の歪みが原因なのであればヴァッツに頼る以外の選択はないとも言える。
「・・・ふむ。では条件として彼らの処遇や対処を含め私達『トリスト』が判断します。よろしいですね?」
「・・・・・わかりました。」
お互いがすんなり要望を受け入れた事に違和感を覚えたが2人は食わせ者の類なのだ。
思惑や落とし所をどうするつもりか、自身の息子が信頼を寄せるショウなら決して後れを取らないだろうと最後まで黙って見守っていたキシリングは早速出立の準備を命じるのだった。





 それからすぐにヴァッツとそれにくっついて移動を共にするアルヴィーヌ、許嫁であるリリーに時雨が一緒に行動する事が決定するのだが今回は意外な人物も立候補していた。
「私も行く!行きたい行きたい!」
普段はヴァッツから距離を置いて自由気ままに生きていたハルカの要望はあまりその人物を知らないキシリングも驚いていたがトウケンの話だと彼女の婿としてヴァッツを第一に考えているという。
ならばこの機に親睦を深める為だと考えれば別段おかしな事ではない。ヴァッツが傍にいる限り命の心配はいらないだろうし『暗闇夜天』としての自覚を深く認識し始めたのであれば心変わりも十分考えられる。

「駄目です。貴女は今回お留守番をお願いします。」

ところが今回それを止めたのは子孫繁栄に一番理解を示していたショウだったのでトウケンも渋い顔で口を挟み始める。
「何故だ?お主もハルカがヴァッツ君に心を惹かれていて将来夫婦になりたいと考えているのは知っておるはずゃんっ?!」
そこに孫娘からの首が折れそうな拳が放たれると言葉を遮られた祖父も涙目になりながら黙り込む事を選んでしまった。
「まぁそこは彼らが帰国してから頑張って頂くとして理由は大きく2つあります。1つは『気まぐれ屋』の労働力をこれ以上欠く訳にはいかない事。もう1つは『暗闇夜天』の里で怪しい動きがある事です。」
「ほう?わしの耳にも届いておらんが・・・ふむ。考えられなくはないか。」

「えぇ~?!それこそヴァッツに頼んで何とかしてもらえばいいじゃない!私も『獅子族』っていうのを見てみたいの!結局これって猫みたいなものでしょ?!お願いおじいちゃま!何とかショウを説得してみせて!」

この光景にはキシリングも覚えがあった。
若くして妻を亡くしていたという理由もあったが思えば愛息クレイスの希望を何でも叶えてやろうとしていた結果、文武を持たない愚息へと成長してしまっていたのだ。
しかしトウケンやハルカは腐っても『暗闇夜天』族であり甘やかしはしつつ最低限の訓練はしっかりとこなしていたのだろう。
今では自身の想像を超える程立派に成長していたクレイスだが思い返せば可愛い我が子だからこそもっと早くから獅子のように千尋の谷へ落とすべきだったのかもしれない。
「うむ!可愛い孫娘の頼みじゃ!ショウ!ここは何としてでもハルカも同行させてもらうぞ?!見返りとしてわしがその店で働こうではないか!」

「・・・・・・・・・・とても面白、いえ、何でもありません。しかし騒動が起こった際2人に居て貰わねば収拾がつかない恐れがあるのです。」

かなりの間が空いた後、ショウからポロリと本音が漏れるもその後の説明にはキシリングも納得がいく。
現在『暗闇夜天』の里周辺の地形も大きく変わっており少し離れた場所には『モ=カ=ダス』という国家が、その北側には巨人族が住む集落があったりと著しい変化を遂げている。
しかもこれら以外にもまだまだ未知の領域が生まれている可能性があるのだ。その辺りと戦力的な部分から考察した結果がハルカをこの地に留めておくという理由らしい。
「・・・ふむ。しかしハルカだけが他に後れを取るのは納得いかん。せめて帰国後は一か月程一緒に暮らす事をゆるしゃはっ?!」
それにしても余計な一言から天賦の才を持つハルカの拳を何度受けても口を挟む事を止めないのは流石『暗闇夜天』族歴代最高の頭目と謳われるだけの事はある。
「それくらいでしたら私の口利きで何とでもしましょう。」
「よし!!よかったなハルカ!!これで曾孫の顔が一歩近づいちゃはっ?!」
「私は『獅子族』に会いたいの!!ヴァッツの事とかどうでもいいから!!ショウ!!例えあなたの許しが無くてもついて行くからね?!」
「ほう?それではリリーが悲しまれますよ?聞き分けの無い妹に相当失望されるでしょうねぇ?」
「うぐぐっ?!」
『トリスト』の中でも2人の宰相は徹底的に感情を排して動く為傍から見れば脅し以外の何物でもなかったがそういう立場だからこそ情に流されてはいけないのもキシリングは理解していた。

「今回はお前達の完敗だな。それに『獅子族』へは事が解決してから会いに行けばよい。そうだろう?」

ウォダーフの時もそうだったが相手から敵意さえ向けられなければ今回も丸く収まる筈だ。そう思って仲裁したキシリングの言葉に2人は顔を見合わせて渋々納得するが彼には1つ見落としていた部分がある。
それはフォビア=ボウが『獅子族』の首を持って来たという点だ。
この時点で既に何かしらの争いが起きている。ただ蒸し返したくないショウはそこに言及する事もなく話はそそくさと終わりを見せるのだった。





 それからすぐにヴァッツとアルヴィーヌ、リリーに時雨が集められるとそこにフォビア=ボウと今回はショウも同席した馬車は『リングストン』へ向かう。
「ところで・・・えっと、君の名前は何だっけ?」
「フォビア=ボウと申します。以後お見知りおきを。」
「わかった!んでフォビアはさ、その『獅子族』っていう人達の首を斬って持って来たんでしょ?どうしてそんな酷い事をしたの?」
今回は従者として時雨にも色々な指令が出ていたようでいきなり機嫌を損ねているであろう彼の様子にリリーは一瞬視線を交差させながら見守る。
「それは彼らがとても狂暴だからです。」
「そうなの?獅子って猫っぽくて可愛くない?」
通常運転のアルヴィーヌも思う所があったのか。不思議そうに小首を傾げていたが今回ばかりはどちらかというとフォビア=ボウの意見に賛同せざるを得ない。
何故なら獅子というのは本来かなり狂暴で何の訓練も武器もない人間であればまず成す術もなく殺されてしまうからだ。
彼の話をすべて鵜呑みにする訳にはいかないが少なくとも首を落とす程まで激しい争いが繰り広げられているのは想像に難くない。

「それはヴァッツ様やアルヴィーヌ様が破格の御力を持っておられるからそう思われるのです。彼らは今までの蛮族と違い人間を食料と認識しています。」

「え?!人間を食べるの?!」
「はい。ですので抵抗しなければ我が国の民は片っ端から食い尽くされていくでしょう。そこで今回はネヴラディン様がどうしてもヴァッツ様の御力が必要だと判断されたのです。」
これだけ聞けばウォダーフの時のような穏便な接触は難しいだろうと思えるが今説明をしているのはカズキからも聞いていた卑劣な手を躊躇なく使う悪名高き男なのでリリーは過去の記憶も含めるとどうしても全てを信用出来ないでいた。
「という事は今回『リングストン』はヴァッツ様に彼らの殲滅を命じるおつもりですか?」
「そこは私の口からは何とも。全てはネヴラディン様の決定に従うまでです。」
時雨が確認するとフォビア=ボウは言葉を濁す。そもそも相手が誰であろうとヴァッツがそんな命令に従う筈がなく、今回は未だ一言もしゃべっていないが左宰相のショウもいる。
となれば和平条約を結ぶ案が現実的か。しかし獅子の顔を持つ種族が人間を食べるのだとすれば納得のいく終着点は存在するのだろうか。
「『獅子族』か~。触り心地は良さそうだよね?」
「うんうん。私もなでなでしたい。」
しかし常人とかけ離れた2人の思考は問題を解決するよりも早く接触してその欲求を満たしたい一点に絞られている。
楽しそうにおしゃべりする彼らの様子をどう受け取っているのか。気になったリリーは気取られぬようフォビア=ボウを静かに観察すると彼もまたその悪名からは考えられぬ程爽やかな笑顔を浮かべていた。



火急の用事であれば国王への挨拶など後回しに現場へ急行するものだと思っていたが一筋縄ではいかない『リングストン』の馬車は2週間ほどかけてそのまま王城へ辿り着く。
「お帰りなさいませヴァッツ様。さぁまずは旅の疲れを癒して下さい。」
リリーも彼の許嫁としてこの国に何度も足を運び、そしてネヴラディンという人物や国家体制を見聞きしてきたので流石に知っていた。
彼は何としてでもヴァッツを『リングストン』に長く繋ぎ止め、行く行くは永住させようと画策している。
だから獅子の生首を確認していないリリーは今回の騒動も半分妄言ではないかと疑っていたのだがそれが確信に変わったのもこの時だ。
「紹介しましょう。こちらは私の娘です。」
「初めましてヴァッツ様。ルバトゥールと申します。」
許嫁として三度この国に足を運んでいるが娘を紹介されたのは初めてだった。歳はヴァッツと同い年くらいだろうか?
彼の血を継いでいるとは思えない程内向的な様子が余計にきな臭さを感じてしまうがリリーにはそれ以上独裁者の行動がどのようなものか想像出来るほど知識も経験もなかった。





 「よろしくルバトゥール!」
一先ず皆が軽く挨拶を交わすといつもの部屋へ案内される。そして当たり前のように彼女も入って来るとその意味を理解した2人は顔を見合わせた。
「あの、ルバトゥール様、ここは『私達』のお部屋ですから王女も一度ご自身の部屋に戻られた方が・・・」
「いいえ、私はヴァッツ様のよき伴侶となれるよう本日から常にご一緒させて頂きます。」
やはりそうか。妙に着飾っている彼女を紹介された時からそんな予感を覚えたのは彼女達がしっかりと成長している証でもあるのだろう。
「・・・あの、ヴァッツ様は私と婚約されていますからそのような不義理を仰るのは止めて頂かないと・・・」
「大丈夫です。私は何も正妻の座を望んでいる訳ではありません。御傍に置いて頂けるだけで充分なのです。」
これには時雨が顔色を変えて押し黙ってしまったが初心なリリーですら分かりやすい態度はむしろ対処しやすくて助かるくらいだ。
「お~またヴァッツにお嫁さんが増えたんだ。いいね。」
「いやよくないだろ?!」
しかし当事者とその叔母だけは何一つ理解していないらしく、アルヴィーヌのあまりに能天気な発言を聞くとリリーもつい素で返してしまったがそこに頼りになる左宰相が初めて口を挟んでくる。

「ルバトゥール様。こう見えてヴァッツは女性の好みに五月蠅いのです。もし貴女が彼の寵愛を受けたいのであればまず少しずつ距離を詰める形で話を進めた方がよろしいかと思います。」

聞いた事の無い情報に再び時雨と顔を見合わすがこれも策謀の範疇なのだろう。
彼女もある程度事前情報を得ているのか、ヴァッツと仲の良い友人であり左宰相のショウがそう答えると流石に悩み始め、それから父と相談してくるという形で部屋を後にする。
「いや~流石左宰相様だな。そうだよな、ヴァッツ様にも好みがあるもんな。・・・あれ?それだとあたし達も危ない、か?」
肩書は近衛兵であるものの最近になってやっと『気まぐれ屋』の店員となり真っ当に働き始めたリリーは客観的に見ても真っ当な生活や大した成果を上げられているとは言えない。
容姿に関しては周囲が褒めちぎってくれるが彼がそんなものに惑わされるとは思えないし、純粋だけでなく真面目な一面を持つヴァッツの性格を考えると自身は除外されても仕方がないような気がしてしまう。

「ねぇショウ。女性の好みって何?」

いや、やはりこれは考えすぎだったらしい。ルバトゥールが去った後彼が小首を傾げてきょとんとしていたのでショウは笑顔でその話を流すと早速『獅子族』が現れたという場所を地図で確認し始めた。



そもそも今回の目的はあくまで突如現れた『獅子族』への対応なのだ。皆が晩餐に呼ばれて楽しむ中、ショウはネヴラディンにその詳細について色々と尋ねていた。
「背丈は軽く8尺(約2.4m)を超え、体は鋼のような肉体と鎧のように固い被毛で覆われているらしいです。私も現地で死体を確認しましたが農兵が主な我が軍にはやや荷が重すぎましてな。」
その話を一緒に聞いていたリリーも想像を超える化け物のようだと認識を改める。
「しかし『リングストン』には立派な戦士も多数在籍しております。今ですとコーサ様が率いる軍であれば十分戦いになるかと。」
「問題はそこにもあります。実は奴が最前線で抑え込んではいるのですがどうにも闘志が滾り過ぎているようで。ヴァッツ様には『獅子族』との戦いだけでなくコーサを連れ戻すのも是非お願いしたい。」
「うん?いいよ!でも意外だね~コーサってもっとのほほ~んってしてる人かと思ってた。」
確かにそうだ。弓の腕は確かだが間延びした喋り方とあまりやる気のない言動をリリーも覚えている。
「それ程まで我が国は追い詰められている、と解釈して下さい。して、今回は『獅子族』の処遇を任せて欲しいと申し出られているようですがショウ様は奴らをどのように扱うおつもりですか?」
「それは相対してからですね。少なくともヴァッツは血を求めたりはしませんので恐らく穏便な方向で解決出来るでしょう。」
2人ともかなり踏み込んだ話し合いをしていたので立場上ヴァッツの傍にいた彼女も聞き続けていいものかどうか不安に駆られるが最後は有耶無耶な感じで話が終わるとリリーもやっと美味しい食事を楽しみ始めるのだった。





 翌朝、早速一行は王城から南部にあるという『獅子族』の集落へ向かおうとしたのだが『リングストン』はまたしても厄介な人物を付けて来た。
「お久しぶりですヴァッツ様。今回もよろしくお願いします。」
「あ!ネヴラティークだ!よろしく!」
ネヴラディンの血を確かに感じる息子が父の代わりとして同行するらしい。いや、ここまではまだわかる。
「よ、よろしくお願いしま、す!」
しかし昨日断りを入れていたルバトゥールが全く着慣れていない重厚な鎧を身に着けて現れたのは流石に表情がひきつった。
「まさかあなたも同行されるおつもりですか?」
これにはショウですら口を出さずにはいられなかったのだろう。リリーからみてもルバトゥールは間違いなく戦いの素人であり動きのぎこちなさは顔を覆いたくなる程だ。
だがそれにもしっかりとした理由があったらしい。
「ヴァッツ様を困らせないだけの強さを、証明してくるよう父に申し付けられましたから。大丈夫です。」
「こう見えて妹はそれなりに腕が立つのです。これは兄である私が保障します。」
絶対嘘だ。何なら『トリスト』の兵卒にすら一瞬で命を奪われそうな様子に敵の立場であるにも拘らず心配でこちらが嫌な汗を流していたがそこはショウが全てを見抜いてくれる。

「なるほど。確かにヴァッツの周りには戦える方が多いのも事実。しかし彼がそこを重視しているかと言えばまた違う気はしますね。」

彼の意見を聞いてしゅんと落ち込んだ彼女は本当にネヴラディンの娘なのだろうか?独裁者の血を引いているのであれば無理矢理にでも自身の意見を貫き通す印象だったリリーは訳が分からなくなってきた。
「大丈夫。戦いにいく訳じゃないから。」
そこにきてアルヴィーヌの発言は時雨をも混乱させていた。妹と違い我儘で好戦的な彼女からこんな言葉が聞ける日が来るとは、よほど『獅子族』に好意を抱いているのだろう。
「だね!さぁ行こう!楽しみだなぁ!」
そんな周囲の思惑など露知らず、ヴァッツはお気に入りの馬車に乗り込むと一行は一路南方の戦場へ向かう。



それでも急いで二日ほどの時間がかかり、問題の場所に到着すると既に『リングストン』軍は半壊状態だった。
相手の規模や詳しい強さなども不明瞭な部分が多かったのもあるが圧倒的物量ですら押し切れない『獅子族』というのは侮れないのかもしれない。
ましてや撫でたいという訳の分からない気持ちで接するのは決してよろしくないと心を改めたリリーはヴァッツを先頭に過労や怪我で意気消沈する中を歩いて行くと中央の陣幕から見たことのある男が姿を現した。
「おお~~ヴァッツ様ぁ~~大変お待ち申し上げておりましたよぉ~~!これでやっと戦いが終わるぅ~!!」
ネヴラディンの話では彼の闘志は充実しており『獅子族』との戦いに胸を躍らせているような話だったはずだがやはり独裁者の話を鵜呑みにしてはいけないという事か。
髭の手入れすら出来ておらず、疲労は目の下の隈からも容易に想像出来る。戦場はいつ瓦解してもおかしくない状況に陥っていると考えていいだろう。
「コーサ。ヴァッツ様の御前だぞ?もう少し身嗜みを整える位は出来なかったのか?」
「す、すみません~ネヴラティーク様~。しかし相手は連日夜中に襲撃してくるのでこちらも全く休めない状態が続いてまして~・・・あの、後はヴァッツ様にお任せして俺、寝ていいですか?」
どうやら『獅子族』というのは夜目もしっかりと利く為彼らは何日もの間激しい夜襲に苦しめられていたらしい。

「よくわからないけどいいよ!何かとっても眠そうだしゆっくり休んで!んじゃオレ達は『獅子族』の所へいこう!」

「お~!」
2人の能天気なやり取りに安心したコーサは言葉通り陣幕内に戻ると一瞬でいびきをかき始める。
ネヴラティークこそ若干呆れた様子を浮かべていたがショウが反対する姿勢を少しも見せなかったのでこのまま突撃する行為は容認されたようだ。
自身も念の為いつもの鎧と大剣を携えてはいるものの『獅子族』とは一体どんな種族なのだろう。彼らの熱に当てられたリリーも内心わくわくしながら戦場に赴くとそこはとてもきれいな平原と、少し向こうにはいくつかの防柵や櫓が見えていた。





 よく言えば見晴らしがよく、悪く言えば相手からこちらの姿は丸見えだ。
それでも恐怖など全く持ち合わせていないヴァッツを先頭に一行が徒歩で近づいて行くとやっとそれらしい動きが見えた。
「がるるるるるっ!!!」
初めて聞く獅子の唸り声にリリーが時雨やルバトゥールと同時にびくりと体を反応させていたが他の面々は堂々と正面を見据えている。
「えーっと。こんにちはー!!オレヴァッツ!!えー・・・話し合いに来ましたー!!」
ここでショウやネヴラティークが口を挟まなかったのは本当に言葉通り、全てを彼に任せるつもりなのだろう。
未だ姿形のよくわからない『獅子族』も物陰からこちらの様子を伺いつつ子供っぽいヴァッツ達を見て何かを判断したらしい。

「話し合いだと?猿が誇り高き我らに何の話だ?」

その暴言だけでも剣を抜くに値するとは思ったが周囲が反応していないのでリリーも無理矢理心を鎮める。
むしろ目の前に現れた『獅子族』達を見ると今度は心身が委縮してしまった。確かに彼らは皆獅子の顔を持っている。それは事前情報から掌握していたがそれにしても各々の体が凄い。
例えるなら皆がハイジヴラム以上の体躯で体は獣特有の被毛で覆われているのだ。これは剣を通すのも一苦労だろうと脳内で危険信号が鳴り響く中、話は進み始めた。
「うん!何か『獅子族』の人達って『リングストン』の人間を食べちゃうんでしょ?それ止めてくれない?」
するとヴァッツの真っ直ぐな提案を聞いた彼らは目を丸くして仲間同士が顔を見合う。それから大声で笑い出したのでリリーの恐怖心は怒りに塗り替えられていった。
「がっはっはっはっはぁ!!まさか命乞いに来るとはなぁ!!しかし我らも食事を摂らねば生きてはいけぬ!!呪うのであれば猿に生まれて来た自身を呪え!!」
『獅子族』の大きな耳には届かなかったようだが果たしてヴァッツはどう動くのか。怒りと同時に期待で胸を膨らませていたが最初に行動したのは他でもないアルヴィーヌだ。

「おおおお!!この尻尾ふっさふさ!!」

「・・・な、なにぃ?!」
気が付けば彼女は誰の目にも止まらぬ速さで『獅子族』の後ろに回り込むとぷらぷらさせていた尻尾にじゃれつく子猫のように目を輝かせて握っている。
「え?!ほんと?!オレもオレも!!」
そしてヴァッツの方はうきうきした様子を隠そうともせずアルヴィーヌの隣に駆け寄って同じようにそれを握って喜んでいた。
う~ん。この場面だけを切り取ればとても微笑ましい光景なのだが完全に目的を忘れた2人はこの後どう話を戻すつもりだろう?
「き、貴様らぁ?!猿の分際でよくも我らの気高き体に汚い手で触りおったな?!」
当然激怒した『獅子族』は大きな鉤爪を持つ手を思い切り叩きつけるが彼らがその攻撃に当たる事は無い。むしろ両肩に上って今度は柔らかい左右の耳をふにふにと触っている。
「う、うわぁ・・・猫みたい、てか猫だね!」
「うん。猫。私あなたを持って帰りたい。」
いやそれはどう見てもどう考えても猫じゃない。最低でも獅子と言ってあげた方が良いと教えてあげたかったが彼らの怒りは既に取り返しのつかない所へと辿り着いているようだ。

「き、きき、きさまらぁぁぁぁぁ?!?!骨も残さず食い殺してやるぅぅぅっ?!?!」

使者やネヴラディンの話では人間を食べると聞いていたがそこは本当らしい。猛獣らしい太く大きな牙が口元から覗くとしなやかな動きで2人に襲い掛かる。
だが『トリスト』でも群を抜いて強い2人にその攻撃が当たる事はなく、ほっと胸をなでおろしているとリリーは1つの違和感に気が付いた。





 それは『獅子族』が一人で戦っていた点だ。
最初の口論から考えると同族がこうも馬鹿にされているのだから助太刀しても良いはずなのに彼らは一向に動こうとせず、黙ってその行く末を見守っている節さえ窺えた。
更に2人のお蔭で相手の動きが良く観察出来たのも大きな収穫だろう。
どうやら見た目通り『獅子族』とは獅子の動きに近いらしい。基本的には上半身を大きく動かしながら前足を伸ばす形で攻撃している。後はその大きな顎と牙だ。
食べるというもの比喩ではない。彼らは相手の命を奪うと同時に食への欲求も満たすのだろう。
「がぁぁぁぁあぁあぁあぁっ!!!」
体全体の動きだけでなく口の開閉も忙しくて唸り声と雄叫びが混じり合う中、きりがないと先に動いたのはやはりヴァッツだ。

ぱしんっ!

その動きは人智を超えている為気が付くと『獅子族』の前足は左右の手でしっかりと掴まれて動かなくなる。
だが相手には噛みつくという攻撃手段もある為これだけでは足りない。ではどうするのか。
「えいっ。」
すると次にアルヴィーヌが『獅子族』の頭の上に飛び乗ってその大きな口を両手で無理矢理閉じてしまったのだ。
「あ。いいなぁ。俺も頭撫でたい・・・」
見事な連携とやっと終わった小競り合いに安心したのも束の間、今度はさっきまで傍観していた『獅子族』が襲い掛かって来たのでリリーは臨戦態勢に入るがここでまたしても意外な出来事が起こる。

何と彼らはヴァッツ達に動きを封じられていた仲間に攻撃を放ったのだ。

意外過ぎて一瞬あっけに取られたがそこはアルヴィーヌが素早く対応した事で全員が地面に叩きつけられる形で決着がつく。しかし『獅子族』内での争いはすぐに再開されたのでこちらはずっと置いてけぼりだ。
「ま、待て!!こいつら猿のくせに妙に強いんだ!!お前達もたった今地面に転がされただろう?!」
「問答無用だ。まさか猿に後れを取る同胞がいるとは・・・」
どうやらヴァッツとアルヴィーヌに絡まれた『獅子族』はその不甲斐なさから粛清されようとしているらしい。
これが彼らの常識なのであれば別の種族が口を挟む余地はないのかもしれないが残念な事に純粋な2人は初めて出会った『獅子族』を大層気に入ってしまっている。

「ちょっと?なんでこの子を攻撃するの?仲間じゃないの?」

アルヴィーヌ1人で彼らの攻撃を素早く受け流したのは流石としか言いようがない。ちなみにヴァッツは『獅子族』の両前足を掴んだままその様子を伺っていた。
「我らの群れに弱者はいらぬ!!全員まとめて死ねぇ!!」
その理論ならたった今アルヴィーヌに転がされたお前達も自刃すべきでは?と口を挟むと碌な事にならないのはわかる。
これらの経緯から彼らが相当な選民意識を持っているのは間違いないだろう。そして顎と牙が自由になった『獅子族』は不意を突いてヴァッツに噛みつこうとしたのでリリーも慌てて『緑紅』の力を発動するが流石に間に合わない。

「・・・うわっ?!結構臭いね?!」

しかし太い牙がその頭に刺さる事は無く、むしろ彼の意外な発言に文字通り口をあんぐりと開けたまま固まっていた『獅子族』はやっと相手の力量差を感じ始めたようだった。





 「あの、そろそろこちらの責任者、総大将か誰かに取り次いで頂けませんか?」

ここでショウが冷静に口を挟むと『獅子族』の4人は顔を見合わせた後再び激昂する。
「ふざけるなっ!!何故我らの王を貴様らと会わせねばならぬのだっ?!」
「その為にやって来たからですよ。それに猿と称するお2人に傷一つ与えておられないではないですか。わかりやすく言うとあなた達では話にならないのです。強さでも思考でも。」
左宰相の鋭い指摘に『獅子族』達は喧々囂々と反論するがこれに待ったをかけたのは他でもないヴァッツに前足を掴まれている『獅子族』だ。
「・・・いいだろう。しかし王は大変獰猛な方、もしかすると言葉を交わす前に殺されるかもしれんぞ?」
「なっ?!アサド!!勝手に話を進めるな!!」
「しかしこの猿の力は本物だ。俺の前足が全く動かん。気に入らぬが同胞から殺される前にこいつらが何の用事で来たのかは興味がある。」
相変わらずヴァッツの事を猿呼ばわりする点だけは納得がいかないがこれで話は進みそうか?というか王が直接この戦場に来ており大変獰猛だという。
(・・・ま、まぁヴァッツ様がいるし命の心配はいらない・・・だろ。多分。)
正直目の前にいる4匹の『獅子族』ですらリリーの手に余る位に強い。それが本陣の中にどれほどの数がいるのだろう。
命の危険をびんびんに感じながら内心どきどきしているとヴァッツがアサドと呼ばれる『獅子族』から手を放した瞬間、突如鎧を着こんだルバトゥールが倒れる音がする。

がしゃん!

「おっと失礼。妹が恐怖のあまり気を失ってしまったようで申し訳ない。どうぞお話を続けて下さい。」
ネヴラティークはさらりと流すが考えてみればこの場で一番弱く、平民と大差ない彼女が逃避の為に失神しても何らおかしな事は無い。
「えっ?!大丈夫?!」
それよりもヴァッツが急いで駆けよった後彼女を軽々と御姫様抱っこして再び『獅子族』達の前に戻っていく姿がとても勇ましく、羨ましく思えた自身に若干の嫌気が差した。
許嫁とはあくまでヴァッツとリリー双方に変な虫が寄らない為の国王命令に過ぎない。時雨の気持ちも考えると本気になってはならない事も重々承知しているのにこんな気持ちを抱くとは。
頑なに自身の心変わりを認めない彼女の思惑とは裏腹に一行はアサドと呼ばれる『獅子族』に連れられて敵陣の中央を歩いて行くがどうやら1つ大きな勘違いをしていたらしい。
何故なら周囲に陣幕などなく、簡素ながら集落の様相を呈していたからだ。見た目からして『獅子』の亜人という事で細かな作業は苦手なのだろう。
それぞれの建物は岩や木材などを使って造られてはいるものの人間の家屋に比べて隙間は見えるし屋根は歪だし柱すら垂直には建っていない。

そんな中、奇異な視線を浴びながら中央にある一際大きな建物にやってくると先程以上に猫っぽい衛兵達がこちらに敵意を向けてくる。

「待て。この猿どもは王に話があるらしい。面白そうなので連れて来た。」
「面白そう?不思議な事を言う同胞もいたものね?」
この時は知識不足で知らなかったのだがどうやらたてがみを持つ個体は雄、猫のような顔つきの個体は雌らしい。
ウォダーフと同じようにその表情は読み取りにくいが彼女達は警戒しつつも1人が家屋へ入ると話を取り次いでくれたようだ。
するとしばらくして音もなく巨大な『獅子族』が静かに現れると流石に今回ばかりはリリーも恐怖と驚愕で意識を失いそうになる。

「ほう?子猿がわしに話があるとな?まずはその勇気を誉めてやろう。」

流石に王と呼ばれるだけあって1人だけ体躯の大きさが段違いだ。恐らく10尺(約3m)を超える大男はたてがみも凛々しく、顔つきや眼光がこちらの心身を大いに委縮させて来る。
「こんにちはー!!オレヴァッツ!!えっと、話って言うのはもう人間を襲ったり食べたりしないで欲しいんだ。いいかな?」
「馬鹿を言うな。何故わしらが食物のいう事を聞かねばならん。そもそもお前達も肉は食うだろう?そいつらから懇願されて食べるのを止めるか?」
「えー・・・豚や牛は喋らないからね・・・でもお話し出来て頼まれたら食べなくなるかもね。」
食物連鎖の頂点に立つからこそ、他を食料としか見ていないからこその理論にヴァッツも一瞬考え込んだがそこは純粋な彼だ。しっかり考えて導き出した答えを聞いた獅子王は強面ながら若干小首を傾げて感心しているようだった。





 この問題は難しい。何故なら言語を使いこなす生物というのは基本的に近い知能、文化を持つ者と争いはするものの滅多な事では食すことは無いのだから。
そこで人間達とは違う姿でありながらしっかり二足歩行で歩き、言葉や文化を扱うものの価値観が大きく違う種族と邂逅した彼らはどう話を進めるべきなのか。
「・・・ではこうしよう。お前達が食物にならないよう戦い抜いてみるが良い。その結果次第では少しだけ考えてやろう。」
『獅子族』は相変わらず自分達の方が優れていると信じて疑わないらしい。上からの立場で試練を与えるような提案をしてくるとアルヴィーヌが元気よく肩から右手を上げた。
「はいはい。じゃあ私が勝ったらアサドを頂戴。もしくはあなたでもいい。お城に連れて帰る。」
普段は他人にあまり興味を示さないが私欲が絡むと自己紹介すら受けていない『獅子族』の名前もしっかり覚えたようだ。
アサドが獅子の顔ながら目を丸くして驚いていると獅子王も低い声で大笑いした後たてがみの無い衛兵達を7匹集めて屋敷の前を指さす。

「よかろう。まずはわしの最側近である彼女らに勝利して見せるが良い。そちらに合わせて人数は7名。文句はあるまいな?」

(・・・・・え?!もしかしてあたし達も頭数に入れられてる?!)
これにはリリーも時雨とひきつった表情でお互いを見合っていたがそこは理解しているのかいないのか。アルヴィーヌがととと~と移動していくと『獅子族』の7名を手招きし始めた。
「私一人でいいよ。でも終わったら皆撫で撫でさせてね?」
その言動は挑発と受け取られても仕方がない。獅子王から選ばれた7人の側近達は唸り声と共に素早く彼女を取り囲むと皆が鋭い牙と爪をむき出しにして構える。
子供の純粋さとは時に残酷だな、と改めて考えつつアルヴィーヌの戦いを見守っていると『獅子族』の雌達が思っていた以上の動きを見せたのでリリーはどっと冷や汗を流した。
それは個としての強さを十全に活かす為なのだろう。誰が合図を送った訳でもないのに彼女達は同時に四肢と首、胴に爪の斬撃を放って来たのだ。

自分だったらその一瞬で身体がばらばらになっていたかもしれない。

だがそこはセイラムの血を引くアルヴィーヌだ。迷わず真上に跳んだ後、翼を顕現させて首を狙ってきた『獅子族』の腹部に抱き着くとそのまま螺旋状に下降して他の5人を重ねる様に回収してしまう。7人目も隙を突いて攻撃しようとしていたようだがアルヴィーヌにじっと見つめられると動けそうもない。
「あ、女の子の方が少し柔らかい。」
「え?!ほんと?!オレも触りたい!」
やり取りだけ聞くとヴァッツが少し変態に思えてしまうがこれはあくまで彼らを猫と認識してのやり取りなので下心は無い。うむ。無いのだ。
「・・・なるほど、面妖な術を使うな。翼を持つ猿か・・・ではわしが相手をしよう!」
そんなやり取りなど気に留める事も無い獅子王が闘気を発するとリリーですら気を失いそうになる。これは流石に不味いのでは・・・とショウの様子を伺うが彼は相変わらず2人に任せる姿勢を崩そうとしない。
「えー。ヴァッツ。私は今この娘達を撫でるのに忙しい。その人の相手をしてあげて。」
「うん?いいけど・・・オレも後でもふもふさせてね?」
彼らしからぬ発言はしっかり相手を猫と認識しているのだと言い聞かせなければ邪推しかねない。仕方ないと言った様子でルバトゥールをゆっくり地面に下ろしたヴァッツはそわそわしながら巨大な獅子王の前に立つと早速彼なりの交渉が始まった。

「んで、どうするの?力比べとかでいい?」

「・・・いいや。どちらかが死ぬまで戦う。死んだ方が負けだ。いいな?」
「え?それは嫌だよ。オレは君達を殺すつもりはないし。腕相撲とかじゃ駄目?」
お互いに絶対負けないという自信からか。ヴァッツがそう答えた瞬間、獅子王は大きな口をにやりと歪ませた後、リリーの上半身を超える大きな右前足を思い切り叩きつけて来た。
恐らく『獅子族』の性格から戦いは免れなかったのだろう。しかし誰よりも強く優しいヴァッツに攻撃が当たる筈もなく、大きな爪をいつものように親指と人差し指で摘まむ様に受け取ると同時に目を輝かせて大きな肉球をむにむにと触っていた。





 「ぉぉぉ・・・あ、でも猫のより固いね?」
「・・・当たり前だ!!そもそもわしらは猫ではないっ!!獅子を愚弄するなっ!!」
現在敵対している彼の発言に思わず深く頷いてしまったのはリリーだけではない。時雨も何度か頷く様子を見せていたが相変わらずショウとネヴラティークは無反応でそのやり取りを見護っているのが少し不気味だ。
「そうなの?オレからすればあんまり変わらないんだけどなぁ。あ、それよりこれでオレの勝ちだよね?もう人間を襲わないでね?」
「ほざくな猿が!!わしの爪を摘まんだ程度で何故負けを認めねばならぬのだっ?!」
言われてみれば尤もだ。勝敗をつけるのであれば殺さないにしてもその力量差をしっかりわかってもらわねばならないだろう。
というか巨大な前足から繰り出された瞬きすら許されない速度の攻撃を正確に摘まんで止めたのだから勝負は決したようなものだと思ったが獅子王は諦めの悪い男なのか負けず嫌いなのか余計な誇りが邪魔をしているのか、未だ闘志を引っ込める様子はない。

「え~?じゃあこうしようか?」

どしゃん

すると再び目で追う事が出来ない動きでヴァッツが獅子王を背中から地面に転がすと今度は両手で喉元と腹をわしゃわしゃと撫でまわし始める。
「・・・・・だからわしは猫ではないと言っておるだろうっ?!」
「ええ~?おかしいな・・・でもちょっとゴロゴロいってない?」
身長だけ見ても倍以上違う相手に全く臆することなく終始猫として扱うヴァッツの行動には圧巻というか呆れるというか。とにかく相当な猛者であるはずの獅子王ですら相手にはならないらしい。
「勝負は決したようなのでそろそろお話を。私はヴァッツの友人であり彼の国の宰相をしているショウ=バイエルハートと申します。」
「おい!!勝手に話を進めるな!!お前達っ!!こいつらを全員食い殺してしまえっ!!」
遂に威厳を放棄してまで号令を発すると周囲の『獅子族』が襲い掛かって来るが任されていたヴァッツ以上にやる気を出していたアルヴィーヌが再び高速で飛び回ると全てを捕まえては地面に叩きつけていく。

「うんうん。なるほどなるほど。もしかしてこれって若い子の方が触り心地がいいのかも?」

終いには探究心から独自の結論まで導き出してしまうと自分達が最も強く優れていたと信じて疑わなかった彼らの誇りは更地のように消え失せていた。
「さて、まずはあなた達の出自からお聞きしたいのですがこの地は何と言うのですか?あ、その前に王のお名前を教えていただいても?」
「おのれぇぇっ?!このわしに生き恥を与えるつもりかっ!!誰でも良い!!わしを殺せぇっ!!」
猫のような扱いを受けていても流石は王だ。『獅子族』としての矜持を守る為、最後は同族達に激しい檄を飛ばすとたてがみを持つ者達が一斉に撫でくりまわされている王に襲い掛かったのだ。
だが力の差は如何ともし難い。彼の懇願にも似た命令はまたアルヴィーヌに全てを阻まれると完全に心の折れた獅子王は体に力を入れる事すら止めて死んだ双眸で空を眺め続けるのだった。

「それではもう一度お聞きします。貴方のお名前とこの地名を教えて頂けますか?」

こういう時のショウにリリーは心底震える。既に相手は人格すら崩壊しそうな様子であるにも関わらず自身の任務を全うする為に再び淡々と質問を始めるのだから。
「・・・わしはファヌル。獅子王ファヌルだ。この地はサーナヴィ平原。わしらの大地だ。」
ヴァッツの力に抗えないからか心が壊れたからか、仰向けで顎下とお腹をわしゃわしゃされたまま抑揚の無い声で獅子王が答えてくれるとショウだけでなくネヴラティークも考え込むような様子を見せる。
「ふむ。やはり別世界から来られたようですね。そのサーナヴィ平原というのはどういう場所だったのでしょう?完全に『獅子族』が支配していたのですか?それとも貴方達を脅かすような存在もおられたのでしょうか?」
「そ、そんな事よりいい加減この子猿を止めろっ!!こ、これでは話し合いにもならんだろうっ?!」
獅子王が悶絶しながら叫んでいる所を見るとヴァッツは撫でる様に彼の体を抑えつけているのか?気になったリリーも少し近づいて目を凝らしてみたがそうではなさそうだ。

(・・・・・まさか?)

そこで1つの結論に辿り着く。過去に何度も抱きしめられた記憶から獅子王にもそれが影響しているのではと考えたのだ。
彼の力は戦うだけではない。計り知れない包容力によって『リングストン』時代の心傷も快復したリリーは今まさにそれが発動しているのではないかと。
「獅子王様、ヴァッツ様の愛撫を止めれば冷静な話し合いに応じて頂けますか?」
自身の経験から間違いないと確信していた彼女はつい口を挟んでしまうが誰かがそれを咎めるような行動はせず、ファヌルも大きな顔で何度も頷いたのを確認するとリリーは静かに近づいてヴァッツに一度止めるようお願いした。
「あ、そうか。話し合うんだよね?ごめんごめん!珍しくてつい夢中になっちゃった!」
こうしてやっと身を起こせた獅子王ファヌルはとても応じるような雰囲気ではなかったが彼もまた猛者なのだ。
理屈ではなく本能からヴァッツの力を認めたようで不機嫌さは隠さずどっかりその場に腰を下ろすと一先ず話し合いに応じる姿勢を見せるのだった。





 「・・・わしらは百獣の王と呼ばれる獅子。それを怯えさせる存在などこの世にあるはずもなかろう?」
もしかするとこれはファヌルが自身に言い聞かせていたのかもしれない。
アルヴィーヌに倒された側近達がいそいそと用意したのは酒だろうか?それを獅子王だけに渡した所から他人を持て成す様な文化が無いのかその気が無いのか。
ただヴァッツもショウも特に気にする様子を見せずに前に腰を下ろしたので話し合いに支障をきたすようなことは無いだろう。
「確かに。しかし私達を猿と呼び食料として認識されるのは困ります。そこで代わりの肉を献上致します。これで人間を襲うのを止めて頂きたい。」
「ほう?・・・猿知恵らしい提案だが悪くはないな。だがわしらは大量の肉を食する。それを満たせるだけの量を用意出来るのか?」
「それは今後の話し合い次第ですね。」
ネヴラティークは気を失ったままの妹を看病しつつ口を挟む様子はなく、獅子王もショウの返答に若干の怒りを露にするが本能で力関係を理解しているのかすぐに抑え込んだ。
「お前達を襲わない代わりに肉を献上する。それで話は終わりだろう?」
「いいえ。それでは私達が損益を被るだけです。貴方達からの見返りを求めます。」
これには獅子としての矜持に再び火が付いたのか、獅子王が激しい闘志を放ち始めるがそれをじっと見つめていたヴァッツの存在に気が付くと驚く程静かにそれを収めてしまった。
「・・・わしらに何を求める?」

「まずは無益な戦いの禁止、そして自給自足の為に農業を学んでいただきます。それから礼儀作法に国としての法律も制定しなければなりませんね。後は他国へ移籍して異文化交流と・・・」

「・・・わしらを見下す種族やふざけた態度を取る者は尽く食い殺して来た。それだけは覚えておいた方が良いぞ?」
「それはヴァッツを食い殺してから仰ってください。言っておきますが彼は人間の中で最も強く、その気になればこの場の『獅子族』を一瞬で跡形も無く消し飛ばせる力を持っています。そちらもお忘れないように。」
「えっ?!オレそんな事しないよ?!」
今回は珍しくショウが随分と前に出るのでリリーも不思議だったがこれには理由があったらしい。
まずはあまりにも違い過ぎる価値観。これを何とか是正する為には強引な手段を選ぶ必要があると彼は判断したのだ。
更に異文化交流というのは建前で彼らの力を分散させるのが目的だそうだ。無益な殺生を止める為の農業も意識改革と食糧確保の一端だという。
ここまでの流れでそんな高圧的な要求を飲むとも思えなかったリリーは話し合いがどう転ぶか全く予想出来ず、念の為と常に戦えるよう身構えていたが獅子王が大きなため息を付いた事で決着がついたらしい。

「・・・ふぅ~~。いいだろう。但し同族に少しでも危害を加えた場合は容赦なく力を行使する。」

あれ程野蛮な男が態度を一変したのにはやはりヴァッツとアルヴィーヌという力の権化が大暴れした影響があるのか。といっても2人からすれば巨大な猫を撫でて愛でたいくらいにしか考えてなかったのだろうがとにかくこれで騒動は収束に向かいそうだ。
「やったー。じゃあファヌルとアサドを連れて帰って良い?」
「アルヴィーヌ様、彼らはこの地に起こった出来事を未だ理解されておりません。今夜はそれをご説明させて頂き、明日からは周辺国へ御挨拶に回る。連れて帰る話はその後にしましょう。」
「ふむ・・・それは地形が大きく変わった事を言っているのか?」
獅子王の態度が柔軟なものへと変化したのを察したのか、雌の側近達が静かに酒らしきものと食事である肉を運んで来るがこれにはリリーも顔が引きつった。
何故ならそれらは人間の手足だったからだ。

「・・・・・ひゃぁぁぁぁぁぁ・・・あぁぁぁぁあぁぁ?!」

そこに運悪く目を覚ましてしまったルバトゥールが凄惨な光景を目の当たりにしてしまい、か細い悲鳴を上げると再び気を失う。
一体彼女は何の為についてきたのだろう。いや、確かヴァッツに見初めて貰おうと父の命令で一緒に行動していたはずだがここまで会話どころかまともな交流さえ出来ていない。
(・・・この様子なら心配いらないかな?)
恐らく以降もそれほど脅威にはならないだろう。そう考えると少しだけ安堵したリリーだったが眼前に置かれた人間の四肢を料理として出された問題が残っている。
「残念ですが私達は同族を食べるのを良しとしません。」
「ほう?そうなのか。猿・・・人間だったか?不便な生物だな?」
ショウがきっぱりと断りを入れてくれるとそれらは下げられるがウォダーフとは違って明らかに危険な彼らと交流などしていけるのだろうか?
折角の安堵も一瞬で水泡に帰すがヴァッツが少しの小言で獅子王を注意すると今度こそお互いの知識を語り合いながら世界が移り変わっているという話でその日は幕を閉じるのだった。

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